チベット書道とトゥルンパ・リンポチェ

2017年08月26日 13:20

月の月4日 (G8/26) KIN95 青い自己存在の鷲 (by D)

8/20(日)は、「13の月の暦」のツォルキンだとKIN89(11・月)で、この暦の提唱者の一人、ホゼ・アグエイアス博士が旅立って、ちょうど9銀河スピン(9×260)というタイミングだった。「普遍的な水/清める/流れ」というキーワードを持つ「赤い月」の紋章コード番号も9で、9はマヤの世界観で冥界を意味する数でもあるから、私の中では何となく「お盆」と重なるイメージがあった(*1)。

その日、私達は中野で行われていた「チベット書道」の展示会場で、インド・シッキムから来日していた作者、ジャムヤン・ドルジェ氏による講演会『チベット絵巻の美しさと、その製作秘話』に参加していた。展示自体は8/11から行われていて、講演も期間中4回あったのだが、この催しを知った時点で既に期間の半分ほどが経過していて、何とか最終日に予定を調整する事ができたという状況だった。

そういう意味ではギリギリだったのだが、作品のエネルギーをその場で味わい、ジャムヤン氏の講演を直に聞けたのは大変な幸運であった。主催のチベット文化研究所FB情報をシェアして、この展示や講演について知らせて下さったゾクチェンパの箱寺さん(=『マヤのリズム』にご登場頂いてるボン教の森さん)に感謝したい。

講演前に会場の作品を拝見していると、ソナムさんという女性が、そこに書かれている文字や尊像の意味を丁寧に解説して下さった。驚くべき事に、よく見ると、タンカ(仏画)に見える像の殆ど全て(例えば衣の部分までも)が、非常に細かなチベット文字で描かれている。斬新な構成の作品も、チベット文字のマントラで埋め尽くされていたりして驚かされたが、どれも清冽な力に満ちている印象を受けた。

放射状 ゆらぎ 空性と慈悲 

講演の開始時間になり、作品に囲まれた部屋の中央あたりに座ると、最終日(&最後の講演)という事で、急遽ペマ・ギャルポ所長自らが通訳を買って出られる事になった。お陰で、生き字引とも言えるペマ所長だからこその興味深いエピソードも聞けて、非常に充実した時間となった。

チベ書道 

ジャムヤン氏は、チベット亡命政府の舞台芸術団TIPAの芸術監督(1994-2000)などの要職に就き、チベット文化の保全および社会活動に従事されて来たとの事だが、現在のようなスタイルのチベット書道を始められたのは割と最近で、私の聞き間違いでなければ2007年頃からとの事。毎朝、お経を唱える代わりに書く事を始め、段々と今のスタイルのようになって行ったらしい。

そのプロセスでジャムヤン氏は、何と、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェにかなりインスパイアされた、と述べられた。まさか、ホゼ(11・猿)の命日KIN(11・月)に、彼の仏教の師でもあるトゥルンパ・リンポチェ(11・地球)の話が出て来るとは思っていなかったので、私達は大いに驚いた。

もちろん、トゥルンパが日本の華道や茶道などを深く学んでいたのは知っていたが、書に関してもダルマアートとして取り入れていたとは、認識していなかったからだ。だが、ペマ所長が補足するように付け加えられた以下の言葉は、更なる驚きに満ちていた。曰く「トゥルンパ・リンポチェは大本教の出口さん(*2)に日本の書や芸術を学んでいた」と。

大本教については3ヶ月ほど前に「大本を辿るー浅野正恭と井上鑑昭」というブログ記事で詳しく触れたばかりだし、実は昨日、その記事に中心的に登場している増田さん(KIN118)の「増田博一うつわ展」初日に行って来たばかりでもあった。加えて、浅野和三郎が登場している本までその場で見せてもらっていたので、この流れはまだまだ展開して行きそうなのだが、今は話をチベット書道に戻しておこう。

文字比較 

その後、講演会は、様々な書体を比較した実演なども交えながら進められたのだが、私が何より感動したのは、ジャムヤン氏の作品制作に対する姿勢、動機についてのお話だった。あくまでも「自分の心の修行、修練」というのが第一の目的であり、第二は「作品を目にする方の心の平和に役立つようであれば嬉しい」という事で、「それ以外は無いし、これで生活したり稼ごうと思った訳でも無い」と明言されていたところにシビれてしまった。

もちろん、実際の所がどうなのかは知りようも無いのだが、私が氏の言葉を信じられるのは、作品から受ける印象とその動機がマッチしていたからである。もし、営利目的や自己アピール意識の方が、元々の動機より比率的に大きくなっているとしたら、作品からも本人の存在感からも、そういう雰囲気が出てしまうものなのだ。

心経仏陀 ★般若心経で描かれたブッダ

真言や経文を細かく書いて描線とし、仏画を作成する手法は、ジャムヤン氏オリジナルのもので、いわばチベット書道(あるいはタンカ)の世界に全く新しい風を巻き起こしている訳だが、「俺が第一人者で先駆者だ」みたいな雰囲気は微塵もないし、最初の閃きがあった時にも、「このような手法を試みても良いものでしょうか」と、まずラマにお伺いを立てたそうだから(仏教徒としては自然な事かもしれないが)、独創性で売り込みたい人達とは、そもそも方向性が違うのである。

そして、ちょうどそれは、今まさに読み進めている『クリティカル・パス』(B・フラー著)の中に出てくる「バックミンスター・フラーの自己規律」とも重なる方針だったので、私には余計に響いたのだった。前後の文脈を無視して抜粋すると誤解を招くかもしれないが、以下にその本から一文だけ引用してみよう。

”私は仕事をつづけていくために必要不可欠な材料、道具、そして資金の提供を生態学的なプリセッションに全面的に依拠する一方、家族と自分のために「生活費を稼ぐ」という考えを永遠に捨て去る決心をした”(『クリティカル・パス』P250から引用)

この決心が、自分や家族が生きて行くのに必要なものだけではなく、人類に役立つ知恵や直感をフラーにもたらした、とフラーは本書の中で繰り返し述べている。端から見れば、結果的には生活費を稼いでいるように見える面があったとしても、それを目的にしていないというのがミソであり、ジャムヤン氏と共通する所でもあるのだ。

例えば、ジャムヤン氏は、今や失われかけているチベット文化を世に知らしめ、その保存や復興を呼びかける意図で、書道スクロールの最長世界記録にも挑んだりしている。これなども、下手をすると「単に目立ちたい人間」と受け取られかねないアプローチだが、動機にゆるぎないものがあれば、そのようには見られないものなのである。

DL.jpg ★チベタン・カリグラフィーの保存活動に対してダライ・ラマ法王からも激励を受けられた模様

ちなみに、最長記録として認められた経文の巻物は163m、52キロとの事。その前日(KIN88)、横浜ナディアでの「13の月の暦」クラスで例題に立候補して下さったMさんがKIN163だった事や、この暦の1年が52週で、52年で還暦を迎える事を知っている身としては、このタイミングと数字にも驚かされたのは言うまでも無い。

おまけで書いておくと、ホゼが『マヤン・ファクター』を捧げた相手は、C・T・ムクポことチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェで、『時空のサーファー』を捧げたのは息子のジョッシュ。どちらもハーモニック・コンバージェンス(H・C)のあった1987年に他界していて、どちらの本の内容もH・Cについてのものなのは、偶然ではない。そして、H・C30周年直後のホゼの命日KINに、チベット文化の精髄に触れたことも。

なぜなら、H・Cは単に「ケツァルコアトル(13の天国と9の地獄)の預言」というマヤの預言周期に基づいたものであっただけではなく、西暦1027年から数えられ始めたチベットのカーラチャクラ暦での、特別な区切りの年であった(1027+960=1987、960=60×16)事も関係していたからである。

その日、会場に着くまで頭痛が続いていたLは、帰りにそれがすっかり取れているのに気づいて大層喜んでいたが、ジャムヤン氏の作品制作に対する動機を知ると、会場全体が清浄な空間になっていたのにも納得が行く。また、今回展示されていた作品は、全てダライ・ラマ法王(KIN14)がご覧になっている(ジャムヤン氏によればそれは開眼と同じ意味合いがあるとの事)特別な作品群との事だったので、そういう影響もあったのかもしれない。

