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イヌとパンダの奇妙な絵馬

2018年01月02日 23:27

律動の月21日 (G1/2) KIN224 黄色い電気の種 (by D)

明けましておめでとうございます!

グレゴリオ暦で2018年、干支では戊戌(つちのえいぬ)年になった訳ですが、「戊(つちのえ)」という字と「戌(いぬ)」という字がこんなに似ているとは、恥ずかしながら今まで気づいていませんでした。それぞれ十干の5番目と十二支の11番目という意味で、どちらも字の原義とは関係がない当て字のようなものですが、この二つが重なるのは60年に一度なので、少なくとも今生では初めて出会った年回りという事になります。

さて、二子玉川に越して来て14回目のお正月を迎えた今年の元旦は、近所の瀬田玉川神社に初詣して来ました。住所的に氏神様に当たる神社なので、比較的よく参拝している方ですが、毎年という訳ではなく、その年のノリで結構違う神社にお参りする事もあります。実際、去年は等々力にある玉川神社、その前の年は浅草寺とそのお隣の浅草神社でした。

暖かくなった午後に神社に向かうと、お天気が良かったこともあってか、階段下の坂道まで長い行列ができていました。読書しつつ40分あまり、境内に到着すると奇妙な立体絵馬が目につきました。何とも微妙なテイストで、何故かパンダ(シャンシャン?)まで描かれているので、「何だこの絵馬は?」と思ってよく見たら、何と6日前に近所で偶然お会いしたばかり(経緯はコチラ)の蛭子さん(KIN81)の奉納作品!

KIN81は今の私の「運命の道筋」でもあり、お会いしたカフェで6月に「13の月の暦 TIMMESCORE展」を開催する事にもなったので、お正月から縁起の良い出会いとなりました。後でシャンシャンについても調べてみると、生誕日は2017.6.12のKIN20で、私(KIN241)の「神秘のパートナー」である事も判明。確かにイヌ年にパンダとは予期せぬ出会い(笑)。蛭子さん独特のセンスのお陰で面白い発見に至りました。

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実は、今年も直前まで、どこに初詣するか決めて居なかったのですが、「6月に世田谷美術館でシャンバラ教室展を開催するし、近所でTIMMESCORE展もやるのだから、家と美術館の間にある氏神様にしよう」という事で決まったのでした。もし、違う神社にお参りしていたら、蛭子さんとのシンクロもパンダとのシンクロも味わえなかった訳ですから、この選択は完璧だったと言えるでしょう。

世田谷美術館には「13の月の暦」誕生に強力なインスピレーションをもたらした「パカル王の石棺」の拓本も保管されています。ですから、この暦の情報を通じて、蛭子さんやパンダとの繋がりも見えて来た流れには、ある種の必然性が感じられるのです。

おみくじにもそれは現れていて、私は43番大吉を、Lは20番大吉を引きました。20は「律動の月20日」(G1/1)とその日のサイ時間(*1)「黄色い太陽」の紋章コード番号、そしてシャンシャンの誕生KIN。KIN43(4・夜)は、初詣に出かける直前にFBで姿を見かけて「いいね」した六甲山系時空のサーファー・吉田雅昭さんの誕生KINで、「パカル王の石棺」が発見されたKIN218(1952.6.15)とは「神秘のパートナー」の関係。

「青い夜」という意味では、元旦の「2・夜」(KIN223)ともシンクロしていましたが、このKIN223は、『マヤのリズム』や『霊性のアート』にも登場して頂いている安倍昭恵さんの誕生KINでもあります。そして、昭恵さんとお会いした時に、キーナンバーとなって現れたのがKIN81で、これが昭恵さんの剣山登山や第81代安徳天皇とも繋がって来た事は『霊性のアート』(P136.137)に書いた通りです。

自分がKIN81の道筋の時にKIN81の蛭子さんとやたらにシンクロするのは、その辺りの出来事ともリンクしているのかもしれません。また、瀬田玉川神社の御祭神は、日本武尊、大己貴命(大国主命)、少彦名命で、日本武尊は景行43年まで生きていたとされています。剣山、安徳天皇(三種の神器の伝説)、日本武尊(草薙剣と深い縁あり)を繋ぐ数が、少なくとも私にとっては81(9×9)である事をメモしておく事にします。

もう一つ、43番のお神籤の歌は「風吹けば風ふくままに…」で始まっており、G暦大晦日から始まった「風のウェイブスペル」とも綺麗にシンクロしていました。そして、このブログを途中まで書きかけたまま、先刻、食事をしながら観ていた映画は『テルマエ・ロマエ』。この作品を選んだ動機は、ヤマザキマリが原作という事だけで、主演が阿部寛である事以外は何も知らずに見始めたのですが、何と、ショールームの部長役で蛭子さんが登場!流石に驚きました。

