聖十字架物語と二子玉のフィレンツェ

2017年03月04日 22:34

銀河の月26日(G3/4)KIN180 黄色いスペクトルの太陽(by D)

昨日、G3/3は、ルクソールの「王家の谷」でツタンカーメンのミイラと対面した日(KIN14)からぴったり9(3×3)年目に当たる日だった(『マヤのリズム』P154〜参照)。その日が、エジプト考古学者・吉村作治氏の104(52×2)回目の銀河の誕生日(KIN179)と重なっていたのだから、私達にとって面白い日になるのは、最初から決まっているようなものであった。

午後に世田谷美術館で行われた「美術講座」の内容は、「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂壁画の修復」。「世田谷美術館友の会」が主催するこの講座の事を知ったは、開催日(昨日)のぴったり30日前で、全くの偶然だった。その経緯から少しずつ整理してみたい。
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昨年9月、美しいシンクロニシティに導かれてフィレンツェ、ピサ、ローマを訪れたことは、現在メルマガに連載中の「 ルネサンスの都へ」に書いている通りで、その中でも特に驚いたシンクロについては、「ダヴィンチ・フィレンツェ・チブレオ・モリコーネ」という記事にまとめた通りである。

イタリアから戻ってすぐの10月から、Eテレで「旅するイタリア語」の放映が始まった。その何度目かに、漫画家のヤマザキマリさんが登場して、マザッチオの解説をしたことがあったのだが、その切り口にLが痛く共感したらしく、以降、彼女のエッセーを連発で図書館から借りて来るようになった。

KIN149(G2/1)、二子玉のフィレンツェと私達が呼ぶ行きつけの店「エテルニータ」でランチをした後、Lがライズにある図書館出張所にヤマザキさんの本を返しに行くというので、その場で同行する事にした。普段ならランチ後は各々の用事に向けて解散する流れになるのだが、何故かその日はぶらぶらしたい気分で、借りまくった本を抱えているLを助ける訳でもなく(笑)、ただ散歩がてら付いて行ったのだった。

Lがカウンターで手続きをしている間、入口付近でボーっとしていたら、次の返却者が入って来た。人が集中する事があまりない窓口は狭く、居場所に困って奥のスペースに移動しつつふと振り返ると、チラシコーナーで「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会」というタイトルが目に飛び込んで来た。サンタクローチェ教会に日本人が関わっているというだけで驚きだったが、宮下孝晴氏という講師の略歴を見ると、何と学芸大卒(先輩に当たる)でイタリアに11年在住、さらに金沢大の名誉教授とある。

昨年5月下旬に、ピサから剣武天真流の合宿(石川県志賀町)にやって来たニコロとジュリアーノが、「YOUは何しに日本へ?」の取材を受け(参考ブログ)、それが7月に放映され、9月に彼らにピサで再会した事はメルマガに書いた通りだが、合宿時に彼らと最初に顔を合わせたのは金沢駅構内だったのだから、これはキテる。しかも、昨年の5月には数年後にという話だったピサ(ヴィコピサーノ)での剣武合宿が今年に決まり、5月に再びピサとフィレンツェを訪れる流れになっているのだ。

加えて、そのチラシを目にしたKIN149は、パレンケの「碑銘の神殿」で『テレクトノン』をプレイし、パカル王の石棺を直に目にした日からツォルキン(260日暦)が25回巡ったタイミング(『13の月の暦』の数え方で)であり、世田谷美術館には、利根山光人氏による「パカル王石棺の実物大拓本」が保管されているのである。その拓本の存在を知った経緯は「パカル王からの呼びかけ」にまとめてあるが、今、それを再読して驚いたのは、「旅するイタリア語」が始まったのと同じ昨年10月にその拓本を目にした時、利根山氏の誕生キン(KIN179)も調べていて、それが世田谷美術館での講座開催日と完全にシンクロしていた事だ。

図書館窓口に私が同行していなければ、そしてその瞬間、次の返却者が窓口を訪れていなかったら、私はもちろんLも「美術講座」のチラシを目にする事は無かっただろう(そういう場所に置いてあったのだ)。当然、そんな貴重な機会がある事も知らずに、今日という日を迎えていたに違い無い。こうした「呼ばれてる」状態の時は、予定も必ず空いているもので、G3/3(KIN179)に参加可能だと判明するや、即、(Lが)往復はがきでの申込みを済ませたのだった。

そして昨日、宮下先生による講演「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会 大礼拝堂壁画の修復」を聴講してきた訳である。会場入口で配られた絵はがき(嬉しいプレゼント)は、ルネサンス萌芽期の少し前に活躍したアーニョロ・ガッディによるフレスコ画で、会場のプロジェクターにも同じ絵が映し出されていた。思いがけない寄付(2億円!)から始まったという先生の修復プロジェクトのお話は、修復対象となったフレスコ壁画『聖十字架物語』の内容にも劣らぬ面白さで、一気に引き込まれてしまった。
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「前例が無い事はやらない主義」の官僚機構や、視聴者受けばかり狙う番組制作者達との仕事の進め方、怠けがちなイタリア人に期日を守らせる方法、修復先の選び方など、話の内容だけでなくその切り口にも、先生の魅力的な生き様が反映されていて、どうりで私達のアンテナが反応するはずだと深く納得。もちろん、フレスコ画の具体的技法や修復についての諸々(特に文化財保存に対する倫理)も大変勉強になった。金沢大学のサイトにもほぼ同内容のものが掲載されているので、美術史や文化財、そしてフィレンツェに関心のある方は、是非ご覧になる事をおすすめしたい。

1999年のNHKテレビ人間講座に出演されていた頃からのファンの方も参加されていた中、30日前に先生の存在を知ったばかりの私達は、全くの新参者であったが、諸々のシンクロに感じる所があり、終了後ずうずうしくも先生に御礼をお伝えしつつ、記念撮影をお願いした。講演中に「金沢大と宮下の名前を出せば壁画の間近まで入れてもらえる」とおっしゃっていたので、「写真があればもっと話が早いだろう」という魂胆だったが、ご快諾下さったばかりか、学芸大時代は書道科だったというお話も聞けて、ますますご縁を感じてしまった。
宮下先生 
先にサンタクローチェ教会を訪れた時に、『聖十字架物語』の壁画は目にしていて、写真にも収めていたが、まさかその修復に日本人が関わっていたとは思っていなかったし、物語の背景も制作者も知らなかったので、サーっと通り過ぎていた(他にも見どころが沢山あるので)。今回、このタイミングで宮下先生からお話を聞けたことで、俄然興味が湧いたので、5月に再訪する時は、先生との写真を印籠に、じっくりと『聖十字架物語』を見直してみたいと思う。

それにしても、一連の出来事と『13の月の暦』情報とのシンクロ率は異常に高く、シンクロが常態化している私が、久々に戦慄を覚えるレベル。何しろ、世田谷美術館に「パカル王の石棺拓本」が保管されているのを知ったのは、まだ数ヶ月前の話。金沢大学とサンタクローチェ教会、国立フィレンツェ修復研究所との国際共同プロジェクトの合意書が調印されたのは2004年6月(まさに私達が二子玉川に住み始めたタイミング)で、そこから2013年までの9年間(修復作業自体は2011年6月までの6年)、そのプロジェクトを統括されていたのが宮下先生なのだ。

この2004〜2013年の9年間は、『時間の法則の20の銘板』(以下『20の銘板』)の「9人の時間の主の領域」に対応し、この「9人の主」とは、「碑銘の神殿」のパカル王の墓室のレリーフに由来するものでもあるからだ。しかも、「16年間のテレクトノン」というサブタイトルを持つ『20の銘板』は、パカルの石棺レリーフの十字架とリンクした「木の道」というより糸から始まる。一方、サンタクローチェの『聖十字架物語』の主人公は「木」で、新約・旧約両聖書をクロスする、大変興味深い内容である(マリアやキリストは直接的には登場しない)。

