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311から113、911から119

2013年11月10日 00:44

■自己存在の月23日(G11/9)KIN10 白い惑星の犬(by D)

11/3は、新月で金環日食だっただけでなく、『13の月の暦(ドリームスペル)』でも月と日付の「銀河の音」(数)が「4」で重なる「魔術の亀の日」だった。4・種(KIN4)は、紋章コードNoも4だから、魔術ぶりはさらに増していた。

ちなみに、1つ前の「魔術の亀の日」は13日前のKIN251(G10/21)で、私達は台風26号と27号の合間の晴れ間に、遷宮後初の伊勢参拝に行っていた。こちらも4番目の月4日の「4・猿」だったから、スペシャル魔術の亀の日だった。加えて、NY911テロから17回ツォルキンが巡ったタイミングでもあり、NYに行く直前の私達にとっては深い意味があった。
内宮2013 
これを書いている今日は、911の反転である119。金環日食のKIN4は4番目の月の17日でもあったから、4と17と数字反転の間に何か関係があるのかと思ってしまう。少なくとも4番目の月17日のサイ時間がKIN68(4×17)だったことだけは間違いないので、きっと関係はあるのだろう。

話を11/3に戻そう。この日はNYから戻って最初の天真体道瞑想クラスがあった。会場に関して間違ったアナウンスをしてしまった関係で、参加者の皆さんにはご迷惑をおかけしてしまったのだが、この日参加して下さったMさんご夫妻は、当日が結婚33周年の記念日だっただけでなく、ご主人のお誕生日でもあった!(この時初めて知った)

NYで(空港以外で)最後に買い物をした店はブルックリンのMain St.33。帰りのフライトは26という席を指定して予約していたのに、航空会社の都合で何故か当日33に変更された(何の不都合も無く快適だったが席はガラガラだった)。しかし、11/3(=11×3=33)の魔術の亀の日に、結婚33周年のご夫妻と瞑想を共にできたことで、その流れの謎がひとつ解けた気がした。

帰宅後、アフリカから生中継されていた金環日食の様子を目にし、東北楽天ゴールデンイーグルスが創設9(3×3)年目で日本一となったことを知った。ゴールデンリングが生じる日食の日にゴールデンイーグルスが優勝というだけでも十分美しいのだが、この優勝には、色々と多次元的な意味が感じられる深さがある。

11/3の優勝に導いた星野監督の背番号は77。東日本大震災が起きたG3/11はKIN77(12・地球)だった。NYに旅立つ直前にお会いした『プルーフ・オブ・ヘヴン』の翻訳者・白川さんのKINも77だ。優勝の立役者とも言える田中将大投手は、1988年11月1日生まれのKIN237(3・地球)で、優勝時の道筋は「2・風」。地球と天王星(天国)からのサインが多重に示されている(ドリームスペルでは「風」も「地球」の紋章も天王星軌道に対応する)。

調べてみるとゴールデンイーグルスという名前が発表されたのは2004年10月22日(9・手)。そのピッタリ20日前の2004年10月2日(2・手)に、NYの7Aveと17stのクロスする場所、バーニーズニューヨークの跡地に生まれたのが、仏教美術を展示するルービン美術館。7・17=7・地球=KIN137(地球の主の日)で、私達がそこを訪れたのはKIN257(10・地球)。

ルービン美術館が誕生した2004年10月2日、私は、それまで迷いつつ何度も買うのを留まっていた『パドマサンバヴァの生涯』という本を、ようやく手に入れている。それは、この本の発刊日(2000年7月15日)が父の誕生KINと同じKIN88で、パドマサンバヴァ誕生伝説のあるツォペマを訪れる予定の満月の日が、母の誕生KINと同じKIN93になるというシンクロに気付いたからだった。

そしてゴールデンイーグルスという名が発表された同10月22日は、ダラムサラのナムギャル寺で、村上和雄先生に偶然お会いしたり、ネチュン寺を訪れたりしている。これは今、昔の手帳を引っ張り出して来て判明したことだが、今回ルービン美術館を訪れる事になったのは、実はネチュン寺とも深い関係があるのだ!

