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瞑想と稽古の力〜断食中の気付きメモ

2017年07月20日 01:23

宇宙の月23日(G7/19)KIN57 赤い倍音の地球(by D)

昨日まで1週間、基本「水だけ」(少々例外あり)の断食を続けていた。我が家では、グレゴリオ暦の年末年始に3日間の断食(酵素飲料等あり)をするようになって10年余り、「13の月の暦」の年末年始に1週間ほどの断食をするようになって3年目で、ある種、年末年始の恒例行事となっている。

目的は心身をスッキリさせることであり、実際にその効果を体感しているから続けているだけで、いわゆる苦行的な感覚は無い。初期の3日断食については、故・甲田光雄先生の著書などを参考に色々と工夫して来たが、水だけ断食については、我らが師・青木宏之先生が教えて下さった方法と、その方法をベースにおそらく最も経験を積んでいると思われる道友の一人・木村悟郎さんのやり方を参考にさせて頂いている。

本来、断食は経験豊かな指導者の下で注意深く行うべきものだが、実験精神の強い私たちは、要点は守りつつも色々と試したくなるタチなので、自己責任で毎回ちょっとずつアレンジしながら臨んでいる。そのまま他者にはお薦め出来ないのと、今回は断食状態での稽古と瞑想についてのメモが主目的なので、細かいやり方は省略させていただく事にする。

1週間の断食となると、復食にも同じかその1.5倍くらいの期間を設ける必要があるので、前後の予定を調整する必要が出て来る。会社勤めの方などに比べれば、かなり時間に自由が効く私たちでも、何も予定を入れない訳には行かない。諸々の条件から、今回は4日目、5日目に剣武の本部稽古が入る形になったが、これは「断食状態で稽古してみたい」という私の希望にもマッチしたものだった。

過去にも1度、断食中か復食中に稽古をした経験はあったが、何とかなった記憶があったのと、4日目くらいだと、かえって「抜け感」(力みその他の)があって良いのではないかという思いもあった。とはいえ、号令を掛ける立場でもある私の責任は軽いものではない。腑抜けた号令をかける訳には行かないので、4日目に当たっていた7/15(KIN53)も、朝、天真柔操、天真五相などを一通り行ってまず自分を整えた。

しかし、もともと貧血気味の私は、大抵3日目位になると手が冷たくなって痺れ始め、急に立つと立ちくらみしたりするようになる。特に起き抜けの時間帯はそれが顕著で、その日も、一連の体操後、シャワーを浴びて着替えていると、何となく視野が白っぽくチカチカする。スマホの画面を見ると、何と、画面全体が白っぽく光っているようで全く文字が読めない。座って呼吸を深めにしていたら徐々に戻って来たが、数時間後に控えた剣武の稽古までに何とかせねばと思う。

貧血気味という事は、少しの運動ですぐにくたびれる状況でもある(筋肉が酸欠状態になって重くなる)。普段ならウォーミングアップも兼ねて駆け上がる駅の階段も、登る気力すら起きずエスカレーターを使ってしまう始末。道場までの電車の中では、とにかく瞑想をして整える事に努めた。その日、天真柔操の号令をかけて下さる関口師範にだけは事情を伝え、万一の時のフォローをお願いしておいたが、道着に着替えると何かスイッチが入ったような感じがして「あ、大丈夫かな」と思えた。

さらに、天真柔操をしているうちに全身に気血が巡る感じがしてきて、「これなら動ける」という実感が強まった。青木宗家をはじめ信頼できる道友の存在、関口師範の号令、そういう働きを普段以上にダイレクトにからだで感じる。お陰で、その後の号令も何とか無事掛けることが出来た。今月から新たに始まったテーマ「抜け出る」を意識した稽古を展開しつつ、折々の重要なポイントで、宗家が極意を惜しげもなく伝えて下さる。何という贅沢で有難い時間だろうか。

途中、入門1ヶ月余りのHさんに向かって「あなたは今、節目なんでしょ?」とおもむろに宗家が言われ、別枠の特別稽古が行われた。これまで様々な武道やボディーワークを通じて、身体の可能性を探求し続けて来られたHさんが、今、まさに重要な変化期にさしかかっておられるのを、宗家は見逃さなかったのだ。ご自分の胸の内を明かしていた訳でもないのに、まさに図星の指摘をされたHさんは、驚きつつもその機会を思い切り活かされていた。

天真一法 ★ル・シエル財団幹部メンバーへ「天真一法」を解説される青木宗家(本年2月)

最後に宗家の指導で行われた「天真一法」は、極めてシンプルながら、大きな変化をもたらすもので、宗家自ら「これは大基本として、天真五相、栄光、瞑想組手(わかめ、ひかり)に加えられるもの」とおっしゃるような極意中の極意。今年、国連で予定されている「12賢人会議」で公式発表される予定だが、剣武の稽古では既に取り入れられている。普段の稽古でも素晴らしい体感があるが、この日は断食中だったからかいつもにも増して格別な解放感があった。

組手 ★宗家による組手シーンの撮影(受けは望月ウィウソン師範)2月

休憩前に宗家が投げて下さった事でさらに巡りが良くなり、急に立ち上がるような運動を繰り返しても全く問題なかった。そして、稽古後は手の痺れも冷えもすっかり無くなっていたのだった。居合抜刀術、剣術の特性を大いに活用しながら、人間存在として、はるかに広大な領域の身体を活性化させるのが剣武天真流なのだ、と改めて実感した1日だった。

明けて7/16(KIN54)。連日の暑さもあるが、やはり断食中は睡眠が浅目になる傾向があり、あまり眠れずに朝を迎える(ちなみに普段の私はあっという間に眠れて朝まで起きない事が殆ど)。PCやスマホのディスプレイを見るよりは、本を読む方がずっとラクな感じがあるので、断食中は夜中に読書というパターンができてしまった。基本、五感は鋭敏になり、音でも香りでも増幅される感じがあるのだが、特に香りに対する感度の変化を感じる。

街の中でよく出くわす耐え難い臭いは、人工香料(化粧品含む)と排気ガス。電車で少し離れた場所に濃い化粧をした人が座るだけでキツイ。香水類もダメだ。しかし、普段はあまり好まないアロマの類が、実は、あまり気にならないことは、面白い発見だった。この日の稽古は、私が天真柔操を担当。前日と同じ稽古会場だからなのか、連日参加しているメンバーがいるからなのか、何か「場」が出来ていている感じがしてやり易い。

本稽古は丸山師範の号令で、「自分で何とかするのではなく、他者のリードに任せきることで”抜け出る”ことを目指す」という方針で、様々なスタイルの稽古が展開された。人によって、リードの仕方が全く異なり、それが動きに新たな多様性を生み出していて、稽古人それぞれが発見の喜びを味わっている様子が伝わって来る。心身が解放され、伸び伸びとした動きをする皆さんの周囲に、時折、白く輝く流れのようなものが見えたのは、多分気のせいではないと思う。なぜなら、稽古後の道友達の顔も同じように澄んで輝いている感じで、とても綺麗に見えたからだ。