確かに「十字架」は、世界で普遍的に見られモチーフの一つではあるが、ここまでの一致度は『20の銘板』日本語版の制作世話人をしていた私には、ちょっとゾッとするものがある。例えば、私が宮下先生の講演を聞く場所は、別に世田谷美術館で無くても良い訳だし、パカルの石棺拓本がその美術館に保管されているのを知るタイミングだって、もっと前でももっと後でも良かったはずだ。しかし、そのタイミングは全て、私にとっての最初のフィレンツェ訪問から次のフィレンツェ訪問までの間(ほぼぴったり260日間の期間)に生じたのだ。

さらに話は昨夜の晩餐にも繋がる。店内にフィレンツェの旗を掲げる程フィレンツェが大好きな五十嵐さんのお店「エテルニータ」が、3月一杯「12周年記念マリアージュコース」をやっていると知ったので、サンタクローチェ教会の講演を聞いた晩は、エテルニータの12周年と、シャンバラ教室の7周年(G3/10で)を祝して、そのコースを頂こうと決めていたのだ。
いわし ワイン 
それで、実際に何時がエテルニータのオープン日だったのかを改めて確認してみると、2005年2月23日(KIN211)と判明。私達が二子玉川に越して来た2004年6月8日(KIN211)からぴったり260日後がオープン日だった事を、12年通って初めて知った。何故その日にしたのかの理由がまた素晴しく、やはり私達が共鳴できる人々というのは、押さえ所が似ているのだなと思ったが、KIN211と言えば、私よりぴったり30日前に生まれ、ハーモニック・コンバージェンス(1987年)の直後に他界したホゼの息子ジョッシュの誕生キン。

そのジョッシュに捧げられた本『時空のサーファー』を通じて、21年前にマヤの暦世界(マヤ暦そのものではない)に入った私にしてみれば、美術講座開催のぴったり30日前、パレンケと繋がる特別なタイミングにその情報を知った事も無関係とは思えなくなる。それに直近のKIN211は2016年7月18日で、その日は、シネスイッチ銀座で『ウフィツィ美術館』という映画を観ているのだ。

冒頭に紹介した『マヤのリズム』は、引っ越し7周年の2011年6月8日(KIN166)に発刊されたもので(ちょうどこの頃サンタクローチェ壁画の修復が完了した模様)、その260日後が皇太子さま(KIN166)の52才、つまり『13の月の暦』でのカレンダーラウンドであり、「エテルニータ」7周年だった訳だ。ここまで書いて来て、やっと全ての繋がりが明らかになった。ちなみに発刊日をその日にしたのは、編集者の天野照久氏の誕生日であり、その260日前が安倍首相の誕生日、その260日後が皇太子さまの誕生日と知っていたからである(本書には安倍昭恵さんから私宛に届いたメールも掲載している)。
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この『マヤのリズム』の「エジプトからの呼びかけ」という節に、9年前の3/3(KIN14)、ツタンカーメンのミイラに出会った事が書いてあるのだが、その日の晩、私達はルクソールからギザに向かって鉄道で移動をしている。そこからさらに52年前の3/3(KIN14)、3000年前の前世記憶を持っていた女性考古学者オンム・セティがカイロからルクソールへと列車で移動した事が、彼女の生涯を描いた作品『転生ー古代エジプトから甦った女考古学者』に書かれているのだ。

この本との出会いも奇跡的であったが、本書によれば彼女の誕生キンは私と同じKIN241であり、発刊日は私達の結婚記念キンであるKIN171である。そして、皇太子さまと「エテルニータ」という店の、今年の「運命の道筋」は、9日前、そのKIN171になったばかりである。

「エテルニータ」はイタリア語で「永遠」の意味。コード番号14の「白い魔法使い」のキーワードは「永遠」であり、『マヤのリズム』にエジプトの話が書いてあるページは154(11・魔法使い)から。「王家の谷」で最初に入ったのがKV14だった事もそこには書いてある。まだまだいくらでもあるが(*)、いい加減、この辺りまでにしておこう…と思ったら、来週の『世界ふしぎ発見』はギザのピラミッドらしいので、ここまでメモしておしまい(笑)。


*こういう体験をもたらし、同時に体験するのが「時のからだ」と私が名付けたで「からだ」であり、それを思いきり活性化させる場が「時のからだ塾」である。

*自分用メモ。『前世への冒険』のアルベルティとデジデリオ。アルベルティ礼拝堂。トリノ五輪と「サムライとトリノ展」

パカル王からの呼びかけー日本とメキシコを繋ぐ「時の魔法」

2016年10月15日 23:36

電気の月26日(G10/15)KIN40 黄色い磁気の太陽(by D)

天真書法塾の道友にMさん(KIN38)という方がいる。もともと『13の月の暦』を通じて知りあったのだが、数年前にLの個展にいらして下さった後くらいに、本部クラスに入塾された。私達とはクラスが違うので、普段、顔を合わせることは無いのだが、10/10(KIN35)、天真会のメーリングリストにとても興味深い投稿をされていた。

NHK BS1で放映された特集番組「チャスラフスカ もう一つの肖像 ~知られざる激動の人生」を見ていて、青木天外塾長(KIN245)の書が、チャスラフスカさんの自室に飾られていたのを目にしたという内容だった。ベラ・チャスラフスカさんは、その優美な演技により東京五輪の名花と讃えられ、メキシコ五輪と合わせて女子体操で2度総合優勝し、計7個の金メダルを獲得したチェコ代表の体操選手。
希望 
2012年に書の展示と剣の演武でチェコを訪れた事と、その時にチャスラフスカさんにお会いした事は、『霊性のアート』に、彼女の誕生キンがKIN165で、チェコ訪問時の青木先生の道筋(KIN165)と完全にシンクロしていた事と共に記しているが、今年の夏(8/30)に彼女が癌で亡くなっていた事は、Mさんの投稿によって初めて知った。
先生と 
民主化運動を支持していた関係で、共産主義政権下で非常に困難な人生を歩み続け、更に、離婚した夫が次男とのトラブルの末に死亡するという事件などもあって、長い間うつ状態であったとも言われている。共産党体制崩壊後は、ハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任し、後チェコオリンピック委員会の総裁も務められていたが、直接お会いしてみて分かったのは、何より人として素晴らしい方だという事。やはり、その人の生き様というのは、存在感に現れるものなのだ。
ベナトキ 
上記のような背景から、青木先生は激励の意味も込めて、日本語とチェコ語で「希望」と書いて贈ろうとされていたのだが、チェコ訪問時には法的にそれが叶わないという事情があって、諦めていたとのこと。そんな訳で、チャスラフスカさんがその書を自室に飾っていた事は、今回のMさんからの報告があるまで全くご存知なかったというのだから、人の機縁とは不思議なものである。
大 
Lが主宰しているシャンバラ教室は、その天真書法塾の支部教室に当たり、私も瞑想体操の指導で関わっているのだが、チャスラフスカさんの話を知る1週間ほど前、教室生のOさんが、世田谷美術館利根山光人による拓本「パカル王の石棺」が展示されている事を教えて下さった。以前、ジュエリーデザイナーの北村公晴さん(KIN10)に、雑誌に掲載された赤い拓本を見せていただいた事がある(「7つの世代の書」とカミーノ)ので、現物があるなら見ておきたいと思ったし、《時の魔法・ドリームスペル展》前なので、タイミング的にも完璧だ。

