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地球に感謝し、叡智を讃える平和の瞑想

2017年11月07日 00:58

自己存在の月20日 (G11/6) KIN167 青いスペクトルの手 (by D)

「地球に感謝し、世界に伝わる叡智を讃える平和の瞑想」が、11/26(KIN187)に呼びかけられている。



今では珍しくなくなったこの手の呼びかけ(世界同時◯◯)に対し、私は時間感覚の変容もあって(特定の時計時間に合わせる事に馴染まなくなり)、シェアしたり呼びかけたりする気持ちが起こらなくなって久しい。しかし、今回はシンクロニシティが幾重にも重なり、自然とシェアしたい気持ちになった。という訳で、まずはイベントの概要から整理してみたいと思う。

【実施日】11/26(KIN187)。
【趣 旨】この日、ル・シエル財団が主催する会議がNY国連本部で行われ、財団によって世界中から選ばれた「地球の叡智を伝える12賢者」が集う。この12人のマスター達と共に世界平和のための瞑想を行い、地球に感謝し、地球上のあらゆる叡智の伝承に賛同するという明確なメッセージを送る。重要なのは共通の意図でひとつになることであり、誰でも、どこから参加するのも歓迎。
【方 法】
同じ日に同じ意図で瞑想する事がポイントであり、細かい手法は特に定められていないし、瞑想の専門家である必要もない。趣旨に賛同する方は、リンク先ページに情報を記入する事で、それを世界に向けて表明し、集いを呼びかける事もできる。

ページには、記入状況が視覚化される世界地図があるので、私達も日時と場所を決めて近日中に記入するつもりでいる。参加者が一人でも二人でも、書き込む事で共鳴場が広がって行くと思うからだ。地球そのものと自然に対する先人の知恵に敬意を払い、人類の精神的調和を望むのであれば、是非、この記事を読まれている皆様にも記入をおすすめしたい(どこまでの情報を書くかも自由に選べるようになっている)。もう少し詳しい背景を知りたい方は、財団のサイトを読んで頂ければと思う。


さて、以下は、このイベントにまつわるシンクロメモである。と同時に、今回、財団からの呼びかけをシェアし、積極的に協力する気になった背景でもある。ル・シエル財団は、文化的、精神的、環境的プロジェクトを通じて、世界規模で調和と生態を回復させるという使命をもって設立された財団である。この財団が、私達の天真体道(剣武・天真書法・瞑想・新体道)の師である青木宏之先生を12賢者の一人に選び、幹部メンバーが来日した経緯については、「エクスカリバーと水晶の円卓 & The Twelve」という記事にまとめた通りである。

その後、予定の一部が変更となり、当初10月下旬とされていた会議が上記の通り11月となり、会議と連続して行われる予定だったシンポジウムは来年に持ち越しとなったが、それとリンクする形で私達は急遽ポーランド行きを決めた。幾つかの候補地の中から、最終的にポーランドを選んだのは、以下の理由による。

(1)コペクニクス生誕地で世界遺産の街トルンの美術館に収蔵された自分の書作品「葦」を見に行く
(2)コペルニクスが学んだ古都クラクフにあるダ・ヴィンチの作品「白貂を抱く貴婦人」を見に行く

(1)の背景については【トルン市東洋美術館収蔵作品「葦」】にまとめた通りで、(2)の方はメルマガで連載中のフィレンツェ・ダヴィンチシンクロの流れから来ているものだった。さらに、ポーランドに関するシンクロが重なったのも理由の一つだ。

ちょうど260日前のKIN167(G2/19)、ル・シエル財団のメンバーは東京で青木先生へのインタビューを行っていた。前日(G2/18)の剣武天真流体験時のものを含む何枚かの写真を、後日(ヴォーグ誌等で世界的に活躍している)カメラマンとして同行していたメンバーの一人、ティンコがまとめて送ってくれたのだが、その時、文末に添付されていたリンクを何気なくクリックしてみると、何と彼はもともとポーランドにルーツを持つ貴族のプリンスである事が分かった。加えて、G2/18(KIN166)の剣武稽古には、財団とは全く別なルートで体験参加したポーランド人女性もいた。

それまでの人生で、ポーランドの方と絡んだ覚えは無いのだが、トルンへの出品をきっかけに回路が開いたかのようだった。実際、ポーランド航空のワルシャワ直行便が2016年のLの誕生日から開通したばかりである事や、『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』の翻訳者である上野真弓さん(味やコスパに厳しい方)が書かれた、ポーランド料理を絶賛する記事を目にするなど、様々なシンクロが続いたのだ。

そして、いつもの事ではあるが、ポーランドへのフライトチケットを押さえた後も、そうしたシンクロは加速し続けた。しかも、思いがけないような形で。G10/2(KIN132)『ドリーム』という映画を見た日に、私達が管理しているFBページ「ドリームスペル時間船地球2013の旅」に「dreamspell journey by valum votan & bolon ik」というページが「いいね」をして来た(リンクを辿ると「時間の法則財団(FLT)」が始まる前まで公式サイトとされていたトルトゥガ・コムのFB版である事が分かった)。

それをLに知らせ、Lが自分のPCで検索をかけると、何とPAN-Polandという名前が上から2番目に出て来た!ちなみに、PANとはPlanet Art Networkの略で、「13の月の暦」ユーザーによる自律的運動体の事を指す。確かに、この暦の使用者は世界中にいるが、ポーランドに仲間が居る事など今まで知らなかったのだから、このタイミングに登場するのは驚き以外の何物でもなかった。おそらく直前にdreamspell journeyの記事を彼らが引用した事と関係して上位に表示されたのだと思われるが、今、同じ検索をしてみても出て来ないのだから、まさに針の穴を通すようなシンクロだったと言える。

そこで、せっかくならとメッセージを送ってみると、クラクフで会おうという事になった。ただ、彼らもクラクフからかなり離れた場所(北西方面に車で10時間余りの所)に住んでいるらしく、ノリも「流れに任せて〜」みたいな感じなので、本当に会えるのかどうかは、半々な感じであった。何しろ、私達がクラクフに到着した時点でも、具体的な会合の日時はまだ決まっていなかったのだ。

結局、滞在最終日となるG10/29(KIN159)の夜にヴァヴェル城の「竜の像」の前で会おうと、彼らが指定して来た。幸い、こちらも望んでいた事はほぼ全て終えられて、後は帰るだけ(翌朝チェックアウト後そのまま帰国)という状況だったので、タイミングは完璧であった。ただ、この日は明け方から天気が荒れていて、宿泊先から至近の公園でも暴風で大きな木が根こそぎ倒されるなど、非日常的な雰囲気にも満ちていた(ニュースでも中欧各地で死者が出た事が報じられていた)。

クラクフ木 ★ヤギェウォ大学前の公園にて

日中は多少落ち着いて、時折青空が見える事もあったが、雨混じりの冷たい風は夜になっても吹き続けていた。待ち合わせのヴァヴェル城は、夏に封切られた映画『ギングアーサー』のキャメロット城そのままのイメージで、王宮には戴冠式に使われたという「エクスカリバー」のような剣が展示されていて、城の地下には竜が棲んでいたと伝えられる洞窟がある。その洞窟の出口付近に作られた竜のオブジェの前で、私達は無事落ち合う事ができた。

