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サンタ・クローチェ教会の衝撃

2017年10月21日 01:37

■自己存在の月3日(G10/20)KIN150 白い共振の犬(by D)

今朝、Lが起き抜けにスマホで見た最初の記事は、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会であった事故についてのものだった。フィレンツェ関係のFBページをフォローしている関係でトップに出て来たらしいのだが、もし、それがなかったら、気付くのはもっと後になっていただろう。以下、ネットニュースにも上がっていたリンク先の記事から要点を抜粋してみる。

”フィレンツェにある有名な観光地のサンタ・クローチェ聖堂で19日、天井から石が落下し、石の破片に当たったスペイン人の観光客が死亡した。地元紙によると、死亡したのはスペイン・バルセロナ出身の52歳の男性だという。(中略)同聖堂には、芸術家のミケランジェロや天文学者ガリレオ、哲学者のマキャベリが埋葬されている。”

19日という事は、KIN149(6・月)の出来事。これだけでも、私にはインパクトがあり過ぎる出来事なのに、スペイン、それもバルセロナからの52歳の方が「石の破片」に当たって死亡というのは、「一体どういう流れなんだ!?」と問わずには居られない話だった。

あまりに色々な繋がりがあって、現時点では意味がつかめないので、以下、時系列に事実だけを記しておく事にする。これが「分からない時」の常套手段であり、そのおかげで私は、大きな物語の展開が段々と見るようになって来たからである。

サンタクローチェ ★最初の訪問時(KIN257)に撮影した写真

1999.4.12(KIN149)、『マヤン・ファクター』(VOICE刊)監訳者の滝元さん(KIN190)と共に、パレンケ「碑銘の神殿」に登り『テレクトノン』をプレイ。墓室に入って石棺(蓋には十字架がある)を目にした他、「十字の神殿」にも登る。

2011.9.2(KIN252)、バルセロナのサグラダ・ファミリアを訪れ、縦横斜めの合計が33になる魔法陣のレリーフがある「受難の門」に登る。この時の旅で、3回サグラダ・ファミリアに入場する(KIN251,252,255)。

2016.9.2(KIN257)、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会を初めて訪れる。剣武天真流の稽古開始からぴったり10銀河スピン(2600キン)、サグラダ・ファミリアの「受難の門」に登ってからぴったり5年。

2016.10.13(KIN38)、天真書法塾シャンバラ教室のOさんからの情報で、世田谷美術館に「パカル王の石棺拓本」を観に行く。この拓本が世田谷美術館の収蔵品であると同時に、常設展示されている訳ではない事を知る。メキシコ政府の依頼で拓本を取ったのは利根山光人氏(KIN179〜KIN146/差33)。

2017.2.1(KIN149)、パレンケから25銀河スピン。エテルニータでランチをした後、二子玉川の図書館カウンターで、偶然、世田谷美術館で行われる「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会」講座のチラシを目にする。前年のKIN20(サイ時間KIN58)に他界した道友O君のご親族から数ヶ月の時を経て、この日にメッセージが入る。

2017.3.3(KIN179)、利根山氏の誕生KINに世田谷美術館で行われた美術講座「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂壁画の修復」に参加。朝、Lが道友O君の夢を見る。私達が二子玉川のフィレンツェと呼んでいるトラットリア・エテルニータのオープン(2005.2.23=KIN211)が、自分達の引っ越し(2004.6.8)からぴったり1スピン後のKIN211だったと知る。

2017.5.30(KIN7)、フィレンツェを再訪しサンタ・クローチェ教会にも2度目の訪問。前回から270(260+10)日後。3/3の講座時に講師の宮下先生と記念撮影させて頂いた事で、先生がフレスコ画の修復に関わられた教会正面奥の内陣に、特別に入れて頂ける事になった。

2017.10.15(KIN145)、Lが世田谷美術館区民ギャラリーの抽選でシャンバラの数96を引く。天真書法塾シャンバラ教室発表会が2018年初夏(KIN141〜KIN144)に決定。伊勢神宮で黒田清子祭主(KIN125)による初めての神嘗祭が始まる。サイ時間はKIN218(パカルの石棺発見日とシンクロ)。

