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春分・志賀島のワカメ体操

2017年04月01日 00:09

太陽の月25日(G3/31)KIN207 青い水晶の手(by D)

春分の朝、潮騒で目覚めて窓辺に近付くと、すぐ目の前が海で、岩場に海鳥たちが佇んでいるのが見えた。1階に降り、同じ「満帆荘」に宿泊した鹿児島のMさんと、3人横並びで絶景を眺めつつ朝食を頂く。地元産の旬の食材はどれも滋味に溢れ、特に女将さんがこの島で育てているという古代赤米と、目の前の海岸で取れるワカメのお味噌汁は、あまりの美味しさに普段朝食をとらない私が思わずおかわりをしてしまったほど。
わかめ ★今が旬のワカメ

セミナー会場はすぐお隣なのだが、開始までにまだ時間があったので、1800年ほど前まではそこに志賀海神社があったとされる勝馬小学校の方を巡って海岸に出てみる事にした。今年初のウグイスの声を聴きながら道を進むと、勝馬宮と書かれた鳥居が現れ、こんもりとした小山に続く魅惑的なスロープが見えて来た。沖縄のウタキのような雰囲気もあるこの森からは、7世紀の古墳も発見されているらしい。
鳥居 ★勝馬宮(仲津宮)鳥居

小山のほぼ頂上部に仲津宮の社が建てられていて、その側にある木には紙垂の付いた木片が3本縛り付けられている。シャーマニックな雰囲気に満ちたそのエリアから、トンネル状に生えた樹々の間を抜けて海側に下ると、出口付近で強い潮の香りが漂って来た。海辺に出ると、ほぼ正面に沖津島があり、天御中主神が祀られているという沖津宮の鳥居が見えたので、そこで天真五相を行ってから会場に向かった。
umidori.jpg 

会場の「喜多乃家」さんは、ふたば幼稚園のスタッフでもある北本さんがご家族とされている「海の家」。これまた絶景の広々とした空間で、小崎先生が迎えて下さった。30名余りの参加者のうち、1/3以上が幼稚園スタッフの方々という事もあってか、既に場が出来上がっている。午前中は「13の月の暦」について。2日連続で参加して下さっている方には、重複してしまう所もあったが、2時間で要点をお伝えするとなると、やはり外せない所は自ずと決まってしまうもの。
kitanoya.jpg ★喜多乃家のオーシャンビュー

前日触れられなかった「運命の道筋」の例題に立候補して下さったNさんの誕生キンがKIN54(2・魔法使い)だったので、「人は時間の代表者(窓口)」(Nさんの自由意志を通じつつKIN54という時間が他の日付より強く主張して来た)というドリームスペル的発想で、最近のKIN54を調べると、2016.10.29。何と私達が渋谷で「時の魔法・ドリームスペル展」を開催した日だった。

実は、今回の主催者である高木さん(KIN203)と、様々な面でサポートして下さったシャンバラ教室生の小崎亜久理さん(KIN219=今年1年)は、その時、わざわざ九州から渋谷の会場に来て下さっただけでなく、それぞれ私達の書作品を入手して下さってもいるのだ。前夜、宿に行く途中に小崎さんのお宅に立ち寄らせて頂いた折、綺麗に額装された「嵐」と「魔法使い」を目にしていた私は、「青い嵐の年」の「白い魔法使いの日」という、まさにその書とシンクロする方が、例題のためにいち早く挙手された事を、驚きをもって受けとめていた。
魔法書 ★魔法使いさんの家にて

それだけでなく、亜久理さんと高木さんが共同で入手して下さった蘭禅の連作「銀河の七方向への祈り」を、高木さんが車で持参して下さっていた事にも驚かされた。時間的余裕が無く、それを広げる機会を逸したまま講座を終了してしまったのは申し訳なかったが、Nさんが立候補された事も含め、全てが美しく繋がっていた事をここに記しておきたい。

広島ゼロポイント(原爆投下日=KIN55)から100銀河スピン(26,000キン)目のKIN55(3・鷲)が、渋谷での「ドリームスペル展」。その100日後のKIN155(G2/7)に、当ブログで今回のイベントをアナウンスし、そのさらに40日後のKIN195が、前日の福岡天神でのクラスだったのである。Nさんが2日間だけ開催された「ドリームスペル展」の初日とシンクロしていた事は、この流れと決して無関係ではないのだ。

今回は、『マヤのリズム』のカバー絵を描いて下さったみよこみよこさんも、遠路、延岡から参加して下さったのだが、その絵はまさに「春分のチチェン・イツァ」をデザイン化したものなので、本書を入手された方には、みよこさんと私が記念サインをさせて頂いた。『時空のサーファー』を発刊日当日に手に入れた事から全てが始まった私の実体験からすると、この日『マヤのリズム』を手にした方には、これからとても面白い事が起こり続けるだろう。