この二日間の道場稽古で、ある面抜け出た感じになり、鏡を見ても健全にシャープになったと思えたが、やはり身体のモードはいつもとは違う。やれば大抵の事は普通にできるが、オフモードなので基本トロくてスローな感じになるし、何かしようとする時にいちいち「気合い」が必要になる。しかし、ひとたび動いてしまうと結構何とかなるのが面白いところで、「意識」とか「気持ち」の働きを普段以上に感じる。

今回、新たに発見したのは「瞑想の力」である。ダルくて身体がイラつく感じになっている時、10〜20分の瞑想をすると、もの凄くリフレッシュされるのが分かるのだ。喩えて言うならピンボケしていた画像がクッキリする感じだろうか。そんなことは普段から百も承知なのだが、断食中という特殊なモード&蒸し暑い条件だからこそ味わえる変化というのが、新発見のように思えた訳である。

思えば剣武の稽古の前後も、礼式の中で必ず短い瞑想が行われる。青木宗家が心魂傾けて定められた「礼式」は、決して単なる挨拶の形式などではない。だからこそ、心身をブレのない状態にする具体的な働きがあるのだと思う。これも、今回、断食中だからこそ味わえた実感である。奇しくも、断食6日目にウォーターセラピーにいらした方が、以下のような感想を伝えて下さった。

”今まで色々な瞑想を体験して来ましたけれど、ナディアで体験したあの瞑想(=天真体道瞑想のこと)が、一気に中心に入るような感じで一番良かったです”

ちなみに、私が瞑想の話を振った訳ではなく、全く別な文脈で自ら語って下さったものである。同じ時に参加していた別の参加者の方も、その瞑想法が相当気に入ったようで、二子玉川のクラスにもわざわざ足を伸ばして参加して下さった。確かにシンプルで効果的だからこそ、私達も毎日行っているし、書のクラス、剣のクラスの前にも、必ずその瞑想を行うのである。年内最後は大阪、新年最初は東京でクラスが行われるので、関心のある方はこの機会に体験してみて頂ければと思う。

★7/23(日)大阪チャクラ、水晶の波に乗る動的瞑想法
★7/26(水)二子玉川、「13の月の暦」元旦スペシャル瞑想


剣武天真流の稽古を始めてぴったり八年、断食開始八日(復食一日)目の記念日に。
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時間芸術としての「マギの礼拝」

2017年06月23日 21:41

水晶の月25日(G6/23)KIN31 青い倍音の猿(by D)

5月の末にイタリアのトスカーナを再訪して来た。50年近い生涯の中で一度も訪れる機会の無かったトスカーナ(特にフィレンツェ)の地に、「青いスペクトルの嵐の年」(2016.7.26〜2017.7.25)の間に2度も足を運ぶ事になったのは、この1年がダ・ヴィンチの他界=肉体からの解放(G暦換算1519.5.12=KIN219=青いスペクトルの嵐)とシンクロしているからかもしれない。

今回の主目的は、ヴィコピザーノという場所で行われた剣武天真流イタリア合宿で、欧州各地から集合した60名余りのメンバーに対して青木宗家や本部正師範と共に指導に当たる事だったのだが、その機会を活かして、前回の訪問でやり残したミッションを遂行する、という意味も私達にはあった。

その経緯については、メルマガの連載で追々触れて行く予定だが、以下の2点だけは先に記しておきたい。一つは、イタリアの剣武道友で、昨年来日時に「Youは何しに日本へ?」に登場し、前回ピサ訪問時にもお世話になったジュリアーノ(KIN88)の存在。彼は古い教会などの修復を行う職人さんで、ピサでは現在、国が認めた唯一の修復士だと言う事。

もう一つは、以下のような(ドリームスペル・ツォルキン上の)時間の連続性について。1回目のフィレンツェへの旅はKIN254〜KIN1(8/30~9/6)で(その時の流れはコチラ)、2回目の今回は、そのぴったり260日後のKIN2〜KIN9(5/25~6/1)だったのだ。

今回、出発日の朝に目にした車は「10-10」(前回は10で台風10号ともシンクロ)で、最終日に訪れたのはガリレオ博物館。そのガリレオがこの世を去ったのもKIN10と知ったのは、帰国してからだった。上記の通り、自分達の都合だけで日程が決まった訳ではないし、そもそも剣武合宿が無ければ、こんなに間を詰めてイタリアに行く事も無かっただろう。全ては「時間の法則」の働きなのだ。

また、フィレンツェからフィレンツェまでの260日の間には、フィレンツェを舞台にした映画『インフェルノ』が公開され、私達はKIN85(11/29)にその映画を観た。さらに、KIN227(4/20)には『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』というドキュメンタリーも観る事になった。

この映画で、改めてダ・ヴィンチの誕生日(ユリウス暦から変換してG暦4/24)を意識し直し、今年はそこにLの銀河の誕生日であるKIN231が同期する事が判明した。2度目の訪問の前に、ダ・ヴィンチの565回目の誕生日とLの79回目の誕生KINがシンクロするという特別なタイミングが巡って来たのである。

マギ 

さて、ここまでの記述は、実は今回メインで書いておきたい事の前置きである。私が、今、何より書いておきたいのは、ダ・ヴィンチの『マギ(東方三博士)の礼拝』についてなのだ。1度目の訪問時には観られなかったこの作品が、修復を終えて5年ぶりにウフィツィ美術館に戻って来ており、3/28(KIN204=9・種)〜9/24(KIN124=7・種)で限定公開されていると知ったら、やはり観ないではいられない。

合宿を無事終えた翌々日のKIN7(5/30)、朝一番でウフィツィ美術館に向かい、他の全ての絵をすっ飛ばしてダ・ヴィンチの特別展示が行われているNo79へと向かった。Lの79回目の誕生KINがダ・ヴィンチの誕生日と重なる生涯唯一のタイミングにNo79というのが何とも運命的であるが、お陰で、貸し切り状態でダ・ヴィンチと相見える事が出来た。

有名な「受胎告知」や師ヴェロッキオとの共作「キリストの洗礼」が展示されていたのは、確かにNo79の部屋だったが、目玉の「マギの礼拝」が展示されていたのは、何とNo85の部屋であった。KIN85が『インフェルノ』を観た日付で、79+85=164(黄色い銀河の種=銀河の同期)となるのも、「13の月の暦」に沿って生きている私達にとっては、必然性を感じさせるものがあった。

マギ左 

目的の「マギの礼拝」を様々な角度からじっくり鑑賞した上で、さらに正面に立って観入。剣武の合宿で感性が普段以上に高まっていたので、色々な事が感じられたが、それをひと言に要約すると「ダ・ヴィンチのマギの礼拝は、時間芸術である!」という事。

マギ右 

人間の時間感覚からは静止しているように見えるものでも、全てが刻々と変化し続けるこの相対世界において、あらゆる芸術は「時間芸術」に包含されるという立場を私は取るが、世間では、映画・音楽・小説など、時間経過を通じて味わうものを「時間芸術」と呼び、絵画・彫刻・建築など物質的材料で空間に構成されるものを「空間芸術」と呼ぶらしい。