おそらく私たちは、場所だけではなく、時間(周期)とか作者とか、作品に込められた動機からも、様々な影響を受けるのであろう。だとしたら、逆にそれを活用する事も出来る、という事である。日々どういう動機で過ごすのかについて、私達はもう少し注意深くあっても良いのかもしれない。


(*1)前日のKIN88は他界した父の108(9×12)回目の誕生KINで、サイ時間がKIN241(=自分の誕生KIN)だった事も、異世界との繋がりを意識させたのかもしれない。

(*2)その場で勝手に王仁三郎氏の事かと想像していたが、それぞれの生没年を確認すると、王仁三郎の死亡時、トゥルンパはまだ9歳前後だった計算になるので、ペマさんの言う出口さんとは、王仁三郎の事ではなく、その次の世代以降のどなたかという事だと思われる。また機会があれば詳しく伺ってみたいと思う。

トルン市東洋美術館収蔵作品「葦」

2017年07月11日 00:22

宇宙の月14日(G7/10)KIN48 黄色い太陽の星(by D)

G7/6に、天真書法塾の師範科クラスがあった。月1回、青木天外塾長が直接ご指導下さるクラスなのだが、その日は冒頭に「ポーランド・トルン市東洋美術館発行の作品収蔵証明書」が塾長より授与された。実は、この書類が届くのを、私は心待ちにしていた。その理由と経緯を、以下にまとめてみたいと思う。

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ポーランド・トルン地域中世都市博物館(世界遺産)で「トルン東洋美術館展」が行われたのは昨年の10月、そのための作品を提出したのは8月上旬だった。7月に出雲大社で剣武天真流の奉納演武があり、その前後に遺跡や博物館、神社等を巡った事と、限られた時間の中で作品を仕上げる必要性に迫られて、私にはあるアイディアが浮かんでいた。

それは、幾つかある出品ジャンルの中の「前衛書」を選択し、「日本刀」のような一本の線を引いて「葦原中国」というタイトルで出品しようという目論みだった。実際、日本列島は刀のような反りのある姿をしているし、天真書法塾では「生命の実線」と言って、ひたすら線を引き続ける稽古も行うので、一本の線にも表現の可能性が無限にあるのを知っていたからだ。

できれば土地や人との縁も活かしたいと考えていた私は、出雲大社での奉納演武の後に立ち寄った石州和紙会館で、手漉き和紙を手に入れた。その辺りの経緯は、ちょうど一年前の今頃書いた「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」という記事にまとめてあるので、是非、ご覧いただければと思う。

ただ、普段作品制作に使用する紙と単純比較をすると、何十倍もする手漉きの和紙は、私にとって気軽に購入出来るものではなかったので、現地でお世話になった石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんが漉かれた美しい和紙の中から、自分のイメージに合うもの数点だけを選んで入手したのである。まさに「神頼み」ならぬ「紙頼み」の心境であった。

しかし、どんなに紙が素晴らしくても、作品としてマズければ、やはり出品する事はできない。結局、「神頼み」もして(笑)何とか仕上げた1枚をポーランドに送る事になった。その際、タイトルは英語でという事だったので「From words of the ancient Japanese name and Pascal」とした。パスカルを入れたのは、「人間は考える葦である」も想起してもらえたら面白い、という閃きによる。

トルンでの展示が終了した11月中旬、吉報が入った。博物館(美術館)にコレクションとして収蔵される作品10点が報告され、その内の5点が何と天真書法塾会員による作品だったというのだ!しかも、驚いたことに、その中には私の作品も含まれていた。複数の書道団体が出品していた中、収蔵作品の半分を天真書法塾が占めたというのは、やはり快挙である。これも青木塾長と吉田副塾長のご指導の賜物。ただただ感謝するのみである。以下にその5点の作者、タイトル、出品ジャンルを明記しておこう。

・小西稜雲「It is snowy to live Yaku cedar for 3,000 years」近代詩文書
・前原白水「Ryokan, waka」近代詩文書
・本田虹風「One sky is a thing of all」墨象
・松尾翔月「Own work, haiku」近代詩文書
・小原天迅「From words of the ancient Japanese name and Pascal」前衛書

同じ頃、現地での展示の様子を撮影した写真も送られてきて、私は初めて軸装された自分の作品を目にした。それが本文冒頭の写真である。今回は、軸装前の状態で出品というスタイルだったので、実は軸装作品を直接見ることはまだ一度もしていないのだ。そういう訳で、いずれトルンには行かなければと思っている。

さて、昨年11月には明らかになっていたこの事実を、何故、今になるまで書かないでいたのかというと、「収蔵証明書」が届くのを待っていたからなのである。いや、それ以前に、出品者全員に届くはずの「感謝状」もなかなか届かない状態が続き、タイミングを逸していたというのが正直なところだ。

実際、コーディネーターである国際書道文化発展協議会の岡田伸吉氏を通じて、作品(収蔵作品以外)と「出品感謝状」が届いたのは、年をまたいで今年の3月になってから。志賀海神社に奉納させて頂いた蘭禅の「君が代」も、実は、本当にギリギリのタイミングで日本に戻って来たのだった。

IMG_1863.jpg ★左が3月に届いた「出品感謝状」、右が7月に届いた「収蔵証明書」

そして、そこから4ヶ月を経て、ようやく「作品収蔵証明書」が届いたという訳である。現地の様子や、作品返送の流れなど、今ひとつクリアでは無い感じのやりとりが(コーディネーターとの間で)続いていたので、「証明書」が届くまでは、ブログに書くことも久保田さんに報告することも、念のため控えておいたのである。

IMG_5165.jpg ★7/6(KIN44)青木天外塾長と

しかし、おかげで、個人的には特別な記念日だと思える日に、青木塾長から「収蔵証明書」を手渡して頂けた。何しろ、7/6はダライ・ラマ法王の82回目の誕生日であり、『13の月の暦』のツォルキンではKIN44、私が日本語版の制作世話人を引き受けた『時間の法則の20の銘板』が始まった1997.7.26(KIN44)からツォルキンがぴったり28回巡ったタイミングだったからだ。

そして、面白い繋がりがあるので、書き添えておくと、翌々日の7/8(7・橋渡し)に、聖心女子大学グローバルプラザで行われた「難民と教育:チベットの民の知恵と経験」で講演をされたジェツン・ペマさん(ダライ・ラマ法王の実妹で元チベット子供村校長)は、7/7に77才の誕生日を迎えられた事を知った。誕生キンのKIN20(7・太陽)は、私(7・竜)の「神秘のパートナー」。

先にリンクを紹介した「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」には、安倍昭恵さんとブータン国王夫妻の来日、そして久保田さんとのびっくりシンクロについても書かれているのだが(久保田さんはブータンに何度も和紙の技術指導で訪れられている)、現ブータン国王妃も同じジェツン・ペマさんというお名前なのである。

昨年、上野の森美術館で行われていた「ブータン展」には久保田さんの石州和紙のコーナーもあった事が、その記事には書かれているが、実は、今日、1年ぶりにその「上野の森美術館」を訪れて「石川九楊展」を見てきたばかり。この繋がりは、ここまで書いて初めて気づいたことで、我ながらビックリしている。しかし、これこそが自然時間の共時性秩序なのである。

シャンバラ教室とカーラチャクラ

2017年01月08日 00:59

律動の月26日(G1/7)KIN124 黄色い共振の種(by D)

今日は天真書法塾シャンバラ教室の稽古初めだった。シャンバラ教室は、天真書法塾最初の支部教室としてチベット民族蜂起51周年の2010.3.10にスタートした。その日は、支部教室師範・蘭禅の69回目の銀河の誕生日(KIN231=10・猿)でもあった。

昨今の表層的なスピリチュアル情報しか知らない人々は、「シャンバラ」と聞くと秘密の地底(地下)王国みたいなものを連想するようだが、私達は、今、まさに、ブッダガヤで行われれている「カーラチャクラ(タントラ)」に登場する「聖なる国の名前」から教室名として拝借したのである。もっと言えば、私達の活動名である「クリカ」も、実はカーラチャクラ由来の言葉なのだ。