PANPoland.jpg ★PANポーランドメンバーと。後ろの13は偶然。

嵐のKIN159(3・嵐)に、Yaro(5・嵐)、Julia(1・風)、Monika(7・風)という3人と会う事自体がシンクロだったが、彼らにしてみても「7・竜」の私に会うならヴァヴェル城の竜の前で、と思っていたらしい。Yaroも私もジョッシュ(KIN211)に捧げられた『時空のサーファー』に大きな影響を受けている事が分かったが、実はこの日(G10/29)は、私よりぴったり30日前に生まれたジョッシュ(KIN211)が他界してから、ぴったり30年というタイミングでもあった。

それは同時に、「時間の法則に関する世界会議(1997)」で、アグエイアス夫妻から未来の子供達を代表して「13の月の暦」を受け取る役を演じた丸山貴彦氏(剣武天真流本部正師範)が生まれてからぴったり30年である事も意味していた。さらに、私達にとっては、二子玉川で人生初の4重虹を見てから3銀河スピン(780日=火星会合周期)というタイミングでもあった。この日集った5人の「銀河の音」の合計が「30」になったのも、偶然ではないのだろう。

虹の橋 ★クラクフ中央広場Yaroが投影した虹の地球

Yaroがスマホで、黄色と黒のチョウがツォルキンのKIN260の場所から黄色と黒で描かれたフナブ・クの図に飛ぶ映像を見せてくれたので、私も『霊性のアート 心の豊かさを育む技』のP108に掲載した青い虫の写真(手帳の月の絵の所に飛来した)を彼らに見せた。その日付はKIN187で、当時はマヤ長期暦大周期の完了20日前のサインかと思っていたが、『霊性のアート』が完成した時、その中で一番記しておきたかった図がP187に掲載された事を知った。

青い虫 

「青い手」の日付にはカトマンズで偶然出会った「13人のグランマザー」との繋がりもあるので、以下に日付を整理してみる。
2012.11.11(KIN167=11・手)カトマンズで「13人のグランマザー」に偶然出会う(主催アマ・ボンポ)。
2012.12.01(KIN187=5・手)自由が丘駅で「青い虫」が「13の月の暦・手帳」に止まる
2012.12.21(KIN207=12・手)マヤ長期暦大周期の完了(13.0.0.0.0)

この「13人のグランマザー」と「12賢者会議」が、同じ関係者によって呼びかけられているのを知った経緯は、前出のブログ記事「エクスカリバーと水晶の円卓 & The Twelve」にも記してあるが、普段カトマンズにいるアマ・ボンポが、20日後の「NY12賢者会議」で青木先生と同じ場にいると思うと、不思議でならない。

ポーランドの3人に出会った日の朝、私達はテレビでクラクフ出身のヨハネパウロ2世の像が完成したというニュースを目にしていた。気になって調べてみると、ヨハネパウロ2世が第264代ローマ教皇に選ばれたのは1978.10.16(KIN211)。Yaroと私達を結びつけたジョッシュの誕生KINと同じだった。加えて、古都クラクフが最初の世界遺産「オリジナル12」に選ばれたのも1978年。それから39(13×3)年して青木先生が12賢者に選ばれた事になる。

両剣水晶 ★上がYaroからの贈り物。下は今年横浜ナディアで手に入れた両剣水晶

「青い虫」をPANポーランドメンバーに見せ、Yaroから両剣水晶をプレゼントされた翌日(G10/30=KIN160)、ワルシャワで国内線から国際線に乗り継ぐ間に、ル・シエル財団のFB記事で、上記の呼びかけを目にした。呼びかけられている日付は「青い虫」からぴったり7銀河スピン(=5年-5日)目に当たるKIN187(5・手)。5年前も今年も、月日の「銀河の音」が重なる「魔術の亀の日」となるスペシャルデイである事が判明した。

ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンにおいて、地球軌道と対応する「青い手」のキーワードは「遂行/知る/癒し」、「倍音(5)」のキーワードは「輝き/授ける/命じる」。黄色い水晶の種(12・種)の年に「12人のマスター」を国連に集めるル・シエル財団も素晴らしいが、その一人が日本人だというだけでなく、青木先生だというのが私にとっては何よりもの驚きであり、喜びである。

思えば、「世界同時◯◯」の走りとも言える平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」(1987)は、「13の月の暦」の提唱者であるホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が呼びかけたイベントだった。1990年に『ドリームスペル13の月の暦)』が発表されて以降は、毎年「時間をはずした日」(G7/25)に、集合的な祈りや瞑想、祝祭が呼びかけられて来た。

水の結晶写真で世界的に知られるようになった江本勝所長が、「水に愛と感謝を捧げる日」を「時間をはずした日」にシンクロさせるようになったのも、アグエイアス夫妻との交流があったからだが、その経緯は、2012年にヒカルランドから出た江本所長との共著『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に記した通りである。この本のカバー絵(シャスタ山の写真)は、偶然にもカトマンズで「13人のグランマザー」全員に見てもらっている。

そういう意味で、今回呼びかけられている「12賢者と共に行う世界平和の瞑想」は、私にとって、青木先生、江本所長、アグエイアス夫妻という先人達全てのエネルギーが収束した特別な意味を持つイベントなのだ。12人のマスターは、前日の11/25(KIN186)から会議をスタートする予定で、その日、丸山師範と私は「魂振りNight2017」のオープニングで剣武の演武をさせて頂く事になっている。

奇しくもこの日は、ダ・ヴィンチ(KIN186)の794回目の銀河の誕生日であり、上記『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』の発刊7銀河スピンのタイミングに当たる。そしてそれは、来年の私の太陽暦誕生日の260日前にも当たっているのだ(来年の「運命の道筋」がKIN186になるという事)。

24年前に新体道の稽古を始めた時、22年前にIHM(江本所長の会社)に入社した時、21年前に『時空のサーファー』を通じて「13の月の暦」を知った時に、こんな日が巡って来るとは全く想像もしていなかった。しかし、時は来た。まずは、11/25(KIN186)の「魂振りNight」オープニングをしっかり務め、11/26(KIN187)には瞑想を通じてひとつに繋がりたいと思う。そして、KIN186、187にご一緒できる方は、是非、共に輝きましょう!
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チベット書道とトゥルンパ・リンポチェ

2017年08月26日 13:20

月の月4日 (G8/26) KIN95 青い自己存在の鷲 (by D)

8/20(日)は、「13の月の暦」のツォルキンだとKIN89(11・月)で、この暦の提唱者の一人、ホゼ・アグエイアス博士が旅立って、ちょうど9銀河スピン(9×260)というタイミングだった。「普遍的な水/清める/流れ」というキーワードを持つ「赤い月」の紋章コード番号も9で、9はマヤの世界観で冥界を意味する数でもあるから、私の中では何となく「お盆」と重なるイメージがあった(*1)。

その日、私達は中野で行われていた「チベット書道」の展示会場で、インド・シッキムから来日していた作者、ジャムヤン・ドルジェ氏による講演会『チベット絵巻の美しさと、その製作秘話』に参加していた。展示自体は8/11から行われていて、講演も期間中4回あったのだが、この催しを知った時点で既に期間の半分ほどが経過していて、何とか最終日に予定を調整する事ができたという状況だった。

そういう意味ではギリギリだったのだが、作品のエネルギーをその場で味わい、ジャムヤン氏の講演を直に聞けたのは大変な幸運であった。主催のチベット文化研究所FB情報をシェアして、この展示や講演について知らせて下さったゾクチェンパの箱寺さん(=『マヤのリズム』にご登場頂いてるボン教の森さん)に感謝したい。

講演前に会場の作品を拝見していると、ソナムさんという女性が、そこに書かれている文字や尊像の意味を丁寧に解説して下さった。驚くべき事に、よく見ると、タンカ(仏画)に見える像の殆ど全て(例えば衣の部分までも)が、非常に細かなチベット文字で描かれている。斬新な構成の作品も、チベット文字のマントラで埋め尽くされていたりして驚かされたが、どれも清冽な力に満ちている印象を受けた。

