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鎌倉みちのく魔術紀行(4)

2015年09月09日 01:29

■月の月17日(G9/8)KIN158 白い月の鏡(by D)

「猿の創世記」の始まりと「魔術の亀の日」が重なったKIN131(G8/12)の出来事について、途中まで書いたところでブログが10日以上も止まってしまったのは、横浜、大阪と密度の濃い暦クラスが続いたり、奈良でのシンクロ散策が強烈だったりしたからだが、それらについてはまた機会を改めるとして、まずはこのシリーズを完結させておきたい。シンクロを通じて浮上して来ている出来事は、できるだけ間を置かずに表現することで解放される(=潜在意識の自由度がUPする)という経験が、これ以上の放置は望ましく無いと訴えている。

加えて、体験を表現する行為は、このブログを読んで下さる方々の潜在意識や、より集合的なレベルでの意識の解放にも関与しているように思えるので(私の勝手な妄想ではあるが)、やはり中途なままにはしておけないのだ。例えば、今回のシリーズでクローズアップされているのは、宮沢賢治奥州藤原氏、鎌倉幕府(源氏・北条氏)、三陸地震、日航機事故等であるが、そこから何かを感じ取られる方は、どこかの次元でこれらの出来事とリンクしていて、その解放にも関わる立場にあるはずだ、という想いが私にはある。

ここ数年、そんな想いが強くなったのは、長年携わって来たウォーターセラピー(波動測定)の現場で体験する事と、シンクロに導かれて各地を訪れた時に体験する事の中に、ある種の共通性があると気付いたからだ。セラピーを通じて、多様な問題が解決して行く時には、大体、以下のようなプロセスがあり、それに対して顕在意識側から余計な解釈などしなくても(むしろしない事で)、事は自ずと展開して行くのである。

まず浮上して来たものをそのまま「見る」。次にその背景について内から「知る」。知った事によって何かしたくなったらそれを「する」。そして、この流れをただ「楽しむ」。すると、「銀河の七方向への祈り」の前半4つが自然に成就し、そのまま7番目の「愛の光」に向かって自ずから解き放たれて行くのである。これと良く似たプロセスが、シンクロ巡礼においてもしばしば起こるのだ。この辺りの事については、いずれ本にでもまとめてみたいところだが、今は雰囲気だけで良いだろう。

前置きが長くなったが、G8/12(KIN131)の続きを書こう。江ノ島巡礼中に思いがけず天気が良くなった事もあって、鎌倉駅に到着した頃には暑さでかなり体力も消耗し、腹ぺこ状態だった。お昼は段葛の「こ寿々」で蕎麦、と決めていたので駅から直行。かつて二子玉川で毎週のように通っていた「珠玉」のカレーは、村上愛子さんの拠点が鎌倉に移ったことで「オクシモロン」でしか食べられなくなっていたので、誕生日は是非そこでと思っていたのだが、KIN122(G8/3)に当りをつけた時に、ちょうど定休日である事が判明。その時に見つけたのが「こ寿々」だった。

桜の植え直し工事中の段葛にかつての面影は無く、それが残念ではあったものの、お蕎麦とわらび餅(この店の名物らしい)を頂いて一服し、そのまま100mほど八幡宮方面に移動すると、噂通り、この日プレオープンしたばかりの丸山珈琲がその姿を見せてくれた。軽井沢発祥のこのコーヒーショップは、近場だと、剣武の稽古をしている尾山台にある位で、まだそれ程あちこちで見かける訳ではないが、毎年、世界トップレベルのバリスタを排出している事でも知られている。
丸山珈琲 
実は、その辺りの事は、丸山珈琲と仕事上の繋がりもある二子玉川ラサの石川さんから教えてもらった事で(西麻布店ではラサのお茶が飲めるし茶葉の入手も可能)、鎌倉に店がオープンするというのも、石川さんのFBを通じて知った情報だった。当初は、8/14オープンとしか書かれておらず、「何ぃーーーっ!何て中途半端なタイミングにオープンするんだぁぁぁ!」と、獅子座俺様モードで叫んでいたのだが、それがテレパシーで届いたのか、直前になって 8/12プレオープン&無料サービスというのをLが見つけてくれたのである。

しかし、「こ寿々」について調べた頃には、丸山珈琲が鎌倉に出来るなんて事は全く知らなかったし、想像もしていなかったのだから面白い。しかも、同じ通りの同じ側で100mも離れていない場所にオープンするなんて、何とも出来過ぎた話だ。こうなって来ると、今年の誕生日がオクシモロンの定休日と重なってしまった事も、なるほどと納得出来てしまう。もしオクシモロンが定休日でなかったら、私は「こ寿々」というお店に気付く事も、この楽しいシンクロを味わう事も無かったに違いない。

