FC2ブログ

3人のアントニオと3つの街

2014年03月08日 00:43

太陽の月1日(G3/7)KIN128 黄色いスペクトルの星(byD)

今日は、バルセロナのサグラダファミリア教会の地下に眠るアントニオ・ガウディ(KIN128)の227回目の銀河の誕生日であり、『13の月の暦』での9番目の月の始まりである。バルセロナには2011年の9月に訪れているが、その9ヵ月後に剣の演武で訪れたプラハ(『霊性のアート』にその様子が強烈なシンクロと共に紹介されている)と、9日前に剣の演武をしたトリノとは、地図上でほぼ一直線上に並ぶ。

トリノでの「サムライと書道展」での演武は、剣武フランスのメンバーも加わった多様な構成になっていたが、私が個人的に焦点を合わせていたのは、本部の丸山&吉田両師範と3人で行う「音楽に合わせての演武」だった。会場がイタリアであることと、他の機会に一度、実験的に試みていたことなどもあって、私はジュリアーノ・カルミニョーラの『四季』(夏・第3楽章)に合わせての演武を提案した。

カルミニョーラはヴェネツィア近郊トレヴィーゾ出身のバイオリニストで、数年前にその存在を知ってから、すっかりファンになってしまったのだが、彼の演奏する『四季』には、独特の勢いと迫力があって、今回イメージしていた演武とも実にしっくり来るのだ。ちょうど、先刻、トリノの主催者が動画の一部をUPしてくれていたのでリンクを貼っておこう(3人の演武もあるが音楽は差し替えられている)。

『四季』の作曲はご存知の通りアントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)。ヴェネチアでKIN205(10・蛇)に誕生し、ウィーンでKIN206(11・橋渡し)に他界したことは既に書いたが、私がウィーンを訪れたのは、「運命の道筋」がKIN66だった33才の時。そして、私が33才になったまさにその日(2002年8月12日)に、千住真理子さんのもとに(以降離れていないという意味で)やって来たのが、およそ300年間手つかずで眠っていたとされるストラディヴァリウス・デュランティ1716(17+16=33)だ。

帰りのエールフランスのモニターが完全に故障していたこともあって、『千住家にストラディヴァリウスが来た日』は、その時に殆ど読み終えたが、ストラディの方が人を選ぶということが本当にあるのを、印象深く、そして感動を伴って味わえる一冊だった。ちなみに、私がウィーンを訪れたのは、ダライラマ法王14世による27(3×3×3)回目のカーラチャクラ灌頂をグラーツで受けるためだったが(それをきっかけにクリカはKIN66に誕生した)、今年は法王による33回目のカーラチャクラ灌頂が、カシミール地方のラダックで行われる予定である。

さて、バイオリン作りの名工アントニオ・ストラディヴァリは、トリノとヴェネチアのほぼ中間地点にあるクレモナで1644年に生まれ、同地で1737年に93才で亡くなっている。当時としては、並外れて長命だったと言えよう。そのストラディヴァリが88才の時に制作したと伝えられるのがバイヨー1732で(余談だが私の父はKIN88、母はKIN93で、私は今その合計であるKIN181の道筋を歩んでいる)、それをカルミニョーラが使うようになったのは2006年からだという。

今回使った『四季』のアルバムは、まだカルミニョーラがストラディを手にしていない頃のものだったので、その音色を耳にしてはいないが、トリノの旅を通じて、同時代に生きていたストラディヴァリヴィヴァルディが急速に迫って来たような気がして、何とも興味深かった。そして、トリノ(カルミニョーラの四季)ークレモナ(ストラディ)ーヴェネチア(ヴィヴァルディカルミニョーラ)の3つの街が、ほぼ東西に一直線に並んでいることも。

