東風吹かば にほひおこせよ 梅の花

2017年03月28日 01:32

太陽の月21日(G3/27)KIN203 青い銀河の夜(by D)

春分前後の4日間(3/19〜22)、私達は九州でとても豊かな時間を過ごして来た。前半2日間は、J.T高木さん(KIN203)主催の「天真体道」と「13の月の暦」のワークショップ、後半は志賀海神社で書と剣武の奉納、ふたば幼稚園での掲額式、そして別府国東巡りと、実に盛り沢山なスケジュールだったので、まずは前半から一つ一つ整理して行きたいと思う。

今回のイベントのきっかけが、1年前のG1/24にホゼ生誕77周年を記念して大阪で行ったクラスにあった事は「鷹と鷲の福岡天神&春分の志賀島」に書いた通りである。より詳しい背景は「天神さんと天迅さんの梅(前後編)」にまとめてあるが、それを再確認していて驚いたのは、ホゼ(KIN11)とロイディーン(KIN22)が大阪天満宮の天神祭に参加した2001年7月25日(KIN203)から、今日でぴったり22銀河スピンというタイミングだったのが判明した事。

やはり今回の九州行は、アグエイアス夫妻や菅原道真公も関与している何らかのミッションと関係があったようだ。出発の2週間余り前に、ある方がご自宅にあった道真公の真跡拓本のお軸を写真で送って下さり、その内容が太宰府に左遷された後に読まれた漢詩「自詠(みずからえいず)」だと判明したのも、大変興味深いシンクロだった。

ホゼの生誕77周年が、KIN241(ホゼの母エセル&私の誕生KIN)に対応するひと月(7番目の「共振の月」)の中心に巡って来ていた時点で、既にスユア(時空記憶回路)が開いていたのか、今回、羽田69番ゲート(62番から直前変更で7増えた)から乗り込んだのはANA241(7・竜)便。今の羽田-福岡路線に、わざわざこの数字が使われているのも偶然ではないのだろう。

富士山 

早朝の真っ赤な太陽と真っ白な富士山を見つつ福岡へ。大阪クラスの直前に大阪天満宮を参拝し、その翌日、北野天満宮で1番大吉のおみくじ(道真公11歳の詩とされる「月輝いて清雪のごとし」)を引いていた流れから、まずは太宰府天満宮を参拝することを決めていた。といっても、午後からのクラスに遅れる事は出来ないので、電車の接続が上手く行っても現地には30分余りしか居られない。

太宰府電車 

3連休中日の天満宮は既に多くの参拝客で賑わっており、本殿前には行列も出来ていた。菅公を追って飛んで来たという「飛梅」はほぼ咲き終わっている様子だったが、葉山御用邸から運ばれたという「皇后の梅」をはじめ満開の樹々も多く、境内には麗しい梅の香りが漂っていた。何気なく梅を撮った裏に「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」の碑があった事、そして、天満宮の住所が「7番1号(→7・竜)」だったのを知ったのは、今日(KIN203)になってからだった。

東風梅 ★この梅の樹の奥に道真公の「東風吹かば」の歌碑がある

また、以前(上記「中編」で)引用した「天神には神号の他に五つの名と姿があるといい、第五に九州の安楽寺に道真と称し十一面観音菩薩の化身になる」という下りの「安楽寺」とは、まさに太宰府天満宮の事で、創祀時は安楽寺天満宮と呼ばれていた事も、今日初めて知った。今回が初参拝だった太宰府には、ほんの僅かな時間しか滞在出来なかったが、きっと改めてゆっくりと訪れる機会があるに違いない。そう思える場所だった。

恒例のおみくじは、5番中吉で、Lは18番吉だった。上記「前編」ブログによると、大阪天満宮本殿の屋根の上には、5枚の花弁からなる「梅紋」が5つあり、その時は「のぞみ5号」で大阪に行っているので、やはり繋がっている。その後、天神に戻って地下街で軽食を済ませ、会場の「書斎りーぶる」(住所1-18)に向かった。地上に出ると、そこは10年以上前に天真体道(新体道)と暦のクラスを行ったアクロス福岡からすぐの場所だというのが分かった。