2017.10.19(KIN149)、パレンケ訪問から260日暦が26回巡った日。O君の明晰夢を見て、夢の中で特殊な時間感覚を味わう。エテルニータでランチ。某国のPANと美術館から連絡あり。そしてこの日、サンタ・クローチェで事故があった(この時点では知らず)。

2017.10.20(KIN150)、サンタ・クローチェ教会に関するニュースをランチの時にスマホで再確認し、その後、所用を済ませて歩いていると、エテルニータのオーナー五十嵐さんに街中で声を掛けられる。サイ時間はKIN50。

サンタクローチェ内部 ★2度目の訪問時(KIN7)に撮影した内部の写真

以上、ザッと整理してみたが、パレンケと世田谷美術館とサンタ・クローチェ教会、さらには道友O君やサグラダ・ファミリア(バルセロナ)、エテルニータまでもが密接に絡んでいるのが見て取れるだろう。フィレンツェ初訪問からまだ1年ちょっと、まさか1年以内に2度も訪れるとは思っていなかったが、2度目の訪問から半年も経っていないタイミングでの今回の事故の衝撃は、世田谷美術館での講座のテーマがサンタ・クローチェだった事もあって、非常に大きい。

歴史上のマヤ(アステカ)とスペインの関係、「13の月の暦」でも「マヤ暦」でも52才がカレンダー・ラウンドに当たる事などを考えると、他にも様々な思いが浮かぶが、まずは亡くなられた方の安らかな眠りを祈りたい。

最後に、上記メモとリンクする記事を以下に添付しておく。
パカル王からの呼びかけー日本とメキシコを繋ぐ「時の魔法」
聖十字架物語と二子玉のフィレンツェ
10連続GAPの神嘗祭とシャンバラ数96
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聖十字架物語と二子玉のフィレンツェ

2017年03月04日 22:34

銀河の月26日(G3/4)KIN180 黄色いスペクトルの太陽(by D)

昨日、G3/3は、ルクソールの「王家の谷」でツタンカーメンのミイラと対面した日(KIN14)からぴったり9(3×3)年目に当たる日だった(『マヤのリズム』P154〜参照)。その日が、エジプト考古学者・吉村作治氏の104(52×2)回目の銀河の誕生日(KIN179)と重なっていたのだから、私達にとって面白い日になるのは、最初から決まっているようなものであった。

午後に世田谷美術館で行われた「美術講座」の内容は、「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂壁画の修復」。「世田谷美術館友の会」が主催するこの講座の事を知ったは、開催日(昨日)のぴったり30日前で、全くの偶然だった。その経緯から少しずつ整理してみたい。
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昨年9月、美しいシンクロニシティに導かれてフィレンツェ、ピサ、ローマを訪れたことは、現在メルマガに連載中の「 ルネサンスの都へ」に書いている通りで、その中でも特に驚いたシンクロについては、「ダヴィンチ・フィレンツェ・チブレオ・モリコーネ」という記事にまとめた通りである。

イタリアから戻ってすぐの10月から、Eテレで「旅するイタリア語」の放映が始まった。その何度目かに、漫画家のヤマザキマリさんが登場して、マザッチオの解説をしたことがあったのだが、その切り口にLが痛く共感したらしく、以降、彼女のエッセーを連発で図書館から借りて来るようになった。

KIN149(G2/1)、二子玉のフィレンツェと私達が呼ぶ行きつけの店「エテルニータ」でランチをした後、Lがライズにある図書館出張所にヤマザキさんの本を返しに行くというので、その場で同行する事にした。普段ならランチ後は各々の用事に向けて解散する流れになるのだが、何故かその日はぶらぶらしたい気分で、借りまくった本を抱えているLを助ける訳でもなく(笑)、ただ散歩がてら付いて行ったのだった。

Lがカウンターで手続きをしている間、入口付近でボーっとしていたら、次の返却者が入って来た。人が集中する事があまりない窓口は狭く、居場所に困って奥のスペースに移動しつつふと振り返ると、チラシコーナーで「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会」というタイトルが目に飛び込んで来た。サンタクローチェ教会に日本人が関わっているというだけで驚きだったが、宮下孝晴氏という講師の略歴を見ると、何と学芸大卒(先輩に当たる)でイタリアに11年在住、さらに金沢大の名誉教授とある。

