2017年04月01日 00:09
■太陽の月25日(G3/31)KIN207 青い水晶の手(by D)
春分の朝、潮騒で目覚めて窓辺に近付くと、すぐ目の前が海で、岩場に海鳥たちが佇んでいるのが見えた。1階に降り、同じ「満帆荘」に宿泊した鹿児島のMさんと、3人横並びで絶景を眺めつつ朝食を頂く。地元産の旬の食材はどれも滋味に溢れ、特に女将さんがこの島で育てているという古代赤米と、目の前の海岸で取れるワカメのお味噌汁は、あまりの美味しさに普段朝食をとらない私が思わずおかわりをしてしまったほど。
★今が旬のワカメ
セミナー会場はすぐお隣なのだが、開始までにまだ時間があったので、1800年ほど前まではそこに志賀海神社があったとされる勝馬小学校の方を巡って海岸に出てみる事にした。今年初のウグイスの声を聴きながら道を進むと、勝馬宮と書かれた鳥居が現れ、こんもりとした小山に続く魅惑的なスロープが見えて来た。沖縄のウタキのような雰囲気もあるこの森からは、7世紀の古墳も発見されているらしい。
★勝馬宮(仲津宮)鳥居
小山のほぼ頂上部に仲津宮の社が建てられていて、その側にある木には紙垂の付いた木片が3本縛り付けられている。シャーマニックな雰囲気に満ちたそのエリアから、トンネル状に生えた樹々の間を抜けて海側に下ると、出口付近で強い潮の香りが漂って来た。海辺に出ると、ほぼ正面に沖津島があり、天御中主神が祀られているという沖津宮の鳥居が見えたので、そこで天真五相を行ってから会場に向かった。
会場の「喜多乃家」さんは、ふたば幼稚園のスタッフでもある北本さんがご家族とされている「海の家」。これまた絶景の広々とした空間で、小崎先生が迎えて下さった。30名余りの参加者のうち、1/3以上が幼稚園スタッフの方々という事もあってか、既に場が出来上がっている。午前中は「13の月の暦」について。2日連続で参加して下さっている方には、重複してしまう所もあったが、2時間で要点をお伝えするとなると、やはり外せない所は自ずと決まってしまうもの。
★喜多乃家のオーシャンビュー
前日触れられなかった「運命の道筋」の例題に立候補して下さったNさんの誕生キンがKIN54(2・魔法使い)だったので、「人は時間の代表者(窓口)」(Nさんの自由意志を通じつつKIN54という時間が他の日付より強く主張して来た)というドリームスペル的発想で、最近のKIN54を調べると、2016.10.29。何と私達が渋谷で「時の魔法・ドリームスペル展」を開催した日だった。
実は、今回の主催者である高木さん(KIN203)と、様々な面でサポートして下さったシャンバラ教室生の小崎亜久理さん(KIN219=今年1年)は、その時、わざわざ九州から渋谷の会場に来て下さっただけでなく、それぞれ私達の書作品を入手して下さってもいるのだ。前夜、宿に行く途中に小崎さんのお宅に立ち寄らせて頂いた折、綺麗に額装された「嵐」と「魔法使い」を目にしていた私は、「青い嵐の年」の「白い魔法使いの日」という、まさにその書とシンクロする方が、例題のためにいち早く挙手された事を、驚きをもって受けとめていた。
★魔法使いさんの家にて
それだけでなく、亜久理さんと高木さんが共同で入手して下さった蘭禅の連作「銀河の七方向への祈り」を、高木さんが車で持参して下さっていた事にも驚かされた。時間的余裕が無く、それを広げる機会を逸したまま講座を終了してしまったのは申し訳なかったが、Nさんが立候補された事も含め、全てが美しく繋がっていた事をここに記しておきたい。
広島ゼロポイント(原爆投下日=KIN55)から100銀河スピン(26,000キン)目のKIN55(3・鷲)が、渋谷での「ドリームスペル展」。その100日後のKIN155(G2/7)に、当ブログで今回のイベントをアナウンスし、そのさらに40日後のKIN195が、前日の福岡天神でのクラスだったのである。Nさんが2日間だけ開催された「ドリームスペル展」の初日とシンクロしていた事は、この流れと決して無関係ではないのだ。
