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スユアを開くガダニーニの音色

2016年02月20日 23:04

銀河の月14日(G2/20)KIN63 青いスペクトルの夜(by D)

1〜2週間前、何かを調べようと『2012年への進化 ホゼ・アグエイアス伝記』を流し読みしているうち、P211に「1987年7月26日に、サンタフェのセント・ジョンズ・カレッジで銀河文化の到来を告げた」という文言を見つけた。ちょうど、今年(平成28年)の初めに、剣武天真流のウィウソン師範&倫子師範夫妻が、サンタフェに住むお姉さん(Nさん)を訪ねて来たばかりだったので、私はこのタイミングでその土地の名前が出て来た事に驚いた。

と同時に、ホゼの息子ジョッシュの誕生キン(KIN211)とシンクロするページに、彼が他界した1987年の事が書かれていたことに、私はある種のメッセージ性を感じた。何故なら、『霊性のアート 心の豊かさを育む技』にも記した通り、2012年にプラハで一緒に演武をした丸山師範は、ジョッシュが他界したその当日(=1987年10月29日・KIN129)の生まれだし、Nさんも、プラハ演武の時に、偶々友人の結婚式が現地であった関係で合流出来てしまったという奇跡的なシンクロを体験しているからだ。
チェコ ★プラハにて、丸山貴彦師範、吉田倫子師範と

青木宗家指導の剣武稽古日だった先週のG2/14(KIN57)、本部師範全員が集って打ち合わせをした折、倫子師範が数日前、仕事の関係で高橋徹さん(『13の月の暦』を日本に紹介し『銀河文化の創造』という入門書も書かれている)と会って色々な話をしたという事を聞かされて、面白いタイミングに思いがけない交流が生じているものだ、と感じていた。しかし、お昼過ぎにNさんがひょっこりその場に現れた時、私はそれがより大きなスユア(時空の記憶回路)の活性化とリンクしているのを、驚きつつも即座に悟った。

3月初旬の青木先生傘寿のお祝い会にNさんが参加予定と知っていた私は、冒頭の一文を発見した時、サンタフェのカレッジについても聞いてみようと、手帳にメモをしておいた。ところが、全く思いがけず、その2、3日後に(2週間以上も早く帰国した)Nさんに会えてしまったのだ。実は、先に倫子&ウィウソン両師範にも聞いてみたのだが、流石に短い滞在では分からなかったようで、やはり3月まで待たないといけないなと思っていた矢先の事だっただけに、喜びは大きかった。

予想通り、Nさんは、セント・ジョンズ・カレッジについて知っていた。割と小さいカレッジだという事以外、特別新しい情報が入った訳ではないのだが、現地の様子を知る人から直接このタイミングに話を聞ける事が私にとっては重要だったのだ。何しろ、Nさん自身、ほんの2、3か月前まではサンフランシスコに住んでいて、サンタフェにはごく最近移り住んだばかり。「今だからこそ」「その人だからこそ」というところに、シンクロの醍醐味はある。

帰宅後、再度ホゼの伝記を手にし、P211より少し前に戻ってみようと本を開くと、まさに、そのカレッジでの出来事がより詳しく書かれているP179が現れた(付箋だらけの本で、そこには付箋は無いのにも関わらず)。以下の引用文の直後は、もうハーモニック・コンバージェンス当日についての記述になっているので、まさに直前の最も盛り上がっている場面と言えよう。

”1987年7月26日、ホゼはサンタフェのセント・ジョンズ・カレッジであふれる聴衆を前に、銀河文化の到来を公式に発表するために講演を行ないました。このイベントに続いて、ロサンゼルス・タイムズ、ボストン・グローブ、ニューヨーク・タイムズにインタビューや新聞記事が大きく載りました。”

少し時間が戻るが、この日の剣武の稽古後は新大久保に移動して、ちょっと早めの夕食を皆で楽しんだ。美味しいタイ料理を堪能した後、駅に向かいながら道沿いの楽器店を覗くと、大きなコントラバスがズラーっと並んでる。はじめて目にする光景に思わずボーっと眺めてしまった。近くに書道具店もあるので、この界隈は割と何度も訪れているのだが、こんな大きな楽器店があるとは知らなかった。

その体験が影響したのか、これまでにも数回は耳にしているはずの真田丸のオープニングで、何故かヴァイオリンの音色が気になる。NHKのサイトで調べてみると、J.B. ガダニーニ(奏者は三浦文彰氏)と判明。以前、ストラディヴァリウスを調べた時にチラッと調べた気もするが、改めて調べてみることにした。すると、日本では芸大事件というのをきっかけに有名になった面があるそうで、事件の当事者が海野(うんの)さんという方であることも初めて知った(剣武の道友に同じ字でカイノさんと読む方がいる)。

