サンタ・クローチェ教会の衝撃

2017年10月21日 01:37

■自己存在の月3日(G10/20)KIN150 白い共振の犬(by D)

今朝、Lが起き抜けにスマホで見た最初の記事は、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会であった事故についてのものだった。フィレンツェ関係のFBページをフォローしている関係でトップに出て来たらしいのだが、もし、それがなかったら、気付くのはもっと後になっていただろう。以下、ネットニュースにも上がっていたリンク先の記事から要点を抜粋してみる。

”フィレンツェにある有名な観光地のサンタ・クローチェ聖堂で19日、天井から石が落下し、石の破片に当たったスペイン人の観光客が死亡した。地元紙によると、死亡したのはスペイン・バルセロナ出身の52歳の男性だという。(中略)同聖堂には、芸術家のミケランジェロや天文学者ガリレオ、哲学者のマキャベリが埋葬されている。”

19日という事は、KIN149(6・月)の出来事。これだけでも、私にはインパクトがあり過ぎる出来事なのに、スペイン、それもバルセロナからの52歳の方が「石の破片」に当たって死亡というのは、「一体どういう流れなんだ!?」と問わずには居られない話だった。

あまりに色々な繋がりがあって、現時点では意味がつかめないので、以下、時系列に事実だけを記しておく事にする。これが「分からない時」の常套手段であり、そのおかげで私は、大きな物語の展開が段々と見るようになって来たからである。

サンタクローチェ ★最初の訪問時(KIN257)に撮影した写真

1999.4.12(KIN149)、『マヤン・ファクター』(VOICE刊)監訳者の滝元さん(KIN190)と共に、パレンケ「碑銘の神殿」に登り『テレクトノン』をプレイ。墓室に入って石棺(蓋には十字架がある)を目にした他、「十字の神殿」にも登る。

2011.9.2(KIN252)、バルセロナのサグラダ・ファミリアを訪れ、縦横斜めの合計が33になる魔法陣のレリーフがある「受難の門」に登る。この時の旅で、3回サグラダ・ファミリアに入場する(KIN251,252,255)。

2016.9.2(KIN257)、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会を初めて訪れる。剣武天真流の稽古開始からぴったり10銀河スピン(2600キン)、サグラダ・ファミリアの「受難の門」に登ってからぴったり5年。

2016.10.13(KIN38)、天真書法塾シャンバラ教室のOさんからの情報で、世田谷美術館に「パカル王の石棺拓本」を観に行く。この拓本が世田谷美術館の収蔵品であると同時に、常設展示されている訳ではない事を知る。メキシコ政府の依頼で拓本を取ったのは利根山光人氏(KIN179〜KIN146/差33)。

2017.2.1(KIN149)、パレンケから25銀河スピン。エテルニータでランチをした後、二子玉川の図書館カウンターで、偶然、世田谷美術館で行われる「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会」講座のチラシを目にする。前年のKIN20(サイ時間KIN58)に他界した道友O君のご親族から数ヶ月の時を経て、この日にメッセージが入る。

2017.3.3(KIN179)、利根山氏の誕生KINに世田谷美術館で行われた美術講座「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂壁画の修復」に参加。朝、Lが道友O君の夢を見る。私達が二子玉川のフィレンツェと呼んでいるトラットリア・エテルニータのオープン(2005.2.23=KIN211)が、自分達の引っ越し(2004.6.8)からぴったり1スピン後のKIN211だったと知る。

2017.5.30(KIN7)、フィレンツェを再訪しサンタ・クローチェ教会にも2度目の訪問。前回から270(260+10)日後。3/3の講座時に講師の宮下先生と記念撮影させて頂いた事で、先生がフレスコ画の修復に関わられた教会正面奥の内陣に、特別に入れて頂ける事になった。

2017.10.15(KIN145)、Lが世田谷美術館区民ギャラリーの抽選でシャンバラの数96を引く。天真書法塾シャンバラ教室発表会が2018年初夏(KIN141〜KIN144)に決定。伊勢神宮で黒田清子祭主(KIN125)による初めての神嘗祭が始まる。サイ時間はKIN218(パカルの石棺発見日とシンクロ)。