今回は、『マヤのリズム』のカバー絵を描いて下さったみよこみよこさんも、遠路、延岡から参加して下さったのだが、その絵はまさに「春分のチチェン・イツァ」をデザイン化したものなので、本書を入手された方には、みよこさんと私が記念サインをさせて頂いた。『時空のサーファー』を発刊日当日に手に入れた事から全てが始まった私の実体験からすると、この日『マヤのリズム』を手にした方には、これからとても面白い事が起こり続けるだろう。
流石に「食」を意識している幼稚園の方々が用意して下さっただけあって、ランチのお弁当も素晴しく美味しく、素材もバランスもよく配慮されたものだった。食事の時に同席させて頂いた方が、おそらく参加者の中で最も古代史に詳しい方だった(後で福岡の古代遺跡について聞いた時の反応から)のも面白いシンクロ。
午後の「天真体道クラス」は、お天気が良ければ海岸でやろうと思っていたのだが、あいにく雨だったのと、食後すぐに動くのも無理があると感じ、前半30分ほどは、青木先生が「世界の12賢人」に選ばれたことや、その背景となった天真体道の目的は「心身の力みを抜き切り、天地人々と融和する事」というようなお話をさせて頂き、少しお腹がおちついた頃を見計らって準備運動(天真柔操)を始めた。
★親和体操(写真は高木さんより)
全く初めての方が殆どだったので、背中合わせで行う親和体操や、発声しながらの動きなども新鮮だったようだが、一番リアクションがあったのはワカメ体操だった。というのも、志賀島では今がまさにワカメシーズンの始まりで、後に小崎先生からふたば幼稚園のワカメ部長に任命された北本さんなどは「志賀島用にアレンジしてそういう呼び方をされていたのかと思った」と、ワカメが名産の島の方ならではの感想を伝えて下さった。
最後の「春分の円卓クラス」は、『13の月の暦』において「協力を捧げ」「共有する」ことの重要性をお伝えし、実際にそれを試みるためのものだったが、結局、今回のイベントに関わる数々のシンクロを私がシェアしているうちに半分以上の時間が過ぎてしまった。以下にその一部をメモしておくが、最終的には参加者の皆様からも質問やシェアが出始めて、ある程度このクラスでやろうとしてた事は達せられたように思う。
・2015.9.9(KIN159)重陽に二子玉川で「四重の虹」が見られた。後に亜久理さん(KIN219)の太陽暦誕生日だったと知る。その260日後2016.5.27は「オバマ大統領広島訪問」で、さらにその260日後の満月2017.2.11建国記念日(ヴァチカン誕生88年)、河口浅間神社で剣武奉納演武。
・「金印」が文化財保護法で国宝に指定されたのは1954.3.20(KIN81→9×9)。この日のぴったり63年前。KIN63はKIN219から始まった「青いスペクトルの嵐の年」の「時間外した日」に当たる。
・『6歳までにかしこい脳をつくる 奇跡の幼稚園メソッド』は「10魔法使いの年」の「6魔法いの日」発刊で、著者小崎孝子先生は「8魔法使い」=KIN34。この日が34週目の終わり。
・「庚寅銘大刀」(570年)と「四寅剣(陽気の極)」とマホメット。テレクトノンは「光の剣」。
・本宮ひろし『行雲流水〈徐福〉』に「海人の安曇族」。
・「剣・鏡・勾玉」の「三種の神器」が出ているのは「吉武高木遺跡」「平原遺跡」はじめ5つで、いずれも福岡市近圏。
ちょっと驚いたのは、地元の方ならご存知かと思った「吉武高木遺跡」や「平原遺跡」について、殆どの方が知らなかった事。学校教育で教えられていないとか、九州は古代遺跡が多過ぎて覚えられないという理由もあるようだが、かなり重要な発見が成されていても、様々な要素のフィルターがあって、世の中にはシンプルな事実すら、そのまま伝わっていない事を再認識した。