お店に入ると、普通に値段付きのメニューが出ていたので「無料は気のせいだったかな?」と思いつつ、暑さであまり考える気力も無かったので、冷えた飲み物を注文してお代を支払おうとしたら、「今日はオープン記念でサービスです」と快活な笑顔でスタッフが応えてくれた。今日がプレオープンだと知らずに入って来る人も多く、皆一様に「え、ホントに?」と顔をほころばせている。実際、思いがけないサービスは嬉しいものだし、味だって素晴しいのだから、お店の中には自然と喜びが満ちる訳だ。

中学の通学路でもあった段葛に面し、ラサや剣武を通じて縁も感じている丸山珈琲で癒された私は、「8/12の鎌倉」という時空から祝福されているのを、ひしひしと感じていた。そして、それが個人的な喜びを超えた、多次元的な解放にも繋がっているように思えてならなかった(それは後からよりハッキリした形で示されるのだが)。せっかく誕生日に鎌倉でプレオープンしていても、石川さんがFBでシェアして下さっていなかったら、あるいはLがそれに気付いてくれていなかったら、きっと後で「1度きりの特別なタイミングを逃したーーー!」と遠吠えしていたに違いない。

この日に(プレであれ一般客を入れて)オープンした丸山珈琲鎌倉店は、KIN131(青い磁気の猿)をその誕生キンと見なす事が出来る。ドリームスペルツォルキンの中心である調波33のさらに中心、魔術のウェイブスペル(13日周期)の始まりと、「目的/統一する/引きつける」のキーワードを持つ銀河の音「1(磁気の)」が月日で重なる「魔術の亀の日」が同期するという、特別なタイミングにオープンしただけでなく、『ドリームスペル』日本語版の制作チームリーダーであるLと、『13の月の暦』入門書を書いている私が、まさにその日に訪れてしまったのだから、このお店にはきっと、とてつもない「魔術的シンクロ磁場」が形成される事になるだろう。

少なくとも私達にとっては、特別な意味を持つシンクロスポットとして、今後も注目し続けるお店になるだろうし、鎌倉を訪れる際には、必ず立ち寄るようにしたい場所のひとつにもなった。もう1つ付け加えておきたいのは、この日、店内カウンターの上の黒板に《本日のエスプレッソ「ボリビア・アグロ・タケシ・ティピカ」》と記されていた事だ。というのも、鎌倉店のオープンについてシェアして下さっていたラサの石川さんのお名前が、まさに「タケシ」だからである。
タケシ 
この件について「名前が気になる」とFB経由で問いかけてみたところ、「世界で最も高い海抜でとれるとてもクオリティの高い豆です。香りの高さと果実を思わせる爽やかな酸味が特徴的ですw」とだけ返信されていたので、現時点では、ご本人との関係については不明のままである。まあ、近いうちにラサを訪れて直接聞いてみるとしよう。本当はもう少し先まで書くつもりでいたが、ここまでで一杯一杯な感じになってしまったので、続きはまた後日。

追記:今日のサイ時間単位がKIN30なので、やはりこの事だけは書いておこう。宮沢賢治(KIN131)の「永訣の朝」という作品の誕生(KIN93)からパカル王の石棺開封(KIN123)までは「ぴったり30年」(どちらもG11/27)。その事に気付いた日の翌日の8/12は、私の46の誕生日であり日航機事故(123便)から「ぴったり30年」で、それが今年は賢治の誕生キンであるKIN131と同期していた。

以上、「1(磁気の)」の「魔術の亀の日」の誕生日からウェイブスペル2巡分が経過した「2(月の)」の「魔術の亀の日」、365日暦の月の月17日、そして「白い鏡」の紋章コード番号18とシンクロする2つの台風(17号、18号)が列島に近付きつつある「鏡」から「嵐」にかけての深夜に記す。
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鎌倉みちのく魔術紀行(2)

2015年08月25日 03:03

月の月2日(G8/24)KIN143 青い宇宙の夜(by D)

誕生日の過ごし方を決めたKIN122(G8/3)から4日後のKIN126(G8/7)に、『シンクロニック・ジャーニー』『マヤのリズム』『霊性のアート』の制作でお世話になった天野氏からメールが届いた。誕生KIN祝いのメールを送ろうと思っていたら先を取られてしまったのだが、その内容もまた、天野さんならではの興味深いものだった。

『13の月の暦』元旦(G7/26)に目にした「相馬の野馬追」の事、「前九年の役」や「後三年の役」といった奥州藤原氏に絡む話題(安倍氏という氏族も登場する)、映画『ダライ・ラマ14世の光石富士朗監督(私達は舞台挨拶された監督と上映後に少し話をさせて頂いている)と職場の先輩だった方の関係など、それぞれ異なる切り口ながら、どこか深いところで繋がっていると感じられる話題が綴られていた。

だが、それらの話題がよりリアルに迫って来たのは、そこからさらに4日後の8/11(KIN130)の事だった。その日、私はツイッターで以下のようなツイートをしている。