昨年5月下旬に、ピサから剣武天真流の合宿(石川県志賀町)にやって来たニコロとジュリアーノが、「YOUは何しに日本へ?」の取材を受け(参考ブログ)、それが7月に放映され、9月に彼らにピサで再会した事はメルマガに書いた通りだが、合宿時に彼らと最初に顔を合わせたのは金沢駅構内だったのだから、これはキテる。しかも、昨年の5月には数年後にという話だったピサ(ヴィコピサーノ)での剣武合宿が今年に決まり、5月に再びピサとフィレンツェを訪れる流れになっているのだ。

加えて、そのチラシを目にしたKIN149は、パレンケの「碑銘の神殿」で『テレクトノン』をプレイし、パカル王の石棺を直に目にした日からツォルキン(260日暦)が25回巡ったタイミング(『13の月の暦』の数え方で)であり、世田谷美術館には、利根山光人氏による「パカル王石棺の実物大拓本」が保管されているのである。その拓本の存在を知った経緯は「パカル王からの呼びかけ」にまとめてあるが、今、それを再読して驚いたのは、「旅するイタリア語」が始まったのと同じ昨年10月にその拓本を目にした時、利根山氏の誕生キン(KIN179)も調べていて、それが世田谷美術館での講座開催日と完全にシンクロしていた事だ。

図書館窓口に私が同行していなければ、そしてその瞬間、次の返却者が窓口を訪れていなかったら、私はもちろんLも「美術講座」のチラシを目にする事は無かっただろう(そういう場所に置いてあったのだ)。当然、そんな貴重な機会がある事も知らずに、今日という日を迎えていたに違い無い。こうした「呼ばれてる」状態の時は、予定も必ず空いているもので、G3/3(KIN179)に参加可能だと判明するや、即、(Lが)往復はがきでの申込みを済ませたのだった。

そして昨日、宮下先生による講演「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会 大礼拝堂壁画の修復」を聴講してきた訳である。会場入口で配られた絵はがき(嬉しいプレゼント)は、ルネサンス萌芽期の少し前に活躍したアーニョロ・ガッディによるフレスコ画で、会場のプロジェクターにも同じ絵が映し出されていた。思いがけない寄付(2億円!)から始まったという先生の修復プロジェクトのお話は、修復対象となったフレスコ壁画『聖十字架物語』の内容にも劣らぬ面白さで、一気に引き込まれてしまった。
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「前例が無い事はやらない主義」の官僚機構や、視聴者受けばかり狙う番組制作者達との仕事の進め方、怠けがちなイタリア人に期日を守らせる方法、修復先の選び方など、話の内容だけでなくその切り口にも、先生の魅力的な生き様が反映されていて、どうりで私達のアンテナが反応するはずだと深く納得。もちろん、フレスコ画の具体的技法や修復についての諸々(特に文化財保存に対する倫理)も大変勉強になった。金沢大学のサイトにもほぼ同内容のものが掲載されているので、美術史や文化財、そしてフィレンツェに関心のある方は、是非ご覧になる事をおすすめしたい。

1999年のNHKテレビ人間講座に出演されていた頃からのファンの方も参加されていた中、30日前に先生の存在を知ったばかりの私達は、全くの新参者であったが、諸々のシンクロに感じる所があり、終了後ずうずうしくも先生に御礼をお伝えしつつ、記念撮影をお願いした。講演中に「金沢大と宮下の名前を出せば壁画の間近まで入れてもらえる」とおっしゃっていたので、「写真があればもっと話が早いだろう」という魂胆だったが、ご快諾下さったばかりか、学芸大時代は書道科だったというお話も聞けて、ますますご縁を感じてしまった。
宮下先生 
先にサンタクローチェ教会を訪れた時に、『聖十字架物語』の壁画は目にしていて、写真にも収めていたが、まさかその修復に日本人が関わっていたとは思っていなかったし、物語の背景も制作者も知らなかったので、サーっと通り過ぎていた(他にも見どころが沢山あるので)。今回、このタイミングで宮下先生からお話を聞けたことで、俄然興味が湧いたので、5月に再訪する時は、先生との写真を印籠に、じっくりと『聖十字架物語』を見直してみたいと思う。

