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秋の九品仏にチベットを発見!

2017年12月04日 01:16

■倍音の月19日 (G12/3) KIN194 白い水晶の魔法使い (by L)

2017年・秋の九品仏。二子玉川から10分足らず、オススメの紅葉スポットです。

いままで何度も訪れていますが、今年初めて、日本人として最初にチベットに入った僧、河口慧海の記念碑を見つけました。石碑に光が当たるタイミングに居合わせたせいです。キラリと光る「ヒマラヤ」の4文字が目に飛び込んできて、よくよく読んだら河口慧海の石碑でした。

後で調べると、彼に関する石碑は世界に3つあり、一つは私たちが毎年訪れているボーダーのストゥーパ。一つは書の稽古場の前の九品仏。もう一つは同じ世田谷区の桜新町(河口慧海の住居跡とのこと)。いずれにせよ、チベットを身近に感じた午後でした。

九品仏2017 

ちなみに調べると、僧侶であり探検家でもあった河口慧海の銀河の署名は KIN179/青い惑星の嵐。これは、吉村作治氏(エジプト学者)、刀根山光人氏(メキシコを旅した美術家。彼によるパレンケ、パカル王の石棺拓本は世田谷美術館に収蔵されている)と同じであり、そして私たちが今年カトマンズから帰国した日のキンなのでした。冒険家、探検家、新しい意識の世界へ旅する人のキン。来年6月にはその世田谷美術館で、天真書法塾シャンバラ教室の書の発表会を予定しているので、とても楽しみなことになってきました。

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NPOクリカ設立10周年とボダナート仏塔の再建

2016年11月20日 19:42

倍音の月6日(G11/20)KIN76 黄色いスペクトルの戦士(by D)

NPOクリカは、チベット難民の子供達に対する教育支援を主な目的として、2006年11月20日(KIN66)に設立されました。10周年の記念日が、『13の月の暦』のツォルキンで、チベット民族蜂起の日付(1959年3月10日=KIN76)と同じKIN76となったのも、チベットに関する活動をしている立場からすれば、やはり特別な事と思えます。

ボーダ IMG_9683.jpg ★11/16(左)、11/13(右)

また、KIN66(G11/10)〜 KIN76(G11/20)の10日間は、この10年間に対応する期間でもありましたが、ちょうどこの期間に含まれていた11/13(KIN69)〜11/18(KIN73)に、今年もカトマンズボダナートにあるマナサロワール・アカデミーを訪れ、支援している子供達や、そこで素晴らしい教育をして下さっている先生方に会って来る事が出来ました(今年のアルバムはこちら)。

子供達と ★藤田理麻さんが寄付して下さった絵本を手に

10年という歳月の間に子供達も移り変わって行き、今年から新たに支援を始めた子供達と初顔合わせをした一方で、卒業した子供達も駆けつけてくれるなど、嬉しい出会いが沢山ありました。これも、長年に渡ってNPOクリカの活動を強く支えて下さっている皆様(一般財団法人天真会様はじめ多くの支援者の方々)のおかげと、深く感謝申し上げます。

P1040756.jpg IMG_9944.jpg ★支援を始めた頃(左)と今年(右)

滞在最終日には、毎週木曜にマナサロワール・アカデミーで号令を掛けて下さっている現地の道友・木村悟郎さんと共に、100名あまりの子供達に号令を掛けつつ、天真体道を一緒に楽しみました。今回は、『13の月の暦 TIMESCORE』の共同制作者でもあり、悟郎さんが経営するカフェのカップイラストも描かれたMiyokoさんともご一緒し、充実したシンクロ時間を過ごして来ましたが、それらについては、また機会を改めて報告させていただく予定です。

天真体道 天真体道2 ★天真体道を楽しむ子供達

今日、どうしても書いておかなければならないのは、世界遺産でもあるボダナートの仏塔についてです。昨年4月にネパールを襲った大地震で尖塔部分が崩れ、昨年11月に訪れた時には、一度完全に解体された状態になっていましたが、今年はその部分が新たに作り直されて、ちょうどカトマンズを訪問している最中に、仕上げの化粧直しが完了していました。そして、何と、本日、復興と完成を祝う大法要が行われたのです。