つまり、一般的な定義では「マギの礼拝」も「空間芸術」に分類される訳だが、この絵をずっと眺めていると、全く異なる時空間が何重にも重なっているように見えて来て、ある種、映像を観ているような気分になって来るのである。そういう意味では漫画に近い気もするのだが、部分部分が異なる時間軸で動いていて、それらが物語として結びついているようにも見えないので(しかしながら絵としては統合されている)、まるで複数の投影機で異なる映像を重ねて映しているような感じがするのだ。

いや、印象としてはもっと多次元的で、夢見の状態に近い感じがあった。そして、未完成とされるこの絵は、実はある面では完成していて、ダ・ヴィンチがこの絵を通じて表現したかったのは、まさにそうした意識や動き、異なる時空への自由な飛翔だったのではないかと思ったのである。空間芸術の領域で、時間芸術以上に時間を表現した作品、それが「マギの礼拝」なのだ!と一人自得し(Lも賛同してくれたが)、私はその部屋を後にした。

拙著『霊性のアート』P187の球状精神宇宙モデルに則して言えば、水平時間だけでなく垂直時間までも表現している4次元的な絵であると、私は思う。帰国後、その『霊性のアート』にも登場してもらっているアーティストの佐藤君(水の結晶実験で最も貢献した人物の一人)が、お土産代わりに送った写真に対して、以下のような感想を送ってくれたのは、嬉しい驚きだった。

”「マギの礼拝」は、はじめてみたけど、なにがすごいって、描き途中なんだろうけど、完成しているのがすごいですね。”

見る目と高い感性を持つ人物が、ある面、同じような見方をしていた事が分かり、自分が受けた印象もそれほど見当違いではなかったようだ、と思えたからかもしれない。それから暫くして、天真書法塾師範科の授業があり、傅山の作品「霜紅龕集巻13」を楽しみながら臨書する、という課題があったので、早速「マギの礼拝」から受けたインスピレーションを応用してみた。というか、まんま書で真似してみた(笑)。

書 ★左が私、右が蘭禅の作品

出来栄えはさておき、感じ取ったものを何らかの形で表現してみる、というのは、シンクロに限らず道の極意の一つだと思う。名人の書、名人の絵画等の、見えるところ見えないところを味わい、真似し、表現する。この繰り返しは、どの分野にも通じる極めて基礎的で普遍的な学習方法ではないだろうか。

私が『13の月の暦ドリームスペル)』の名人だと言うつもりはないが、楽しみ方については名人級だと言っても嘘にはならないだろう。各地で予定している暦クラスでは、その極意とコツをたっぷりシェアするつもりである。新年を迎える前に、本格的な「時空のサーフィン」のやり方を学びたいと思っている初心者の方、いまいち使いきれている感の無い方は、この波に乗ってみることから始めてみると良いかもしれない。

尚、「マギの礼拝」がきっかけとなって、さらに予想外に展開したシンクロの旅については、「シンクロニック・ジャーニー報告会~フィレンツェ編」で、映像も交えつつ詳しくシェアする予定である。どうぞお楽しみに!

龍の都「志賀海神社」での白龍遊天

2017年04月05日 05:13

惑星の月1日(G4/4)KIN211 青い電気の猿(by D)

春分の夜に見た天気予報では、3/21の午後には雨が上がるようだったので、夜のうちに雨雲が過ぎてくれる事を願っていたが、起きると外は殆ど暴風雨の様相。強風に乗って滑空するのを楽しんでいるかのような海鳥達を眺めながら朝食を頂く。流石に演武を控えているので、思わず箸が進みそうになるのをこらえ、少しの量をゆっくり噛んで頂く事にした。

小柄な女将さんは、「満帆荘」を訪れた著名人のことや、地震で被災した後に再建を決意した経緯について、気さくに話して下さる方なのだが、私達が共に受け取ったのは「多分、魔法が使える方」という印象だった。それが何を意味するのかは、実際に「満帆荘」に泊まって体感してみて欲しい。分かる人には分かると思うし、何のことやらという方でも、素晴しい宿なのは分かるだろう。

演武用の格好に着替え、幾分降りが弱くなった頃、ふたば幼稚園の小崎先生が迎えに来て下さり、真っ赤な77-77の車で志賀島877という住所にある志賀海神社へと向かった。『13の月の暦』のツォルキンで、この日は「赤い月の地球」。サイ時間も「赤い銀河の地球」、そしてKIN77は「赤い水晶の地球」。「赤い地球」のキーワード「舵取り/発展させる/共時性」を意識せずにはいられない。

御潮井(清め砂)を左、右、左と軽くふり清めてから境内に入る作法は初めてだったが、歴史の流れから見れば、これが清めの原形的なスタイルなのではないかと思う。志賀海神社の歴史や詳しい背景については、公式サイトをご覧いただくとして、以下にその冒頭部分を引用しておこう。

”古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要衝である博多湾の総鎮守として志賀島に鎮座し、信仰されている志賀海神社は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓によってご出生された綿津見三神を奉祭しています。”

社務所に到着し、権禰宜の平澤憲子さんにご挨拶。小崎先生のご紹介で2/25(KIN173)に電話でお話はさせて頂いていたし、ご子息の幸興さんとは昨年11月末にアートコンプレックスで行われた天真書法塾発表会の会場でお会いしてもいたが、ご本人にお目にかかるのは今回が初めて。しかし、最初からシンクロの嵐で、その場にいたメンバーはただただ驚くばかり。

中でも、蘭禅が奉納した書「君が代」の軸を広げた時が最も盛り上がった瞬間だったが、その件については、別途本人が報告する予定なので、ここでは別なシンクロをシェアしておこう。一つは、スペインの伝統菓子「ポルボロン」について。日本では二子玉川にしか出店していないお店のものをという事で、心ばかりの手土産としてお持ちしたのだが、平澤さんがことのほか喜んで下さったので、その理由をお聞きすると、「20年以上も前にスペインのお土産で頂いて、その食感や味が忘れられず、どこかで手に入れられないものかと、ずーっと探していたんです」との事。

そんな風に言って頂いてこちらの方が嬉しくなってしまったが、前後の文脈や反応から、決して社交辞令でそう答えて下さった訳ではなさそうだった。思えば、もう一つもスペイン絡みの話だったが、その件で最も驚いたのは多分私達だったに違いない。実は、平澤さんと電話でお話した前後に、ネットで志賀海神社の事を調べていて、平澤さんが福岡女子大のご出身だと知った。

一方、2011年にバルセロナを訪れる前から注目し続けていたサグラダファミリア主任彫刻家の外尾悦郎氏が、この春、福岡女子大の客員教授に就任される事をLがニュースで見つけていて、G1/6(KIN123)に特別講演「サグラダ・ファミリアに込めたガウディの意図」の場にて、辞令交付式が行われた事を知った。KIN123と言えば、パカル王の石棺の蓋が開いた日付で、交付式が行われたその日は、そこからぴったり90銀河スピン(260×90)に当たるタイミングだった。