そもそも「13の月の暦」と「マヤ暦」という、簡単かつ明確にその違いが確認出来るものでさえ混同されているような状況では、学閥や皇室、国家が絡むような歴史分野で本質的情報に辿り着くのは、夢のまた夢という感じなのかもしれない。まだ調べが浅いので、あくまで参考情報としか言えないが、執筆者の立ち位置が(見える範囲では)自由で、過剰な妄想癖も諸団体との利害関係も無さそうな「日本古代史つれづれブログ」は、上記シンクロ発見の過程で知ったブログだが、とても勉強になったのでメモしておきたい。
終了後、幼稚園で書作品の設置作業(これについてはLが別途書く予定)を見守っていた小崎先生とLも合流し、「満帆荘」で懇親会が行われた。2日連続で参加して下さった方や幼稚園スタッフの方々と、美味しいお刺身や海の幸、山の幸を堪能しながら、1日を振りつつ楽しい時間を過ごさせて頂いた。主催の高木さんはじめ準備や片付け、会計などを手伝って下さった皆様に、この場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である。
部屋に戻って、翌日の奉納演武の準備と荷造りを済ませ、PCでメールなどを確認している時だっただろうか。朝、女将さんが出掛けに「地震でここも被災し、以前の1/3の規模になりました」と言っていた事や、北本さんが日中一時抜け出していたのは「消防訓練のサイレンを鳴らしに行っていたから」という話が気になって、福岡県西方沖地震の事を調べてみると、何と12年前のその日、つまり2005.3.20(KIN236)だった事が判明。
まんま私の現在の「運命の道筋」ではないか!KIN236(2・戦士)を歩む私が、KIN236の春分に被災した志賀島(その中でも被害の大きかった地域)に、同じ春分のKIN196(1・戦士)にやって来て、暦や天真体道について伝えさせて頂いた事の意味は、何なのだろうか?「意味」を求める方のために、自分なりの見解を述べておくと、それは原爆投下(KIN55)に対するハーモニック・コンバージェンス(KIN55)と同じで、4次元の時間を通じて、場の記憶を調和(中和)させる事にあると言える。
そう決まっていると言っている訳ではなく、私ならそのように「見る」という事だ。そして、事は見たようになって行くというのを私はずっと体験し続けて来た。12年後の同日は、同じ「太陽の紋章」で「銀河の音」が「1」だけ減る、という法則にも改めて気付いて眠りについて数時間後、ズズズズズという振動で目が覚めた。スマホで速報を見ると、震度は1でマグニチュードも3程度と小さい地震だったが、何と震源は12年前と殆ど同じというピンポイントさ。
一体、この事実をどう受けとめたら良いのだろうか?と、こういうのが初めての方なら悩むかもしれない。しかし、私は既に何度もこういう「あり得ないような時空のシンクロ」を体験して来ているので、これは、中和の象徴的現象なのだと自然に受けとめた。同時に、数時間後に奉納演武をする日程が「2・地球」で、サイ時間も「8・地球」と「大地(地球)」が関係する日である事は前から意識していたので、演武の時には大地を鎮める祈りも捧げよう、と思いながら再び眠りに就いたのだった。
この記事をまとめた今日(G3/31)は、『ドリームスペル』日本語版を伊勢の内宮神楽殿でホゼと共に奉納した日(12・風)からぴったり13年。そしてマヤ長期暦の完了ポイント2012年冬至(KIN207)からピッタリ6銀河スピンというタイミング。伊勢に奉納時のホゼ(KIN11)とステファニー(KIN185)の写真をツイッターとインスタにアップして気付いたが、二人のKINの合計196は、この春分の志賀島の日付(KIN196)そのものだった事に、ここまで書いて来て気付いた。