私達がその名を使わせていただくに至った背景についてはクリカのリンクを、カーラチャクラについてより詳細かつ正確に理解したい方は、ダライ・ラマ法王公式サイトのリンクを参照いただければと思う(尚、後者のサイトに登場する「カルキ」という言葉が「クリカ」と同義である)。

アマラバ砂マンダラ ★伝説の地アマラヴァティで2006年1月に描かれた砂マンダラ

シンクロニック・ジャーニー』第1章「シャンバラからの招待状」に書いた通り、ちょうど15年前の今頃、私達はカーラチャクラが予定されていたブッダガヤに居た。しかし、ダライ・ラマ法王(KIN14)の体調不良によって灌頂は直前に中止になり、その関係で、私達はそこからほぼ260日後にオーストリアのグラーツで行われた灌頂を受ける事になった。

シャンバラのスチャンドラ王を初代とすると、ダライ・ラマ法王14世は、この教えの86代目の継承者という事になっているが、グラーツは現法王による27回目の灌頂であり、現在ブッダガヤで行われているのは34回目に当たるので、ちょうどグラーツから7回目という事になる。

今日、この記事を書いておこうと思ったのは、ブッダガヤでの法要がいよいよクライマックスを迎えるタイミングであるのと、ツォルキン7列目の「7・種」の日であり、チベット暦ではグル・パドマサンバヴァの日でもあったからである。

グラーツの灌頂最終日はKIN136(6・戦士)で、今回の灌頂最終日はKIN130(13・犬)。いずれもドリームスペル13の月の暦ツォルキンでは7列目に当たり、このツォルキンをマヤ長期暦の5125年に置き換えた時、ちょうどブッダが活躍した時代(バクトゥン)にシンクロする。それ故、テレクトノンでは毎月7日が「ブッダ心の教え」となっているのだ。

つまり、ブッダとシンクロするタイミングにブッダガヤで行われているカーラチャクラ(時の輪)に意識を向ける事は、それだけで素晴らしい事なのだ。ちょうどグラーツの時に初めて試みられたWEBを通じての世界同時中継も、今は中央チベット行政府公式WEBTVが、十分な画質と音声でリアルタイム中継をしてくれている。縁ある方は、そのバイブレーションに直に触れてみて欲しい。

カーラチャクラの教えは、密教最高峰の教えの一つであるのにもかかわらず、仏教徒以外にもその門戸が開かれている特別な教えである。その理由は、この教えにシャンバラという聖なる国が関わっていて、カーラチャクラの大法要が「世界平和」と密接に関係しているからなのだ。そして、シャンバラ教室に限らず、クリカの全ての活動は、その事を意識して行われているのである。

広島100スピン《ドリームスペル展》無事終了!

2016年11月01日 01:12

自己存在の月14日(G10/31)KIN56 黄色い自己存在の戦士(by D)

KIN54&55に渋谷で行われた《時の魔法・ドリームスペル展》。完璧な時と場所、そして、この時空に共鳴された人々の調和の力によって、無事、展示を終えることが出来ました。ご来場下さった皆様、ゼロポイント瞑想を通じて古い時間の解放と新しい時間の創造にご協力下さった皆様に、心から感謝申し上げます!

総合 ★写真をクリックするとアルバムに飛びます


19年ぶりに壁面展示をしたホゼのコラージュ作品は、久方ぶりに人目にさらされたことで、冬眠状態から目覚め、そこに込められていた情報を、再び世界に発信したように感じられました。人がそうであるように、絵やといった作品たちも、見られることで「活きた働きをする」のではないかと思います。

今回は、特別な記念ということで、小原蘭禅、天迅(大典)も、ドリームスペルにちなんだ一点ものの作品を、30点ほど制作展示させて頂きました(ミャンマーの少数民族の方々が一枚ずつ丁寧に手漉した和紙を使用。ビルマのゼロファイターこと井本勝幸さんが少数民族の自立支援事業の一環として行っているもの)。

この作品については、「条件にご賛同いただける方々にお譲りします」という形で、希望された方にのみ詳しい説明をさせて頂きましたが、当日飛び入りで会場にいらした方にはお知らせ出来ませんでしたし、条件を聞くのを躊躇された方もいらっしゃったようだったので、以下に、少し補足説明をさせて頂きます。

条件というのは、今回ホゼ・アグエイアス氏の作品を展示するに当たっての会場費用、およびNPOクリカで行っているボランティア活動(在ネパール亡命チベット人子弟への教育支援)への「ひと口」単位でのカンパにご協力頂ける方、となります。「ひと口」の単位については、お問い合わせ下さった方のみにお知らせいたしますが、今回の展示の趣旨を考慮し、小原蘭禅が通常制作する作品の1/10以下に設定してあります。

尚、作品を含む展示の様子は、リンク先のアルバムにて確認していただく事が出来ますので、もし気になる作品がありましたら、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい(ただし、アルバムで「ご予約済み」となっているものは、すでに嫁入り先が決まっているものですのでご了承下さい)。

広島ゼロポイント(原爆投下)から『ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンがぴったり100回巡るタイミング(マヤ暦ツォルキンでは違う日付になる)と、『ドリームスペル』日本語版の公式窓口からの配布が完了するタイミングが重なることを記念して開催された今回の展示でしたが、流石にそれに相応しいシンクロが沢山ありました。ただ、全てをここにく余裕はないので、以下に3つだけトピックスを記しておきます。

1つ目は、ハーモニック・コンバージェンスのあった1987年の10月29日(ホゼの息子ジョッシュが他界したその日)に生まれた剣武天真流の道友・丸山貴彦さん(KIN129)が、まさに29才の誕生日に来場し、最初のゼロポイント瞑想に参加してくれたことです。

霊性のアート』P142にもいてある通り、貴彦さんは、1997年の「時間の法則に関する世界会議」、つまり、今回のホゼのコラージュ作品が展示されたまさにその時に会場に居て、「日本の子供達への13の月の暦の贈呈」というパフォーマンスで、アグエイアス夫妻から暦を受け取る役を演じた小学生だったのです!普段から一緒に剣武の稽古をしているので、ちょっと感覚が麻痺していましたが、これは驚くべきシンクロだったと言えるでしょう。

2つ目は、最終日の瞑想の時間に(そうとは知らず)ぴったりシンクロして来場された林夫妻について。2004年にホゼが来日した折に、ホゼの目の前で結婚の儀式をしたこのお二人。実は10年前(2006)にダライ・ラマ法王が広島で講演と法要をされた時にも、宮島で、全く予期しない形でバッタリお会いしているのです(『シンクロニック・ジャーニー』P244に書いてあります)。

広島ゼロポイント(KIN55)からぴったり100銀河スピン(KIN55)のゼロポイント瞑想に、狙い無しで(かつ始まりの時間ぴったりに)参加できてしまうのは、やはり暦を通じて、あるいはホゼという存在を通じて、見えない次元で常に繋がっているからだと思いました。

そして、3つ目は、最終日の終わりに集った、PAN(惑星芸術ネットワーク)ドリームスペル制作配布チームについて。私たちを含め、ボランティアで関わったコアメンバー12名が集まったのですが(遠方その他の事情で、残念ながら参加できない方もいました)、後からそのKINナンバーを合計してみると、何と1555となったのです。KIN55は「3・鷲」で、「青い鷲」の紋章コードNoは15です。

つまり、1555は、ドリームスペル・コードブレイカー(13の月の暦ユーザー)なら、「鷲・KIN55」と読む事ができるのです!広島ゼロポイントから100銀河スピンの集いの後で、この事に気付いた私は、「ミッションコンプリート」のサインと受け止めました。もちろん、この暦の働きは、現時点の地球において、まだ十分に理解されているとは言えませんが、今回の展示と集いが、将来の「然るべき時」に向けた、多次元的な布石となる事を強く感じました。

その時が来たら、パカル王がホゼに語ったと言うように、きっと誰の目にも分かる形で「新しい時間」が受け止められるようになるでしょう。最後に、ホゼがよく使っていたフレーズで、この報告ブログを終えたいと思います。

「銀河連盟は静かにやってくる」

911テロから15年後の時空調律

2016年09月21日 21:38

電気の月2日(G9/21)KIN16 黄色い電気の戦士(by D)