今回は10/23までの展示との事なので、それまでにと思っていたら、KIN37(G10/12)のシャンバラ教室で、今度はIさんから「パカルの拓本」を見たと、興奮気味に教えられた。OさんもIさんも、実は企画展の「志村ふくみ展」を見に行っていて、拓本の方は思いがけず目にしたとの事だったが、Oさんは『テレクトノン』における唯一の「パカルの特別な数字」(石棺の縁の日付と関連)であるKIN78だし、Iさんはパレンケの「赤の女王」(「碑銘の神殿」の隣のピラミッドに埋葬されていた)と結びつけられるKIN185(ホゼの最後のパートナーだったステファニーのKINでもある)。

もともと、KIN38(冒頭のMさんの誕生KINだ)に訪れるつもりでいたところに、この2人から話を聞いたことで、私はパカル(&ホゼ)が「早く来い」と使者をよこしたかのように思えた。実は世田谷区民になって12年、何と世田谷美術館は初体験。最初に「志村ふくみー母衣(ぼろ)への回帰」で絹糸の色と織の美しさを堪能し、それから2Fで行われていた「神々の森」へ。

そこに待ち受けていた「パカル王の石棺拓本」は、思っていた以上の大きさと迫力があった(色が赤ではなく墨色だったのもちょっとした驚きだった)。他にボナンパクとチチェン・イツァ(のジャガーと鷲)、そしてパレンケ十字の神殿の拓本があったが、やはりパカルの拓本が圧倒的だった。私もLも、現地で実物を目にしているのだが、墓室の中で水平に置かれた石板を見るのと、その拓本を縦向きに軸装したのとでは印象が全く異なる。拓本だと細かいデザインもはっきり見えて、マヤ文明が最も洗練されていた頃の芸術とそのエネルギーを、じっくりと味わう事が出来た。

それにしても、利根山氏の事を最初に教えて下さったのがKIN10の北村さんだったのは、何とも興味深い。何故なら、前日配信した最新のメルマガ(vol.64)では、KIN10の荒木氏と台風10号の事を書いていたからだ。美術館からの帰り道、10-10ナンバーの車と11ナンバーの車をそれぞれ2,3度見てしまったのは、単に自分がその数に注目していたからなのだろうか(後から考えるとG10/10もリンクしていたように思える)。

このパカル王石棺の拓本が世田谷美術館の所蔵だと言う事は、今回の展示を通じて初めて知ったが、昨年、この美術館に至近の病院に11日間も入院する事になったのも、もしかしたら何か関係があったのかもしれない。何故なら、パカルはパレンケ王朝11代目の王で、KIN11のホゼはそのパカルの声を聞いて『ドリームスペル』を生み出したからだ。ちなみに、KIN11は「銀河の音」も「紋章コードNo」も11である。

気になって利根山氏の誕生キンも調べると、KIN179(10・嵐)で生まれKIN146(3・橋渡し)で死んでいる。メルマガでは、KIN186(4・橋渡し)で生まれKIN219(11・嵐)で死んだダヴィンチの事を書いたが、どちらも生死の間が33キンであり、嵐ー橋渡し、橋渡しー嵐という反転の関係になっている。従って、どちらも「銀河の音」の差は「7」で、「紋章コードNo」の差は「13」である。そして、パカルの石棺には「3つ玉」のデザインを11見出す事ができる。

利根山光人は、茨城に生まれ、メキシコを題材とした作品を多く残し「太陽の画家」と呼ばれたらしいが、晩年は岩手の北上で過ごして、「鬼剣舞」を題材にした作品も製作されていたようである。私が鬼剣舞について知ったのは、宮沢賢治(KIN131)を通じて、昨年の自分の誕生日直前になってから(鎌倉みちのく魔術紀行(2))。誕生日当日(KIN131)は、江ノ島、鎌倉をウェイブスペル回りに巡る魔術的小旅行を実施したのだが、その時、遥かな空間を越えてシンクロした人物と、今日、久しぶりにお会い出来たのも不思議な縁である。

また、志村ふくみさんがKIN245(11・蛇)と分かったのも、大いなる驚きだった。何故なら、青木先生と同じ誕生キンであり、青木先生が開かれた天真書法塾の縁で、今回、チャスラフスカさんやパカル王の拓本との繋がりも発見されたからだ。この流れをきっかけに1964年の東京五輪を調べたら、何とMさんが天真会MLに投稿した10/10(KIN35)のピッタリ52年前の10/10(KIN35)〜10/24(KIN49=7×7)が開催期間だったと判明。つまり、今と全く同じ周期(365日暦も260日暦も)の52年前に、チャスラフスカさんは東京五輪で活躍していたのだ。

この流れは全て、2週間後に渋谷で行われる《時の魔法・ドリームスペル展》と密接にリンクしている。展示予定のホゼのコラージュ作品には、当然「パカル王の石棺」が含まれているし、会場最寄り(徒歩5分)の渋谷駅には、岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」が設置されている。この作品は、もともとメキシコ五輪とリンクして制作されたものであるだけでなく、太郎が以下のような意図を込めたものなのだ。「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く―といった気持ちを表現した」。
時の魔法展 
ドリームスペル展は、広島原爆投下(KIN55)から『13の月の暦』のツォルキン(260日暦)が100回巡ったタイミングに開かれる。それは、単にホゼの作品を公開するだけの場ではなく、同じKIN55に、ホゼとロイディーンによって呼びかけられた平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」、あるいは「明日の神話」の意図とも重なる「災いの反転と、調和的未来への祈り」が込められた「時の魔法」の実践的な行為でもあるのだ。
ホゼ作品 
そして、このタイミングにチャスラフスカさんに焦点が当たった事も、おそらく深いレベルで関係しているのだと、私は考えている。何故なら、彼女が合計7つもの金メダルを手にしたのは、東京五輪とそれに続くメキシコ五輪での事だったからだ。利根山光人が拓本を取ったパレンケ遺跡はメキシコにあり、「明日の神話」はメキシコで数奇な運命を辿って東京渋谷に戻って来た。その作者、岡本太郎は、多摩川の対岸、我が家から数百mのところで生まれている。

以上、何とかここ数日の間に生じた出来事を整理してみたが、今日、ある方から10/10(KIN35)にご家族が他界されたという連絡があった。80才というその年齢は、まさにパカル王の生涯と重なる。そして「電気の月26日」のサイ時間単位はKIN218(10・鏡)。1952年6月15日に「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された、まさにその日に対応する。この一連の流れを「パカル王からの呼びかけ」と感じた方は、2週間後、渋谷でお会いする事になっている方であろう。

*KIN38のMさんが広島出身だったと気づいて、また驚かされた

パカル王の石棺開封から88銀河スピン

2015年08月04日 23:21

■磁気の月10日(G8/4)KIN123 青い律動の夜(by D)

13の月の暦』の365日暦で、毎月13日までを1日=1バクトゥンと置き換えて見る『テレクトノン』のやり方に従えば、今日10日はマヤが最も栄えたバクトゥン9に対応する。一方、260日暦のKIN123は、パカル王の遺体が眠っていた石棺の蓋が開いた日と言われている。

しかし、ホゼの来日講演録や邦訳書には、KIN123とあるだけでG暦の日付が無い(もしかしたら調べが足りないだけかもしれない)。パレンケ碑銘の神殿」において、パカル王の墓室が発見された日付は、1952年6月15日(KIN218)とハッキリしているので、普通に考えれば、その年の7月以降でそこから最も近いKIN123を辿れば良いという事になる。

すると1952年11月27日になるはずなのだが、日本語だけで検索すると、検証できる情報が出て来ない。それで、今更ながら英語でも調べてみると、やはり石棺の蓋が開いたのは、1952年11月27日(KIN123)である事が分かった。
石棺 ★1999年4月12日(KIN149)に撮影した石棺