太宰府天満宮で引いた私達のおみくじが5と18で、「5×18=90」にもなるので、私は、それ以外に特に根拠も無く「彫刻家の外尾さんが福岡女子大の客員教授になられましたけど、私達は外尾さんにすごく影響を受けていて、深く尊敬しているんです」と、平澤さんに話してみたところ、「え、外尾くん?」と口にされたのだった。聞けば、学生時代の同級生らしく、外尾さんが帰国される時には、割と頻繁に合うような間柄らしい。

もちろん、何らかの繋がりがあるかもしれないという思いで振ってみた話だったのだが、いきなりストライク過ぎて、聞いたこちらがビックリしてしまった。それに、今回の志賀島での講座は、春分という事もあって意識的に『マヤのリズム』を準備していたのだが、実は、2011年にサグラダファミリアを訪れた時、私は出来て間もなかったこの本を、外尾さんに届けてもらうよう職人さんに託した経緯があるのだ(メルマガ”Happy シンクロ Days♪” Vol.42参照)。そのメルマガの配信日がKIN221(=13竜=ミケランジェロ)というのが、今、最高に旬な驚きなのだが、話が広がりすぎるのでそれについては機会を改めるとしよう。

そうこうしているうちに、奉納演武の時間が迫って来た。拝殿への移動に傘が必要無いくらいにまで小降りにはなっていたものの、すっかり上がった訳ではない。晴れ男&晴れ女の私達にしては珍しい展開だが、小崎先生は「ここは龍の都だから、神様がお喜びになると雨が降るんです」と移動中の車の中でおっしゃられていた。それでもやはり、演武を観に来て下さっている方の事を考えると、天気の事は気になる。
志賀海 

まず、拝殿に上がりお祓いを受け、正式参拝。蘭禅の書は、既に三方に乗せられて神前に供えられている。その後、奉納演武へ。すぐ近くで新しい建物の工事が行われていて、かなり激しい音がしていたのだが、入場礼法を終えて「天真五相」に入ると、神職の方が止めて下さったのか、「ア」の直前でピタッと音が止んだ。その後、観に来て下さっている方々に対して、剣武天真流の概要と、使用刀が江戸初期の佐賀藩の刀工(播磨守忠國)による作品で、青木宗家からお預かりしているものであること、および、これから行う型についての説明をさせて頂いた。


当初は、天地清浄祓いの型である「四方荘厳」と最も複雑かつ高度な型である「神剣無礙」だけを行うつもりだったが、「龍の都」で「赤い共振の竜」の私が演武するのだから、「白龍遊天」も入れないと話にならないと思い、その型も含めて奉納させて頂く事にした。演武中は集中していて気付かなかったのだが、ビデオを見ると実はかなり激しい雨が降っていて、「白龍遊天」が終わった瞬間(納刀時)には、強い風が吹き渡ると共にトンビが鳴くという天の演出まであった(以下の動画の一番最後に音が入っている)。



「世界の平和と人々の幸福を祈る」奉納演武を何とか無事に終え、観に来て下さった方々に刀をお見せし、希望される方には触れていただこうと拝殿から降りて行くと、雨はもう止んでいた。その後、幼稚園で「書の掲額式」(こちらもLが別途報告する予定)が控えていたので、境内を見て回る余裕も無くそのまま移動。「亀石」「鹿角堂」などは、次の機会にゆっくり見せて頂くつもりである。
奉納後 ★刀を手にされる権禰宜の平澤さん

お天気が荒れただけでなく、福岡市内からの高速道路でバスの事故などがあった(ニュースにもなっていた)関係で、残念ながら間に合わなかった方もいらっしゃったが、「掲額式」の後のお昼時間には、特別に美味しい幼稚園の給食(あまりの美味しさに丸二食分頂いてしまった)を頂きながら、一緒に話に華を咲かせる事が出来た。話の順序は前後している可能性が高いが、印象深いシンクロを以下にメモしておく。
志賀海2 ★(写真は玉里さんより)

2016年に剣武セミナーが行われた石川県羽咋市志賀町の「志賀町」は、安曇族が移り住んだ場所の一つで「志賀島」に由来する。2015年に剣武の奉納演武を行った宮崎県の鵜戸神宮には、ウガヤフキアエズノミコトが祀られているが、その母トヨタマヒメノ、妻のタマヨリヒメもオオワタツミノカミの娘であり、志賀海神社との関係が深い。

宇宙の暦は13ヵ月・新装版』の版元であるプレアデス出版は、現在、長野県安曇野市にあり、2/24(KIN172)に、麻畑社長がメールの返信の中に穂高神社のお船祭の事を書かれていたので、改めてその祭りについて調べてみると、白村江で討死した安曇比羅夫の命日に行われている事が判明。その翌日に、平澤さんと初めて電話で話をさせて頂いていた。

さらに、その5日後の3/2(178)、グランドジャンプに連載中の「行雲流水〈徐福〉」(本宮ひろし作)の中に「海人の安曇族」というセリフを発見して驚いた事、昨年のイタリア旅行の直後から始まった「旅するイタリア語」という番組が、ちょうど奉納演武当日の朝(春分の深夜過ぎ)に最終回を迎えた事など、とにかく今回の志賀島に繋がる様々なシンクロについての話をさせて頂いた。
お昼 ★素晴らしく美味しい「ふたば幼稚園」の給食

旅するイタリア語に出ていた東儀秀樹氏は、昨年の12/25(KIN111)に「ふくおか無形文化遺産フェスティバル&シンポジウム」でコンサートをされているのだが、その時のシンポジウムには平澤さんがパネリストとして、フェスティバルにはふたば幼稚園職員の北本さんが「龍の舞」で、それぞれ出演されていたのである。

龍の舞」は志賀海神社に伝わる舞で、県の無形民族文化財にもしてされている貴重な民族芸能とのことだが、「白龍遊天」の動きが「龍の舞」に似ていたと、演武を見て下さった多くの方から言われたので、今度は北本さんによる「龍の舞」を、是非拝見したいと思っている。ちなみに、ふたば幼稚園のワカメ部長にも(小崎園長により)任命された北本さんは、奉納演武や掲額式の様子も撮影して下さっていて、同じ幼稚園職員の赤羽さんがそれをあっという間にDVD化して送って下さった。この場をお借りして、深く御礼申し上げる次第である。

志賀島には、そう遠くない将来、是非また訪れたいと思っている。そう思わせるだけのご縁と貴重な自然、古代からの歴史の記憶が、この島にはあるからである。

7年目のトックリヤシと1年後のオクシモロン

2016年08月13日 02:48

磁気の月18日(G8/12)KIN236 黄色い月の戦士(by D)

今日は、4時頃に目が覚めてしまい、しばらく瞑想とちょっとした作業をしてからまた一眠りし、再び起きると、リビングのトックリヤシが新しい葉をまさに開いたところだった。実は、このトックリヤシ、2009年の剣武稽古開始を記念して、Lがプレゼントしてくれたもので、当時は、テーブルに乗るくらいの小さい鉢だったのに、年々大きくなり、今では立派な葉を広げるようになった。
IMG_8338.jpg ★我が家のトックリヤシ