春分の朝、潮騒で目覚めて窓辺に近付くと、すぐ目の前が海で、岩場に海鳥たちが佇んでいるのが見えた。1階に降り、同じ「満帆荘」に宿泊した鹿児島のMさんと、3人横並びで絶景を眺めつつ朝食を頂く。地元産の旬の食材はどれも滋味に溢れ、特に女将さんがこの島で育てているという古代赤米と、目の前の海岸で取れるワカメのお味噌汁は、あまりの美味しさに普段朝食をとらない私が思わずおかわりをしてしまったほど。

セミナー会場はすぐお隣なのだが、開始までにまだ時間があったので、1800年ほど前まではそこに志賀海神社があったとされる勝馬小学校の方を巡って海岸に出てみる事にした。今年初のウグイスの声を聴きながら道を進むと、勝馬宮と書かれた鳥居が現れ、こんもりとした小山に続く魅惑的なスロープが見えて来た。沖縄のウタキのような雰囲気もあるこの森からは、7世紀の古墳も発見されているらしい。

小山のほぼ頂上部に仲津宮の社が建てられていて、その側にある木には紙垂の付いた木片が3本縛り付けられている。シャーマニックな雰囲気に満ちたそのエリアから、トンネル状に生えた樹々の間を抜けて海側に下ると、出口付近で強い潮の香りが漂って来た。海辺に出ると、ほぼ正面に沖津島があり、天御中主神が祀られているという沖津宮の鳥居が見えたので、そこで天真五相を行ってから会場に向かった。

会場の「喜多乃家」さんは、ふたば幼稚園のスタッフでもある北本さんがご家族とされている「海の家」。これまた絶景の広々とした空間で、小崎先生が迎えて下さった。30名余りの参加者のうち、1/3以上が幼稚園スタッフの方々という事もあってか、既に場が出来上がっている。午前中は「13の月の暦」について。2日連続で参加して下さっている方には、重複してしまう所もあったが、2時間で要点をお伝えするとなると、やはり外せない所は自ずと決まってしまうもの。

前日触れられなかった「運命の道筋」の例題に立候補して下さったNさんの誕生キンがKIN54(2・魔法使い)だったので、「人は時間の代表者(窓口)」(Nさんの自由意志を通じつつKIN54という時間が他の日付より強く主張して来た)というドリームスペル的発想で、最近のKIN54を調べると、2016.10.29。何と私達が渋谷で「時の魔法・ドリームスペル展」を開催した日だった。
実は、今回の主催者である高木さん(KIN203)と、様々な面でサポートして下さったシャンバラ教室生の小崎亜久理さん(KIN219=今年1年)は、その時、わざわざ九州から渋谷の会場に来て下さっただけでなく、それぞれ私達の書作品を入手して下さってもいるのだ。前夜、宿に行く途中に小崎さんのお宅に立ち寄らせて頂いた折、綺麗に額装された「嵐」と「魔法使い」を目にしていた私は、「青い嵐の年」の「白い魔法使いの日」という、まさにその書とシンクロする方が、例題のためにいち早く挙手された事を、驚きをもって受けとめていた。

それだけでなく、亜久理さんと高木さんが共同で入手して下さった蘭禅の連作「銀河の七方向への祈り」を、高木さんが車で持参して下さっていた事にも驚かされた。時間的余裕が無く、それを広げる機会を逸したまま講座を終了してしまったのは申し訳なかったが、Nさんが立候補された事も含め、全てが美しく繋がっていた事をここに記しておきたい。
広島ゼロポイント(原爆投下日=KIN55)から100銀河スピン(26,000キン)目のKIN55(3・鷲)が、渋谷での「ドリームスペル展」。その100日後のKIN155(G2/7)に、当ブログで今回のイベントをアナウンスし、そのさらに40日後のKIN195が、前日の福岡天神でのクラスだったのである。Nさんが2日間だけ開催された「ドリームスペル展」の初日とシンクロしていた事は、この流れと決して無関係ではないのだ。