ちなみに、今日のKIN224は、自分が生まれた年「黄色い電気の種の年」にシンクロ。恒例の年末年始(12/30~1/1)ウォーターレメディ断食(*2)を無事終え、新年最初の食事をいただき、先刻、今年最初の満月の光で細胞を活性化させ終えたところです。6日後の「13の月の暦クラス」と「ポーランド・トークイベント」では、お正月サービスでこうした様々なコツもシェアする予定です。どうぞお楽しみに!

(*1)G暦元旦は、その日のサイ時間KIN120(3・太陽)を通じて、常に「黄色い太陽の季節」の始まりとシンクロしている事に気付きました。

(*2)断食直前に新しいレメディをつくり、それを飲みつつ、白湯、お茶、コーヒー、紅茶、具なし味噌汁なども飲む、軽い減食期間。身体もよく動かすようにします。
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聖十字架物語と二子玉のフィレンツェ

2017年03月04日 22:34

銀河の月26日(G3/4)KIN180 黄色いスペクトルの太陽(by D)

昨日、G3/3は、ルクソールの「王家の谷」でツタンカーメンのミイラと対面した日(KIN14)からぴったり9(3×3)年目に当たる日だった(『マヤのリズム』P154〜参照)。その日が、エジプト考古学者・吉村作治氏の104(52×2)回目の銀河の誕生日(KIN179)と重なっていたのだから、私達にとって面白い日になるのは、最初から決まっているようなものであった。

午後に世田谷美術館で行われた「美術講座」の内容は、「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂壁画の修復」。「世田谷美術館友の会」が主催するこの講座の事を知ったは、開催日(昨日)のぴったり30日前で、全くの偶然だった。その経緯から少しずつ整理してみたい。
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昨年9月、美しいシンクロニシティに導かれてフィレンツェ、ピサ、ローマを訪れたことは、現在メルマガに連載中の「 ルネサンスの都へ」に書いている通りで、その中でも特に驚いたシンクロについては、「ダヴィンチ・フィレンツェ・チブレオ・モリコーネ」という記事にまとめた通りである。

イタリアから戻ってすぐの10月から、Eテレで「旅するイタリア語」の放映が始まった。その何度目かに、漫画家のヤマザキマリさんが登場して、マザッチオの解説をしたことがあったのだが、その切り口にLが痛く共感したらしく、以降、彼女のエッセーを連発で図書館から借りて来るようになった。

KIN149(G2/1)、二子玉のフィレンツェと私達が呼ぶ行きつけの店「エテルニータ」でランチをした後、Lがライズにある図書館出張所にヤマザキさんの本を返しに行くというので、その場で同行する事にした。普段ならランチ後は各々の用事に向けて解散する流れになるのだが、何故かその日はぶらぶらしたい気分で、借りまくった本を抱えているLを助ける訳でもなく(笑)、ただ散歩がてら付いて行ったのだった。

Lがカウンターで手続きをしている間、入口付近でボーっとしていたら、次の返却者が入って来た。人が集中する事があまりない窓口は狭く、居場所に困って奥のスペースに移動しつつふと振り返ると、チラシコーナーで「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会」というタイトルが目に飛び込んで来た。サンタクローチェ教会に日本人が関わっているというだけで驚きだったが、宮下孝晴氏という講師の略歴を見ると、何と学芸大卒(先輩に当たる)でイタリアに11年在住、さらに金沢大の名誉教授とある。

昨年5月下旬に、ピサから剣武天真流の合宿(石川県志賀町)にやって来たニコロとジュリアーノが、「YOUは何しに日本へ?」の取材を受け(参考ブログ)、それが7月に放映され、9月に彼らにピサで再会した事はメルマガに書いた通りだが、合宿時に彼らと最初に顔を合わせたのは金沢駅構内だったのだから、これはキテる。しかも、昨年の5月には数年後にという話だったピサ(ヴィコピサーノ)での剣武合宿が今年に決まり、5月に再びピサとフィレンツェを訪れる流れになっているのだ。