『13の月の暦』のツォルキンで、最初のウェイブスペル(13日間)が完了するKIN13(G9/18)、私は大阪チャクラで天真体道瞑想と暦のクラスを行っていた。暦のクラスで例題に立候補して下さったのは、この日行われた全てのクラスに参加された唯一の方で、誕生キンはKIN63(11・夜)であった。

直近で巡って来るKIN63はG11/7で、その260日後は2017年のG7/25=「時間をはずした日」である。この日、私はのぞみ201号11号車7番で大阪入りしており、「時間をはずした日」は、チャクラのすぐ近くで天神祭が行われるタイミングである(*KIN201は『20の銘板』における「時間を外した月」にも対応する)。

『13の月の暦(ドリームスペル)』提唱者であるアグエイアス夫妻は、2001年の「時間をはずした日」(KIN203)に、その天神祭に参加した事があるので、大阪天満宮から至近距離にあるチャクラでのクラスで、次の天神祭に誕生キンが巡って来る方が例題に立候補された事には、多次元的な意味があると思われた。それは、次の事からも推察できる。

KIN63(11・夜)の方はG7/20生まれで、その目の前に座っていたのはKIN228(7・星)でG7/30生まれの方だったのだ。つまり、この2人は「時間をはずした日」を挟んで前後5日の関係にあり、「時間をはずした日」と地球家族の関係にあったのだ。また、それぞれの「銀河の音」は、11号車7番やG11/7ともシンクロしていた。

加えて、この日は私の「神秘のパートナー」(キン番号の合計が261になる関係)でもあるKIN20(7・太陽)の方も参加していて、それはちょうど「7・星」のガイドキンにもなっていた。そして、のぞみ201号にそのKIN20を加えたKIN221の方も、会場にはいらしたのだ。これらを、ただの数字遊びと見なすのは簡単である。事実、私は遊び感覚でこういうシンクロを発見している。

しかし、それは同時に、「暦を替える平和の運動」を意識している者とって、時空の調整作業、あるいはクリーニングのようなニュアンスも含んでいるのだ。例えば、アグエイアス夫妻が天神祭に参加したのは、15年前の「時間をはずした日」であり、その48日後にあの「911テロ」(KIN251)が起こっている(*「時間をはずした日」を1日目とすると49日目が911テロ)。

思えば、今回のチャクラでのイベント案内も、ブログの911番目の投稿記事だった。この事に気付くと、ここ最近、連発で体験していた15日ズレの現象も、ある種、伏線ようなものだったと理解できるのである。『13の月の暦』では、365日暦と260日暦が15年で15日ズレるという関係があるのだ。具体的に、最近の例を2つ示しておこう。

私が人体科学会の合宿に合わせて上田城を初めて訪問したのはKIN251(G8/27)。先に書いた通り、KIN251は、15年前に911テロがあった日付と同じだが、そこから15日後のKIN6(G9/11)、大河ドラマ『真田丸』では、上田城での合戦のシーンが放映された。911テロと直結する2つの日付、G9/11とKIN251の両方が「上田城」で結びつけられていた事に、私は強いサインを感じていた。

もう一つは、12:60システムの総本山とも言えるヴァチカンとの関係。KIN255(G8/31)、私達はサンピエトロ大聖堂の中で、ミケランジェロの傑作「ピエタ」に心奪われていた。そこから15日後のKIN10(G9/15)。『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木飛呂彦氏の79回目の銀河の誕生日に、第8部ジョジョリオン電子板の13巻を入手。何とその中に「ピエタ」と”全く同じポーズ”の吉良ホリーの姿が描かれていたのだ!15年前のG9/15は、911テロの4日後だから、もちろんKIN255である。
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こういう流れがあった上で、15年前の「時間をはずした日」に意識を向けさせるような出来事(KIN63の方に天神さんの近くで出会った)が生じたので、私は尚更911に注意を向けざるを得なくなったのである。それが、KIN14のアースダイビング(古い時代への地層へのダイブ)にも響く事になるのだが、その前に余談をひとつ。私の書の雅号は天迅(てんじん)で、実はチャクラにある「蔵」という額は天迅作である。

さて、KIN13(G9/18)は東京も大阪も雨の予報で、実際、チャクラで天真体道をやっている最中にかなり降って来て、それから夜までほぼずっと雨のようだったが、家から二子玉川駅までと、南森町駅からチャクラまで、そして夜にチャクラからホテルに向かうまでの間は、降っても霧雨程度で、結局傘を指す必要は一度も無かった。

KIN14は、恒例のシンクロ小旅行をと思っていたものの、台風接近で天気も更に崩れそうだし、特に行ってみたい場所も思いつかなかったので、今回はフィレンツェ繋がりで(京都と姉妹都市)、京都市役所前にあるというヴェロッキオのプッチーノ像(レプリカ)だけ確認して、後は、落ち着けるカフェにでも寄って早めに帰ろうと考えていた。

しかし、KIN13の朝「観音菩薩の化身とされるダライ・ラマ法王14世の誕生キンでもあるKIN14なら、西国三十三所観音霊場14番札所を訪れてみるのも良いかもしれない」と思いつき、調べてみると、大津の近くにある三井寺であることが判明。京都からもそう遠く無く、遅くならないうちに戻れそうだったので、その夜、ホテルに着いてから、三井寺天智天皇陵→京都市役所という大ざっぱな順路だけ考えて、眠りに就いた。

KIN14(G9/19)も予報は雨だったが、午後くらいまでは何とか持ちそうな気配だったので、まずJRで膳所駅まで行き、そこで京阪に乗り換えて三井寺駅へ行く事にした。新快速に乗った関係で大津のホームで一度降り、次の電車を待っていると「三井寺まで徒歩20分」という看板を発見。そんなに近いならと、膳所まで購入していたチケットは放棄して下車。
IMG_9256.jpg ★手前に13、左奥に14

歴史を振り返れば当たり前なのだが、大津は趣のある建物が多く、散策するのが楽しい街並。おまけに、数字のシンクロが凄い。これをやり始めるとキリが無いので、最近はなるべく数字を見ないようにしているのだが、見えてしまうものは仕方が無い。新しいウェイブスペルへの魔術飛行を示す13、14が同じ駐車場に止まっているかと思うと、その先には前日のKIN13に注目した725(時間をはずした日)。
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途中から琵琶湖疎水に沿って歩くも、三井寺の敷地が広過ぎて入口が分からず、最初に目に入った三尾神社に参拝する事からスタート。ご祭神を知らないまま参拝するのは、私にしては珍しいケースだが「まずはここから」というインスピレーションがあった。やたらと兎が目につくので、何か兎に関する神様かと思ったら、何とご祭神は伊弉諾尊。
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イザナギが降臨してこの地の地主神となったのが起源らしい。その神は常に赤・白・黒の腰帯をつけており、その姿が三つの尾をひくのに似ているところから三尾明神と呼ばれるようになったのだとか。腰帯は赤尾神、白尾神、黒尾神となり、最初の赤尾神が、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方角から三井寺山中に出現した関係で兎を神使とし、神紋が「真向きの兎」となったようである。

それにしても、赤、白、黒とは面白い。それぞれ古代マヤでは東、北、西に対応する色で、『ドリームスペル』においては、ちょうど東の「赤い城(52日間)」で最初の「赤いウェイブスペル(13日間)」が終わり、次の「白いウェイブスペル(13日間)」に入ったタイミング。しかも、スマホで調べてみると、何と住所は大津市園城寺町251。911のKINそのものだった!

ウサギは『13の月の暦』で12番目の月のトーテムアニマルなので、私はKIN12に何があったかを思い起こしていたが、後で確認してみると、NYで911を思い出させるような爆破事件(米国はどうしてもテロとは呼びたくないらしい)があったのが、まさにKIN12(G9/17)だった。また、先に記した通り、今年のG9/11はKIN6で、これは現在NYに滞在している安倍首相の誕生KINでもある…と思ったら、今日が首相の62才の誕生日!