IMG_0677.jpg  IMG_9970.jpg ★昨年(左)、今年のスーパー満月時(右)

NPOクリカの設立10周年とチベット民族蜂起81(9×9)銀河スピンが重なるだけでも十分スペシャルなことですが、支援先のマナサロワール・アカデミーがあるボダナートのシンボルが、そのタイミングに完全復活したのですから、これ以上の喜びはありません。ちなみに、今日という日が選ばれたのは、チベット暦で以下のような意味がある日だからのようです。

チベット暦9月22日にあたるこの日は「ラバプドゥーチェン」と呼ばれ、「釈尊が天界より降臨された日」を意味しています。釈尊は、41歳の夏に釈尊は須弥山の上の三十三天に一度上られてしまいましたが、この9月22日に、再び人間界に戻られてその後40年間説法をなされた故事に因んでいます。”
(文殊師利大乗仏教会さまのサイトより解説部分を引用)

大地震の時、ボダナートエリアで死者が出なかったのは、多くの人々によって祈りが捧げ続けられてきた仏塔が被害を引き受け、護ってくれたからだと、現地の人々には信じられています。その仏塔の完全復活が今日という日に重なるとは、私たちが10年前にNPOを設立した時には知る由もありませんでしたし、最初はマナサロワールの子供だけを支援していた訳では無かったので、この縁には、やはり特別に深いものを感じます。

ボダナート滞在中に、世界遺産ポーランドの中世都市トルンの博物館に、私(小原天迅)の書作品がコレクションされる事が決まったというニュースを知り、帰国途中のバンコクでは、天真書法塾シャンバラ教室の生徒たち3名が、西安華厳寺臨書展で、何と「大賞を授賞」というニュースまで飛び込んで来ました。という訳で、この善き日に、嬉しいニュースをまとめて報告させていただいた次第です。きっと、このブログを目にされた方にも、素晴らしい事が起こるでしょう。

この10年の全てのご縁に感謝いたします。

藤田理麻さんとブックス・フォー・チルドレン

2015年10月03日 11:24

電気の月14日(G10/3)KIN183 青い磁気の夜(by L)

画家の藤田理麻さんが、ご自身の創られた絵本をNPOクリカに寄付してくださいました。
スーパームーンの夜の事です。「ワンダートーク」と「藤田理麻の不思議な冒険」を計80冊も...!!

ワンダートーク   不思議な冒険 

これらの絵本はカラフルで美しいだけではありません。何とチベット語・日本語・そして英語の3つの言葉で書かれた、理麻さんの不思議な夢と熱い思いから誕生した特別な絵本なのです。

藤田理麻さんは、ニューヨークとカリフォルニア、東京のみならず世界で活躍するアーチスト。

1990年代のある日、「チベットのために、今すぐ何かしなさい」という夢を見たそうです。その時点では、チベットの現状について何も知らなかったそうなのですが、いつも夢のメッセージを真剣に受けとる理麻さんは、すぐにチベットについてのリサーチを始め、その結果、チベット人が大きな苦しみの中にいる現実を知ることになります。「画家の自分に何ができるだろうか?」と悩むなか、親しくなった亡命チベット人達との出逢いの中に閃きを得、「恵まれない難民孤児達のために絵本を創ろう!」そして、「せっかく創るのだから、失われて行く伝統文化のひとつのチベット民話をチベット語で書いて、カラフルな絵本にして贈ろう!」と決心されたそうです。

こうして、ブックス・フォー・チルドレン(BFC)の活動がスタートし、2001年にBFCの第一冊目の絵本である「ワンダートーク」が誕生。英語、チベット語、日本語で書かれたこの本は、2200冊をインド、ネパール、ブータンにある81校のチベット難民学校へ寄付され、国連より推薦図書に正式選定されました。快挙ですね!今までBFCでは5
冊の絵本を制作し、1万2千冊がインド、ネパール、ブータンにいるチベット難民孤児へ寄付されました。現在は、次の絵本をチベット亡命政府の依頼で作成中とのことです。とても楽しみですね。

理麻さんはこれからも、政治的・文化的にも恵まれない苦しい生活を送るチベット難民の子供達のために、そしてチベット難民だけではなく、世界中の恵まれない途上国の子供達のためにも、その国の伝統文化や言語を守り、教育の手助けになる絵本を創り、贈って行きたいとの熱い思いを持たれています。