”パカル王の石棺が開封されたKIN123が、1952年11月27日だと判明してから、やたらめったら1127ナンバーの車を見るようになった。特に好まれる数の並びでも無いと思うのだが不思議な事だ。”

8/11は、自分の誕生日基準での「時間をはずした日」に当たり、それが今年はツォルキンの中心調波33(虚空コドン)のさらに中心、そして130日続いた「竜の創世記」と、13日続いた「鏡のウェイブスペル」の最終日であるKIN130と重なっていた。しかも、上記のKIN122(5・風)とKIN126(9・太陽)は、KIN130(13・犬)と4次元パルサーの関係でもある。

その夜、間もなく宮沢賢治(KIN131)の道筋に入る事を意識した私は、『雨ニモマケズ』(フォア文庫)を久々に手にし、テキトーに本をパッと開いてみた。すると、そこには「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」という初めて見る詩が掲載されていて、ページはP133だった。

そのまま読み進めると、次に登場したのは、その昔、教科書でも目にしたことがある「永訣の朝」だった。P135から始まっているその詩は、P137まで続き、最後にこの詩が1922年11月27日年の作である事が記されていた。

つまり賢治が夭逝した妹のために詠んだ「永訣の朝」は、パカルの石棺の蓋が開封されるぴったり30年前の作品だったということになる。だが、これも一週間前のG8/4(KIN123)に確認作業をしていなければ、分からなかった事だ。

驚きは「原体剣武連」にもある。この詩の中には「片刃の太刀をひらめかす 原体村の舞手たちよ」とか「こんや銀河と森とのまつり」「獅子の星座に散る火の雨の 消えてあとない天のがわら」...などの印象深いフレーズが続くのだが、ウィキペディアによると 《原体剣舞は踊り手の全てを子供達が演じ、その純真無垢の清らかさにより先祖の霊を鎮めようと伝えられてきた念仏踊り(鬼剣舞)の一種と思われる》と説明されている。

また、鬼剣舞(おにけんばい)は、岩手県北上市周辺に伝わる伝統芸能で、同じくWikiには《この踊りの独特の歩行に、修験道の鎮魂の呪術のひとつ「反閇(へんばい)」がある。陰陽道で用いられる呪術的歩行のひとつで、「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」の要素と、念仏によって御霊や怨霊を往生させて災厄を防ぐ浄土教由来の信仰的要素が見られる》とも書かれている。

剣武天真流の蒼天支部道場長を務め、昨年からは、本部正師範にも任命されている私が、このタイミングに賢治の作品集から”剣”にまつわる詩に導かれるのは、やはり興味深い。しかも「魔術紀行(1)」にも書いた通り、賢治は、父や祖父(母方)が通った高校(旧制中学)の先輩にも当たり、実家にある卒業者名簿にも、その名が登場するのだ。

一方、父方の祖父は、父が子供の頃に他界したという事もあって、私も写真でしか見た事が無いのだが、その昔「剣舞」をしていたという話を、数年前の法事の時に、叔父や伯母から教えてもらって、驚いた事がある。そんな事実が、割と最近になって判明したのも、私が剣を学んだり、教えたりし始めたからに他ならない。

祖父がやっていた剣舞が「鬼剣舞」なのかどうかまでは分からないが、少し調べてみると、盛岡にもその流儀は伝わっていたようだから、もしかしたら関係があるのかもしれない。しかし、もう1つ驚かされたのは、鬼剣舞の装束についてWikiに書かれた、以下の一文だ。《紺地に白の竜胆(りんどう)模様(丸に笹竜胆紋 - 和賀氏(源氏)の家紋)の「胸当(むねあて)」》。笹竜胆は、私が通っていた中学校の校章でもあるし、鎌倉市の市章でもある。
源平池 ★中学への通学路でもあった源平池の蓮

そして、鬼剣舞が伝承されている地域は、時代こそ隔たっているものの、奥州藤原氏が治めていた土地と殆ど重なるのである。実際、剣舞に関する情報を追って行くと「奥州平泉・藤原氏初代清衡(きよひら)を悩ます亡魂を浄土へ導くさまを表現した舞い」と説明されている事が多いので、やはり関係はあるのだろう。

それにしても、天野氏(KIN126)を通じて注目するようになった奥州藤原氏と、賢治(KIN131)を通じて探求する事になった「剣舞」とが、このような形で繋がって来るとは、何とも思いがけない展開である。しかし、この一連のシンクロのお陰で、いまいち分かっていなかった奥州藤原氏の謎が少し解け、最終的には源頼朝に滅ぼされた事も再確認出来たのであった。

鎌倉みちのく魔術紀行(1)

2015年08月21日 01:39

磁気の月26日(G8/20)KIN139 青い太陽の嵐(by D)

「運命の道筋」が新しい13年サイクルへと入る(=銀河の音が1になる)年は、人生における「魔術飛行」が生じるという意味で、重要なターニングポイントの一つだと思う。これは、誰かに教わった知識で語っているのではなく、20年近く『13の月の暦』を使い続け、身近な人々を観察し続けて来た私自身の実感である。