書店に併設されている会場に入り、部屋の奥の椅子に荷を降ろした時、いきなり目に飛び込んで来たのは、何と松田隆智先生の『謎の拳法を求めて』。思いがけない出会いだったが、著者の松田先生には数年前(他界される直前)に青木先生のご縁でお会いしており、目の前で寸勁を見せて下さった事が、懐かしく思い出された。パラパラ見ていたLが「素晴しい事が書いてあるから買って行こう」と言うので、四半世紀以上前に手に入れたものが実家の書庫にある事を伝えた。

いよいよ始まったクラスには、福岡だけでなく、長崎や佐賀、鹿児島からも参加者が集まって下さっていて、その熱心さにこちらも力が入ったが、大事なポイントはとてもシンプルで、そこさえブレていなければ、天真体道も「13の月の暦」も、自ら幾らでも深めて行けることをお伝えした。特に、暦に関しては既に知識のある方が多かったので、何が本質なのかに思い切り注力させて頂いた。

天真体道については、本来、新刊出版記念イベントの予定だったところ、諸事情で大幅にずれ込んでそれが叶わなかった事をお詫びしつつ、10月にNY国連ビルで行われる「12賢人会議」に、マスターの一人として青木先生が(ル・シエル財団に)選ばれた事や、それが『霊性のアート』に書いた「13人のグランマザー」とも関係している事をシェアし、新刊発刊の折には、また改めて機会を設ける事をお約束した。

終了後は、88-22ナンバーの車に乗せてもらって、のんちゃんという焼き鳥屋さんで懇親会。部屋が真っ白になるほどの煙にはビックリしたが、美味しい焼き鳥を堪能させて頂きつつ、参加者の皆さんと親交を深めた。翌日は午前中から志賀島でクラスを行う関係で、宿も翌日の会場隣にある「満帆荘」にして頂いた。その住所は「勝馬257-5」。

257というと、私の中では、伊豆熱川で初めて剣武天真流セミナーが行われた2009.7.19(KIN257)や、そこから520日後のKIN257(冬至)に三輪山の磐座に参拝した事、さらにその520日後に『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』のための対談を江本所長と行った日として思い出されるのだが、4月下旬に行われる剣武天真流の合宿が、8年ぶりに再び伊豆熱川で行われる予定で、そこにル・シエル財団の方が来る予定になっているのも、偶然とは思えないのである。

何しろ、この日、G3/19(KIN195)のちょうど260日前には、出雲市大社町杵築東195にある出雲大社で、剣武天真流の奉納演武を、青木宗家&本部正師範で行っているのだ。つまり、時間的にも空間(257)的にも、この日は剣武と深く繋がっている日だったのである。志賀島から福岡市内まで、真っ赤な77-77ナンバーの車で迎えに来て下さったのは、『6歳までにかしこい脳をつくる 奇跡の幼稚園メソッド』の著者、ふたば幼稚園の小崎孝子園長先生。シャンバラ教室生の小崎亜久理さん(KIN219)のお母様だが、今回のイベントには、お二人にも様々な形でご協力頂き、大変お世話になった。

途中、かの有名な「金印(漢委奴国王印)」が発見された場所を通った時に、日中の暦クラスの時に、窓の外で81-81ナンバーの車が方向転換したのを目にした事を思い出した。何故なら、金印が文化財保護法で国宝に指定されたのは1954.3.20(KIN81)だからである。遅い時間に到着した上、人工的な灯りが殆どないので、外の様子はよく分からなかったが、「満帆荘」が海岸に面した宿である事は、波の音から分かった。

そして、案内された部屋は「東風(こち)」という名前だった。その時は、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花…」という道真公の詩の事は全く頭に無かったので、剣武天真流の受け技「東風波濤剣」の事しか思い浮かばなかったのだが、今日、このブログを書いた事で、この部屋の名前までもが、道真公(天神さま)と繋がっていた事を(ある種の驚きをもって)知ったのだった。

