トルン市東洋美術館収蔵作品「葦」

2017年07月11日 00:22

宇宙の月14日(G7/10)KIN48 黄色い太陽の星(by D)

G7/6に、天真書法塾の師範科クラスがあった。月1回、青木天外塾長が直接ご指導下さるクラスなのだが、その日は冒頭に「ポーランド・トルン市東洋美術館発行の作品収蔵証明書」が塾長より授与された。実は、この書類が届くのを、私は心待ちにしていた。その理由と経緯を、以下にまとめてみたいと思う。

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ポーランド・トルン地域中世都市博物館(世界遺産)で「トルン東洋美術館展」が行われたのは昨年の10月、そのための作品を提出したのは8月上旬だった。7月に出雲大社で剣武天真流の奉納演武があり、その前後に遺跡や博物館、神社等を巡った事と、限られた時間の中で作品を仕上げる必要性に迫られて、私にはあるアイディアが浮かんでいた。

それは、幾つかある出品ジャンルの中の「前衛書」を選択し、「日本刀」のような一本の線を引いて「葦原中国」というタイトルで出品しようという目論みだった。実際、日本列島は刀のような反りのある姿をしているし、天真書法塾では「生命の実線」と言って、ひたすら線を引き続ける稽古も行うので、一本の線にも表現の可能性が無限にあるのを知っていたからだ。

できれば土地や人との縁も活かしたいと考えていた私は、出雲大社での奉納演武の後に立ち寄った石州和紙会館で、手漉き和紙を手に入れた。その辺りの経緯は、ちょうど一年前の今頃書いた「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」という記事にまとめてあるので、是非、ご覧いただければと思う。

ただ、普段作品制作に使用する紙と単純比較をすると、何十倍もする手漉きの和紙は、私にとって気軽に購入出来るものではなかったので、現地でお世話になった石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんが漉かれた美しい和紙の中から、自分のイメージに合うもの数点だけを選んで入手したのである。まさに「神頼み」ならぬ「紙頼み」の心境であった。

しかし、どんなに紙が素晴らしくても、作品としてマズければ、やはり出品する事はできない。結局、「神頼み」もして(笑)何とか仕上げた1枚をポーランドに送る事になった。その際、タイトルは英語でという事だったので「From words of the ancient Japanese name and Pascal」とした。パスカルを入れたのは、「人間は考える葦である」も想起してもらえたら面白い、という閃きによる。

トルンでの展示が終了した11月中旬、吉報が入った。博物館(美術館)にコレクションとして収蔵される作品10点が報告され、その内の5点が何と天真書法塾会員による作品だったというのだ!しかも、驚いたことに、その中には私の作品も含まれていた。複数の書道団体が出品していた中、収蔵作品の半分を天真書法塾が占めたというのは、やはり快挙である。これも青木塾長と吉田副塾長のご指導の賜物。ただただ感謝するのみである。以下にその5点の作者、タイトル、出品ジャンルを明記しておこう。

・小西稜雲「It is snowy to live Yaku cedar for 3,000 years」近代詩文書
・前原白水「Ryokan, waka」近代詩文書
・本田虹風「One sky is a thing of all」墨象
・松尾翔月「Own work, haiku」近代詩文書
・小原天迅「From words of the ancient Japanese name and Pascal」前衛書

同じ頃、現地での展示の様子を撮影した写真も送られてきて、私は初めて軸装された自分の作品を目にした。それが本文冒頭の写真である。今回は、軸装前の状態で出品というスタイルだったので、実は軸装作品を直接見ることはまだ一度もしていないのだ。そういう訳で、いずれトルンには行かなければと思っている。

さて、昨年11月には明らかになっていたこの事実を、何故、今になるまで書かないでいたのかというと、「収蔵証明書」が届くのを待っていたからなのである。いや、それ以前に、出品者全員に届くはずの「感謝状」もなかなか届かない状態が続き、タイミングを逸していたというのが正直なところだ。

実際、コーディネーターである国際書道文化発展協議会の岡田伸吉氏を通じて、作品(収蔵作品以外)と「出品感謝状」が届いたのは、年をまたいで今年の3月になってから。志賀海神社に奉納させて頂いた蘭禅の「君が代」も、実は、本当にギリギリのタイミングで日本に戻って来たのだった。

