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阿弥陀仏の夢の場

2013年03月21日 01:16

太陽の月14日(G3/20)KIN36 黄色い惑星の戦士(by D)

ユカタン半島のチチェン・イツァ遺跡で、ククルカン(羽毛の生えた蛇)が降臨する春分の今日、ちょうど前回の秋分から半年ぶりのドリームバンクが開催された。会場は、東急大井町線九品仏駅から徒歩5分の浄真寺前。ここ数日の急激な温度上昇で参道の桜はもう咲き始めていて、木蓮は満開だった。
九品仏浄真寺 
定員16名の最後の席が埋まったのは今日の午前9:11。申込みだけでなく会場への到着も16人目となったその方の銀河の署名は「黄色い銀河の種」。つまり「銀河の同期」そのものであるKIN164!前ローマ法王ベネディクト16世が退位したG2/28は、KIN16(&立方体も16の位置)で、サイ時間単位はKIN164だったから、実は16番目というのも完璧なのだ。

今回のテーマが「達成」となったのは、「銀河の同期」前にとしてはおそらくラストのドリームバンクになるということと、告知した日(KIN10)も当日(KIN36)も共に現れを仕上げる音「10」の日で、特に当日は「熟成」の黄色の日でもあったから。しかし、KIN16(PCU164)が「コドン63/達成」の週の初日だったことが、16人目の登場の仕方によって明らかになり、Lがインスピレーションで付けた「達成」がこの上なくピッタリだったことが証明された。

会場間近の浄真寺では、春分大法会ということで「南無阿弥陀仏」の念仏が唱えられていた。最近、明治大学の金山秋男先生が現代語訳された『歎異抄』を読み終えた所だったので、普段より阿弥陀仏への親近感が増していたのだが、開始前に九品仏の由来が「9体の阿弥陀如来像」にあることを再確認し、色々とシンクロを感じる。

まず『13の月の暦』では、現在「9」番目の「太陽の月」であり、『時間の法則の20の銘板』では、KIN204「9・種」に対応すること。それがシャンバラを探し求めてヒマラヤやチベットを旅したロシアの画家にして探検家、ニコライ・レーリヒの誕生KINであること。

もう1つは、今日のサイ時間単位KIN175が、そのレーリヒが最晩年を過ごしたヒマラヤのクルー渓谷の家から、ツォペマ(=レワルサル湖)に移動する時にチャーターしていた車のナンバーだったこと。加えて、レーリヒ・ギャラリーとホテルレワルサルの住所にもその175という数が入っていたこと。

ツォペマ(蓮華湖)は、チベット仏教のスーパースター、パドマサンバヴァ(蓮華生)に由来する聖地だ。阿弥陀仏の舌から一筋の赤い光が発せられ、流れ星のように湖に落ちて行って、そこから生えた蓮の上に座っていた童子がパドマサンバヴァだったという伝説がある。そして阿弥陀仏とはアミターバ(無量光仏=無限の光をもつもの)を漢訳したものであるから、「太陽(9)」と重ねて見る事も出来る。

レーリヒとツォペマに関する記述は、『シンクロニック・ジャーニー』のP142にあるが、今日の16名の中にはそのKIN142の方もいらした。他に『ドリームスペル(13の月の暦)』提唱者のホゼ(KIN11)とロイディーン(KIN22)も(何故かどちらも丸という漢字が入る方)、ベネディクト16世が退位した日付KIN16の方も、パレンケのパカル王の墓室が開いた日付KIN218の方もいらした。そこにKIN164の方が加わったのだから、その4次元的な密度は大変なものだった。

恒例のおやつタイムは、木村屋の「さくらあんぱん」。チョイスの理由は今日が山岡鉄舟の248(62×4)回目の銀河の誕生日だったから。鉄舟は、毎日食べるほど木村屋のあんぱんが大好物で、今も使われている木村屋の看板文字は鉄舟の揮毫によるもの。剣の達人として春風館道場を開いていた方でもあるから、春分という日にもふさわしい。

1836年7月23日(KIN36)に生まれて1888年7月19日(KIN32)に皇居に向かって結跏趺坐の姿勢のまま亡くなったという鉄舟は、カレンダーラウンドの52才–4日の濃密な人生を送った偉人だった。『ドリームスペル』プレイヤーなら、浄真寺の参道横に32ナンバーの車が止まっていたことからも色々と読み取れるだろう。

京都に越したばかりのサフィさんが配って下さったお菓子には、宇治「蓮華」の住所があったり、「9・風」の方に頂いたマジックフルーツというスリランカ(光り輝く島!)の紅茶には、何故かロシア語が書いてあったり(レーリヒや隕石繋がり)、前後の話だけでこれだけシンクロ率が高いのだから、隕石、彗星、ローマ法王、311等に絡むメインの話はとてもここには書ききれない。

こうして、可能な限りブログやツイッターにも記録してはいるが、あまりに加速が激しく書き漏れることの方がどんどん多くなっているので、この時の流れを体感してみたい方(そして実際にそういう場に同期してみたい方)は、直接その「場」に触れに来てみて欲しい。銀河シンクロ教室、「銀河の花祭りin大阪」、ナディアでのクラスは、それぞれ切り口やテーマが異なるが、シンクロ場に身を浸すという面では同じである。

「場」で伝わるものは言語や文字で伝わるものを圧倒的に凌駕する。「頭を使ってお勉強」というスタイルでは10年かかっても本質に至らない可能性が高い上、「銀河の同期」は目前に迫っている。身体の叡智にスイッチを入れてしまう方がずっと早い、というのが私の意見だ。これは16年間の実験と注意深い観察から得られた結論なので、そう大きく間違ってはいないと思う。