その後、私達はダライ・ラマ法王にもお会いし、レーヒリ美術館のあるクルー渓谷に向かった。この辺りのことは『シンクロニック・ジャーニー』に詳しく記してある。それから9年、NYのレーリヒ美術館を訪れたことで、クルー渓谷にあるレーリヒ美術館(=レーリヒがそこで生涯を終えた家)は、もう中に入れなくなった事を知った。

今回のNY、レーリヒ美術館の方は意識的に訪れたのだが、ルービン美術館は様々なシンクロに導かれてNYに到着してから初めてその存在を知った所である。しかし全ては繋がっていたのだ。9年の時の輪の働きが東北楽天ゴールデンイーグルス、レーリヒ、チベット(シャンバラ)、NYをひとつにした。それも2013年銀河の同期の年、伊勢式年遷宮の完了直後に。

楽天の創設から日本一までの周期、シャンバラを求めた探検家・画家であるレーリヒのインドとNYの2つの美術館を訪れた周期、バーニーズNYの跡地に生まれたルビン美術館の周期。これら全てが、『時間の法則の20の銘板』の「9人の時間の主の領域」(2004〜2013)と完璧に同期している。この発見は、私が『20の銘板』の日本語版世話人を引き受けさせて頂いたからこそ気付けたことでもある。銀河の知性とその橋渡しをしたアグエイアス夫妻、高橋夫妻に感謝したい。

冒頭に書いた通り、今回のNY行は、911(KIN251)とも深い関係があった。Lはかつてツインタワーから間近の場所に住んでいたことがあったし(この住所も凄いことが判明したがそれについては機会を改めたい)、遷宮後初の伊勢参拝をKIN251にしたのも、かなり意識的なものだった。

また、NY行きには仙台出身の荒木先生の作品、スティール・ボール・ラン(ジョジョ第7部)の影響も少なからずあったが、今日はその荒木先生の75回目銀河の誕生日でもある。先刻ツイッターに74回目と間違えて書いてしまったが、75が正しい。これで、昨日、このNYの旅をベースにしたシンクロ旅行セミナー(仮)のための会場を取った事に合点が行く。何故なら昨日のサイ時間単位はKIN75で、そのセミナーの実施予定日もまたKIN75(G1/13)なのだ。

そして、今日がG暦で9/11の反転とも言える11/9であることも、また偶然ではない。と、自分でこの一連のことを整理して来て思うのである。旅の話とは直接関係ないが、こういう体験の背後にあるものをまとめた『霊性のアート』出版記念セミナーが、1週間後に西荻窪のほびっと村である。ほびっと村はチベット関係の繋がりも深い場。そういう場だからこそ出て来る話があると思う(自分でも予想はつかない)。

また、2週間後には、そのアートのひとつであるドリームスペルと瞑想のクラスが関西である。2013年だからこそ意味を成すということを、後から気付いて後悔したくない方は、是非、この最後のチャンスを活用して頂きたいと思う。『13の月の暦(ドリームスペル)』を使う者にとって、2013年は一度しかない最初で最後の機会なのだ。今、何かを具体的に感じられなくても、「あの時、触れておくだけでもしておけば良かった」と思う日がきっと来るだろう。

もちろん、3300部制作された『ドリームスペル』を既に持っているという方が、より深く本質を掴む機会にもなると思う。また、京都で行う瞑想は、「霊性のアート」の実効性を最も速やかに体験できる機会にもなるだろう。何しろその日は、ダライ・ラマ法王も京都におられるのだから。

追記:ルービン(ルビン)美術館が誕生した2004年10月2日からぴったり9年後(KIN232)、伊勢の内宮で式年遷宮のクライマックス「遷御の儀」が執り行われた。

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鏡と水晶のシャンバラ瞑想

2012年12月18日 21:45

律動の月6日 (G12/18)KIN204 黄色い太陽の種 (by L)

今日はKIN204。ニコライ・レーリヒの誕生キンである。レーリヒとは、シャンバラを探し求めたロシア人の画家で、「13の月の暦に替える平和の運動」にも強い影響を与えている。「何かが間違っているとしたらそれは美しくはないし、美しくないものは何かが間違っている。」美しいか美しくないか。それを道しるべに生きて来た私にとって、このレーリヒの信念は最も強く心に響く。

そのレーリヒの著書を今日は紹介しよう。「シャンバラの道」(中央アート出版) 。れは、今からざっと100年近くも前に、シャンバラを探し求めた彼の分厚い実体験を元に書かれたものだ。(彼はヒマラヤのクルー渓谷ナガールで晩年を過ごし、その地に眠る。昔、私たちが新婚旅行でその地を訪ねた時の事はDがシンクロニックジャーニーに書いた。)それにひきかえ、最近のシャンバラと名がつく本や情報の殆どは、何とふわふわしてファンシーで未成熟なのだろう。源流まで辿ることのできる古典を、何であれまずは知るべきだと思う。

shambara121212


さて、12という数字が3つ重なる2012年12月12日(13の月の暦ではKIN198/白い電気の鏡)に、Dが号令をかける天真体道瞑想クラスで、この日にちなんだスペシャルな瞑想が行われた。鏡と水晶の魔法を使ってシャンバラの意識に入り込む瞑想だ。・・・うわおーーー!!この日のメンバーは、普段からよく一緒に稽古しているOさんとKさん、そして私とDの4人。意識の場は既にできている。