IMG_1863.jpg ★左が3月に届いた「出品感謝状」、右が7月に届いた「収蔵証明書」

そして、そこから4ヶ月を経て、ようやく「作品収蔵証明書」が届いたという訳である。現地の様子や、作品返送の流れなど、今ひとつクリアでは無い感じのやりとりが(コーディネーターとの間で)続いていたので、「証明書」が届くまでは、ブログに書くことも久保田さんに報告することも、念のため控えておいたのである。

IMG_5165.jpg ★7/6(KIN44)青木天外塾長と

しかし、おかげで、個人的には特別な記念日だと思える日に、青木塾長から「収蔵証明書」を手渡して頂けた。何しろ、7/6はダライ・ラマ法王の82回目の誕生日であり、『13の月の暦』のツォルキンではKIN44、私が日本語版の制作世話人を引き受けた『時間の法則の20の銘板』が始まった1997.7.26(KIN44)からツォルキンがぴったり28回巡ったタイミングだったからだ。

そして、面白い繋がりがあるので、書き添えておくと、翌々日の7/8(7・橋渡し)に、聖心女子大学グローバルプラザで行われた「難民と教育:チベットの民の知恵と経験」で講演をされたジェツン・ペマさん(ダライ・ラマ法王の実妹で元チベット子供村校長)は、7/7に77才の誕生日を迎えられた事を知った。誕生キンのKIN20(7・太陽)は、私(7・竜)の「神秘のパートナー」。

先にリンクを紹介した「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」には、安倍昭恵さんとブータン国王夫妻の来日、そして久保田さんとのびっくりシンクロについても書かれているのだが(久保田さんはブータンに何度も和紙の技術指導で訪れられている)、現ブータン国王妃も同じジェツン・ペマさんというお名前なのである。

昨年、上野の森美術館で行われていた「ブータン展」には久保田さんの石州和紙のコーナーもあった事が、その記事には書かれているが、実は、今日、1年ぶりにその「上野の森美術館」を訪れて「石川九楊展」を見てきたばかり。この繋がりは、ここまで書いて初めて気づいたことで、我ながらビックリしている。しかし、これこそが自然時間の共時性秩序なのである。

石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う

2016年07月26日 00:43

時間をはずした日(G7/25)KIN218 白い惑星の鏡(by D)

島根県立古代出雲歴史博物館には、古代の巨大神殿の模型や、現在の本殿の千木(これも近くで見ると相当大きい)など、見どころは色々あるが、やはり最もインパクトがあるのは、荒神谷遺跡で出土した銅剣、銅矛、銅鐸の展示だろう。掘り出された銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が、ほぼそのまま展示されている上、黄金に輝く当時の状態を再現したレプリカも同じくらい並べられていて、圧巻である。
銅剣 
古代の遺物を当時の状態で見るという体験には想像以上の驚きがあったが、前日に発掘現場を訪れていた事で、印象深さがさらに増したように思う。一通り見終えてガラス張りのホールに出ると、外は雨模様。それもかなり激しく降っている。近くにいた丸山師範と「参拝や移動の時に降らなくて良かったー」と言い合った。

外に出る頃にはもう上がっていたが、山の尾根に沿って雲が流れる様は、日本初の和歌とされるスサノオの「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」を彷彿させるものだった。この日、東京に戻るメンバーのフライト時間を考えて、とりあえず進路を日御碕に決める。
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国譲り神話の舞台でもある「稲佐の浜」を通り、日本海に面した崖沿いの道を進んでいくと、谷間のような所に赤い社がチラッと見えた。日御碕神社だ。下の本社(日沈の宮)に天照大御神が、上の本社(神の宮)に素盞嗚尊が祀られているという珍しい構造の神社で、「日沈の宮」という名は、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けたことに由来するらしい。上下の社の間に伸びる立派な松の緑と、社殿の朱色のコントラストが印象に残る神社だった。
IMG_8122.jpg IMG_8126.jpg 青木先生日御碕 (1) 
そこから車で数分のところに日御碕がある。灯台の近くにある切り立った崖まで近付いて、荒波にもまれた猛々しい岸壁と松林、そして雲間から差し込む太陽に照らされた海という、おそらく古代からそう変わらないであろう風景を、しばし楽しんだ。全員車に乗り込み「さあ出発」というタイミングで、まるで狙ったかのように雨が降って来た。みるみる大降りになり、一時は前方がよく見えないくらいの荒れ模様。

