2009年02月15日 23:02
■ 銀河の月9日 (G2/15) KIN103 青い水晶の夜 (by D)
昨年、瞑想カレッジの中で、先生がベートーベンの交響曲「田園」について印象的なお話をされた事があった。ヨーロッパに行かれた折、その「田園」を作曲した頃にベートーベンが住んでいた場所(ウィーン郊外のハイリゲンシュタット)を訪れてみたら、曲のイメージとは程遠い寂れた感じの所だったので驚いたが、おそらく「田園」はベートーベンの心象風景から生まれたものだったのだろうという事、そして、偉大な芸術家の多くは、自己の内面にある豊穣な精神宇宙を使って創造活動をしているというような事を、伺ったように記憶している。
その時から、「田園」ってどんな曲だったかなーと気になっていた上、久しくクラシックを聞いていなかった事も重なって、CDを手に入れようという流れになった。節分の頃に届いたのは、カール・ベーム指揮のウィーン・フィル版。それから10日ほど、殆どヘビー・ローテーション状態で聞いている中、再度、前からじっくり読み返していた『転生者オンム・セティと古代エジプトの謎』を、KIN100に読み終えた。殆どラストのP348に、著者の一人であるハニー・エル・ゼイニ氏の思い出が、以下のように綴られているのを見て、私は深い感動を覚えずにはいられなかった。
”アビドスの本を作るために一日中、神殿の撮影をしたあとは、オシレイオンの内部につづく石段に腰かけていっしょにベートーベンの田園交響曲を聴いた。その最終楽章は、嵐と騒乱のあとにやってくる輝かしい歓喜を表現している。この曲を聴くたびに、まるでオンム・セティの生涯そのもののようだと私には思えた”(引用ここまで)
この1年ちょっとの間に続けて出たオンム・セティについての本を2冊とも読み、その間、実際に(初めて)エジプトにも行き、そして今、まさに田園交響曲を聴きまくっているという状況でこの一文を読むとどうなるか、想像してみて頂きたい。少なくとも、それらの条件が一切無い状態で読むのとはまるで違った次元で、この事が心に響いてくるのは分かって頂けるのでは無いだろうか。シンクロは、それ自体に特別な意味を求めなくとも、ちょっとした一文やひと言を、とりわけ感動的な表現へと変える魔法の力があるのだ。
ちなみに、昨夜、世界ふしぎ発見の予告編をちらっと見ていたら、どうやら近々オンム・セティが登場する模様・・・これは見逃せない。話を田園に戻すと、その翌日、今度は、今読み進めているホゼの伝記の中で、こんな一文を見つけた。
”ホゼは、聖ジェルマンの十九世紀のエマネーションであるラコツィ伯爵と特別なつながりがあると思う、とルディアは言いました。ラコツィ伯爵はベートーベンの友人で彼に作曲の依頼をたくさんした謎のハンガリー人貴族でした。”(P126より抜粋)
おそらく、2段組で450ページ近くあるこの本の中で、ベートーベンについて書かれているのは、ここだけではないかと思う。そこを読むのがずっと前でも後でもなく、「今」である事が、とても大切な事のようでもあり、実は何でもない事のようにも感じられる。それは、早春に梅が香り、菜の花が食べごろになるのととてもよく似た、自然で神聖な感覚なのだ。
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