シャンバラ教室とカーラチャクラ

2017年01月08日 00:59

律動の月26日(G1/7)KIN124 黄色い共振の種(by D)

今日は天真書法塾シャンバラ教室の稽古初めだった。シャンバラ教室は、天真書法塾最初の支部教室としてチベット民族蜂起51周年の2010.3.10にスタートした。その日は、支部教室師範・蘭禅の69回目の銀河の誕生日(KIN231=10・猿)でもあった。

昨今の表層的なスピリチュアル情報しか知らない人々は、「シャンバラ」と聞くと秘密の地底(地下)王国みたいなものを連想するようだが、私達は、今、まさに、ブッダガヤで行われれている「カーラチャクラ(タントラ)」に登場する「聖なる国の名前」から教室名として拝借したのである。もっと言えば、私達の活動名である「クリカ」も、実はカーラチャクラ由来の言葉なのだ。

私達がその名を使わせていただくに至った背景についてはクリカのリンクを、カーラチャクラについてより詳細かつ正確に理解したい方は、ダライ・ラマ法王公式サイトのリンクを参照いただければと思う(尚、後者のサイトに登場する「カルキ」という言葉が「クリカ」と同義である)。

アマラバ砂マンダラ ★伝説の地アマラヴァティで2006年1月に描かれた砂マンダラ

シンクロニック・ジャーニー』第1章「シャンバラからの招待状」に書いた通り、ちょうど15年前の今頃、私達はカーラチャクラが予定されていたブッダガヤに居た。しかし、ダライ・ラマ法王(KIN14)の体調不良によって灌頂は直前に中止になり、その関係で、私達はそこからほぼ260日後にオーストリアのグラーツで行われた灌頂を受ける事になった。

シャンバラのスチャンドラ王を初代とすると、ダライ・ラマ法王14世は、この教えの86代目の継承者という事になっているが、グラーツは現法王による27回目の灌頂であり、現在ブッダガヤで行われているのは34回目に当たるので、ちょうどグラーツから7回目という事になる。

今日、この記事を書いておこうと思ったのは、ブッダガヤでの法要がいよいよクライマックスを迎えるタイミングであるのと、ツォルキン7列目の「7・種」の日であり、チベット暦ではグル・パドマサンバヴァの日でもあったからである。

グラーツの灌頂最終日はKIN136(6・戦士)で、今回の灌頂最終日はKIN130(13・犬)。いずれもドリームスペル13の月の暦ツォルキンでは7列目に当たり、このツォルキンをマヤ長期暦の5125年に置き換えた時、ちょうどブッダが活躍した時代(バクトゥン)にシンクロする。それ故、テレクトノンでは毎月7日が「ブッダ心の教え」となっているのだ。

つまり、ブッダとシンクロするタイミングにブッダガヤで行われているカーラチャクラ(時の輪)に意識を向ける事は、それだけで素晴らしい事なのだ。ちょうどグラーツの時に初めて試みられたWEBを通じての世界同時中継も、今は中央チベット行政府公式WEBTVが、十分な画質と音声でリアルタイム中継をしてくれている。縁ある方は、そのバイブレーションに直に触れてみて欲しい。

カーラチャクラの教えは、密教最高峰の教えの一つであるのにもかかわらず、仏教徒以外にもその門戸が開かれている特別な教えである。その理由は、この教えにシャンバラという聖なる国が関わっていて、カーラチャクラの大法要が「世界平和」と密接に関係しているからなのだ。そして、シャンバラ教室に限らず、クリカの全ての活動は、その事を意識して行われているのである。

書寫山圓教寺のチベット旗

2015年10月21日 17:18

自己存在の月4日(G10/21)KIN201 赤い律動の竜(by D)

先の連休は、3日間とも関西で過ごした。10/10(KIN190)は、大阪市中央体育館で「剣武天真流大阪ワークショップ」。10/11(KIN191)は、天真書法塾の道友・宮野玄妙さんの個展会場(神戸TEN×TEN)にて「祝いの剣武」。そして最終12日(KIN192)は、姫路城書寫山圓教寺を訪れていた。その後も密度の濃い日々が続いて、気付いた時には1週間が経過していた。

「百聞は一見に如かず」という事で、大阪と神戸の様子については、天真会のFBページに公開されているアルバム(上記タイトルにリンクが貼ってある)や動画(←クリック)を観て頂くとして、ここでは姫路での出来事、特に圓教寺での体験について記しておきたいと思う。

今回姫路行きを決めたのには、いくつかの理由があった。もちろん、せっかく神戸まで行くのならという前提もあっての事だが、第一の理由は、圓教寺の大樹玄承さんにお会いしてみたい、というものであった。2008年のブログ「ラストサムライのいる寺」に書いた通り、大樹さんは、仏教者としての誠意から、北京五輪を間近に控えたタイミングでチベット問題に真正面から触れられた勇気ある僧侶である。

関西のチベットサポーターが集う場としても知られる大阪の「チャクラ」さんで、私が暦や天真体道のクラスを長年やらせて頂いている関係で、チャクラのタッちゃんやアッちゃんからも大樹さんについて聞く事があったし、最近FBでご本人と繋がった事もあって(Lはもっと前からFB友達だったが)、いつかお目にかかりたいと思っていたのだ。

一方、Lは年末(G11/27〜29)に表参道で行われる天真書法塾の発表会に向けて、大燈国師の遺偈を作品にすべく制作を進めていた。大燈国師こと宗峰妙超が播磨の生まれで、地元の大寺院である圓教寺で11才から学んでいた事を知った彼女は「今でしょ!」と、今回の姫路行きを決めたのだった。

もう1つ書いておくと、映画『ラストサムライ』のロケ地だと知った事で、「いつか剣武の奉納演武が出来ないだろうか?」という思いが浮かんで、実際にその場を観ておきたいという気持ちもあった。圓教寺のFBページをフォローし始めて間もなく、地元の方々による奉納演武の様子がUPされたのを目にしたり、8月末に訪れたチャクラで、知人が1泊2日のワークショップを圓教寺で行うという話を耳にしたりしたシンクロも無関係ではない。

そういえば、8月末のチャクラでは、私の暦のクラスとリンクする形で、キンちゃんこと金城裕子さんのライブが行われたのだが、その金ちゃんは、今回の剣武大阪ワークショップに参加してくれただけでなく、青木先生の閃きに応じて、忙しい中、神戸での(玄妙さんの個展開催に対する)祝いの場にも駆けつけて、素晴しい歌声を披露してくれたのだった(上記動画のラストにも登場している)。

しかし、考えてみれば、私達がNPOクリカとしてチベットサポート活動をし始めたのも、天真会(青木先生が代表)から大きな支援を頂いた事が一つのきっかけであった訳だし、その後も、様々な形で応援して頂いているのだから、今回のこの繋がりは、ある面「チベットサポートの輪」によって生じたものだとも言えよう。

訪問日が近くなった時点で大樹さんに確認を取ってみたら、残念ながら、その日は西国札所会の研修会で留守にされているとの事。私達も今回は日程変更できる状況では無かったので、大樹さんへのご挨拶はまたの機会に改めさせて頂く事にして、まず圓教寺に伺ってみる事にした。