そういえば、昨年の宮崎・鵜戸神宮での奉納演武の後もこんな感じだった。演武前後は晴れて、青空まで見えていたのに、車に乗るや否や滝のような雨が降って来たのだった。幸い、荷を預けてあった宿に到着する頃には止んだが、この日は午後以降、出雲地方に大雨注意報が出ていたのを、夜にテレビのニュースで知った(その頃はもう私達は県西部の益田市に居た)。

大きい荷物の送付手続きなどをして、先に東京に戻るウィウソン師範&倫子師範とはそこで別れ、再び関口師範の運転で国道9号を一路西に向かう。日もすっかり暮れた頃、益田市のホテルに到着。ボーリング場なども併設されたかなりレトロな雰囲気のホテルで、エントランスには、ここを訪れた芸能人やスポーツ選手などのサインがズラーっと並んでいた。力道山とか村田英雄、島倉千代子の名前に歴史を感じる。

倫理法人会に所属しているらしく、倫理研究所が発行している冊子のバックナンバーがホールの棚に沢山積まれていたのも印象深かった。何しろここで同室した丸山師範のお父様は、倫理研究所理事長の丸山敏秋氏なのだ。『霊性のアート』にも書いた通り、敏秋氏は日本に『13の月の暦』を紹介した高橋徹さんと旧知の仲で、実は私も丸山貴彦師範より先に、敏秋理事長の方と暦の活動を通じて面識があったのである。

せっかく「時間をはずした日」にこれを書いているので、補足しておくと、1997年に「時間の法則に関する世界会議」の会場を提供して下さったのも、ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が日本に長期滞在できるよう尽力して下さったのも、丸山敏秋氏である(もちろん高橋夫妻との縁による)。さらに一言付け加えておけば、『13の月の暦・手帳』のP15にある「サイ時間単位」という表の右下にRINRI PROJECTとあるのは、倫理研究所、そしてその創設者である丸山敏雄氏に敬意を表して(その活動にインスピレーションを受けて)付けられたプログラム名である。
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さて、翌KIN196(G7/3)は、朝から津和野に向かい、森鴎外の旧宅、鴎外も通った藩校養老館などがある殿町通り、カトリック教会などを巡り、街の中心部にある沙羅の木・松韻亭で庭園を眺めながらコーヒーを美味しく頂いた。そこで教えてもらった「やぶさめ馬場」のある八幡宮鷲原公園前を通って、一路、浜田市三隅町にある石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんの工房へ。

ブータンでよく見かけるような生地の作務衣を来て出迎えて下さった久保田彰さんは、早速、工房を案内して下さり、和紙の原料となるコウゾやミツマタの木が生えている場所、それらの茎の皮を乾かしたものなどを見せて下さり、さらに、それらを叩いて繊維を解すところや、補助材料のトロロアオイに触れさせて頂くなど、和紙が生まれるプロセスをイメージできるよう色々と体験させて下さった。何とも有難い事である。
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見晴らしの良い海辺のレストランに場所を移し、久保田さんのお話を伺うと、何と、これまでに何度もブータンを訪れて和紙技術指導をされているとの事。着用されていた生地もやはりブータンのものと分かり納得。昼食を終えて石州和紙会館に場所を移し、さらに大きな工房や作品を見せていただいた。途中、Lからメッセージが入り、二子玉川駅前に参院選に出馬している候補の応援で昭恵さんが来ていたから挨拶をしたと、写真が送られて来た。このシンクロにには、かなり驚かされた。
アッキー 
なぜなら、私たちが初めて安倍昭恵さんにお会いした2011年11月15日は、ちょうど現ブータン国王夫妻が初来日されたその日だったからだ(その事は、こちらの記事と『霊性のアート』に書いてある)。ブログに綴り続けて来ている通り、シンクロ自体は日常茶飯なのだが、こういうピンポイントなものにはやはり驚かされる。上野の森美術館で行われている「ブータン展」のオープニングで来日された前国王夫人とも挨拶されたばかりというので、東京に戻ってすぐに「ブータン展」に行ってみる事にした(石州和紙のコーナーに久保田さんのお写真もあった)。

ところで、石州和紙会館には、青木先生が吹雪の羽黒山で書かれた大字書「覚」が収蔵されている。以前に、天真書法塾発表会で展示された時に拝見はしているが、このタイミングで改めて実物が見られたのは、非常に嬉しいことであった。というのも、この作品は剣武天真流創始と直接関わる作品だからだ。新体道で先輩に当たるトランペッターの近藤等則さんが「地球を吹く」のシリーズを国内で展開されていた時、青木先生に剣と書のパフォーマンスを依頼されたことがきっかけとなって、剣武天真流の開発が始められたからである。
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その後、会館で久保田さんが梳かれた石州和紙を手に入れ、出雲方面に戻る事になった。この後、さらに山口方面に向かう関口師範と川崎さんに浜田駅で別れを告げ、9号線を出雲方面に戻る。出雲にかなり近づいた「きらら多岐」という道の駅のような場所で、出雲国大社食品の山崎さんと待ち合わせ。かなり広い駐車場だったのにもかかわらず、運転していた丸山師範が車を停めたのは、何と、山崎さんの車の真隣だった!