それにしても、一連の出来事と『13の月の暦』情報とのシンクロ率は異常に高く、シンクロが常態化している私が、久々に戦慄を覚えるレベル。何しろ、世田谷美術館に「パカル王の石棺拓本」が保管されているのを知ったのは、まだ数ヶ月前の話。金沢大学とサンタクローチェ教会、国立フィレンツェ修復研究所との国際共同プロジェクトの合意書が調印されたのは2004年6月(まさに私達が二子玉川に住み始めたタイミング)で、そこから2013年までの9年間(修復作業自体は2011年6月までの6年)、そのプロジェクトを統括されていたのが宮下先生なのだ。

この2004〜2013年の9年間は、『時間の法則の20の銘板』(以下『20の銘板』)の「9人の時間の主の領域」に対応し、この「9人の主」とは、「碑銘の神殿」のパカル王の墓室のレリーフに由来するものでもあるからだ。しかも、「16年間のテレクトノン」というサブタイトルを持つ『20の銘板』は、パカルの石棺レリーフの十字架とリンクした「木の道」というより糸から始まる。一方、サンタクローチェの『聖十字架物語』の主人公は「木」で、新約・旧約両聖書をクロスする、大変興味深い内容である(マリアやキリストは直接的には登場しない)。

確かに「十字架」は、世界で普遍的に見られモチーフの一つではあるが、ここまでの一致度は『20の銘板』日本語版の制作世話人をしていた私には、ちょっとゾッとするものがある。例えば、私が宮下先生の講演を聞く場所は、別に世田谷美術館で無くても良い訳だし、パカルの石棺拓本がその美術館に保管されているのを知るタイミングだって、もっと前でももっと後でも良かったはずだ。しかし、そのタイミングは全て、私にとっての最初のフィレンツェ訪問から次のフィレンツェ訪問までの間(ほぼぴったり260日間の期間)に生じたのだ。

さらに話は昨夜の晩餐にも繋がる。店内にフィレンツェの旗を掲げる程フィレンツェが大好きな五十嵐さんのお店「エテルニータ」が、3月一杯「12周年記念マリアージュコース」をやっていると知ったので、サンタクローチェ教会の講演を聞いた晩は、エテルニータの12周年と、シャンバラ教室の7周年(G3/10で)を祝して、そのコースを頂こうと決めていたのだ。
いわし ワイン 
それで、実際に何時がエテルニータのオープン日だったのかを改めて確認してみると、2005年2月23日(KIN211)と判明。私達が二子玉川に越して来た2004年6月8日(KIN211)からぴったり260日後がオープン日だった事を、12年通って初めて知った。何故その日にしたのかの理由がまた素晴しく、やはり私達が共鳴できる人々というのは、押さえ所が似ているのだなと思ったが、KIN211と言えば、私よりぴったり30日前に生まれ、ハーモニック・コンバージェンス(1987年)の直後に他界したホゼの息子ジョッシュの誕生キン。

そのジョッシュに捧げられた本『時空のサーファー』を通じて、21年前にマヤの暦世界(マヤ暦そのものではない)に入った私にしてみれば、美術講座開催のぴったり30日前、パレンケと繋がる特別なタイミングにその情報を知った事も無関係とは思えなくなる。それに直近のKIN211は2016年7月18日で、その日は、シネスイッチ銀座で『ウフィツィ美術館』という映画を観ているのだ。