安倍さんが初めて首相に就任した時(52才と5日)の事を『シンクロニック・ジャーニー』に書いていたのがきっかけで、偶々それを読まれた昭恵さん(首相夫人)とご縁が出来たのだが(その経緯は『マヤのリズム』『霊性のアート』に記してある)、その昭恵さんは、先刻、まさにNYのグラウンド・ゼロで献花された事をFBに投稿されていた。何と言うシンクロ率の高さだろうか。
14番 
話を大津に戻そう。神社を出て割とすぐの場所にあった受付で境内の巡り方に関するアドバイスを受け、まずは14番札所である観音堂へ。線香を5本供えてお参りした後におみくじを引くと、恵比寿さん付の9番大吉だった(これを書いている今は9週目で月日で「銀河の音3」が重なる(3×3=9)魔術の亀の日)。展望台から見渡せる琵琶湖の風景は素晴しく、無粋なビル群が邪魔をしていなければ、さぞ風光明媚であっただろうと往時を偲んだ。
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その後、三尾神社をコルラ(右繞)する形で三井寺境内を巡ったが、特に印象に残ったのは八角形の輪蔵を収納した一切経蔵、弁慶の引き摺り鐘、国宝の金堂に安置されていた尊星王像(頭に鹿が乗っていた)、ゴポゴポと音を立てて水が湧く場所を囲った閼伽井屋(あかいや)など。そもそも、三井寺というのは、天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられた霊泉「御井(みい)」に由来するもので、閼伽井屋はその泉の上に建てられている。
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三井寺の正式名が園城寺で大津市園城寺町246(123×2)にある事を認識したのは、お昼を食べている時だった。三井寺も三尾神社も郵便番号は同じ「520-0036」。520は『時間の法則の20の銘板』の制作部数で、16才の誕生日に高天原山に墜落した日航123便の犠牲者の数。36は、ホゼ(KIN11)とその母エセル(KIN241)の現在の「運命の道筋」であり、山岡鉄舟の誕生キン。この日(KIN14)がダライ・ラマ法王14世の114回目の銀河の誕生日でもあったと知ったのは、帰宅してからだった。
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大きな交差点にいきなり出現する不思議な浜大津駅から京阪に乗り山科へ移動。そこから徒歩で「天智天皇陵」へ。京都府道143号に面した参道の前で信号を待っていると、23の車が殆ど間をあけずに2台。国道23号は伊勢内宮に通じる道であり、KIN23は第266(=260+6)代ローマ教皇フランシスコの誕生キン。19日前に、教皇お膝元のヴァチカンでも23番のバスに連続で出会った事が思い出される。続いて331の車。これもダ・ヴィンチ空港に迎えに来た(&翌日全く別な場所で驚異的な再会もした)タクシーのナンバーだ。何か強力な時空の働きが関与しているのを感じる。
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何しろ、かつて「天武・持統合葬陵」を訪れた時は、ネットで調べる事さえ出来なくなってしまった場所(過去記事「天上の虹から書の魔法へ」参照)。天気も不安定だったので、現地で大嵐なんて事も無いとは言えない。しかし、今回は「三井寺の閼伽井屋を経由すれば問題無く訪れる事が出来る」という直感があって、当日になって訪問を決めた場所だった。長い参道を進むと、奥まったところで緑が濃くなり高い樹々が森のような領域を作っている。
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森の近くは物理的にも気温が下がるが、ここからは次元の異なる領域である事が肌で感じられる。さらに森の中の参道を進むと、白い玉砂利が敷き詰められた陵墓が見えて来た。天武・持統合葬陵と同じ八角墳らしいが、今は小山にしか見えない。幸い誰もいなかったので、自分なりの礼を尽くした儀式を行った。天真五相の「ア」の時に鳥が天空を横切り「ウン」の直後に風がサーッと吹き抜け、さらに、雲間から太陽も姿を見せてくれたので、私は「よろしい」という時空からのサインと受けとめた。この日、太陽が見えたのはこの瞬間だけだった。
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こういう体験に意味を持たせようと思えば、いくらでも持たせられるが、大事なのは、どういう動機や意図でその場に臨んだかだろう。帰り、参道の両脇にある琵琶湖疎水に沿って歩いていると43-43の車を発見。これは現在の「電気の月」の最初の3日間に対応するサイ時間(KIN43)だ。また、天皇陵の近くで目にした143、23、43は、いずれも「青い夜」のKINナンバーである。
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御陵駅から地下鉄に乗り京都市役所前へ。最初の目的だったヴェロッキオのプッチーノ像が見当たらず探していると、何と工事用の囲いの中にある。どうやら市役所の建て替え工事が始まるらしく、一緒に囲われてしまっていた。もとよりレプリカだし、既に大仕事を終えた気分でもあったので、「チラっとでも見られて良かった」という感じだったが、もしこの「イルカを持った天使」を一番の目的にしていたら、さぞガッカリした事だろう。
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いよいよ天気が怪しくなって来たので、そこから割と近くにあるカフェを調べ、フランス語で「5」を意味する「CINQ(サンク)」という店へ。三井寺でも5番目の月のトーテムである孔雀にに出会ったりしていたが、締めに「銀河の第五の力」を感じさせる五角形を目に出来たのは嬉しかった。ただ、市役所の掲示板にも大雨洪水注意報が出ていたので、今回はここで切り上げて早めに京都駅に向かう事にした。
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まだラッシュの時間には早いような気がするのだが、妙に人が多い。よく考えたら、この日は「敬老の日」で三連休の最終日だったのだ。そんな訳で、回数券で指定を取ろうとするも、目の前でどんどん希望の列車が埋まって行く。止む終えず1時間半以上先の48号を指定したが、台風も迫っているので、ホームに並んで2,3台やりすごし、座れそうな自由席で帰る事にした。結局、のぞみ40号1号車10番で帰路へ。

往路の201号11号車7番と合計すると241号12号車17番となる。時間魔術を遊ぶ私は、これをKIN241(4次元の時間)とG12/17(3次元の時間)に分けて見る。前者は自分の誕生キンで、後者はフランシスコ法王の誕生日である。ちなみに、フランシスコ法王は現在79才で、その法王が居るヴァチカンのピエタ像とシンクロした荒木先生は現在79銀河スピンだ。

そういえば、先のイタリア旅行で唯一雨が降ったのは、ヴァチカンに居た時だけ。もの凄い雷雨で、一時足止めをくらい、チャクラのあっちゃんとメッセージのやりとりをしていた。今回の大阪、京都は流石に傘が必要かもしれないと、折り畳み傘を携帯していたが、結局最後の最後まで一度もそれを開く機会は無かった。新横浜やあざみ野で乗り換えた時などは、ザーザー降っていたのにも関わらず、二子玉川に着くと止むのである(辺り一面ビショビショなので直前まで降っていたのだろう)。

15年というテーマもあって、出来ればKIN15のうちにUPしたいと思っていたが、昨夜は、剣武天真流蒼天道場の審査会などもあって、これだけの内容をまとめる余裕が無かった。何しろ、ちょっと書き始めると色々発見してしまって収拾がつかなくなるし、現象面もさらに加速して止まらなくなるのだ。昨夜、マンションの宅配ボックスに届いていたものを出そうとしたら、何と、その暗証番号まで「911」が指定されていた!しかもその内容は、10月末に行われる「時の魔法展」(広島100スピン&H・C41スピン記念)でホゼの作品展示に使う備品だった。

しかし、安倍昭恵さん(KIN223=2・夜)がグラウンド・ゼロに献花したのが分かったのは、今日KIN16になってからだったから、やはりこのブログを仕上げるのは今日で良かったのだろう。そして、一連の出来事は、やはり911と関係しており、その時空調整をするのにちょうど良いタイミングだったという事だろう。このブログを読んだ方がどう思うかは自由だが、少なくとも私は、そのように理解している。

難波津から伊勢に吹く「風」

2016年05月17日 00:25

スペクトルの月15日(G5/16)KIN148 黄色い倍音の星(by D)

先週、4日間(G5/10〜5/13)に渡って大阪国際会議場で行われた、ダライ・ラマ法王による入菩薩行論の法話と文殊菩薩の許可灌頂に参加して来た(全内容が動画公開されている)。この教えについての法王の解説を、マリア・リンチェンさんの同時通訳で聴けるというのは、それだけで大層贅沢な話なのだが、幸運なことに、他のいくつかの重要なイベントも関西で開催されていた関係で、今回、非常に貴重な「宝」を一気に受取ることになった。