今回は、『マヤのリズム』のカバー絵を描いて下さったみよこみよこさんも、遠路、延岡から参加して下さったのだが、その絵はまさに「春分のチチェン・イツァ」をデザイン化したものなので、本書を入手された方には、みよこさんと私が記念サインをさせて頂いた。『時空のサーファー』を発刊日当日に手に入れた事から全てが始まった私の実体験からすると、この日『マヤのリズム』を手にした方には、これからとても面白い事が起こり続けるだろう。
流石に「食」を意識している幼稚園の方々が用意して下さっただけあって、ランチのお弁当も素晴しく美味しく、素材もバランスもよく配慮されたものだった。食事の時に同席させて頂いた方が、おそらく参加者の中で最も古代史に詳しい方だった(後で福岡の古代遺跡について聞いた時の反応から)のも面白いシンクロ。
午後の「天真体道クラス」は、お天気が良ければ海岸でやろうと思っていたのだが、あいにく雨だったのと、食後すぐに動くのも無理があると感じ、前半30分ほどは、青木先生が「世界の12賢人」に選ばれたことや、その背景となった天真体道の目的は「心身の力みを抜き切り、天地人々と融和する事」というようなお話をさせて頂き、少しお腹がおちついた頃を見計らって準備運動(天真柔操)を始めた。

全く初めての方が殆どだったので、背中合わせで行う親和体操や、発声しながらの動きなども新鮮だったようだが、一番リアクションがあったのはワカメ体操だった。というのも、志賀島では今がまさにワカメシーズンの始まりで、後に小崎先生からふたば幼稚園のワカメ部長に任命された北本さんなどは「志賀島用にアレンジしてそういう呼び方をされていたのかと思った」と、ワカメが名産の島の方ならではの感想を伝えて下さった。
最後の「春分の円卓クラス」は、『13の月の暦』において「協力を捧げ」「共有する」ことの重要性をお伝えし、実際にそれを試みるためのものだったが、結局、今回のイベントに関わる数々のシンクロを私がシェアしているうちに半分以上の時間が過ぎてしまった。以下にその一部をメモしておくが、最終的には参加者の皆様からも質問やシェアが出始めて、ある程度このクラスでやろうとしてた事は達せられたように思う。
・2015.9.9(KIN159)重陽に二子玉川で「四重の虹」が見られた。後に亜久理さん(KIN219)の太陽暦誕生日だったと知る。その260日後2016.5.27は「オバマ大統領広島訪問」で、さらにその260日後の満月2017.2.11建国記念日(ヴァチカン誕生88年)、河口浅間神社で剣武奉納演武。
・「金印」が文化財保護法で国宝に指定されたのは1954.3.20(KIN81→9×9)。この日のぴったり63年前。KIN63はKIN219から始まった「青いスペクトルの嵐の年」の「時間外した日」に当たる。
・『6歳までにかしこい脳をつくる 奇跡の幼稚園メソッド』は「10魔法使いの年」の「6魔法いの日」発刊で、著者小崎孝子先生は「8魔法使い」=KIN34。この日が34週目の終わり。
・「庚寅銘大刀」(570年)と「四寅剣(陽気の極)」とマホメット。テレクトノンは「光の剣」。
・本宮ひろし『行雲流水〈徐福〉』に「海人の安曇族」。
・「剣・鏡・勾玉」の「三種の神器」が出ているのは「吉武高木遺跡」「平原遺跡」はじめ5つで、いずれも福岡市近圏。
ちょっと驚いたのは、地元の方ならご存知かと思った「吉武高木遺跡」や「平原遺跡」について、殆どの方が知らなかった事。学校教育で教えられていないとか、九州は古代遺跡が多過ぎて覚えられないという理由もあるようだが、かなり重要な発見が成されていても、様々な要素のフィルターがあって、世の中にはシンプルな事実すら、そのまま伝わっていない事を再認識した。