天神さんと天迅さんの梅(後編)

2016年02月04日 01:48

■共振の月25日(G2/3)KIN46 白い共振の世界の橋渡し(by D)

G 1/25(KIN37)の朝、天気予報でも見ようかとテレビをつけながら体操をしていたら、最近流行っている様々な詐欺とその対策について、コントを交えながら伝える番組が流れていた。機器の進化に伴って巧妙化しているとは言え、詐欺の本質は、昔からある「心理的防御機構を如何にして外すか(焦躁らせたり同情させたり欲を刺激したりしつつ)」に集約されるのではないかと思えた。

例えば、誘い水としてまず無料や安価のものを、次に少し値の張るものを、と心の敷居を徐々に下げさせて行き、ついにはローンを組ませる所まで行く、と言った手法が典型的だが、実はこれは、ビジネスの世界でもよく行われている事だ。逆に言えば、商売というのは、どんな分野であれ、多少なりとも詐欺的要素はあるという事でもある(そのような意図は全く無くとも)。

私がそんな番組を思わず見続けたのは、マヤ暦関係でも他のスピ系分野でも、詐欺まがいの商売をしている人々が少なく無いという事実を、前日、改めて認識したからでもあった。ジャンルに関係なく、それらは、モノも情報も「商材」としか見ていない人々と、支払った金額の分だけ、資格や安心、あるいは人の役に立てる何かを得られると信じている人々の相互作用によって成り立つ、ひとつのシステムでもある。だからこそ高額化もし易いのだろう。

そんな事を思いながら1120号室をチェックアウトし、一路、京都へ。空は晴れ渡っているものの、寒波の影響で冷え込みは思いのほか厳しい。ロッカーに荷を預け、駅前のバスターミナルに向かうと、案内板の前に来た所で目の前の人が北野天満宮への行き方を案内のおじさんに聞いている。「○○の○○に乗って下さい」(もう忘れてしまった…)と答えているのが聞こえたので、そのまま流れるように乗り場へ。梅の季節とは言え、観光名所は無数にある街でのこのシンクロは幸先が良い。

北野天満宮前で下車した瞬間、大将軍八神社の案内板が見えたので、先にそちらから参拝する事にしたが、ラサの石川さんが薦めて下さった仏像群を見るには予約が必要だったようで(一般公開は年2回の限られた期間のみ)、残念ながら今回はお預け。しかし、もともとは陰陽道における方位と暦の神が祀られていた神社の住所が「48」というのは面白い。なぜなら、KIN48は「黄色い太陽の星」で、ドリームスペルにおいては金星軌道に対応するからだ。
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北野天満宮の参道は、今時珍しいくらいに屋台がズラリと並び、月曜の午前だというのに大勢の人で賑わっていた。もちろん、半数くらいは外国人観光客だったが、広い境内を巡って本殿前に着くと、何本かある鈴の緒のある所に皆きちんと並んでいる。進んで行くと、中央奥の丸鏡以外に6つ、八角形(八葉?)の鏡が掲げられている。今回の諸々の導きを感謝してから、社務所で「猿と梅」の絵馬、そして節分用の豆をゲット。本殿右手にある右から五番目の神籤箱を降って、おみくじを引いてみた。

一番大吉「月輝いて清雪のごとし」。「天神様の十一歳の頃、月が輝いて万物が清らかな雪のようであると詠まれたお詩です」と書かれていた。満月が輝く日に大阪天満宮のお膝元で「13の月の暦」とKIN11(11・猿)のホゼについての話をして来た「1・猿」の道筋を歩む私としては、これ以上無いくらい完璧な内容と数(猿の紋章コード番号は11)。また、大阪天満宮の20番と北野天満宮の1番を「黄色い太陽」と「赤い竜」と見れば、神秘の関係とも読み取れる。確かに、この2日は「予期しない」驚きに満ちている。
IMG_6835.jpg ★梅と三光門