だが、冒頭に書いた通り、バルセロナ(2011)ートリノ(2014)ープラハ(2012)のラインも見逃せない(数字は訪問年)。サグラダファミリアの受難の門には、縦横斜めの合計が33になる魔方陣の彫刻がある。当然、これはキリストの受難が33才の時だったことを示すものだが、十字架から下ろされた時にその身を包んだとされるのが、トリノの聖骸布だ。聖骸布は普段公開されておらず、保管されているドゥオーモから至近のサンロレンツォ教会に、再現されたものが展示されている。
IMGP1148.jpg ※復元された聖骸布(=実際の聖骸布ではない)
3人のアントニオのうち、ガウディだけは100年以上後に生まれているが、ヴィヴァルディストラディヴァリは、生きた時代も地域も殆ど重なっているので、もしかしたら、どこかで会っていたかもしれない。トリノで最終日に耳にしたのは、欧米には白魔術の街が3つ、黒魔術の街が3つあり、唯一その両方があるのがトリノなのだという話だった。事の真偽は定かではないが、中々に面白い説だ。

最終日に訪れたスペルガ聖堂のドームには、1726年と刻まれていた。その10年前にデュランティ、6年後にバイヨーが、ストラディヴァリによって、東方200キロ弱の場所クレモナで作られていたのかと思うと、何とも感慨深かった。明日(京都は4/20)の円卓読書会(という名の最先端クラス)では、トリノと円卓の騎士や聖杯との関係についてもシェアしてみたいと思う。
IMGP1487.jpg 
また、銀河シンクロ教室(東京3/9、大阪4/19)では、13の倍数で巡る非常に不思議な時空の関係性を、ドリームバンク(東京3/23)では、時空に埋蔵されている情報を掘り出すコツについて、トリノでの体験をベースに話をしてみたいと思っている。といいつつ、さらなるシンクロが続いてコロッと忘れてしまうこともあるので、参加希望者でこのブログを読まれている方は、当日、ツッコミを入れて頂ければと思う。

その直前の春分(3/21)に、大倉山記念館の”円卓”で行われる【円卓座談会】には、江本勝氏が世界に知られるきっかけとなった水の結晶実験の影の(そして真の)立役者、佐藤誠哉氏が参加してくれるので、これまた最高に面白い内容になると思う。結晶実験において、最もエキサイティングな発見が続いた時期に、その最中に身を置いていた2人が直に語るのだから、相当マジカルな場になるのは間違いない。

尚、関西の予定はG暦週明けに本ブログで公開予定なので、今暫くお待ち頂ければと思う。
スポンサーサイト



魔術都市での「サムライと書道展」

2014年03月03日 23:57

銀河の月25日(G3/3)KIN124 黄色い共振の種(byD)

新月の夜、北イタリアのトリノから帰国した。「サムライと書道展」というイベントに参加し、天真会のメンバーと共に剣武の演武や子供達の体験書道教室等を行って来たのだが、メイン会場のホテルSANTO STEFANOの回廊には、予め送られていた書作品も展示されていて、天真書法塾塾長はじめ本部会員やシャンバラ教室生の力作を目にすることが出来た(シャンバラ教室生の作品をまとめたアルバムはこちら)。
IMGP1257.jpg ※揮毫される青木天外塾長
会期は、2/26(KIN119)〜3/10(KIN131=調波33の中心で「猿の創世記」の始まり)で、あと1週間は展示されているので、トリノ近郊(ミラノとかジェノバ等)に友人知人を持つ方が万一この記事を読まれていたら、是非、この催しについて伝えて頂ければと思う。会場は有名な「聖骸布」(磔にされた後のキリストを包んだと信じられている布)が収められているドゥオーモ(サンジョヴァンニ大聖堂)から目と鼻の先にある。

私はそのホテルの330号室に4泊(今気付いたが330×4=1320=パカルの墓の封印から長期暦完了までの期間=ツォルキンの比)したのだが、思えば、昨年の今日(3/3)は、青木先生の喜寿(77)の仮装パーティで(聖☆おにいさんの)イエスに扮していた。また、その日はKIN19だったが、今回の私の作品展示Noも19であった(会期の初日も嵐=19)。
ジーザス ※昨年のパーティにて
伊勢の式年遷宮が完了したタイミングで訪れたNY(現在メルマガで報告中)は、ジョジョ第7部スティール・ボール・ランと完全にシンクロしていたが、今回もその続きで「聖なる遺体(遺物)の収集」をして来たようなものかもしれない。トリノはかつてサルディニア王国の都でもあり、現地でも強烈なジョジョシンクロがあったが、それについては機会を改めて語るなり書くなりしようと思う。何しろ、イタリア側主催者が空条承太郎と日本語で言える位のファンだったりしたので、ひとたび書き始めたら簡単には済まないのだ。