放射状 ゆらぎ 空性と慈悲 

講演の開始時間になり、作品に囲まれた部屋の中央あたりに座ると、最終日(&最後の講演)という事で、急遽ペマ・ギャルポ所長自らが通訳を買って出られる事になった。お陰で、生き字引とも言えるペマ所長だからこその興味深いエピソードも聞けて、非常に充実した時間となった。

チベ書道 

ジャムヤン氏は、チベット亡命政府の舞台芸術団TIPAの芸術監督(1994-2000)などの要職に就き、チベット文化の保全および社会活動に従事されて来たとの事だが、現在のようなスタイルのチベット書道を始められたのは割と最近で、私の聞き間違いでなければ2007年頃からとの事。毎朝、お経を唱える代わりに書く事を始め、段々と今のスタイルのようになって行ったらしい。

そのプロセスでジャムヤン氏は、何と、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェにかなりインスパイアされた、と述べられた。まさか、ホゼ(11・猿)の命日KIN(11・月)に、彼の仏教の師でもあるトゥルンパ・リンポチェ(11・地球)の話が出て来るとは思っていなかったので、私達は大いに驚いた。

もちろん、トゥルンパが日本の華道や茶道などを深く学んでいたのは知っていたが、書に関してもダルマアートとして取り入れていたとは、認識していなかったからだ。だが、ペマ所長が補足するように付け加えられた以下の言葉は、更なる驚きに満ちていた。曰く「トゥルンパ・リンポチェは大本教の出口さん(*2)に日本の書や芸術を学んでいた」と。

大本教については3ヶ月ほど前に「大本を辿るー浅野正恭と井上鑑昭」というブログ記事で詳しく触れたばかりだし、実は昨日、その記事に中心的に登場している増田さん(KIN118)の「増田博一うつわ展」初日に行って来たばかりでもあった。加えて、浅野和三郎が登場している本までその場で見せてもらっていたので、この流れはまだまだ展開して行きそうなのだが、今は話をチベット書道に戻しておこう。

文字比較 

その後、講演会は、様々な書体を比較した実演なども交えながら進められたのだが、私が何より感動したのは、ジャムヤン氏の作品制作に対する姿勢、動機についてのお話だった。あくまでも「自分の心の修行、修練」というのが第一の目的であり、第二は「作品を目にする方の心の平和に役立つようであれば嬉しい」という事で、「それ以外は無いし、これで生活したり稼ごうと思った訳でも無い」と明言されていたところにシビれてしまった。

もちろん、実際の所がどうなのかは知りようも無いのだが、私が氏の言葉を信じられるのは、作品から受ける印象とその動機がマッチしていたからである。もし、営利目的や自己アピール意識の方が、元々の動機より比率的に大きくなっているとしたら、作品からも本人の存在感からも、そういう雰囲気が出てしまうものなのだ。

心経仏陀 ★般若心経で描かれたブッダ

真言や経文を細かく書いて描線とし、仏画を作成する手法は、ジャムヤン氏オリジナルのもので、いわばチベット書道(あるいはタンカ)の世界に全く新しい風を巻き起こしている訳だが、「俺が第一人者で先駆者だ」みたいな雰囲気は微塵もないし、最初の閃きがあった時にも、「このような手法を試みても良いものでしょうか」と、まずラマにお伺いを立てたそうだから(仏教徒としては自然な事かもしれないが)、独創性で売り込みたい人達とは、そもそも方向性が違うのである。

そして、ちょうどそれは、今まさに読み進めている『クリティカル・パス』(B・フラー著)の中に出てくる「バックミンスター・フラーの自己規律」とも重なる方針だったので、私には余計に響いたのだった。前後の文脈を無視して抜粋すると誤解を招くかもしれないが、以下にその本から一文だけ引用してみよう。

”私は仕事をつづけていくために必要不可欠な材料、道具、そして資金の提供を生態学的なプリセッションに全面的に依拠する一方、家族と自分のために「生活費を稼ぐ」という考えを永遠に捨て去る決心をした”(『クリティカル・パス』P250から引用)

この決心が、自分や家族が生きて行くのに必要なものだけではなく、人類に役立つ知恵や直感をフラーにもたらした、とフラーは本書の中で繰り返し述べている。端から見れば、結果的には生活費を稼いでいるように見える面があったとしても、それを目的にしていないというのがミソであり、ジャムヤン氏と共通する所でもあるのだ。

例えば、ジャムヤン氏は、今や失われかけているチベット文化を世に知らしめ、その保存や復興を呼びかける意図で、書道スクロールの最長世界記録にも挑んだりしている。これなども、下手をすると「単に目立ちたい人間」と受け取られかねないアプローチだが、動機にゆるぎないものがあれば、そのようには見られないものなのである。

DL.jpg ★チベタン・カリグラフィーの保存活動に対してダライ・ラマ法王からも激励を受けられた模様

ちなみに、最長記録として認められた経文の巻物は163m、52キロとの事。その前日(KIN88)、横浜ナディアでの「13の月の暦」クラスで例題に立候補して下さったMさんがKIN163だった事や、この暦の1年が52週で、52年で還暦を迎える事を知っている身としては、このタイミングと数字にも驚かされたのは言うまでも無い。

おまけで書いておくと、ホゼが『マヤン・ファクター』を捧げた相手は、C・T・ムクポことチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェで、『時空のサーファー』を捧げたのは息子のジョッシュ。どちらもハーモニック・コンバージェンス(H・C)のあった1987年に他界していて、どちらの本の内容もH・Cについてのものなのは、偶然ではない。そして、H・C30周年直後のホゼの命日KINに、チベット文化の精髄に触れたことも。

なぜなら、H・Cは単に「ケツァルコアトル(13の天国と9の地獄)の預言」というマヤの預言周期に基づいたものであっただけではなく、西暦1027年から数えられ始めたチベットのカーラチャクラ暦での、特別な区切りの年であった(1027+960=1987、960=60×16)事も関係していたからである。

その日、会場に着くまで頭痛が続いていたLは、帰りにそれがすっかり取れているのに気づいて大層喜んでいたが、ジャムヤン氏の作品制作に対する動機を知ると、会場全体が清浄な空間になっていたのにも納得が行く。また、今回展示されていた作品は、全てダライ・ラマ法王(KIN14)がご覧になっている(ジャムヤン氏によればそれは開眼と同じ意味合いがあるとの事)特別な作品群との事だったので、そういう影響もあったのかもしれない。

おそらく私たちは、場所だけではなく、時間(周期)とか作者とか、作品に込められた動機からも、様々な影響を受けるのであろう。だとしたら、逆にそれを活用する事も出来る、という事である。日々どういう動機で過ごすのかについて、私達はもう少し注意深くあっても良いのかもしれない。


(*1)前日のKIN88は他界した父の108(9×12)回目の誕生KINで、サイ時間がKIN241(=自分の誕生KIN)だった事も、異世界との繋がりを意識させたのかもしれない。

(*2)その場で勝手に王仁三郎氏の事かと想像していたが、それぞれの生没年を確認すると、王仁三郎の死亡時、トゥルンパはまだ9歳前後だった計算になるので、ペマさんの言う出口さんとは、王仁三郎の事ではなく、その次の世代以降のどなたかという事だと思われる。また機会があれば詳しく伺ってみたいと思う。

