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春分の大倉山円卓座談会と「三種の神器」

2014年03月26日 01:09

■太陽の月19日(G3/25)KIN146 白い電気の世界の橋渡し(byD)

『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンで「3・橋渡し」(惑星ホロンは日本のエリアに対応)の今日、三重県・伊勢神宮に<三種の神器>が20年ぶりに集まることをニュースで知った。『ドリームスペル』(「13の月の暦」の源の箱形キット)日本語版を、ホゼ・アグエイアス氏らと共に内宮で奉納したのは2004年3月31日なので、ほぼぴったり10年。

当時の様子は『シンクロニック・ジャーニー』に詳しく記したが、確かKIN141か142だったはずと思って確認すると、やはりKIN142(12・風)。先の春分の日と同じKINだ。一体何回ツォルキンが巡ったのかと計算してみると14回。2014年春分が『ドリームスペル』奉納から14銀河スピンだということを、伊勢に<三種の神器>が集まるタイミングで知ったことに美しさを感じる。

他にも沢山のシンクロに気付いたが、上記の繋がりに注目して、今日は春分の日のことを少し整理しておこうと思う。ペルシア(イラン)で新年が祝われ、マヤ遺跡チチェン・イツァのピラミッドにククルカンが降臨したその日、大倉山記念館で「水と自然の不思議について語る円卓座談会」が行われた(当日の様子はコチラ)。
大倉山 
主催は、シャンバラ教室生の尾崎浩子さん(KIN78)。きっかけは、今年の1/13(KIN75)に行われた「シンクロ旅行術」にあった。終了後、尾崎さんが「少し前に記念館の使用登録をしたので、何かイベントとかやる時は言って下さい」と言うので、「そこは『霊性のアート』で色々と協力してもらった佐藤君の近所だから、円卓読書会のスペシャルバージョンとかやれたらいいですね」と答えた。

すると、尾崎さんは「それ、やりましょう!」と即反応。以前の「ドリームバンク」(夢の種を開花させるワークショップ)で、「講演会のようなイベントの企画開催」と書いていた夢が、思いがけない形で早速叶いそうになって興奮したらしい。確かに、具体的な企画を考えていた訳でもなく、佐藤君が近所に住んでいることも知らなかったら、そういう感じになるかもしれない。
円卓 
映画やドラマのロケにもよく使われるという第5集会室には、まるでしつらえたように円卓がある。春分ならまだそこが空いているということで、日時と会場が決まった。ちなみに、尾崎さんが登録された団体名には、369という天照大神の数霊が含まれている。ドリームスペルの伊勢奉納から正確に14スピンのタイミングに、369の団体名で第5集会室を借りられたのも、銀河の五度和音を奏でる目的で地球にもたらされたドリームスペルの力が、どこかで働いたからなのかもしれない。

しかも、今年の春分は『ドリームスペル(13の月の暦)』において「協力/捧げる/普遍化する」「スピリット/伝える/呼吸」のキーワードを持つ「白い水晶の風」の日。私の現在の道筋が「赤い水晶の竜」であることも踏まえると、まさに「結晶」について語るのに相応しい「水晶の円卓の日」(ウェイブスペルの12番目の日)だと言える。

ところで、先に書いた佐藤君こと佐藤誠哉氏は、『水からの伝言』(著者の江本勝氏と共に世界的に知られる写真集)に掲載されている大半の写真を撮影し、結晶実験に多大なる貢献をした人物で、『霊性のアート』では結晶のことだけでなく、ものごとの本質に迫る幅広い話題で協力してもらっている。本の中同様、ここでは慣れ親しんだ呼び方である佐藤君で通させてもらうが、彼の仕事ぶりや生き様を知ると、気軽に「くん」なんて呼べなくなりそうなくらいの大魔法使いであり、達人である。
マサヤ 
今回の座談会でも、拙著に紹介しきれていない結晶実験の細かな背景から(愛・感謝の結晶は、どういう経緯で撮影されたかとか)、虫とのコミュニケーションや夢と現実との繋がり等に至るまで、驚くべき事例をいくつもシェアしてくれた。クモとのコンタクトや、夢で観た安土城の話(信長も登場)には誰もが驚かされたが、一番驚いていたのは私かもしれない。何しろ、ちょうど佐藤君がその夢を見た頃、思いがけないシンクロに導かれて実際に安土の地に足を運んでいたからである(「聖徳太子の光る岩とかぐや姫の竹林」参照)。

