2012年03月26日 05:12
■太陽の月19日 (G3/25)KIN196 黄色い磁気の戦士(byD)
数年前から注目しているフラメンコギターの妙手、ビセンテ・アミーゴ。KIN168(G2/25)に来日情報を知り、その日のうちにすみだトリフォニーホールでKIN187(G3/16)に行われるコンサートのチケットをゲット(例のごとくLの早業による)。ブルーノートでのチケットは既にその時点で完売だったし、そもそもKIN188は、関西での『ドリームスペル』配布勉強会(時間船乗船会)が決まっていて、その翌日(ブルーノート当日)もまだ関西だったので、仮に席が残っていても行く事は出来なかった。
しかも、今回は、『Paseo de Gracia』というアルバムを引っさげての来日とのこと。半年前に訪れたバルセロナの中でも、特にお気に入りのエリアとなったのが「グラシア通り」。そのまんまのタイトルというだけでも嬉しいビックリだが、来日を知った日の朝に、「グラマラスなバルセロナ」というブログをUPしていたのだから驚かずにはいられない。
しかし、アミーゴの銀河の署名が「青い銀河の猿(KIN151)」と知って思わず納得してしまった。何故なら、『ドリームスペル日本語版(第2版)』の申込受付は、銀河の月2日のKIN151、まさにアミーゴの誕生KINである魔術の亀の日の満月から始まったのだ。シンクロニシティを日常化する次元間装置とも言える『ドリームスペル』とこれだけ直結しているのだから、アルバム名も来日のタイミングも完璧なのはむしろ自然なことだ。
しかし、その後の展開は、さらに想像を超えたものだった。とても全部は書ききれないので、要点だけかいつまんで整理しておこう。チケット申込と殆ど同時にアマゾンで申込んだ『Paseo de Gracia』。英語版だったせいか、なかなか届かず、手元に届いたのはコンサートの4日前のKIN183(G3/12)だった。だが、青い夜空に満月がぽっかり浮かぶCDジャケットは、アミーゴの誕生KIN、そして「青い夜」のウエィブスペルの始まりに、これ以上無いくらいふさわしいものだった。
加えて、そこから1銀河スピン(260日)前のKIN183は、グラシア通りにもカサ・バトリョやカサ・ミラなどの名作を残したガウディの誕生日だった。ちなみに、私の誕生KINをキチェ・マヤのツォルキンで導くと1アクバル(13の月の暦的に表現すればKIN183)となる。この日(3/12)、ふとドリームスペルに他の用語を交えてググってみたら、面識のあるY氏のブログがヒットした。
Y氏は古くからの暦ユーザーで、私が知る数少ない達人レベルの時空のサーファーなのだが、ヒットしたその記事にも驚くべきことが書かれていた。何と六甲山トンネルが、1967年3月25日(KIN151)、つまりアミーゴの誕生日に開通したと記されていたのだ。CDが届いたその日に、ドリームスペルに関連した検索で見つけた記事のラストにこのことを見つけた時、やはりアミーゴ(そしてバルセロナやスペイン)は、『ドリームスペル』と完全に共鳴していると私は感じた。
実は、ここには書けないもっと強烈なシンクロがあったせいで、私はついに、原則こちらからはしないことにしていた友達リクエストをFBですることにした。おかげで、翌KIN184(G3/13)に、Y氏がこんなことを教えてくれた。私達が最初に出会ったのは、ホゼが伊勢内宮のご神域で行った講演会(ホゼはこの講演会を生涯最高の出来だったと当時私達に語った)でのことで、それは、2004年3月30日=KIN141(11・竜)、超新星1987Aが発見された1987年2月23日(皇太子さま27才の誕生日)ともシンクロするKINだったらしい。
そこで自分の手帳を調べてみると確かにその日は講演会で、翌日には『ドリームスペル日本語版(第1版)』を、ホゼ、ステファニーと共に、内宮に奉納したとある。これを思い出した3/13(KIN184)は、33週の7日目で、33×7=231(今の私の道筋)であることや、260までの数の中に33の倍数は7つしかないことにも気付かされた。同時に、私の中学時代の陸上部の先輩が、第66回箱根駅伝で(その1回のみ出場)、柏原(KIN231)と同じ5区を同じ東洋大の先輩として走っていたことを知った。さらに、柏原が1年の時に東洋大が総合優勝を果たすまでに、敗れ去った660名がいるというサイトまで見つけてしまったから、さすがに常時シンクロ状態の私もぞっとした。