12日(KIN192)は朝から見事な秋晴れで、姫路駅前の大通りから見えるお城は、まさに「白鷺」の名に相応しい輝きを放っていた。このお天気と、ホテルで入手した姫路の観光パンフに「姫路城大天守登閣整理券」が1日15,000枚までと書いてあったのを目にして(しかも何故か5000枚と見間違えて)、「これは先にお城に行った方が良いのでは?」と予定を急変更(これが全く配慮に欠けた行動であった事を後で恥じ入る事になる)。

実は、私自身は「銀河の同期」を目前に控えた2013年の4月にも、シンクロに導かれて(「式年三ツ山大祭で虹の輪を見る」参照)姫路城を訪れているのだが、その時は修復の真っ最中で、中に入る事はおろか天守閣を仰ぎ見る事も出来なかったので、今回はぜひ天守閣に、という思いがあった。加えて、Lは初姫路。蒼天に浮かぶ白鷺城を目にしたら、観光客で溢れる前に観ておこう、という気持ちに自然となる。
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幸い、殆ど並ぶことも無くじっくり観て回ることが出来たのだが、巨大な柱や梁を目にする度、「一体どうやってこんな巨木をこの高さまで持ち上げ、組むことが出来たのだろう」と木造建築の見事さに感嘆するのと同時に、「何故、この素晴しい木造建築文化を発展させる方向にもっと力を入れないのだろうか」と、短期的な経済効率ばかりを追求する現代日本の方向性に、疑問と憤りを感じたりもしていた。
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天守閣の公開と共にパンフレットも刷新されたようで、以前書かれていた「場内59種122個の刻印」や、呪術的な意味を持つという「鏡石」についての記述等は省かれていた。見方を変えれば、2013年訪問時は、天守閣が修復中だったお陰で、そうした魔術的情報に注目する事が出来たとも言えよう(※1)。門は常に開いている訳ではないのだ。

ひとしきり城を巡った後で、スマホ充電のために商店街のカフェに寄り、手早くお昼を済ませられそうな店を探す。カフェの向いにあるスポーツ店の看板に、18番のユニフォームを着た選手が見えているのに気付いた後で、評判の良いラーメン店「麺哲」を発見。その住所が呉服町18で、カフェからも至近だったので迷わず移動(もちろん鏡石も意識した)。確かになかなかの美味しさだった。

大通りに出た所で運良く書写山行きのバスが通りがかったので、飛び乗ってロープウェイ乗り場がある終点まで揺られること30分余り。ロープウェイ山上駅付近からは、姫路市内だけでなく瀬戸内海までが見渡せる。さすがに四国は霞んでいたが、前日までの数日間は市内も見えないほど真っ白だったらしいから、この眺望を体験できただけでありがたい。仁王門をくぐり、巨木に囲まれた参道を進むうち、この名刹の規模が想像以上に大きい事を実感した。

「拝観受付並びに本坊事務所へ声掛けくださいませ」という大樹さんからのメッセージと、入口で受け取ったパンフを頼りに事務所を訪ねてみると、「午前中にいらっしゃると聞いていました。案内の者が待機しておりますので、本殿(摩尼殿)の方へお寄り下さい」と言われる。確かに、大樹さんへの最初のメッセージに「12日朝に書写山に参る予定」と書いていたが、その後のやりとりの中ですっかり失念し、上記のように予定を急変更して姫路城に先に行ってしまったのである。

当方としては、実際に訪れた事が分かるよう、ご挨拶の品だけお渡し出来ればと思っていたので、大樹さんにもお寺にも特に連絡は入れずに予定を変更してしまったのだが、わざわざ案内の方を手配して下さっていたとは知らず(そういうお心遣いを察する事が出来ず)、大変申し訳ないことをしてしまった。猛省しながら摩尼殿に向うと、大きな日の丸が入口の柱に2つ、その奥にチベット国旗が掲げられているのが目に留まった。
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かなりチベットサポートに積極的な寺社でも、チベットの旗を境内に掲げている所は中々見かけないし、日本国旗だって旗日だったからこそ、こんなに目立つ場所に掲げられているのだろう。しかも圓教寺は西国三十三観音霊場の第27番。私達が「時間芸術学校クリカ」という名で活動を始めたのは、観音菩薩の化身とされるダライ・ラマ法王14世による27回目のカーラチャクラ灌頂(オーストリア・グラーツ)に参加した事がきっかけでもあったから(※2)、この数字と旗のシンクロには、何とも言えない嬉しさを感じた。
円教寺 
姫路城大天守の一般公開が始まったのも、平成27年3月27日からとの事なので、「27」は今回のミニトリップのキーナンバーだったとも言える。それはさておき、摩尼殿で待っていて下さった村岡さんには、大変お世話になった。私達の勝手な予定変更でご迷惑をおかけしてしまった張本人であるにも関わらず、境内の各所を一緒に巡りながら圓教寺の歴史や背景について、実に丁寧に教えて下さった。この場を借りて、改めて御礼申し上げる次第である。

普段は入ることの出来ない場所等にも案内していただきながら、色々と興味深いお話を聞かせて下さったのだが、ここでは、個人的に印象に残ったことをいくつかメモするに留めておきたい(既に随分長くなっているので)。まず、書寫山の「書寫(しょしゃ)」は、スサノオのスサに由来するという話で、かつて素戔嗚尊が降り立たれたという言い伝えに因んでいるとのこと。書寫山そのものが磐座で、10世紀に性空上人が入山される前から霊山として知られていたようである。

天下泰平・五穀豊穣を祈る年頭の行事「鬼追い会式(修正会)」は、不動明王の化身とされる青鬼と毘沙門天の化身とされる赤鬼が鬼踊りをするもので、千年に渡って継承されて来たという。もともとは旧暦1/18に行われていたのが、現在はG暦1/18に行われるようになったとの事だが、ここでも18が登場したのは興味深い。思えば、18も27も「9」の倍数だ。出雲に続く国道が9号で、スサノオが出雲の地で八岐大蛇を退治した時に、その尾から出て来たのが「三種の神器」のひとつ「草薙剣」であった事が、自然と思い出される。
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それにしても、流石にメディアに顔を出してチベット人の苦しみを訴えられた僧侶の居るお寺である。摩尼殿だけでなく、奥の院に当たる「開山堂」にもチベット旗が掲げられていたのには感動した。もちろん、『ラストサムライ』や『軍師官兵衛』等に使われた「三つの堂」(大講堂・食堂・常行堂)のエリアも印象深いものがあったし、樹齢900年というご神木にも心打たれるものがあったが、伝統を重んじる古刹にあってチベット旗を掲げるのは、そう簡単な事では無いとも思う。しかし、だからこそ、そこに仏教者としての心意気を感じるし、チベットの人々にこの事が伝われば、彼らを勇気づける事にもなるに違いない。
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お忙しい中、時間を割いてご案内下さった村岡さんの誕生キンはKIN140(10・太陽)。圓教寺の現住職は大樹玄承さんのお父様が第140世として継がれているというから、今回はKIN14のダライ・ラマ法王14世と、(現れを仕上げる)「10・魔法使いの年」シンクロで、村岡さんとお会いする事になったのかもしれない。