★ブックス・フォー・チルドレンの目的や成り立ちについてはこちら。
http://rimafujita.com/bfc/ja/about.html

★今までにインドやネパールの難民孤児達に贈られた絵本(情報が少し古いですが)こちらを。
http://rimafujita.com/bfc/ja/projects.html

私が、藤田理麻さんの新宿ISETANでの個展に初めて伺ったのは、13年程前のことです。理麻さんの世界にすっかり魅了され大ファンになってしまった私は、そののち絵本の存在を知り、友人たちへのプレゼントによく贈るようになりました。やがて2006年よりNPOクリカの活動を開始し、毎年ネパールに行くようになってからは、ネパール在住のチベット難民の子供達に、理麻さんの絵本を届けるようになったのです。こんなに美しい、しかもチベット語の絵本は他にはありませんからね。言葉は民族の魂そのものです。これらの絵本を届けられることは、私たちにとってもものすごく嬉しい事なのです。

私たちのNPOのメインの活動は、チベット亡命政府の手が届きにくい、ネパール在住のチベット難民の子供たちへの教育支援(奨学金支給)です。(お金だけを送るのではなく〜もちろんそれが大切なベースなのですが〜一時ではあっても顔と顔の見える関係を育てるために、彼らを応援する日本の里親を代表して子供達の前に立つ責任があると考えています。それで、毎年えっちらおっちらネパールに行くわけです。)いつも、子供たちへのプレゼントとして、文具や学用品の他に理麻さんの絵本を携えて行くのですが、皆さんから預かった大切な寄付は最大限奨学金として使うことを優先しているため、実は理麻さんの絵本は古本で状態のよいものを少しずつ買いだめておくのです。

ところで、もうすぐ新宿伊勢丹アートギャラリーで行われる、理麻さんの23回目の個展を今からとっても楽しみにしているのですが、今回のタイトルは『Maya~幻想と魔法』だそうです!みなさん!MayaですよMaya!ドリームスペルでの私の銀河の署名は「青い惑星の猿」で、青い猿のキーワードは「幻想と魔法-Illusion and Magic」そのものなのですよ!このMayaシンクロをどうして黙っていられましょうか?!

勇んで理麻さんに連絡し、そして、私たちの次のネパール行きの際、理麻さんの絵本を届ける予定であることなど近況もお知らせしたところ、何と理麻さんが、「私は彼ら(難民孤児)のために絵本を作っているので目的が果たせるなら嬉しいのです」と絵本を寄付してくださったのです!それもピカピカの新品80冊!サンクチュアリ出版から理麻さんの愛が詰まった大きな箱が届いた時にはもう大感激でした。まさにMayaの魔法ですね!実は「Maya」はネパール語では「愛」という意味なのです。

理麻さん、本当にありがとうございます。特に今年はあの大地震のあとですから、理麻さんのアートによって、子供達の心が満たされ癒やされてゆくことでしょう。大切にネパールまでお届けしますね!


★Rima Fujita藤田理麻さんのオフィシャルページ(私はマジ昔っから大ファンです)
http://rimafujita.com

★Rima Fujita藤田理麻さん個展「Maya~幻想と魔法」開催!(新宿伊勢丹アートギャラリーで10/28から11/3まで)
http://rimafujita.com/news/2015-upcoming-solo-exhibition.html


Nadia20周年記念パーティ

2014年07月24日 23:56

宇宙の月28日(G7/24)KIN7 青い共振の手(by D)

世間で「海の日」とされている7/21(KIN4)、横浜Nadiaの20周年記念パーティがあった。ナディアとのご縁は多分15、6年前から。当時『13の月の暦』の周期に従った「円卓の集い」が開催されていて、そこに参加者として顔を出してみたのが最初だったのではないかと思う。結局、銀河ツールの制作に関わったり、本を書いたりしていた関係で、暦クラスの講師をリクエストされ、それが形を変えながら今日まで続いているのである。