2017.10.19(KIN149)、パレンケ訪問から260日暦が26回巡った日。O君の明晰夢を見て、夢の中で特殊な時間感覚を味わう。エテルニータでランチ。某国のPANと美術館から連絡あり。そしてこの日、サンタ・クローチェで事故があった(この時点では知らず)。

2017.10.20(KIN150)、サンタ・クローチェ教会に関するニュースをランチの時にスマホで再確認し、その後、所用を済ませて歩いていると、エテルニータのオーナー五十嵐さんに街中で声を掛けられる。サイ時間はKIN50。

サンタクローチェ内部 ★2度目の訪問時(KIN7)に撮影した内部の写真

以上、ザッと整理してみたが、パレンケと世田谷美術館とサンタ・クローチェ教会、さらには道友O君やサグラダ・ファミリア(バルセロナ)、エテルニータまでもが密接に絡んでいるのが見て取れるだろう。フィレンツェ初訪問からまだ1年ちょっと、まさか1年以内に2度も訪れるとは思っていなかったが、2度目の訪問から半年も経っていないタイミングでの今回の事故の衝撃は、世田谷美術館での講座のテーマがサンタ・クローチェだった事もあって、非常に大きい。

歴史上のマヤ(アステカ)とスペインの関係、「13の月の暦」でも「マヤ暦」でも52才がカレンダー・ラウンドに当たる事などを考えると、他にも様々な思いが浮かぶが、まずは亡くなられた方の安らかな眠りを祈りたい。

最後に、上記メモとリンクする記事を以下に添付しておく。
パカル王からの呼びかけー日本とメキシコを繋ぐ「時の魔法」
聖十字架物語と二子玉のフィレンツェ
10連続GAPの神嘗祭とシャンバラ数96

聖十字架物語と二子玉のフィレンツェ

2017年03月04日 22:34

銀河の月26日(G3/4)KIN180 黄色いスペクトルの太陽(by D)

昨日、G3/3は、ルクソールの「王家の谷」でツタンカーメンのミイラと対面した日(KIN14)からぴったり9(3×3)年目に当たる日だった(『マヤのリズム』P154〜参照)。その日が、エジプト考古学者・吉村作治氏の104(52×2)回目の銀河の誕生日(KIN179)と重なっていたのだから、私達にとって面白い日になるのは、最初から決まっているようなものであった。

午後に世田谷美術館で行われた「美術講座」の内容は、「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂壁画の修復」。「世田谷美術館友の会」が主催するこの講座の事を知ったは、開催日(昨日)のぴったり30日前で、全くの偶然だった。その経緯から少しずつ整理してみたい。
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昨年9月、美しいシンクロニシティに導かれてフィレンツェ、ピサ、ローマを訪れたことは、現在メルマガに連載中の「 ルネサンスの都へ」に書いている通りで、その中でも特に驚いたシンクロについては、「ダヴィンチ・フィレンツェ・チブレオ・モリコーネ」という記事にまとめた通りである。

イタリアから戻ってすぐの10月から、Eテレで「旅するイタリア語」の放映が始まった。その何度目かに、漫画家のヤマザキマリさんが登場して、マザッチオの解説をしたことがあったのだが、その切り口にLが痛く共感したらしく、以降、彼女のエッセーを連発で図書館から借りて来るようになった。

KIN149(G2/1)、二子玉のフィレンツェと私達が呼ぶ行きつけの店「エテルニータ」でランチをした後、Lがライズにある図書館出張所にヤマザキさんの本を返しに行くというので、その場で同行する事にした。普段ならランチ後は各々の用事に向けて解散する流れになるのだが、何故かその日はぶらぶらしたい気分で、借りまくった本を抱えているLを助ける訳でもなく(笑)、ただ散歩がてら付いて行ったのだった。