加えて、そのチラシを目にしたKIN149は、パレンケの「碑銘の神殿」で『テレクトノン』をプレイし、パカル王の石棺を直に目にした日からツォルキン(260日暦)が25回巡ったタイミング(『13の月の暦』の数え方で)であり、世田谷美術館には、利根山光人氏による「パカル王石棺の実物大拓本」が保管されているのである。その拓本の存在を知った経緯は「パカル王からの呼びかけ」にまとめてあるが、今、それを再読して驚いたのは、「旅するイタリア語」が始まったのと同じ昨年10月にその拓本を目にした時、利根山氏の誕生キン(KIN179)も調べていて、それが世田谷美術館での講座開催日と完全にシンクロしていた事だ。

図書館窓口に私が同行していなければ、そしてその瞬間、次の返却者が窓口を訪れていなかったら、私はもちろんLも「美術講座」のチラシを目にする事は無かっただろう(そういう場所に置いてあったのだ)。当然、そんな貴重な機会がある事も知らずに、今日という日を迎えていたに違い無い。こうした「呼ばれてる」状態の時は、予定も必ず空いているもので、G3/3(KIN179)に参加可能だと判明するや、即、(Lが)往復はがきでの申込みを済ませたのだった。

そして昨日、宮下先生による講演「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会 大礼拝堂壁画の修復」を聴講してきた訳である。会場入口で配られた絵はがき(嬉しいプレゼント)は、ルネサンス萌芽期の少し前に活躍したアーニョロ・ガッディによるフレスコ画で、会場のプロジェクターにも同じ絵が映し出されていた。思いがけない寄付(2億円!)から始まったという先生の修復プロジェクトのお話は、修復対象となったフレスコ壁画『聖十字架物語』の内容にも劣らぬ面白さで、一気に引き込まれてしまった。
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「前例が無い事はやらない主義」の官僚機構や、視聴者受けばかり狙う番組制作者達との仕事の進め方、怠けがちなイタリア人に期日を守らせる方法、修復先の選び方など、話の内容だけでなくその切り口にも、先生の魅力的な生き様が反映されていて、どうりで私達のアンテナが反応するはずだと深く納得。もちろん、フレスコ画の具体的技法や修復についての諸々(特に文化財保存に対する倫理)も大変勉強になった。金沢大学のサイトにもほぼ同内容のものが掲載されているので、美術史や文化財、そしてフィレンツェに関心のある方は、是非ご覧になる事をおすすめしたい。

1999年のNHKテレビ人間講座に出演されていた頃からのファンの方も参加されていた中、30日前に先生の存在を知ったばかりの私達は、全くの新参者であったが、諸々のシンクロに感じる所があり、終了後ずうずうしくも先生に御礼をお伝えしつつ、記念撮影をお願いした。講演中に「金沢大と宮下の名前を出せば壁画の間近まで入れてもらえる」とおっしゃっていたので、「写真があればもっと話が早いだろう」という魂胆だったが、ご快諾下さったばかりか、学芸大時代は書道科だったというお話も聞けて、ますますご縁を感じてしまった。
宮下先生 
先にサンタクローチェ教会を訪れた時に、『聖十字架物語』の壁画は目にしていて、写真にも収めていたが、まさかその修復に日本人が関わっていたとは思っていなかったし、物語の背景も制作者も知らなかったので、サーっと通り過ぎていた(他にも見どころが沢山あるので)。今回、このタイミングで宮下先生からお話を聞けたことで、俄然興味が湧いたので、5月に再訪する時は、先生との写真を印籠に、じっくりと『聖十字架物語』を見直してみたいと思う。

それにしても、一連の出来事と『13の月の暦』情報とのシンクロ率は異常に高く、シンクロが常態化している私が、久々に戦慄を覚えるレベル。何しろ、世田谷美術館に「パカル王の石棺拓本」が保管されているのを知ったのは、まだ数ヶ月前の話。金沢大学とサンタクローチェ教会、国立フィレンツェ修復研究所との国際共同プロジェクトの合意書が調印されたのは2004年6月(まさに私達が二子玉川に住み始めたタイミング)で、そこから2013年までの9年間(修復作業自体は2011年6月までの6年)、そのプロジェクトを統括されていたのが宮下先生なのだ。

この2004〜2013年の9年間は、『時間の法則の20の銘板』(以下『20の銘板』)の「9人の時間の主の領域」に対応し、この「9人の主」とは、「碑銘の神殿」のパカル王の墓室のレリーフに由来するものでもあるからだ。しかも、「16年間のテレクトノン」というサブタイトルを持つ『20の銘板』は、パカルの石棺レリーフの十字架とリンクした「木の道」というより糸から始まる。一方、サンタクローチェの『聖十字架物語』の主人公は「木」で、新約・旧約両聖書をクロスする、大変興味深い内容である(マリアやキリストは直接的には登場しない)。