その後、「星欠けの三光門」や境内の梅をしばし堪能させて頂く。ちなみに、三光とは、日、月、星の意味で、梁の間にその彫刻があることが名の由来とのこと。星の彫刻だけ見あたらないのは、かつて朝廷があった大極殿から望むと、ちょうどこの門の上に北極星が輝くことから、天空と一つになって平安京を守っていたという事らしい。

IMG_6840.jpg ★五辻通で目にした913と2613。26は現在のLの道筋、13は2016年元旦のKIN。

そろそろお昼時ということで、天満宮の東側から出て、「五辻通」をさらに東に向った先にあるカフェを目指す。途中「七本松通」という所を横切った時に、本シリーズ(前編)に記した道真公にまつわる「七本の松」の事を思い浮かべたが、後で調べてみると、直接の関係は無いようだった。しかし「五辻通」と「七本松通」の交差点を通る事になるとは、予期していなかった事だけに、出来過ぎた話だ。何故なら「260:364=5:7」となるからだ。 

バスで移動中に調べておいた「ひだまり」という町屋カフェは、天満宮の300mほど東に位置する。かなり人気の店らしいが、すんなり入れた上に、一番奥の床の間&中庭の前、石油ストーブにも近い席に案内された。寒さが染みる気候なだけにありがたい。それぞれの席には、膝掛けだけでなく湯たんぽも用意されていて、確かに店名前通りの暖かさ。この記事を書く前に再度調べたら、住所は100-99で、おみくじの1番ともシンクロ。テーブル5卓の全13席という配置は、ドリームスペルや金星会合周期を彷彿させる。
IMG_6843.jpg ★かぼちゃと豆さんのクリームシチュー 600円!

全てを女性が一人で切り盛りしている事も関係あるのだろうが、どうやら相席をさせない方針のようで、私が食事をしている間にも何組かの人たちが丁寧に入店を断られていた。身も心も温まった後で、少しだけ天満宮の方向に戻って、千本釈迦堂(大報恩寺)に参拝してみることにした。全く予定外だったが、京都市内最古の木造建造物(国宝)と書かれていたら、素通りは出来ない。

境内に入ってすぐ目に留まったのは、阿亀桜(おかめさくら)という名の枝垂れ桜。枝ぶりだけで満開時の見事さが想像できるが、ここが「おかめ」伝説発祥の地でもあったとは知らなかった。それにしても、鎌倉時代に建てられた本堂が、何度も焼け野原になった都で戦火を免れ続けたのは奇跡的だ。柱に残る刀や槍の傷後が、何時の時代に刻まれたものなのかに思いを馳せながら、しばし温かな日差しが差し込む本堂で瞑想。

その後、本堂奥にある霊宝殿で、快慶の「十大弟子像」、定慶の「六観音菩薩像」などをじっくりと見させて頂く。学校の体育館くらいある広い空間は、冷蔵庫並みの寒さだったが、鎌倉期の著名な仏師の作品に混じって、道真公の作とされる観音像を見つけた時は、興奮度が一気に高まった。仮にそれが後付けの話であったとしても、私にとっては、道真公が観音様を信仰していて、梅の木を自ら彫って像を作ったという話に、このタイミングで出会う事が喜びなのだ。もちろん、快慶や定慶の作品が素晴しかったのは言うまでもない。

案内パンフから、この寺を開創した義空上人が、奥州藤原氏三代・藤原秀衡の孫であると知った時に、何やら因縁めいたものを感じたのは、私が「1・猿」の道筋に入ったまさにその日に、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が開いた地、鎌倉巡りをしていたからだ。しかも、その少し前には、奥州藤原氏に関する興味深いシンクロもあった。帰り際、本堂前の狭いスポットで、知った顔の人物を同時に3人も目にしたのを不思議に思ったが、こういう現象と歴史の巡り合わせとは、時間の間隔が違うだけで、法則としては似たようなものなのかもしれない。