その海野氏の誕生日は、1936年2月14日。何と、まさにその日が80歳の誕生日であった!しかも、『13の月の暦』だと8月8日で、誕生キンはKIN237。という事は、8日後に同じく80歳を迎えられる青木宗家と全く同じウェイブスペルの生まれで、しかもパルサーの関係になっている。ちなみに、私はこの方々とは年代的に約33年ズレているが、KIN237(海野氏)ーKIN241(自分)ーKIN245(青木宗家)は、感覚パルサーの関係である。

もちろん、ガダニーニ本人についても調べてみた。Wiki情報では1711年6月23日(KIN141)ピアチェンツァに生まれ、1786年9月18日(KIN43)にトリノで他界となっている。剣武の演武でトリノに行ったメンバー全員と顔を合わせた(しかも予定外に)まさにその日に、この発見をするとは驚きである。
トリノ ★トリノでの演武

しかも、KIN141とKIN43は、どちらも、ホゼの生誕77周年に大阪で行ったイベントに集った8名の参加者の中に含まれていたキン。また、2/11(KIN54)の銀河シンクロ教室に参加された別なKIN141の方は、近くサンフランシスコに移住予定とおっしゃっていた。まさか、その3日後に、少し前までサンフランシスコに居たNさんが、引っ越して間もないサンタフェから来日し、その晩にガダニーニの音色からこんな繋がりを発見する事になろうとは!

KIN141はまた、超新星1987aが観測された1987年2月23日(KIN141)、そしてKIN43の吉田さんと伊勢で初めて会った2004年3月30日(KIN141)に通じる「銀河の通路」でもある。そして、先のKIN141の方お二人に共通するのは、金(KIN)という文字がお名前に含まれるという事。サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ(金門橋)を思い起こさずにはいられない。

実は、剣武稽古後の着替え中、ロンドンの地図がプリントされたTシャツに目を引かれた私は、関口師範に向かって「面白い絵ですね」と、思わず口にしていたのだが、よく考えれば、「サンフランシスコ」「ロンドン」「トリノ」には共通項がある。過去記事に書いた通り、魔術都市として知られているのだ。
トリノ戦士 ★魔術都市トリノの中でも最も強力なパワースポットの1つとされる場所

どういう理由かは知らないが、トリノ滞在最終日にガイドの方が教えて下さったのと、後にトリノを訪れた方からも同じ話を聞いているので、それなりの背景があるのだろう(どうやらカトリックから見て異端とされた派が栄えた地域と関係がありそうである)。ちなみに、先の三都市は黒魔術系で、白魔術系は「プラハ」「リヨン」「トリノ」との事。トリノだけが白黒両方の側面を持つらしい。

最後に、J.B. ガダニーニについて(サルディーニャとトリノの関係等含め)かなり詳しく書かれたサイトを見つけたので、関心のある方のために、そのリンク先を紹介しておきたい。トリノ時代のガダニーニ作品を調整された経験がある「自由が丘ヴァイオリン」さんのサイトだ。ちょっとした音色からこんなに発見が続くとは、つくづく面白い話だが、その締めが東急大井町線急行で一駅という所に行き着くのがまた興味深い。

だが、この記事を書いている今日、最後のひと押しがあった。2年前の今日の記事としてFBに『千住家にストラディバリウスが来た日』の写真が出てきて、何の記事だったかな?とクリックしたら、「ブログ【ストラディバリウスが銀河の音を響かせる】をUPしました」という内容だった。どうやら「銀河の月」には、私にとってヴァイオリンやイタリアと繋がる回路(スユア)があるようだ。


追記:
このブログをUPした翌日のG2/21(KIN64)、剣武フランスのメンバーが、ウンベルト・エーコについての記事を続けてFBでシェアしていた(その内の一人はトリノで一緒に演武した剣武フランス代表のジョエル)。気になって調べてみたら、2/19(KIN62)に84歳で他界した事を知った。流れで彼の経歴を調べてみたら、何とトリノ大学出身で同大学で講義も行っていた事が判明。

誕生日は、1932年1月5日でKIN37。ホゼが『マヤン・ファクター』を捧げたC・T・ムクポことチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェと同じ誕生キンだ。私が知っているエーコの作品は『薔薇の名前』だけだったが、ベストセラーには『プラハの墓地』という作品もあるのを知った。