Lがカウンターで手続きをしている間、入口付近でボーっとしていたら、次の返却者が入って来た。人が集中する事があまりない窓口は狭く、居場所に困って奥のスペースに移動しつつふと振り返ると、チラシコーナーで「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会」というタイトルが目に飛び込んで来た。サンタクローチェ教会に日本人が関わっているというだけで驚きだったが、宮下孝晴氏という講師の略歴を見ると、何と学芸大卒(先輩に当たる)でイタリアに11年在住、さらに金沢大の名誉教授とある。

昨年5月下旬に、ピサから剣武天真流の合宿(石川県志賀町)にやって来たニコロとジュリアーノが、「YOUは何しに日本へ?」の取材を受け(参考ブログ)、それが7月に放映され、9月に彼らにピサで再会した事はメルマガに書いた通りだが、合宿時に彼らと最初に顔を合わせたのは金沢駅構内だったのだから、これはキテる。しかも、昨年の5月には数年後にという話だったピサ(ヴィコピサーノ)での剣武合宿が今年に決まり、5月に再びピサとフィレンツェを訪れる流れになっているのだ。

加えて、そのチラシを目にしたKIN149は、パレンケの「碑銘の神殿」で『テレクトノン』をプレイし、パカル王の石棺を直に目にした日からツォルキン(260日暦)が25回巡ったタイミング(『13の月の暦』の数え方で)であり、世田谷美術館には、利根山光人氏による「パカル王石棺の実物大拓本」が保管されているのである。その拓本の存在を知った経緯は「パカル王からの呼びかけ」にまとめてあるが、今、それを再読して驚いたのは、「旅するイタリア語」が始まったのと同じ昨年10月にその拓本を目にした時、利根山氏の誕生キン(KIN179)も調べていて、それが世田谷美術館での講座開催日と完全にシンクロしていた事だ。

図書館窓口に私が同行していなければ、そしてその瞬間、次の返却者が窓口を訪れていなかったら、私はもちろんLも「美術講座」のチラシを目にする事は無かっただろう(そういう場所に置いてあったのだ)。当然、そんな貴重な機会がある事も知らずに、今日という日を迎えていたに違い無い。こうした「呼ばれてる」状態の時は、予定も必ず空いているもので、G3/3(KIN179)に参加可能だと判明するや、即、(Lが)往復はがきでの申込みを済ませたのだった。

そして昨日、宮下先生による講演「フィレンツェのサンタ・クローチェ教会 大礼拝堂壁画の修復」を聴講してきた訳である。会場入口で配られた絵はがき(嬉しいプレゼント)は、ルネサンス萌芽期の少し前に活躍したアーニョロ・ガッディによるフレスコ画で、会場のプロジェクターにも同じ絵が映し出されていた。思いがけない寄付(2億円!)から始まったという先生の修復プロジェクトのお話は、修復対象となったフレスコ壁画『聖十字架物語』の内容にも劣らぬ面白さで、一気に引き込まれてしまった。
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「前例が無い事はやらない主義」の官僚機構や、視聴者受けばかり狙う番組制作者達との仕事の進め方、怠けがちなイタリア人に期日を守らせる方法、修復先の選び方など、話の内容だけでなくその切り口にも、先生の魅力的な生き様が反映されていて、どうりで私達のアンテナが反応するはずだと深く納得。もちろん、フレスコ画の具体的技法や修復についての諸々(特に文化財保存に対する倫理)も大変勉強になった。金沢大学のサイトにもほぼ同内容のものが掲載されているので、美術史や文化財、そしてフィレンツェに関心のある方は、是非ご覧になる事をおすすめしたい。