何しろ、その前日(KIN183=アルバムが届いた日)、私はKIN66の友人に、特例的にドリームスペルの個人レクチャーをしていたのだ。また、『ドリームスペル日本語版(第2版)』は3300部制作された。ツォルキンの中央は調波33であり、サグラダファミリアの受難の門にある魔方陣の各列合計は33だ。そして、バルセロナは3で出来ていると、中沢新一(3・犬)の『バルセロナ、秘数3』には書いてある。
そして3日後のKIN187(G3/16)、ついにトリフォニー(3つの音が響く)ホールで、アミーゴの生演奏を耳にした。メンバーはアミーゴを含む6名だったが、それはそれは見事な掛け合いをする素晴しいチームで、アミーゴの魔術的な演奏を引き立てながらも、完全にひとつになって会場にうねりを生み出していた。あのリズムのズレと調和感は、まさに「13の月の暦」で生活をする中で感じるものと同じ印象だった。ちなみに、この日のサイ時間単位は、昨年バルセロナの波が唐突にやってきたKIN170(1・犬)。
ところで、この日コンサートに出かける前、私は長いあいだ見失っていた大事なスケッチ(テルマ)を、思いがけないところで(テルトンのごとく)発見した。そこにはパレンケの碑銘の神殿に関する細かなスケッチ、そしてチチェン・イツァで体験した小さな冒険のあらすじと、その時、見上げた夜空の星の配置が描かれていた。日付は1999年4月14日→KIN151(アミーゴ!)だった!そして、ホゼの命日まで7日のタイミングで見つかったこのメモには、その晩、流れ星を7つ見たとも書かれていた。どこから見ても、アミーゴは「13の月の暦」と結びついている。
その演奏があまりに素晴しくて、翌朝(KIN188)、大阪に向かう新幹線でもひたすらアルバムを聴き続けていたが、中でも私が気に入っているのは、全9曲の中のラストを飾る「La Estrella (スター)」。「13の月の暦」で9番目の「太陽の月」、そして「星の日」にピッタリの曲だ。ちょうど大阪に到着した頃、Lが7年前の「音の瞬間」(これはひとつ前のアルバムの名前でもある)に関するインタビュー記事を見つけてツイートしてくれていた。そこに書かれている内容は、まさしく「時」と「音」に関する本質である。おそらくアミーゴなら、瞬時に「ドリームスペル」の世界を理解するだろう。
そしてこの記事を書き始めた今日(もう昨夜という感じだが…)が、アミーゴの45才の誕生日。そして六甲山トンネル開通45周年だ。年齢が5の倍数の時には、誕生KINと誕生日がちょうど年齢分離れるという法則があるので、ドリームスペルの受付が開始されたKIN151から、ちょうど45日が経過したことになる。平清盛で、鳥羽上皇の妻たま子が45才で他界したシーンが放映されたのも偶然ではないのかもしれない。というか、私がそれを見たのは偶然ではない。
今日のサイ時間単位KIN181(赤い水晶の竜)は、大阪のドリームスペル配布会で久しぶりに再会したアーティストMさんのKINであり、私の2013年の運命の道筋でもある。そして六甲山トンネルは、水晶山という山の辺りをつっきるトンネルであることを今日知った。最後にひとつ加えておきたいのが、昨日(KIN195)、剣武天真流の稽古仲間のSさんから頂いたスペイン土産の美しいタイルのこと。それはアミーゴの出身地、アンダルシアのものだった。
青い夜のウェイブスペルの始まり(磁気の門)にアルバムが届き、終わり(宇宙の門)に出身地のタイルが届く。こういうことのひとつひとつが美しい。真の時間からやって来るものは全て美しいのだ。
追記:スペイン語にも堪能なSさんは、「アルハンブラ宮殿があるグラナダの焼き物は、ブルーとグリーンが基調になっているのが特徴で、スペイン語で青はazulと言いますが、タイルを意味する言葉はazulejo, 面白いですね」と教えて下さった。ちなみにアルバム『Paseo de Gracia』の4曲目はazules y corinto(青と栗色)。そして、アミーゴ45才の運命の道筋「1・戦士」で、その惑星ホロンはまさにイベリア半島を包み込む。