入門書『宇宙の暦は13ヵ月』を書かせてもらったことで、私もかなりあちこちで暦のクラスをやって来たが、自分が主催している会を除けば、最も長く続いているのがこのナディアでのクラスだ。もちろん、これは関係者が互いに敬意を抱きながらしっかりコミュニケーション出来ていてこそ可能なこと(ナディアと高橋徹さんの誕生日が同じ日であることも多少は関係があるかもしれない)。そういう意味で、ナディアというお店が20年続いているのは、お客様を始め、このお店に関わる様々な人々と良い関係性が築けているという証拠でもあろう。
ナディア20 
それはパーティの様子にもよく現れていて、80名余りの人が集ったその場は、多くの協力者による温かさに満ちていた。全体の様子は写真(コチラ)を見てもらえば分かると思うので、ここでは私なりのシンクロをシェアしておきたいと思う。パーティの話を耳にした時、私は「よかったら剣の演武でもしましょうか?」と申し出た。長年お世話になっていることに対する感謝とお祝いの気持ちを示すのに、それが最も相応しいと思えたからだった。

結局、オープニングでの演武を依頼されたので、私は、その時空間とそこに集う人々の魂が、益々輝き、清らかになることを祈念して(それがナディアのさらなる発展に繋がるとイメージして)、天地清浄祓いの型「四方荘厳」を始めとする、剣武天真流の型の幾つかをやらせて頂いた。
剣武n 
会場のレストランが、宗家の出身高校から至近(100m位)だったのも、偶然とは思えなかったが、その後に生じた出来事は、さらに驚きに満ちたものだった。演武の後、20年が伊勢の式年遷宮の周期や、マヤにおけるカトゥン(7200日)という特別な周期と関係し、「ひとつの世代」としての普遍性を持つことをお伝えして、乾杯の挨拶も何とか終了。ひとまず役目を終えてホッとしつつ、歓談と食事の時間を過ごした。

ビデオレターや歌やスライドなど、心温まる催しが色々あった中、特に個人的に印象に残ったのは、全員参加の勝ち抜きジャンケン大会だった。それは、結果的に私が優勝してしまったからでもあるのだが、真の理由は、決勝の相手と、最終的に手にしたチップの枚数にある。その前にざっとルールについて書いておこう。

まず、参加者全員に1枚ずつ配られたチップがあり、身近に適当な相手を見つけてジャンケンをし、勝った方がそのチップを回収して行くというしくみ。基本1対1だが、相手が見つからない場合は3人で行い、勝った人が全てを回収する。出番も終わってリラックスしていた私は、特に「勝ちたい」という気持ちも無くその場を楽しんでいたが、ジョジョ第4部「ダイヤモンドは砕けない」に出てくるジャンケン小僧のことは秘かに思い出していた。

ジョジョ第四部に出てくるその少年は、小学6年生(11才)の設定ながら、ジャンケンを「単なる運ではなく、心の強さで勝つもの」という持論を持ち、あの岸部露伴と名勝負を繰り広げる。勝ち負けを気にしていないという意味で、私はその時「心が強い」状態にあったのかもしれない。気付くと、いつの間にか決勝の舞台に立っていた。そして、そこで待ち受けていたのは、何と、2012年にチェコ(プラハ)に剣の演武をしに行く決意を(驚くべきシンクロで)私にさせたAさんだったのだ!

Aさんは剣武天真流・宗家と同じ苗字というだけでなく、今年全体とシンクロするKIN164「8・種」の方で、さらに『ドリームスペル』日本語版第2刷を日本で最初に手にされ、加えてハワイ生まれの木彫りの「奇跡の亀」もゲットされているという超ラッキーな方(詳しくは「ハワイの引力が夢の種を開花させる」や「ドリームバンクその後-マウイ島の祝福」を参照)。しかもパーティ当日は「黄色い種の日」で日付の力もAさんを応援している。

さらに、準々決勝あたりで私が「やりましょうか?」と声をかけた時、「負ける気がするのでやめておきます」と回避するなど、勝負に対する「間」の取り方も鋭い。だから、決勝の舞台で再び相見えた時には、「私心を無くして向かわねば勝てないな」と感じた。端から見ている分には、別に気合いが入っている風でも無かったと思うが、私の意識の中では「ジャンケン小僧vs岸辺露伴」のような激しい空中戦が繰り広げられていたのだった(注:決勝の時のみ)。