ちなみに、3名のうち2名は、京都駅からのバスで私の前に座っていた老夫婦。もう1人は、大将軍八神社で見かけたオジさん。夫婦は声も同じだったし、オジさんは大きなカメラと帽子に特徴があったので間違いない。もちろん、京都で観光をしていれば、どこかで再会する事は十分有りうる話だが(大阪の暦クラス参加者に翌々日京都でバッタリ会った事もある)、京都市内で最も古い木造建造物の前で集中的にバッタリというのが象徴的なのだ。実際、他の場所では会わなかったし、仮に会っていても私は気付くことが無かった。

霊宝殿ですっかり身体が冷えてしまった私は、今日のシンクロ散策はこれくらいにして、あとは温かいお茶でも飲んで帰路に着こうと、近所のカフェをスマホで調べる事にした。歩いて行ける範囲で最初に目に止まったのが「ラインベック」という店だった。住所を見ると何と薬師町692。五辻通で913ナンバーを目にしていていた私は、マヤ長期暦9.13.0.0.0=692年というシンクロに撃たれて、即座に行き先を決定した。興奮し過ぎたのが、店先の自転車に惑わされたのか、珍しく少し迷ってしまったが、無事に到着。
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店内で改めて調べてみると、何とオープンは2010年1月24日で、座席は20席!20番のおみくじを引いたのは、1/24の大阪天満宮。2010年のその日はKIN186(4・世界の橋渡し)で、ハーモニック・コンバージェンスに賛同して富士山に登ったと言われているオノ・ヨーコの誕生キン。そして今年は、夫だったジョン(KIN114)のキンから始まった「白い惑星の魔法使いの年」。何と言う美しさだろうか!!京都で立ち寄った町屋カフェの席数が13と20だなんて、狙っても出来ない芸当。

興奮醒めやらぬ状態ではあったが、ひと息ついて暖まったところで堀川通に向い、バスに乗る前に清明神社にご挨拶。羽生結弦選手の活躍で、最近また盛り上がっている気配の境内。私にとっては、仕上げに五芒星を目にすることで、「銀河の第5の力」への感謝を捧げるという儀式的な意味があったが、思いがけず北斗七星も目にすることになり、また5:7=260:364を再確認させられた思いがした。
IMG_6861.jpg ★清明神社の五芒星と北斗七星

満ち足りた気分で堀川通への小道を歩いていると1101ナンバーの車。1つ前の記事にも書いたが、伊勢内宮に『ドリームスペル』が奉納されたのは、道真公の死去からぴったり1101年後のタイミングだった。そして、北野天満宮で引いたおみくじは、道真公11才の時の詩が記された1番のもの。京都駅のロッカーは、元旦(G7/26)から1スピン後だという数で選んだ0412。という事は、当然、今年のG4/12はKIN114(J・レノン)である。ロッカーを選んだ時は、ジョンとヨーコがこんな形で絡むとは想像していなかった。
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「もう十分」という事で、新幹線も一番早く取れるもので席を指定。すると「のぞみ44号13号車11番D」となった。『時間の法則の20の銘板』(KIN44〜)の制作世話人をしていた私の字画は、苗字が13画で名が11画の合計24画。『13の月の暦』の毎月の誕生日は18日。のぞみ44号は、18:18京都発20:14新横浜着の予定だったが、途中雪の影響で新横浜は2分遅れの20:16着。『時間の法則の20の名版』は別名「16年間のテレクトノン」。「時間の法則」を生きると、このような事は当たり前になる。

そして今日、その『20の銘板』の見方でKIN241に対応する「共振の月」最後の「魔術の亀の日」&節分に、北野天満宮で手に入れた福豆を頂いて、このブログを書き終えた。袋に入っていた豆の数は全部で60。『テレクトノン』において9.13.0.0.0(692年)にその墓室が封印されたとされる「碑銘の神殿」。墓室の石棺に刻まれたパカル王誕生の日付「8アハウ」を、ドリームスペル風に読めばKIN60。マニアックな事を含め色々書いたが、これらは全てただの遊びなのだ。ただしそれは、バラバラに見えているものを繫ぐことで、実際にリアリティを変容させる「遊び」である。
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という事で、天迅による天神さんの記録は、ひとまずここまでとしたい。