流石に「食」を意識している幼稚園の方々が用意して下さっただけあって、ランチのお弁当も素晴しく美味しく、素材もバランスもよく配慮されたものだった。食事の時に同席させて頂いた方が、おそらく参加者の中で最も古代史に詳しい方だった(後で福岡の古代遺跡について聞いた時の反応から)のも面白いシンクロ。

午後の「天真体道クラス」は、お天気が良ければ海岸でやろうと思っていたのだが、あいにく雨だったのと、食後すぐに動くのも無理があると感じ、前半30分ほどは、青木先生が「世界の12賢人」に選ばれたことや、その背景となった天真体道の目的は「心身の力みを抜き切り、天地人々と融和する事」というようなお話をさせて頂き、少しお腹がおちついた頃を見計らって準備運動(天真柔操)を始めた。
sinwa.jpg ★親和体操(写真は高木さんより)

全く初めての方が殆どだったので、背中合わせで行う親和体操や、発声しながらの動きなども新鮮だったようだが、一番リアクションがあったのはワカメ体操だった。というのも、志賀島では今がまさにワカメシーズンの始まりで、後に小崎先生からふたば幼稚園のワカメ部長に任命された北本さんなどは「志賀島用にアレンジしてそういう呼び方をされていたのかと思った」と、ワカメが名産の島の方ならではの感想を伝えて下さった。

最後の「春分の円卓クラス」は、『13の月の暦』において「協力を捧げ」「共有する」ことの重要性をお伝えし、実際にそれを試みるためのものだったが、結局、今回のイベントに関わる数々のシンクロを私がシェアしているうちに半分以上の時間が過ぎてしまった。以下にその一部をメモしておくが、最終的には参加者の皆様からも質問やシェアが出始めて、ある程度このクラスでやろうとしてた事は達せられたように思う。

・2015.9.9(KIN159)重陽に二子玉川で「四重の虹」が見られた。後に亜久理さん(KIN219)の太陽暦誕生日だったと知る。その260日後2016.5.27は「オバマ大統領広島訪問」で、さらにその260日後の満月2017.2.11建国記念日(ヴァチカン誕生88年)、河口浅間神社で剣武奉納演武。
・「金印」が文化財保護法で国宝に指定されたのは1954.3.20(KIN81→9×9)。この日のぴったり63年前。KIN63はKIN219から始まった「青いスペクトルの嵐の年」の「時間外した日」に当たる。
・『6歳までにかしこい脳をつくる 奇跡の幼稚園メソッド』は「10魔法使いの年」の「6魔法いの日」発刊で、著者小崎孝子先生は「8魔法使い」=KIN34。この日が34週目の終わり。
・「庚寅銘大刀」(570年)と「四寅剣(陽気の極)」とマホメット。テレクトノンは「光の剣」。
・本宮ひろし『行雲流水〈徐福〉』に「海人の安曇族」。
・「剣・鏡・勾玉」の「三種の神器」が出ているのは「吉武高木遺跡」「平原遺跡」はじめ5つで、いずれも福岡市近圏。

ちょっと驚いたのは、地元の方ならご存知かと思った「吉武高木遺跡」や「平原遺跡」について、殆どの方が知らなかった事。学校教育で教えられていないとか、九州は古代遺跡が多過ぎて覚えられないという理由もあるようだが、かなり重要な発見が成されていても、様々な要素のフィルターがあって、世の中にはシンプルな事実すら、そのまま伝わっていない事を再認識した。

そもそも「13の月の暦」と「マヤ暦」という、簡単かつ明確にその違いが確認出来るものでさえ混同されているような状況では、学閥や皇室、国家が絡むような歴史分野で本質的情報に辿り着くのは、夢のまた夢という感じなのかもしれない。まだ調べが浅いので、あくまで参考情報としか言えないが、執筆者の立ち位置が(見える範囲では)自由で、過剰な妄想癖も諸団体との利害関係も無さそうな「日本古代史つれづれブログ」は、上記シンクロ発見の過程で知ったブログだが、とても勉強になったのでメモしておきたい。

終了後、幼稚園で書作品の設置作業(これについてはLが別途書く予定)を見守っていた小崎先生とLも合流し、「満帆荘」で懇親会が行われた。2日連続で参加して下さった方や幼稚園スタッフの方々と、美味しいお刺身や海の幸、山の幸を堪能しながら、1日を振りつつ楽しい時間を過ごさせて頂いた。主催の高木さんはじめ準備や片付け、会計などを手伝って下さった皆様に、この場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である。

部屋に戻って、翌日の奉納演武の準備と荷造りを済ませ、PCでメールなどを確認している時だっただろうか。朝、女将さんが出掛けに「地震でここも被災し、以前の1/3の規模になりました」と言っていた事や、北本さんが日中一時抜け出していたのは「消防訓練のサイレンを鳴らしに行っていたから」という話が気になって、福岡県西方沖地震の事を調べてみると、何と12年前のその日、つまり2005.3.20(KIN236)だった事が判明。