稽古会場の壁一面、床から立ち上がる大きな鏡の前で、4人で半円形を描き、間隔を空けて立つ。すると鏡の前の私たちと、鏡の中の私たちとでつくられる、8人の大きくて美しい輪が出現する。(平面的な輪というよりは、感覚的にはフラーのドームのような空間ができる。)その輪の中心には、その日それぞれが持ち込んだ水晶が集められセットされる。当然水晶もダブル。(水晶=12。8×12=96=これはシャンバラの数。ちなみにこの瞑想の数日後に行われた選挙結果により、安倍晋三氏が96代目の内閣総理大臣となる予定。)

8人の輪の中に立つ時、正面(180度対角線上)に目を向けると、鏡の中に見えるのは自分ではない。これは、何とも奇妙で心もとないほどに新鮮な感覚だ。鏡のこちら側と向こう側、現実と夢の世界の境界線が、もう一気に溶けてしまうが、両方あることによってのみ出現する何かがそこに確かに感じられる。

目に見えている次元に寄り添って存在するもう一つの次元は、こんな風に合わせ鏡のようになっているが、多くの人には普段は見えない。業と徳の力が熟した人以外は行く事も見る事もできないとされる聖地シャンバラもまた、そのように存在している。ある瞬間に偶々出現したり、何かで境界線が揺らぐ時にかいま見えたりするのみだ。

しかし、不可視の領域を積極的に自分のリアリティーの中に招き入れて生きる方法はいくつもある。しかもそれは条件さえ整えば誰にでも開かれている。鏡の前でフォーメーションの一部になってみて、それをはっきりと体感した。あの瞑想の時間には「シャンバラの私たち」がやって来ていた。それはとてつもない、歓びと広がりと崇高な感覚に満ちている。
一度でもリアリティーを感じる事ができれば、あとはそこから広げて行く事ができる。

それにしても、この方法どこからやってきたの?(今まで隠してて!)とDに問うと、だってそれはインスピレーションだよ。と軽やかに笑った。さすが8×12生まれのD、さすがの天真体道瞑想クラスなのである。

369の夢の場

2011年12月06日 01:30

■倍音の月21日(G12/5)KIN86 白い銀河の世界の橋渡し(byD) 

安倍昭恵さんとのシンクロストーリーはまだ途中のままだが、そのこととも少なからず関係があるので、ちょっとワープして今日あった出来事を書いておきたいと思う。今日の午後、あんまりお天気が良いので、山積している用事をほっぽり出して、突然、青山のたまサロンで行われている柴崎るり子さんの個展に行ってみる事にした。

二子玉川で駅に向かう横断歩道で369ナンバーの車を2台目にし、青山通りから会場に向かう細い通りに入った直後に目にした車のナンバーは921(安倍晋三氏のG暦誕生日)、14(ダライラマ法王の誕生KIN)、7575。ひとつ前の記事は、まさに安倍元首相とダライ・ラマ法王についての内容だったので一人納得していたが、7575は何だろう?と思う。

前日、ナディアの「13の月の暦」クラスにLと同じ誕生日(G1/14=共振の月5日=7/5)の方が参加されていた事と関係があるのだろうか?と思いつつ会場に入ると、るり子さん(KIN39)の他に2名の方がその場にいらした。流れで暦とシンクロの話をすることになり、お二人の誕生KINを調べるとKIN53とKIN167。そのうちのお一人が1975年7月5日生まれと聞いて「なるほど」と思う。

その方々とほぼ入れ替わるようなタイミングでいらしたのは、何と枇杷葉温圧療法を同じ頃に学んでいたSさん(KIN42)。以前、ニコライ&エレナ・レーリヒ夫妻像の写真を下さっていたり、面白いタイミングでお会いする方なのだが、るり子さんとも繋がりがあったとは知らなかった。今気付いたが、会場にあった絵本(絵を柴崎さんが担当)にはゾウのエレナの物語もあった。

そのSさんが、369エッセンスというお名前で仕事をされていると言うので、ちょうど2週間前に会ったばかりの369(みるく)ちゃんというオッドアイの白ネコの写真を見せたのだが(この子については飼い主の芳美さん共々色々なシンクロがあったので別途書く予定)、思えば、出掛けに369ナンバーの車を見ていたし、昭恵さんにご登場頂いたのも『マヤのリズム』の「太陽の世界の橋渡し(369と三輪山)」という項であった。