知らぬ間に自分が47才にもなっていた事も驚きだが(いつの間にそんなオッサンに!)、剣武天真流・蒼天支部道場開設からぴったり3年目に当たる日に、自分の剣武稽古の歴史と共に成長して来たトックリヤシが、新しい葉を開いてくれたことも、嬉しい驚きだった。実際、私はこの7年間で、支部道場を開設しただけでなく、宗家から本部正師範にも任命されたりしている。

リオ五輪では、卓球の水谷隼選手が、日本勢としてシングルスで初となる銅メダルを獲得。水泳女子200メートル平泳ぎでも、金藤理絵選手が金メダルに輝き、朝から嬉しいニュースに祝福された気分だったが、ランチの時間にも、ちょっと嬉しい事があった。

昨年の誕生日は、宮沢賢治(KIN131)の道筋に入った事もあって、現在の自分の活動の原点に当たる時間(中学高校時代)を過ごした鎌倉を訪れていた。当初、ランチは「鎌倉オクシモロン」でと考えていたのだが、残念ながら定休日と重なっていて断念。しかし、そのおかげで丸山珈琲鎌倉店のプレオープンとシンクロし、さらには、その時ボリビアにおられた丸山健太郎社長とも遠隔シンクロするという楽しみを味わう事が出来た(鎌倉みちのく魔術紀行(4)参照)。

その事が頭にあったので、今年の誕生日ランチは、6月に誕生したばかりの「二子玉川オクシモロン」に決定。メルマガ最新号(vol.63)にも書いた通り、かつて二子玉川にあった「珠玉」というお店で絶品カレーを提供していたカレーアーティストの村上愛子さんが、鎌倉に出したお店が「オクシモロン」。

「珠玉」の頃からファンだった私たちにとって、二子玉川にオクシモロンが生まれたのは、それだけで嬉しいニュースだったが、昨年の誕生日の事もあったので、「今年は是非、近所に帰って来たこの店で」という気持ちになったのだった。しかし、オープンの11時少し前に行くと、既に行列が!幸い、1回でお店に入れたが、何という人気ぶりだろうか。

私たちが目を付けたお店は、当初はそれほど知られていなくとも、結局、人気店になる事が多いのだが、その中でも「オクシモロン」は飛躍度が高く、今や超有名店。味の素晴らしさの背後にある思想、そして美が、その秘密と言えるだろう。先に訪れた時に、私たちのことを覚えてくれていた愛子さん、今日も店でお見かけしたが、さすがに大忙しで会話をする余裕はなかった。
IMG_8325.jpg ★手前が「スリランカ風マトン」

Lは定番の和風キーマを、私は本日のカリー「スリランカ風マトン」をいただいたが、どちらもやはり絶品だった。その後、チャイと「コーヒーづくしのパフェ」をいただき、大満足のうちに完食。
IMG_8326.jpg ★コーヒーづくしのパフェ

午後は、剣武本部正師範の打ち合わせと研究稽古会へ。移動中、4日前に高橋徹さんが送って下さった『倫理研究所紀要』(第25号)の「丸山敏雄と川面凡児」という丸山敏秋氏の論文を興味深く読んだ後、打ち合わせ会場の近くをノロノロ歩いていたら、後ろから声をかけて来たのは、敏秋氏の子息でもある丸山貴彦本部正師範(KIN129)だった。

前夜、蝉の羽化の現場を目にしたという貴彦師範は、いつどこに卵が産みつけられ、幼虫がいつ地中に入るのか?という、最近になって私も抱いていた疑問を、その時に抱いたらしい。そこで、ネットで調べて知ったウンチクを述べてみたのだが、何年も地中で暮らす幼虫についてよく考えてみると、実は、公園の木々の近くには、何年分もの幼虫達が隠れているという事になる。リアルに想像すると結構恐い。

それにしても、昨年は丸山珈琲の丸山健太郎氏とのシンクロ、今年は、剣武の丸山貴彦師範とのシンクロということで、ここのところ誕生日に丸山という人物が絡んで来るのが流行っている。夜にはシャンバラ教室の丸山さん(KIN22)からもお祝いのメールを頂いたし、苗字の比率からいうと、この偏りはかなり興味深い。

ところで、今日の研究稽古会での体験は、将来、然るべき人に話す時がやって来るかもしれないが、私にとっては、とにかく宝のように貴重なものだった。オクシモロンのカレーももちろん素晴らしかったが、これぞ「天からの誕生祝い&支部道場3周年祝い」と思わずにはいられなかった。真の贈り物は、やはり体験だと私は思う。それは、どんなにお金を積んでも得られるものではないからこそ、貴重なのだ。

最後に、ちょっと面白いことに気づいたのでメモしておこう。KIN236(2・戦士)の著名人と言えば、『スター・ウォーズ』や『インディー・ジョーンズ』のシリーズで知られるハリソン・フォード。インディー・ジョーンズは、架空のキャラクターだが、誕生日は設定されていて、計算すると丸山師範と同じKIN129という事になる。
ジェダイ ★ジェダイ・アカデミー

おまけに、昨日、二子玉川ライズでは、『スター・ウォーズ』のジェダイ・アカデミーというイベントが行われていて、パダワンに扮した子供達の前に、ジェダイの格好をしたお兄さん、お姉さん、そしてダースベイダーなどが登場していた。これまた、誕生日前後の面白いシンクロと言えよう。しかし、真のジェダイを目指すなら、私は迷わず剣武天真流をお薦めしたい。これが「黄色い月の戦士」の道筋に入った私からのメッセージである。

出雲大社での剣武天真流奉納演武

2016年07月22日 23:59

宇宙の月26日(G7/22)KIN215 青い共振の鷲(by D)

出雲大社での奉納演武が行われたのは、7/2(土)。『13の月の暦(ドリームスペル)』の365日暦では13月6日、260日暦(ツォルキン)だとKIN195(13・鷲)。月日の「銀河の音」が「13(宇宙の)」で重なる「魔術の亀の日」だった上、出雲大社の住所は、何と出雲市大社町杵築東195!こんな事は、狙っても出来ることではない。

ちなみに、この住所と日付のシンクロについて教えてくれたのは、天真書法塾シャンバラ教室生で出雲出身の尾崎さん。尾崎さんはツォルキン唯一の「パカルの特別な数字」であるKIN78(13・鏡)の生まれで、78=13×6(→13月6日)という点にも注目すると、演武当日の日付(天)と出雲という土地(地)が、この繋がりを教えてくれた、といようにも読み取れる。

演武用の稽古着に身を包んで宿を出発。大社の東側にある駐車場に車を停め、風情のある松の参道を進んで社務所へ向かうと、ちょうど社務所前で出雲大社を統べる出雲国造・千家尊祐氏が向こうからやって来られた。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)から生まれた天穂日命を初代とする出雲国造の84代目とされる方で(つまり神話時代から続く家系)、2年前に高円宮典子さまと結婚された千家国麿氏の父君でもある。
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天津神系と国津神系が再び一つになるというこのお二人の結婚には、様々な意味があったと感じているが、ちょうどその直前にツイッターでつぶやいた事に絡めて「天津神と国津神の調和的統合」というブログ記事にまとめてあるので、そこから一部引用してみたい(この記事が770番目のブログ記事であると気付き、一つ前の記事ともシンクロしているのを感じた)。


”G9/1、『ドリームスペル』の惑星ホロンで日本のエリアに対応するKIN46(7・橋渡し)に、私は【そして13×18=234は、第125代今上天皇の誕生KIN。そして、シンクロニシティという言葉を生んだユングの誕生KINだ】というツイートをクリカのツイッター上でした。それが、ちょうど10500ツイートという区切りの良い数だった事に気付いた私は、ふと、125という数字で10500を割ってみるという遊びをした。すると10500=125×84と綺麗に割り切れるではないか!