その質と量が圧倒的なだけでなく、それらは互いに密接に響き合ってもいるので、何とか忘れないうちに流れだけでもメモしておきたいと思う。以下、ツォルキンの日付は、全て『13の月の暦(ドリームスペル)』に基づくものである。マヤ暦と(多分高い講座料を払って)ウソを教わってしまった人は『マヤのリズム』『霊性のアート 心の豊かさを育む技』などで、まずその「目的」と「使用法」の”根本的な違い”を知る事から始めると良いだろう。もちろん、銀河シンクロ教室を活用するのもひとつの手だ。

初日のKIN142(G5/10)は、9時半からの法話に間に合うよう、ほぼ始発に近い電車に乗り込み、のぞみ1号で新大阪へ。予報通り天気は崩れ気味だったが、一番展望の良いポイントで雲が途切れてくれて、珍しい傘雲を被った富士山を見る事が出来た。KIN142(12・風)は、『ドリームペル日本語版』を提唱者のホゼ・アグエイアス氏と共に伊勢内宮に奉納したKINでもあったので、調べてみたらツォルキンが17回巡ったタイミングだった。
IMG_7646.jpg ★ラピュタのような富士山

そういうタイミングにダライ・ラマ法王14世(KIN14) にお会い出来る、と思うだけで嬉しくなる。何故なら、太陽が観測史上最大のフレアを起こしたのは、ダライ・ラマ法王が伊勢の内宮を参拝された時だからだ(詳細は『シンクロニック・ジャーニー』に記してある)。会場に着くと、台湾やモンゴルからの人々の多さに圧倒される。昨年の昭和女子大での法話(灌頂)同様、灌頂がセットになっているから、という理由もあるのかもしれない。
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法王は常に、灌頂(加持)のような儀式よりも、仏法の本質を学び、日々実践することにこそ意味があると主張されているが、今回、改めてその事を強調されただけでなく、実際に灌頂パートを圧縮され、法話と質疑に時間を割かれたのは、加持目的の参加者が多い事を見抜かれていたからだろう。もちろん、私だって灌頂に関心が無い訳ではないが、参加動機の第一は、活きた説法の機微を体感する事にあった。それ故、法王のほぼ正面7列目(AG24)という席は最高に有難かった。

その後、「水晶の月」に暦クラスを開催予定のチャクラに向けて移動。大窓に引かれて立ち寄ったモトコーヒーの住所は2-1-1。KIN211(3・猿)は、12年前に二子玉川に引っ越した時のKINだが、このお店は二子玉に展開しているショップのグループ企業のようで、店内のチラシには知っている店ばかり並んでいた。チャクラでは思いがけず篠笛奏者の出口煌玲さんにも初めてお会い出来るなど、初日から密度の濃い時間が流れていた。

猿のウェイブスペルの最終日(KIN143)、サイ時間で「月の創世記」に入ったKIN209。法話の中で「ナーランダの十七人の成就者」について耳にした後、大阪市立美術館でKIN114(10・魔法使い)〜KIN154(11・魔法使い)に開催されている特別展「王羲之から空海へ」に向かった。王羲之の「十七帖」にシンクロを感じつつ、王献之、米フツ、蘇東坡、趙孟頫、董其昌、紀貫之、小野道風、一休、白隠、良寛ら、日中の超絶名人による真筆を心に焼き付ける。
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平日の閉館間際という事もあったのか、東京の空海展では人垣の間からチラっとしか見られなかった「聾瞽指帰」や「風信帖」も思いきり堪能。それにしても、よくもこれだけ集められたものだ。これだけの名筆の数々が、一堂に会する機会がこれから先あるのだろうか?と思うような充実ぶりだった。その後、かつてその近所に住んでいた玉出の「象屋」さんへ。達人が作るお好み焼きは、10年の時を経ても変わっておらず、やはり感動的だった。

『13の月の暦』365日暦の11/11は、260日暦ではKIN144(12×12)、12番目の「種のウェイブスペル」の始まりに当たっていた。開花と気付きの13日間に入菩薩行論を学び、文殊菩薩の灌頂を受けられるのはやはり嬉しい。法話の後、この日の夕食は大阪唯一のチベット料理店スノーライオンにしようという事になって、その場でリサーチ。住所からふと「もしかしてサムハラ神社も近いのでは?」と思って調べるとドンピシャリ!何と、神社から東に400mほど同じ道を行けばスノーライオンという位置関係。
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途中、カフェに立ち寄ったりしながら散歩しつつ南に進む。神社近くで12-12ナンバーの車(黒)が停車しているのを見かけ、直後に別な12-12ナンバーの車(白)が私達を抜き去って行くのを目にした。KIN144(12×12)に縁起がいいなと思いながら神社に到着すると、何と先の白い12-12ナンバーが神社の前に停車していて、私達が境内に入って行くと、お参りしていたその方が車に乗り込んで去って行ったのだった。保江先生の本で知って「いつか機会があれば」と思っていたが、このシンクロは、この日が「然るべき時」であったサインと読み取れる。
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だが、興味深いシンクロはまだ続いていた。天真書法塾シャンバラ教室を主宰しているLの誕生キン(KIN231)をサイ時間で見ると「12・12」。サムハラは、サンスクリット語のsaṃvara (サンバラ=仏の定めた戒律)から来ているなど諸説あるようだが、確かな事は分からない。「スノーライオン」で座った席のすぐ側に、販売用の仏像が並べられていて、文殊菩薩像の上にあまり見かけない像があったので説明を見たら、何とジャンバラ(宝蔵神)と書いてあった。サムハラ、シャンバラ、ジャンバラ。言霊的な共鳴が楽しく展開して行く。
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そもそもクリカやシャンバラという言葉は、カーラチャクラの教えに由来するものだが、このシンクロは、10年前(&14年前)にカーラチャクラ灌頂を授けて下さったダライ・ラマ法王から入菩薩行論の法話をお聞きした直後の出来事。日中、ブッダガヤやダラムサラの旅でご一緒したメンバー、剣武天真流の稽古仲間、ほびっと村の関係者など、懐かしい人々と再会した事がふと思い出されて、人の縁と時の巡りの妙なる働きに想いを馳せた。
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明けてKIN145(G5/13)、最終日のこの日は、少し早めにホテルを出て会場へ。エントランスで虹風さん(KIN16)がシンクロ合流し、その直後、同時通訳で大活躍されているマリアさんにもちょうど良いタイミングでお会いできて記念撮影。法王は、灌頂の時は必ず早めに会場で準備されるが、今回もやはりそうで、9時前に到着すると既に法座で瞑想をされていた。プログラムが始まる前のこのタイミングこそ珠玉の時間だと思う。

文殊菩薩の許可灌頂はウンと圧縮されたスタイルで終了し、午後の質疑応答も当初の予定より早く1時間で終了。無事、全てのプログラムが完了した。教えを説いて下さった法王と、ボランティアスタッフを始めとする運営者の皆様に心から感謝しつつ会場を後にした。偶然が重なり、ほぼ毎日のように顔を合わせていたIさんは、ブッダガヤの旅でご一緒したメンバーだが、帰りのバス乗り場でもまたお会いして、法王が初めて日本にいらした頃の様子を教えて下さった。

少し早く終わった事もあって、この日は神戸に行く事に。昨年、天真書法塾の宮野玄妙さんが個展を開いた時にLが訪れて感動したというベトナム料理店「鴻華園」へ行こうという事になった。三ノ宮に到着した時点で、まだ夕食には早かったので、生田神社、神戸ムスリムモスクと巡ってみた。モスクでは一人の若いムスリムがイスラームの思想を丁寧に説明してくれたが、空性について4日間聞き続けて来たばかりの私からすると、「その説明はどうなの?」という所もあった。

真の平和を目指すなら、どの宗教(あるいは無宗教)も普遍性のある部分を大切にし、違いのある所はそれを尊重して、それ以上は踏み込まない姿勢が必要なのかもしれない。鴻華園の料理は、噂に違わぬ美味しさだったが、一皿の量が結構多いので、あっという間に満腹に。どこかでお茶でもしてから帰ろうという事になって、写真で見当をつけ、カフェケシパールというお店に行ってみる事にした。これが実に素晴しいお店で色々とシンクロも発見。