最後に余談を少し。10/10(KIN190)の朝、私はのぞみ201号13号車7Cという席で新大阪に向かっていた。先に大阪入りされていた先生方とはホテルのロビーで落ち合う事になっていて、他の剣武本部師範がどの交通手段で大阪に向かうのかについては、互いに全く知らないままであった。だが、私と同じ車両の同じ列の3つ後ろに、S師範が座っているのを途中で発見し、ロビーに数十秒遅れで到着したM師範も、実は同じのぞみ201号に乗っていた事が後で判明した。それで、このブログも何とかKIN201のうちにUPしたいと思ったのである。こうして「時の輪(カーラチャクラ)」は巡るのだと感じながら。


(※1)姫路城はドリームスペル(13の月の暦)との繋がりも深い。姫路城が世界遺産に登録された1993年は『テレクトノン』の預言の7年の始まりにシンクロしており、私達が訪問した「電気の月23日」は『テレクトノン』での「銀河の同期」に対応していた。

(※2)グラーツのカーラチャクラは2002年10月21日(KIN136)、つまり本ブログをUPした日付のぴったり13年前に灌頂が完了した。そして翌KIN137に法王の長寿の灌頂が終わった時、空には虹が架かったのだった。

観音菩薩の化身と「時の輪」の教え

2015年07月14日 00:46

宇宙の月17日(G7/13)KIN101 赤い惑星の竜(by D)

4月12日(日)・13日(月)に昭和女子大学人見記念講堂で行われた、ダライ・ラマ法王による「般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」は、想像以上に素晴しい機会だった。その後も、強烈なシンクロが続きまくっていて、なかなかブログにまとめる時間が取れないまま今に至ってしまった。このままだと、「13の月の暦」で年を越してしまいそうなので、メモを繫げることだけでもしておこうと思う。

ただ、法話と灌頂については、私の怪しい記憶に頼るより、チベット学者・石濱裕美子先生のブログ「観音の千本の手」「哲学・修道・結果(法王法話)」をご覧いただく方がずっと役立つと思うので、是非、リンク先を辿られることをおすすめしたい。今回の灌頂の深い意味が、チベット仏教の歴史という文脈から読み解かれていて、大変勉強になる。

そんな訳で、以下は、この2日間にまつわる私の個人的な驚きメモである。12日(KIN9)の法話の時に、石濱先生が割と近い席に座っていらっしゃる事に気付いた私は、観音菩薩の灌頂が予定されていた翌日(KIN10)、先生が訳された『ダライ・ラマの密教入門』をお坊さんバッグに忍ばせて機を伺っていた。「クリカ」「カルキ」の表現について、先生ご自身がどういう見解をお持ちなのか、前々からお聞きしたいと思っていたからだ。

昼休みに入ったところでチャンスが巡って来たので、ちょっと割り込ませてもらってお聞きしてみると、「立て板に水というのはこういうこと」と思わせる滑らかさで、明快に回答して下さった。とは言え、あくまでも私の個人的なリクエストに対して、立ち話で手短に回答して下さったものなので、以下のメモも「私なりの理解」を自分用にまとめたものであることを、予め断っておきたい(何か問題があったとしたら私に責があるということ)。

即ち、底本で英訳&編集をしたJeffrey Hopkinsは、ダライ・ラマ法王の間近で長年研究していた学者で、カーラチャクラにも当然詳しい。その Hopkinsが書いていたそのままを、手を加えずに訳しただけである。また、綴り違い等の指摘は以前からあったが、そういう事を言い出すなら、他にも色々と修正すべきところは沢山あるし(サンスクリット・チベット翻訳では珍しくない)、何より、当時チベットのお坊さんたちもクリカと言っていたのだから、あえてそこにツッコミを入れる必要は無いんじゃないか、というような事だった。

私達は、先生がどう回答されるかに関わらず、クリカをカルキに変える気などサラサラ無かったのだが、翻訳に関わられた先生の見解は知っておきたかったし、長年気になっていた事でもあったので、その引っかかりが解けて非常にスッキリした。ある意味、自己満足のための素朴な質問にお手間を取らせてしまって先生には申し訳なかったが、丁寧に回答して下さった事にこの場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である。

そのやりとりの直後、近くで先生を交えた記念撮影大会が行われ始めたので、私達も便乗して、灌頂で使われた千手観音のタンカ(仏画)を背に石濱先生と記念撮影(この時進んで撮影を引き受けて下さったのは台湾の女性だった)。せっかくだから、持参していた『ダライ・ラマの密教入門』と一緒に記念撮影をと思ってのことだったが、後からそのタンカも石濱先生が貸し出されたものだったと知って、大いに驚いた。
石濱先生と 
それが明らかになったのは2日後の4/15(KIN12)。先生がブログに「観音の千本の手」をUPされた事による。その日、改めて『ダライ・ラマの密教入門』の奥付けを見ると、発刊日が2001年1月15日で、何と、その日と同じKIN12だったという事も判明!14年も持ち歩いていたのに、発刊日を調べてみようと思ったのが、発刊日から19銀河スピン(19×260日)後の同じKIN12になるとは!

おまけに、同ブログの中で先生は「シンクロ」という言葉を連発されている(もしかしてクリカのサイトを見て下さったのか…)。この驚きの流れは、著者(法王)と訳者(石濱先生)が揃っている場(昭和女子大)に『ダライ・ラマの密教入門』を持参した事から始まっているのだろうか?いや、振り返れば、この本を手にした時点から既に始まっていたような気がする。

そもそものきっかけは、2002年1月に予定されていたブッダガヤでのカーラチャクラだ。参加を決めた私達に、ガイド役で同行する僧・吉沢さんが、式次第として持参を薦めて下さったのだ。実際、『ダライ・ラマの密教入門』は、殆どカーラチャクラの式次第そのものであり、実際に灌頂を受ける時に役立つものだと、後に実感する事になった。

吉沢さんの誕生キンが、ホゼと同じKIN11だと分かったのは、帰りの飛行機での事。ホゼの『マヤン・ファクター』(VOICE)を通じてカーラチャクラを知った私は、それだけでも驚きだったのだが、2004年に二子玉川に引っ越したことと結婚した事をハガキで報告したら、その返信に、もともと二子玉川の出身であることが書かれていて、さらに驚かされたのだった。

ブッダガヤに行った頃は、私達は二子玉川とは殆ど無縁(学生時代にバイトをした事はあったが…)だったのだから、何とも不思議な縁である。ちなみに、吉沢さんが通っていた小学校のすぐ近くに2009年に生まれたのが、先に「時の楽譜」展を開催した「ラサ」である。

思えば、石濱先生と記念撮影した時手にしていた『ダライ・ラマ密教入門』は、2001年12月24日に伊勢(神宮会館)でLが私にプレゼントしてくれたもので、現地で中止が判明した2002年1月のブッダガヤ、同年秋のグラーツ、そして2006年のアマラヴァティと、3回もカーラチャクラに一緒に参加した強者である。