英語で検索すると、スペイン語のサイトも含め複数のものが出て来るので、関心のある方は、各自検証して頂ければと思う。その中には、時間の法則財団のPDF資料も入っていて、KIN123が1952年11月27日であることは、ちゃんと書かれていた(アルベルト・ルスの言葉を使って)。

そこで、改めてこの事に意識が向いた今日までに、ツォルキンが一体何回巡ったのかを計算してみると、ぴったり88回巡った日であることが判明した。最近、【金星・空海・キトラ古墳】にも書いたように、88という数字が盛んに訴えて来ているので、これを知って、「今更ながら」という感じから、「今だからこそ」という感覚に切り替わった。

今までにも何度も気になりながら、結局、本気で追求しようとして来なかったのは、「今日調べると、きっと自分にとって一番面白いからだろう」というのが、私の身勝手な解釈である。つまり、私にとっては、88銀河スピンが完了した今が、時空からこの情報を発掘するのに最も相応しいタイミングだったと実感している訳だ。

ここで、88回巡ったというツォルキンの数え方について、少しメモしておきたい。もし、これを(石碑等に残る長期暦と連動した)マヤ暦のツォルキン(260日暦)に従って計算すれば、1952年11月27日と今日の日付は、全く違ったものになる。具体的に書こう。

1952年11月27日=9イミシュ(13暦的に表現するとKIN61)
2015年8月4日 =11キブ(13暦的に表現するとKIN76)

この現象を理解するには、グレゴリオ暦(G暦)との関係性について考える必要がある。古代であろうと現代であろうと、メソアメリカで使われて来たマヤ暦は、グレゴリオ暦の事など全く考慮していないし、する必要も無いので、G暦での閏日にも一切関係なく日付を数え続けて行く。

一方、『13の月の暦ドリームスペル)』のツォルキンは、グレゴリオ暦に対しての関係が崩れないよう、2/29を2/28の延長として数える。なぜなら、この暦は主に、物質主義的傾向を促す周波数を持つグレゴリオ暦からのシフトを意図しているからである。巷に流布している偽マヤ暦情報は、こういう所にほころびがある。

偽マヤ暦を語る人々は、『13の月の暦ドリームスペル)』からツォルキンの部分だけを独立させて扱おうとするが、それは土台無理というものなのだ。上記の通り、G暦閏日におけるツォルキンのカウント方法を見れば、それがマヤ暦では絶対にやらない、非常にイレギュラーな手法であることがハッキリするからだ。

運命が決まっていると考え、占いや鑑定をするのなら、この閏日処理の扱いにどういう意味を持たせるのだろうか。『13の月の暦ドリームスペル)』のように明確な目的を持たずに、閏日の時にツォルキンを2日続けて数える(あるいは一日休む)のだとしたら、一体何のためにそうするのだろうか。最初に誤摩化すと、結局のところ、誤摩化しの上塗りしか出来なくなるものなのだ。
宮殿 ★「碑銘の神殿」トップより「風の宮殿」を見る

「白い魔法使い」からのサイン】という記事にも書いた通り、今年はパカル王の「墓室」が開封されたG6/15にも、興味深いサイクル上のシンクロがあったが、もちろんこれも『13の月の暦ドリームスペル)』のツォルキンでないと、話の辻褄は全く合わなくなる。

何か新しい情報に出会った時は、まず、その出所をよく調べる事だ。新しいもの、珍しいものに何でも見境なく飛びつき、ロクに検証もせずに拡散しまくる人に、心から信頼できる人などいない。もちろん、私を含め、誰だって間違いは犯すものだが、多少なりとも注意深さがあれば(ほんのワンステップだけでも踏み込んで調べれば)、しょーもない情報にいちいち踊らされたり、無駄な出費をしたりせずに済むはずだ。

と、色々エラそう書いている私も、長いことずーっと勘違いしていた、なんて事はザラにある。だから、この文章は、自分自身への戒めとして書いているものでもあるのだ。

例えば、『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』の中でも、私はパカル王の誕生KINについて、マヤ長期暦と連動したツォルキンでの誕生日(上記の石棺に刻まれたもの)と、『13の月の暦ドリームスペル)』のツォルキンで計算した誕生日とが異なる事を、具体的に例示している。

しかし、その事(2つの違い)に気付いたのは、『13の月の暦』を使い始めて15年以上も経ってからの話で、それまでは、パカル王の誕生日と言えばKIN60(8・太陽)というように、ホゼが書いていた情報をそのまま鵜呑みにしていたのだ。

その背後には、「その分野に詳しい人(権威)が言っているのだから間違いないだろう」という依存と、「何か変だぞ?」という所を面倒くさがって調べず放置した怠慢と、「本気で知りたい!」という熱意の無さが、横たわっていたのだと思う(自ら省みるに)。

巷で『13の月の暦(ドリームスペル)』を一部引用した”偽マヤ暦”が、マヤ暦として伝わってしまっているのも、きっと、それを扱う一人一人の中に、そういう無意識的で無自覚な「依存、怠慢、無気力」みたいなものが、あるからではないだろうか。

とは言え、せめて「自分が教わった事は間違っているかもしれない」という見方と、間違いがハッキリした時には直ちに修正するという心がけは、忘れないようにしていたい。ものの見方がフィックスされてしまった人は、その土台からしか物事を見られなくなってしまう。

だから、上記のような具体的情報を知っても尚、「マヤ暦」と連呼する人々もいれば、どうにか前に得た知識を無駄にしないように、と苦しまぎれな折衷案を編み出してゴマカし続ける人々もいる。それは各人の自由だが、どこかをゴマカしている内は、そういうバイブレーションが滲み出てしまうものなのだ。

最後におまけで、太陽黒点相対数の基準が、今年のG7/1(KIN89)に変わったという事をメモしておこう。今、気付いたが、これも古い基準はKIN88までであった事を示している。そして、KIN89はホゼが別な次元へと旅立ったKINでもある。『マヤン・ファクター』を通じて、新しい太陽紀の到来を予見した人物と直接的に繋がりのある日付だけに、大変興味深いシンクロだと思う。

「白い魔法使い」からのサイン

2015年06月16日 01:11

水晶の月17日(G6/15)KIN73 赤い銀河の空歩く者(by D)

今日は、パカル王の墓室の封印を解かれてからぴったり63年。その日が『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンでKIN73になるのは美しい。何故なら、マヤ長期暦の始まりである-3113(=BC3114)年から、52年単位の還暦周期が73回巡ったタイミングが、ちょうどパカル王が没した683年になるからだ。そして、パカルからのメッセージを受けて生み出されたのが『13の月の暦』だからだ。

そんなスペシャルな日、私達は、【13の月の暦「時の楽譜」展】を一緒に開催しているみよこみよこさんと、「ビストロみや乃」でランチをしながら楽しいひと時を過ごしていた。旬な食べ物を見分ける技についてLが語ったりする中(近日発行予定のメルマガで公開される模様)、それと関係して私の入院生活の話題になった。

そこで私は、3日前に知ったばかりの面白いシンクロについてシェアした。6/12(KIN70)、天真書法塾新宿プロムナード展(19日まで)を観に行った後、しばらくぶりにiPhoneでスメタナの『モルダウ(わが祖国)』を聴きながら、私はある事を調べていた。

そのきっかけは、6/6(KIN64)のトークイベントを終えた夜、大阪の住吉から届いた『自然現象と心の構造ー非因果的連関の原理』という本にあった。共時性職人(シンクロノマイスター)を名乗りながら、ユングとパウリがシンクロニシティについて書いたこの本を読んでいないのはマズイな、という事で、翻訳に多少問題があるらしいことは了解の上で古本を注文したら、新品同様の綺麗な本がやって来た。