ハーモニック・コンバージェンス30周年「時空を超えた出会い」

2017年08月19日 03:53

磁気の月24日 (G8/18) KIN87 青い太陽の手 (by D)

8/16、17は、「ケツァルコアトル(13の天国と9の地獄)の預言」というマヤに伝わる預言に基づいて、1987年に催された世界規模の平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」(以下H・C)の30周年を記念するタイミングだった。マヤ長期暦のバクトゥンという単位、そして聖書の黙示録に登場する数でもある144,000人が世界の聖地で祈る必要性を訴えたこのイベントは、後に『13の月の暦ドリームスペル)』を提唱するホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻によって、呼びかけられたものだった。

しかし、このイベントが実際には何を意味するものだったのか、あるいはどういうコンテクストで呼びかけられたものだったのかを知る人は少ない。昨今は「同時刻に気持ちを合わせて祈りましょう」的なものも珍しく無くなった関係で、そういうものの一つくらいにしか認識されていないような気もするが、H・Cこそが、そうした運動のモデルになった源泉の一つなのであり、だからこそ、当時の先鋭的なアーティスト達が反応し、メディアも取り上げたのだ。

マヤ暦という呼称を巧みに組み込む21世紀の商人たちは、このH・C情報やイベントも商材にしてしまうような所があるので、本質を知りたい方は、無駄に散財する前に、まず呼びかけた張本人であるホゼやロイディーンの文章に当たる事をお薦めしたい(むやみやたらと情報収集に走る人に限って、改変されまくった2次、3次情報にひっかかるケースが多く見受けられる)。以下に参考情報を記しておく。

・『新しい時間の発見』(風雲舎)P48〜
・『マヤン・ファクター』(VOICE)の P275〜
・『時空のサーファー』は全体的にその経過をまとめたもの(小学館版とモデラート版がある)

HC本 

ところで、少なくとも上記書籍の内容くらいは把握している私達自身は、この記念すべき2日間をどう過ごしたのか?を書いておこう。過去にはイベントを主催した事もあったし、今後も閃きがあれば何か呼びかけたりするかもしれないが、「銀河時間で生活し、それを体現し続ける事はイベント開催と同等の働きを持つ」と実感している私達は、「普段通りシンクロ時間を生きる」事を徹底させていた。

KIN85(8/16)は、横浜元町アンブロシアの野田さん(KIN101=Lの反対のパートナー)に髪をカットして頂いた後、三菱一号館美術館で開催されている「レオナルド×ミケランジェロ展」へ。もともとは別な予定があったのだが、諸事情によりそれが延期となり、時間がぽっかり出来た。その時、KIN85から突如思い出したのは、G5/30(水晶の月1日)にフィレンツェのウフィツィ美術館で、ダ・ヴィンチの「マギ(東方三博士)の礼拝」を見た部屋が「85」だったという事。

IMG_1516.jpg 

加えて、「レオナルド×ミケランジェロ展」の最終日(G9/24=KIN124)は、ウフィツィ美術館での「マギの礼拝」特別展示期間最終日ともシンクロしており、三菱一号館を「3・1 → 3・竜」とすると、今の私の道筋KIN81ともシンクロする事にも気付いた。こうして「お告げを読む」と、然るべき時に然るべき場所に行けるという事を、21年前に『時空のサーファー』を手にした直後から連続的に体験し続けているのだから、迷う事はない。

IMG_2086.jpg ★私の初イタリアは2014トリノ、2回目は2016フィレンツェ

ユリウス暦からグレゴリオ暦への変換に注意すれば、ダ・ヴィンチはKIN186(4・橋渡し)、ミケランジェロはKIN221(13・竜)で、共に私達の地球家族である。さらに、今年のG4/24にダ・ヴィンチは生誕565周年をKIN231で迎えていて、その時Lは79銀河スピンを迎えた。そしてウフィツィ美術館で「マギの礼拝」以外のダ・ヴィンチの作品は「79」の部屋に展示されているのだ。このシンクロは、私たちが生きている間には、今年しか起きない。

ある意味、シンクロの醍醐味は、こうした一回性にこそあると言えよう。展示会場は想像していたよりも空いていて、ハーモニック・コンバージェンス30周年の記念日に、ルネサンスのエネルギーが収束しているかのような巨匠2人の筆致を思う存分堪能出来たのは、何よりの喜びだった。

KIN86(G8/17)は、こよみ屋KOZOさん主催の「ハーモニック・コンバージェンス30周年の集い」で渋谷デイライトキッチンへ。懐かしいメンバーとの再会や、日本各地から参加された方々との出会いを楽しませて頂いたが、中でも香りと共にマダガスカル産の水晶もギフトとして贈って下さった芳美さん(KIN108)のセレモニー、パカル王の生誕1414年(今年)の道筋とシンクロしているタツさん(KIN200)の話(見事に要点が押さえられていた)には、感動するものがあった。

しかし、今回、個人的に最もスパークしたのは、私が「13の月の暦」に出会った直接的な原因でもある『時空のサーファー』(小学館)編集担当者のOさんに、20年越しでようやくお会い出来た瞬間だった。想像していた以上の共鳴度の高さに、初めてお会いしたとは思えない気分だったが、何だか無性に嬉しくて『マヤン・ファクター』監訳者の滝元さん(KIN190=パカル王)を交えつつ、すっかり話し込んでしまった(*追記1)。

ot.jpg ★中央が尾崎さん、右が滝元さん

何しろ、H・Cについて詳しく書かれている原典的な2冊の本の直接的な関係者と、その30周年記念の日にゆっくり語り合えたのだから、これ以上の至福は無い。きっと、ホゼも喜んでくれたのではないだろうか。これも、集いを企画・実施して下さったKOZOさんや関係者のみなさまのお陰と感謝する次第である。

これだけでも、もう十分なギフトを頂いた気分だったが、驚きはまだ続いた。何と、30年前のH・Cを富士山頂で迎えて参加されたオノ・ヨーコさんについての番組が、翌KIN87(G8/18)にNHKで放映される事が分かったのだ。何週間か前に、ニュース記事で8月に放映があるのを見かけてはいたのだが、それが具体的にいつだったかはメモしていなかった。それを、Lが再確認してくれたのだった。

30周年の2日間が続いた直後のこのタイミングでの放映は、アグエイアス夫妻がH・Cを通じて世界に広めた「ケツァルコアトルの預言」が、今も生きている事を示しているように思えた。そして、KIN186(4・橋渡し)生まれの彼女は、ダ・ヴィンチ(KIN186)との繋がりを明確に意識させるだけでなく、H・C30周年初日(8/16)に「レオナルド×ミケランジェロ展」に導かれたのが、単なる偶発性のものではなかった事を感じさせてもくれた。

実は、オノ・ヨーコさんがH・Cに参加したという話を聞いた当初は「本当だろうか?」という気持ちもどこかにあったのだが、ある時、ご本人による『ただの私(あたし)』(飯村隆彦編/講談社文庫)の中で、証拠をつかむ事ができた(*追記2)。以下、巻末の南里空海さんによる解説文(P240)より引用してみよう。

”三年前にヨーコさんと一緒に富士登山をしたことを思い出す。世界中の平和を願う人達が同時刻に指定された場所で平和を祈るというもので、日本では富士山頂がその場所だった”

この文章は、1990年の出来事を振り返る文脈で書かれているので、やはりH・Cに富士山で参加したというのは本当だったのだ。それにしても、この文章が書かれているのがP240というのも凄い。何故なら、ホゼに強い影響を与え、富士山頂にあった富士山レーダーの設計者でもあったB・フラーの誕生KINがKIN240だからだ。