ここで、ふとトゥルンパの108回目の誕生キンがホゼの誕生日の翌日(G1/25)に巡って来ていた事を思い出した。wikiには、1939年2月生まれとしか書いていないが、改めて確認してみると、その年の2月に巡って来るKIN37は、1939年2月19日しかない。

つまり、ウンベルト・エーコは、トゥルンパの誕生キンであるKIN37に生まれ、トゥルンパの誕生日であるG2/19(銀河の月13日)に死んだことになる。そして、ドリームスペル・ツォルキンのカウント法(G暦閏日は止めておく)で、トゥルンパはエーコの10銀河スピン(2600日)後に生まれたことになる。

これに絡んで、もう一つ重要な事がLによって指摘された。例のごとく私はすっかり忘れ去っていたのだが、本文に登場するNさんは、かつてトゥルンパの創設したナローパ大学で学んでいたことがあり、そこで新体道のワークショップを企画していたNさんと、15年程前にメールでやりとりしていた事があったのだ。

念のため、遡って古いメールを確認したら、Nさん本人からのものも見つかったし、かつてナローパで教鞭をとっていた経験もあるホゼに、「何か協力してもらえないか?」とやりとりしたメールも確認出来た。そこには、大変興味深いことが書かれていた。

「ちょうど娘のタラ(『アルクトゥルス・プローブ』は彼女に捧げられている)の結婚式でナローパ時代の古い友人に会い、今のナローパ大学の代表の名前を聞いたので、彼に直接連絡してみるといい」という内容だった。英語の怪しい私の頼みで翻訳を引き受けてくれたLは、「ナローパに通う日本人なんて初めてだったからよく覚えている」と言うが、何故か私はLに言われるまで気付かないでいた。

しかし、Nさんが何故、こんなにも度々、重要なポイントで絡んで来るのか、これで分かった気がする。サンタフェもナローパ(ボルダー)もホゼが実際に滞在した場所だし、プラハはエーコの作品を通じて(また魔術都市という回路で)リンクする場所で、そのエーコは上記の通りトゥルンパと深く繋がっている。そして、このタイミングでエーコが他界し、それを剣武フランスのメンバーがシェアしたことで、これらの事がはっきりしたのだ。

見えない次元からの働きは、具体的な人物や場所を通じて顕現している。心身の自由度を上げ、多様な見方に馴染んで行くことが出来れば、誰もがこういう世界を体験するようになるだろう。


追記2:『プラハの墓地』のリンクを貼る作業をしていてさらに驚かされたのは、この邦訳が出たばかりで、少なくともアマゾンでは2016年2月22日発売になっていること。単に、このタイミングに発売というだけでも驚きなのに、剣武宗家(新体道創始者)青木先生の80歳の誕生日にシンクロしているのだ!

ペルシア暦新年に開封されたペルシアの青い塩

2014年03月20日 23:39

太陽の月14日(G3/20)KIN141 赤いスペクトルの竜(byD)

サムライと書道展」でトリノを訪れてから、あっという間に3週間。KIN137にダウンロードしたジョジョリオン・モノクロ版第5巻は3日で読み終えてしまったが、昨秋のNYだけでなく、トリノの旅を通じて、さらにジョジョとの繋がりが深まっているのを感じる。何しろ、上記のイベントを主催してくれたD氏は、「クージョー・ジョータロー」と日本語で言えるほどのジョジョ通。しかも、近日中にまた会えそうな流れになっていたりもする。

ところで、トリノには行かなかったLからのお土産リクエストは、塩とバルサミコ酢であった。街中のスーパーにはめぼしいものが無く、塩などは最終日の最後のチャンスにギリギリ見つかった代物だったが、サイズもパッケージもイメージ通りだったので、現地イタリアのものの他に、フランスとペルシアのものもゲットした。
塩 ※青い粒が混じったペルシアの塩

しかし、諸々の事情で、今日に至るまでそれらを使う機会は無く、今日の夕食時に、「じゃあ、ペルシャのから行ってみよう」ということで、ようやく開封。持ち帰った時から「青い粒」が混じっているこの塩に強い関心を示していたL(青い惑星の猿)は、やはりこれから使いたかったようだ。それに今は『ドリームスペル13の月の暦)』でも「青い猿」のウェイブスペル(13日間)だ。

ちょっとパンチの効いたシャープな感じのこの塩は、今日の料理にピッタリだったが、驚かされたのは、食後にLが、ビセンテ・アミーゴ(青い銀河の猿=KIN151)のFB公式サイトを見た時のことだった。何と、「Vicente would like to wish all of his Iranian fans a Happy New Year!」と書いてあったのだ。