まんま私の現在の「運命の道筋」ではないか!KIN236(2・戦士)を歩む私が、KIN236の春分に被災した志賀島(その中でも被害の大きかった地域)に、同じ春分のKIN196(1・戦士)にやって来て、暦や天真体道について伝えさせて頂いた事の意味は、何なのだろうか?「意味」を求める方のために、自分なりの見解を述べておくと、それは原爆投下(KIN55)に対するハーモニック・コンバージェンス(KIN55)と同じで、4次元の時間を通じて、場の記憶を調和(中和)させる事にあると言える。

そう決まっていると言っている訳ではなく、私ならそのように「見る」という事だ。そして、事は見たようになって行くというのを私はずっと体験し続けて来た。12年後の同日は、同じ「太陽の紋章」で「銀河の音」が「1」だけ減る、という法則にも改めて気付いて眠りについて数時間後、ズズズズズという振動で目が覚めた。スマホで速報を見ると、震度は1でマグニチュードも3程度と小さい地震だったが、何と震源は12年前と殆ど同じというピンポイントさ。

一体、この事実をどう受けとめたら良いのだろうか?と、こういうのが初めての方なら悩むかもしれない。しかし、私は既に何度もこういう「あり得ないような時空のシンクロ」を体験して来ているので、これは、中和の象徴的現象なのだと自然に受けとめた。同時に、数時間後に奉納演武をする日程が「2・地球」で、サイ時間も「8・地球」と「大地(地球)」が関係する日である事は前から意識していたので、演武の時には大地を鎮める祈りも捧げよう、と思いながら再び眠りに就いたのだった。

この記事をまとめた今日(G3/31)は、『ドリームスペル』日本語版を伊勢の内宮神楽殿でホゼと共に奉納した日(12・風)からぴったり13年。そしてマヤ長期暦の完了ポイント2012年冬至(KIN207)からピッタリ6銀河スピンというタイミング。伊勢に奉納時のホゼ(KIN11)とステファニー(KIN185)の写真をツイッターとインスタにアップして気付いたが、二人のKINの合計196は、この春分志賀島の日付(KIN196)そのものだった事に、ここまで書いて来て気付いた。
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「7つの世代の書」とカミーノ

2014年05月21日 15:08

スペクトルの月20日(G5/21)KIN203 青い銀河の夜(by D)

ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が伝えた銀河ツールのひとつ『テレクトノン』には、「失われた7つの世代」という言葉が登場する。ツールに附属している「パカル・ヴォタンのテレクトノンー聖なる書の人々と夜明けの人々を結ぶ預言を語る石ー」という小冊子は、全部で126節からなり、その69節には以下のように書かれている。

《私の後に続く7つのカトゥンがある。7つの世代のそれぞれは、あなた方が何をするかを配慮する太陽の証人によって守られ、それぞれの太陽の証人は、ひとつずつの預言であなた方の時間を封印している。これらは全部で7つの世代の書として知られる。そして、この書は、真実の日に開かれることになる》

語っているのが(ホゼがチャネルした)パカル王であること、マヤ長期暦での9.13.0.0.0までがパカルの活躍した時代であったことを考えれば、「私の後に続く7つのカトゥン」とは、9.14.0.0.0〜10.0.0.0.0だと理解できる。文脈から「7つの世代の書」は、3次元的な形をした書物では無いことが読み取れるが、ホゼが「チラム・バラムの書」(邦訳『マヤ神話ーチラム・バラムの予言ー』)に「七家系の書」と訳されているものを意識しているのは確かである。

つまり、『テレクトノン』では、パカル王が活躍した時代の直後から7カトゥン(360キン×20×7=約138年)分を「失われた7つの世代」と呼び、その”期間”を「七家系の書」(=7つの世代の書)と関連づけている訳だ。

マヤ長期暦を260から成るツォルキンマトリクスに対応させる見方を世に示したのは、多分、ホゼが最初ではないかと思うが、その見方を取り入れると、9.14.0.0.0〜10.0.0.0.0の7カトゥンは、KIN194〜200に対応する。直近のKIN194は、『13の月の暦』の11月11日(G5/12)に巡って来たばかりで、その日、私達は、装身具彫刻家の北村公晴さんのお宅を訪れていた。

