トークイベント【スープ王国ポーランドの秘密】1月8日

2017年12月09日 00:07

倍音の月25日(G12/9)KIN200 黄色い倍音の太陽(by DL)

新春トークイベント【スープ王国ポーランドの秘密】
〜2018年1月8日(祝・月)14:00〜16:30〜

トマシャのおじさん クラクフ1のポンチキ コペルニクスのスープ
by Daisuke & Rangzen Obara

旅に出ると、そこでしか味わえないシンクロを「これでもか!」という位、沢山体験させてもらえます。そしてそれは魂の変容を加速させるのです。

2017年秋、私たちは、ワルシャワ直行便の就航から急速に注目を集めつつある国ポーランドを旅しました。多重シンクロに導かれた旅で知ったのは、想像以上に食べ物が美味しく、人の優しい美しい国だという事。聖地、聖剣、ダ・ヴィンチ作品など、絶対に見逃せない情報と、シンクロを見出し、紡ぎ出す手法を、現地の映像・数々の写真を交えながら皆さまにお伝えします。どうぞお気軽にご参加下さい。


スケジュール
【日時】2018年1月8日(祝・月)14:00〜16:30
【場所】東京/九品仏(東急大井町線)お申込の方に詳細をお送りします。
【参加費】3,300円(クリカ稽古会員2,200円)
*定員がありますので、参加ご希望の方はお早めにお申込みください。

お申込み方法
お手数ですが、下記の4項目をコピー&ペーストなさり、必要事項をご記入の上、メール(←クリック)にてお申し込みください。その際メールのタイトルを【ポーランド】として下さい。追って受付メールを返信いたします。

1【お名前】
2【〒ご住所】
3【お電話(携帯)番号】
4【クリカの稽古会員の方は、稽古クラスをお書き添えください。】

*お寄せ頂いた個人情報はいかなる場合においても外部へ漏らす事はございません。
*敏速な返信を心がけておりますが、通信事情等により、ごくまれにメールが届かないケースがございます。申込メールをお送り頂いた後、2日間経ってもこちらから返信が届かない場合は、大変お手数ですが、再度メールをお送り頂けますようお願いいたします。





ソラリスにコンタクト

2017年12月06日 02:43

倍音の月21日 (G12/5) KIN196 黄色い磁気の戦士 (by D)

アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』がソ連で公開されたのは1972.3.20(KIN151)。それからおよそ40年(正確には40年-40日)後の2012.2.8(KIN151)、『ドリームスペル』日本語版(第2刷)の配布が公式窓口で始まった(2016.11.4=KIN60に窓口からの配布は終了した)。

日本に『ドリームスペル13の月の暦)』を紹介された高橋徹さんが、しばしばご著書の中でタルコフスキーについて取り上げられていたので、「青い銀河の猿(KIN151)」を通じたこの繋がりには、興味深いシンクロを感じる。

加えて、今日は日本で『惑星ソラリス』が公開された1977.4.29(KIN196)から、ツォルキンがぴったり57回巡ったタイミング。ソラリスについて書くには、もってこいの日だ。だが、何故、今『ソラリス』なのか?
ソラリス

きっかけは、今から40日前のKIN156(G10/26)にあった。時のからだ塾MLで、メンバーの近藤さんが映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』の上映(G11/4〜)について知らせて下さったのだ。この日、私達はポーランドに居て、ワルシャワからクラクフへと鉄道で移動していた。

帰国後のKIN171(G11/10)に『CODA』を観に行き、坂本が『惑星ソラリス』から強い影響を受けていた事を知った。その昔、何となく観たような気はするが、内容は全く覚えていないので(もし観ていても理解出来なかったのだろう)、近いうちに観てみようという事になった。

世界瞑想」が行われたKIN187(G11/26)、兵庫島公園で一緒に瞑想を行ったメンバーとランチをする中で、ソビエト映画『惑星ソラリス』とアメリカ映画『コンタクト』が話題に登ったこともあり、翌KIN188(G11/27)、久しぶりにDVDを借りてみようと思い立つ。