その仕上げが、「魔術の亀の日」でもあった「白い惑星の犬」(G4/13)の千手観音の灌頂の場だったという事なのだ。この本に登場する「クリカ」を活動名としてして11年になる私達にとって、著者と訳者と図版を作った方の全てが同席している場で、観音菩薩の化身からその灌頂を受けられたのは、この上ない喜びだった。

12/24で思い出したが、今回の会場にまつわるシンクロにも相当不思議なものがあった。私が『ダライ・ラマの密教入門』を受け取った2001年の12/24から、ぴったり13年後の2014年12月24日、Lはお伊勢さんから呼び出しをくらって神宮会館に泊まる事になったのだった。「呼び出し」というのは、こういうことだ。

携帯からは何年もかけていないはずの神宮会館に、バッグの中に入れてあったiPhoneが勝手にコールしてしまったのだ!勝手にコール現象は、身近で何件か目にはしていたが、そのタイミングで神宮会館というのが驚きだった(履歴から考えても)。ちょうどクリスマス前後は、私が出張中ということもあって、Lは「これも何かのお導き」という感じで、神宮会館に改めて電話をしてみると、何と12/24だけ部屋が空いていたのだった!

そして、12/24(KIN160)に外宮の神楽殿で同席したのが「世田谷区太子堂の吉田さん」だったのだ。他に同席した方はおらず、祝詞で読み上げられる関係でご近所だと分かってしまったのだった。それだけでなく、翌朝、内宮神楽殿でもまた同席したのだという(この時はもう一組別な方もいたらしい)。

共に12/25(KIN161)に帰宅した私達は、翌12/26の夜、その世田谷区太子堂にある「シバカリー・ワラ」で晩ご飯を食べた。もちろん、伊勢でのシンクロが影響しているのは確かだが、もともと私達はこのお店の大ファンなので、年末断食の前に行っておこうという事になったのだったと思う。

そして、その2日後の12/28(KIN164=銀河の同期)に、チベットハウスからお知らせが届き、翌年4月の法王の来日法話は、昭和女子大(世田谷区太子堂)で行われる事を初めて知ったのだった。これまた大変な驚きだった。何故なら、この「世田谷区太子堂」という住所は、グーグルマップで調べれば分かるが、たかだか1キロ四方という非常に狭いエリアである。

私達にとって、こんなに近所(二子玉川から急行で一駅の三軒茶屋が最寄り)で法王の法話をお聞きするのは、少なくとも自分達が直接、法王の講演会場に足を運ぶようになってからは、初めてである。

そういえば、2013年「銀河の同期」からぴったり80日後のKIN244(10・種)に、『霊性のアート 心の豊かさを育む技』出版記念講演を、銀河アルケミスト教室生が中心になって開催してくれた場所が、そもそも世田谷区太子堂であった。そして、シバカリー・ワラの事を耳にして、いきなり行ってみたのも、まさにその日だった。

その時主催してくれたメンバーのうち、少なくとも4名は、昭和女子大の法王の法話にも参加されていたから、非常に手前味噌な捉え方をすれば、KIN244に撒いた種が、「般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」として、結実したようにも(個人的には)感じられる。そういう妄想をしたくなるだけの流れがある事を、ここまで読んで下さった方なら、少しは理解して頂けるのではないだろうか。

最後に、4/12(KIN9=今年一年でもある)に、これまた偶然出くわしたシンクロをメモして、そろそろこの記録を終えたいと思う。その日、昭和女子大の門前に到着すると、すでに長蛇の列がずーーーっと続いていた。ちょうど、台湾や韓国からの団体さんが到着したタイミングだったようで、持ち物検査もあったりして行列は中々進まない。

ようやく人見記念講堂の前に来たところで、係員に指示を出されて、仕方なく数mほど戻らなければならなくなった。と、ちょうど戻されたその場所に、黒塗りの車がやって来るではないか。騒ぎの様子からそれが法王を乗せた車である事がすぐに分かる。ご挨拶しつつも、すかさずiPhoneを取り出し撮影。絶妙のタイミングで並び直しをさせてくれた係員に感謝した(笑)。
法王車 
ナンバーの「61-25」は、二桁ずつ合計すると86で、一桁ずつ合計すると14になる。流石に、カーラチャクラの86代目の継承者でもあるダライ・ラマ法王14世(→誕生キンもKIN14)、そんなところまで自然にシンクロさせてしまうところが非凡である。

尚、この2日間に関する「13の月の暦」的観点については「9年後の観音菩薩許可灌頂」「キン9生中継!ダライ・ラマ法王来日法話」に既に書いてあるので、興味のある方をそちらを参照して頂ければと思う。

色々あり過ぎて、何だかとりとめの無い内容になってしまったが、最後の最後にもう1つだけ。今日は二子玉川ラサで「時の楽譜」展をご一緒し、「13の月の暦《TIMESCORE》」を共同制作した「みよこみよこ」さんの誕生キンでもあった(祝!)。みよこさんは、かつて「よしだみよこ」名で活動されていた事があったので、「世田谷区太子堂の吉田さん」ともある意味シンクロしている。

ここまで読み通せた方は、既にシンクロの波に乗れている方だと思うが、間もなくやってくる新年のビッグウェイブに乗って、さらに楽しみと驚きを加速させたい方には、「白い魔法使いの学校ー114白熱教室」への参加をお勧めしたいと思う。時の潮目を見抜いて波に乗るセンスを磨くには、乗れた経験を持つ者と、同じ目的を持つ仲間がいる場に身を置くのが、一番早いと思う。

9年後の観音菩薩許可灌頂

2015年04月09日 23:45

■惑星の月6日(G4/9)KIN6 白い律動の世界の橋渡し(by D)

桜の季節に合わせてダライ・ラマ法王が来日されている。既に、各地で講演やシンポジウムが行われているが、今回の目玉は何と言っても、4月12日(日)・13日(月)に昭和女子大学人見記念講堂で行われる「般若心経菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」だろう。
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ほぼ発表と同時に満席になってしまったが、「キン9生中継!ダライ・ラマ法王来日法話」でご紹介したように、その後、全国の映画館からライブビュー参加(有料)が可能になった。ただ、これも場所によっては既に抽選という事態になっているようなので、この貴重な機会を逃したくない方は、早めに申込まれる事をおすすめしたい。何でもそうだが、「次の機会」というのは実は無く、全ては一期一会なのだ。

現チベットハウス代表が、クリカのささやかなサポート活動を見続けて来て下さっている関係なのか、よみうりホールで行われた環境シンポジウムでは、法王の御姿がよく見える関係者席(C-9)で講演を聞かせて頂くことが出来た。司会の村上先生にはダラム・サラでもお会いしているし(※1)、節分にチベットハウスに伺った際にも、ちょうど入れ違いでお目にかかるなど、思いがけずシンクロする事が多い。

関心を持っていると、こういう現象はよく起こるもので、「小原蘭禅と花のシャンバラ展」でも、瞑想会に参加して下さったOさんから、橿原考古学研究所の菅谷先生(ぴったり40日前に朝日ホールで持統天皇についての講演で知ったばかり)と仕事で直接関わられていたことを聞かされて驚いた。もっとも、これも菅谷先生について私がツイートをしていたからこそ出て来た話で、Oさんだって、関係の無い文脈ではシェアのしようも無かっただろう。