それにるり子さんとSさんのKINナンバー(39と42)の合計は81。昭恵さんが剣山に登られた日(KIN81)とも関係があり、話は広がるのだが、これもまた別途書く予定なので、ここでは81=9×9であること、そして9×9魔方陣の縦横斜めの合計は369になることだけメモしておこう。帰り際に虹色のクッキーをお裾分けして下さった方のお名前は聞きそびれてしまったが、るり子さんSさん私の3人が「シンクロラーメン銀河亭を何かの形で発表しよう!」と夢をセットしたことは、聞き届けて下さったかと思う。

これだけ369の場が共鳴しているのには多次元的な流れがあって、そのひとつの収束ポイントが13日後にやって来る。大阪で3回目となるドリームバンクが、6/6(律動の月6日)、KIN99(33×3)に行われるのだ。開催回数と日付に既に369がコード化されているだけに、どれだけの時間魔術が働くのか私達も想像がつかないのだが、楽しくなることだけは間違いないだろう。

何しろ、これまで参加された方の中には、驚くべき早さで夢が叶ったと報告して下さった方が沢山いるのだ。例えば、長らく決まらなかった息子さんの正社員採用が参加後すぐに決まったという方や、中には、ワークショップ参加中に着信していた電話が「世界一周の旅をしたい」という夢の実現と直接リンクする内容だった方もいらした(この方は間もなく世界一周の旅に出られる)。

あまりに色々あって書く余裕が無いだけで、他にも様々な形の夢がどんどん叶っているということを、ここでお知らせしておきたい。シンクロ場もラッキー場も、そこに身を置くことで伝搬する性質があるのは、おそらく言語では表現しきれない情報だからだろう。幸いなことに「6699ドリームバンク」の扉はまだ開いている。最高潮に達しつつある369の場と2012年のビッグウェーブに乗って、夢を一気に開花させたいと思う方は、この機会を是非活用して頂きたいと思う。

追伸:天真書法塾シャンバラ教室の「新春☆書き初め大会」は、どなたでも参加できるオープンレッスン形式。参加費は何と3690円。

シャンバラ教室

2010年03月15日 03:07

太陽の月8日 (G3/14) KIN235  青い磁気の鷲 (by D)

天真書法塾シャンバラ教室は、チベット民族蜂起51周年と、Lの69回目の銀河の誕生日が重なったG3/10(KIN231)に開講した。Lが書法を学び始めたのもKIN231だったので、そこからピッタリ11スピン目というタイミングでもあった。チベット語で「自由」を意味する「ランゼン(蘭禅)」を雅号に選んだ彼女にとって、これ以上完璧なスタートは無かっただろう。
 
シャンバラとは、チベット密教の「カーラ・チャクラ・タントラ」に登場する不可視の聖地を指す言葉だが、それは、私達の活動に常にインスピレーションをもたらし続けている、調和的なバイブレーションそのものとも言える。そもそも、クリカという呼称も、シャンバラでその教えを保持し、守っている存在に対して付された名前なのだ(長くなるので、ご興味のある方は、こちらをご参照頂きたい)。
 
ところで、準備段階においては、天真書法塾クリカ教室にする予定だったのが、急遽変更になったのにも、面白い背景がある。教室開講の27日前(私達が受けた最初のカーラ・チャクラ灌頂はダライ・ラマ法王による27回目のものだった)に当たるKIN204 、同じ場所の真上の部屋で、新体道瞑想クラスがあった時の事だ(その場所でやるのは初めてだった)。身体を動かしている最中、Lに突如インスピレーションが湧いたのだ。
 
おそらく、KIN204が、シャンバラを探し求めたロシアの探検家(画家)ニコライ・レーリヒ(「13の月の暦」との関係も深い)の誕生KINだったことや、その日、遠路四国からご参加下さった方のお名前に「車(チャクラ)」という文字が含まれていたことなども、引き金になったのだとは思うが、とにかく「シャンバラ教室」ということで心は決まってしまったらしい。既にクリカ教室で届出をした後だったにも関わらず、懐の深い先生方はその変更を快く認めて下さった。

そういう流れで生まれたクラスだけに、高い志を抱いた方々があちこちから集まって下さったのだが、特筆しておきたいのは、そこにチベット人の友人二人も、自ら加わってくれたという事である。天真書法塾は、青木天外先生によって全く新しく組み上げられた稽古体系を持っているものの、その土台には中国4千年の書の歴史が厳然と横たわっている。中国に不当に国を奪われたチベットの人々が、漢人文化の精髄とも言える漢字をベースにした書法を、自ら望んで学ぶというのは、私達が想像するほど簡単な事ではないはずだ。
 