どちらを先に借りようか迷ったが、原作者のスタニスワフ・レムポーランド人だという事をDVDのケースを見て初めて知り『惑星ソラリス』に決定。帰宅後、2つの映画とレムについて調べる中で、面白い発見が続いた。

レムは1921.9.12(KIN172)の生まれで、クラクフの名門ヤギェウォ大学に学び、2006.3.27(KIN88=10・星)にヤギェウォ大学病院にて死去。SFデビュー作の『金星応答せず』というタイトルが、本人の死とこの事を調べたKIN188(6・星)の両方にシンクロしていた事に驚く(ドリームスペルで「星」は金星軌道と対応する)。

さらにKIN88は私の父の誕生キンで、私達がKIN156(10/26)から4泊した宿は、ヤギェウォ大学から100mほどの場所にあった。もちろん、予約した時点ではレムとの関係など全く知らなかったし、恥かしながら私は(そしてLも)、この著名なSF作家の存在すら知らなかったのである。尚、クラクフに着く前日にトルンの「星の下の家」で自分の書作品に出会った事は、少し前の記事に書いた通りである。

CODA』の中で『惑星ソラリス』のシーンを見たのがKIN171(G11/10)で、日本での公開が1977.4.29(KIN196)だったと知った事で、私は「こちらが先で正解」というお墨付きをもらった気分になった。なぜなら、私達は2004.4.29(KIN171)に伊勢で結婚の報告をしているからだ。

潜在意識に響く映画『惑星ソラリス』の影響は殊の外大きく、使用されていたバッハの『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV639)の旋律とも相まって、私達はある種の変性意識状態へと誘われた。それがほぼ落ち着いたKIN193(G12/2)、ようやく『コンタクト』を借りる気になった。

この日はシャンバラ教室があったのだが、教室への道すがら「帰りにコンタクトを借リよう」と、私は心に決めていた。すると、教室に来たIさんが「家を片付けていたら出て来たので」と、おもむろに『コンタクト』のDVDを手渡して下さるではないか!あまりのタイミングに驚きつつも、ありがたくお借りする事にした。

コンタクト

確かに、KIN187の「世界瞑想」にIさんが参加され時、『コンタクト』を薦められてはいたが、その時はDVDを持っている等とは一言も口にしていなかったのだから、この日、私が「DVDを借りよう」と決意していなくても、きっと驚いたと思う。

それに、もしKIN188(G11/27)に、私が『惑星ソラリス』のケースをよく見ず、先に『コンタクト』の方を借りていたりしたら、教室のある日に「借りよう」という決心はしていなかっただろうし、そういう状況でDVDを渡されても「ちょっと前に借りてしまって…」で終わっていた事だろう。

ものごとには「時」があるものだが、これほどタイミングと順番がピタッと来ると爽快な気分になる。『コンタクト』も『惑星ソラリス』に負けず劣らず長い映画なので、この日(KIN193)は半分くらいまで見て終了。翌KIN194(G12/3)、再び「時のからだ塾」の近藤さんがMLで、「NHK100分de名著」明日から「ソラリス」です、と驚きの情報をシェアして下さった。

クリカの会員として定期的にお会いしている人(というよりも会員になるような縁ある方)とは、自然とシンクロ率が上がるものだが、近藤さんやIさん級になると(他にも複数いるが)、そういうのに慣れている私達でもビックリさせられる。しかも、このタイミングで『ソラリス』とは!

その6日前までスタニスワフ・レムの存在すら知らなかったし、テレビもほとんど見ない私達は「100分de名著」などという番組がある事も、この時まで知らなかったのだ。そういう状況で、観たばかりの映画『惑星ソラリス』の原作小説が4週に渡って取り上げられるという知らせは、衝撃的であった。それに、私達にとっては、レフが暮らしたクラクフの印象もまだ色あせていないタイミング。全くもって、驚くべき脚本家が居るものだ。

満月だった昨夜(KIN195)、『コンタクト』の続きを観てから、小説『ソラリス』を「100分de名著」の中で再体験し、『惑星ソラリス』日本公開日から57銀河スピンの今日KIN196に『コンタクト』を見終えた。ちなみに、『コンタクト』は1997.7.11(KIN29)に米国で公開され、同年9.13(KIN93)に日本で公開された(この日は父の57歳の誕生日と母の誕生KINがシンクロしていた日)。