加えて、当日参加してくれていた天真書法塾虹風教室の本田虹風さんは、お正月に池袋西武で行われていた寿三郎人形展の本能寺のシーン(メインは信長の人形)に、書で参加協力もしている。私達は、信長からのサインを、それぞれ同じころに別な形で受け取っていたのかもしれない。だが、夢の話については、運慶、快慶の話も実に興味深く、Lは独自の感性で受け止めつつ「きっとそうだったと思う」と深く納得していた。

また、座談会形式で行ったことで、参加者の皆さんからも様々な体験がシェアされ、予定していた3時間はあっという間に過ぎてしまった。改めてはっきりしたのは、人が古代から当たり前に使って来た夢見の力や、自然とのコミュニケーション能力というものを正面から扱う事で初めて、結晶実験の場で起きたことの本質に一歩踏み込んで行ける、ということだった。その部分を排除して臨む現代科学の手法では、インチキというレッテルを貼って片付けておくしか無くなってしまうのだと思う。

それにしても、今回は会場そのものにも大いに驚かされた。その重厚なデザインだけでなく、背景そのものが驚きだった。そもそも、大倉山という駅は、そういう山があったからだと思っていたら、そうではなくて、この記念館の前身とも言える大倉精神文化研究所に由来することを、今回初めて知った。しかもそれは、東洋大学の学長等も歴任された大倉邦彦氏という個人によって設立されたものなのだ。つまり、大倉山駅の大倉とは、大倉邦彦氏に由来するものだったのだ。長年、横浜市民だったにも関わらず、全く知らなかった。

そして、その大倉氏は、近所に住む佐藤くんと同じ佐賀の出身。1882年4月9日生まれのKIN81(3・竜)で、1971年7月25日(KIN173)に89才で他界している。九品仏でお昼を食べてから会場入りし、終了後は九段下に向かった私からすると81(9×9)も面白いと思えたが、安土を訪れたのが、ホゼの命日KINでもあるKIN89だったことともシンクロしているように思えてならなかった。

しかも、この大倉氏、かなり誕生日に拘っている人で、48才の誕生日(KIN181)に研究所の発展と根本理念を永久に留めるために鎮礎式を行い、何と、以下の事が碑面に刻まれた「留魂碑」というものを、本館中央地下約9mに埋めたらしい。まるで伊勢の「心の御柱」のようではないか。
一、人が人として宇宙人生の正法に安住せん事を念願す
一、人が国民として天孫中心の君国を永遠ならしめん事を念願す
一、人が業人として自他の存続発展を基調とせん事を念願す
一、一国思想の源泉は宗教と教育にありと信じ是を建立す
ちなみに、KIN181は今現在の私の「運命の道筋」であり、本日のサイ時間単位でもある。G暦的には日付が変わってしまったが、私としては何としても今日、この稿を書き上げねばならないという気持ちだった。

そして、この大倉山精神文化研究所は、大倉邦彦氏50才の誕生日である1932年4月9日(KIN131)に竣工し、研究所もその日に開所している。今回の円卓座談会は、精神文化の本質に触れるような内容だったと思うが、まさにそのKIN131(1・猿)から始まるウェイブスペル(13日間)の12日目「水晶の日」に開催された。また、この建物は大きく5つの棟から成っていて、私達が使わせてもらった第5集会室は、「知性・教養」を表す西館で、当時、応接室・貴賓室として使われていたようである。

尾崎さんの願いと、佐藤君の縁、そして大倉邦彦氏の信念の力に引き寄せられて、今回の円卓座談会は、このタイミングにこの場所で開かれたのだと感じる。もちろん、留魂碑と私がKIN181を通じて共鳴したということもあるだろう。私は、こういう現象と結晶写真の生まれる背景には、共通した要素があると強く感じている。