自社製品をお土産に沢山下さったのだ。帰宅後、早速いただいたが、添加物などが入っておらず、しかもパワーがみなぎっている感じがあって実に美味であった。練り物好きのLの食いつきぶりも、その素晴らしさを証明していた。無事レンタカーも返し、出雲空港でスサノオラーメンを食べて、JAL286便40Gという席で羽田へ。

今回のメインは、出雲大社での剣武奉納演武ではあったが、その前後のことも含め、本当に色々な方のお世話になり、素晴らしい体験をさせていただいた。共に演武をした本部正師範含め、関係者全ての方々に感謝したい。しかし、その中でもやはり、青木先生と吉田先生には、格別の感謝の気持ちを捧げたい。先生方の長年に渡るご活動や、様々な方々との丁寧なコミュニケーション無しに、今回のような体験は出来なかったであろう。ここに改めてお礼申し上げる次第である。

12:60的な感覚では、もう日付をまたいでしまったが、私の中では、『13の月の暦(ドリームスペル)』での「時間を外した日」(注:マヤ暦にはこういう日は存在しない)に、一年の締めくくりとしてこの記事を書いたつもりでいる。

KIN218(10・鏡)は、パレンケの「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された1952.6.15からぴったり90銀河スピン=23400キン。「白い惑星の魔法使いの年」は、「10・魔法使い」で始まり「10・鏡」で終わる。年の始まりと終わりは常に同じ「色」と同じ「音」になる。これは非常に美しい法則だ。

日々体験する出来事の中、そして『13の月の暦』の中に「美と調和」を発見する毎に、私たちのシンクロニシティは増大する(それがドリームスペルの本質だ)。現れを仕上げる1年の終わりに、出雲での出来事をまとめられたことを嬉しく思う。明日から始まる「解放」の1年は、さらに驚くべき体験を私たちにもたらしてくれるだろう。この記事を目にした方にも、もちろんそれは訪れる。

安倍昭恵さんの輝くシンクロ力

2011年12月13日 03:03

倍音の月28日(G12/12)KIN93 赤い月の空歩く者(byD) 

第5代ブータン国王夫妻が来日されたグレゴリオ暦11/15は、『13の月の暦』だと「輝きを授ける」という意味をもつ「倍音(5)の月」の初日だった。加えてこの日は、「喜びの輝き」という卦でコード化された1週間の初日で、惑星ホロンが日本と対応する「1・世界の橋渡し」(KIN66)の日でもあった。さらに言えば、ここから13日間(ウェイブスペル)全体が、実は「世界の橋渡し」(つまり日本のエリア)と結びついていた。

これほど行為と場所とキーワードが一致していると、もう「お見事」としか言いようがないが、国王夫妻が最初から新婚旅行先に日本を選んでいて、311でそれが延期になった結果、今回のタイミングになったという事実を振り返ると、「自然と共にある人々は、意図せずともこの暦にシンクロしている」というこれまでの検証結果が、改めて証明されたように感じられて嬉しい。ちなみに、雷龍の国(ブータン)は、「竜」の惑星ホロンエリアにあり、私達も4年前にタクツァンという聖地を訪れている

さて、そんなお目出度い日に、私達も安倍昭恵さんと初めてお目にかかる機会を頂いた訳である。この日に決まった経緯は「フェイスブックデビュー」という記事に書いた通りだが、私がこの日を提案したのは、上記のような喜ばしいキーワードで彩られているからだけではなく、KIN66という日が巡る周期にも理由があった。私は2001年3月10日(KIN66)=チベット民族蜂起42周年のタイミングに、ご縁あって、山川亜希子さんと野崎友璃香さんのジョイント講演に飛び入り出演させて頂いた経緯がある。