もちろん、私達を友人として信頼してくれているから、という事もあるだろう。しかし、私はそれよりも、人は互いの素晴しいところを認め合える存在であるとか、他の伝統文化にも心からの敬意を表するとか、政治システムと民衆そのものとを混同しない、というような姿勢が日ごろから徹底されているからこそ、本質を見誤らずにものごとを追求できるのではないかと思えた。それもこれも、ダライ・ラマ法王という素晴しいリーダーが、見事なお手本ぶりを、その行動と態度で示し続けているからではないだろうか。
 
いずれにしても、敬意に基づくチベットと中国の(本当の意味での)文化的交流という素晴しい未来のヴィジョンが、天真書法塾シャンバラ教室という場で既に具現化していることを、私は皆さんにお伝えしたい。シャンバラをこの世の秘境や別次元のどこかに求め、実際にそれを見てきたと語る人も中にはいる。しかし、どんなに素敵な世界を体験してきたとしても、今、この世で、実際にその人がヴィジョンを体現できなければ、それは単なる空想と何ら変わりがない。
 
それより、ささやかではあっても、チベット人が中国の文化を、あるいは中国人がチベットの文化を敬意を持って学ぶことの方が、はるかに現実的な変容をもたらすのではないだろうか。奇しくも、教室が開講したのは、「ハートの解放」という卦でコード化された第33週目の4日目。33は秘儀参入の数であり、65調波からなるツォルキンの中央の調波の数でもある。そして、4日は「ハートの解放」の週のさらに中央部だ。そうしたタイミングに、チベット民族蜂起の日が重なったのも決して偶然ではないのだろう。
 
チベットの友人達は、筆と墨で文字を書くことへの興味や、天真書法塾ならではの瞑想的な側面にも引かれて参加してくれているようだが、私には、民族蜂起以来、半世紀に渡って膠着してきたチベット中国関係が解き放たれるためのシャーマニックな動きが、今、ここで起きているように思えてならない。それを確信させるかのように、教室終了後、その二人と共に道を歩いているまさにその瞬間、1959(民族蜂起のあった年)ナンバーの車が我々の横を通り過ぎて行った。
 
さらに、その後、「アンクルサムズサンドウィッチ」で夕食をとって、店を出ようとした時にも、「ルート66」の看板が目に入って驚かされた。「チベット・ピース・マーチ」の追記にも書いた通り、『第十一の予言』というシャンバラについて書かれた本の出版記念講演が、教室開校日のピッタリ9年前の3/10(KIN66)に開催され、私はその場にもいたからだ。また、私が最初のカーラ・チャクラ灌頂を受けたのも、33才、KIN66の道筋の時であった。

ついでだから、メモのつもりで書けるだけ書いておこう。この日(KIN231)は、キチェ・マヤの伝統的なツォルキンの数え方では「1・夜」で、その数え方での私の誕生日でもあった。「13の月の暦」のLの誕生KINと、キチェの私の誕生KINが重なる日は、多分私達が生きている間では、2008年~2012年の4年の間の5回だけで、それ以前も以降も重なる事は無い(少なくとも数百年間は)。そして、それがG3/10とまで重なるのは、2010年一度きりしかないのだ。

当日参加して下さった方は、体験だった方も含め、全員が入会手続きをして継続の意思を表明して下さっていたが、KIN69のHさんだけが、翌日(3/11)、FAXで申込用紙を送って来られた。その日、私達は、大イチョウを見に鶴岡八幡宮に行き、Lは秘技おみくじ2度引きをして、その合計は何と69だった。そして、鎌倉からの帰りの電車では、坂本龍一(KIN69)のポスターが目に入った。教室開校日が69回目の銀河の誕生日だったLにとって、これら全ては祝福と見て取ることが出来るだろう。ちなみに、6と9は易における陰陽の象徴数でもある。

尚、現チベットハウス代表のラクパ氏も、誕生KINはLと同じKIN231で、何とこの3/10がちょうどカレンダーラウンドだった。もちろん、これら全てのことに、最初から気付いていた訳では無い。前日、当日、翌日と日が進むに連れ加速度的に気付きが生じたのだ。ここまでチベットと繋がってくる日付に、教室が開講したという事実。そして、そこにチベット人が参加してくれているという事実。私は、これこそが、シャンバラのヴィジョンの(ひとつの)顕現ではないかと思うのである。そして、今、ここから何かが始まっている気がするのである。

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