が、最後にもう1つ、ビックリ!なことに気付いてしまった。実は座談会の中で、1月に他界された船井幸雄氏がかなり話題に登っていた。「船井氏が気を入れた水道水」というのは、水道水のポテンシャルを遥かに越えた変化を実際に見せていたからだ。それで、気になったLは、船井氏の他界した日を座談会中に調べていた。その1/19は、何と大倉氏の誕生KINと同じKIN81だった!しかも81才での逝去。

さらに、私は驚くべき事に、今、気付いてしまった。『霊性のアート』には、安倍昭恵現首相夫人が剣山に登られたエピソードを紹介しているが、その日付もKIN81(3・竜)で、その時、一緒に登山した5名のメンバーの一人は、何と船井氏の後を継がれている船井勝仁氏だったのだ!

ここから先は是非『霊性のアート』を入手して、P137を熟読して頂きたいのだが、その剣山には第81代安徳天皇が(実は生き延びて)<三種の神器>を隠したという伝説がある、ということを記しているのだ。これで、今日どうしても書かねば、という気持ちになった謎が解けた気がする。単にKIN181(12・竜)の共鳴だけでなく、大倉氏ー船井氏ー剣山のKIN81(3・竜)シンクロについて、KIN241(7・竜)の私が記録しておかないといけないタイミングだったのだろう。これで今晩はゆっくり眠れそうである。
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阿弥陀仏の夢の場

2013年03月21日 01:16

太陽の月14日(G3/20)KIN36 黄色い惑星の戦士(by D)

ユカタン半島のチチェン・イツァ遺跡で、ククルカン(羽毛の生えた蛇)が降臨する春分の今日、ちょうど前回の秋分から半年ぶりのドリームバンクが開催された。会場は、東急大井町線九品仏駅から徒歩5分の浄真寺前。ここ数日の急激な温度上昇で参道の桜はもう咲き始めていて、木蓮は満開だった。
九品仏浄真寺 
定員16名の最後の席が埋まったのは今日の午前9:11。申込みだけでなく会場への到着も16人目となったその方の銀河の署名は「黄色い銀河の種」。つまり「銀河の同期」そのものであるKIN164!前ローマ法王ベネディクト16世が退位したG2/28は、KIN16(&立方体も16の位置)で、サイ時間単位はKIN164だったから、実は16番目というのも完璧なのだ。

今回のテーマが「達成」となったのは、「銀河の同期」前にとしてはおそらくラストのドリームバンクになるということと、告知した日(KIN10)も当日(KIN36)も共に現れを仕上げる音「10」の日で、特に当日は「熟成」の黄色の日でもあったから。しかし、KIN16(PCU164)が「コドン63/達成」の週の初日だったことが、16人目の登場の仕方によって明らかになり、Lがインスピレーションで付けた「達成」がこの上なくピッタリだったことが証明された。

会場間近の浄真寺では、春分大法会ということで「南無阿弥陀仏」の念仏が唱えられていた。最近、明治大学の金山秋男先生が現代語訳された『歎異抄』を読み終えた所だったので、普段より阿弥陀仏への親近感が増していたのだが、開始前に九品仏の由来が「9体の阿弥陀如来像」にあることを再確認し、色々とシンクロを感じる。

まず『13の月の暦』では、現在「9」番目の「太陽の月」であり、『時間の法則の20の銘板』では、KIN204「9・種」に対応すること。それがシャンバラを探し求めてヒマラヤやチベットを旅したロシアの画家にして探検家、ニコライ・レーリヒの誕生KINであること。

もう1つは、今日のサイ時間単位KIN175が、そのレーリヒが最晩年を過ごしたヒマラヤのクルー渓谷の家から、ツォペマ(=レワルサル湖)に移動する時にチャーターしていた車のナンバーだったこと。加えて、レーリヒ・ギャラリーとホテルレワルサルの住所にもその175という数が入っていたこと。