まず、入口にはOpen13-20と書いてあり、中に入ると何とも静かで落ち着いた雰囲気で満たされている。案内してくれたスタッフが、「静かな雰囲気を大切にしているのでご理解下さい」みたいな事を伝えてくれて、メニューにもそういう主旨が書かれていた。ゆったりした空気が流れているこの感じは、「銀河連盟は静かにやってくる」というアグエイアス夫妻のメッセージを想起させる。チーズケーキとの”マリアージュ”というセットメニューを注文してみたのだが、これが絶品で、一口ごとに感動するレベル。コーヒーとの相性も良く考えられていて見事というより他ない。
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さらに、Lがスマホで調べて、この店が2011年4月29日(KIN126)、つまり、私達の結婚7周年記念の日、そしてダライ・ラマ法王が東日本大震災の49日法要を護国寺で行って下さったまさにその日にオープンした事を知った。殆ど写真だけで選んだというのに、何と言うシンクロぶりだろうか。しかも、何も知らずに”マリアージュ”まで注文。訪れたこの日は、ドリームスペルの数え方だとオープンしてから5年と14日目(法王はKIN14)のタイミングでもあった。

KIN146(G5/14)、4日間お世話になったホテルの609号室を早朝に出て、一路京都へ。429番のロッカーに荷を預けて、大徳寺聚光院に向かう。創建450年記念特別公開となっている狩野永徳の国宝障壁画、そして2013年に落慶した書院に奉納された千住博画伯(KIN169=13×13)の『滝』を見るべく、朝9時からの予約優先拝観を申込んでおいたのだ。予定より早く8:30頃には到着したので、大徳寺内を少し散策してみる。観光客の姿は殆どなく、美しい鶯の声があちこちから届くのを楽しんでいるうちに時間となった。

案内係の方に付いてひと部屋ずつ巡って行くと、国宝の本堂障壁画の中にも鶯が描かれていた。2000円の拝観料を取るだけあって、庭園も壁画も茶室も確かに素晴しかったが、私が最も驚いたのは、千住博氏の壁画『滝』が構想から完成まで16年を費やした大作であったという事と、その作品で囲まれた部屋に、山岡鉄舟(KIN36=6×6)の書作品「春風秋月恒好」が掲げられていた事だった(この作品をすぐに鉄舟と見抜いたLは流石だが、確かに鉄舟らしい名作だと思う)。

1月に大阪でホゼの生誕77周年に暦のクラスを開催した日が、鉄舟の誕生KINで、実際、色々なシンクロがあった事と、2013年まで16年を費やしたというその期間は、まさに『時間の法則の20の銘板』の実践期間と完全にシンクロするものだったからである。しかも、私は2013年の「銀河の同期」直後に剣武天真流の支部道場をスタートしているのだが、その道場名を「蒼天」にしたのは、千住博氏の本のP164に「蒼天」と記されていた事とも無関係ではないのだ(その理由はコチラ)。

修学旅行生でごったがえす京都駅から近鉄に乗り、大和八木で乗り換えて宇治山田へ。既に伊勢志摩サミットの準備で駅のロッカーは封鎖されており、少し離れた手荷物預かり所に荷を預けてから内宮(皇大神宮)に向かった。この日(G5/14)、皇大神宮では、午前9時から風日祈祭、正午から神御衣祭が行われていた。お天気にも恵まれ、気持ちの良い風が吹いていたが、思えば、難波津で空海の「風信帖」を見たり、風日祈祭の日に皇大神宮に居たりするというのは、ある意味タイムマシーンに乗っているみたいなもの、としみじみ思う。
IMG_7719.jpg  ★風日祈宮

どちらも1200〜1300年前から遥かな時を経て今に届いている情報や場なのだ。そう思うと、今、触れているこの「風」も、遥か昔からの何かを私達のもとへ運んで来てくれているのかもしれない、なんて考えてしまう。帰りに宇治橋から空を見上げると、太陽の周囲には虹の輪が出ていた。どうやら、今回のミッションも無事完了できたようである。
虹の輪 
名古屋まで近鉄で移動し、すぐさまのぞみ136号に乗り込んだ。14年前、オーストリア・グラーツでダライ・ラマ法王から受けたカーラチャクラ灌頂は、KIN136の満月に完了したから、今回の旅の締めに相応しい数字だ。帰宅後、秋篠宮家とローマ法王のシンクロを色々と発見してしまったが、これはまた別な話に繋がって行く流れを感じるので、今回の記録はここまでとしたい。

山岡鉄舟のパルサー爆弾

2016年01月27日 23:39

共振の月18日(G1/27)KIN39 青い宇宙の嵐(by D)

2016年に入ってから『山岡鉄舟』(大森曹玄著/春秋社)を読み始めた。剣・禅・書の達人として、また明治維新においても多大なる貢献をした人物として、おおよその事は知っていたが、その人物像を知れば知るほど「僅か130年ほど前に、こんな人が実際に居たのだなー」という驚きと共に、畏敬の念を抱かずにはいられなくなる。

G1/20(KIN32)、私達はKIN77の友人・白川貴子さん(『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』でご一緒させて頂いた達人翻訳家)と銀座三越で待ち合わせをし、北村公晴さん(KIN10)のアート&ジュエリー展に伺った。三越の真向かいにある「木村屋」の看板が、鉄舟揮毫の書だというのは有名な話だが、KIN32が皇居を向いて結跏趺坐の姿勢で亡くなった鉄舟の命日KINだという事を知っている人は、殆ど居ないだろう。

鉄舟の誕生と死の日付について改めて調べたのは、その10日前の共振の月1日、KIN22。『時空のサーファー』発刊記念20周年&KIN241月間始まりの日だった。この日『山岡鉄舟』のP102にあった表現に刺激を受けた私は、その日が銀河の母・ロイディーン(KIN22)の102回目の銀河の誕生日かつ新月であったことに気付き、次の満月がホゼの生誕77周年に当たるだけでなく、ちょうど鉄舟の誕生KINともシンクロする事を発見して興奮した。

鉄舟の誕生と死の日付は、以下の通りで、52才を目前にしてその激動の生涯を終えている。
1836年7月23日KIN36(10・戦士)
1888年7月19日KIN32(6・人)
加えて、書道では弘法大師流入木道52世を継いでいる。G暦昨年末、天真書法塾発表会に出した作品テーマが空海の言葉だった私にとってはこれも驚きだったが、『13の月の暦』で1年は52週間で、還暦は52才。KIN22に69才でこの世をを去ったデヴィッド・ボウイ(KIN55)と同じ「銀河マヤ人」の匂いがプンプンして来る。

さて、KIN32に銀座から戻った私は、翌KIN33に横浜ナディアで行われる暦のテーマ別クラス「中心数7と秘数33」のために、何となく『アルクトゥルス・プローブ』を手にした。そしてP18を開くと、青い手のウェイブスペル3(キン27〜39)が1992年7月14日〜26日の日付と共に13日分記されていた。当然、そこにはKIN33も含まれている訳だが、私の目はキン32(7/19)、キン36(7/23)の記述に惹き付けられていた。

あれ?この関係、最近、どこかで見たばかりのような・・・と『13の月の暦・手帳』をめくると、1ページ前(P121)に上記の鉄舟に関するメモがあった。何と、今過ごしているウェイブスペル(WS)の中に、鉄舟の誕生と死のキンだけでなく、誕生日と命日も含まれているではないか!という事は、1992年は鉄舟の誕生から156(52×3)年後、死から104(52×2)年後だったという事になる。

ホゼとロイディーンが出した『13の月の動き(13 MOONS IN MOTION)』の「アルクトゥルスの天文暦」には、104年という単位に「アルクトゥリアン・コーラスあるいは銀河オクターブ」という名前がつけられていて、それが65金星会合周期に対応する等の説明が短くされている。ところで、何故『アルクトゥルス・プローブ』では1992年7月のタイミングが取り上げられていたのだろうか。ちょっと長くなるが、要点を以下に抜粋してみよう。


”銀河の指令計画の最初の段階は、放射状母体と4次元の時間という優れたリアリティを持つ『ドリームスペル』の力を導入することで、人類の知的な過ちを修正することである。(中略)放射状母体を通して4次元的に機能する力は、最も有毒な人類の実験の否定的な効力を反転させる形で喚起できるのだ。では、どのようにしてだろうか?「人の反作用パルサー爆弾」の創造と実行を通してである。”