冒頭に紹介した『マヤのリズム』は、引っ越し7周年の2011年6月8日(KIN166)に発刊されたもので(ちょうどこの頃サンタクローチェ壁画の修復が完了した模様)、その260日後が皇太子さま(KIN166)の52才、つまり『13の月の暦』でのカレンダーラウンドであり、「エテルニータ」7周年だった訳だ。ここまで書いて来て、やっと全ての繋がりが明らかになった。ちなみに発刊日をその日にしたのは、編集者の天野照久氏の誕生日であり、その260日前が安倍首相の誕生日、その260日後が皇太子さまの誕生日と知っていたからである(本書には安倍昭恵さんから私宛に届いたメールも掲載している)。
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この『マヤのリズム』の「エジプトからの呼びかけ」という節に、9年前の3/3(KIN14)、ツタンカーメンのミイラに出会った事が書いてあるのだが、その日の晩、私達はルクソールからギザに向かって鉄道で移動をしている。そこからさらに52年前の3/3(KIN14)、3000年前の前世記憶を持っていた女性考古学者オンム・セティがカイロからルクソールへと列車で移動した事が、彼女の生涯を描いた作品『転生ー古代エジプトから甦った女考古学者』に書かれているのだ。

この本との出会いも奇跡的であったが、本書によれば彼女の誕生キンは私と同じKIN241であり、発刊日は私達の結婚記念キンであるKIN171である。そして、皇太子さまと「エテルニータ」という店の、今年の「運命の道筋」は、9日前、そのKIN171になったばかりである。

「エテルニータ」はイタリア語で「永遠」の意味。コード番号14の「白い魔法使い」のキーワードは「永遠」であり、『マヤのリズム』にエジプトの話が書いてあるページは154(11・魔法使い)から。「王家の谷」で最初に入ったのがKV14だった事もそこには書いてある。まだまだいくらでもあるが(*)、いい加減、この辺りまでにしておこう…と思ったら、来週の『世界ふしぎ発見』はギザのピラミッドらしいので、ここまでメモしておしまい(笑)。


*こういう体験をもたらし、同時に体験するのが「時のからだ」と私が名付けたで「からだ」であり、それを思いきり活性化させる場が「時のからだ塾」である。

*自分用メモ。『前世への冒険』のアルベルティとデジデリオ。アルベルティ礼拝堂。トリノ五輪と「サムライとトリノ展」

魔法のトラットリア

2010年04月02日 01:06

太陽の月26日 (G4/1) KIN253 赤い律動の空歩く者 (by D)

記憶が飛ぶ前に、2つ前の記事で予告していたG3/3(KIN224)の出来事について書いておこう。私達は、「楽しいニコタマ案内」をするにあたって、自分達が推薦しているお店を定期的に巡回する(味を確かめる)こともひとつの仕事と思って、お昼は外で食べる事が多いのだが、どこをどう巡るかはその日の気分次第。

ただ、流行り体質で一ヶ所に集中する傾向が強いLの意見に頼ると定点観測にならないので、大抵は私が決める事になる。しかし、その日は珍しく、Lが「エテルニータに行こう」と言うので、特に反対する理由も見当たらない私は素直に「そうしよう」と応じた。以前メルマガにも紹介している(vol8/トラットリアの支配人)ように、私達はこのトラットリアがかなりのお気に入りで、6年位前(ほぼオープン当初)から大体週一ペースで通い続けている。

途中、シェフが変わったりはしたものの、確かな舌と号令力を持つ支配人のIさんによって、店の味と場は高いレベルに保たれているし、今ではそれが世に知られるようになって、早めに行かないとお店に入れないこともある位だ。この日も、奥の座席に案内されて食事を始めていると、あっという間に席が埋まって来た。残りの席が殆ど無くなって来た頃、隣に案内された女性が驚いた様子で私達に語りかけて来た。

見上げると、昨夏、「時間をはずした日」に大阪のドリームバンクに参加して下さっていたSさんだった。東京に出張に来て、渋谷で降りるつもりだったのが降りそびれて、それならと、二子玉川まで足を伸ばすことにしたらしい。私達のサイトもよく見て下さっているようで、ニコタマ案内を参考に、2つくらいのお店を候補に歩いて来たら、先にエテルニータが見つかったのだとか。

週一ペースで通っているとは言え、この日も別な店に行く可能性は十分あったし、混み合っている時間帯だったので、もし隣の席に案内されなかったら、お互い気付かないままだったかもしれない。それに、Sさんは予定外の乗り越しをして始めて「ニコタマでランチしてみよう」という気になったのだし、私達はそんなにのんびりお昼を食べる訳でもないので、お店はシンクロしていても、タイミングが合わない事だってありえたのだ。
 