天神さんと天迅さんの梅(中編)

2016年02月02日 23:34

共振の月24日(G2/2)KIN45 赤い律動の蛇(by D)

ホゼの生誕77周年に大阪チャクラで行った「惑星意識と繋がる共振テクノロジー」は3部構成で、最後の第3部に参加されたのは、まさにその時空に共振した7名の方々だった(私を除く)。その中には、2004.3.30(KIN141)の伊勢内宮ご神域(高麗広)で行われたホゼのセミナーにも参加されていた吉田雅昭さん(KIN43)も含まれていた。

2004年の伊勢セミナーは、ホゼが「自分史上最高の講演だった」と自ら評したほど、ノリに乗った講演会だったが、そのタイミングは、超新星1987Aが観測された1987.2.23(KIN141)からぴったり24銀河スピンでもあった。天照大神(太陽)を祀る伊勢で、太陽系を「ヴェラトローパ24」と呼ぶアルクトゥルス的視点を持つホゼが講演する事になった時点で、この美しい繋がりは太陽銀河的に調整されていたのかもしれない。

しかし、驚くべきは、KIN141(11・竜)が誕生キンで、現在の道筋がKIN241(7・竜)の方が、これまた遠路九州からチャクラでの会に参加されていたという事実。伊勢講演会の場に居た吉田さん(4・夜)と私(7・竜)が再会しているだけでも面白いのに、その「時間」までもが「チャクラ」に集ってしまったのだ。加えて、今回の見えざる次元の仕掛人とも思える菅原道真公の誕生と死の日付は、以下の通り(一つ前の記事に書いた通り和暦よりG暦に変換済み)。

誕生:845年8月5日 KIN254(7・魔法使い)
死去:903年3月31日 KIN237(3・地球)

伊勢講演会の翌日、2004.3.31(12・風)は、『シンクロニック・ジャーニー』にも詳述してある通り、内宮神楽殿にてホゼと宮司さんのミニ講演&『ドリームスペル』の奉納が行われた日。何と、その日が道真公の死去から1101年後のタイミングだった事が、今回初めて分かったのだ。

現在、G7/25に天神祭が行われている背景には、道真公の誕生と死の日付が、和暦だといずれも25日になる事が関係しており、7/25(時間をはずした日)に定まっていたが故に、アグエイアス夫妻がその祭りに参加する流れになった事を思うと、何とも不思議である。11が「猿」を、1が「竜」を示す事も考えると、ホゼ(猿)とエセル(竜)の誕生日に行うイベントを通じて、この事に気付かされたのも必然なのかもしれない。
IMG_6836.jpg ★北野天満宮の梅

ところで、吉田さんは『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』にも実名で登場して頂いているレジェンド的な時空のサーファーである。もし、吉田さんが私のクラスを「知識を得る場」とだけ認識している方だったら、今回も参加する必要は無かったはずだ。それくらい、吉田さんはホゼの原典資料を良く読み込まれているし、その知識を日々の生活の中でも十全に活用されている方だからだ。

それでも参加して下さったのは、「然るべき時に、然るべき場に身を置くこと」の意味を、体験上よくご存知だからなのではないかと思う。もちろん、今回の参加者は全員、それを自覚しているいないに関わらず、その意味を(少なくとも直感的には)理解していたと言える。だからこそ、イベント終了後の今も、互いにその共鳴音が鳴り響き続けているのだろう。

その日(G1/24)、チャクラに残って食事をして行かれたSさんはKIN61(&道筋KIN11=ホゼ)で、実はチャクラの主であるタッちゃんと同じ誕生キン。この日の締めに、チャクラの守り手であるアッちゃん(KIN103)&金ちゃん(KIN134)とも一緒に話が出来たのは、私にとって嬉しい事だった。今、気付いたが、この二人のKIN番号の合計は、道真公死去の日付KIN237にシンクロしている(KIN237はKIN241とパルサーの関係にもある)。