豊穣の馬と水晶の亀」に書いた通り、北村さんと銀座のギャラリーでお会いしたのは、シャーリー・マクレーンの80才の誕生日だった4/24。その日はKIN176で、シャーリーの殆どの著書を翻訳されている山川亜希子さんの誕生KINでもあった。翌4/25に届いた『天上の虹』は、持統天皇を描いた里中満智子さんの作品だが、驚くべきことに、里中さんもまたKIN176が誕生KINなのだった。しかも365日暦の誕生日はホゼと同じG1/24だ!
魔方陣作成 
あまりに色々絡んでいて書いている私も混乱しそうだが、シャーリーは、北村さんとお会いした4/24以降、山川亜希子さんと里中満智子さんの道筋を歩んでいるという事になる。話をKIN194(5/12)に戻すと、その日、北村さんご夫妻は、お手製のパンとサラダ、ケーキなどでもてなして下さった。魔方陣やトリノの聖骸布から始まって、利根山光人が世界で最初に拓本を取ったというパカルの石棺レリーフ、明治天皇・昭憲皇太后を中心にした歴代天皇の軸、持統天皇の頃の遣唐使・吉備真備、吉備津神社の釜(竃)など、お宝資料を沢山見せて下さるので、時を忘れて盛り上がり続けた。
パカル拓本 歴代天皇 
帰り際になって、壁にかかっていた絵についてお聞きすると、何とそれは、スペイン人神父からもらったレース(カミーノに関係する)を題材に北村さんが描かれたものだった。一番上にカミーノの象徴であるホタテ貝のような図案が見えたが、実はそれは貝ではなくて、太陽を描いたら偶々ホタテ貝のようになってしまったのだとか。北村さんとのシャーリーに関するシンクロには、いちいち驚かされる。当然、この日も私はカミーノに関する最近の体験をお話していたが、絵の事をお聞きしたのは、そろそろおいとましようと席を立ってからだったのだ。
カミーノレース 
この記事を書くにあたって、昨日、手元にある『カミーノ』の発刊日を改めて調べてみたら、2001年7月9日、KIN187と判明。これも驚かずにはいられないことだった。何故なら、7つの世代が始まる直前、『テレクトノン』にいおいてパカル王の墓が封印されたとされる9.13.0.0.0からG暦計算でぴったり1320年経った2012年3月16日、そしてそこから260日後の同年12/1(『霊性のアート』P108に写真掲載)が、KIN187だったからだ。

そして、2012年3月16日(KIN187)は、私が1999年にパレンケを訪れた時にスケッチした絵が、手紙の束の間から出てきたまさにその日なのだ!(この経緯は『銀河のマヤ 聖なる時の秘密』に詳しく述べてある)

9.13.0.0.0は、換算ソフトでグレゴリオ暦に変換すると692年3月16日。当時グレゴリオ暦は存在していないが、ユリウス通日を介して仮想計算することは可能である。同様に、『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンでの日付も仮想的にいくらでも計算可能で、9.13.0.0.0がKIN167に対応するのは、iPhoneの無料アプリKIN3Dで誰でも簡単に確認できる。

昨日は、沖縄の暦ユーザーと再接続した日でもあり、特に急遽電話で話すことになった井上さんとは、13人のグランドマザーに関する驚くべきシンクロを共有しあった。これについては、また稿を改めようと思うが、その再接続をきっかけに、ダライ・ラマ法王の沖縄訪問について調べてみると、これまたとんでもないシンクロぶり。

ダライ・ラマ法王が初めて沖縄を訪れたのは、伊勢の内宮を初参拝された2003年11月4日からぴったり6年後の2009年11月4日(KIN105)。KIN105は、ドリームスペルで燃える青い西の城(52日間)への入口であるだけでなく、北村さんの奥様・早苗さんの誕生KINでもある。

長期暦9.13.0.0.0に対応するKIN193(5/11)の深夜、Eテレで放映されていたのは、ツタンカーメンに関する番組だった。その番組では、ツタンカーメンの死に関する大変興味深い新説が紹介されていたが、墓室がハワード・カーターによって見つけられたのは1922年11月4日。ダライ・ラマ法王の沖縄初訪問の87年前だ(北村さんのご長男はKIN87と伺った)。

北村さんのお宅にお邪魔した時、私の目に最初に飛び込んで来たのは、北村さんがエジプトを旅した時に描かれた絵だった。前夜、ツタンカーメンの番組を見ていたこともあって、最初からシンクロを感じたが、まさか沖縄からの流れでダライ・ラマ法王とも繋がって来るとは思わなかった。

そして、ダライ・ラマ法王の2度目の沖縄訪問は2012年で、特別講演が行われた2012年11月11日(KIN167=11・手)は、私達がカトマンズで、偶然13人のグランドマザーと出会ったまさにその日である!(マザー達に会った様子は『霊性のアート』に記してある)。また『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンを介するとKIN167=9.13.0.0.0となることにも注目しておきたい。

「7つの世代の書」とロイディーン(9・風=KIN22=9+13)にちなんで、「7・風」の昨日UPしようと思っていたが、昨日は他にも色々と強烈なシンクロがあり過ぎて(ホピやチベットの事まで関係してきた)、1日ズレ込んでしまった。

”誕生”日の翌日に”死”を体験した銀河の母ロイディーンを筆頭に、この「失われた7つの世代(KIN194〜200)」前後に、激しい変化を経験している人が沢山いるようだが(私もその1人だ)、今まさに、封印されていた7つの預言が開かれているような気がしてならない。KIN194〜200は常にそういう時間場であるとも言えるが、「銀河の同期」と「式年遷宮」の両方を越えた後の「7つの世代」は、今回が初めてなのだ。