それだけで意味なく喜んでいた私だったが、125が伊勢の神宮の社の数や今上天皇の代、そして2013年の式年遷宮で臨時祭主を務められた黒田清子さんの誕生KINであることに思いを巡らせた私は、84にも何かあるだろうか?と「84代」だけ入れてググってみた。すると、「第84代出雲大社国造」というのがいきなり出て来たのだ!伊勢系、出雲系の結婚が目前に迫っていることを意識していた私が、無意識的にツイートした10500ツイート目に、今上天皇の事を書いていて、そこに伊勢と出雲を結ぶ数が、完璧な形で潜んでいたのだから驚愕せずにはいられない。”


念のため当日(2014.9.1)の手帳メモを確認してみると、さらに驚愕の事実を発見。何と私は、その日付けの「剣武天真流 本部正師範任命書」を青木宗家から拝受していたのだ。この頃から、出雲との回路は繋がり始めていたのかもしれない。ちなみに、その手帳メモの近くには、こんなメモもあった。【10500=105×100。KIN105(1・蛇)は大物主(大国主)、KIN100(9・太陽)は天照】。こじつけと思われても構わないが、暦を用いて何らか意味を見出すのに、キーワードだけに拘る必要が無いのは確かだろう。
任命書 
話を7/2(KIN195)に戻そう。今回の奉納演武に関して様々な形でご協力下さった出雲国大社食品の山崎社長も社務所に到着され、青木宗家、吉田事務局長と共に、千家尊祐宮司との対談のため別室に向かわれた。尚、今回の奉納演武の実現には、アオキメソッド(前・瞑想カレッジ)でご一緒した事もあるキーマンネットワークの中島孝志さんが関わっており、山崎さんとのご縁も中島さんを通じてのものだった事を記しておきたい。

対談から戻られた先生によると、千家宮司は、およそ一ヶ月前に剣武天真流セミナー&輪島ツアーの際に訪れて、奉納演武をさせて頂いた重蔵神社の能門宮司と、大学で同級生だったとの事。重蔵神社での演武の様子は、「YOUは何しに日本へ?」(7/11後半)で放映された関係で( 動画リンクはコチラ 36分以降)、そちらのアナウンスが先行し、未だ現地での詳細は書けていないのだが、演武の他にもお粥講や高名秀人光漆芸工房での体験、御陣乗太鼓など、色々と貴重な体験をさせて頂いたので、そのうち文章化できればと思っている。

さて、宮司同士の繋がりも然ることながら、より興味深いのはご祭神の繋がりである。重蔵神社のご祭神は天之冬衣命と大国主命。『古事記』によると、天之冬衣命はスサノオの五世の孫で、大国主命の父に当たる神。能登での剣武セミナーが決まった時には、まだ出雲での奉納演武の話は出ていなかったし、この繋がりを予め知っていた人は居なかったと思うが、重蔵神社で奉納演武をした後、間をおかずに出雲大社で奉納演武をするという流れは、まさに天の采配と呼びたくなる美しい流れと言えよう。
本殿 
時が来て、社務所前の手水所で手と口を清めてから、本殿に向かう。天気予報では曇り時々雨だったが、今回もやはりお天気は大丈夫だった(重蔵神社も昨年の大神神社、鵜戸神宮も天気予報では常に直前まで怪しかったが演武の前後は晴れていた)。この記念すべきタイミングに合わせて出雲にやって来た天真会の仲間も合流して、八足門をくぐり、お祓いを受けてから本殿前にて正式参拝。宗家の玉串奉納に続いて、2礼4拍手1礼。この参拝方法に、一人マニアックな喜びを感じていたのは、おそらくKIN241の私だけだろう。

その後、大きな注連縄で有名な拝殿に移り、ついに奉納演武開始。青木宗家、吉田随流事務局長に、関口仁、丸山貴彦、吉田倫子、望月ウィウソン、小原大典の本部正師範5名を加えた全7名で礼式を行い。続いて、吉田事務局長が吉原義人模作聖徳太子七星剣にて四方荘厳。その後、本部正師範5名による大翻刀&神剣無礙(途中、白龍遊天を含む)。最後に青木宗家が天真五相&自由演武を奉納された。

全員が真剣で演武したのは今回が初めてであり、いずれも宗家が集められた名刀なので、ここに演武者と共に記録しておく。和泉守國貞(青木宗家)、河内守永國(関口師範)、肥前国住忠吉(丸山師範)、水心子正秀(倫子師範)、摂津守源忠行(ウィウソン師範)、播磨守忠國(小原)。出雲大社拝殿という空間、そして真剣を手にしての演武に緊張感はあったものの、何か別な次元でゆったりした時間が流れていたようにも感じられ、思ったよりは落ち着いて演武に臨む事が出来た。
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尚、この奉納演武については出雲大社の公式ページにも掲載されているので、リンク先を参照頂ければと思う。また、天真会のFB公式ページに動画や写真も掲載されているので、合わせてご覧頂ければ幸いである。写真は川崎さん、ビデオは郷右近さん(お二人とも天真会メンバー)が、ボランティアで引き受けて下さったものである(動画の一部は固定カメラによる)。記念となる貴重な記録に感謝。
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宗家に予言されていた怪我をする事も無く(十分注意しろよというアドバイスだったと思う)、無事、演武は終了して記念撮影。社務所で着替え、「おさがり」を頂いて大社を後にした。場所を出雲文化伝承館に移して、羽根屋で出雲そばを美味しくいただき、その後、亀山の麓にある命主社に参拝。ご祭神は造化三神の一柱、神産巣日神。境内にある樹齢1000年ともいわれるムクの巨木は、幹のうねりに迫力があって、強い生命力が感じられた。
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この神社の裏手の巨石の下で、古代の銅戈と硬玉製勾玉が発見されたと知ったのは、後になってからだったが、出雲大社からは徒歩圏なので、大社に参拝するのならここにも立ち寄ってみることをおすすめする。ここで、お世話になった山崎さんとはお別れし、私達は古代出雲歴史博物館へ向かった。エントランスを入るとすぐに出雲大社境内(八足門前)で2000年に出土した巨大な柱(3つの巨木を一つにした宇豆柱)が展示されていた。