1999年のNHKテレビ人間講座に出演されていた頃からのファンの方も参加されていた中、30日前に先生の存在を知ったばかりの私達は、全くの新参者であったが、諸々のシンクロに感じる所があり、終了後ずうずうしくも先生に御礼をお伝えしつつ、記念撮影をお願いした。講演中に「金沢大と宮下の名前を出せば壁画の間近まで入れてもらえる」とおっしゃっていたので、「写真があればもっと話が早いだろう」という魂胆だったが、ご快諾下さったばかりか、学芸大時代は書道科だったというお話も聞けて、ますますご縁を感じてしまった。
宮下先生 
先にサンタクローチェ教会を訪れた時に、『聖十字架物語』の壁画は目にしていて、写真にも収めていたが、まさかその修復に日本人が関わっていたとは思っていなかったし、物語の背景も制作者も知らなかったので、サーっと通り過ぎていた(他にも見どころが沢山あるので)。今回、このタイミングで宮下先生からお話を聞けたことで、俄然興味が湧いたので、5月に再訪する時は、先生との写真を印籠に、じっくりと『聖十字架物語』を見直してみたいと思う。

それにしても、一連の出来事と『13の月の暦』情報とのシンクロ率は異常に高く、シンクロが常態化している私が、久々に戦慄を覚えるレベル。何しろ、世田谷美術館に「パカル王の石棺拓本」が保管されているのを知ったのは、まだ数ヶ月前の話。金沢大学とサンタクローチェ教会、国立フィレンツェ修復研究所との国際共同プロジェクトの合意書が調印されたのは2004年6月(まさに私達が二子玉川に住み始めたタイミング)で、そこから2013年までの9年間(修復作業自体は2011年6月までの6年)、そのプロジェクトを統括されていたのが宮下先生なのだ。

この2004〜2013年の9年間は、『時間の法則の20の銘板』(以下『20の銘板』)の「9人の時間の主の領域」に対応し、この「9人の主」とは、「碑銘の神殿」のパカル王の墓室のレリーフに由来するものでもあるからだ。しかも、「16年間のテレクトノン」というサブタイトルを持つ『20の銘板』は、パカルの石棺レリーフの十字架とリンクした「木の道」というより糸から始まる。一方、サンタクローチェの『聖十字架物語』の主人公は「木」で、新約・旧約両聖書をクロスする、大変興味深い内容である(マリアやキリストは直接的には登場しない)。

確かに「十字架」は、世界で普遍的に見られモチーフの一つではあるが、ここまでの一致度は『20の銘板』日本語版の制作世話人をしていた私には、ちょっとゾッとするものがある。例えば、私が宮下先生の講演を聞く場所は、別に世田谷美術館で無くても良い訳だし、パカルの石棺拓本がその美術館に保管されているのを知るタイミングだって、もっと前でももっと後でも良かったはずだ。しかし、そのタイミングは全て、私にとっての最初のフィレンツェ訪問から次のフィレンツェ訪問までの間(ほぼぴったり260日間の期間)に生じたのだ。

さらに話は昨夜の晩餐にも繋がる。店内にフィレンツェの旗を掲げる程フィレンツェが大好きな五十嵐さんのお店「エテルニータ」が、3月一杯「12周年記念マリアージュコース」をやっていると知ったので、サンタクローチェ教会の講演を聞いた晩は、エテルニータの12周年と、シャンバラ教室の7周年(G3/10で)を祝して、そのコースを頂こうと決めていたのだ。
いわし ワイン 
それで、実際に何時がエテルニータのオープン日だったのかを改めて確認してみると、2005年2月23日(KIN211)と判明。私達が二子玉川に越して来た2004年6月8日(KIN211)からぴったり260日後がオープン日だった事を、12年通って初めて知った。何故その日にしたのかの理由がまた素晴しく、やはり私達が共鳴できる人々というのは、押さえ所が似ているのだなと思ったが、KIN211と言えば、私よりぴったり30日前に生まれ、ハーモニック・コンバージェンス(1987年)の直後に他界したホゼの息子ジョッシュの誕生キン。

そのジョッシュに捧げられた本『時空のサーファー』を通じて、21年前にマヤの暦世界(マヤ暦そのものではない)に入った私にしてみれば、美術講座開催のぴったり30日前、パレンケと繋がる特別なタイミングにその情報を知った事も無関係とは思えなくなる。それに直近のKIN211は2016年7月18日で、その日は、シネスイッチ銀座で『ウフィツィ美術館』という映画を観ているのだ。