しかし、Sさんは、短いランチの会話の中で私達から『インビクタス』情報までキャッチし、そのまま映画館にも向かったようだ。電車で乗り越した時に、ガックリしてしまうのではなく、それを思いがけない働きとして楽しんでいるところに、波乗り上手な人の特徴が見て取れる。Lによれば、SさんはKIN165で、「20の銘板」の見方では今年の「太陽の月」と対応しているKINだったので、私達は今月全体の時間とひと足先に(Sさんに会ったのは銀河の月の終盤)繋がった気分になっていた。
 
ところで、エテルニータでは、先週もちょっと面白いシンクロがあったので、付記しておきたい。先に発行したメルマガの「クリカ・ライブラリー」のコーナーで、私は、松本元氏の『愛は脳を活性化する』という本を紹介した。その部分の原稿を書いたのは確かKIN246で、エテルニータに行ったのは翌KIN247だったのだが、当日のメニューに(多分自分達が知る限り初めて)ヤリイカが登場していたのには、大層驚かされた。
 
なぜなら、松本氏は、ヤリイカの神経細胞を使った研究で、脳や神経に関する世界的な成果を上げた方だったからだ(ノーベル賞候補にもなったらしい)。神経細胞が大きく観察し易いという理由で選ばれたヤリイカは、当時、生態・飼育法とも不明だったため、松本氏はその定常的な飼育法の開発から行ったという。周囲が疑惑の目を向ける中、3年かけてその飼育法を発見したという話は、『インビクタス』に通じるものがある。そんな背景を、メルマガ発行の関係で調べて知ったばかりだった私は、もちろん新メニューのヤリイカパスタを食べた。

そういえば、そのメルマガでは、2年前のエジプトの旅の様子も連載しているのだが、今回は、ちょうど3/3にさしかかるところで話が終わった。先のSさんとのシンクロがあったのも3/3だったことを振り返ると、この店に何か魔法の力のようなものが働いていることを想像したくなる。あるいは、イタリア語で「永遠」を意味するだけに、魔法使い達が自然と集ってしまうのだろうか(※「永遠」をキーワードに持つ紋章は「白い魔法使い」のみ)・・・などと思いを巡らせながら、今日も思わずエテルニータに向かった私達であった。
 
※「紋章」あるいは「太陽の紋章」という言い方は、アグエイアス夫妻が提唱した「13の月の暦」の用語で、マヤ暦の用語ではない。ごちゃまぜにするのは、ネイティブ・マヤとアグエイアス夫妻の双方に失礼なので、誠意を持って聖なるエネルギーを活用する気があるのなら、そういう使い方はしない方が良いだろう。

※このブログを書き始めた昨日(KIN252)、アマゾンからナムカイ・ノルブ・リンポチェの『虹と水晶』が手元に届いた。略歴に1938年12月8日生まれとあるので、リンポチェの誕生KINはKIN224(3・種)。上記の3/3とシンクロしていた。

星の巡り合わせ

2007年07月01日 01:51

宇宙の月4日(G6/30) KIN28 黄色い月の星 (by D)

13の月の暦」で生活していると、20日というサイクルが自然と意識されるようになって来る。20種類ある「太陽の紋章」という絵文字が、同じものになる周期だからだ。従って、20日前も今日と同じ「星」の日だった事になる。これにかこつけて、書きそびれていたその日のシンクロについて少し触れておこう。KIN8(G6/10)は、横浜ナディアで暦のレクチャーと新体道のワークを行っていた。ちょうど、こよみ屋さんによる来年度のカレンダー類が完成したという事もあって、会場となるシャスタ(お店と少し離れたマンションの一室)は、ガイド役の私を含めて20名という、スペース一杯の参加者で埋め尽くされていた。