そこで、「何ーーーーッ!」となって、調べてみると、確かに「新年1393年は、20日の夜8時27分7秒に迎える」と書いてある記事を発見。基本、春分に合わせたもののようだが、イラン(ペルシア)暦は、「紀元をヒジュラ暦元年に置く」という点でイスラム(ヒジュラ)暦と共通性を持っているが、決定的に異なるのは”太陽暦”であることだ。実際、G暦2014年のイスラム暦新年は10/25で、イラン(ペルシア)暦とは半年以上ズレている。

それにしても驚くのは、「20日の夜8時27分7秒」という時間だ。イランの現地時間でというのは分かっているが(日本では21日1時57分らしい)、私達はちょうど日本でのその時間帯に食事を終えところだったからだ。イラン(ペルシア)暦新年が始まるタイミングとは知らずに、3週間近くも寝かせていた「ペルシアの塩」を開封したのかと思うと、それだけで楽しくなる。

しかも、それを知らせてくれたのが、我らがビセンテ・アミーゴ(青い銀河の猿)というのが、また素晴しい。何しろ昨秋のNY直前に、渋谷で行われたコンサートに行き、殆どかぶりつきの席でその演奏に酔いしれた程のファンだ。昨年末の剣武天真流発表会でも、私が提案して彼の曲に合わせた演武をしたりしている。しかも、青い銀河の猿(KIN151)は、『ドリームスペル』日本語版の申込み受付開始日でもある。

「青い猿」のキーワードは、「魔術/遊ぶ/幻想」。全くもって魔術的な遊びが、今、この場で展開されているとしか言いようがない。ペルシア暦の紀元は、イスラム暦同様、西暦622年前後に、ムハンマドとその信者達がメッカでの布教を諦めて移住したタイミングに置かれている。聖遷と訳される事もあるその移住を「ヒジュラ」と呼ぶのだそうだ。

ホゼ(11・猿)が指摘している通り、中米ユカタン半島では、ちょうどその頃、パカルがパレンケの王として活躍し始めている。そう思うと、パカルからのインスピレーションを受けて生まれた『ドリームスペル13の月の暦)』で、「青い猿」の影響力が働いている13日間(もしくは78日間)に、ペルシアの「青い塩」がペルシア暦の新年を知らせてくれたというのも、何とも奥深い出来事のように感じられる。

当然、この魔法の力は、明日の「円卓座談会」、KIN144の「ドリームバンク」、KIN158の「横浜ナディア」、そして「黄色い銀河の種の年」の「黄色い銀河の種の日」であるKIN164の「円卓読書会」に向けて、さらに高まって行くだろう。「関西出張クラス」は、それまでに起きた全ての魔術的出来事が2日間に凝縮されつつ進行するのだから、どういう事になるのか、現時点では想像もつかない。

日々のシンクロは、決してバラバラに起きているのではない。そこに関わる人々それぞれの物語が、自律的に編み上げられて行くプロセスそのものである。そして、この編み物は、自ら参加する者達によって、永久に美しく編み上げられて行く未完の作品でもある。それが時間船というものの本質であると、私は『ドリームスペル13の月の暦)』を使い続けていて、強く実感するのである。

魔術都市での「サムライと書道展」

2014年03月03日 23:57

銀河の月25日(G3/3)KIN124 黄色い共振の種(byD)

新月の夜、北イタリアのトリノから帰国した。「サムライと書道展」というイベントに参加し、天真会のメンバーと共に剣武の演武や子供達の体験書道教室等を行って来たのだが、メイン会場のホテルSANTO STEFANOの回廊には、予め送られていた書作品も展示されていて、天真書法塾塾長はじめ本部会員やシャンバラ教室生の力作を目にすることが出来た(シャンバラ教室生の作品をまとめたアルバムはこちら)。
IMGP1257.jpg ※揮毫される青木天外塾長
会期は、2/26(KIN119)〜3/10(KIN131=調波33の中心で「猿の創世記」の始まり)で、あと1週間は展示されているので、トリノ近郊(ミラノとかジェノバ等)に友人知人を持つ方が万一この記事を読まれていたら、是非、この催しについて伝えて頂ければと思う。会場は有名な「聖骸布」(磔にされた後のキリストを包んだと信じられている布)が収められているドゥオーモ(サンジョヴァンニ大聖堂)から目と鼻の先にある。