そもそも「13の月の暦」と「マヤ暦」という、簡単かつ明確にその違いが確認出来るものでさえ混同されているような状況では、学閥や皇室、国家が絡むような歴史分野で本質的情報に辿り着くのは、夢のまた夢という感じなのかもしれない。まだ調べが浅いので、あくまで参考情報としか言えないが、執筆者の立ち位置が(見える範囲では)自由で、過剰な妄想癖も諸団体との利害関係も無さそうな「日本古代史つれづれブログ」は、上記シンクロ発見の過程で知ったブログだが、とても勉強になったのでメモしておきたい。
終了後、幼稚園で書作品の設置作業(これについてはLが別途書く予定)を見守っていた小崎先生とLも合流し、「満帆荘」で懇親会が行われた。2日連続で参加して下さった方や幼稚園スタッフの方々と、美味しいお刺身や海の幸、山の幸を堪能しながら、1日を振りつつ楽しい時間を過ごさせて頂いた。主催の高木さんはじめ準備や片付け、会計などを手伝って下さった皆様に、この場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である。
部屋に戻って、翌日の奉納演武の準備と荷造りを済ませ、PCでメールなどを確認している時だっただろうか。朝、女将さんが出掛けに「地震でここも被災し、以前の1/3の規模になりました」と言っていた事や、北本さんが日中一時抜け出していたのは「消防訓練のサイレンを鳴らしに行っていたから」という話が気になって、福岡県西方沖地震の事を調べてみると、何と12年前のその日、つまり2005.3.20(KIN236)だった事が判明。
まんま私の現在の「運命の道筋」ではないか!KIN236(2・戦士)を歩む私が、KIN236の春分に被災した志賀島(その中でも被害の大きかった地域)に、同じ春分のKIN196(1・戦士)にやって来て、暦や天真体道について伝えさせて頂いた事の意味は、何なのだろうか?「意味」を求める方のために、自分なりの見解を述べておくと、それは原爆投下(KIN55)に対するハーモニック・コンバージェンス(KIN55)と同じで、4次元の時間を通じて、場の記憶を調和(中和)させる事にあると言える。
そう決まっていると言っている訳ではなく、私ならそのように「見る」という事だ。そして、事は見たようになって行くというのを私はずっと体験し続けて来た。12年後の同日は、同じ「太陽の紋章」で「銀河の音」が「1」だけ減る、という法則にも改めて気付いて眠りについて数時間後、ズズズズズという振動で目が覚めた。スマホで速報を見ると、震度は1でマグニチュードも3程度と小さい地震だったが、何と震源は12年前と殆ど同じというピンポイントさ。
一体、この事実をどう受けとめたら良いのだろうか?と、こういうのが初めての方なら悩むかもしれない。しかし、私は既に何度もこういう「あり得ないような時空のシンクロ」を体験して来ているので、これは、中和の象徴的現象なのだと自然に受けとめた。同時に、数時間後に奉納演武をする日程が「2・地球」で、サイ時間も「8・地球」と「大地(地球)」が関係する日である事は前から意識していたので、演武の時には大地を鎮める祈りも捧げよう、と思いながら再び眠りに就いたのだった。
この記事をまとめた今日(G3/31)は、『ドリームスペル』日本語版を伊勢の内宮神楽殿でホゼと共に奉納した日(12・風)からぴったり13年。そしてマヤ長期暦の完了ポイント2012年冬至(KIN207)からピッタリ6銀河スピンというタイミング。伊勢に奉納時のホゼ(KIN11)とステファニー(KIN185)の写真をツイッターとインスタにアップして気付いたが、二人のKINの合計196は、この春分の志賀島の日付(KIN196)そのものだった事に、ここまで書いて来て気付いた。
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