シンポジウムの間、受付を頼んでいた虹風さんとMさんに感謝しつつ、「小原蘭禅と花のシャンバラ展」が行われている江戸川橋のギャラリーNIWへ。G暦的には9年前、そして13暦的には同じ「赤い月(コードNo9)」の年に、護国寺(※2)でチベット僧によって作られた観音菩薩の砂マンダラは、完成破壇後、このギャラリーから至近の江戸川公園にて神田川に流された(→過去記事へ)。
IMG_4958.jpg ★9年前に観音菩薩の砂マンダラの砂が流された神田川の花筏。

Lがこのギャラリーを見つけ、このタイミングに借りることを決めた時には、砂マンダラの事には全く気付いておらず(確かに護国寺から移動して来ないと分かり難いのだが)、後から下見で公園を散歩した時に突如「この公園は!」と思い出したと言うのだから、時の輪の働きはまことに興味深い。しかも、チベットで観音菩薩の化身とされる法王が来日されている期間に、そういう場所で「花のシャンバラ展」を行える事になったのだから、やはり縁を感じずにはいられない。

そもそも、シャンバラとはカーラチャクラ(時の輪)の教えが広まった「不可視の聖なる国」の名だ。この教えの(この次元での)正当な継承者は、来日中のダライ・ラマ法王14世である。シャンバラの王スチャンドラから数えて86代目が、ダライ・ラマ法王ということになっているのだ。
IMG_4993.jpg ★ギャラリーの前に停車していた車のナンバー318ともシンクロ

奇しくも、よみうりホールに向かう地下鉄で、立った扉の目の前にあった広告は「TOTO 14〜聖剣の絆」だった。約9年ぶりのニューアルバムで、14というだけでもビックリなのに、「聖剣」まで付いて来るのだから出来過ぎている。私もLも剣武天真流を学ぶ身であり、この日、シャンバラ展に来て下さった最後のお客さまも、剣武蒼天支部道場の生徒さんだった。しかも、彼女はこの日が52回目の銀河の誕生日で、ちょうどそのタイミングでしか来られなかったらしい。

4/12(KIN9)は、『13の月の暦』の元旦(G7/26)からちょうど260日が経過するので、この1年「赤い太陽の月の年」全体を凝縮したような日とも言える。加えて、惑星の月9日とKIN9(→銀河の音9&紋章コードNo9)が重なるのは52年に一度。そんな日に、「般若心経菩提心の解説」を法王から伺えるのだから、こんなにスペシャルな事はなかろう。

翌4/13のダライ・ラマ法王(KIN14)による「観音菩薩の許可灌頂」は、法王の意向により急遽、千手千眼観音菩薩の本格的な灌頂に変更になったらしい・・・と文殊師利大乗仏教会のFBページで報告されていた。この日は、現れを仕上げる「惑星の魔術の亀の日」だから、10(月の銀河の音)×10(日の銀河の音)×10(紋章コード番号)=1000ということで、千手千眼になるのは銀河的な流れにも沿っている。

流石に『13の月の暦ドリームスペル)』と常にシンクロしている法王である。何しろ14世でKIN14「白い磁気の魔法使い」なのだから、最初からシンクロ率が違う。「観音」と「銀河の音」の響き合いも美しいが、「赤い太陽の月の年」の次に巡ってくる「白い惑星の魔法使いの年」が、既にこの「観音菩薩の許可灌頂」の一日に凝縮されているのが素晴しい。

「白い魔法使い」の法王によって「惑星の魔術の亀の日」に許可される「千手千眼観音菩薩の灌頂」。きっとこの灌頂を受けた人々が、G7/26から始まる「白い惑星の魔法使いの年」(KIN114)に向けて、いち早く魂のスイッチをONにするのだろう。もちろん、法王が常におっしゃるように、形式的に儀式だけ受けても無意味であり、より重要なのは、その意味や背景を正しく学ぶことにある。

この場合だったらKIN9に行われる「般若心経菩提心の解説」こそが要と言える。これは『13の月の暦ドリームスペル)』でも全く同じで、背景や意味を知らずに、ただパフォーマンス的に使っても無意味であり、ましてや背景を無視したデタラメな解説など聞いてしまうと、教えの本質からは遠ざかるばかりである。やみくもに即効性を求める者が、形だけにとらわれて、結局、何もつかむ事がないのは、この最も大切な基礎の部分を軽んじるからである。

おそらくライブビューイングも、4/13の灌頂の方が混雑していて、どちらかと言えば4/12の方が席に余裕があるのではないかと思うが(曜日の関係もあるのであくまで勝手な予測だが)、12日(KIN9)の「般若心経菩提心の解説」の席が取れた方は、灌頂だけ受けるよりも遥かに意義あることをしていると思って良いだろう。少なくとも、これまで13年の間に伺って来た法王のお話の中では、そのような考え方が貫かれているのは確かである。

(※1)『シンクロニック・ジャーニー』P120、ナムギャル寺で遺伝子ONに詳細あり
(※2)311の49日法要が緊急で行われたのもこの護国寺で、私がジョブスの遺作 iPhone4を手に入れて初めて撮影したのもこの時の法王のメッセージだった。

カーラチャクラとチベット暦

2015年02月18日 23:51

銀河の月12日(G2/18)KIN216 黄色い銀河の戦士(by D)

『13の月の暦』で1年の中心に当たるのは7番目の「共振の月」だが、今年の「共振の月」は、ちょっとスペシャルな期間だった。中心の中心に当たる共振の月7日〜22日の16日間、日々の紋章とサイ時間単位の紋書が一致し続けていたのだ。この現象は、1年の中で「共振の月」にしか生じ得ないもので、しかもその頻度は4年に一度だ。

今年はさらに、KINナンバーの差が60日の状態が16日続くという意味で特別だった。何故なら「60」は古代マヤのツォルキンでのパカル王の誕生KINに相当する数であり、同時に東洋の暦に共通の還暦周期だからだ。しかも、60×16=960は、カーラチャクラ・タントラ(時の輪の教え)がチベットに伝来した1027年から、ハーモニック・コンバージェンスがあった1987年までの期間そのものである。


カーラチャクラ 
灌頂儀式時に722の諸仏が降臨するカーラチャクラ砂マンダラ

カーラチャクラには4×4=16マス魔方陣も登場するので、このシンクロは深遠だ。ちなみに、明日の新月が今年の元旦となるチベット暦は、このカーラチャクラ・タントラに説かれている暦の体系に基づいて決められていて、現在は17番目の60年周期の半ばにいるという事になる。

さて、この特別な16日間の最終日G1/31(KIN198)に、大阪のチャクラで「シンクロプレゼン・ラボ」が開催された。その案内をブログにUPしたのは、ぴったり60日前のKIN138で、もちろん開催日のサイ時間単位を意識しての事だった。また、平成27年最初の出張クラスに「カーラチャクラの縁」というテーマを選んだのは、私達がダライ・ラマ法王14世から授かった最初のカーラチャクラ灌頂が、法王にとっての27回目のものだったのと、チャクラという場所を意識しての事だったが、当日が近付くにつれ、これが実に時に適ったテーマだった事が判明するのだった。