時空を超えてパカル王が仕掛けたこと

2013年08月23日 23:10

月の月1日(G8/23)KIN192 黄色い惑星の人(by D)

「黄色い銀河の種の年」が始まった、と思う間もなく「銀河の同期」から早28日が経過した。いつの間にか誕生日も過ぎて、私も「12・竜」の道筋に入った。そういえば、昨年、チェコでの演武から帰国した直後に、近所に住む謎の人物からボルサリーノのイカした帽子を頂いたのだが、その人の誕生KINは、KIN181(12・竜)だった。

パカル王って、こんな感じの人だったのかもしれない」と思わせる風貌(身長も181位かも)のその人物の家に招かれた時の体験と話は、あまりに常識とかけ離れていて、そのまま小説になりそうなくらい奇妙だったが、その圧倒的な存在感と見事にマッチしているところがあって(諸々の角度からの観察に矛盾が無く)、私には作り話とは思えなかった。

「銀河の同期」を越えたタイミングで、その人物とシンクロする「運命の道筋」に入った私は、自分の想像を超える1年を過ごせるのかもしれないと、ちょっと期待しているところもある。あるいは『霊性のアート』が発刊される(9月中旬予定)ことで、そういう動きが出て来るのかもしれないが、あまり構えずこの1年を楽しもうと思う。

私の誕生日から9日後のKIN190(8・犬)は、パレンケに私を導いて下さった滝元さんの52才、つまりカレンダーラウンドの誕生日だった。実は滝元さんもパカル王(の残されたレリーフ)によく似ていて、身長もパカルの推定と同じ180位あるのだが、その滝元さんが、これまた2013年に52才を迎えるというところが何とも美しい。

「そうだろう!」と言わんばかりにイチロー(KIN212)が祝いの日米通算4000本安打を放ったこの日は、ちょうど満月でもあった。今、気付いたが、滝元さんの誕生KINから22(13+9)日後がイチローの誕生KINで(ちなみに今日から3日間サイ時間はKIN22)、2013年&黄色い銀河の種の年に限っては、私の誕生日から31(9+13+9)日後が、背番号31のイチローの誕生KINだ。

ところで、『13の月の暦(ドリームスペル)』は、パレンケでパカルの「新しい時間がやって来る」という声を聞いたホゼが、ロイディーンと共に生み出した「新しい銀河の暦」だ。そして、そのホゼが世界的に知られるようなった著書『マヤン・ファクター テクノロジーを超えた道』(VOICE)を、高橋徹さんと共に監訳されたのが滝元さんなのだ。

692年に埋葬されてから1952年に発見されるまでが1260年(グレゴリオ暦の周波数)、長期暦の完了ポイントだった2012年までが1320年(マヤ暦の周波数)という長大な”仕掛け”だけでも驚きなのに、『13の月の暦』の関係者にもこれだけの時間魔術を示すパカル王は、『時空のサーファー』に書かれている通り、本当に銀河工科技術協力隊の隊長なのかもしれない。

何と言っても、パカル王の誕生KINは、滝元さんと同じKIN190なのだ!パカル王の墓室には、その誕生の日付が長期暦と連動する古代のツォルキンで「8アハウ」(KIN60に相当)と記されているのだが、複数の換算ソフトを使ってユリウス通日等から計算すると、『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンでは、KIN190になることが判明したのだ。他にも知っていた人はいたかもしれないが、私は2012年3月に、シンクロに導かれて発見した。

詳細は『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に整理してあるので、興味を持たれた方は、是非、参照してもらいたい。反対キンとか反対のパートナーとかの本質的な意味、そして、今という時代に『13の月の暦(ドリームスペル)』がやってきた事の意味を、深く味わって頂けると思う。

しかし、「今すぐダイレクトに理解したい!」という方には、明日、明後日と大阪のチャクラで行われる「銀河シード〈マスター〉コース」に飛び入り参加されることを強くおすすめしたい。何故なら、この2日間は、マヤ長期暦ツォルキンの260日に置き換えた時、パカルが活躍した最後の時期(KIN193)、そして失われた(隠された)7世代の最初の世代(KIN194)と完全にシンクロしているからだ。

そして、そのエネルギーを活用することで、一気にこの暦の本質を理解できる可能性が高いからだ。私が2,3ヵ月に一度しか訪れられない関係で、1日の中にスペシャルなプログラムを組んでいる関西でのクラスは、ある意味非常にお得であるとも言える。何しろ、全くの初心者でも、1日でこの暦のスペシャリストになれるだけの情報を、集約して伝えるからだ。

残席があるというのは、今回、銀河工科技術協力隊から招待さている人が、まだ居るということでもある。「きっと私がそうだ」と思った方は、即、行動を。そして、大阪でお会いしましょう!