ツォペマ(蓮華湖)は、チベット仏教のスーパースター、パドマサンバヴァ(蓮華生)に由来する聖地だ。阿弥陀仏の舌から一筋の赤い光が発せられ、流れ星のように湖に落ちて行って、そこから生えた蓮の上に座っていた童子がパドマサンバヴァだったという伝説がある。そして阿弥陀仏とはアミターバ(無量光仏=無限の光をもつもの)を漢訳したものであるから、「太陽(9)」と重ねて見る事も出来る。

レーリヒとツォペマに関する記述は、『シンクロニック・ジャーニー』のP142にあるが、今日の16名の中にはそのKIN142の方もいらした。他に『ドリームスペル(13の月の暦)』提唱者のホゼ(KIN11)とロイディーン(KIN22)も(何故かどちらも丸という漢字が入る方)、ベネディクト16世が退位した日付KIN16の方も、パレンケのパカル王の墓室が開いた日付KIN218の方もいらした。そこにKIN164の方が加わったのだから、その4次元的な密度は大変なものだった。

恒例のおやつタイムは、木村屋の「さくらあんぱん」。チョイスの理由は今日が山岡鉄舟の248(62×4)回目の銀河の誕生日だったから。鉄舟は、毎日食べるほど木村屋のあんぱんが大好物で、今も使われている木村屋の看板文字は鉄舟の揮毫によるもの。剣の達人として春風館道場を開いていた方でもあるから、春分という日にもふさわしい。

1836年7月23日(KIN36)に生まれて1888年7月19日(KIN32)に皇居に向かって結跏趺坐の姿勢のまま亡くなったという鉄舟は、カレンダーラウンドの52才–4日の濃密な人生を送った偉人だった。『ドリームスペル』プレイヤーなら、浄真寺の参道横に32ナンバーの車が止まっていたことからも色々と読み取れるだろう。

京都に越したばかりのサフィさんが配って下さったお菓子には、宇治「蓮華」の住所があったり、「9・風」の方に頂いたマジックフルーツというスリランカ(光り輝く島!)の紅茶には、何故かロシア語が書いてあったり(レーリヒや隕石繋がり)、前後の話だけでこれだけシンクロ率が高いのだから、隕石、彗星、ローマ法王、311等に絡むメインの話はとてもここには書ききれない。

こうして、可能な限りブログやツイッターにも記録してはいるが、あまりに加速が激しく書き漏れることの方がどんどん多くなっているので、この時の流れを体感してみたい方(そして実際にそういう場に同期してみたい方)は、直接その「場」に触れに来てみて欲しい。銀河シンクロ教室、「銀河の花祭りin大阪」、ナディアでのクラスは、それぞれ切り口やテーマが異なるが、シンクロ場に身を浸すという面では同じである。

「場」で伝わるものは言語や文字で伝わるものを圧倒的に凌駕する。「頭を使ってお勉強」というスタイルでは10年かかっても本質に至らない可能性が高い上、「銀河の同期」は目前に迫っている。身体の叡智にスイッチを入れてしまう方がずっと早い、というのが私の意見だ。これは16年間の実験と注意深い観察から得られた結論なので、そう大きく間違ってはいないと思う。

思い返せば、「ドリームバンク」のアイディアは、数年前に、かつて九品仏駅前にあったツチオーネという自然食レストラン(大地を守る会が経営)の中でランチ中に生まれたもの。その時、土(大地、地球)に植えたアイディアの種が開花し、順調に育って、今日のドリームバンク(夢の場)が構築されて来たのだ。「銀河の同期」前最後の春分ドリームバンクがこの場所になったのも、阿弥陀仏の結んでくれたご縁なのかもしれない。

ビセンテ・アミーゴの夢

2012年03月26日 05:12

太陽の月19日 (G3/25)KIN196  黄色い磁気の戦士(byD)

数年前から注目しているフラメンコギターの妙手、ビセンテ・アミーゴ。KIN168(G2/25)に来日情報を知り、その日のうちにすみだトリフォニーホールでKIN187(G3/16)に行われるコンサートのチケットをゲット(例のごとくLの早業による)。ブルーノートでのチケットは既にその時点で完売だったし、そもそもKIN188は、関西での『ドリームスペル』配布勉強会(時間船乗船会)が決まっていて、その翌日(ブルーノート当日)もまだ関西だったので、仮に席が残っていても行く事は出来なかった。