例えば、大阪に行く3日前のKIN195(G1/28)のこと。その日のシンクロは「青い鷲のシュタイナー」にまとめてあるが、シュタイナー繋がりでKIN175に注目した私は、他にも誰かいたはずだな?と、その日の夜に銀河ノートのメモを見た。そこに三木成夫の名を見つけた私は、驚愕した。何故なら、その日持ち歩いていた『医者いらずになる1分間健康法』のP60に、まさにその名が出ていたからだ。日中、読んだばかりだったからこそ気付く事が出来た訳だし、わざわざP60という所が心憎い。そして、今調べてみて気付いたのは、この本を手にしたのが、ラボのアナウンスをしたKIN138(G12/2)だったという事。

三木氏について調べてみると、さらに驚くことがあった。この方は四国の丸亀中学を出られているのだが、本の中に三木氏を発見した1/28午後の瞑想クラスで、私は珍しく四匹の亀(ヒスイ2、ローズクォーツアベンチュリン)を持参していた。亀の甲羅は13個に別れているので4匹で52。三木氏が他界された1987年8月13日は、ハーモニック・コンバージェンス三日前のKIN52(13・人)であった。ちなみに三木氏は、丸亀中卒業後、六高、九州大学を出られているので、天照大神の数霊である369も観て取れる。

それから2日後(27週目の最後)、みどりの窓口で取った大阪行きの新幹線は、のぞみ17号13号車12。17号は時間帯で選んだが、座席は窓側指定で自動的に選ばれたもの。チベット暦17番目の周期、そして「13・12」は「13・人」だから、KIN52と読める。そんな新幹線に乗って大阪に到着したのがKIN198(サイ時間KIN138)だった訳だ。少し早めに着いたので、チャクラに近い大阪天満宮にお参りし、おみくじを引くと14番。27回目のカーラチャクラ灌頂を授けて下さったダライラマ法王の誕生KINそのものだった。

もちろん、ここまでの流れはラボの中でもシェアさせてもらったが、カーラチャクラ・マンダラに降臨する諸仏の総計が「722」だということは、すっかり忘れていて、当日話している途中で気付いたのだった。つまり、60日前に「カーラチャクラの縁」というタイトルを決めた時に、開催日が『13の月の暦』の365日暦で7/22となることは意識していたものの、それがマンダラに降臨する仏の数とシンクロしている事には、全く気付いていなかった訳だ。

ちなみに「22」という数は、ウェイブスペルにおいて7までの4音(=4+5+6+7)の合計に当たり、銀河の音「7」における「調波周波数」と呼ばれる。つまり「7」そのものだけでなく「22」も「7」と関連する数なのだ。サイ時間が7列目の調波行程を進んでいた事も含め、非常に「中心」の働きが強い日だったことが分かる。

おまけに、その日宿泊したホテルの部屋は1114号室。7×22=11×14が関係があることにすぐ気付いたのは、11・14=「11・魔法使い」であり、実際に11×14をやるとKIN154(11・魔法使い)になってしまうことを知っていたからだ。それは、自分達が結婚した年が「11・魔法使いの年」で、結婚記念日であるG4/29(=惑星の月26日)のサイ時間単位もまた「11・魔法使い」であるからだ。

その日付は私達の誕生日のちょうど中間点で、結婚した時の年齢の合計は77だった。その2倍がちょうど154に一致することに気付いた時は驚いたものだが、おかげで77×2=11×14=7×22という事に自然に気付けるようになったのだ。この大阪のクラスの後の小旅行の事は、時間が許せば、また改めてまとめるつもりだが、今気付いたことは、開始直前に引いたおみくじが14で、直後に引いたおみくじが11だったということだ。

そして今日は、8番目の「銀河の月12日」&KIN216(8・戦士)。銀河の音「8(=銀河の)」が月日で重なる「魔術の亀の日」だ。さらに「216」は、「27」の「8」倍の数。平成27年に入って最初にした27回目のカーラチャクラの話を「銀河(8)」に向けて公開したのが、「黄色い銀河の戦士」の日だっという事だ。

カーラチャクラの中には、1日の人間の呼吸回数は21600回、という話が必ず登場する。だから、カーラチャクラで定められている暦法に基づいて調整されているチベット暦元旦を明日に控えた今日KIN216に、このことを整理できたのは、私にとって大いなる喜びなのだ。たとえ、読者には殆ど意味不明だったとしても(笑)。

インドと仏陀とカレーの縁

2014年09月25日 12:18

■電気の月6日(G9/25)KIN70 白い倍音の犬(by D)

ナマステ・インディアという日本最大級のインド・フェスが、今年もG9/20,21に行われた。何故か周囲にインド関係者が多い私達は、以前からそのイベントについて耳にはしていたが、実際に私が会場を訪れたのは、今年が始めてだった(Lは2度目)。いつも何かしら予定が入ってしまっていることが多かったので、ようやく行けるタイミングが巡って来た訳だ。

会場は少し前にデング熱報道で奇妙な盛り上がりを見せていた代々木公園。諸々のイベントが中止に追い込まれたり、他での開催を迫られたりした中、予定通り開催されたのはこのナマステが最初。きっと主催者には相当なご苦労があったと思うが、無事開催されたのは何よりだった。一応、虫除けスプレーはしつつも、アジア圏を旅したら、ウィルスを持った蚊に遭遇する確率はもっと高いんじゃないか?なんて思ったりもして、過剰反応気味な報道の方にむしろ疑問を感じた。

写真家の松本榮一さんが、初日の午後にブッダガヤの大塔について話をされる予定だったので、お昼も会場内のフードコーナーで食べるつもりで、正午より少し前に到着。いきなりエントランス付近で思いがけない方を発見。前夜打ち合わせで同席していた剣武天真流のM師範のお母様だ。タイミングだけでなく場所にも意外さを感じたが、縁ある方のサポートで来場されているとのこと。先方はもっと驚かれていたから、私達もインドっぽくはないということだろう(笑)。

ちょうどすぐ側にインド大使のご一行がいらしていて、その先で、実行委員長の長谷川時夫さんにもバッタリお会いしたので、ご挨拶。松本さんとのご縁で、2年前の夏、東大寺で行われた「日印交流のはじまりと未来」というイベントに参加し、ちょっとばかりお手伝いをさせて頂いた(Lは松本さんの写真展の題字で協力)関係で顔見知りになったのだが、インドにまつわる人々の間では昔から有名人だというのを、その時知った。

入口真横にあった菩提僊那(東大寺毘盧遮那仏開眼供養の導師)コーナーを盛り上げて欲しいと言われたが、午前の終わりに本田虹風さんを通じて知り合った小田切淳子さんのインド舞踊があるので、まずはメインステージへ。ちょうど目の前に虹風さんを発見して近くに座る。淳子さんの見事な踊りを見てから、お昼を食べにフードコーナーへ。私は、後でまた何かつまむつもりでロイヤルカリーのナンドッグを頂くことにした。何故か行く先々でインド大使に出会ってしまうのが不思議だ。
ナン ナンドッグとカラーシンクロしているのがインド大使