★追記
この記事を書いた昨日は『7:7::7:7』で失われた7つの世代の第1、KIN194(692〜712)に対応していた。また、滝元さんのパートナーは何と、古代マヤのツォルキンでのパカル王の誕生日に相当するKIN60と判明!『マヤン・ファクター』に関わられたのも、やはり偶然ではないのだろう。




ハーモニック・コンバージェンス25周年「虹の瞑想会」

2012年07月21日 01:56

宇宙の月24日 (G7/20) KIN53 赤い磁気の空歩く者(by D)

rbm

H・C25周年「虹の瞑想会」!(8月16日)

マヤ長期暦の完了(13.0.0.0.0)の意味をスピリチュアルな側面から読み解き、2012年の重要性を世界に(マヤに特に関心も無い人々にも)知らしめたのは、『ドリームスペル(13の月の暦)』の提唱者でもあるホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻だったと言って良いでしょう。それは、彼らが1987年の8月16日(KIN55)に呼びかけた「ハーモニック・コンバージェンス」(以下H・C)というイベントと密接に関係したものでした。

行き過ぎた物質主義の流れを反転し、人類全体に精神的、霊的側面を取り戻すこと、あるいはその側面を進化させることを呼びかけたこの平和のイベントは、マヤ長期暦の日付と関連する14万4千人以上の参加が目標とされていました。メディアによる報道や、その意図に賛同した著名人の呼びかけもあって、実際にはそれを遥かに越える人々が世界中の聖地に集い、集合的な瞑想を行ったと伝えられています。

10年後の1997年の同日(KIN65)、日本と世界の惑星KINの協力を得て「時間の法則に関する世界会議」を無事終了したアグエイアス夫妻は、東京・目黒不動尊の敷地内で、高橋夫妻や私たちを含むボランティアスタッフと共に「10年間のケツァルコアトルプロジェクト」の完了と、H・Cの10周年を祝い、再び共に瞑想をしました。そこからさらに15年。ついに2012年が私たちの目の前にやって来ました。

H・C 25周年に当たる今年の8/16は、4半世紀前に生み出された精神生命場のうねりを感じながら、最終段階でそれをさらに(位相を綺麗にそろえつつ)増幅させる意図で、瞑想会を開催することにしました。当日は、アグエイアス夫妻が発表した全銀河文化ツールを揃え、その日の羅針盤やカードやコマの配置を実際に行い、それに基づく瞑想と「極をとりまく虹の橋の瞑想」を行う予定です。

また、「時間の法則に関する世界会議」で実際に展示された貴重なパネルや、アグエイアス夫妻が日本で「13の月の暦」のメッセージを伝える時に常に会場に掲げていた(それそのものの)「平和の旗」、そして、ホゼが愛用していたネーム入りの(かなり年季の入った)カバンなども合わせて展示し、一緒に瞑想をしようと思っています。また、終了後には、希望者でランチも計画中。H・C 25周年を祝う特別な時間を共に過ごしましょう!

【日 時】8月16日(木)10:00~11:30 +希望者でランチ(要予約)
【会 場】二子玉川駅徒歩5分 お申込の方に詳細をお知らせします。
【ガイド】小原大典、李紗
【費 用】3,300円(ランチ代は別で当日実費)   
【申 込】お名前、ご住所、お電話番号(当日連絡がつくもの)、ランチ参加希望の方は必ずその旨をお書き添えの上、メール(←クリック)でお申込みください。
【定 員】20名(定員になり次第、締切ります)

満月のカーラチャクラ2012

2012年01月06日 01:39

律動の月24日(G1/5)KIN117 赤い宇宙の地球(byD)

お釈迦様が成道された地ブッダガヤで、ダライ・ラマ法王14世(KIN14)によるカーラチャクラ(時の輪の教え)法要が行われている。正確には、明日(KIN118)までが灌頂儀式を受けるに当たっての準備段階の法話(前行)で、明後日から3日間が儀式ということになる。

思えば10年前の今頃、私達も法王による27回目のカーラチャクラを受けにブッダガヤを訪れていた。その時は、直前に法王が体調を崩され、初めて儀式が中止になった稀なケースだったが、そのお陰で私達は、ほぼ260日後に行われたオーストリア・グラーツでのカーラチャクラにも参加出来た訳だし、今もブッダガヤで出会った人々と交流を深められているのだから、やはり目の前の状況だけで何かを言うべきではないと改めて思う。

シンクロニック・ジャーニー』にも書いてあるが、その流れの中から時間芸術学校クリカの活動も始まった(クリカという名前もカーラチャクラにちなんで付けた)ことを思うと、実に感慨深いものがある。何しろ今回は、NPOクリカで支援しているカトマンズ在住のチベット人の子供達(まだ小学校低学年)も、何人かその会場に行って、法王のティーチングを直接聞いているのだ。

確かネットによるカーラチャクラ全世界同時配信は、グラーツの時から始まったはずだ。今回も、前行とか長寿の灌頂とか、メインの儀式以外のところはユーストリームで生中継が行われていて、今日も見知った人々の顔が画面に映し出された瞬間を目にしたが、豆粒のように写っている20万人もの参加者の中に、支援している子供達もいるのかと思うと、とても不思議な気持ちになる。