第十一の予言』の出版記念講演でもあったその日から私のシンクロの旅が加速したこともあって、『シンクロニック・ジャーニー』(以下SJ)はその話から始まっている。そして、同書最終章の終わりには、NPOクリカの認可がKIN66に降りたことも書いてある。つまり、今回のKIN66(11/15)は、チベット民族蜂起とシンクロした記念講演から260日暦が15回、NPOクリカ設立からは7回巡ったタイミングだったのである。そもそも、昭恵さんとの交流もSJがきっかけで始まったのだし、初めてカーラチャクラ灌頂(『第十一の予言』もこの灌頂もシャンバラと関係がある)を受けた時の自分の道筋もKIN66だったので、私にしてみれば、「この日しかない」という位のピンポイントなタイミングだったのだ。

昭恵さんから初めてメールを頂いたのは、2010年の終戦記念日(8/15=KIN64)だったが、11/15のサイ時間単位はそのKIN64で、考えてみれば終戦66周年でもあった。一方、G暦の15という数にも面白いシンクロを感じた。高野山での金剛界マンダラの灌頂は、15周目の初日、自己存在の月15日から行われたし(指定席のE28は、5月28日=本日とも見なせる)、その前日に15番のおみくじを引いていたり、さらにその1週間前には、第15代応神天皇が御祭神として祭られている岩清水八幡宮にも初参拝している。

だから、その話を出す前に、昭恵さんが「最近、神宮皇后とのご縁を感じる」と言われた時にはドキッとした。何故なら、神功皇后応神天皇の母で、岩清水八幡宮には神宮皇后もお祭りされていたからだ。また、その直前に美智子皇后(KIN15)とのシンクロもあったし(ブログエントリー505「太陽意識の時代」の追伸で触れている)、SJのあとがきも『マヤのリズム』の発刊も、皇太子さまの誕生KIN(KIN166)とシンクロしているので、様々なレベルで「母と子」というテーマが響いているのを感じずにはいられない。思えば今日KIN93も、私の母の誕生KINだ。

また、今日はG暦12/12だが、『13の月の暦』での12/12(水晶の月12日)はG6/10で、何と昭恵さんの誕生日でもある。実は、この日のサイ時間単位は常にKIN231(Lの誕生KIN)で、私は今そのKIN231(10・猿)の道筋を歩んでもいるのだ。もちろん、66にしても他の数字にしても、狙ってそこに合わせるということもやってはいる。しかし、自分の都合だけではどうにもならないことも多い。現に昭恵さんは、11/15前後の予定はびっしりスケジュールが詰まっていらしたようで、FBにも全国各地を忙しく回っておられる様子が連日UPされていた。

実は、お会いした日に頂戴した「美味しい昭恵米」(ご自身が仲間の方と無農薬&無化学肥料で栽培された)のことや、神功皇后陵を訪れられたこと、さらには剣山登山など、まだまだ話は続くのだが、また長くなってしまったので今日はここまでにしておこう。・・・と思いつつFBを見たら、何と!お米を収穫した後の田んぼの様子を昭恵さんがUPされていた!あまりに見事なシンクロぶりに驚かされてばかりだが、とにもかくにも、「輝きを授ける」倍音の月の始まりにお会いしたことを、何とかその月のうちに書く事が出来たのは、大変喜ばしいことである。

☆おまけ1:倍音の月は「喜びの輝き(コドン58)」の週で始まり「喜びの神殿(コドン41)」で完了した。58+41=99は、「ドリームバンク6699」が行われるKINでもある。また、ブータン国王夫妻は、KIN33(10/13)に結婚され、KIN66に来日された。KIN99の夢の場の共同創造は、その369(天照大神の数霊と言われる)の流れの仕上げにシンクロする。

☆おまけ2:サグラダファミリアの主任彫刻家である外尾悦郎さんは、KIN66に出身地の福岡で講演会をされていた。外尾さんの誕生KINは62なので、2013年の第62回伊勢式年遷宮ともリンクしている。また、サグラダファミリアの受難の門には合計が33になる魔方陣があり、2013=20+13=33でもある。

惑星の月11日 KIN 211青い電気の猿

2007年04月14日 22:29

「さくら」(by L)

桜の時期、Dが日記を書きまくってくれている間、私は書の修了制作、王羲之の楷書「楽毅論」の仕上に没頭していた。現時点ではこれ以上書けない!というところまで書き切れたので、思い残す事は何も無い。もちろん今後の課題は数々あるが、私にとっては作品の出来より何より、内側にわき起こってくるこの感覚を得られるかどうかの方が絶対に大事。有難い事に(というより予想外にも)、「楽毅論」の提出をもって天真書法塾・青木塾長より段位を授けて頂いた。通過点とはいえ、段位授与は大きな励みだしやはり嬉しい。これからしばらくの間は、ひたすら米フツを専攻する。(随分畏れ多い。が、誰を専攻しても畏れ多いのは同じだと開き直る事にした。)