3本の巨大な柱を一つにまとめた様は、パン・ジャパン・ライブラリーでも使用している「レーリヒ平和の旗」にそっくりな構造だが、2002年に初参拝した時は、まだ八足門前の地面に埋まった状態で囲いがされていたと記憶している。2013年の遷宮時に、ご神体を遷御する直前まで雨が降っていたのに、いざ遷御がはじまると雨はピタっと止み、遷御終了後本殿の扉が閉じると同時に大雨が降った、というエピソードをお昼に山崎さんから伺っていたので、一体その日付はいつだったのだろう?と思っていたら、それが記されたパネルがあった。

2013年5月10日(新月)はKIN87(9・手)。今、気付いたが、伊勢外宮の遷宮は、年月の数字が反転する同年10月5日(新月)=KIN235(1・鷲)に行われている。そして、そこからぴったり1年後の2014年10月5日(KIN80=2・太陽)に、高円宮典子さま(KIN135=5・鷲)と千家国麿氏(KIN162=6・風)が結婚されたのだから、これは随分前から決められていた事だったのかもしれない。少なくとも遷宮とセットで考えられていたというのは、決して見当違いではなかろう。

気付いてしまったので書いておくが、千家国麿氏がKIN87、つまり出雲大社遷御と同期する道筋に入ったのは2002年、つまり29才の時である。まだまだ続きがあるのだが、先刻、今日が千家典子さん(元・高円宮典子さま)の28才の誕生日である事に気付き(手帳のメモを見て)、出雲大社境内でのポケモンGO使用禁止のニュースを目にしたりもしたので、ひとまず、ここで区切るのがちょうど良いのだと判断した。それにしても、『銀河のマヤ』を共著で出させていただいた江本勝所長と千家典子さんが同じ誕生日だったとは驚きである。

奥出雲のタタラと日本刀

2016年07月20日 13:37

宇宙の月24日(G7/20)KIN213 赤い倍音の空歩く者(by D)

7/2(土)に出雲大社で行われた剣武天真流の奉納演武は、お天気にも恵まれて無事終えることが出来たのだが、その前後の時間も素晴しい体験に満ちていたので、感覚が鮮明に残っていて、手帳のメモも解読可能なうちに、少し整理しておこうと思う。

霊性のアート』等に記している通り、シンクロ率というのは、心身が自然状態にあれば自ずと高まるものである。当然、青木宗家をはじめとする参加メンバーのシンクロ率は高く、普段から様々なシンクロが当たり前のようにある。今回、天真会の吉田晶子事務局長による細かなご準備により、演武を中心に据えた7/1〜7/3の3日間、島根の各所を巡る事が出来た。そこで、今後、島根を訪れる機会のある方の参考にもなればと思い、現地情報を交えつつシンクロ体験をシェアしてみることにした。

7/1(金)は、『13の月の暦』のツォルキンだとKIN194(12・魔法使い)。早朝に家を出て、羽田からJAL277便に乗る。席は33Eで隣は丸山貴彦師範(KIN129=12・月=調波33の始まり)。私が過去に出雲を訪れたのは2002年1月14日(KIN116=12・戦士)の一度きりであり、丸山師範も東日本大震災当日のKIN77(12・地球)の一度きりらしい。今、こうして書いてみると全て「12(水晶)」で共鳴しているのが分かる。

丸山師範が出掛けに何気なく手にして、そのまま持って来たという新体道会報誌『楽天』のバックナンバーvol65(ツォルキンの全調波は65)は、2002年の発刊で、ちょうど私が出雲を訪れた年のものだった。中には当時の審査結果も掲載されていて、私が本科高等科、空手8級(実は未だにそのまま)に合格した記録もあった。

1時間余りで出雲縁結び空港に到着し、そこからレンタカーで市内に向けて移動。先に出雲入りしていた吉田倫子師範&望月ウィウソン師範に市内で合流する予定だったが、途中、青木先生が「ここに寄ってみよう」と促し、荒神谷遺跡へ向かう。古代ハスが一面に咲き乱れる美しい場所で、その奥の山の斜面に、大量の銅剣や銅鐸が発掘された当日の様子を再現した遺跡があった。
IMG_8056 (1) ★荒神谷遺跡古代ハス

1984〜1985にかけて出土した銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本は、島根県立古代出雲歴史博物館に保管展示されているが、実際に発掘された場所、つまり1000年以上前に埋められた場所を訪れる事が出来たのは、貴重な体験だった。今見ても、どうしてこんな場所に剣(祭礼用と言われている)を大量に埋めたのか、理由はよく分からないが、当時は特別な意味のある土地だったのだろう。
IMG_8052 (1) ★荒神谷遺跡の銅剣発掘跡地

その後、倫子&ウィウソン両師範と無事合流し、たたらの故郷・奥出雲へ。途中、雲南市木次町を通ったことで、2年ほど前に偶然手にして知った木次コーヒーの事を思い出す(ちょうど京都亀岡の出雲大神宮を訪れた直後で色々な発見が重なったので、当時の事は「出雲大神宮から杵築大社へー国道9号」という記事にまとめてある)。

気温がグンと上がった頃に「奥出雲たたらと刀剣館」に到着。スタッフの方が詳しく解説をして下さったのだが、青木先生が吉原義人さんの刀を持っている事や、翌日、出雲大社で奉納演武をする事を伝えると、俄然スイッチが入ってさらに熱が入り、是非たたらと関係の深い金屋子神社にも行ってみて下さい、と勧められたりした。
IMG_8059.jpg ★たたらの実物大模型(地下構造までわかる)

しかし、まずは奥出雲の自然に触れつつ涼も得られそうな場所ということで「鬼の舌震」へ。緑に覆われた渓谷に沿って巨岩、奇岩が多数見られるその場所は、遊歩道も整備されていて、気持ちの良い散策が出来たが、最初の吊り橋はかなり迫力があって、高い所が苦手な人の中には、渡るのを躊躇する方もいるのではないかと思えるほどだった。
IMG_5111.jpg ★高さ45mの吊り橋

その後、江戸時代にたたら吹きを製鉄を行っていた鉄師頭取の館「絲原記念館」に立ち寄ってから、金屋子神社へ。たたら製鉄と密接に結びついた大切な神社というだけあって、参道脇には出雲各地で採取された鉧(けら:鉄の塊)がいくつも並んでいる。ご祭神の金屋子神は、一言でいえば冶金に関する神様という事になるが、以下wikiからその謂れが書かれている所を引用してみよう。

「高天原から、雨乞いをしている村人に応えて、播磨国志相郡岩鍋にまず天降った。しかし、自ら、元々西方に縁のある神であるとの理由で、白鷺に乗って、西方の出雲国能義郡黒田奥比田(現 金屋子神社の社地)の山林に着き、桂の木にて羽を休めていたところを宮司の祖先である安倍正重が発見し、長田兵部朝日長者が桂の木の横に神殿を建立したという。各地で金屋子神は自ら村下(むらげ:鍛冶の技師長)となり、鍛冶の指導を行ったとされる。」