興味深い事に、初版発行日の1976年1月14日(KIN246)は、Lの365日の誕生日&チェコで一緒に剣武の演武をした吉田倫子さん(現・本部正師範)の誕生KINで、届いた18刷の日付2007年9月1日(KIN91)は、間もなく(7/3から)始まるみよこみよこさんの次の「運命の道筋」だった。という事は、来る「白い惑星の魔法使いの年」の殆どを、みよこさんはKIN91で過ごす事になる訳だ。

3年前の6/6(KIN9=今年1年)、ヴィーナス・トランジットにシンクロしてチェコに旅立った事は、既に「三種の神器」と137に書いた通りだが、3年後の同じ日に届いた本の中に、これだけのシンクロ情報が詰まっているとは、流石にシンクロニシティについて書かれた源流の本だけの事はある。

パウリは、同書でケプラーについて盛んに触れているのだが、その昔、ケプラーの法則を学んだ時に「こんな法則、一体どうやって気付けたのだろうか!?」と強い衝撃を受けた人物でもあったので、私は、パウリの文章よりも先にケプラーの事が気になってしまって(パウリとユングについては既にある程度調べてあったからでもあるが)、その場で調べてみることにした。

すると、ケプラーは、グラーツやプラハにも住んでいた事が判明。私がEU圏で訪れた事のある数少ない都市が含まれていただけに、ますます気になったが、プラハ滞在はティコ・ブラーエ(※)に招かれた事がきっかけだと分かって、私の注目はプラハとブラーエの方に移って行った。

何故なら、プラハ郊外のベナトキ城で演武をした時、ティコ・ブラーエがその城に3年ほど滞在していた事が分かったからだ。詳しくは「プラハ伝説の地で演武」に譲るが、ウィキに記されていた彼の人生の結末は、私をかなり驚かせた(その時の様子を手記に残しているのはケプラーである)。

「ティコはプラハでの晩餐会出席後に膀胱或いは腎臓の病に罹り、11日後この世を去った」(wikiより部分引用一部略)

私が泌尿器系に何となく違和感を感じるようになったのは、実はチェコ以降であり(現地のビールがものすごく美味しく、それまであまり飲まなかったのが、以降、頻繁に飲むようになった事と関係があると思われる)、その流れの顛末として、今年のGW終盤、私は尿管結石と腎盂腎炎で何と11日間も入院するという、人生初の体験をしたのだった。

KIN11は、ホゼ・アグエイアスの誕生キンであると共に、プラハが生んだ世界的作家カフカの誕生キンでもある。これら一連の出来事に気付いたのが6/12(KIN70)で、そこからぴったり3年前の同日に、私はチェコから帰国したのであった(その日の夜に資料を調べて判明)。

また、過去のブログを調べた事で、スメタナの誕生キンがKIN193であった事も分かり、「時の楽譜展」最初の来場者Oさん、6/6の第1回トークイベントに遠路参加して下さったNさんはじめ、やたらにKIN193が集中していた背景が、長期暦変換(9.13.0.0.0=KIN193)で見えていた事(サカダワ満月のパカル王)とは別の流れで理解できたようにも思えた。

・・・と、こんな話を、みよこみよこさん&Lと、今日の日中にしていた訳だが、プラハの事を話している最中に、私は『鑑定士と顔の無い依頼人』という映画の事を思い出していた。その映画のラストにプラハの時計塔が出て来るという記憶と、ティコ・ブラーエがそのすぐ近く(ティーン教会墓地)に埋葬されていると知った事が繋がったからだと思うが、同時に、もう1つ重要な事を思い出していた。

確かその映画のことを教えてくれたのは、今、目の前にいるみよこさんだったのではなかったか?と。果して、3人で確認し合うと、「確かに!」という事になった。それが記憶違いでないことは「トルナトーレ&モリコーネ」という、このブログの過去記事でも確認出来る。ちなみに、その映画でキーナンバーとして登場する231は、Lの誕生キンであり、チェコ訪問時の私の「運命の道筋」でもあった。

しかし、その映画の事は、実はごく最近、全く別な文脈でも思い出していたのだ。二子玉川の新名所「蔦屋家電」1F入口にある歯車のオブジェが、そのトリガーだった。おそらく、あの映画を観た人なら「これはあのラストシーンに刺激を受けて作ったのでは?」と自然に想像してしまうことだろう。

料理もデザートもシンクロも十分味わった・・・と思ったここから、最終段シンクロブースターが点火してしまう。みよこさんとLの後ろのボードに、トリノ、リヨンという都市名を見つけてしまったのだ。この2つの都市に、話題に出まくっていたプラハを加えたのが「白魔術3都市」だと、昨年トリノを訪れた時(これも剣武の演武と書の展示で)、ガイドの方に教えてもらったのだ。
みよこみよこ&L ☆トリノ、リヨンを背に、反対のパートナー(KIN101&231)の二人

詳細は過去記事「魔術都市トリノの聖なる引力」に譲るが、どんな形であれ、その場で3つの都市が綺麗に揃ったのは、非常に明瞭なサインだと、私には感じられた。何しろ、今行われている展示の殆どは「白い惑星の魔法使いの年」のカレンダーと、ポスターを中心にしたものなのだ。その展示メンバーが集った場で、「白魔術3都市」が揃ってしまうなんて、全くもって出来過ぎた話である(ちなみに、ホゼも含めた展示関係者4名全員の誕生KINを合計すると金星会合周期584になる!)。
みよこみよこ&D ☆「白い魔法使い」のイラストと服がシンクロしている「赤い竜」仲間

何しろ、「ビストロみや乃」の中に、トリノとリヨンが書かれたボードがあるのは、その席だけであり、その席に案内してくれたのはホール担当の方であって、私達が自由に選んだ訳では無いのだ。それに、よく考えてみれば、フランス周辺までの地図を描くとして、イタリアの都市がミラノとトリノだけというのも珍しい。

それにしても、こんな風に発見の楽しみをもたらしてくれているのは誰なのだろうか?私達のハイアーセルフだとか、集合的無意識だとか、真実の自己だとか、天真だとか、言い回しは色々あるだろうが、ここでは「白い魔法使い」という働き(あるいは時間)が、遊びながらサインを示してくれた、と考えるのが、物語を体験している立場からすると最も馴染む気がする。

きっと「時の楽譜展」で《TIMESCORE》やイラストを手にする方にも、同じ「白い魔法使い」からのギフトが届くことだろう。「白魔術の都市」を、そうとは知らずに順番に訪れて来た事と、「白い魔法使いの年」からTIMESCOREが発動し始めたことは、おそらく無関係ではないと思う。そして、プラハの時空が、それぞれ別な流れから接近して来ている事も。

席を立つ直前に、みよこさんが教えてくれたのは、自身の誕生日(G暦7/3)がカフカと一緒だということ。今、気付いたが、その日は「13の月の暦」だと13月7日(→137)。間もなくやって来るその日は「13×7=91」で、そこに今年巡って来るKIN91と見事に同期する!やはり完璧なタイミングである。

実は、KIN11のカフカが過ごした家には、22という数字が描かれているのだが(トルナトーレ&モリコーネに写真あり)、KIN11とKIN22は、「13の月の暦」提唱者のホゼ&ロイディーンの誕生キンそのものでもある。「白い魔法使い」に同期して「白魔術」を使ったのではないかと思えるほど、今回のみよこさんの制作スピードと作品クオリティは、神懸かり的だ。そのハイバイブレーションに満ちた「時の楽譜展」の展示空間を、是非、直に体験して頂ければと思う。