もう一つ、南里空海さんまで一緒にH・Cに参加されていた事も驚きだ。この方『伊勢の神宮』という素晴らしい本を出されているのだが、ホゼは2004年に伊勢の神宮神域内で講演し、私達を含む当時のPAN(惑星芸術ネットワーク)メンバーと共に『ドリームスペル』日本語版を内宮で奉納している。そして20年周期(≒カトゥン)で行われている式年遷宮は、「銀河の同期」と同じ2013年に行われたばかり。見えない次元での繋がりを意識せずにはいられない。

せっかくなので、番組に一緒に出ていた息子のショーン・レノンについても触れておこう。父、ジョン(KIN114)と同じG10/9生まれの彼は、KIN149(6・月)。この日付は、私が滝元さんと共にパレンケを訪れ、碑銘の神殿でテレクトノンをプレイし、地下墓室で石棺を目にした日付。流石にH・C 30周年、強烈である。

が、まだ続きがある。H・C10周年(ケツァルコアトル・プロジェクトの完了)を祝って、アグエイアス夫妻らと共に、目黒不動尊で祈った事は、Lも私もよく覚えていたし、その時からぴったり20年だった8/16にも話題にしてはいたのだが、どこかに記録があったはず、と今日改めて探してみたら、パン・ジャパン・ライブラリー「黄色い倍音の種の年(1)」の冒頭から2/3辺りに、以下の文章を発見した。

”国際日付変更線を交差したために、私たちは、磁気の月22日、ハーモニック・コンバージェンスの10周年を二度祝うという体験をしました。私たちはハーモニック・コンバージェンスのお祝いを二度、一回は日本で、もう一回はマウイで行なったのです。

日本での第1回目のお祝いは、パン・ジャパンの人たちと共に、東京の目黒不動尊で美しい夜明けのセレモニーを行ないました。私たちは輪になって立ち、いまや実現可能になっている「13の月の暦に替えること」にみずから誓いを立てました。私たちは、セレモニーのあと、ほかならぬデニーズで朝食ミーティングを行ないました。そこで、将来の協力関係に関する詳細を最終的に話し合ったのです。そして同じ日、私たちの第2回目のハーモニック・コンバージェンスのお祝いのために、日本からマウイへと太平洋を横断して、私たちはハレアカラ──太陽の家──の頂上まで行きました。”

この記事を再発見したのが今日KIN87「青い太陽の手」(パカルの特別な13日)で、マウイ島が「青い手」の惑星ホロンエリアにあること、そして、同じ日に、H・Cの呼びかけに応じて富士山頂で祈ったというオノ・ヨーコが出演する番組がNHKで放映されたことは、やはり時空の記憶回路「スユア」の活性化と決して無関係ではないだろう。

さらに、私は、翌日(というかもう明け方になりそうだが)のKIN88、マウイと横浜に拠点があるナディアで、「13の月の暦」についての話をする予定になっているのだ。だから、今回のナディアでのクラスに参加される方は、この文章を読んでいようがいまいが、自動的にH・Cのスユア(記憶回路)と完全に接続する事になる。おそらく、そこに居合わせるだけで、私が21年前に体験したようなシンクロ加速体験が始まるだろう。

私は「13の月の暦」の勉強をしてシンクロが加速した訳ではない。『時空のサーファー』に出会って、スユア(時空の記憶回路)が激しく活性化されたからこそ、直後にホゼ・アグエイアス本人に出会い、暦の本質も体感的に分かってしまったのだ。いや、仕組みや本質の理解に必要な学問的側面も、既にシンクロで済ませていたという方が正しいかもしれない。

いずれにせよ、ポイントのズレまくった勉強をするよりも、然るべき時に然るべき場に居合わせる方が、ずっと理解は早い。「然るべき時」がよく分からないという人は、即座に横浜ナディア行きを決意するか、それが無理なら来週の神楽坂セイ・ギー・ヒーの機会を逃さない事だ。この文章を読んで、そういう行動を取れる方なら、もうそれだけで大丈夫である。

(*追記1)”KIN90の夜、文中のOさんこと尾崎さんに確認が取れたので、どうしても書いておきたかったエピソードを、写真と共に添えておく。実は、この尾崎さんと滝元さん、ホゼの著書に関わったという以外には全く接点が無かったのにも関わらず、驚くべきことに、ある時期、同じ高層マンションのお隣さん同士だったのだ!2人を繋ぐ唯一の人物である高橋徹さんが、年賀状の住所を見比べて気付いたらしいのだが、随分後になって、偶々某駅でバッタリ会った時に徹さんが滝元さんに伝え、その後3人で会う事になったという。そんな超シンクロ体験を誰にも話さず黙っていられる徹さんにも驚かされるが、やはり、こうした事実があると「ユスア」の働きというものを実感せずにはいられない。

(*追記2) ハーモニック・コンバージェス当日、オノ・ヨーコさんが富士山に登ったという話は、『マヤン・カレンダー』(VOICE)にも書かれている事を、その著者で日本での「13の月の暦」普及の土台を築いて下さった高橋徹さんから、最近のやりとりの中で教えて頂いた(私もおそらくこの本で知ったのだと思うが、すっかり失念していた)。1994年刊の最初のバージョンではP13に、2000年刊の新装増補版ではP20にその記述がある。

天神さんと天迅さんの梅(前編)

2016年01月30日 22:26

■共振の月21日(G1/30)KIN42 白い電気の風(by D)

大阪チャクラで1/24(日)に予定されていた「惑星意識と繋がる共振テクノロジー」には、8名の予約申込者があったが、何とそのうち3名は九州の方だった。場の力なのか、チャクラさんでのクラスには、北海道から沖縄まで幅広いエリアから参加者が集う傾向があるが、参加し易いはずの近畿圏の方がそれほど多く無いのは、毎度のことながら不思議な現象である。

それはさておき、1週間前の予報では特に問題の無さそうだったお天気が、開催日が近付くにつれ「今年最大の寒波が列島を襲う」というニュースばかりになって来て、直前には「24日がピーク」と報じられる始末。特に、九州や山陰の一部は「暴風雪」による交通機関の麻痺も警告されていたし、西日本から関東の平野部でも積雪が予想されていたので、下手をすると私自身も時間通りに現地に辿り着けない可能性が出て来た。

天気で足止めされた経験が殆ど無い晴れ男の私も、「自分は何とかなるとして、九州の方々に無理して来て頂くのはどうだろうか?」と一般的な対応(中止、延期、返金等)を考えるくらい、気象データは激しさを増していた。だが、リアリティ変容装置である『ドリームスペル13の月の暦)』の効力を実感し続けて来たもう1人の自分は、むしろ、このタイミングに九州からの参加者が3名もいるという現実の方に意味があるのではないか?まさに「共振テクノロジー」が試されているのではないか?と考えてもいた。

そこで、私は以下のようなツイートだけをして、「あとは朝になってみれば分かること」と、特に参加者向けの連絡はしないまま、早めに床に就くことにした。参加予定者の皆さんも同じ気持ちだったのか、あれだけメディアが騒いでいた中、「クラスが開催されるかどうか」を問い合わせて来られた方は、誰一人いらっしゃらなかった(これは中々凄いことだと思う)。


クリカ D&L ‏@rainbowkulika 1月23日
今夜から明日にかけて、大阪に集うことを躊躇させるような天気予報が出ているが、これは意識とリアリティ(天気、交通機関等を含む現実と思っている全て)の呼応という、『13の月の暦ドリームスペル)』(意識変容装置)がもたらす新世界を体験するのにはもってこいの、出来過ぎた場面設定だ。D