それだけに、「ドリームスペル創世記」の観点から見ても最大の変換ポイントの一つと言える「青い磁気の猿」(KIN131)の道筋に入って行く事には、特別な思い入れがあった。加えて、KIN131は宮沢賢治の誕生キンだ。父や祖父、親戚達が卒業した高校(旧制中学)の先輩でもある賢治に、ある種の親近感と憧れを感じていた私は、自分達の活動名にも、賢治の『農民芸術概論』にインスピレーションを得た「時間芸術学校」の文字を入れている程だ。

そんな訳で、今年の誕生日の過ごし方については、結構真剣に検討していた。何事も「始め方」が肝要である事を、天真体道(剣や書、瞑想)の稽古や暦の体験を通じて、ひしひしと感じて来たからだ。おそらく、今生において、自分の心身の充実度が(総合的に)最も高まる期間でもあると思うので、そのスタートには大いなる魔法を掛けておきたい。

しかし、具体的に予定を決めたのは、誕生日を9日後に控えたKIN122(G8/3)になってからだった。どうしてそうしたのかは忘れてしまったが、私はまず、賢治と三陸地震の関係を再確認する事から始めた。パレンケでパカル王の墓が開封された1952年6月15日(KIN218)からぴったり56(7×8)年前の1896年6月15日(KIN58)、明治三陸地震が起こっている。賢治が生まれたのはその73日後、「赤い自己存在の月の年」の元旦(=KIN69)から33日目の8/27(KIN131)である。

一方、昭和三陸地震が起きたのは1933年3月3日(KIN199)。賢治が他界したのは、その年の9/21(KIN141)で、「黄色い律動の種の年」の元旦(=KIN84)から58日目に当たる日であった。パカル王やパレンケの「碑銘の神殿」に関する数字に詳しい方なら、ここから様々なサインが読み取れる事だろう。

しかし、わざわざお盆の大移動と重なる時期に、賢治の足跡を辿ってみちのく方面に向かうのは気が進まないし(行くなら別なタイミングを選ぶ)、万難排して訪れたくなるような場所も思いつかなかった。そこでふと浮かんだのが江の島だった。沖縄のカミンチュ外間先生(※)が「弁財天と縁がある」と伝えて下さったのを思い出したのだ。先生は私のぴったり1スピン前が誕生日なので、「運命の道筋」も常に私に先行する形で同期する事になる。ひと足先に賢治の道筋(1・猿)に入られた外間先生が、今、行くべき場所を思い出させて下さったのかもしれない。

(※)外間先生に関しては「おきなわ祈りの旅」シリーズに記してある

鎌高陸上部時代に、江の島の頂上まで登って帰って来るコースを何度か走った記憶はあるものの、江島神社をきちんと参拝した記憶は殆ど無いし、弁財天についても三大弁財天というのを耳にした事があるだけで、参拝した事があるのかどうかも分からない始末。外間先生からお話を伺った時に、「江の島の弁財天をお参りしなくては」と思ったのにも関わらず、実行に移せないまま時間が過ぎていた事、二子玉川からだと割と交通の便も良く、多少暑くても早めに出れば大丈夫だろうと思えた事で、誕生日巡礼の第一候補に江の島が躍り出たのだった。

だが、それを「決意」のレベルにまで変容させたのは、江の島の歴史を調べ直した時に判明した、以下の情報によるところが大きかった(以下、Wikiより抜粋引用)。

・文武天皇4年(700年)4月 - 役小角が江の島の岩屋に参籠し、以来、島全域が聖域として扱われた。
・弘仁5年(814年) - 伝承によれば空海が金窟(現・岩屋)に参拝し国土守護・万民救済を祈願、
社殿(岩屋本宮)を創建、神仏習合により金亀山与願寺(よがんじ)という寺院になったという。
・寿永元年(1182年) - 源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請。
・文治元年(1185年) - 頼朝が弁才天(現・奥津宮)に鳥居を奉納。
・建久元年(1190年) - 北条時政、江の島に参籠、一族の繁栄を祈願する。
この時、龍神の残した3枚の鱗をもとに、北条氏・「三鱗」の家紋と定めた。
・弘安5年(1282年) - 一遍(いっぺん)鎌倉入りを拒まれ、江の島へ渡島したと伝える。
・1600年(慶長5年) - 徳川家康が参拝した。

縄文時代から人が住んでいた場所というのにも大いに刺激を受けたが、個人的に最もインパクトがあったのは、役小角が岩屋に参籠したという話だろう。【持統天皇と「八」の秘密】にも書いた通り、役行者とのシンクロは、ここ半年程ずっと続いているからだ。だが、空海もリアルタイムでビシバシ来ているし、頼朝は通っていた附属鎌倉中のすぐ隣で鎌倉幕府を開いた人物だし、文覚は洒水の滝を拓いた方だし、北条氏は高倉健からの繋がりがあるし(後述する予定)、時宗の宗祖である一遍は、かつて学んだ枇杷葉温圧療法とも関係が深い。という事で、「これは何としても江の島(特に岩屋)に行かなくては」と思ったのであった。
写真 ★江の島岩屋付近からの風景