私はそのホテルの330号室に4泊(今気付いたが330×4=1320=パカルの墓の封印から長期暦完了までの期間=ツォルキンの比)したのだが、思えば、昨年の今日(3/3)は、青木先生の喜寿(77)の仮装パーティで(聖☆おにいさんの)イエスに扮していた。また、その日はKIN19だったが、今回の私の作品展示Noも19であった(会期の初日も嵐=19)。
ジーザス ※昨年のパーティにて
伊勢の式年遷宮が完了したタイミングで訪れたNY(現在メルマガで報告中)は、ジョジョ第7部スティール・ボール・ランと完全にシンクロしていたが、今回もその続きで「聖なる遺体(遺物)の収集」をして来たようなものかもしれない。トリノはかつてサルディニア王国の都でもあり、現地でも強烈なジョジョシンクロがあったが、それについては機会を改めて語るなり書くなりしようと思う。何しろ、イタリア側主催者が空条承太郎と日本語で言える位のファンだったりしたので、ひとたび書き始めたら簡単には済まないのだ。

ところで、「聖遺物の収集」作業(といっても実際に物体を集めている訳ではないので、勘違いなさらないように)は、6(3+3)年前のエジプトから始まったような気がする。カイロ博物館でセティ1世のミイラの回りを巡った時の面白い体験をメルマガに書いたことがあるが、その辺りが意識的に古代の遺物とコミュニケーションし始めた最初の頃かもしれない。もっとも、それより前に、初来日したアルタイの入れ墨ミイラと出会った時も、その時代の情報を運ぶ存在として意識してはいたが…。

トリノにはカイロ博物館に次ぐコレクションと言われるエジプト博物館があるのだが、今回は、あいにく拡張工事中で全体の半分くらいしか見られなかった。なので公平な比較は出来ないが、仮にフルオープン状態だったとして、大英博物館やメトロポリタン以上と言えるのかは、ちょっと疑問が残る。というか、エジプトで直に遺跡を見てしまうと、どんなに巨大でインパクトのあるお宝をせしめて来た博物館でも、しょぼく見えてしまうものだ。

奇しくも、ちょうど6年前の今日(3/3)はKIN14で、まさにエジプトのルクソールにいた。「王家の谷」の第14番墳墓から始まって、62番のツタンカーメンの墓まで巡った後は、ナイル東岸のカルナック神殿を参拝し、夜に列車でギザに向かっている。あの時のセティ1世やオンム・セティ(KIN241)とのシンクロにも驚愕したものだが(その一部は『マヤのリズム』にも紹介してある)、トリノでも負けず劣らず強烈なシンクロを体験して来た。

ガイドブックを開いてみれば分かるが、イタリアの中でもトリノの情報は極めて少ない。最近は、国内外問わず、その場に行ってからでもほぼ完璧な場所に導かれるので、あまり下調べはしないのだが、トリノはしようにもその資料が限られていたし、演武や体験教室がメインで、時間的余裕があるかも分からなかったので、結局、何も調べずいきなり街をブラついたりしていた。
IMGP1414.jpg ※塔よりドゥオーモ方面を望む
しかし、それでも、全ては完璧なタイミングでやって来たのだった。それも、最終日に向かって加速するかのように。最終日の朝、その日初めて会った現地ガイドが教えてくれたのは、トリノが白黒両魔術に関わる魔術都市だということ、そして、その中でも特別なパワースポットと言われる場所を、私はそうとは知らずに既に訪れていたということだった。

さらに、その後訪れた別な聖堂では、まるで演出過剰な映画のワンシーンかのような天候の急変。それは「時間の法則」が運んで来たあまりにも完璧なシンクロ現象だった。後からその関係性を発見した私は、戦慄を覚えて鳥肌が立つのを禁じ得なかった。演武に使ったヴィヴァルディの「四季」は、カルミニョーラの演奏によるものだったが、旅の直前に触れ、旅行中も関連本を読んでいたストラディヴァリウスとの関係も出て来て、どうにもまとめるのが困難な状態になってしまった。

もう少し整理がついたら(少し先になると思うが)、「運を創るシンクロ旅行術」の第2弾として、トリノ編をやってみても良いかな等と思っているが、あまりに膨大かつ壮大な流れが関与しているので、ひとまずは以下のクラスで、それぞれの時と場に適った内容(毎回違う側面を語ることになると思う)をシェアするつもりでいる。魔術都市トリノの聖なるエネルギーと繋がってみようという方は、是非「自分のタイミング」で参加してみて頂きたい。

霊性のアート円卓読書会(東京3/8、京都4/20-近日中にアナウンス予定)
銀河シンクロ教室(東京3/9、大阪4/19-近日中にアナウンス予定)
ドリームバンク(東京3/23)

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