クリカ D&L ‏@rainbowkulika 1月23日
「意識とリアリティの呼応」というと、「大雪の予報だったのに空が俄に晴れ渡り」みたいなものをイメージしがちだが(それも実際あるが)、こんな素敵なパターンもある。結局は、「覚悟」に基づく”縁”なのだ。覚悟の無い所に”縁”は生じ無い。D
http://www.imishin.jp/ruriko-kawaguchi/


もちろん私は、これまで実践してきた「共振テクノロジー」を十全に活用して当日に望んだが、特に今回チャネルしてみたのは天神さん(菅原道真公)であった。何故なら、会場のチャクラは「大阪天満宮」のすぐ側であり(住所も菅原町)、九州には「太宰府天満宮」がある。そしてもう一つ、正月明けに二子玉川ラサを初訪問した際、主人の石川さんから全く別な文脈で薦められた大将軍八神社もまた、京都「北野天満宮」の至近にある事を知ったからだ。

さらに、アグエイアス夫妻は、2001年7月25日(KIN203)に行われた天神祭(大阪天満宮)に参加していて、チャクラさんは、日本一長い天神橋筋商店街にもお店を出されている。これらの「繋がりを見出し」て「共振させる」のが、まさに「ドリームスペルのお告げを読む」行為の実践なのだ。暦の情報を使って行うのが基本だが、その手法のひとつ「置き換え」に馴染んで自由度を上げられれば、この位の応用はお茶の子である。

何しろ、『ドリームスペル13の月の暦)』は意識とリアリティを変容させてしまう装置として、銀河知性から贈り届けられたもの(とされる)。日付や人間関係の意味を誰かに説いてもらって安心したり納得したりしたいだけなら、既にこの惑星で長いこと使われて来た別なツールを用いた方がずっと確実だし、目的にも適っている。新しい道具は新しい精神で扱わなければ意味が無い。

1/24(日)の早朝、暗い内に目を覚ました私は、朝一番で目にした写真入りニュース記事(配信は23日深夜)に「福岡市・天神」と書かれているのを発見して、「きっと九州からの参加者も無事大阪に辿り着けるはずだ」と確信した。二子玉川駅のホームから、東の空に「赤い星」(後から火星と判明)がキラリと輝いて見えた事でさらに確信を深めた私は、電車に乗り込んでからその思いをツイッターにも記しておいた。
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指定を予約していた「のぞみ5号」も予定通り運行しており、夜明けの丹沢山系、朝陽に輝く富士山、カイラスのような伊吹山を楽しんでいるうち、あっという間に快晴の新大阪に到着。列車の外に出ると、確かにこの冬一番の厳しい寒さを感じたが、新大阪、大阪(東梅田)の乗り継ぎは、信じられないほどスムーズで、ホームでの待ち時間は実質ゼロだった。おかげで、乗換え案内の通りに行けたとしても9:30過ぎという予定よりさらに早く南森町駅に到着。
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コンビニでコピーを済ませても尚、十分に余裕があったので、(全員が揃う前提で)御礼参りに大阪天満宮へ。大きな通りから適当に左折したら、ぴったり真正面に出て、まるで招待されたかのような気分になる。前日、天満宮のサイトで以下の説明を目にしていたので、本殿、大将軍社と順にお参りし、最後に社務所でおみくじを引いた。

”菅公は、摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向いました(中略)その約50年後、天暦3年(949年)のある夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢(こずえ)は、金色の霊光を放ったと言われます。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、これを菅公に縁の奇端として、同地に勅命を以て鎮座されました。”

おみくじは20番「吉」。KIN241の月、KIN241のエセル(ホゼの母)が生まれた日に、KIN241の私がこの番号を引くという事が、既に大いなる神秘である。何故なら、KIN241(7・竜)の神秘のパートナー(260日の中で最も神秘な関係)がKIN20(7・太陽)だからだ。おまけに、「7本の松」伝説と結びつけられている場での話。そして、前夜、調べていた道真公の誕生と死の日付は以下の通り(和暦とユリウス暦の日付を「換暦」というサイトで変換確認した)。

誕生:845年8月5日 KIN254(7・魔法使い)
死去:903年3月31日 KIN237(3・地球)

つまり、菅原道真公(天神さん)の銀河の署名は「白い共振の魔法使い」。銀河の音が「7」だったというだけでなく、テレクトノンでの「預言の第7年」とも完全にシンクロしていた。「共振の(7)」のキーワードChannelは、『ドリームスペル』の中では「通す」と訳されている(これはPAN翻訳チームのメンバー全員で相談して決められたものなので、拙著でもそれに従った訳語を掲載している)。

ドリームスペル13の月の暦)』の1年の中心(共振の月の中央)で、「共振テクノロジー」を学ぶのに、チャクラ(菅原町6-12)がどれだけ相応しい場所であったかが証明された思いがした。また、今回の参加者が何故九州に偏っていたのかの謎も解けた気がした。天神さんを通じて(通して)、私達は「7(共振)の力」をダイレクトに体感する事になっていたのだ。
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実際、チャクラに着くと、事前に「交通事情で1時間ほど遅れます」と連絡のあった方以外は、全員オンタイムで会場に到着されていたし、最終的にはその方も無事に辿り着いた。後で話を聞いたら、皆さんそれぞれかなり大変な思いをしながら来て下さった事が分かったが、どういう形であれ、あの場に集えたこと自体が「共振テクノロジー」の実際的な働きであり、その時点で「時間旅行者」としての私達の今回のミッションは、無事成功したと言えるのだ。

尚、道真公は、和暦だと承和12年6月25日に生まれ、延喜3年2月25日に他界している。その関係で、天神さんでは毎月25日が縁日という事になっていて、天神祭もG7/25(『13の月の暦』での「時間をはずした日」)に行われれている。アグエイアス夫妻が参加した天神祭は、上記の通り2001年7月25日(KIN203)だったが、九州からの参加者の中に、まさにそのKIN203の方がいらしたのは、ひとつの非常に分かり易いサインだったと言えよう。
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天満宮本殿の屋根の上に、5枚の花弁からなる「梅紋」が5つあったのも、この「25(5×5)」を意識したものなのかもしれない。今回は珍しく「のぞみ5号」で訪阪したが(といっても時間の関係でそうなっただけで狙った訳ではない)、これは道真公だけでなく、『ドリームスペル』との共振でもあった。なぜなら、『ドリームスペル』には、盛んに「第5の力」とか「五度和音」の話が出てくるからだ。日本語版マニュアルP55(5×11)にその解説があるので、以下に引用してみよう。

”【銀河の五度和音】銀河の第5の力の秩序による1つの星系の調波共振。普遍生命の獲得を意味する。次の響きは、2013年に起こりうる。”

私が大阪での暦クラスを、チャクラという場で継続的に行うようになったのも、「銀河の五度和音」(&この情報を伝えたアグエイアス夫妻)と響き合う「天神さま」が、様々なレベルで関与していたのかもしれない。「やっと分かったか!」とでも言わんばかりに、昨日、私は驚くべき事実を知った。この記事の大半を書いたG1/29(KIN41)が、古代マヤのツォルキンだと「7イシュ」、ドリームスペル風に置き換えれば「7・魔法使い(KIN254)」の日だったのだ。