しかも、今回は、『Paseo de Gracia』というアルバムを引っさげての来日とのこと。半年前に訪れたバルセロナの中でも、特にお気に入りのエリアとなったのが「グラシア通り」。そのまんまのタイトルというだけでも嬉しいビックリだが、来日を知った日の朝に、「グラマラスなバルセロナ」というブログをUPしていたのだから驚かずにはいられない。

しかし、アミーゴの銀河の署名が「青い銀河の猿(KIN151)」と知って思わず納得してしまった。何故なら、『ドリームスペル日本語版(第2版)』の申込受付は、銀河の月2日のKIN151、まさにアミーゴの誕生KINである魔術の亀の日の満月から始まったのだ。シンクロニシティを日常化する次元間装置とも言える『ドリームスペル』とこれだけ直結しているのだから、アルバム名も来日のタイミングも完璧なのはむしろ自然なことだ。

しかし、その後の展開は、さらに想像を超えたものだった。とても全部は書ききれないので、要点だけかいつまんで整理しておこう。チケット申込と殆ど同時にアマゾンで申込んだ『Paseo de Gracia』。英語版だったせいか、なかなか届かず、手元に届いたのはコンサートの4日前のKIN183(G3/12)だった。だが、青い夜空に満月がぽっかり浮かぶCDジャケットは、アミーゴの誕生KIN、そして「青い夜」のウエィブスペルの始まりに、これ以上無いくらいふさわしいものだった。

加えて、そこから1銀河スピン(260日)前のKIN183は、グラシア通りにもカサ・バトリョやカサ・ミラなどの名作を残したガウディの誕生日だった。ちなみに、私の誕生KINをキチェ・マヤのツォルキンで導くと1アクバル(13の月の暦的に表現すればKIN183)となる。この日(3/12)、ふとドリームスペルに他の用語を交えてググってみたら、面識のあるY氏のブログがヒットした。

Y氏は古くからの暦ユーザーで、私が知る数少ない達人レベルの時空のサーファーなのだが、ヒットしたその記事にも驚くべきことが書かれていた。何と六甲山トンネルが、1967年3月25日(KIN151)、つまりアミーゴの誕生日に開通したと記されていたのだ。CDが届いたその日に、ドリームスペルに関連した検索で見つけた記事のラストにこのことを見つけた時、やはりアミーゴ(そしてバルセロナやスペイン)は、『ドリームスペル』と完全に共鳴していると私は感じた。

実は、ここには書けないもっと強烈なシンクロがあったせいで、私はついに、原則こちらからはしないことにしていた友達リクエストをFBですることにした。おかげで、翌KIN184(G3/13)に、Y氏がこんなことを教えてくれた。私達が最初に出会ったのは、ホゼが伊勢内宮のご神域で行った講演会(ホゼはこの講演会を生涯最高の出来だったと当時私達に語った)でのことで、それは、2004年3月30日=KIN141(11・竜)、超新星1987Aが発見された1987年2月23日(皇太子さま27才の誕生日)ともシンクロするKINだったらしい。

そこで自分の手帳を調べてみると確かにその日は講演会で、翌日には『ドリームスペル日本語版(第1版)』を、ホゼ、ステファニーと共に、内宮に奉納したとある。これを思い出した3/13(KIN184)は、33週の7日目で、33×7=231(今の私の道筋)であることや、260までの数の中に33の倍数は7つしかないことにも気付かされた。同時に、私の中学時代の陸上部の先輩が、第66回箱根駅伝で(その1回のみ出場)、柏原(KIN231)と同じ5区を同じ東洋大の先輩として走っていたことを知った。さらに、柏原が1年の時に東洋大が総合優勝を果たすまでに、敗れ去った660名がいるというサイトまで見つけてしまったから、さすがに常時シンクロ状態の私もぞっとした。

何しろ、その前日(KIN183=アルバムが届いた日)、私はKIN66の友人に、特例的にドリームスペルの個人レクチャーをしていたのだ。また、『ドリームスペル日本語版(第2版)』は3300部制作された。ツォルキンの中央は調波33であり、サグラダファミリアの受難の門にある魔方陣の各列合計は33だ。そして、バルセロナは3で出来ていると、中沢新一(3・犬)の『バルセロナ、秘数3』には書いてある。