このブログを書くにあたり、高橋徹さんが度々タルコフスキーについて触れていた事を思い出し、確認するために、まず『マヤン・カレンダー』のあとがきを開くと『タルコフスキー日記』からの引用をすぐに見つける事ができた。

次に『ワクワク・セカンドライフ』という本を適当にパラっとめくると、P138に「五十二歳の映画監督、イタリアでの亡命宣言」という見出しが目に飛び込んできた。その一行目は何と「ロシアの映画監督、タルコフスキー(1932〜1986)は、自分の五十二歳の誕生日にイタリアにいました。」だった!毎度の事ながら、この一発出し技にも自ら驚かされる。

ダ・ヴィンチ繋がりでイタリアからポーランドという流れがあった2017年、タルコフスキーからスタニスワフ・レムに繋がり、そこから再びタルコフスキーに戻ってイタリアに至るこの流れは、まさに時間魔術そのものだ。

ちょうど『ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンでは、今日から16番目の「戦士のウェイブスペル」に入った所。紋章コードNoとウェイブスペルNoが一致するのは、「基本の地球家族のウェイブスペル」の時に限られる。それは同時に、城とウェイブスペルとKINの色が一致し、多次元的に方位が重なる特別なポイントのひとつでもある。

そんな日に、ツォルキン7列目(調波33)KIN132生まれの羽生善治棋聖は、前代未聞の「永世7冠」を達成した。
『テレクトノン』における「失われた7つの世代」では今日が3日目。7日目のKIN200(G12/9)には、横浜ナディアでその「失われた7つの世代」を取り上げる暦のクラスがある。この文を目にしてピンと来る方なら、それがサインである。

コペルニクス生誕地の「星の下の家」

2017年11月30日 01:44

■倍音の月15日 (G11/29) KIN190 白い銀河の犬 (by D)

ポーランドの首都ワルシャワの北西に、コペルニクスの生誕地として知られる街トルンがある。中世の面影を色濃く残すこの街の旧市街は、1997年に世界遺産に登録され、名物の焼き菓子ピエルニク(ジンジャーブレッド)はショパンの大好物だったとも言われている。10月下旬に縁あってこの街を訪れる機会があったので、印象が鮮明なうちにその時の事をまとめておきたいと思う。

実は、割と最近まで、私はトルンという街を知らなかった。コペルニクスが生まれた街というのも、昨年、天真書法塾を通じて「トルン東洋美術館展」という書展に出品した関係で初めて知ったくらいである。出品作品が美術館収蔵品に選定された事で(その経緯については過去記事参照)一気に親近感が湧いたが、ポーランドについての知識が殆ど無く、他に強い動機も無かった私達は、「いずれ訪れてみたい」と思いつつも具体的な事は何も考えていなかった。

そもそも、今年は既にイタリア、NY、ネパールと海外への予定が立て込んでいたので、そんな計画を考える余裕も無かった。しかし、当初は10月下旬とされていたNY国連本部での「12賢者会議」が11月下旬にズレ込み、続いて行われる予定だったシンポジウムが来年に持ち越しとなった事で、賢者の一人に選ばれた青木先生に同行させて頂くという話も流れ、10月下旬にぽっかりと時間が出来た。

それが判明した時点で既に9月に入っていたのだが、Lが「来年は来年で既に色々と予定があって、まとまった時間が取れるチャンスは無いかもしれない」と言うので、いくつかの候補を検討し、最終的にはシンクロサインからポーランド行きを決めたのだった。幸い、書展コーディネーターである国際書道文化発展協議会の岡田伸吉氏のご縁で、博物館担当者の方とも連絡が取れたので、訪問の日時を伝え、現地で作品を見せてもらえる流れとなった。

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軸装前の状態で出品してそのまま収蔵となった上、正面から撮られた写真も無かったので、どんな感じに仕上がっているのかを間近で見られるのは楽しみでもあった。G10/25(KIN155)、ワルシャワから鉄道でおよそ2時間半、トルン駅からバスで15分ほどでトルン旧市街に到着。流石に世界遺産だけあって雰囲気のある街並みだが、半日あれば大体見て回れてしまうくらいの規模。