また、江島神社の御祭神が、宗像三女神だと知った事も、その決意をより確かなものにさせた。何しろ、古事記においては、誓約において、天照御大神が須佐之男命の「十拳剣」を譲り受けて生んだ神々。仏教との習合によって、弁財天女とされ、江島弁財天として信仰されるに至り、 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれるようになった…とも公式サイトには書かれている。水に関する仕事をし、剣を教え、書を学ぶ私にとって、これ以上ぴったりな巡礼地はなかろう。

ところで、これら一連のメモを手帳に書込んだりツイートメモしたりした翌日のKIN123(G8/4)、帯広の時空のサーファーJさんが、以下のようなツイートを(私が江の島にチャンネルを合わせる前の)8/2の時点でしていた事に気付いた。

”今日、車の中でつけていたテレビから、ちびまる子ちゃんが「ミツウロコ、ミツウロコ」と連呼。普段、観てないので、なんだ?と思って観たらCMだった。「ミツウロコ」のマークは、江ノ島の弁才天の紋章や、宇宙図書館の入り口にある「勇気の紋章」と同じカタチの図形。”

Jさんは『シンクロニック・ジャーニー』P93に登場するKIN20の人物と同一人物だが、流石に私(KIN241)の「神秘のパートナー」(※)だけあって、いつも私を予期せぬ情報で驚かせてくれる。ちなみに、『シンクロニック・ジャーニー』にバックミンスター・フラーはKIN20と書いてしまったのは私の勘違いで、フラーの誕生キンはKIN240が正しい(お詫びと共にこの場で訂正させて頂く)。

(※)KIN番号の合計が261になるドリームスペル特有の組み合わせで、マヤ暦にそのような考え方や計算法は存在しない

G8/4がKIN123だった事で、私はパカル王の石棺が開いた日付について、やっと本気で探求する気になった。石棺の開封がKIN123だった事は、ホゼの資料にもよく出て来るのだが、それがG暦で何月何日に相当するのかは、(私の知る限り)邦訳資料のどこにも書かれておらず、推測の域を出ないままになっていたのだ。しかし、英語で検索すれば出て来るのではないか?と今ごろになって思い立ち、実行してみると、あっという間に確認出来てしまったのである。

先の三陸地震との関係もあるので、整理して書いておこう。パカルを埋葬した「碑銘の神殿」の墓室の扉が開いたのは、1952年6月15日(KIN218)。その後、遺体が眠っていた石棺の蓋が開封されたのは、同年11月27日(KIN123)。従って、今年の8/4で、開封88銀河スピンという事が判明した。

ちなみに、墓室開封から20年後の1972年6月15日はKIN238で、江島神社の住所「江の島2丁目3番8号」と数字の並びがシンクロする。「神秘のパートナー」であるKIN20のJさんが江の島について言及していた事、マヤの数学が20進法であった事、伊勢の式年遷宮が20年単位である事などがつらつらと思い出される。

本当はあともうちょっと書き進めてからひと区切りとしたかったが、そろそろ電池切れになって来たので、この記事を書いた日の出来事で、この「鎌倉みちのく魔術紀行」と密接に関係しているように思える、全国高校野球選手権大会決勝の結果だけメモして本稿を終えようと思う。

東海大相模、高校野球100年目の夏を制し45年ぶり2度目のV」。これが8/20(KIN139)に記録しておきたいニュースのタイトルである。決勝で素晴しい試合を見せてくれた東海大相模(神奈川)と仙台育英(宮城)は、私にとって、鎌倉幕府と奥州藤原氏(あるいはエミシ)とのせめぎ合いのようにも観えた。

前提となる情報がないと、すっ飛び過ぎた話に聞こえるだろうが、これから先、解き明かされて行く流れを見て頂ければ、それなりに共感してもらえるのではないかとも思う。一部だけメモしておくと、私が誕生日(G8/12)に江島神社で引いたおみくじは45で、かつて岩手県大会で優勝経験のある父が他界したのはKIN45であった(当時は県大会で優勝してもそのまま甲子園には行けない時代)。父の本籍地は岩手だったが、人生の半分以上は神奈川県人として過ごした。

さらに、東海大相模の住所は「相模原市南区相南3-33-1」、仙台育英は「仙台市宮城野区宮城野2-4-1」と「多賀城市高橋5-6-1」にある事が、今日分かった。鎌倉を含む相模国のエリアと、蝦夷との境界に当たる軍事拠点「多賀城」のエリアでの決勝。3331の鏡数字1333は鎌倉幕府が滅亡した年であり、241は、この一連の出来事に注目し、発見をし続けている私の誕生キンである。もちろん、そこに繋がりを見出すのは私の勝手な妄想かもしれないが、メモしている内容は全て事実である。