(※)この時代は、ちょうどユリウス暦からグレゴリオ暦に変わるタイミングであり、ウィキペディアでは、1582年の変更以前の歴史の日付は、基本的にユリウス暦で書かれている事が暦変換ソフトの利用で判明した。従って、以前のブログでKIN150としていたティコ・ブラーエの誕生キンは間違いで、正しくはKIN160になる。

ボロン・イクとサク・クックが神話を紡ぐ

2014年08月14日 23:49

磁気の月20日(G8/14)KIN28 黄色い月の星(by D)

G8/8に行った「初心者のための13の月の暦・手帳活用講座」は、『13の月の暦』提唱者の1人・ロイディーンの100回目の誕生KIN(9・風=KIN22)と重なっただけあって、クラスの中だけでなくその前後もシンクロに満ちていた。
ロイディーンと ★2009年7月、ロイディーン最後の来日時の写真

その日は、「銀河の音」が「9」なだけでなく、サイ時間単位も今年全体とシンクロするKIN9(=元旦)。会場は九品仏ということもあって、朝から何故か22と9を掛け算したくなる。22×9=198は、ロイディーンが他界したKIN。流石に美しいタイミングで去っているなーなんて思いつつ、ちゃんとこの日に気付くことになる宇宙の調和に感心する。

自然状態にある者が自然な欲求に従って行うことは、条件をあれこれ分析して行うことよりも遥かに宇宙と調和していて過不足が無い。暦に限らず、食でも健康でも、分析的に頭でやっている人は、ほぼ例外無く不健康かつ不機嫌であるのは、その姿勢(やり方)がそもそも宇宙や自然と調和していない証拠だろう。

講座の参加者は8/8とシンクロする8名で、表題の手帳(こよみ屋刊)では、ちょうどP80に8/8(KIN22)が来ていた。例題に立候補されたSさんは、KIN202(7・風)。参加者の中でロイディーンと同じ地球家族は、この方しかいなかった。さらに、直近のKIN202(=G5/20)にあった自分の手帳には、驚くべきことが書かれていた。

何と、沖縄のIさんと電話で13人のグランドマザーの話をしていて、KIN198(=ロイディーンが他界したその日)にグランマの1人と会っていた話を聞く・・・とメモしてあったのだ。Sさんは、自分の自由意志で立候補されたのだろうが、私は、風の紋章を通じてロイディーンが銀河時間の調和を教え示してくれたように思えてならなかった。

会場に向かう途中、九品仏駅前にある古本屋(木鶏堂)で、ある雑誌が目についた。表紙の人物は暗黒舞踏の土方巽で、思わず引き込まれてめくっていたら、信号を2回分くらいスルーしてしまった。その場で誕生日を調べてみると、KIN200と判明。KIN200は、PANひろばMLにロイディーンの訃報を知らせた日付でもあった。

後で調べて判明したのは、土方巽の出生名が「米山九日生(くにお)」であったということ。何度も通っている本屋で、実際に本を手にしたのは数えるほどしかなく、信号をスルーするほど引きつけられたのは初めてだったが、理由が分かった気がして妙に納得した。米は八十八で8/8、九日生は9の年、9の日に、九品仏でというのにシンクロしたのだろう。ちなみに、パカル王が眠っていた「碑銘の神殿」は9層で、9人の冥界の王(時間の主)が墓室を守っていた。

九品仏浄真寺参道の右手奥に停車していた車が「60-22」だったのも大いなる驚きだ。何故なら、KIN60=「8・太陽」=「8アハウ」は、ホゼに『13の月の暦』のインスピレーションをもたらしたパカル王の生まれた日付(古代マヤの数え方)で、KIN22は、『アルクトゥルス・プローブ』でパレンケ王朝創始者と記述されている「白サギの貴婦人」こと「ボロン・イク(=9・風)」である。
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おまけに、60×22=1320は、ツォルキンの比率13:20を示しているだけでなく、パカル王の墓が封印されたとされる692年から、マヤ長期暦の完了ポイント2012年までの経過年数でもある。そして、例題に立候補されたSさんは、まさにその長期暦が完了したG暦12/21が誕生日の方だった。

帰宅すると、FBのタイムラインには、首相官邸から中南米5カ国を訪問した際の動画がUPされたばかりだった。クラスの中で、元旦(G7/26)に安倍首相夫妻が「太陽のピラミッド」に登った(この様子も動画にある)ことを伝えたばかりだったので、このタイムリーさにも驚いた。何しろ、ホゼ(KIN11)が14才の時にその「太陽のピラミッド」のてっぺんで啓示を受けて、「マヤの数学と暦を探求する」という決意をしたからこそ、『13の月の暦(ドリームスペル)』は存在しているのだ。

ちなみに、パカル王はパレンケ王朝の11人目の王で、土方巽は11人兄弟の末っ子として生まれたという。クラス終了後、「クラウドナイン」というお気に入りのコーヒーショップへ行き、ひと息ついてから九品仏駅に向かったのだが、その道すがら、72-72の車と22の車を目にした。72は、先のSさん(KIN202)の反対のパートナーのKINナンバーだ。この日は、反対のパートナーについても、Sさんを例に結構時間を割いて話していたし、72+72=144は、ボロン・イクが登場する『テレクトノン』のキーナンバー。宇宙の演出は実に見事だ。
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本当は、ここまででブログをUPする予定だったのだが、ボロン・イク(9・風)と「白サギの貴婦人」の関係が今ひとつハッキリしないのがずっと気になっていて、昨夜、新たに見つけたWEB上の資料も含め、色々と比較検討をしていた。そこで、以下に、私の推測も交えつつ、分かった範囲で情報を整理してみたいと思う。
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まず、「白サギの貴婦人」という表記だが、これは『アルクトゥルス・プローブ』に登場する用語で、「天王星マヤ人で、ナー・チャン(パレンケ)のマヤ王朝創始者。マヤのクロノグラフ(時間測定装置)の創造者」と説明されている。また、同書のP265には「私は白サギの貴婦人、サク・バク。9・イクの日、〈白い太陽の風〉の日に私は生まれた。誕生してから、私は、パレンケのナー・チャン(蛇の館)の王位を継いだ。」とある。

一方で、「白サギの貴婦人」に相当すると考えられるのは、Lady Sak K'ukという存在である事が、複数の資料から判断出来た。中でも、昨夜見つけた mesoweb の資料はかなり参考になった。それによれば、Lady Sak K'ukは、K'inich Janaab Pakal I(=パカル王)の母で、別名がMuwaan Mat。このMuwaan Matは、パレンケの創世神話にも登場する存在のようなので、多分、間違いないだろう。ただ、Lady Sak K'ukもMuwaan Matも、ボロン・イク(9・風)という日付との関係について書かれていないので、その部分は謎だ。

パレンケ初代王がQuetzal Jaguarを意味するK'uk' Bahlam Iであることから、Lady Sak K'uk'のSakは「白」、K'uk'はQuetzalであることが分かった。Quetzalには「大きく輝いた尾羽」という意味があるらしいから、Lady Sak K'uk'は「白い羽の貴婦人」ということになるのだろう。これを、ホゼは「白サギの貴婦人」としたと思われる。ただ、初代K'uk' Bahlam Iも創世神話に出てくるMuwaan Matも「9・風(ボロン・イク)」との関係は、どうしても見つけられなかった。

むしろパカル王の3代前の女王Lady Yohl Ik'nal(Lady Heart of the Wind Place)の方が、パレンケのあちこちに実際に見られる「風(イク)」の紋章と関係が深いように思えるのだが、これ以上は今のところ不明である。もっとも、『テレクトノン』や『アルクトゥルス・プローブ』の世界観は、マヤ考古学の資料だけに基づいたものではないし、むしろホゼのチャネルで再解釈された神話みたいなものだから、あまり学問的に細かく追求する意味は無いとも思う。