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コペルニクス像のある旧市庁舎の角を曲がると、「House under the Star(星の下の家)」という名を持つ東洋美術館が見えて来る。通常は入館料が必要なのだが、この日は街の博物館が無料で見られる日(毎週水曜)に当たっていて無料で入場。知らずに来た私達は、それだけで勝手に歓迎されている気分になる(笑)。

受付で事情を伝えると、しばらくして担当者の女性が現れた。挨拶を交わし、歴史を感じさせる木の螺旋階段を昇って上階にたどり着くと、何と、一室に自分の作品を含む天真書法塾生の収蔵作品がまとめて展示されているではないか!

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常設展示されている訳ではない事は了解していたので、収蔵庫から出してテーブルの上にでも開いて見せてもらえたら有難い思っていた。だから、こんな風に綺麗に並べてもらっているとは想像してもいなかったのだ。しかも、塾生の作品については、日時の確認などをする中で「もし可能であれば書法塾の仲間の収蔵作品も見せて下さい」とだけ伝えてあり、特に返事も無かったので、見せてもらえるのかどうかも分からないままだったのだ。

聞けば、案内して下さったKatarzynaさんは、この東洋美術館の責任者(Curator Far East Art Collection)で、何と、収蔵作品を選んだ張本人である事が判明。誰がどう選んでくれたのかも全く知らなかったので、こちらはもう感激しきりである。しかも、私が使用した石州和紙の薄く青みがかかったテイストも気に入って下さったようで、それを聞いただけでポーランドに来た甲斐があったと思えてしまった。

IMG_5959.jpg「From words of the ancient Japanese name and Pascal」

たまたま展示の関係で一室空いていたので、そこに準備して下さったとの事だったが、Katarzynaさんもはるばる日本から自分が選んだ作品の作者が訪ねて来た事を喜んで下さっていたようで、その後も、館内を色々と解説しながら案内して下さったのだった。もともと、700年近い歴史を刻んできたこの建物自体が博物館のようなもので、扉や天井の寄木細工なども見所の一つと言える。

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刀や鐔、伊万里などの陶磁器のほか、インド、チベット、タイの仏像などもコレクションされていて興味深かったが、冷たい小雨が降っていたからか、お昼の時間帯だったからか、来館者は限られていて、おかげでかなりゆったりと鑑賞させて頂けた。思いがけず、名物のピエルニクと世界遺産としての街の見所をまとめた豪華な本まで頂いてしまって(こちらもちょっとしたお土産は持って行ったが)、何だか申し訳ない気分で「星の下の家」を後にした。

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これも時間をかけて交流を続けて来られた岡田氏の活動があっての事と思うが、私としても、せめてこの街の素晴らしさを伝える事で、博物館や街に対して何がしかの貢献ができればと思っている。その後、旧市庁舎内にある博物館やコペルニクスの生家なども訪ねたが、その辺りの事については、2018.1.8に開催予定のスペシャルイベンド「スープ王国ポーランドの秘密(仮題)」やメルマガなどで改めて報告したいと思う。

最後に一つ、帰国後の驚きをシェアしたい。コペルニクスを世界的に有名にした本『完訳 天球回転論 コペルニクス天文学集成』が、私たちがトルンを訪れるぴったり1週間前の10/18(黄色い倍音の星)に発刊されていた事を、FBの友人の投稿を通じて知った。しかも、そのカバー絵には、旧市庁舎内で何気なく撮影した写真に写っていた図と全く同じ図が使われていたのだ。

コペルニク 

書作品を通じてそれまで無縁だった土地(コペルニクス生誕地)との繋がりが出来、それをきっかけに、今、訪れることになったのと完全にシンクロして、コペルニクスを世に知らしめた本の完全邦訳が出版されるという驚き。毎度のことながら、誰がこの出来過ぎた物語の脚本を書いているのかと思う。本当はずっと前からそれが誰かを私は知っているのだが、今は「その物語はこの文を目にする方とも関係している」とだけ記しておくことにしよう。