冒頭に紹介した『マヤのリズム』は、引っ越し7周年の2011年6月8日(KIN166)に発刊されたもので(ちょうどこの頃サンタクローチェ壁画の修復が完了した模様)、その260日後が皇太子さま(KIN166)の52才、つまり『13の月の暦』でのカレンダーラウンドであり、「エテルニータ」7周年だった訳だ。ここまで書いて来て、やっと全ての繋がりが明らかになった。ちなみに発刊日をその日にしたのは、編集者の天野照久氏の誕生日であり、その260日前が安倍首相の誕生日、その260日後が皇太子さまの誕生日と知っていたからである(本書には安倍昭恵さんから私宛に届いたメールも掲載している)。
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この『マヤのリズム』の「エジプトからの呼びかけ」という節に、9年前の3/3(KIN14)、ツタンカーメンのミイラに出会った事が書いてあるのだが、その日の晩、私達はルクソールからギザに向かって鉄道で移動をしている。そこからさらに52年前の3/3(KIN14)、3000年前の前世記憶を持っていた女性考古学者オンム・セティがカイロからルクソールへと列車で移動した事が、彼女の生涯を描いた作品『転生ー古代エジプトから甦った女考古学者』に書かれているのだ。

この本との出会いも奇跡的であったが、本書によれば彼女の誕生キンは私と同じKIN241であり、発刊日は私達の結婚記念キンであるKIN171である。そして、皇太子さまと「エテルニータ」という店の、今年の「運命の道筋」は、9日前、そのKIN171になったばかりである。

「エテルニータ」はイタリア語で「永遠」の意味。コード番号14の「白い魔法使い」のキーワードは「永遠」であり、『マヤのリズム』にエジプトの話が書いてあるページは154(11・魔法使い)から。「王家の谷」で最初に入ったのがKV14だった事もそこには書いてある。まだまだいくらでもあるが(*)、いい加減、この辺りまでにしておこう…と思ったら、来週の『世界ふしぎ発見』はギザのピラミッドらしいので、ここまでメモしておしまい(笑)。


*こういう体験をもたらし、同時に体験するのが「時のからだ」と私が名付けたで「からだ」であり、それを思いきり活性化させる場が「時のからだ塾」である。

*自分用メモ。『前世への冒険』のアルベルティとデジデリオ。アルベルティ礼拝堂。トリノ五輪と「サムライとトリノ展」

パカル王からの呼びかけー日本とメキシコを繋ぐ「時の魔法」

2016年10月15日 23:36

電気の月26日(G10/15)KIN40 黄色い磁気の太陽(by D)

天真書法塾の道友にMさん(KIN38)という方がいる。もともと『13の月の暦』を通じて知りあったのだが、数年前にLの個展にいらして下さった後くらいに、本部クラスに入塾された。私達とはクラスが違うので、普段、顔を合わせることは無いのだが、10/10(KIN35)、天真会のメーリングリストにとても興味深い投稿をされていた。