ただ、そういう背景をある程度は明確にしておかないと、学問をやっている人からすれば「何をいい加減なこと言ってるんだ」と言いたくなるだろうし、自分で調べない人は、無知に任せてますますテキトーな事を言い散らかす事にもなる。上記の通り、混乱の一因は、当然ホゼ自身にもある。しかし、真の『ドリームスペル(13の月の暦)』プレイヤーなら、ホゼの言葉だって鵜呑みにはしないのだ。

ドリームスペル(13の月の暦)』はシンクロニシティ(自然との調和)を促す装置として、確かに実用的な効力を持っている。だからこそ、私は「銀河の同期」を越えた今も、「銀河シンクロ教室」などを通じて、この時間の知恵をシェアし続けているし、その証拠をこのように文章にして記してもいる。だが、同時に、アグエイアス夫妻が伝えるマヤは、アカデミズムで言うマヤとは範囲も意味も異なっていて、ある意味いい加減であり、時に情報が古かったりすることも十分承知しているのである。

「13の月の暦・手帳」(こよみ屋)の冒頭にあるパカル王の石棺レリーフ図には、『テレクトノン』でいう「13のはっきりとしたしるし(=パカルの特別な13日)」が記されているが、リンダ・シーリーとピーター・マシューズによる『THE CODE OF KINGS』のP118には、それらが、パカル王の先祖達が死んだ日付で、誰が死んだ日付なのかまで明記されている。

奇しくも、私は、先の磁気の月18日(1・18)から、その「特別な13日」のひとつ、KIN26(13・世界の橋渡し)の道筋を歩み始めたのだが、『THE CODE OF KINGS』P118図に対する私の見方が間違っていなければ、その日付はLady Sak K'uk'の死んだ日付そのものか、それに関連している日付である。そう思うと、KIN26の道筋に入ってから最初に書くブログ記事が、この内容になったのも必然的な気がしてくる。何故なら、前々からその本は手元にあったからだ。

このように、自らが実際に体験している出来事から自分なりの世界観を構築していくことが、『ドリームスペル』をプレイすることであるとするなら、確かに、ホゼもロイディーン(ボロン・イク)も、それを実際にやって見せてくれていた。というより、彼らの生き様は、そのままリアルタイムでの神話の創造だったと言える。そして、それが誰にでも可能であるということを知らせるために『ドリームスペル』を残してくれたのだろう。

テレクトノン』に登場する、ハアブの区切り方に従った暦(13の月の暦A3カレンダーの裏側)では、早くも今日で、最初の「ポプ月」が完了する。『ドリームスペル』も『テレクトノン』も、発表当初の目標点からは1年以上経過してしまったが、12:60の分裂魔術が未だに幅を利かせている世界の現状を省みれば、まだまだその役目を終えているとは思えない。今、このタイミングで上記の事柄に気付けたのも、ボロン・イクとサク・クックからの追加指令を、私がどこかでキャッチしたからなのかもしれない。

いずれにしても、時空の先端を切り拓きながら探査し続けるプローブは、今も進行中なのだ。それが、ドリームスペル・プレイヤーとしての私の実感である。

青い日の青い存在たち

2014年05月13日 23:00

スペクトルの月12日(G5/13)KIN195 青い宇宙の鷲(byD)

5/9(金)は、『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンで見ると、青い夜のウェイブスペル(13日間)の9日目「青い太陽の猿」で、サイ時間単位も「青い水晶の手」(KIN207)だった。『時間の法則の20の銘板』の見方を延長すると、スペクトルの月全体も「青いスペクトルの嵐」に対応していて、変容のエネルギーがかなり集中していたことが分かる。

日常を『13の月の暦』で過ごしていると、この「青(変容)」の集中状態は、自分が体験するリアリティにも様々な形で反映されることになる。その日、河原での朝の体操を済ませた私達の前を、瑠璃色に輝くカワセミが、美しい声で鳴きながら横切って行った。爽やかなお天気に加え、久しぶりの対面だったので朝から気持ちが弾む。

南青山クリスクロスでのランチも、オープンテラスで頂いたことでさらに美味しさが増したように感じられた。あとちょっとで食べ終わるというタイミングで、小さい羽虫が手元のお手拭きにピタリと止まった。よく見ると若干胴体が青い。大きさからして、多分『霊性のアート』P108に載せたのと同じ虫ではないかと思う。
青い虫 
「マヤ暦が終わる」と騒がれていた2012年冬至(KIN207)の20日前、G12/1(KIN187)に、自由が丘のホームで手帳を開いた瞬間、まさにその日付の場所(それも月の絵の真上)を狙って止まった虫は、結局、電車が到着するまでの5分以上もの間、全く動かないでそこに居た。だからこそスマホでピントを合わせて撮影できたのだが、今回よりもう少し鮮やかな青色の虫が、「青い手」の日付のところに止まったのが、何とも印象的だった。

後に、そこから260日前のKIN187(=2012年3月16日)は、マヤ長期暦での9.13.0.0.0からぴったり1320年が経過したタイミングだったと気付き、大いに驚くことになる。というのも、その日、私は引っ越しか何かのタイミングで見失っていた「碑銘の神殿」のスケッチメモ(パレンケ訪問時に自分で描いたもの)を再発見しているからだ。さらに、後にドリームスペルと密接にシンクロしてくるビセンテ・アミーゴの生演奏を初めて聴いた日でもあったからだ。

極めつけは、『霊性のアート』の本質をまとめた図が、意図せずP187に掲載されることになったという事実。もしかしたら、あの青い虫は、後に展開して行く様々な次元の繋がりを知らせてくれていたのかもしれない。そして、今回もまた、その青い虫は、私達が席を離れるまでの10分以上、全く動かずそこに居たのだった。

奇しくも、サイ時間単位はマヤ長期暦の完了ポイント2012年12月21日とシンクロするKIN207(青い水晶の手)。KIN191(青い太陽の猿)の方も、マヤ長期暦に変換すると、パカル王が活躍していた時代(633年〜652年)に対応する。そういうタイミングに再び青い虫が私の許を訪れたのは、何かのサインなのだろうか?

「書の魔法」の最初の来場者の方がKIN191だったこともあったので、気になって調べていたら、『7:7::7:7』の中では、まさにそのKIN191に「パカル・ヴォタン」と書かれているのを再発見した。おそらく、それは上記の長期暦変換での活躍年代に由来するものだと思うが、マニュアルには、その反対のパートナーに当たるKIN61の所に「アブラハム」と書かれている。

そこで、改めてアブラハムについても確認してみると、聖典の民の始祖であるアブラハムに、父テラという存在がいることを、今回初めて知った。「青い銀河の猿」のビセンテが、2013年に発表したアルバムは、まさにその『Tierra(テラ)』だ。こうして見ると、小さな青い虫は、パカルからの伝言を伝えるメッセンジャーとして飛来しているようにも思える。

その後、私達は、尾形光琳の国宝「燕子花図」を見に根津美術館へと向かった。ガラスケースに近付いて見た時は、不遜にも「何でこれが国宝なんだろう?」なんて思ってしまったが、十分距離を置いて一双(2枚)の屏風を眺めていたら、段々とその凄さ、素晴しさが見えて来て、唸ってしまった。図録やカードだと何かバランスが変な感じがするのは、屏風として立てている状態で完成された構図となるよう描かれているからなのだろう。

毎年、庭園のカキツバタ(燕子花)が咲く頃に合わせて「燕子花図」を公開するのが、根津美術館の心憎いところだが、この日は天気が急変して、晴れ間と暴風雨が何度か繰り返されていた。滝のような雨が降った後、明るくなって来たところで庭園に出てみると、青空の低いところに、かすかな色合いで虹が浮かび上がっているのが見えた。