ポーランドの旅−カチンスキ大統領96スピン

2017年11月06日 01:08

■自己存在の月19日(G11/5)KIN166 白い惑星の世界の橋渡し(by L)

クラクフはとても美しい街だ。中央広場の聖マリア教会の高い塔(81m)からは、夜も休まず24時間毎時、時を告げるトランペットの演奏が聞こえてくる。その演奏は、あるところまで来ると「ピタッ」と中断される。この塔で、13世紀にモンゴルの襲来を告げるためにラッパを吹いていたラッパ兵が敵に喉を射られ、演奏の途中で命を落としたことを、市民たちが今も追悼し続けている行為なのだという。ポーランド市民の、祖国と同胞を思う気持ちは深い。

聖マリア教会.jpg ★クラクフ中央広場の聖マリア教会。左側がトランペットの塔。

ポーランドに関する多重シンクロは、これから少しずつ書き重ねていくだろう。しかし今日は、カチンスキ大統領のことを書こうと思う。今日でなければならないから。

2010年4月10日、レフ・カチンスキ大統領夫妻とポーランド政府要人・軍人を乗せた飛行機が墜落。96名の乗員全員が死亡する事件があった。飛行機は、「カチンの森事件(*)」70周年の追悼式現場(現ロシア西方)へと向かっていた。(*戦時中のソビエトによるポーランド人捕虜数万人の虐殺事件。正確なことは明らかにされてない)

カチンの森とカチンスキ大統領という名前の一致。同胞の追悼に向かった飛行機が、現場近くの森で墜落し乗員(ポーランド要人)全員が亡くなるという二重の悲劇。2010年の事件当時、ニュースで知って大きな衝撃を受けたものの、ポーランドとは特に接点もなく、この事件のことはその後すっかり忘れていた。しかし旅の下調べをしているうちに思い出し、この事件が、私たちがこれから向かう国で起こったことなのだと、急にリアリティーを感じる様になった。そして、以下の情報に触れた時には、正直戦慄を覚えた。

「大統領一行を乗せた飛行機は、ツポレフ154M型/機体記号101/96名全員が他界。」

今回の旅のスタートはKIN154から。KIN101は私の反対のパートナー、日航機123便事件当日のKIN、そしてD16歳の誕生日だ。また96は、シャンバラの数であり、Dの誕生日は8月12日(8×12=96)、私の誕生日(1月14日)のPCUは96。今回初利用のポーランド航空の日本就航は昨年の私の誕生日。ゆえにポーランド航空就航日PCUも96である。(成田ーワルシャワ直行便は、往路LO-79/帰路LO-80便と自分のメモのために書いておこう。ついでに昨年の誕生日に買った羽布団の羽がポーランド製だったことも。)

ところでこれを書いている今日は、皇太子殿下(1960年2月23日生)の誕生KIN166。81スピンの完了。お誕生日PCUは159(これが後で効いてくる)。
カチンスキ大統領(1949年6月18日生)も、誕生KIN166。存命であれば96スピンの完了。同じくPCUは240。
大統領夫人マリア・カチンスカさん(1942年8月21日生)は誕生KIN15(美智子皇后陛下と同じ)。PCUは260。

これら一連が何を意味するのかはわからないが、私たちが何故このタイミングでポーランドに行ったのかの材料が揃っている。少なくとも私たちにとって、カチンの森事件とカチンスキ大統領は記憶に刻まれる。知ってほしいと時空から呼びかけられたのだ。しかし世界中の誰もが普通に注目している事件というわけでも無いだろう。戦時中のカチンの森事件はソ連(現ロシア)にとっては自分たちの罪と認めたく無いし、敗戦国ドイツの仕業となすりつけたい。ドイツはドイツで、もちろん逆のことを言っている。戦後、周辺他国の影響下にあったポーランドでは、長年、強力な抗議もできなかっただろう。更に2010年の飛行機事故の原因は、ロシアによる暗殺説から、カチンスキ大統領のパイロットに対する無謀な着陸命令が事故原因という説まであり、真相はわからないままだ。