Aさんが「負ける気がした」と思ったからなのか、私が祭り状態に入った獅子座だからなのか、あるいは、最初に行った天地清浄祓いに対する(時空からの)応答だったのか、それとも、「チベットの子供達に」と何となく思っていたからのか、本当のところは分からない。ただ、最終的に手にしたチップの数を後で数えてみたら、全部で66枚だったので、私の中では最後の要素が少し強かったのかもしれないな、などと勝手に想像している。

何故なら、チベットの子供達を支援する目的で生まれたNPOクリカは、KIN66に設立されたからだ。ただ、『シンクロニック・ジャーニー』の冒頭に書いた通り、KIN66は、シャンバラと関係する『第11の予言』&『ハワイアンリラックスのすすめ』の出版記念イベントで、思いがけず訳者の山川亜希子さん&著者の野崎友璃香さんに混じって話をした日でもあるから、このジャンケン大会を通じて私が受け取るべきメッセージは、再びハワイレムリア)とチベットシャンバラ)に注目せよ、ということなのかもしれない。

それは、この文章を書いている今日が、惑星ホロンでハワイ(太平洋)エリアに対応する「青い共振の手」で、亀がその時間を守っている「13番目の月」の最終日であることからも感じ取れることだ。早いもので、「銀河の同期」から始まった「黄色い銀河の種の年」という特別な時の輪も、明日で完了する。

その締めくくりを飾る「魂振りnight」(7/25)、新しい年を開く「ドリームバンク」(7/26)とイベントは続くが、成人式を終えたばかりのナディアでも、新年明けてすぐの7/31(KIN14)と8/1(KIN15)にウォーターセラピーのセッションがあり、8/3(KIN17)には「13の月の暦クラス」と「天真体道瞑想クラス」が行われる。新しい1年の波に乗ろうという方は、勢いのある場に実際にその身を置いてみることだ。さあ、新しい波がやって来る!

カトマンズでのチベットサポート活動

2013年11月19日 00:04

倍音の月4日(G11/18)KIN19 青い律動の嵐(by D)

NPOクリカでは、チベット人の子供達への教育支援活動を行っており、2008年以降、毎年ネパールのカトマンズを訪れて、直接子供達と触れ合うことを続けて来ています。今年も無事、ボダナートにあるマナサロワール・アカデミーを訪れることが出来ましたので、以下に報告をさせて頂きます(こちらのFBアルバムと合わせてご覧下さい)。

大使館情報で警告されていた通り、到着した日(11/11・月)からバンダ(全面ストライキ)が行われ、市内の交通機関は完全に麻痺していましたが、直前になってツーリストの移動のみ対象外となり、無事、学校近くの宿に辿り着く事が出来ました。いつもは排気ガスで霞みがちなカトマンズ盆地の空気が澄み渡り、これまでで最も鮮明にヒマラヤの峰々を望めたのは、ある意味バンダのお陰でもありました。
ヒマラヤ2013 
翌日(11/12・火)もバンダが続き、学校自体は休校になりましたが、先生方の呼びかけによって近隣の生徒(校舎に寄宿している子も含む)50人余りが、朝7時過ぎから集まって、私(小原大典)が行う天真体道(新体道)のクラスに参加してくれました。昨年は少し演武をしただけでしたが、今年は1時間ほど時間をもらって授業をするという話になっていたのです。
瞑想 
実は、今年の春から、カトマンズ在住の道友・木村悟郎さんが、この学校で週一回木曜の朝に天真体道クラスを担当するようになったので、今回はそこに加わらせてもらうつもりだったのですが、せっかくなら訪問予定の12日(火)にも、私の号令でクラスをやってみたらどうか?という提案が悟郎さんからあったのです。

もともと、火曜と木曜の朝が運動の時間に割り当てられているとのことで、校長先生のサンモさんとも相談して「それなら是非」ということでやらせてもらいました。しかし、学校に到着するなり日本語で「ようこそーーー!はじめましてーーー!」と子供達から挨拶されたのには驚きました。何と、悟郎さんは、早く到着した子供達に日本語のミニレクチャーもしていたのでした。そんな訳で、この日は悟郎さんの助けを得ながら楽しく子供達と交流をさせてもらいました。