ところで、「聖遺物の収集」作業(といっても実際に物体を集めている訳ではないので、勘違いなさらないように)は、6(3+3)年前のエジプトから始まったような気がする。カイロ博物館でセティ1世のミイラの回りを巡った時の面白い体験をメルマガに書いたことがあるが、その辺りが意識的に古代の遺物とコミュニケーションし始めた最初の頃かもしれない。もっとも、それより前に、初来日したアルタイの入れ墨ミイラと出会った時も、その時代の情報を運ぶ存在として意識してはいたが…。

トリノにはカイロ博物館に次ぐコレクションと言われるエジプト博物館があるのだが、今回は、あいにく拡張工事中で全体の半分くらいしか見られなかった。なので公平な比較は出来ないが、仮にフルオープン状態だったとして、大英博物館やメトロポリタン以上と言えるのかは、ちょっと疑問が残る。というか、エジプトで直に遺跡を見てしまうと、どんなに巨大でインパクトのあるお宝をせしめて来た博物館でも、しょぼく見えてしまうものだ。

奇しくも、ちょうど6年前の今日(3/3)はKIN14で、まさにエジプトのルクソールにいた。「王家の谷」の第14番墳墓から始まって、62番のツタンカーメンの墓まで巡った後は、ナイル東岸のカルナック神殿を参拝し、夜に列車でギザに向かっている。あの時のセティ1世やオンム・セティ(KIN241)とのシンクロにも驚愕したものだが(その一部は『マヤのリズム』にも紹介してある)、トリノでも負けず劣らず強烈なシンクロを体験して来た。

ガイドブックを開いてみれば分かるが、イタリアの中でもトリノの情報は極めて少ない。最近は、国内外問わず、その場に行ってからでもほぼ完璧な場所に導かれるので、あまり下調べはしないのだが、トリノはしようにもその資料が限られていたし、演武や体験教室がメインで、時間的余裕があるかも分からなかったので、結局、何も調べずいきなり街をブラついたりしていた。
IMGP1414.jpg ※塔よりドゥオーモ方面を望む
しかし、それでも、全ては完璧なタイミングでやって来たのだった。それも、最終日に向かって加速するかのように。最終日の朝、その日初めて会った現地ガイドが教えてくれたのは、トリノが白黒両魔術に関わる魔術都市だということ、そして、その中でも特別なパワースポットと言われる場所を、私はそうとは知らずに既に訪れていたということだった。

さらに、その後訪れた別な聖堂では、まるで演出過剰な映画のワンシーンかのような天候の急変。それは「時間の法則」が運んで来たあまりにも完璧なシンクロ現象だった。後からその関係性を発見した私は、戦慄を覚えて鳥肌が立つのを禁じ得なかった。演武に使ったヴィヴァルディの「四季」は、カルミニョーラの演奏によるものだったが、旅の直前に触れ、旅行中も関連本を読んでいたストラディヴァリウスとの関係も出て来て、どうにもまとめるのが困難な状態になってしまった。

もう少し整理がついたら(少し先になると思うが)、「運を創るシンクロ旅行術」の第2弾として、トリノ編をやってみても良いかな等と思っているが、あまりに膨大かつ壮大な流れが関与しているので、ひとまずは以下のクラスで、それぞれの時と場に適った内容(毎回違う側面を語ることになると思う)をシェアするつもりでいる。魔術都市トリノの聖なるエネルギーと繋がってみようという方は、是非「自分のタイミング」で参加してみて頂きたい。