後日、たたらについて解説が書いてあった『図説 日本刀大全Ⅱ 名刀・拵・刀装具総覧』を調べてみたら、そこにも金屋子神社はしっかりと掲載されていた。また、戦後途絶えたタタラを復活させ、現在唯一操業されている「日刀保たたら」は、「奥出雲たたらと刀剣館」から数キロの場所にあり、現在も日立金属が深く関わっている事を刀剣館で教えてもらったが、本書には、当初、日立製作所が関係した事も記されていた。大学で金属工学を学び、日立製作所で働いていた父は既に他界しているが、こういう背景を知ると多次元的な縁を感じる。

現代の刀工が使う玉鋼(けらの中でも特に品質の良いもの)は、全て、この「日刀保たたら」で生み出されるものだし、既に江戸期には奥出雲はたたらの中心地と言える状況になっていたようなので、新刀時代の刀の大部分も、この地域で生み出された玉鋼から鍛えられた可能性が高い。やはりこの地は古来「日本刀」の故郷なのだ。

ちなみに、出雲大社での演武に使用するのは、播磨守忠國と鑑定された刀で、今は私が青木先生からお預かりしている状態にある。また、忠國は、江戸中期、肥前の国の刀工で、今回、丸山師範が使用する肥前国忠吉の忠吉とは親戚関係に当たる。「播磨守」というのは幕府許認可制の官名みたいなもので、播磨国とは直接関係無いのだが、それでも、播磨国から出雲国へとやってきた金屋子神の話をこのタイミングで知ると、無関係とは思えなくなる。さらに、たたらシンクロは続いて、金屋子神社を参拝した1週間後のKIN201にもこんな体験があった。

実家に届いていた鎌倉高校の同窓会会報誌『うしお』35号を捲ると、何と「鎌高のたたら製鉄」という記事があり、奥出雲についても触れられていたのだ。「奥出雲たたらと刀剣館」で受けた説明が、まだ生き生きとしている内だったので、大変興味深く読み進める事が出来た。実験を繰り返して「赤目砂鉄」「真砂砂鉄」のチタン含有量の違いが製鉄に影響することを明らかにし、鎌倉に見られる「赤目砂鉄」からの製鉄工程を確立しようと試みているようなので、今後の進展が楽しみである。
IMG_6351.jpg ★金屋子神社で天真五相

さて、話を奥出雲に戻そう。金屋子神社を参拝し、境内で天真五相を行った後、私たちは酒造奥出雲交流館という場所に立ち寄った。そこで、地元の方々と話していた先生が、近所にある亀嵩温泉という温泉を聞き出され、ひと風呂浴びて行こうという流れになった。玉峰山荘という立派な施設には、木彫りの亀の置物もあったりして、「宇宙の月」のトーテムが「亀」だと知っている私には絶妙なシンクロに感じられたが、結局、交流館で話していたおじさん達もお風呂に入って来て再会。当たり前のように色々な事が繋がって行く。

すっかり暗くなった帰路、玉峰山荘から県道に出る川縁にあった「ホタルの里」に寄ると、数は少ないものの時折スーッ、スーッと明るい光が移動するのが見える。地元の方によると最盛期は過ぎているとの事だが、温泉でサッパリした後に見るホタルの光は、何とも涼しげで嬉しい出会いだった。全行程、運転を引き受けて下さった関口師範には感謝の言葉しかないが、今も続けられている東北支援の折には、ほとんど休まずに運転することもあるらしい。

この日の宿泊は出雲市内のビジネスホテルだったが、私は207号室に泊まる事になった。KIN207(12・手)と言えば、マヤ長期暦が完了した2012年冬至の日付であり、その反対のパートナー(130キン離れた関係)は、丸山師範が出雲大社に参拝したという東日本大震災当日のKIN77(12・地球)である。「赤い地球」は古代マヤのカバンに由来し、カバンは「大地」を意味するが、転じて「動き」「生命力」「地震」などのニュアンスも含む。大地のマグマ(火のエネルギー)を彷彿させる「たたら」についての情報をたっぷりダウンロードした日に泊まる部屋として申し分ないナンバー。

この日からぴったり2週間後、真剣を受け取りに(&打ち合わせで)天真会事務所を訪れた帰り、丸山師範と西荻窪から中央線に乗って、私だけ吉祥寺で降りた瞬間、ホームでバッタリ会ったのは『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』でご一緒した翻訳家の白川さん(KIN77=12・地球)だった。互いに驚きつつ挨拶を交し、そのまま電車に乗り込むと、丸山師範(KIN129=12・月)と共に去って行った。マヤ長期暦の完了と東日本大震災が、どこかの回路(水晶ネットワーク?)を通じて繋がっているのを感じずにはいられなかった。
IMG_8058.jpg ★奥出雲たたらと刀剣館前のオロチ

スサノオが、出雲国において十拳剣でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を切り刻んだ時、尾を切ると十拳剣の刃が欠け、中から大刀が出てきた。それが後に三種の神器のひとつとなる「草薙の剣(天叢雲剣)」である。そうした神話が生まれた地を実際に訪れてみて感じたのは、川の氾濫や、製鉄技術の渡来と発展が、物語に置き換えられて伝わって来たに違い無いという事だった。もちろん、神話には、シャーマニズム的な意味やヴィジョン等も混ざっていると思うが、歴史的な事実が全く関係無いとは流石に思えない。

いずれにしても、「聖なる剣」伝説の地において奉納演武をさせて頂けるというのは、何より得難い機会だと思いつつ、その日は眠りに就いたのだった。

「Youは何しに日本へ?」に剣武天真流!

2016年07月10日 23:38

宇宙の月14日(G7/10)KIN203 青い銀河の夜(by D)

5月下旬に石川県の能登半島で行われた剣武天真流セミナー&輪島ツアーには、日本、フランスを中心に、60名余りの参加者があった(その様子についてはコチラへ)。それぞれ多様な文化的背景を持ちながらも、日本の伝統文化や武道、霊性に強い関心と敬意を抱いている人々が集まっただけあって、非常に豊かで実りある時間を過ごす事が出来た。
能登合宿
 能登松 ★剣武セミナーより

さて、その中で、イタリアから参加したNicoloとGiulianoが、テレビ東京の「Youは何しに日本へ?」のスタッフに成田空港で声をかけられ、3泊4日のセミナー&ツアー中、ずっと密着取材を受けていた。
重蔵神社 ★輪島重蔵神社での奉納演武

ゆっくりしたいであろう食事やお風呂の時間までカメラに追いかけられるのは、流石に気が休まらなかったんじゃないかと思うが、僅か10〜20分の放映のために、丸4日も付きっ切りで取材する制作スタッフの方も大変だなー、なんて思いながらその様子を眺めていた。
IMG_7900.jpg ★金沢駅前で最後の取材を受けるNicoroとGiuliano

その時の映像が、いよいよ明日7/11(月)の18:55〜20:00に放映される。公式サイトの予告編を見る限り、かなり面白おかしく編集されている可能性が高いが、剣武天真流の稽古や動き、雰囲気を知る良い機会でもあるので、このブログを目にした方は、是非、ご覧いただければ幸いである。宗家や他の稽古仲間に混じって、私もチラッと映っているかもしれない。

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