その後、チベットの伝統的な衣装をまとっての歌や踊りをメインに、最近流行っているダンスなども織り交ぜつつ、子供達が歓迎のパフォーマンスを披露してくれました。この時の様子は、近日中にFBのサイトで順次公開して行く予定です。最後に支援している子供達一人一人と対面して(プレゼントなど渡しながら)から、ヒマラヤが見える4階の部屋でお昼を頂いて、この日は解散となりました。
集合写真 
翌朝(11/13・水)、8時半頃に訪問すると、ちょうど校舎の中の広い場所に生徒が集まって、お経を唱えているところでした。「聞いたことのあるフレーズだな」と思ったらチベット語の般若心経で、その後も幾つかのお経、チベット国歌斉唱と続き、大体30分位で終了しました。まだ文字が読めない小さい子は、先生のリードに合わせて言葉を真似、文字が読めるようになった子達(8〜10才位)は、チベット語のテキストを見ながらお経を唱えていました。

毎朝、授業の始まる前にお経とお祈りの時間があり、その後、建物の中央にある広場に整列して、鼓笛隊のマーチに合わせて各教室に入って行く、という流れになっていることを、以前から聞き知ってはいたのですが、今回、初めて見学することができました。これまでは、もっと遅い時間に(ややフォーマルに)学校を訪問していたからです。この日は、バンダも解けて、300人以上いる生徒達で中央広場が埋め尽くされていました。

木曜(11/14)は、悟郎さんの天真体道クラスが7:30から行われるので、それより少し前に学校に行ってみたところ、既に壁を背にした悟郎さんの前に子供達が集まっていて、日本語ミニレクチャーが始まっていました。およそ70〜80人位が集まったところで礼をして、天真柔操が始まります。その後もパラパラと登校して来た子供達が合流し、最終的には100名を少し超える位だったでしょうか。
悟郎さん 
柔軟から入って、突きやジャンプなどをした後、瞑想。ちょっと放っておいたら、すぐ話しはじめたり動き回ったりするような年頃の子供達が、静かに正座をして瞑想を続けていられるのは、結構すごいことだと思いました。日本語ミニレクチャーから子供達を引きつけ、色々と工夫しながら稽古を組み立てて来られた悟郎さんの号令の力と、普段から日々30分座ってお経を唱える習慣が身についている子供達ならではだと思います。

サンモ校長によれば、前日、ボダナートのストゥーパ(学校から500m位)周辺でも小さな爆発騒ぎがあったそうで、何時まで経ってもなかなか政情が安定しない国ですが、そんな環境にもめげず、日々勉強に励んでいる子供達の姿に今年も心打たれて私達は帰国しました。ちょうど、私達が成田に到着した朝に、ダライ・ラマ法王もインドから成田に到着され、今、まさに日本各地を巡っておられます

毎年、日本に来て下さるお陰で、私達はその気になれば法王のお話を直接聞く事が出来ますが、マナサロワール・アカデミーに通う生徒達やその家族の殆どは、チベット人の誇りそのものとも言えるダライ・ラマ法王に、直接会えるチャンスが無いのです。私達に出来ることは、本当にささやかなことだけですが、この学校で学ぶ子供達が、心豊かに育ち、将来、新しい可能性を切り拓いてくれることを信じて、支援を続けて行きたいと思っています。


追伸:今回は、NPO活動としての短い旅でしたが、いつも通り沢山の驚くべきシンクロがあった事は言うまでもありません。それについてはまた項を改めて報告する予定です。お楽しみに。

時の輪

2012年07月09日 15:42

宇宙の月13日 (G7/9) KIN42 白い電気の風(by L)

7月6日は、ダライ・ラマ法王14世の77歳のお誕生日でした。
法王様のご長寿と、そしてチベットの自由を心からお祈りいたします。

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その夜、私たちは、Dの中学高校の同級生のSさんと、自由が丘でタイ料理をご一緒していた。
Sさんとは、Dはつい先日のクラス会で卒業以来の再会。私はこの日初めてお会いした。
Sさんは、エネルギー医学を実践している医師で、そしてチベット仏教とのご縁も深い。
で、3人の話の流れは、自然とそれぞれのチベットに向かう。