ところで「楽毅」は歴史上実在の人物であった。実在したどころか諸葛孔明のあこがれの人物でもあったという。メルマガにも書いたが、楽毅とは一体どんな人であったのか少しでも迫りたい一心で小説を探し当てて読んでみたらこれが大ヒット。「こんなに漢字だらけの本、4巻までなんてとても読めないわ」という感じの中国戦国時代の歴史小説なんだけど、面白くて面白くて(途中ストーリーの中だるみはあるにせよ)殆ど一気に読んでしまった。(稽古仲間の純子さんに紹介したら「面白過ぎて身体に悪い!」とコメントされた。)「人が見事に生きるとは、どういうことか?」を問い続ける彼の存在に完璧心を奪われ、書の制作期間は楽毅LOVEの日々でもあった。私にはこの小説を読んだという事だけでも充分修了制作の思い出になっているほど。

ご興味のある方はこちら↓
『楽毅』〈1巻〉『楽毅』〈2巻〉『楽毅』〈3巻〉『楽毅』〈4巻〉

「桜の時期は修了制作に没頭していた」と言いながら、友人たちとお花見もできたし、実は次の旅の準備も着々と進めていていた私であった。次はブータンネパール。調べた所、ブータンに入国するには、座席数僅少のドゥルック・エアーに乗るしか無く、しかも予定の時期がハイ・シーズンなので、(かなり先ではあるが)今のタイミングで席を押さえておくことにした。私たちのブータンでのお目当ては、ただ一つ。グル・リンポチェが虎に乗って飛来したとの伝説のある、垂直に切り立った岩壁に鎮座するタクツァン僧院(タイガーズ・ネスト)だ。こんなところに僧院を建てるなんてまるでファンタジー。しかし、ケンツェ・リンポチェの写真集で想像絶する佇まいを見てしまった時から脳裏に焼き付いついているので行くしかない。かくして、ピンポイントでタクツァン巡礼をすることに。またもや空気の薄い所でプチ登山である。鍛えておかないと。

ブータン訪問の後は、ドゥルック・エアーでカトマンドゥに入りネパールに少し長目に滞在する。ここではチベットサポート関連や友人のプロジェクト関連など、大切な仕事をたくさんする予定で、とても全容は書ききれない。でも、カトマンドゥには私のラッキー・ラインがバシバシ入りまくっているので、素晴らしい展開になるのは間違いない。とても楽しみだ。

ところで最近、渋谷さくらやに行く時に限って面白い遭遇がある。先日も、カフェ・デンマルクの前から地下鉄を出、さくらやまでの数メートルの歩道で、面白いエネルギーの女の子とすれ違った。一見普通の若者で全然変わった所は無いが、周囲のエネルギーをありとあらゆる方向から一身に「吸収して」歩いてくる。まるで無垢なブラックホールみたいで、私も吸い込まれてしまいそう。ただならぬものを感じ、この人誰なんだろう?と深く被るキャップの奥の目をのぞくと、それは宇多田ヒカルちゃんだった。(この日家を出る直前に読んでいたのが、彼女の出ているブルータスだった。あの目に間違いない。)それにしても、完璧吸収型のエネルギーの人ってものすごく珍しい。特に芸能人には。

そして今日も私たちはさくらやへ行った。買物を済ませて階段を降りる途中、ふと通路のTVに目をやると、かつての同級生が大映しになっていた。手にしている楽器を見てすぐにT君だとわかった。彼は学生時代から既にギターの名手として有名だったが、今や日本を代表するウード奏者として活躍中。明日からNHKで放映される「新シルクロード」の番組音楽を担当しているのを知った。始まったばかりのライブ演奏を聴いてからさくらやを後に。目にする機会のあるたびアーティスト度が高まって行く同級生の姿を見るのはとても嬉しい。(特に、後戻りできないほどオヤジ路線炸裂の我々の年代において、これはすごい事だと思う!)さて、ウサさんと悟郎さんは、いよいよカトマンドゥへ出発。来年の桜のシーズンにはどんなことが待っているのか、今からとても楽しみである。

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