ストラディバリウスが銀河の音を響かせる

2014年02月20日 00:20

銀河の月13日(G2/19)KIN112 黄色い銀河の人(byD)

13の月の暦』は、1990年に『ドリームスペル 時間船地球2013の旅』という箱形キットの形で発表された当初から、その特別な目標点を2013年7月26日、KIN164「8・種」(=黄色い銀河の種)に定めていた。もちろん、そこで終わるなどという事は誰も言っておらず、仕組み上も永久に使って行く事が可能なので、上記の通り、本ブログは今もその暦の日付でカウントを続けている訳だ。

だが、『13の月の暦』ユーザーにとって、現在進行形の「黄色い銀河の種の年」が、他のどんな1年よりも特別な1年であることは、間違いの無い事実である。何故なら、ドリームスペルで言及されていた「銀河の同期」(=2013年7月26日)から始まる1年は、後にも先にも、この1年しかないからだ。その「黄色い銀河の種の年」も既に半分が過ぎて、現在8番目の「銀河の月」に入っている。

そして今日は「黄色い銀河の人」(8・人)。『13の月の暦』では「8」という数に「銀河の」という名前が付されている。従って、今日は「銀河の年」の「銀河の月」の「銀河の日」と3重に「銀河(8)」が重なるスペシャルデーなのだ。おまけに260日暦の絵文字の上に付される「1〜13」のマヤ数字は、どの数であれ「銀河の音」と呼ばれる(これはドリームスペル用語でマヤ暦には存在しない呼称)。つまり、8の時ほど「銀河」のイマジネーションが広がる時は無いのだ。

ところで、年月日の3つのレベルで「銀河の音」が重なるのは、必ず年に2回か3回はある。しかし、「銀河の同期」から始まった特別な1年の中でこれが起きるのは、今日と13日後の「8・蛇」の時だけである。だから、これだけの条件が揃った日が、一体どんな一日になるのか、18年もこの暦を使い続けて来た私でも、流石にちょっと楽しみにしていた。果して、それは以下のような形でやって来た。

夕方、ほぼ定期的に巡っているとあるカフェでパソコン作業をしていた。ふと、窓の外を見やると、割と大きなオーストリア国旗が近くのマンションにぶら下がっていた。その横か上にオーストリア○○と何か書いてあるのだが、角度的に見えないので、「前からあんなところにオーストリア国旗があったかな?」と訝しく思いながらも、それ以上探求する気にはならなかった。

帰宅すると、Lの古い友人であるNさんから、ダマヌールの資料が届いていた。Nさんは、以前からダマヌールの活動に力を入れられていて、日本での普及活動の中心的人物のお一人でもあるのだ。私が近くイタリアのトリノで演武するということを天真体道瞑想クラスの時に話したら、いつも参加して下さっているOさんから、「トリノならダマヌールが近いですね」と言われて、「それならNさんに様子を聞いておこう」ということになったのだった。

中に入っていた資料には、「ダマヌールは、1975年、13人の夢から生まれました。北イタリアのアルプスの麓、トリノの郊外に位置する欧州最大のコミュニティーの連合体。政府公認の下、独自の新しい社会を実現しています。」などと書かれていた。まだ、今年のLの誕生日に発行されたダマヌール日本ニューズレターPOPOLO新年号(第32号)には、創設メンバーの中心人物ファルコが、2013年6月23日満月に62才の生涯を終えたことが記されていた。

その日はツォルキンの中心調波33の中心のKIN131(1・猿)で、私は、「銀河の同期(KIN164)」の33日前の調波33であることを意識して、大阪で「銀河ゲート33」というイベントを行っていた。奇しくも、その日は、宮沢賢治の164回目の銀河の誕生日で、あまりの完璧さにおののいた日だったが、まさかここに来てダマヌールともリンクして来るとは思わなかった。流石に超銀河の魔術の亀の日!だが、ここからが本番(というか、この2段落分は実はこの文章を書きながら後から気付いたこと)。

その資料の中身にざっと目を通している最中、Lが興奮して「千住家にデュランティがやって来たのは8/12なんだって!」と教えてくれた。数日前に届いた『千住家にストラディバリウスが来た日』の終盤に、具体的な日付が書いてあったらしい。そうなると年が気になる。改めて調べると、それが2002年8月12日(KIN66)だと判明。これは、私の33才の誕生日である。そして、それからぴったり70日後の満月の10月21日(KIN136)、私達は、オーストリアのグラーツで、ダライラマ法王14世による27(3×3×3)回目カーラチャクラの灌頂を無事受け終えたのだった。