2000年4月14日と15日の2日間、東京ベイNKホールで「智慧と慈悲ー仏教の最も大切な二つの教え」と題したダライ・ラマ法王の講演が行われ、その場にのべ6000人が集った。
私にとって、それはとても印象深い講演だった。

多分Dはその時初めて法王の講演を聴いたんじゃないかな?
私は数回目(親しい友人達も一緒だった)。
そして、Sさんもその場にいらしたそう!
12年前3人とも同じ場所で法王の講演を聴いていたことになる。

Sさんも、この講演のことを鮮やかに覚えていると言う。その会場には法王への質問箱が設けられていて、誰でも質問を書いて投函できる様になっていたのだが、Sさんが思い切って書いた質問(当時悩んでいたこと)が取り上げられ、法王が直接それに応えてくれたことに大感激したそうだ。(採用された質問はそんなに数多くはなかったと思う。)

私は質問を書いてはいないが、絶対に忘れることのできない質疑が一つだけあり、「それはこういう内容の質問で・・・」と話し始めた時、「あっ!それ私の質問!」とSさんが仰るではないか!

法王様の喜寿のお誕生日に、こうして再び集えているだけでも充分ステキなことなのに、私の記憶に唯一刻まれていてる質疑が、Sさんが発したものだったとは!流石法王様のお誕生日!そして魔術の亀!(この日は、宇宙の月の青い宇宙の嵐/KIN39の日。)Dは例によって記憶が無い(笑)。

sw76 ★突然ですがタイデザート。お友達によると、カノムモーケン(手前)とカノムチャン(奥)。

楽しい時間はアッと言う間に過ぎる。気付くと結構な時間になってしまっていた。美味しいタイデザートを平らげて店を後にし、自由が丘の駅で別れる際、Sさんが私の持っていた本に注目した。(その本はずっとバッグに入っていたのだが、改札でバッグからパスモを取り出すのに邪魔になり、バッグから出してそのまま手に持っていた。)

本は、最近出たばかりの「ヒマラヤを越える子供たち」。内容を簡単にSさんに紹介すると、映画のDVDも観てみたいとのこと。DVDは残念なことに絶版中だ。我が家所有のものは、二子玉川のラサチベット祭りが行われた時に持って行ったままになっている。じゃ、次回はラサで会いましょう、ラサでDVDを回収して、そのままお貸しします、と約束した。(帰宅してDが短くその日のハイライトをツイートすると、何故か速攻でラサさんがその呟きをリツイートしていた。くしゃみでも出たのかしら!?)

te76 ★これを瞬間にリツイートするとは、さすが「ラサ」=神の地。

翌朝、Dを大阪に送りだした後、「ヒマラヤを越える子供たち」にじっくり目を通す。この本は映画とは視点が異なり、チベット側から書かれた亡命者たちの話と、ネパール側から書かれた映画監督(本の著者でもある)の両方の話が交互に描かれており、映像とはまた違った奥行きがある。監督は、亡命者達をチベット内から同行撮影するのは困難と判断して諦め(実際一度試みるも中国で逮捕の目にあっている)、撮影をネパール側からスタートさせた。ヒマラヤ山頂のネパール側の国境で亡命者達を待ちうけ、彼らがそこに到着した時点からの壮絶な様子をフィルムに収めたのだ。ヒマラヤの両サイド、チベット側とネパール側から、それぞれが命懸けで、ヒマラヤ山頂での出会いの時を目指した。

本を読んで知ったのは、何と子供たちがヒマラヤを越えたのは2000年4月14日、そして翌15日は初めて迎えた「自由の朝」(←本の表現そのまま)だったということ!ヒマラヤを越えた時、ランゼン!(自由!)って叫んだって。(本には、日付そのものは4月13日以降20日までの間は明記されていないけれど、注意深く前後を読んで行くと、必然的にこの日付になる。)

つまり、私たちがNKホールで法王の講演を聴いていた(そして質疑が行われていた)正にその時、あの子供たちはヒマラヤを越えていた。それだけではない。それから12年経った今年の4月15日、私たちは前出のラサのチベット祭りで、NPOクリカのチベットサポート(在カトマンズのチベット難民の子供達にマナサロワールアカデミーを通じて奨学金を支給している)の話をする為に呼ばれていて、このDVDのことも紹介していたのだ。その時にはまだ、この本が発売されることも知らずにいた。

どう?
ちょっとすごい話じゃない?
 