その後、松本さんの講演会場に向かってぶらぶらしていると、ジュレー・ラダックのブース前で、Lと虹風さんが興奮した様子で誰かに話しかけている。半年前まで額装店で何かとお世話になっていた(今は退職されている)Aさんが、全く予想外に(ボランティアで)そのブースにいらしたのだ。しかも、この日は、松本さんのお話をお聞きした後、そのAさんが勤められていた額装店に訪れる予定があったのだから驚きだ。

その上、Aさんは、チベットハウスのボランティアもしていたことがあるらしく、現代表のルントックさんのことも良く知っているという。もしかしたら、もっと前にどこかでお会いしていたのかもしれない。しかし、そんな背景を全く知らずに、Lは、昨年の個展の時からAさんにお世話になっていたのだった。

それにしても、流石に「霊性の大国・インド」のフェスティバルだ。不思議なご縁で繋がりまくる。活性化しつなぐ働きのある「電気の月」に入ったことも関係しているのかもしれない。講演会場の東方学院セミナーハウス前に着くと、松本さんが向こうからニコやかに向かってこられる。奥様の恭さんには、ちょっと前にフードコーナーでお会いしていたが、ハウス前で皆集合してしばし歓談。

前の講演が終わって入れ替わる時に、板倉リサさんともバッタリお会いした。2013年の「時間をはずした日」の隅田川や、今年6月に行われた江本勝氏主催のイベントでもご一緒していて、この日も夕方にステージで踊られる予定だったが、残念ながらその時間までは会場にいられない。

さて、何となくな感じで始まった松本さんの講演は「アショカ王の秘密 ブッダガヤ大塔ものがたり」というタイトル。大塔を今ある姿に修復したイギリスの考古学者・アレキサンダー・カニンガムが残した研究書の翻訳に、ご夫婦で取り組んでおられる最中ということもあって、非常に興味深い内容だったが、他にも色々なことがシンクロしていて、私にとっては目の離せない時間だった。

出掛けに適当に手にしたお坊さんバッグは、実は12年も前にブッダガヤで手に入れたもので、その中には虹風さんから借りたばかりの『ブッダをめぐる人々①』(里中満智子著)が入っていた。思えば、里中さんとのシンクロが始まったのもここ数ヶ月の話で、Lと虹風さんが街中でバッタリご本人と会って記念撮影をしたのはG7/24(KIN7)だった。

『ドリームスペル』に続いて発表された銀河ツール『テレクトノン』には、「パカル・ヴォタンのテレクトノン」という小冊子が含まれている。その「青い手・7」のパートは「仏陀」というタイトルで、内容はほぼカーラチャクラに関するものである。私達が松本さんに初めてお会いしたのは、2002年のブッダガヤで、ダライラマ法王の体調不良により直前で中止になったカーラチャクラの時だった。

そう思うと、里中さんとの出会いも含め、何とも不思議な縁を感じずにはいられない。松本さんは、講演の中で、ブッダガヤ大塔の周辺に、ナーガ(蛇)を祀っている場所があることについても言及されていたが、その講演を聞いていたその日は、『13の月の暦』で「赤い宇宙の蛇(KIN65)」の日であった。

この日、もう1つ別なブッダガヤシンクロがあったことが、夜になって判明した。私達が2002年にブッダガヤを訪れた時、カーラチャクラツアーのコーディネイターをして下さってた安東玲子さんは、その後、スリランカに渡って結婚され、BlueLotusという旅行代理店を立ち上げられた。

そのことについては『シンクロニック・ジャーニー』にも書かせてもらったが、昨年『霊性のアート』の出版記念を三軒茶屋で行った時、美味しいもの師匠に教えてもらって初訪問したシバカリーワラの山登さんが、スリランカの玲子さん宅を訪れていたのだ!しかも、松本榮一さんのブッダガヤ大塔の話をお聞きしていた頃に!

山登さんが近くスリランカに行くというのを知って、玲子さんのことを紹介したのは私達だが、いつごろ訪問するのかは直前まで知らずにいた。だからこそ、そういうタイミングだったと分かると、尚、驚きが増すのである。ブッダガヤで初めてお会いした松本さんから、ブッダガヤの話を伺っているころ、その縁を作ってくれた玲子さんが、私達が虜になっているシバカリーの山登さんを迎えている。インド、仏陀、カレーの繋がりは何とも美しく、また美味しいのであった。

オロからラサ、聖杯伝説から魚拓へ

2014年08月30日 01:47

月の月7日(G8/29)KIN43 青い自己存在の夜(by D)

岩佐寿弥監督作品『オロ』のカメラマン・津村和比古さんから思いがけない連絡を頂いたのは、先週のことだった。「岩佐監督はシンクロの達人」と書いたブログを見て下さったらしく、近いうちにどこかで会いましょう、という話になった。

最速でお会いできそうな日程を調整し、G8/27(KIN41)午後に二子玉川の「ラサ」で、ということに決まった。津村さんに我が家の徒歩圏までご足労いただくのは申し訳なかったが、『オロ』公開直前、その「ラサ」で「チベット祭り」のイベントが行われた時に、監督とプロデューサーの代島さんが飛び入りで参加されたことがあったので、自然と思い浮かんだのだ。

しかも、来る10月、実はその「ラサ」で「天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展」の開催が決まっていて、ちょうど、オーナーの石川さんに相談や確認をしなければならない事もあった。そんな訳で、『13の月の暦』の惑星ホロンがチベット(シャンバラ)エリアと対応する「赤い竜」の日、そして月日の音が「2」で重なる「魔術の亀の日」に、二子玉川ラサでお会いする運びとなった。
olo33 
津村さんとは、渋谷での『オロ』上映会で既にお会いしていて、岩佐監督と共に記念撮影した写真も残っていたが、当時は軽く挨拶をした程度で、どういう経緯で監督と知り合ったのか等も詳しくは伺っていなかった。今回、色々と話をする中で、『オロ』に出演していたツェワンさんが監督と知り合うきっかけをつくったのは津村さんだったことが判明。しかも津村さんがツェワンさんと知り合ったのは1987年というから驚きだ。

1987年は、ケツァルコアトルの預言に基づいてハーモニック・コンバージェンスが催され、ジョッシュ(3・猿)が事故で他界し、パレンケが世界遺産に登録され、カーラチャクラとシャンバラについても触れられている『マヤン・ファクター』が発表された年だ(それら全てが『13の月の暦』に繋がる)。そして『マヤン・ファクター』で世界的に知られることになった、マヤ長期暦完了ポイント2012年に、映画『オロ』は公開されたのだ。