数年前から注目しているフラメンコギターの妙手、ビセンテ・アミーゴ。KIN168(G2/25)に来日情報を知り、その日のうちにすみだトリフォニーホールでKIN187(G3/16)に行われるコンサートのチケットをゲット(例のごとくLの早業による)。ブルーノートでのチケットは既にその時点で完売だったし、そもそもKIN188は、関西での『ドリームスペル』配布勉強会(時間船乗船会)が決まっていて、その翌日(ブルーノート当日)もまだ関西だったので、仮に席が残っていても行く事は出来なかった。
しかも、今回は、『Paseo de Gracia』というアルバムを引っさげての来日とのこと。半年前に訪れたバルセロナの中でも、特にお気に入りのエリアとなったのが「グラシア通り」。そのまんまのタイトルというだけでも嬉しいビックリだが、来日を知った日の朝に、「グラマラスなバルセロナ」というブログをUPしていたのだから驚かずにはいられない。
しかし、アミーゴの銀河の署名が「青い銀河の猿(KIN151)」と知って思わず納得してしまった。何故なら、『ドリームスペル日本語版(第2版)』の申込受付は、銀河の月2日のKIN151、まさにアミーゴの誕生KINである魔術の亀の日の満月から始まったのだ。シンクロニシティを日常化する次元間装置とも言える『ドリームスペル』とこれだけ直結しているのだから、アルバム名も来日のタイミングも完璧なのはむしろ自然なことだ。
しかし、その後の展開は、さらに想像を超えたものだった。とても全部は書ききれないので、要点だけかいつまんで整理しておこう。チケット申込と殆ど同時にアマゾンで申込んだ『Paseo de Gracia』。英語版だったせいか、なかなか届かず、手元に届いたのはコンサートの4日前のKIN183(G3/12)だった。だが、青い夜空に満月がぽっかり浮かぶCDジャケットは、アミーゴの誕生KIN、そして「青い夜」のウエィブスペルの始まりに、これ以上無いくらいふさわしいものだった。
加えて、そこから1銀河スピン(260日)前のKIN183は、グラシア通りにもカサ・バトリョやカサ・ミラなどの名作を残したガウディの誕生日だった。ちなみに、私の誕生KINをキチェ・マヤのツォルキンで導くと1アクバル(13の月の暦的に表現すればKIN183)となる。この日(3/12)、ふとドリームスペルに他の用語を交えてググってみたら、面識のあるY氏のブログがヒットした。
Y氏は古くからの暦ユーザーで、私が知る数少ない達人レベルの時空のサーファーなのだが、ヒットしたその記事にも驚くべきことが書かれていた。何と六甲山トンネルが、1967年3月25日(KIN151)、つまりアミーゴの誕生日に開通したと記されていたのだ。CDが届いたその日に、ドリームスペルに関連した検索で見つけた記事のラストにこのことを見つけた時、やはりアミーゴ(そしてバルセロナやスペイン)は、『ドリームスペル』と完全に共鳴していると私は感じた。
実は、ここには書けないもっと強烈なシンクロがあったせいで、私はついに、原則こちらからはしないことにしていた友達リクエストをFBですることにした。おかげで、翌KIN184(G3/13)に、Y氏がこんなことを教えてくれた。私達が最初に出会ったのは、ホゼが伊勢内宮のご神域で行った講演会(ホゼはこの講演会を生涯最高の出来だったと当時私達に語った)でのことで、それは、2004年3月30日=KIN141(11・竜)、超新星1987Aが発見された1987年2月23日(皇太子さま27才の誕生日)ともシンクロするKINだったらしい。
そこで自分の手帳を調べてみると確かにその日は講演会で、翌日には『ドリームスペル日本語版(第1版)』を、ホゼ、ステファニーと共に、内宮に奉納したとある。これを思い出した3/13(KIN184)は、33週の7日目で、33×7=231(今の私の道筋)であることや、260までの数の中に33の倍数は7つしかないことにも気付かされた。同時に、私の中学時代の陸上部の先輩が、第66回箱根駅伝で(その1回のみ出場)、柏原(KIN231)と同じ5区を同じ東洋大の先輩として走っていたことを知った。さらに、柏原が1年の時に東洋大が総合優勝を果たすまでに、敗れ去った660名がいるというサイトまで見つけてしまったから、さすがに常時シンクロ状態の私もぞっとした。