霊性のアート円卓読書会(東京3/8、京都4/20-近日中にアナウンス予定)
銀河シンクロ教室(東京3/9、大阪4/19-近日中にアナウンス予定)
ドリームバンク(東京3/23)

4年半の時を経て届いた銀河の贈り物

2014年02月22日 22:55

銀河の月16日(G2/22)KIN115 青いスペクトルの鷲(byD)

昨日の昼、ポストを覗くと「宅配ロッカーの荷物回収のお願い」なる用紙が入っていた。マンションの宅配BOXに2/12以降放置されている荷物が、私達宛のものだという内容が管理組合の名で記されていた。といっても、こちらには思い当たる不在通知票は無く、ダイアル式の鍵は郵送物を入れる側が任意で設定するものなので、000〜999のどこで開くのかの見当もつかない。しかも、マスターキーを持っている管理人さんは午前で帰ってしまい、基本週末はいない。既に10日近く経っているだけに、そのままさらに丸2日も放置しておく気にはなれないし、トリノに出発する前に中を確認しておきたいという気持ちもある。

また、BOXに入ったとされる2/12は、『ドリームスペル』で「燃える青い西の城」、そして「時間トンネル」がスタートしたKIN105で、何とも意味ありげだ。仕方が無いので、ランチの帰り、私が001から順番に3桁の数字をひとつひとつ確認する力づくの手法を取る事にした。およそ1/4に当たる250に来るまでに3分位かかったので、最大でも10分ちょっとで何とかなるだろうと思ってさらに回す。しかしダイヤルの位置が目の高さ位にあるので、段々腕が疲れて来た。これは中々いい稽古になるじゃーないか、なんて思いながら続けて行くと、ついにパカッと開いた。

見ると455だった。ギリギリ500より手前だから、000から始めた甲斐があった訳だが(笑)、やり始めてからおよそ7分が経過していた。何となく数字で遊びたくなって455×4とやってみたら1820。マヤ暦や「13の月の暦」ではお馴染みの数が出てきて、一人興奮する。1820=260×7=364×5で、260日暦と365日暦がほぼ同期する(実際には5日ズレる)5年弱の周期を示すからだ。

それはさておき、荷を見るとL宛の小さな包み(ハガキサイズの封筒が膨らんだ感じ)だったので、私は帰宅すると、そのままLの机の上に置いておいた。用事を終えて戻ったLが、「何これ!何なの!?」と妙な反応をしている。私は全然気にしていなかったのだが、よく見ると消印シールが変色していて、その日付は何と2009年7月17日!開封してみると、確かにその頃注文した小さな手作りの木製ウミガメ(ホヌ)が入っていた。同封の納品書にも09年7月17日の日付が入っている。
ホヌ 
思えばその頃、この品に関してLがハワイのウッド製品を扱われているMさんとやりとりしていたのを思い出す。注文した品が届かないことを問い合わせると、Mさんは「○○日に確かに送っています」とのことで、その後、郵便局にも確認するなど手を尽くして下さったのだが、結局、出て来ずじまいで、迷宮入りとなった。もともと、LとMさんとは直接面識があり、信頼出来る方なので、送って下さったことには何の疑いも持っていなかったが、消えてしまったカメ達がちょうど最後のロットで、ハワイにも在庫が無く、もう入って来ない製品だということで、Mさんは商品代金を返金して下さっただけでなく、お詫びにとホヌの鍋敷きまで送って下さったのだった(これは今も我家で活躍している)。

そんな経緯のあった品が、およそ4年半もの時を経て、「今」というタイミングに届くのだから驚かざるを得ない。一体、このカメ達は、この間どこを彷徨っていたのだろうか。ちょうどその夜、青木先生(新体道創始者、天真書法塾塾長、剣武天真流宗家)の誕生パーティが行われるというタイミングでやって来たのだから、「これは先生にお届けすべきものだろう」ということになった。といっても、小さなウミガメ(ホヌ)の置物が1つという、ささやかな上にもささやかな贈り物だったが、先生はこの物語と共にやって来たカメを、ことのほか喜んで下さった。