「七本の松」の話で登場した村上天皇を調べてみて、第62代天皇だと分かったのも昨日だ。日本では『ドリームスペル』の目標点だった2013年に、伊勢で第62回目の式年遷宮が行われている。それだけでも十分なのだが、チャクラではもう1つ面白いシンクロがあった。お店に到着してすぐ、オーナーのあっちゃんから「こんなん預かってるんですけど、興味あったらお分けできますんで言って下さい」と大蔵省造幣局が出した「プルーフ貨幣セット」というのを見せられたのだ。
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それだけなら、私もそんなに反応しなかったのだが、何セットかあるうち1987年のものが1セットだけあると言われ、硬貨の実費分(500円、100円、50円、10円、5円、1円の合計666円)だけで良いと言われたら、手に入れない訳にはいかない。何しろ、ホゼの生誕77周年のタイミングに、ホゼをテーマにしたクラスを行う場所での予期しない話。おみくじ20番の神秘力が働いているかのようだ。

ホゼは1987年のハーモニック・コンバージェンスと、同年発刊された『マヤン・ファクター』を通じて世界的に知られるようになった人物であり、私はその1987年に亡くなったホゼの息子ジョッシュに導かれて(彼に捧げられた『時空のサーファー』を通じて)この暦を知り、彼が他界したまさにその日に生まれた人物と、今、剣武天真流を共に稽古しているのだ(その詳細は『霊性のアート』に記してある)。

中央の年号プレートを含めた「7つの金属」の配置は、『テレクトノン』で登場した「心のヘプタゴノン」のようでもあるし、これを手にしてみたことで、1987年が昭和62年であったことにも改めて気付かされた。ハーモニック・コンバージェンス(1987)から『ドリームスペル』が定めた「銀河の同期」(2013年=62回式年遷宮)までの期間を、『時間の法則の20の銘板』では「預言の時間:26年間のハーモニック・コンバージェンス」と呼ぶが、まさにそれがこの「貨幣セット」に込められている気がしたのだ。

しかも、その合計金額は666円であるだけでなく、この世界で「時間」に変換(還元)されるべき「金銭」そのものなのだ。『テレクトノン』に付属の小冊子「聖なる書の人々と夜明けの人々を結ぶ預言を語る石」のP22には「読むことのできる者にとって、イブリスの数字は1260と666であることがわかるだろうし、それは真実の日によく知られるようになる。」とある。もちろん、いずれも「ヨハネの黙示録」由来の数だ。

この「貨幣セット」は、後付け的な価値を上乗せした形で販売されるべく、製造されたものだと思うが、私は、年代のバラついていた手持ちのコインを、1987に統一された新品(+付属品諸々)と交換する事で、上乗せ(後付け)分の意味を消失させた。私にとって、この交換作業は、肥大させられた(後付けの)付加価値をゼロにするという意味で、偽マヤ暦を『13の月の暦』に戻すこと、仮想の利子で肥大化する金融システムをテレパシー的等価交換システムへと戻すのと同じ、魔法的意味を持っていた。

話が逸れたが、今回、悪天候の中、遠路参加して下さる方が多かったのと、天神さんとの繋がりを意識していた事もあって、私は、最後のクラスに参加される方(7名)に、「梅」と「蔵」のカードをプレゼントする事を予め決めていた。いずれも、私が書家「天迅」として書いた作品である。「梅」は2014年に南青山でLの個展とシャンバラ教室展を同時に行った《書の魔法》の時に、「蔵」は二子玉川ラサシャンバラ教室ギャラリー展を行った時に制作した作品をカード化したもの。

雅号の「天迅」は、チベット語で「仏の教えを司る者」を意味する「テンジン」にちなんだものだが、読みは「天神」も「天迅」も同じ。「梅」を書いた時は、植物がテーマだったので、「天神さん」の事は全く意識していなかった(と思う)が、道真公は「梅」とは切っても切り離せない関係にあったことを、今回、改めて知る事になった。まだまだ続くが、既に相当長くなってしまったので、ひとまずここまでとしよう。

カーラチャクラとチベット暦

2015年02月18日 23:51

銀河の月12日(G2/18)KIN216 黄色い銀河の戦士(by D)

『13の月の暦』で1年の中心に当たるのは7番目の「共振の月」だが、今年の「共振の月」は、ちょっとスペシャルな期間だった。中心の中心に当たる共振の月7日〜22日の16日間、日々の紋章とサイ時間単位の紋書が一致し続けていたのだ。この現象は、1年の中で「共振の月」にしか生じ得ないもので、しかもその頻度は4年に一度だ。

今年はさらに、KINナンバーの差が60日の状態が16日続くという意味で特別だった。何故なら「60」は古代マヤのツォルキンでのパカル王の誕生KINに相当する数であり、同時に東洋の暦に共通の還暦周期だからだ。しかも、60×16=960は、カーラチャクラ・タントラ(時の輪の教え)がチベットに伝来した1027年から、ハーモニック・コンバージェンスがあった1987年までの期間そのものである。


カーラチャクラ 
灌頂儀式時に722の諸仏が降臨するカーラチャクラ砂マンダラ

カーラチャクラには4×4=16マス魔方陣も登場するので、このシンクロは深遠だ。ちなみに、明日の新月が今年の元旦となるチベット暦は、このカーラチャクラ・タントラに説かれている暦の体系に基づいて決められていて、現在は17番目の60年周期の半ばにいるという事になる。

さて、この特別な16日間の最終日G1/31(KIN198)に、大阪のチャクラで「シンクロプレゼン・ラボ」が開催された。その案内をブログにUPしたのは、ぴったり60日前のKIN138で、もちろん開催日のサイ時間単位を意識しての事だった。また、平成27年最初の出張クラスに「カーラチャクラの縁」というテーマを選んだのは、私達がダライ・ラマ法王14世から授かった最初のカーラチャクラ灌頂が、法王にとっての27回目のものだったのと、チャクラという場所を意識しての事だったが、当日が近付くにつれ、これが実に時に適ったテーマだった事が判明するのだった。

例えば、大阪に行く3日前のKIN195(G1/28)のこと。その日のシンクロは「青い鷲のシュタイナー」にまとめてあるが、シュタイナー繋がりでKIN175に注目した私は、他にも誰かいたはずだな?と、その日の夜に銀河ノートのメモを見た。そこに三木成夫の名を見つけた私は、驚愕した。何故なら、その日持ち歩いていた『医者いらずになる1分間健康法』のP60に、まさにその名が出ていたからだ。日中、読んだばかりだったからこそ気付く事が出来た訳だし、わざわざP60という所が心憎い。そして、今調べてみて気付いたのは、この本を手にしたのが、ラボのアナウンスをしたKIN138(G12/2)だったという事。

三木氏について調べてみると、さらに驚くことがあった。この方は四国の丸亀中学を出られているのだが、本の中に三木氏を発見した1/28午後の瞑想クラスで、私は珍しく四匹の亀(ヒスイ2、ローズクォーツアベンチュリン)を持参していた。亀の甲羅は13個に別れているので4匹で52。三木氏が他界された1987年8月13日は、ハーモニック・コンバージェンス三日前のKIN52(13・人)であった。ちなみに三木氏は、丸亀中卒業後、六高、九州大学を出られているので、天照大神の数霊である369も観て取れる。

それから2日後(27週目の最後)、みどりの窓口で取った大阪行きの新幹線は、のぞみ17号13号車12。17号は時間帯で選んだが、座席は窓側指定で自動的に選ばれたもの。チベット暦17番目の周期、そして「13・12」は「13・人」だから、KIN52と読める。そんな新幹線に乗って大阪に到着したのがKIN198(サイ時間KIN138)だった訳だ。少し早めに着いたので、チャクラに近い大阪天満宮にお参りし、おみくじを引くと14番。27回目のカーラチャクラ灌頂を授けて下さったダライラマ法王の誕生KINそのものだった。