時は巡る。時は美しい。2002年の秋、グラーツでのカーラ・チャクラの灌頂儀式が全て終わった時、ダライ・ラマ法王は、10,000人の参加者に向かって、「定められた時、定められた場所で、また会いましょう。」とおっしゃって法席を降りられた。私たちがそれに気付くこともあれば、気付かないこともあるだろう。それでも時の輪は、絶えず静かに巡っているのだと思う。そう信じられる。法王様のお誕生日をお祝いしているはずのこちらが、逆にいつもかけがえの無い贈り物を頂いている。

追記:以下は東京ベイNKホールでの講演が収められた本。読みごたえあり!
ダライ・ラマ来日講演集―智慧と慈悲」春秋社
ダライ・ラマ法王14世テンジン・ギャッツォ著/マリア・リンチェン訳)



『オロ』タルチョ型パンフ

2012年07月03日 01:45

宇宙の月6日 (G7/2) KIN35 青い太陽の鷲(by D)

一昨日、渋谷ユーロスペースで封切られた映画『オロ』を観て来た。「13の月の暦」だと「コドン4/再び聴く」でコード化されている49週目の4日目、さらに観音菩薩の化身の数ともシンクロするKIN33(7・空歩く者)に当たっていたこともあって、試写会でその素晴らしさを体験していた私達は、「再び観たい」という気持ちと公開をお祝いしたいという気持ちが相まって、初回上映の1時間近くも前に映画館に到着してしまった。

にもかかわらず、岩佐監督は既にお出ましで、早速、挨拶をすると、側にいらしたカメラマンの津村さんを紹介して下さった。聞けば、この映画でコーディネーターと通訳を務めているツェワンさんと、25年前に最初に出会ったのは津村さんで、そこから岩佐監督との関係も生まれたとのこと。ということは、ツェワンさんや妹のドルマさんと私達との出会いの源には、この津村さんがいらしたという事になる。

olo33  ☆岩佐監督、撮影の津村氏と

ある意味『オロ』は、津村さんと岩佐監督とツェワンさんのご縁が、四半世紀の時をかけて培ってきた時間の働きによって生まれたものとも言える。そして『オロ』を観る人は誰でも、その時間の流れの中に入って融け合ってしまうのかもしれない。主人公のオロ少年は、様々な困難に出会いながらも前を向いて力強く生き抜いて来られた3人の、あるいはこの映画に関わった全ての人々の心の姿そのものであるような気がする。

今回は、試写会の時には、そのあまりの自然さに気付けなかった映像と音とアニメの調和の妙に感動したり、他にも色々な気付きがあったのだが、もう一つ、その日に完成したというパンフレットに強く心を揺さぶられた。監督とオロの手紙、津村さんや南さんら現地でオロと一緒に過ごした人々の裏話、音楽や絵を担当された方々の想い、そして映画を観た在日チベット人の感想、切り口の異なるそれら全てが宝のような光を放っているのだ。

中でも、加藤登紀子さんを交えての在日チベット人の対談や、チベット学者である石濱裕美子先生の解説部分は、チベット人の置かれている現状を、簡潔かつ要点を押さえ尽くした形でまとめられていて、初めてこの話題に触れる人にとっては、これ以上ないくらいの資料価値があると思う(初学者にとって必要にして十分という意味)。しかも、このパンフ、小型で持ち運び易いだけでなく、折りたたみ式のちょっと変わった形をしている。

それをパラパラッと広げると、片面は全部、何とタルチョになっているのだ!チベットの人々は、この五色の旗がはためくごとに、慈悲の心を乗せた祈りが風に乗って世界に広がっていくと信じている。内容もデザインも充実したこんなに素敵な映画パンフが、これまであっただろうか?このパンフは、チベットのことだけでなく人間にとって大切なものをギュっと凝縮した宝物のようなものだ。『オロ』を観るなら、いや万一観る時間が全く取れないという方でも、このタルチョ型パンフはマストである。

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