確かに「十字架」は、世界で普遍的に見られモチーフの一つではあるが、ここまでの一致度は『20の銘板』日本語版の制作世話人をしていた私には、ちょっとゾッとするものがある。例えば、私が宮下先生の講演を聞く場所は、別に世田谷美術館で無くても良い訳だし、パカルの石棺拓本がその美術館に保管されているのを知るタイミングだって、もっと前でももっと後でも良かったはずだ。しかし、そのタイミングは全て、私にとっての最初のフィレンツェ訪問から次のフィレンツェ訪問までの間(ほぼぴったり260日間の期間)に生じたのだ。

さらに話は昨夜の晩餐にも繋がる。店内にフィレンツェの旗を掲げる程フィレンツェが大好きな五十嵐さんのお店「エテルニータ」が、3月一杯「12周年記念マリアージュコース」をやっていると知ったので、サンタクローチェ教会の講演を聞いた晩は、エテルニータの12周年と、シャンバラ教室の7周年(G3/10で)を祝して、そのコースを頂こうと決めていたのだ。
いわし ワイン 
それで、実際に何時がエテルニータのオープン日だったのかを改めて確認してみると、2005年2月23日(KIN211)と判明。私達が二子玉川に越して来た2004年6月8日(KIN211)からぴったり260日後がオープン日だった事を、12年通って初めて知った。何故その日にしたのかの理由がまた素晴しく、やはり私達が共鳴できる人々というのは、押さえ所が似ているのだなと思ったが、KIN211と言えば、私よりぴったり30日前に生まれ、ハーモニック・コンバージェンス(1987年)の直後に他界したホゼの息子ジョッシュの誕生キン。

そのジョッシュに捧げられた本『時空のサーファー』を通じて、21年前にマヤの暦世界(マヤ暦そのものではない)に入った私にしてみれば、美術講座開催のぴったり30日前、パレンケと繋がる特別なタイミングにその情報を知った事も無関係とは思えなくなる。それに直近のKIN211は2016年7月18日で、その日は、シネスイッチ銀座で『ウフィツィ美術館』という映画を観ているのだ。

冒頭に紹介した『マヤのリズム』は、引っ越し7周年の2011年6月8日(KIN166)に発刊されたもので(ちょうどこの頃サンタクローチェ壁画の修復が完了した模様)、その260日後が皇太子さま(KIN166)の52才、つまり『13の月の暦』でのカレンダーラウンドであり、「エテルニータ」7周年だった訳だ。ここまで書いて来て、やっと全ての繋がりが明らかになった。ちなみに発刊日をその日にしたのは、編集者の天野照久氏の誕生日であり、その260日前が安倍首相の誕生日、その260日後が皇太子さまの誕生日と知っていたからである(本書には安倍昭恵さんから私宛に届いたメールも掲載している)。
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この『マヤのリズム』の「エジプトからの呼びかけ」という節に、9年前の3/3(KIN14)、ツタンカーメンのミイラに出会った事が書いてあるのだが、その日の晩、私達はルクソールからギザに向かって鉄道で移動をしている。そこからさらに52年前の3/3(KIN14)、3000年前の前世記憶を持っていた女性考古学者オンム・セティがカイロからルクソールへと列車で移動した事が、彼女の生涯を描いた作品『転生ー古代エジプトから甦った女考古学者』に書かれているのだ。

この本との出会いも奇跡的であったが、本書によれば彼女の誕生キンは私と同じKIN241であり、発刊日は私達の結婚記念キンであるKIN171である。そして、皇太子さまと「エテルニータ」という店の、今年の「運命の道筋」は、9日前、そのKIN171になったばかりである。

「エテルニータ」はイタリア語で「永遠」の意味。コード番号14の「白い魔法使い」のキーワードは「永遠」であり、『マヤのリズム』にエジプトの話が書いてあるページは154(11・魔法使い)から。「王家の谷」で最初に入ったのがKV14だった事もそこには書いてある。まだまだいくらでもあるが(*)、いい加減、この辺りまでにしておこう…と思ったら、来週の『世界ふしぎ発見』はギザのピラミッドらしいので、ここまでメモしておしまい(笑)。


*こういう体験をもたらし、同時に体験するのが「時のからだ」と私が名付けたで「からだ」であり、それを思いきり活性化させる場が「時のからだ塾」である。

*自分用メモ。『前世への冒険』のアルベルティとデジデリオ。アルベルティ礼拝堂。トリノ五輪と「サムライとトリノ展」

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