これで夕方オーストリアの旗を目にした事も納得だ。ちなみに、8月12日と書かれていたのはP149(第12章)。そして、ファルコが他界し銀河ゲート33を行っていた2013年6月23日(=水晶の月25日)のサイ時間単位は、KIN149である!KIN149(6・月)は、パカル王と同じKIN190の滝元さんと共に、パレンケの碑銘の神殿の上でテレクトノンをプレイし、地下の墓室に降り立った「赤い律動の月の年の赤い律動の月の日」と同じである。

そして、千住真理子さん(KIN155=12・鷲)の許にやって来たストラディバリウスには、デュランティ1716という名前が付いている。解説には「249代ローマ教皇クレメンス14世に捧げられ、教皇逝去後は、その側近〜フランス貴族〜スイスの大富豪のもとを渡り歩き、約300年間、誰にも弾かれることなく、眠り続けていた。かつて所有していた貴族の名前をとってデュランティと名付けられた」とある。

ダライラマ14世とクレメンス14世、17+16=33、249(赤い月の月)など、色々なシンクロを感じてしまうが、アントニオ・ストラディバリが生まれ、そして死んだ街クレモナが、間もなく訪れようとしているトリノのほぼ真東200キロ弱にあると分かった時は、ゾクッとした。それに、私達は随分前に千住真理子さんがそのデュランティで演奏したアルバム『Air(G線上のアリア)』を手に入れていて、もう何度も聴いているのだ。

きっと、ここからまた何かが展開して行くのだろうが、今日の気付きとしては、これでもう十分だろう。流石に超銀河の魔術の亀の日。ストラディバリウスが、見えない次元から銀河に響き渡る調和の音を奏でてくれたような気がしてならない。

※ダマヌールのファルコは62才で他界したが、2013年の伊勢式年遷宮は62回目で、千住三兄妹の父・鎮雄氏は1923年7/14生まれのKIN62。そしてこの記事は714番目のブログ記事であった。


ヘリオコンパス

2009年03月15日 22:38

太陽の月9日 (G3/15)  KIN131 青い磁気の猿 (by D)
 
銀河の月21日(KIN115)、杉山開知氏(KIN177=赤い銀河の地球)が中心となって開発された「HELIO COMPASS(地球暦)2009」が、アネモネ経由で届いた。開封出来ないまま数日が経過し、G3/1(KIN117=赤い宇宙の地球)になって、ようやくじっくり中身を見ることが出来た。メインのヘリオコンパスも然ることながら、ガイドブックの出来が秀逸で、その日のうちに感動を開知氏に伝えた程だ。

「正しく強く生きることは 銀河系を自らの中に意識して これに応じて行くことである」とか「新たな時代は、世界が一つの意識になり、生物となる方向にある」といった宮沢賢治(KIN131=今日は158回目の銀河の誕生日!)の言葉が効果的に引用されているだけでなく、ヘリオスフィア(太陽圏)と各恒星(系)の位置関係や、地球と各惑星との会合情報など、前々から「あったらいいなー」と思っていた情報が、見事に、しかも美しく表現されている。

余談になるが、「時間芸術学校クリカ」は、賢治の「農民芸術概論」にインスピレーションを得て付けた名前でもある。賢治の母校・旧制盛岡中学(現・盛岡一高)は、私の祖父や父も学んだ学校なので、父の元に届いていた卒業者名簿をずっと遡ると、そこに賢治の名前を見つける事も出来て、親しみを覚えたものだった。

ところで、ヘリオコンパスを実際に使い始めたのは、スチレンボードを手に入れたKIN127(G3/11)の満月からである。使うと言っても、私の場合、水星~火星までの内惑星と月に見立てたピンを日々動かし(それ以外の惑星はたまに動かすだけで良い)、銀河的な視点からその位置関係を観想し、瞑想するだけなのだが、これがなかなか良い。以前からそういう瞑想はしていたのだが、実際の惑星配置(内惑星までは1兆分の1スケールでほぼ正確に表現されているらしい)が分かると、よりイメージし易くなる。
heliocompass 
私は、自分が実際に使ったり体験したりしてみて、「これはいい!」と思えたもの以外は、基本的に人に薦めることが出来ない性質である上、暦に関しては、これ以上別の何かを使いたいという意思も必要性も感じてはいなかった。「13の月の暦」は、私に十分な楽しみと発見をもたらし続けてくれているし、さらなる可能性も感じさせてくれる。しかし、今回のヘリオコンパスは、そういう状況の私であっても尚、「使ってみたいな」と思わせる何かがあった。

その「何か」を分析すれば、色々出て来るとは思うが、おそらくそこに一貫しているのは「美しさ」という事になるのではないかと思う。デザイン的に見える形としてのものだけではなく、その背後にある精神的な方向性や思想の深さも関係した「美しさ」。私のアンテナが反応するのは、どうもそういう要素があるものなのだと、振り返ってみて思う。逆に言えば、「13の月の暦」だって、そういうところが無かったら多分反応はしなかっただろう。