そして、関西におけるチベットサポートの拠点としても開かれている大切な場「チャクラ」の主、アッチャン&タッちゃんの誕生キン合計は164で「銀河の同期」そのものである。チャクラが、関西における『ドリームスペル』配布の要になっているのには、多次元的に然るべき理由があるのだ。

その夜、私がチェックインしたホテルの部屋番号は1120。ホゼ(KIN11)の誕生日に、ホゼが訪れた事のある大阪天満宮で引いたおみくじが20番(吉)で、最後まで残っていた参加者の方の道筋もKIN11だったのだから、私がこの番号を見て「任務完了、おめでとう」と言われた気分になったとしても、それほどおかしくは無いだろう。

後で知ったのだが、この日(G1/24)大相撲初場所で、福岡出身の琴奨菊が初優勝。日本出身力士として10年(59場所)ぶりというのだから、これは快挙だ。しかも、琴奨菊の誕生キンはKIN62。サグラダファミリアの主任彫刻家で福岡出身の外尾悦郎さんと同じ。やはり九州(太宰府)との強力な繋がりを感じる。昭和62は1987年で、2013年の式年遷宮は62回目だった事を、再度メモしておこう。

翌日がKIN37(11・地球)だったのも象徴的だ。なぜなら、この日は、ホゼが『マヤン・ファクター』を捧げたC・T・ムクポこと、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェの108回目の誕生KINだったからだ。しかも、この日から108日後は、ダライ・ラマ法王(テンジン・ギャツォ)による文殊菩薩の許可灌頂が、”大阪で”行われる日。
IMG_6855.jpg ★KIN37の京都散策にて

トゥルンパ・リンポチェの正確な誕生日はわからないが、ホゼが各所でKIN37と書いていたのと、Wikipediaなどで1939年2月生まれと書いてあるので、この日が108銀河スピンだったのは、ほぼ間違いないと思う。この日の朝、Wikiを確認をした事で、面白い発見があった。以下、その部分を引用してみる。

”1968年、王家の招きをうけブータンを訪れ、そこでブータンで唯一の瞑想施設に入り、ジグメ・ワンチュク王子(第4代国王、先代(2011年6月現在))の個人教師を務めた。そこで王家のアドヴァイザーとして滞在中のディルゴ・キェンツェー・リンポチェと再会する。そのおり尊師パドマサンバヴァゆかりの聖地タクツァンで瞑想していたトゥルンパは、西洋の科学物質文明のなかに仏教を真に根付かせるには、自らのなかの精神の物質主義を断ち切ることが必要だと悟る。”

何と、トゥルンパ・リンポチェは、ブータンでディルゴ・ケンツェ・リンポチェに会っていただけでなく、タクツァンも訪れていたのだ!(私達は2007にその地を訪れている) ケンツェ・リンポチェは『シンクロニック・ジャーニー』P43(=吉田さんのKIN)に写真入りで登場して頂いている方で、後に、カトマンズで、その頭蓋骨が収められている部屋に何故か招かれて(私達はその部屋の存在すら知らなかった)、転生者にもお会いする事になった縁のある方だ。

ダライ・ラマ法王の師の1人でもあったケンツェ・リンポチェ、アグエイアス夫妻の師でもあったトゥルンパ・リンポチェ。この二人がブータンで会っていただけでなく、ある意味、全員と繋がっている法王が、間もなく大阪に来られるのだ。何という興味深い発見を、大阪でしたのだろう。しかも、今回は「文殊菩薩の許可灌頂」が行われる予定だ。私が法王の法話を伺うようになって15年以上経つが、日本では多分初めての事ではないだろうか。
IMG_6834.jpg ★北野天満宮