そして3日後のKIN187(G3/16)、ついにトリフォニー(3つの音が響く)ホールで、アミーゴの生演奏を耳にした。メンバーはアミーゴを含む6名だったが、それはそれは見事な掛け合いをする素晴しいチームで、アミーゴの魔術的な演奏を引き立てながらも、完全にひとつになって会場にうねりを生み出していた。あのリズムのズレと調和感は、まさに「13の月の暦」で生活をする中で感じるものと同じ印象だった。ちなみに、この日のサイ時間単位は、昨年バルセロナの波が唐突にやってきたKIN170(1・犬)。

ところで、この日コンサートに出かける前、私は長いあいだ見失っていた大事なスケッチ(テルマ)を、思いがけないところで(テルトンのごとく)発見した。そこにはパレンケの碑銘の神殿に関する細かなスケッチ、そしてチチェン・イツァで体験した小さな冒険のあらすじと、その時、見上げた夜空の星の配置が描かれていた。日付は1999年4月14日→KIN151(アミーゴ!)だった!そして、ホゼの命日まで7日のタイミングで見つかったこのメモには、その晩、流れ星を7つ見たとも書かれていた。どこから見ても、アミーゴは「13の月の暦」と結びついている。

その演奏があまりに素晴しくて、翌朝(KIN188)、大阪に向かう新幹線でもひたすらアルバムを聴き続けていたが、中でも私が気に入っているのは、全9曲の中のラストを飾る「La Estrella (スター)」。「13の月の暦」で9番目の「太陽の月」、そして「星の日」にピッタリの曲だ。ちょうど大阪に到着した頃、Lが7年前の「音の瞬間」(これはひとつ前のアルバムの名前でもある)に関するインタビュー記事を見つけてツイートしてくれていた。そこに書かれている内容は、まさしく「時」と「音」に関する本質である。おそらくアミーゴなら、瞬時に「ドリームスペル」の世界を理解するだろう。

そしてこの記事を書き始めた今日(もう昨夜という感じだが…)が、アミーゴの45才の誕生日。そして六甲山トンネル開通45周年だ。年齢が5の倍数の時には、誕生KINと誕生日がちょうど年齢分離れるという法則があるので、ドリームスペルの受付が開始されたKIN151から、ちょうど45日が経過したことになる。平清盛で、鳥羽上皇の妻たま子が45才で他界したシーンが放映されたのも偶然ではないのかもしれない。というか、私がそれを見たのは偶然ではない。

今日のサイ時間単位KIN181(赤い水晶の竜)は、大阪のドリームスペル配布会で久しぶりに再会したアーティストMさんのKINであり、私の2013年の運命の道筋でもある。そして六甲山トンネルは、水晶山という山の辺りをつっきるトンネルであることを今日知った。最後にひとつ加えておきたいのが、昨日(KIN195)、剣武天真流の稽古仲間のSさんから頂いたスペイン土産の美しいタイルのこと。それはアミーゴの出身地、アンダルシアのものだった。

青い夜のウェイブスペルの始まり(磁気の門)にアルバムが届き、終わり(宇宙の門)に出身地のタイルが届く。こういうことのひとつひとつが美しい。真の時間からやって来るものは全て美しいのだ。


追記:スペイン語にも堪能なSさんは、「アルハンブラ宮殿があるグラナダの焼き物は、ブルーとグリーンが基調になっているのが特徴で、スペイン語で青はazulと言いますが、タイルを意味する言葉はazulejo, 面白いですね」と教えて下さった。ちなみにアルバム『Paseo de Gracia』の4曲目はazules y corinto(青と栗色)。そして、アミーゴ45才の運命の道筋「1・戦士」で、その惑星ホロンはまさにイベリア半島を包み込む。

春分の蛇

2009年03月21日 00:51

太陽の月14日 (G3/20)  KIN136 黄色い律動の戦士 (by D)