誕生KINを導く方法を解説する時は、立候補制で例題になってくれる人を募るのだが、年齢が知られる点が毛嫌いされるのか、これ位の参加者がいる時でも、不思議と1,2名しか立候補はしない。しかし、その人達は、実は大いに得をする。毎回思うのだが、私の印象としては、「時に選ばれた人」という感じなのだ。この日、立候補して下さったIさんも、ご自分の動きとサイクルが見事に一致しているのを実感されたようだったし、私の側から見ても面白い繋がりが何重にも見えて、大変興味深かった。

「11・星」が誕生KINだったIさんは、この日の紋章ともシンクロしていたし、ぴったり1週間前のKIN1に会った、ニコタマの超お薦めイタリアン「エテルニータ(永遠)」の達人シェフの誕生KINとも完全に一致していた(この時初めて誕生日を聞いて判明したばかり)。そういえば、そのさらに4日前にも、同じ店にスリランカから来た友人(KIN260の日記参照)とランチに行ったのだが、そのうちの一人、レイコちゃんの誕生KINが、このナディアでの勉強会の日付と同じ「8・星」なのであった。ちょっと複雑になってしまったが、星が永遠の輪で繋がっているとでもイメージして頂ければと思う。マニアな見方をすれば他にもまだまだあるが、この辺までにしておこう。

もう一つ思い出したのが、当日、家を出る前に、mixiの「13の月の暦」のコミュニティを覗いていて、ふと気になった記事(渋谷HMVにもカレンダーが置いてあるという内容)に登場していたご本人が、テーマ別のクラスにいらした事だ。そのコミュニティの参加者は7000人以上もいるし、少なくとも私は、そのコミュの記事でこの方の事を目にしたのは、当日が初めてだったのだから、やはり驚かずにはいられなかった。だが、この日のシンクロはまだ続いた。

部屋の時計が止まっているのに気付かず、新体道のワークを予定より大幅に遅れて終え、お店の方に戻ると、そこにフラりと現れた女性は、10年前にハワイ島のジョーン・オーシャンがガイドするドルフィンスイムでご一緒したBさんだった(ツアーの直後にどこかでバッタリ会った覚えがあるがどちらにしても10年ぶり)。実家が近所だった事などを思い出して僅かな時間言葉を交わしたが、後からもっと面白い事に気付いてしまった。実は、その時、チベット服の下に着ていたTシャツは、ジョーンの主宰するドルフィン・コネクション製のもの(イルカのデザイン)で、10年前のその時に購入した(これは流石にボロボロになって捨てた)のと全く同じものを、ナディアで2年前位に見つけて(ハワイで仕入れたと聞いた)手に入れたものだったのだ!

365日の暦と260日の暦は、5年で5日ズレ、10年で10日ズレの関係になるのだが(5の倍数のみ)、それから見てもだいたい同じような巡りの時に再会した事になる。10年前は、ちょうど「時間の法則に関する世界会議」が行われ、ハワイからの帰国直後に、初めてホゼ&ロイディーンに直接対面した(そしてLとも会った)年でもある。という事は、20年経つと20日ズレる訳だが、ハーモニック・コンバージェンスがあり、パレンケが世界遺産に認められた年でもある1987年に建てられた、ニコタマドッグウッドプラザが、何と明日で約20年(カトゥン)の輪を閉じ、閉鎖されてしまうのだ!

中庭に立派なオリーブの木があり、私のお気に入りの屋外書斎の一つでもあったので、残念な事この上ないが、今日はそこにある「桃園香点心舗」(ここも重宝していた)でラストランチを頂いて、名残惜しい時間を過してきた。また異なる時空間で再会できる事を祈りつつ、お世話になった場所と人々、そして沢山の緑に感謝した。ちょうど、今から20日後の「9・星」の頃には、ここで校正も行った『シンクロニック・ジャーニー』が書店に並ぶ(既にクロネコブックサービスなどでは予約が可能)。「年内に入手すると何かいい事があるらしい」というウワサが、まことしやかに囁かれているが、本当かどうかは、是非実際に試してみて頂きたい(笑)。年明け早々に予定されている東京と大阪の特別セミナーも、既に完全なタイミングと場所でセットされているので(大阪についてはこちら、東京は近々発表予定)、その時空に招待された方だけが集う事になっているはずだ。というか、人が集う時はいつだって、そうなっているものなのだ。

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