もちろん、ここまでの流れはラボの中でもシェアさせてもらったが、カーラチャクラ・マンダラに降臨する諸仏の総計が「722」だということは、すっかり忘れていて、当日話している途中で気付いたのだった。つまり、60日前に「カーラチャクラの縁」というタイトルを決めた時に、開催日が『13の月の暦』の365日暦で7/22となることは意識していたものの、それがマンダラに降臨する仏の数とシンクロしている事には、全く気付いていなかった訳だ。

ちなみに「22」という数は、ウェイブスペルにおいて7までの4音(=4+5+6+7)の合計に当たり、銀河の音「7」における「調波周波数」と呼ばれる。つまり「7」そのものだけでなく「22」も「7」と関連する数なのだ。サイ時間が7列目の調波行程を進んでいた事も含め、非常に「中心」の働きが強い日だったことが分かる。

おまけに、その日宿泊したホテルの部屋は1114号室。7×22=11×14が関係があることにすぐ気付いたのは、11・14=「11・魔法使い」であり、実際に11×14をやるとKIN154(11・魔法使い)になってしまうことを知っていたからだ。それは、自分達が結婚した年が「11・魔法使いの年」で、結婚記念日であるG4/29(=惑星の月26日)のサイ時間単位もまた「11・魔法使い」であるからだ。

その日付は私達の誕生日のちょうど中間点で、結婚した時の年齢の合計は77だった。その2倍がちょうど154に一致することに気付いた時は驚いたものだが、おかげで77×2=11×14=7×22という事に自然に気付けるようになったのだ。この大阪のクラスの後の小旅行の事は、時間が許せば、また改めてまとめるつもりだが、今気付いたことは、開始直前に引いたおみくじが14で、直後に引いたおみくじが11だったということだ。

そして今日は、8番目の「銀河の月12日」&KIN216(8・戦士)。銀河の音「8(=銀河の)」が月日で重なる「魔術の亀の日」だ。さらに「216」は、「27」の「8」倍の数。平成27年に入って最初にした27回目のカーラチャクラの話を「銀河(8)」に向けて公開したのが、「黄色い銀河の戦士」の日だっという事だ。

カーラチャクラの中には、1日の人間の呼吸回数は21600回、という話が必ず登場する。だから、カーラチャクラで定められている暦法に基づいて調整されているチベット暦元旦を明日に控えた今日KIN216に、このことを整理できたのは、私にとって大いなる喜びなのだ。たとえ、読者には殆ど意味不明だったとしても(笑)。

ハーモニック・コンバージェンス25周年「虹の瞑想会」

2012年07月21日 01:56

宇宙の月24日 (G7/20) KIN53 赤い磁気の空歩く者(by D)

rbm

H・C25周年「虹の瞑想会」!(8月16日)

マヤ長期暦の完了(13.0.0.0.0)の意味をスピリチュアルな側面から読み解き、2012年の重要性を世界に(マヤに特に関心も無い人々にも)知らしめたのは、『ドリームスペル(13の月の暦)』の提唱者でもあるホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻だったと言って良いでしょう。それは、彼らが1987年の8月16日(KIN55)に呼びかけた「ハーモニック・コンバージェンス」(以下H・C)というイベントと密接に関係したものでした。

行き過ぎた物質主義の流れを反転し、人類全体に精神的、霊的側面を取り戻すこと、あるいはその側面を進化させることを呼びかけたこの平和のイベントは、マヤ長期暦の日付と関連する14万4千人以上の参加が目標とされていました。メディアによる報道や、その意図に賛同した著名人の呼びかけもあって、実際にはそれを遥かに越える人々が世界中の聖地に集い、集合的な瞑想を行ったと伝えられています。

10年後の1997年の同日(KIN65)、日本と世界の惑星KINの協力を得て「時間の法則に関する世界会議」を無事終了したアグエイアス夫妻は、東京・目黒不動尊の敷地内で、高橋夫妻や私たちを含むボランティアスタッフと共に「10年間のケツァルコアトルプロジェクト」の完了と、H・Cの10周年を祝い、再び共に瞑想をしました。そこからさらに15年。ついに2012年が私たちの目の前にやって来ました。

H・C 25周年に当たる今年の8/16は、4半世紀前に生み出された精神生命場のうねりを感じながら、最終段階でそれをさらに(位相を綺麗にそろえつつ)増幅させる意図で、瞑想会を開催することにしました。当日は、アグエイアス夫妻が発表した全銀河文化ツールを揃え、その日の羅針盤やカードやコマの配置を実際に行い、それに基づく瞑想と「極をとりまく虹の橋の瞑想」を行う予定です。

また、「時間の法則に関する世界会議」で実際に展示された貴重なパネルや、アグエイアス夫妻が日本で「13の月の暦」のメッセージを伝える時に常に会場に掲げていた(それそのものの)「平和の旗」、そして、ホゼが愛用していたネーム入りの(かなり年季の入った)カバンなども合わせて展示し、一緒に瞑想をしようと思っています。また、終了後には、希望者でランチも計画中。H・C 25周年を祝う特別な時間を共に過ごしましょう!

【日 時】8月16日(木)10:00~11:30 +希望者でランチ(要予約)
【会 場】二子玉川駅徒歩5分 お申込の方に詳細をお知らせします。
【ガイド】小原大典、李紗
【費 用】3,300円(ランチ代は別で当日実費)   
【申 込】お名前、ご住所、お電話番号(当日連絡がつくもの)、ランチ参加希望の方は必ずその旨をお書き添えの上、メール(←クリック)でお申込みください。
【定 員】20名(定員になり次第、締切ります)

オノ・ヨーコのHC

2009年04月13日 00:23

惑星の月9日 (G4/12)  KIN159 青い電気の嵐 (by D)
 
ここしばらく出かける時に持ち歩いていた文庫本『ただの私』を、今日読み終えた。この本が我が家にやって来た背景と、それにまつわる驚くべきシンクロの数々については、以前のLの記事に譲るとして、私は、P240にあった下記の一文からの気付きについて書いておきたいと思う。
 
・・・三年前にヨーコさんと一緒に富士登山をしたことを思い出す。世界中の平和を願う人達が同時刻に指定された場所で平和を祈るというもので、日本では富士山頂がその場所だった。八月の暑い太陽の照りつける中・・・・
 
と、ここまで読んだところで、ふと、もしかしてこれは1987年の8/16・17に行われたハーモニック・コンバージェンス(H・C)の事ではないだろうか?と思ってページを少し前まで戻ると、やはりそこには1990年と書いてあった。という事は、上記抜粋部分は、1987年の8月という事になる。
 
ホゼが、マヤの預言周期に基づいて呼びかけたそのイベント(H・C)には、シャーリー・マクレーンティモシー・リアリーなどの著名人も多数参加し、世界の様々な聖地で同時に祈りが捧げられたと言われている。その時、オノ・ヨーコも富士山に登ったというウワサは、どこかで聞いたか読んだかしていたのだが、その場に実際に居た人の記述を読んだのは、今日が初めてだった。
 
しかも、この文を書いているのは、南里空海というジャーナリストで、『伊勢の神宮』という著書と共に、拙著にも登場して頂いている方なのだ。今日は、2008年7月26日から始まった「青い電気の嵐の年」の261日目。つまり、元旦と同じ日付であり、この一年全体とシンクロする日でもあった。そんな日に、こういう発見をしたのはやはり興味深い。それに、そこに導いてくれた言葉が「平和」だったのは、実に喜ばしい事だと思う。皆さんはどんな一日だっただろうか。

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