ヘリオコンパスは、太陽銀河的な空間意識を育む非常に有効なツールになると思う。また、ある期間分を少し早回しする感じで、ガイドブックP9にあるような螺旋運動をイメージ出来れば、意識の中に創造的なエネルギーを生み出せるようになるかもしれない。そう考えたのには訳がある。ガイドブックに感動した3日後、『自然は脈動する』のP116に、ガイドブックの螺旋図と殆ど同じ図を見つけ、その前後に以下のような文章を見出したからだ。
 
「現在の機械的な動きの形は必ずといっていいほど軸性→放射性であり、熱と摩擦を引き起こす。一方、自然のダイナミックなプロセスは、これまで見たように反対の種類の動きを用い、速度は周辺部でもっとも遅く、中心部で最も速くなる。」(P115より )「遠心的加速では、同じ速度を維持したり、さらに加速するのにいっそう多くの力が必要となる。求心的加速では、速度とエネルギーはひとりでに増加する。ヴィクトルはこれを、あらゆる生命を生みだす建設的エネルギーである「形成力」と呼んだ。」(P117より)
 
ちなみに、ガイドブックP9 には、太陽に近い惑星ほど速く運動している事が、具体的な数値で示されている。また、ヴィクトル(シャウベルガー)の思想については、過去記事の「渦巻き」も参考になるだろう。実は、ヘリオコンパス絡みのシンクロはまだ続くのだが、話の質がちょっと変わるので、ここでひとまず小休止を入れるとしよう。

シンクロ術の実践

2008年07月02日 01:25

宇宙の月6日(G7/2)  KIN135  青い倍音の鷲 (by D)

青い城、青いウェイブスペル、青い日という変容の力に満ち溢れ、ツォルキンの中央の中央に位置する調波33(虚空コドン)の、そのまた中央のKIN131、宮沢賢治の銀河の誕生日でもあったこの日、「ハッピーシンクロ術」という特別クラスを開催した。その夜、クラスに参加して下さった方から、以下のようなメールを頂いた。素敵な内容だったので、そのまま何の手も加えずに引用させて頂こう。

”クラスの後、一緒に参加した友人と「旅した気分だねー、旅したいね!」などと話しながら自由が丘を散策し、ターコイズとバラの細工の水晶を買い、その店でサービスで貰った券で自由が丘デパートのくじ引きを一回まわしたら特賞を当て、JTBの旅行券でした。くじ引きは玉のまわりがなれてこないと当たりはでないらく、くじ引き初日に特賞がでるのは数十年ぶりだとめずらしがられました。今日は自分の中で旅とサービスがテーマでした。ちなみに入った喫茶店でもなぜかサラダのサービスを受けました。”

時空のサーファークラスやシンクロ講座の後には、よくこうした嬉しい報告が寄せられるのだが、今回のものは、その中でもかなり面白いケースではないかと思う。と言うのも、このクラスでは、エジプトの旅で味わったシンクロ&ラッキー体験の数々と、その時使ったシンクロ術(加速の鍵)についてお伝えしていたからだ。多分、この報告をして下さった方には、これからさらに楽しいシンクロが起き続ける事だろう。なぜなら、私達がお伝えしたシンクロ術の一つ(楽しい体験や発見に注目し、それをどんどん人に伝える)を、早速、それも体験したその日のうちに(この素早さもポイント)実践しているからだ。

私がクラスや講演の中で、個人的なシンクロ体験をバカみたいに話しまくるのは、上記の方法を自ら実践し、常に検証し続けて行く必要性を感じているからだが、もう一つ別な理由もある。わざわざ足を運んで来て下さった方に、出来るだけ多く、シンクロ話のシャワーを浴びてもらいたいとも思っているのだ。誰かのシンクロ話を聞いた直後にシンクロニシティを体験する、という経験を頻繁にして来た私は、シンクロ場に浸る事でそれが伝播すると、真剣に考えるようになった。だから、参加者の皆様が、その話を面白いと感じて下さるかどうかはさておき(もちろん楽しんでもらえたらそれが一番だが)、とにかく、様々なケースのシンクロ話をしようと心掛けるようになったのだ。

そして、ごく限られた範囲の観察からではあるが、上記のような報告をして下さる方というのは、私が話をしている時にも、しっかりとチャンネルを合わせて聞いて下さっている方が多いように思う。人の前に立って話をすれば、誰でも、どの人が意識を合わせて聞いているか、はっきりと分かるだろう。シンクロ話にチャンネルを合わせている人は、その時点で既に、シンクロ場と同期しているのだと思う。同様に、このブログにチャンネルを合わせ、意識的に読んで下さっている方にも同じ事が起きていると思うが、さらに飛躍したシンクロ体験をしてみたい方、あるいは、地理的な条件などで今回の講座に参加出来なかった方は、上記の簡単な方法(他の鍵も知りたい方は拙著をご参照下さい)を、是非、試してみてもらいたい。これは、何の手間もお金もかけず、すぐに始められる楽しい遊びの一つなのだから。

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