カーラチャクラの灌頂儀式は、満月(G1/9)に合わせて完了するので、今回は『13の月の暦』の「律動の月」の完了ともぴったりシンクロする(※)。その日はまた、ツォルキンの背骨(中央)、7番目の調波行程の始まりに当たる「4・竜(KIN121)」の日でもある。

奇しくもその日、時間芸術学校クリカでは2つのイベントを開催する(カーラチャクラの日程は全く意識しておらず数日前に気付いた)。一つは天真書法塾シャンバラ教室の「新春☆書き初め大会」。もう一つは、新体道メディテーションクラスの「2012年初満月瞑想」である。”シャンバラ”という言葉は、もともとカーラチャクラに登場する聖なる国の名前である。

しかも、この日は辰年にちなんで「龍(竜)」の字を色紙に書くのだが、上記の通り、ツォルキンでもこの日は「竜」の日なのだ。まだ僅かに席が残っているので、少しでも「書」に興味のある方は、この機会を是非活用されることをお薦めしたい。龍のエネルギーを書に込めるのに、この日以上の日は無いだろう。

また、巷で騒がれている通り、マヤ長期暦が完了するのは2012年12月21日だ。『13の月の暦』だと、ちょうど来年の「律動の月」という事になる。このブログで示し続けて来ている通り、様々な周期の「時の輪」の影響をありありと実感して来ている私としては、今年の「律動の月」ラストの満月の過ごし方が、後々大きな意味を持って来るような気がしてならない(私を信用ならない人間だと思う方は適当に聞き流してもらいたい(笑))。

せっかく、地球の”霊性の場”が大きな盛り上がりを見せるカーラチャクラの完了日にシンクロしているのなら、瞑想もそのことを意識して行いたいと思っている(カーラチャクラのお香等使って)。色々な意味で「来年」とか「この次」とかは無い。2012年を特別な年にするかどうかは、こういう”要の時”を逃さないかどうかだと私は思う。

私達が10年前にブッダガヤに行ったことが後に様々な形で花開いて来ているように、ある”タイミング”で、どういう”場”にいるか、どういう”意図”で何を”する”かが、10年後(あるいは今年)の皆さんのあり方を決めることになるだろう。良き縁が結ばれんことを。

(※)「律動の月」は『時間の法則の20の銘板』では、KIN188(6・星)と対応する。「黄色い星」の紋章は、金星とも関係するので、悟りの象徴と関係する金星との繋がりが興味深い。また、毎月4週目は黄色い「熟成」の週でもある。

自律的学習と仏教

2011年07月22日 10:19

■宇宙の月26日 (G7/22) KIN210 白い月の犬 (by D)

KIN206の講演会に、友人のチベット人夫婦(ドルマ&ペムシ)が来てくれていたことは既に書いた通りだが、その後、「流石だなー」と思うことがあったので、メモしておきたい。

来日してからの日が比較的長い(といっても数年だが)ドルマは、既に日本語をほぼ完全にマスターしていて、読み書きも含め、下手な日本人よりもずっと日本語が正確なので、いつも驚かされている。

ペムシの方も、会話では英語の比率がまだ高いものの、話の流れはいつも正確に把握しているので、日本語のヒアリングは相当できていると思われる。しかし、日本人であっても、興味が無ければ頭に入りにくい「マヤ暦」や「13の月の暦」の話が、どのくらい伝わるのかは、正直、疑問だった。

ところが、それは全くの杞憂であった。彼らの感想は的を射ていたし、ペムシなどは講演中に「13の月の暦」のアプリまで見つけて、ちゃっかり自分のアイフォンにダウンロードまでしていたからだ。途中で話が分からなくなって、メールかゲームでもしているのかな?と思っていた自分が恥ずかしい。

今回参加して下さった方は、どなたも意欲的に話を聞いて下さっているのが体感的に分かったが、もしかすると、一番速やかに本質をつかんでいたのは、ペムシだったかもしれない。なぜなら、講演の中で最も伝えたかったポイント(自ら判断しその場で最善を尽くす)を、その場で即座に実践していたからだ。

このことは、彼らがインド・ダラムサラのTCV(チベット子供村)で教育を受けたこととも関係があるのかもしれない。そこでは、小さいころから仏教の基本が叩き込まれていて、ものの見方や考え方、何が重要なのかを見極める力が育まれているからだ。もちろん、日本の学校教育と同じような側面もあるが、仏教の基本思想をきちんと学ぶことで、自主的、自律的学習の基礎が養われているのではないだろうか。

ただ言われたことをやるだけでなく、それをひとつのきっかけとして、自ら考え、その場で出来ることをどんどんやって行く。どのような分野であれ、生きている存在、生きている場とは、そのような動きを伴って展開し続けているものだと思う。