春分の今日は、チチェン・イツァのピラミッドにククルカン(羽毛の生えた蛇)が姿を現す日である。一つ前の記事についての追記を短く書こうと思っていたら、蛇にまつわる面白いシンクロに気付いたので、それについても合わせて書くことにする。という訳で、まずは追記の部分から。

「ニルヴァーナNY」がニューヨークで開業していたのは、1970~2002の33年間で、2002年は私達が初めてカーラチャクラの灌頂を受けた年でもあった。前行を含めると10日近く行なわれる儀式の最終日はKIN136(6・戦士)だったから、あれから260日の時の輪が9(3×3)回巡った事になる。2回目は、仏陀による最初のカーラチャクラが行なわれたと言われる伝説の地・アマラヴァティで受けたのだが、この時も最終日は「3・戦士」だった。

カーラチャクラの灌頂は、必ず満月に完了するように行なわれる。しかし、全部で20種類ある紋章の中で「戦士」と満月とが重なるタイミングに2度とも受ける事になったのは、私達がチベット民族蜂起(1959・3・10)の日付を、「11・戦士」と意識している事と関係があるのかもしれない。

2006年には、アマラヴァティでの灌頂だけでなく、広島で大悲胎蔵曼荼羅(大日経)の灌頂も受けたのだが、その時の儀式に深く関わっていた龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院から、昨日、郵送物が届いていた。前日(KIN134)のブログに灌頂の事を書いたばかりだったので、このタイミングでそこから何かが届くだけでもビックリなのたが、祈願祭成満の記念品として贈られた龍樹菩薩(ナーガルジュナ)の図には、さらに驚かされた。

何故なら、そこに蛇とカモが描かれたいたからだ。蛇は龍樹の背後には必ず描かれるものだが、春分でククルカンを思い出していた私には実にタイムリーであったし、カモはやはり数日前のブログでわざわざタイトルにして取り上げた位注目していたので、他の鳥ではなくカモであった事に驚いたのだった。そう言えば、ハイデラバードからアマラヴァティへの道のりの途中には、龍樹菩薩ゆかりの地、ナーガルジュナコンダもあった事を思い出した。

話は飛ぶが、昨夜、あるブログを見ていてジグメ・リンパというチベット仏教の著名なテルトン(埋蔵経典発掘者)について調べたくなり、今朝、久しぶりに『虹の階梯』を手にすると、付録としてジグメ・リンパの「遍智甚深の道」が掲載されていた。そこには、準備段階としての心身浄化法について、こんな記述がある。・・・すると右の鼻の穴から黒々とした大きな蛇がヌルヌルとぬけだしてくる。この蛇は左管に巣食っている貪りの毒の象徴である。身体を離れた蛇は、清浄な空間はるかかなたに消え去っていく・・・。
 
いきなりここだけ抜粋されて見せられても気持ち悪い感じがするだけかもしれないが、私には、同じ蛇が、時に神聖なものを示したり、毒の象徴として描写されたりするのが何とも興味深かった。蛇のどういう側面に注目するかで、象徴的な意味もすっかり変わってしまうのだろう。これは蛇に限らず、万事について言える事ではないだろうか。
 
そんな事を思いつつ、夕方からNPO新体道の新事務所で行なわれるオープニングパーティに出かけた。そういえば、新体道創始者の青木先生も、現・代表の大井先生も、太陽の紋章は「蛇」の人だ。春分は、世界の広い地域で重要な節目の一つとして意識されてはいるが、ククルカンとの繋がりも考えると、このタイミングでのパーティは実に見事と言えよう。

帰宅してヘリオコンパスを眺めていると、今回のように春分と下弦の月がほぼ重なる時は、下弦の月が見えている方向が大雑把に「銀河の中心方向」なのだ、という事に初めて気付いた。気付いた事を話したり書いたりしていると、さらなる気付きが次から次へと湧いて来る。それでふと思いついたのが、一切準備をせず、その場に参加した人とのシンクロだけで互いの気付きを加速させるというワーク。インスピレーションで「シンクロ・ライブ・ラボ」という名だけは決まったが、いつどういう形でやるかはシンクロ任せなので未定。何か面白いものが生まれそうな気配がしている。

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