一方で、菅原道真公と深く結びつけられた天神信仰には、以下のような側面があるというのを、今回初めて知った。同じくWikiより引用してみる。

”天神には神号の他に五つの名と姿があるという。
第一に好玄と称し「千手観音」の化身となり
第二に道直と称し「大日如来」の化身となり
第三に良道と称し「地蔵菩薩」の化身となり
第四に京都の北野に降れば道実と称し「文殊菩薩」の化身となり、
第五に九州の安楽寺に道真と称し「十一面観音菩薩」の化身になる”

KIN37(G1/25)に訪れるつもりでいたのは、二子玉川ラサの石川さんに薦められた大将軍八神社と、そのすぐ近くにあることが分かった北野天満宮だけ。後は、当日のノリで決めようと思っていたのだが、ここでも狙ったかのように「文殊菩薩」が登場。カーラ・チャクラの複雑な教えを要約したのも、この文殊菩薩の化身であるマンジュシュリー・キルティとされているし、このシンクロ率はやはりただ事ではない。

ちなみに、文殊菩薩像は、獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つものが多いとのこと。獅子座生まれで剣武も学んでいる天迅(私の書の雅号)としては、かなり親しみを覚えてしまうが、天神さん(道真公)とテンジン・ギャツォさん(ダライ・ラマ法王)とが、文殊菩薩を通じて響き合うというのは、今回のこのタイミングでなければ、なかなか気付けなかっであろうと思うだけに、時の聖なる働きを感じてしまう。
IMG_6826.jpg ★大将軍八神社

京都を訪れてからの話は、ますますシンクロが激しくなるので、ここで一旦区切ろうと思っていたのだが、今日気付いた事が、どうも上記の話と様々なレベルで絡むような気がしてならないので、ちょっと脱線する感じもあるが、京都のパートは「後編」に回すことにして、以下、別な話を少しメモしておく。

パルサー爆弾と連動するKIN27から読み始めた『二つの世界を生きて 一精神科医の心霊的自叙伝』を、長いあとがきまで含めて、今日、ようやく読み終えた。著者のアーサー・ガーダムの誕生キンがKIN125である事は、2週間程前に確認していたが、死去した日もまたKIN125であったと知ったのは、今日になってから。

「訳者あとがきにかえて」P369(天照大神の数霊)の最後に、1992.2.2、満87歳の誕生日を間近に控えバースにて死去、という一文を発見したのだ(バースという地名も興味深い)。何と「共振の月24日」の今日からぴったり24年前に他界しているではないか!しかもそれは、誕生日(1905.3.9)と同じKIN125だったのだ。

369は天照大神の数霊と言われるが、2013年に伊勢で行われた式年遷宮は、125代今上天皇の時に執り行われたもので、伊勢の神宮は125社からなる。その遷宮で臨時祭主を務められた黒田清子さんもまたKIN125。今日というタイミングに、125で強力にコード化されたアーサー・ガーダムの本を読み終えたことには、何か深い繋がりを感じる。KIN125で生まれ、KIN125で去ったガーダムは、ぴったり122銀河スピンの期間、この世界に存在していた。

加えて、今日は父がこの世を去った時(2001.11.4)と同じKIN45。一体どのくらい経過したのか計算してみたら、ぴったり20銀河スピン(20×260=5200キン)であった。もちろん、これは閏日調整をする『ドリームスペル(13の月の暦)』の数え方での話だが、父の命日からぴったり2年後の2003.11.4(KIN255)に、ダライ・ラマ法王が伊勢の内宮を初参拝されている事は、改めて記しておきたい。そして、その時、観測史上最大の太陽フレアーが起った事も。

今回は、冒頭に超新星爆発について書き、終わりに太陽フレアーについて書いたが、宇宙的現象が地上の動きと呼応するという発想は、どの時代のどの地域でも見出せる普遍的なものだ。それは、実は今も変わりないということを、私はますます実感するようになって来ている。それは、そのように「見る」ことから始まっている側面もあるので、そのような見方を「無視」したり「迷信視」したりする人には理解不能な感覚であることも、私は十分理解しているつもりだ。しかし、世界は見方によって、実際に変容するのである。

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