最後に、ペムシに教えてもらったアプリを紹介しておこう。「Kin3D」で検索すればすぐに見つかるが、日々の「13の月の暦」の情報だけでなく、「マヤ長期暦」や「ユリウス通日」まで出てくる優れものなのにも関わらず何と無料。「13の月の暦」の考え方と親和性が高いその方針にも好感が持てる。ただし、「7つのプラズマ」の部分だけは、プログラムミスなのか、実際とは違うので注意が必要だ。

ニルヴァーナ

2009年03月18日 23:58

■太陽の月12日 (G3/18)  KIN134 白い自己存在の魔法使い (by D)

初めてのミッドタウンで、おのぼりさん状態の私達ではあったが、何故かランチの照準だけはきっちりセットされていて、微塵も迷うことなく「ニルヴァーナNY」へ。NYで多くの著名人に愛された伝説的なインド料理レストランが日本に復活したとのふれこみだったが、確かにバターチキンカレーなどは絶品で、久しぶりに壊苦(えく)を味わうところまで食べてしまった。

ちなみに、壊苦とは、「変化に基づく苦しみ」を意味する仏教用語。2006年に宮島でダライ・ラマ法王が法話をされた時、「寒い時に日なたに移動すると、最初の内は暖かくて快適だが、そのうち暑くなり過ぎて来て苦しみに変わってしまう」というような喩えで、説明した下さった記憶がある。つまり、美味しさに任せて食べ続け、苦しみに移り変わっているのにも気付かなかったというお話。

さて、肝心の三井寺展は、数々の国宝や普段は目にする事の出来ない秘仏なども公開されていて、充実した展示内容だったが(そして大いに学ぶ所があったが)、自分にとって一番響いたのは、展示物そのものよりもむしろ、三井寺を中興した智証大師円珍が、長安(現・西安)の青龍寺で密教の奥義を授かり(空海もこの寺で密教の教えを授かった)、数々の経典(これらの一部は展示されていた)などと共に日本に持ち帰ったという点だった。そして、大悲胎蔵曼荼羅の灌頂を清和天皇にも授けていたという事実を知ったことだった。

何故なら、空海が両界曼荼羅の教えを日本に伝えてから1200年というタイミングだった2006年、私達は西安の青龍寺を実際に訪れ、さらに同年、広島(宮島)で行なわれた伝授会において、ダライ・ラマ法王14世(KIN14)から直接、その大悲胎蔵曼荼羅(大日経)の灌頂を授かっていたからだ(この辺りの経緯は『シンクロニック・ジャーニー』に詳しい)。そもそも、青龍寺を訪れたのは、天真書法塾の西安碑林展があったからだが、実は、現在もまた、2回目の西安碑林展に向けて作品を制作している最中なのだ。
 
しかも、私達が灌頂を受けた宮島の大聖院が、中国三十三所観音霊場第十四番札所であったのに対し、今回の展示で公開されていた秘仏「如意輪観音菩薩坐像」は、西国三十三所観音霊場第十四番札所(もちろん三井寺のこと)観音堂のご本尊なのだ。また、円珍は、空海と同じ四国の出身であるだけでなく、空海の姪の息子(親戚)でもあることを、後で調べて知った。こうした全てに、仏縁とでもいうべき何かを感じるのはごく自然なことだろう。
 
ところで、この展示を見たKIN129(G3/13)は、ツォルキンの中央部に当たる調波33の初日でもあった。約5125年の期間を数えるマヤ長期暦を、フラクタル化したツォルキンの上に置き換えると、ちょうどこの調波33の辺りが、仏陀の活躍した時代に対応する。これをもって、ミッド(中央)タウンのサン(3)トリー美術館で三井寺展を観るのにふさわしいタイミングだったと思うのは、駄洒落が過ぎるだろうか。
 
お遊びついでにもう少し。大悲胎蔵曼荼羅は、全部で12の区画に分かれており、その中心の8枚の花弁をもつ蓮の花の中央に、胎蔵界大日如来が描かれている。一方、クリカという名は、カーラチャクラの教えを保持するシャンバラの法王の称号に由来しているのだが、シャンバラには、蓮の花弁のような8つのエリアに、それぞれ12の地域があるとされているため、ロゴマークも8つの花弁を持つ蓮にした(左上にあるもの)。そういえば、ニルヴァーナNYのロゴも、クリカのロゴに良く似た八葉花弁の蓮だった。
 
灌頂とは、その教えを学ぶ許可を与える(縁を結ぶ)ための儀式で、その教えを学ぶ目的は、結局、ニルヴァーナに至る(心の安らぎを得る)という事でもある。こうして振り返ると、美味しいカレーが食べたくて選んだお店も、そこで壊苦を味わった事も(それで宮島での法話を思い出したりしているので)、皆、仏陀のお導きという感じで、何だかお釈迦様の掌で遊んでいる孫悟空の気分にさせられた。まあ、調波33は、「竜の創世記」から「猿の創世記」へと移行するポイントでもあるので、それもまたよしと思うことにしよう。

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