世界には、意図的に封印された、あるいは無きものとされた、我々の知らない様々な事件があるのではないか。しかし、あるものはことのほか大きく取り上げられ、あることは世界中が見て見ぬふりをする。無きものとされたり、逆に捏造されたりもする。国と国のパワーゲームの材料として、人々の苦しみや悲しみが政治利用されてる事柄があまりにも多いように思う。

私たちは今回「負の世界遺産」として世界中から見学者の集まるアウシュビッツに行くつもりは、最初から無かった。犠牲となった方々にはもちろん心からの哀悼を感じているし、子供の頃から私にとってクラクフといえば、アウシュビッツの代名詞だったほどだ。

しかし一方、たとえはカチンの森事件の扱われ方はどうだろう?
東京大空襲や原爆投下による大虐殺は?拉致被害者は?
今も戦火や圧政、独裁に苦しむ人々へ、世界の目は等しく向けられているだろうか?
中国はチベットに何をしつづけている?
アウシュビッツが悲惨でなかったとは決して言わない。しかし特定の「負の世界遺産」にギュッと人々の目を集めようする働きがあることも事実であろう。私はそこに意図的に偏った視点を植え付ける動きを感じてしまう。今の日本のマスメディアが行っている情報操作と同じではないか。

声を大にして言おう、クラクフは本当に美しい街だ。私にとってクラクフは、麗しい古都として記憶されつづける。食事、特にスープが美味しくて、人々は素朴で優しい。ポーランド=「平らな土地」を意味するというが、私はこの旅で平らかな視点を広げてもらえた様に感じている。

ヴァヴェル大聖堂 ★ヴァヴェル大聖堂

カチンスキ大統領夫妻は、現在クラクフのヴァヴェル大聖堂地下に埋葬されており、夫妻のお墓には、市民から色とりどりの大量の花々が手向けられていた。

(カチンスキ大統領96スピンに、とりあえず思いつくまま記録する。)


トルン市東洋美術館収蔵作品「葦」

2017年07月11日 00:22

宇宙の月14日(G7/10)KIN48 黄色い太陽の星(by D)

G7/6に、天真書法塾の師範科クラスがあった。月1回、青木天外塾長が直接ご指導下さるクラスなのだが、その日は冒頭に「ポーランド・トルン市東洋美術館発行の作品収蔵証明書」が塾長より授与された。実は、この書類が届くのを、私は心待ちにしていた。その理由と経緯を、以下にまとめてみたいと思う。

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ポーランド・トルン地域中世都市博物館(世界遺産)で「トルン東洋美術館展」が行われたのは昨年の10月、そのための作品を提出したのは8月上旬だった。7月に出雲大社で剣武天真流の奉納演武があり、その前後に遺跡や博物館、神社等を巡った事と、限られた時間の中で作品を仕上げる必要性に迫られて、私にはあるアイディアが浮かんでいた。

それは、幾つかある出品ジャンルの中の「前衛書」を選択し、「日本刀」のような一本の線を引いて「葦原中国」というタイトルで出品しようという目論みだった。実際、日本列島は刀のような反りのある姿をしているし、天真書法塾では「生命の実線」と言って、ひたすら線を引き続ける稽古も行うので、一本の線にも表現の可能性が無限にあるのを知っていたからだ。

できれば土地や人との縁も活かしたいと考えていた私は、出雲大社での奉納演武の後に立ち寄った石州和紙会館で、手漉き和紙を手に入れた。その辺りの経緯は、ちょうど一年前の今頃書いた「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」という記事にまとめてあるので、是非、ご覧いただければと思う。

ただ、普段作品制作に使用する紙と単純比較をすると、何十倍もする手漉きの和紙は、私にとって気軽に購入出来るものではなかったので、現地でお世話になった石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんが漉かれた美しい和紙の中から、自分のイメージに合うもの数点だけを選んで入手したのである。まさに「神頼み」ならぬ「紙頼み」の心境であった。

しかし、どんなに紙が素晴らしくても、作品としてマズければ、やはり出品する事はできない。結局、「神頼み」もして(笑)何とか仕上げた1枚をポーランドに送る事になった。その際、タイトルは英語でという事だったので「From words of the ancient Japanese name and Pascal」とした。パスカルを入れたのは、「人間は考える葦である」も想起してもらえたら面白い、という閃きによる。