NHK BS1で放映された特集番組「チャスラフスカ もう一つの肖像 ~知られざる激動の人生」を見ていて、青木天外塾長(KIN245)の書が、チャスラフスカさんの自室に飾られていたのを目にしたという内容だった。ベラ・チャスラフスカさんは、その優美な演技により東京五輪の名花と讃えられ、メキシコ五輪と合わせて女子体操で2度総合優勝し、計7個の金メダルを獲得したチェコ代表の体操選手。
希望 
2012年に書の展示と剣の演武でチェコを訪れた事と、その時にチャスラフスカさんにお会いした事は、『霊性のアート』に、彼女の誕生キンがKIN165で、チェコ訪問時の青木先生の道筋(KIN165)と完全にシンクロしていた事と共に記しているが、今年の夏(8/30)に彼女が癌で亡くなっていた事は、Mさんの投稿によって初めて知った。
先生と 
民主化運動を支持していた関係で、共産主義政権下で非常に困難な人生を歩み続け、更に、離婚した夫が次男とのトラブルの末に死亡するという事件などもあって、長い間うつ状態であったとも言われている。共産党体制崩壊後は、ハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任し、後チェコオリンピック委員会の総裁も務められていたが、直接お会いしてみて分かったのは、何より人として素晴らしい方だという事。やはり、その人の生き様というのは、存在感に現れるものなのだ。
ベナトキ 
上記のような背景から、青木先生は激励の意味も込めて、日本語とチェコ語で「希望」と書いて贈ろうとされていたのだが、チェコ訪問時には法的にそれが叶わないという事情があって、諦めていたとのこと。そんな訳で、チャスラフスカさんがその書を自室に飾っていた事は、今回のMさんからの報告があるまで全くご存知なかったというのだから、人の機縁とは不思議なものである。
大 
Lが主宰しているシャンバラ教室は、その天真書法塾の支部教室に当たり、私も瞑想体操の指導で関わっているのだが、チャスラフスカさんの話を知る1週間ほど前、教室生のOさんが、世田谷美術館利根山光人による拓本「パカル王の石棺」が展示されている事を教えて下さった。以前、ジュエリーデザイナーの北村公晴さん(KIN10)に、雑誌に掲載された赤い拓本を見せていただいた事がある(「7つの世代の書」とカミーノ)ので、現物があるなら見ておきたいと思ったし、《時の魔法・ドリームスペル展》前なので、タイミング的にも完璧だ。

今回は10/23までの展示との事なので、それまでにと思っていたら、KIN37(G10/12)のシャンバラ教室で、今度はIさんから「パカルの拓本」を見たと、興奮気味に教えられた。OさんもIさんも、実は企画展の「志村ふくみ展」を見に行っていて、拓本の方は思いがけず目にしたとの事だったが、Oさんは『テレクトノン』における唯一の「パカルの特別な数字」(石棺の縁の日付と関連)であるKIN78だし、Iさんはパレンケの「赤の女王」(「碑銘の神殿」の隣のピラミッドに埋葬されていた)と結びつけられるKIN185(ホゼの最後のパートナーだったステファニーのKINでもある)。

もともと、KIN38(冒頭のMさんの誕生KINだ)に訪れるつもりでいたところに、この2人から話を聞いたことで、私はパカル(&ホゼ)が「早く来い」と使者をよこしたかのように思えた。実は世田谷区民になって12年、何と世田谷美術館は初体験。最初に「志村ふくみー母衣(ぼろ)への回帰」で絹糸の色と織の美しさを堪能し、それから2Fで行われていた「神々の森」へ。

そこに待ち受けていた「パカル王の石棺拓本」は、思っていた以上の大きさと迫力があった(色が赤ではなく墨色だったのもちょっとした驚きだった)。他にボナンパクとチチェン・イツァ(のジャガーと鷲)、そしてパレンケ十字の神殿の拓本があったが、やはりパカルの拓本が圧倒的だった。私もLも、現地で実物を目にしているのだが、墓室の中で水平に置かれた石板を見るのと、その拓本を縦向きに軸装したのとでは印象が全く異なる。拓本だと細かいデザインもはっきり見えて、マヤ文明が最も洗練されていた頃の芸術とそのエネルギーを、じっくりと味わう事が出来た。

それにしても、利根山氏の事を最初に教えて下さったのがKIN10の北村さんだったのは、何とも興味深い。何故なら、前日配信した最新のメルマガ(vol.64)では、KIN10の荒木氏と台風10号の事を書いていたからだ。美術館からの帰り道、10-10ナンバーの車と11ナンバーの車をそれぞれ2,3度見てしまったのは、単に自分がその数に注目していたからなのだろうか(後から考えるとG10/10もリンクしていたように思える)。

このパカル王石棺の拓本が世田谷美術館の所蔵だと言う事は、今回の展示を通じて初めて知ったが、昨年、この美術館に至近の病院に11日間も入院する事になったのも、もしかしたら何か関係があったのかもしれない。何故なら、パカルはパレンケ王朝11代目の王で、KIN11のホゼはそのパカルの声を聞いて『ドリームスペル』を生み出したからだ。ちなみに、KIN11は「銀河の音」も「紋章コードNo」も11である。