”「人の反作用パルサー爆弾」を創造するにあたっては、13の音程のウェイブスペル全体が確実に活性化されなければならない。活性化されるべき重大なウェイブスペルは、〈青い手〉のウェイブスペル3(キン27〜キン39)で、それは「達成」の力を持っている。(中略)手、7番目の紋章は、「銀河の」地球の力をしるすものである。(中略)このウェイブスペルの13番目で最後の位置は、〈キン39、青い宇宙の嵐〉すなわちタイムシフトであり、グレゴリオ暦の1992年7月26日の日曜日に対応する。”

”「人のパルサー爆弾」の活性化を通して、核時代の魔神全体が科学物質主義という瓶の中に戻されうる。(中略)意識的に方向づけられた4次元の力は、3次元の幻想のリアリティを転移させ、3次元的な幻想の効力は無効になる。(中略)転移されるべき3次元的な幻想は、放射能や放射性の火傷などである。(中略)「人のパルサー爆弾」の誤用はできない。すべての4次元的な機能が備えている安全装置は、「キンの法則」である。4次元では、他者に対して支配権を握るようなことはないのだ。”

(以上、『アルクトゥルス・プローブ』序文より)


7と33について話すために開いた本の中に、青い手(紋章コード番号7)のKIN27から始まりKIN33が含まれているウェイブスペルについて記されており、しかも、山岡鉄舟に注目しているタイミングで、その生死に関わる全ての日付(365日暦&260日暦)がそこに含まれていた事に、私は衝撃を受けずにはいられなかった。鉄舟と言えば「江戸無血開城」の立役者である。まさに、その存在自体が(危機的状況を反転させる)「人のパルサー爆弾」そのものである事が、このシンクロを通じて示されていると言えよう。

KIN33の横浜ナディア、KIN36の大阪チャクラの各クラスに参加された方々、そしてこのブログを目にされた方々の全ては、それが自覚的なものであれ、無自覚的なものであれ「人のパルサー爆弾」の活性化に貢献している。どのクラスも書ききれない程のシンクロに満ちていたが、そこに触れると収拾がつかなくなるので、ここでは鉄舟とホゼにまつわる情報に絞って、あと少しだけ整理しておこう。
チャクラ ★アグエイアス夫妻から高橋夫妻と継承されて来た「レーリヒ平和の旗」

大阪チャクラで「惑星意識と繋がる共振テクノロジー」を開催したG1/24は、ホゼ(KIN11)の生誕77周年&その母エセル(KIN241)の生誕107周年の記念日で、『天上の虹』でシンクロしまくった里中満智子さん(KIN176)の68才の誕生日でもあった。それが、山岡鉄舟の252回目の銀河の誕生日(KIN36)とシンクロするというのだから、これは驚きでしかない。何故なら「252=11+241」で、この関係性に気付くのが昨年以前でも、来年以降でも面白くは無いからだ。

しかも、このブログを書いている今日は、マヤ遺跡にも残っている古代のツォルキンで「5エブ」、『ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンの数え方に対応させるとKIN252になるのだ!(今朝、気付いた)。念のため書いておくと、1〜260の通し番号を付けてKIN○○という言い方をするようになったのは、『ドリームスペル』(1990年)が登場してからで、古代マヤの碑文や絵文書には、そういう表現は無いし、ホゼも『マヤン・ファクター』(1987年)の時点では、そのような書き方はしていない。

さらに驚くべきは、大阪の参加者の中に、現在の「運命の道筋」が、KIN11とKIN241の方がいらしたという事実だ。また、現在読み進めている『二つの世界を生きて』という本のP252に、609という数字が出て来た事と、ボウイが69才の誕生日(KIN20)に『ブラックスター』というアルバムを発表した事、そして「碑銘の神殿」の中央階段が69段で、易においては6が「陰」、9が「陽」を示すことはメモしておきたい。

また、ボウイが他界したKIN22(新月)の時点で私が気付いていたのは、KIN36(満月)の会場となるチャクラさんの住所が「菅原町6-12」で「6・12」=「6・人」=KIN32 だという事。つまり、1年のど真ん中に大阪で行われたスペシャルイベントは、時間(日付)的には鉄舟の誕生KINと、空間(住所)的には鉄舟の死亡KINとシンクロする事が分かったのだ。この関係はチャクラさんが引っ越しをせず、行政による住所の割当方も変わらず、『13の月の暦』を数え続ける人がいるという条件が保持された上で、52年に一度しか巡って来ない。

つまり、「江戸無血開城」を成した「人パルサー爆弾」の鉄舟と、時空を通じて同期できる事が『ドリームスペル』を通じて見出せるのは、今生では多分今回のこの1回しか無かったという事だ。大雪予報と交通麻痺の危機を切り抜けて参加された皆さんの決意は、もしかしたら鉄舟と共振していたのかもしれない。何しろ、暴風雪が予報されていた九州からの参加者3名を含む参加予定者全員が、一人も欠けること無く揃ったのだから奇跡的と言って良いだろう。
富士山川 ★全国的に雪の予報が出ていた1/24朝の富士山。のぞみからiPhoneで撮影。

尚、G1/24(共振の月15日)は、27(3×3×3)週目の初日で、KIN27(3×3×3)から始まった3番目のWSの「現れを仕上げる」10日目と同期していただけでなく、サイ時間単位はKIN131で、現在の私の「運命の道筋」とも同期していた。ダライ・ラマ法王14世(KIN14)による27回目のカーラ・チャクラ灌頂をきっかけにスタートした「時間芸術学校クリカ」は、KIN131の宮沢賢治による農民芸術概論に刺激を受けて命名したものであることは、過去に何度か書いた通りである。

また、現在の「共振の月」が、『時間の法則の20の銘板』の見方でKIN241に対応している事、ホゼのチベット仏教の師であったC・T・ムクポことチョッギャム・トゥルンパ(KIN37)が、2日前にちょうど生誕108(27×4)銀河スピンを完了したタイミングで(という事は同い年だったホゼも現在108スピン完了状態)、その108日後のKIN145に、チャクラと同じ大川(旧淀川)沿いの国際会議場で文殊菩薩の許可灌頂を、ダライ・ラマ法王が執り行われるということまでは、どうしてもメモしておきたい。

そして、今日KIN39(※)は、1992年7月26日(タイムシフト)=「人のパルサー爆弾」活性化期間の最終日から、ぴったり33銀河スピン(260×33)目にあたる。何とか、今日中にここまでまとめられてホッとしているが、最後に、もうひとつだけ鉄舟に関する不思議な縁を書いておこう。

私が、『13の月の暦』に出会ったのは1996年、その2年後に宇宙の暦は13ヵ月を出版する機会に恵まれた訳だが、暦を実際に使い始めてたかだが2年足らずで、本を書いた経験も全く無い素人がいきなり入門書を書くことが出来たのは、この暦の土台になっているフラクタルという概念について、多少なりとも聞きかじっていた事が大きいと思う。

たまたま大学でフラクタルを扱っていた研究室があって、幸い希望通りそこに入ることが出来たのだが、指導教官のH先生の私生活について知る機会は殆ど無いまま卒業を迎えた。その後も、年賀状のやりとりだけはさせて頂いてたのだが、ある時からご住所に「一九会」という文字が入るようになった。何だろう?と思ってネットで調べてみたら山岡鉄舟晩年の弟子、小倉鉄樹氏が関与する形で始まった禊・禅道場の名であった。

それを知った当初も大層驚いたものだったが、今回、改めて鉄舟を調べる中で、「一九会」が鉄舟の命日である7/19にちなんで付けられたものだったと(確か合気道の多田宏先生のサイトで)知って、再度驚かされた。そして、あの西郷南洲に「生命も名も金もいらぬ人は、始末に困る」とその無我無私ぶりを讃えられた人物と、「共振の月」の中心で激しく共振した意味を、今、改めてかみしめている。私達も無私の精神を忘れなければ、「人のパルサー爆弾」をもっと活性化できるのではないだろうか。


(※)このブログをUPした直後に気付いたのは、今日がモーツァルト(KIN39)の生誕260周年記念かつ365銀河スピン記念であったということ。また、大阪のクラスには「赤い竜」だけで3-7-11の感覚パルサーが、「青い夜」だけで4-8の心のパルサーが揃うという奇跡的な組み合わせで、パルサー爆弾が構築されていたことを思い出した。



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