トルンでの展示が終了した11月中旬、吉報が入った。博物館(美術館)にコレクションとして収蔵される作品10点が報告され、その内の5点が何と天真書法塾会員による作品だったというのだ!しかも、驚いたことに、その中には私の作品も含まれていた。複数の書道団体が出品していた中、収蔵作品の半分を天真書法塾が占めたというのは、やはり快挙である。これも青木塾長と吉田副塾長のご指導の賜物。ただただ感謝するのみである。以下にその5点の作者、タイトル、出品ジャンルを明記しておこう。

・小西稜雲「It is snowy to live Yaku cedar for 3,000 years」近代詩文書
・前原白水「Ryokan, waka」近代詩文書
・本田虹風「One sky is a thing of all」墨象
・松尾翔月「Own work, haiku」近代詩文書
・小原天迅「From words of the ancient Japanese name and Pascal」前衛書

同じ頃、現地での展示の様子を撮影した写真も送られてきて、私は初めて軸装された自分の作品を目にした。それが本文冒頭の写真である。今回は、軸装前の状態で出品というスタイルだったので、実は軸装作品を直接見ることはまだ一度もしていないのだ。そういう訳で、いずれトルンには行かなければと思っている。

さて、昨年11月には明らかになっていたこの事実を、何故、今になるまで書かないでいたのかというと、「収蔵証明書」が届くのを待っていたからなのである。いや、それ以前に、出品者全員に届くはずの「感謝状」もなかなか届かない状態が続き、タイミングを逸していたというのが正直なところだ。

実際、コーディネーターである国際書道文化発展協議会の岡田伸吉氏を通じて、作品(収蔵作品以外)と「出品感謝状」が届いたのは、年をまたいで今年の3月になってから。志賀海神社に奉納させて頂いた蘭禅の「君が代」も、実は、本当にギリギリのタイミングで日本に戻って来たのだった。

IMG_1863.jpg ★左が3月に届いた「出品感謝状」、右が7月に届いた「収蔵証明書」

そして、そこから4ヶ月を経て、ようやく「作品収蔵証明書」が届いたという訳である。現地の様子や、作品返送の流れなど、今ひとつクリアでは無い感じのやりとりが(コーディネーターとの間で)続いていたので、「証明書」が届くまでは、ブログに書くことも久保田さんに報告することも、念のため控えておいたのである。

IMG_5165.jpg ★7/6(KIN44)青木天外塾長と

しかし、おかげで、個人的には特別な記念日だと思える日に、青木塾長から「収蔵証明書」を手渡して頂けた。何しろ、7/6はダライ・ラマ法王の82回目の誕生日であり、『13の月の暦』のツォルキンではKIN44、私が日本語版の制作世話人を引き受けた『時間の法則の20の銘板』が始まった1997.7.26(KIN44)からツォルキンがぴったり28回巡ったタイミングだったからだ。

そして、面白い繋がりがあるので、書き添えておくと、翌々日の7/8(7・橋渡し)に、聖心女子大学グローバルプラザで行われた「難民と教育:チベットの民の知恵と経験」で講演をされたジェツン・ペマさん(ダライ・ラマ法王の実妹で元チベット子供村校長)は、7/7に77才の誕生日を迎えられた事を知った。誕生キンのKIN20(7・太陽)は、私(7・竜)の「神秘のパートナー」。

先にリンクを紹介した「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」には、安倍昭恵さんとブータン国王夫妻の来日、そして久保田さんとのびっくりシンクロについても書かれているのだが(久保田さんはブータンに何度も和紙の技術指導で訪れられている)、現ブータン国王妃も同じジェツン・ペマさんというお名前なのである。

昨年、上野の森美術館で行われていた「ブータン展」には久保田さんの石州和紙のコーナーもあった事が、その記事には書かれているが、実は、今日、1年ぶりにその「上野の森美術館」を訪れて「石川九楊展」を見てきたばかり。この繋がりは、ここまで書いて初めて気づいたことで、我ながらビックリしている。しかし、これこそが自然時間の共時性秩序なのである。

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