カメは『13の月の暦』で13番目の「宇宙の月」のトーテムアニマルであり、ある意味13の象徴でもある。先生の実際の誕生日は今日2/22で、今日から26才の時と同じ反対のパートナーの道筋(11・鷲)に入られた(つまり78才になられた)。78(=13×6)はパカルの特別な数字として知られるが、そのタイミングでホクレアアルクトゥルス)の島ハワイからやって来たホヌの数は、実際には32(26+6)であった(ホクレアはハワイ語で「喜びの星」の意)。そもそも、『ドリームスペル』が生まれたのも、アグエイアス夫妻がマウイ島に住んでいた時だった。

ここまでだけでも、十分アンビリーバブルな展開だが、納品書の伝票番号249は、さらに私を驚愕させた。何故なら、直前の記事に書いた通りストラディバリウス「デュランティ1716」を捧げられたローマ教皇クレメンス14世は、249代目の教皇だったからだ。そしてデュランティは約300年の間、誰にも一度も演奏されること無く眠っていた特別なストラディバリウスなのだ。それはチベット仏教におけるテルマ(埋蔵経典)のようでもある。このハワイ生まれの手作りホヌも、「然るべき時」が来るまで、どこかで埋蔵されていたのだろうか。

ところで、2009年7月17日はKIN255(青い銀河の鷲)で、直近のKIN255は、何と私達がNYに到着しレーリヒ美術館を訪れた2013年10月25日であった。その場面を、4日前に配信したメルマガに書いたばかりだったので驚きは増すばかり。しかも7/17は、そのNYシンクロジャーニーの要となる住所にも対応するのだ(それについては、次号のメルマガで触れられると思う)。では、32匹のホヌ達が泳いでいた4年半の時間は、正確には何日だったのだろうか?KIN255から昨日のKIN114まで5+114=119。これに260×6=1560日が加わると1679日だ(ドリームスペルのツォルキンでカウントしていてG暦閏日を無視しているので厳密には1680日)。

私はこの1679という数字にも驚かざるを得なかった。何故なら、それは直前に調べていたアントニオ・ヴィヴァルディの誕生年に近く、アントニオ・ストラディバリウス(1644-1737)の生きた時代にも重なるからだ。Wikiによれば、ヴィヴァルディは1678年3月4日(KIN205)にヴェネチアで生まれ、1741年7月28日(KIN206)にウィーンで亡くなっている。生命の現れとも読める「10・蛇」に生まれ、死への解放とも読める「11・橋渡し」に亡くなっていることも驚きだが、ひとつ前に書いたオーストリアのシンクロも考えると、何か色々なことが重なり合っているように思えてならない。

先のMさんのご住所の郵便番号の下二桁は、ホヌの数とシンクロする32なのだが、銀河の超魔術の亀の日に届いたダマヌール(13人の夢から生まれた事は1つ前の記事に書いた通り)のニューズレターも32号。そして、実はヴィヴァルディを調べるきっかけとなった、カルミニョーラが使うストラディバリウスも「バイヨー1732」で、17日に32個送付というのとシンクロしていた。そして、カルミニョーラの手元にその「バイヨー1732」がやって来たのは、トリノで冬期オリンピックが行われた2006年の末だったことが、今、分かった。

カルミニョーラと言えばヴィヴァルディの「四季」。それが明日からのトリノでどう繋がって来るのかは、ご想像にお任せするが、今日、イタリアでは、史上最年少のレンツィ新首相が率いる新内閣が発足した。閣僚16人の平均年齢も過去最も若く、その半数を女性が占めるのも初めてとのこと。1975年1月11日(白い銀河の鏡)生まれのレンツィ首相は、今、「赤い銀河の空歩く者(KIN73)」の道筋に入ったばかり。銀河の年の銀河の月に銀河の首相が生まれたばかりのイタリアに行く事になるとは、何だが面白い事になってきた。

さあ、今から荷造りに励むとしようか。

※この記事が717番目になったのは偶然が重なってのことだが(1個中身のない記事があって本来716になるのが717になった)、これも含め偶然ではないと思えてしまう日々である。

最近の記事