何しろ、その前日(KIN183=アルバムが届いた日)、私はKIN66の友人に、特例的にドリームスペルの個人レクチャーをしていたのだ。また、『ドリームスペル日本語版(第2版)』は3300部制作された。ツォルキンの中央は調波33であり、サグラダファミリアの受難の門にある魔方陣の各列合計は33だ。そして、バルセロナは3で出来ていると、中沢新一(3・犬)の『バルセロナ、秘数3』には書いてある。
そして3日後のKIN187(G3/16)、ついにトリフォニー(3つの音が響く)ホールで、アミーゴの生演奏を耳にした。メンバーはアミーゴを含む6名だったが、それはそれは見事な掛け合いをする素晴しいチームで、アミーゴの魔術的な演奏を引き立てながらも、完全にひとつになって会場にうねりを生み出していた。あのリズムのズレと調和感は、まさに「13の月の暦」で生活をする中で感じるものと同じ印象だった。ちなみに、この日のサイ時間単位は、昨年バルセロナの波が唐突にやってきたKIN170(1・犬)。
ところで、この日コンサートに出かける前、私は長いあいだ見失っていた大事なスケッチ(テルマ)を、思いがけないところで(テルトンのごとく)発見した。そこにはパレンケの碑銘の神殿に関する細かなスケッチ、そしてチチェン・イツァで体験した小さな冒険のあらすじと、その時、見上げた夜空の星の配置が描かれていた。日付は1999年4月14日→KIN151(アミーゴ!)だった!そして、ホゼの命日まで7日のタイミングで見つかったこのメモには、その晩、流れ星を7つ見たとも書かれていた。どこから見ても、アミーゴは「13の月の暦」と結びついている。
その演奏があまりに素晴しくて、翌朝(KIN188)、大阪に向かう新幹線でもひたすらアルバムを聴き続けていたが、中でも私が気に入っているのは、全9曲の中のラストを飾る「La Estrella (スター)」。「13の月の暦」で9番目の「太陽の月」、そして「星の日」にピッタリの曲だ。ちょうど大阪に到着した頃、Lが7年前の「音の瞬間」(これはひとつ前のアルバムの名前でもある)に関するインタビュー記事を見つけてツイートしてくれていた。そこに書かれている内容は、まさしく「時」と「音」に関する本質である。おそらくアミーゴなら、瞬時に「ドリームスペル」の世界を理解するだろう。
そしてこの記事を書き始めた今日(もう昨夜という感じだが…)が、アミーゴの45才の誕生日。そして六甲山トンネル開通45周年だ。年齢が5の倍数の時には、誕生KINと誕生日がちょうど年齢分離れるという法則があるので、ドリームスペルの受付が開始されたKIN151から、ちょうど45日が経過したことになる。平清盛で、鳥羽上皇の妻たま子が45才で他界したシーンが放映されたのも偶然ではないのかもしれない。というか、私がそれを見たのは偶然ではない。
今日のサイ時間単位KIN181(赤い水晶の竜)は、大阪のドリームスペル配布会で久しぶりに再会したアーティストMさんのKINであり、私の2013年の運命の道筋でもある。そして六甲山トンネルは、水晶山という山の辺りをつっきるトンネルであることを今日知った。最後にひとつ加えておきたいのが、昨日(KIN195)、剣武天真流の稽古仲間のSさんから頂いたスペイン土産の美しいタイルのこと。それはアミーゴの出身地、アンダルシアのものだった。
青い夜のウェイブスペルの始まり(磁気の門)にアルバムが届き、終わり(宇宙の門)に出身地のタイルが届く。こういうことのひとつひとつが美しい。真の時間からやって来るものは全て美しいのだ。
追記:スペイン語にも堪能なSさんは、「アルハンブラ宮殿があるグラナダの焼き物は、ブルーとグリーンが基調になっているのが特徴で、スペイン語で青はazulと言いますが、タイルを意味する言葉はazulejo, 面白いですね」と教えて下さった。ちなみにアルバム『Paseo de Gracia』の4曲目はazules y corinto(青と栗色)。そして、アミーゴ45才の運命の道筋「1・戦士」で、その惑星ホロンはまさにイベリア半島を包み込む。
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