気のせいかと思うほどの希薄さだったが、Lがスマホで撮影したら、何とか識別できるくらいには写っていたし、近くにいた2人組のうちの1人も少しして気付いたようだったので、出ていたのは間違いない。「虹の発見」は私の特技で、大抵は誰も気付いていない段階で気付く。虹が出る時の光学的特性を身体で把握しているだけかもしれないが、私にはある種独特の「気配」が感じられるのだ。
カキツバタ 
雨で洗われた新緑がまぶしい庭園は、ちょっとヒンヤリしていて心身共に清められるような感じがした。奥に進むと、緑に囲まれた池に、青く輝くカキツバタが群生している。尾形光琳燕子花図も、もちろん素晴らしかったが、やはり生きている自然は圧倒的だ。色々な角度からその美しさを存分に味わってから、美術館を後にした。

この日は、ちょうど『アウト・オン・ア・リム』も読み終えて、何か色々なことが美しく解き放たれた感じがあった。2日後のKIN193「赤いスペクトルの空歩く者」は、長期暦変換で見ると、パカル王が活躍した最後の時代に対応し、テレクトノンでもバクトゥン9に対応するスペクトルの月10日だったが、結局、青い虫の写真をツイッターに投稿したのもこの日だったから、やはりパカルとは切り離せない関係があるのだろう。

写真の投稿から程なくして、フォローしている白川静のアカウント(誰がどこからの出典で書いているかは不明)で、以下のようなツイートがされたのには、流石に驚かされた。本当にこういう説明があるのか、他でウラを取れた訳ではないが、私にとってはそのタイミングに「虫」という字が取り上げられるだけで十分だった。

《【むし(虫)】昆虫やはう虫の類をいう。【生す】【蒸す】と同系の語で、その名詞形。湿気の気によって生ずる。生物は鳥獣虫魚のように大まかに分類されるが、虫は気によって生ずるものとされた。》(引用おわり)

そして、昨日読んだ『第三の目を覚醒させる』のP79(※)には、「青いスペクトルは光の最も高い周波数です」という著者ルハン・マトゥスのコメントが記されていた。この本を送って下さった高橋徹さんが、本書の翻訳者であるだけでなく、日本に『13の月の暦(ドリームスペル)』を紹介した張本人であることを考えると、この一連の「青」のサインの背後に、パカル王の存在を感じずにはいられないのである。

(※)KIN79は「青い磁気の嵐」(=青い嵐のウェイブスペルの始まり)であり、今日「青い宇宙の鷲」は、青い夜のウェイブスペルの終わりを示す。

時空を超えてパカル王が仕掛けたこと

2013年08月23日 23:10

月の月1日(G8/23)KIN192 黄色い惑星の人(by D)

「黄色い銀河の種の年」が始まった、と思う間もなく「銀河の同期」から早28日が経過した。いつの間にか誕生日も過ぎて、私も「12・竜」の道筋に入った。そういえば、昨年、チェコでの演武から帰国した直後に、近所に住む謎の人物からボルサリーノのイカした帽子を頂いたのだが、その人の誕生KINは、KIN181(12・竜)だった。

パカル王って、こんな感じの人だったのかもしれない」と思わせる風貌(身長も181位かも)のその人物の家に招かれた時の体験と話は、あまりに常識とかけ離れていて、そのまま小説になりそうなくらい奇妙だったが、その圧倒的な存在感と見事にマッチしているところがあって(諸々の角度からの観察に矛盾が無く)、私には作り話とは思えなかった。

「銀河の同期」を越えたタイミングで、その人物とシンクロする「運命の道筋」に入った私は、自分の想像を超える1年を過ごせるのかもしれないと、ちょっと期待しているところもある。あるいは『霊性のアート』が発刊される(9月中旬予定)ことで、そういう動きが出て来るのかもしれないが、あまり構えずこの1年を楽しもうと思う。

私の誕生日から9日後のKIN190(8・犬)は、パレンケに私を導いて下さった滝元さんの52才、つまりカレンダーラウンドの誕生日だった。実は滝元さんもパカル王(の残されたレリーフ)によく似ていて、身長もパカルの推定と同じ180位あるのだが、その滝元さんが、これまた2013年に52才を迎えるというところが何とも美しい。

「そうだろう!」と言わんばかりにイチロー(KIN212)が祝いの日米通算4000本安打を放ったこの日は、ちょうど満月でもあった。今、気付いたが、滝元さんの誕生KINから22(13+9)日後がイチローの誕生KINで(ちなみに今日から3日間サイ時間はKIN22)、2013年&黄色い銀河の種の年に限っては、私の誕生日から31(9+13+9)日後が、背番号31のイチローの誕生KINだ。

ところで、『13の月の暦(ドリームスペル)』は、パレンケでパカルの「新しい時間がやって来る」という声を聞いたホゼが、ロイディーンと共に生み出した「新しい銀河の暦」だ。そして、そのホゼが世界的に知られるようなった著書『マヤン・ファクター テクノロジーを超えた道』(VOICE)を、高橋徹さんと共に監訳されたのが滝元さんなのだ。

692年に埋葬されてから1952年に発見されるまでが1260年(グレゴリオ暦の周波数)、長期暦の完了ポイントだった2012年までが1320年(マヤ暦の周波数)という長大な”仕掛け”だけでも驚きなのに、『13の月の暦』の関係者にもこれだけの時間魔術を示すパカル王は、『時空のサーファー』に書かれている通り、本当に銀河工科技術協力隊の隊長なのかもしれない。

何と言っても、パカル王の誕生KINは、滝元さんと同じKIN190なのだ!パカル王の墓室には、その誕生の日付が長期暦と連動する古代のツォルキンで「8アハウ」(KIN60に相当)と記されているのだが、複数の換算ソフトを使ってユリウス通日等から計算すると、『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンでは、KIN190になることが判明したのだ。他にも知っていた人はいたかもしれないが、私は2012年3月に、シンクロに導かれて発見した。

詳細は『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に整理してあるので、興味を持たれた方は、是非、参照してもらいたい。反対キンとか反対のパートナーとかの本質的な意味、そして、今という時代に『13の月の暦(ドリームスペル)』がやってきた事の意味を、深く味わって頂けると思う。

しかし、「今すぐダイレクトに理解したい!」という方には、明日、明後日と大阪のチャクラで行われる「銀河シード〈マスター〉コース」に飛び入り参加されることを強くおすすめしたい。何故なら、この2日間は、マヤ長期暦ツォルキンの260日に置き換えた時、パカルが活躍した最後の時期(KIN193)、そして失われた(隠された)7世代の最初の世代(KIN194)と完全にシンクロしているからだ。

そして、そのエネルギーを活用することで、一気にこの暦の本質を理解できる可能性が高いからだ。私が2,3ヵ月に一度しか訪れられない関係で、1日の中にスペシャルなプログラムを組んでいる関西でのクラスは、ある意味非常にお得であるとも言える。何しろ、全くの初心者でも、1日でこの暦のスペシャリストになれるだけの情報を、集約して伝えるからだ。

残席があるというのは、今回、銀河工科技術協力隊から招待さている人が、まだ居るということでもある。「きっと私がそうだ」と思った方は、即、行動を。そして、大阪でお会いしましょう!

★追記
この記事を書いた昨日は『7:7::7:7』で失われた7つの世代の第1、KIN194(692〜712)に対応していた。また、滝元さんのパートナーは何と、古代マヤのツォルキンでのパカル王の誕生日に相当するKIN60と判明!『マヤン・ファクター』に関わられたのも、やはり偶然ではないのだろう。




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