ツェワンさんには、NPOクリカのリサーチで、ネパールのチベタンキャンプを巡った時に大変お世話になったし、妹のドルマさんは、ツェワンさんを頼ってトロントに移住した今も、シャンバラ教室生としてスカイプで書の稽古を続け、GWに行われた「書の魔法」にも作品を出品している。他にも、様々な繋がりを感じながら津村さんと話をしていたのだが、驚きの発見は、むしろ帰宅してから後の方が多かったかもしれない。
ドルマ ★ドルマ作・金文「蓮」
津村さんは、伺った誕生日から計算するとKIN246(12・橋渡し)で、私と同じウェイブスペル(13日間)で、かつ倍音パルサーの関係。そして現在の道筋は、何と、ラサの石川さんと同じKIN106(2・橋渡し)である事が判明。だから「2」の「魔術の亀の日」に会う事になったのかもしれない。しかも、「世界の橋渡し」のキーワードは「死/等しくする/機会」。岩佐監督の死がきっかけとなって生じた機会だけに、腑に落ちる感が強い。

津村さんから頂いたお土産の中に「Blue Lotus」(→カーラチャクラで縁の出来たスリランカ在住のレイコさんの会社名と同じ)というタイトルのDVDがあったのだが、そこに印刷されているフォントを良く見ると、何と「Lasah」と全く同じ!けっこう珍しいフォントだと思うのだが、上記のような関係性から見れば、これも自然なことなのかもしれない。

しかし、津村さんが東京水産大のご出身と伺った時にはかなり驚いた。何しろ、今、読み進めている青山繁晴著『死ぬ理由、生きる理由』(ここにも橋渡しがリンクしている)で、その大学名を目にしたばかりだったからだ。同日午前中に少しだけ目を通した時、栞を挟んだP47には、青山さんの奥様がご苦労された様子が、以下のように記されていた。

《「女だから駄目」と当時の東京商船大学、防衛大学校、海上保安大学校にいずれも受験すら拒まれ「女だから、何」と驚き呆れつつ、ようやく東京水産大(現・東京海洋大学)で航海学を学ぶことができて、今に至るのです。》(引用ここまで)。

今まで水産大出身の方に直接お目にかかった記憶は無く、津村さんの今のお仕事からも、ちょっと想像がつかなかったので、この日のこの一致には、何か特別なものを感じてしまった。その感覚は、水産大の英名が Tokyo University of Fisheries であると知ったことで、ますます強くなった。

なぜなら私達はそれまでの数日、『The Fisher King』という映画のDVDを何度かに区切って観ていて、津村さんとお会いした日の夜、ちょうど見終えるタイミングだったからだ。DVDで映画を観ること自体珍しいのに、何年もの間、ずーーーーっと寝かせたまま一度も観る事がなかったこの映画(Lが大好きでずっとDVDはあった)を、このタイミングで観ていたのは、先頃亡くなったロビン・ウィリアムズを追悼してのことだった。

つまり、ロビンの「死」がきっかけで見始めたのが『The Fisher King』だったのだ。そして、ある意味、岩佐監督の「死」がきっかけでお会いする事になった津村さんが、University of Fisheriesのご出身だったのだから、やなり、この繋がりは無視出来ない。

ちなみにこの映画のタイトルは、アーサー王物語に登場する「漁夫王」に由来するもので、聖杯伝説に直結する登場人物である。津村さんの署名「白い水晶の世界の橋渡し」には、円卓の騎士とリンクする「12(水晶の)」と、日本に繋がる「世界の橋渡し」の両方が含まれている。そして、ロビン・ウィリアムズは、KIN149(6・月)。私がパレンケの「碑銘の神殿」でテレクトノンをプレイしたまさにその日(そしてその年)である。

「碑銘の神殿」は、マヤ考古学史上初めて「墓」であることが確認された神殿で、そこには、ホゼにインスピレーションをもたらした(=『13の月の暦』を生み出すきっかけを作った)パカル王が埋葬されていた。そしてテレクトノンとは、冥界にいるパカル王と現世にいる人々が通話するための管(サイコダクト)に、ホゼがより広い意味を込めて付した呼び名でもある。そう思うと、この日の出来事そのものが、別次元とこの次元とを繫ぐテレクトノンのようにも思えて来る。

同日午前に、Lが注文していた白川静の『字通』が届いたのも、その流れのひとつかもしれない。白川博士は漢字の成り立ちを呪術的なものに求めた方である。そして、同じ日にラサでお会いしたお二人は、共に「白い世界の橋渡し」で、津村さんが到着される前には、白州正子のことが話題に登っていたりもした。

しかし、実は、ここまで書いた全てのことが吹き飛ぶような驚きを、私達はその翌日に味わった。これについては、ここに書く事は控えたいが、津村さんからのメッセージにその鍵があることだけ記しておこう。もし自然なシンクロの導きで、その必要性が出てきたら、週末のシンクロ教室来週の出張クラスでシェアする機会が訪れるかもしれない。

しかし、20年近くシンクロニシティ三昧な生活をしていても尚、新たな驚きが次々と生じて来るのは、”それ”が自分の想像力を遥かに超えたところからやって来るからなのだろう。しかも、そこには何とも言えない聖なる繋がりが感じられるのだ。ただ「シンクロした」「ビックリした」というのとも違う、計り知れなさ。畏敬の念を抱かずにはいられない絶妙で深淵なプロセス。

信仰というものの原点は、こうした体験にあるのではないだろうか。誰かに「信じなさい」なんて言われる必要も、自分で一生懸命「信じよう」なんて思う必要も無い。非常に特別であって、同時に、当たり前にある働き。それに気付く機会が多くなればなるほど、自然に畏怖、畏敬の念が生じるものだ。

最後に、8/27の石井ゆかりさんの獅子座(私は8月生まれである)のメッセージを記録しておきたい。
《獅子座は大物が釣れるような日。魚拓。》

私は未だに十二星座の順番すらあやふやな人間なのだが、『マヤのリズム』にも書かせて頂いた通り、石井ゆかりさんには、一目置いているところがある。12か月の暦システムを使っていても、本質的には13:20的である人の典型だと思うからだ(逆の人は多いがこのケースは希だ)。

最初、上記メッセージの意味はよく分からなかったのだが、このブログを書いた今日まで含めると、その符合度の高さに驚きを禁じ得ない。27日当日のFisherシンクロは文字通り魚と関係あった訳だが、翌日のメッセージまで含めたシンクロ話の全体が、私にとっては「大物」であったと言える。そして、今日起きた出来事が「魚拓」の意味を私に理解させてくれたのだった。

実は、津村さんとのやりとりはFBメッセージで行っていたのだが、色々と興味深いことが書かれていたので、昨日の時点でそのやりとりの全てをコピペして別な所に保存しておいたのだ。この行為は、私にとって大変珍しいもので、「何となくそうしたくなって」やったのだった。そして、数時間前にそれをFBで確認しようと思ったら、何故か津村さんとのやりとりだけが、全て消えていた!28日時点でコピペした直後にも、今朝もちゃんと残っていたのにだ。

そして私は思ったのだった。別な場所に保存したものが「魚拓」で、消失したデータが魚だったのだと。しかし、この日常の中の聖なる物語が成り立ったのは、『オロ』と岩佐監督のご縁あってのことであるから、最後にもう一度、この映画のことを伝えておきたい。本当に何度見ても心に染み入る素敵な映画なので、是非、公式サイトで最新情報を確認して、まだご覧に成っていない方は、是非、観て頂きたいと思う。

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