気になって利根山氏の誕生キンも調べると、KIN179(10・嵐)で生まれKIN146(3・橋渡し)で死んでいる。メルマガでは、KIN186(4・橋渡し)で生まれKIN219(11・嵐)で死んだダヴィンチの事を書いたが、どちらも生死の間が33キンであり、嵐ー橋渡し、橋渡しー嵐という反転の関係になっている。従って、どちらも「銀河の音」の差は「7」で、「紋章コードNo」の差は「13」である。そして、パカルの石棺には「3つ玉」のデザインを11見出す事ができる。

利根山光人は、茨城に生まれ、メキシコを題材とした作品を多く残し「太陽の画家」と呼ばれたらしいが、晩年は岩手の北上で過ごして、「鬼剣舞」を題材にした作品も製作されていたようである。私が鬼剣舞について知ったのは、宮沢賢治(KIN131)を通じて、昨年の自分の誕生日直前になってから(鎌倉みちのく魔術紀行(2))。誕生日当日(KIN131)は、江ノ島、鎌倉をウェイブスペル回りに巡る魔術的小旅行を実施したのだが、その時、遥かな空間を越えてシンクロした人物と、今日、久しぶりにお会い出来たのも不思議な縁である。

また、志村ふくみさんがKIN245(11・蛇)と分かったのも、大いなる驚きだった。何故なら、青木先生と同じ誕生キンであり、青木先生が開かれた天真書法塾の縁で、今回、チャスラフスカさんやパカル王の拓本との繋がりも発見されたからだ。この流れをきっかけに1964年の東京五輪を調べたら、何とMさんが天真会MLに投稿した10/10(KIN35)のピッタリ52年前の10/10(KIN35)〜10/24(KIN49=7×7)が開催期間だったと判明。つまり、今と全く同じ周期(365日暦も260日暦も)の52年前に、チャスラフスカさんは東京五輪で活躍していたのだ。

この流れは全て、2週間後に渋谷で行われる《時の魔法・ドリームスペル展》と密接にリンクしている。展示予定のホゼのコラージュ作品には、当然「パカル王の石棺」が含まれているし、会場最寄り(徒歩5分)の渋谷駅には、岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」が設置されている。この作品は、もともとメキシコ五輪とリンクして制作されたものであるだけでなく、太郎が以下のような意図を込めたものなのだ。「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く―といった気持ちを表現した」。
時の魔法展 
ドリームスペル展は、広島原爆投下(KIN55)から『13の月の暦』のツォルキン(260日暦)が100回巡ったタイミングに開かれる。それは、単にホゼの作品を公開するだけの場ではなく、同じKIN55に、ホゼとロイディーンによって呼びかけられた平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」、あるいは「明日の神話」の意図とも重なる「災いの反転と、調和的未来への祈り」が込められた「時の魔法」の実践的な行為でもあるのだ。
ホゼ作品 
そして、このタイミングにチャスラフスカさんに焦点が当たった事も、おそらく深いレベルで関係しているのだと、私は考えている。何故なら、彼女が合計7つもの金メダルを手にしたのは、東京五輪とそれに続くメキシコ五輪での事だったからだ。利根山光人が拓本を取ったパレンケ遺跡はメキシコにあり、「明日の神話」はメキシコで数奇な運命を辿って東京渋谷に戻って来た。その作者、岡本太郎は、多摩川の対岸、我が家から数百mのところで生まれている。

以上、何とかここ数日の間に生じた出来事を整理してみたが、今日、ある方から10/10(KIN35)にご家族が他界されたという連絡があった。80才というその年齢は、まさにパカル王の生涯と重なる。そして「電気の月26日」のサイ時間単位はKIN218(10・鏡)。1952年6月15日に「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された、まさにその日に対応する。この一連の流れを「パカル王からの呼びかけ」と感じた方は、2週間後、渋谷でお会いする事になっている方であろう。

*KIN38のMさんが広島出身だったと気づいて、また驚かされた

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