思い返せば、「ドリームバンク」のアイディアは、数年前に、かつて九品仏駅前にあったツチオーネという自然食レストラン(大地を守る会が経営)の中でランチ中に生まれたもの。その時、土(大地、地球)に植えたアイディアの種が開花し、順調に育って、今日のドリームバンク(夢の場)が構築されて来たのだ。「銀河の同期」前最後の春分ドリームバンクがこの場所になったのも、阿弥陀仏の結んでくれたご縁なのかもしれない。

2010年07月10日 02:54

宇宙の月13日 (G7/9) KIN92 黄色い磁気の人(by D)

実際の出来事があってから約7週間、ここでちょこっと予告してからも既に3週間。いい加減書かないとこのままズルズル年を越してしまいそうなので、メモ的に簡略化してとにかく書こうと思う。話は、KIN43(G5/21)まで遡る。この日は、嫁ぎ先のスリランカから一時帰国していた友人のレイコちゃんファミリーと、大宮でランチをする事になっていた。

2001年のブッダガヤ・カーラチャクラ(現地で中止決定)でご縁を頂いたレイコちゃんが、スリランカのスリヤンガさんと結婚した経緯については、『シンクロニック・ジャーニー』にも書いた通りだが(本人も予想外の電撃的出会いをLが大予言していた)、お二人の間に生まれた美咲ちゃんにお目にかかるのは今回が初めてだった。ブッダガヤの時に一緒だった妹のミホさん共々、久しぶりの再開を楽しんだ後、私達は、そこからそう遠くない所にある楽喜衣サロン♪Angelica♪に向かった。

クリカでも定期的にフットケアをして下さっているタカちゃんのこの隠れ家サロンでは、エドガー・ケイシー式のボディオイルトリートメントなど多彩なコースが受けられるので、Lは最初から、それを受けるつもりで予約をしていた。一方、小さい頃少々「鉄」が入っていた私は、その間、一度は訪れてみようと思っていた鉄道博物館に行ってみることにした。平日午後遅めの時間帯は人影もまばらで、思っていたよりゆっくり見られたが、おかげで、面白い発見がいくつかあった。
 
ひとつは、「EF66 11」という機関車の前を通った時、ちょうど待ち時間なしでその機関室を見学出来るタイミングだったこと。というのも、レイコちゃんが登場する拙著は、KIN66にあった『第11の予言』の出版記念講演会の話から始まっているからだ。もうひとつは、私が幼い頃よく連れて行ってもらった記憶のある小岩井農場が、実は鉄道関係の流れで生まれたもので、その名称も、小野(日本鉄道会社副社長)、岩崎(弥之助・三菱社社長)、井上(鉄道庁長官)という3名の人物に由来するのだと、初めて知ったこと。
 
弥之助は、龍馬伝に登場している弥太郎(三菱創業者)の実弟だが、調べてみると、何と近所の静嘉堂文庫は、この弥之助が自邸内に創設した古書・古美術品収集庫に由来することが分かった。それだけでも十分驚きに値するのだが、私はもともと6日後のKIN49(G5/27)に、その静嘉堂文庫美術館に展示されている古刀(もともとは鉄の塊)を見に行こうと予定を入れていたので、余計に驚かされたのだった。いくら徒歩圏とは言え、そんなに頻繁に訪れる場所ではないし、実際、二子玉川に越して来てから多分一回しか訪れた事は無い。

ところで、これに前後して、Lはタカちゃん推薦の『命もいらず名もいらず』という、山岡鉄舟を題材にした小説にハマっていた。それで、鉄舟は一体何時ごろ活躍して何才くらいで亡くなったのだろう?と調べてみたら、1836・7・27(KIN36=10・戦士)~1888・7・19(KIN32=6・人)で、何と、「13の月の暦」での還暦に当る52才直前に他界したことが分かった。ちなみに、鉄道博物館小岩井農場の説明が書かれていたプレートには(1888~)という記述があったので、微妙に「鉄」がシンクロしているのを感じてしまった。
 
だが、実は、鉄シンクロはもう少し手前から始まっていた。鉄道博物館を訪れる10日前のKIN33(G5/11)、私達は、天真書法塾を通じて大変お世話になった故・近藤鉄雄先生(元労働大臣・経済企画庁長官)を「偲ぶ会」に参加させて頂いていたのだ。塾長の青木先生と親しくされていた近藤鉄雄先生は、毎年書法塾の祝賀会に来て下さっていただけでなく、作品も丁寧に見て下さって、いつも握手しながら激励をして下さったとても暖かい方だった。
 
この前後、広島の龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院から届いた「鉄寅歳 正月サカダワ大祭(※)のご案内」という書類には、その特別祈願の期間として「チベット暦第17ラプジュン鉄寅歳四月八日~十五日」(平成22年5月21日~5月27日)という日付か記されていた。これがまさに、鉄道博物館を訪れた日から静嘉堂文庫を訪れる日までの期間に対応していたと後から気付いた時は、「鉄シンクロもここまで来ると美しい」と一人感じ入ってしまったが、これだけシンクロするのも、今年が「鉄寅歳」だからなのかもしれない。
 
ところで、その最終日に当るKIN49(G5/27)に、静嘉堂文庫で見た国宝「包永」は、2尺4寸1分で、私のKIN241(7・竜)ともシンクロしていて興味深かったが、もっと面白かったのは、家を出た瞬間から美術館の前に到着するまでの間だけ、狙ったように土砂降りの雨が降っていたということだ。私は、基本晴れ男なので、逆のケースは頻繁にあるが、ここまで狙って雨に降られたというのは、記憶にない。きっと禊ぎが必要だったのだろうが、半端でない雨の量と雷は、私に龍の存在を実感させるだけのものがあった。
 
そう思うと、この日、ウォーターセラピーの申込みをして来られた方のご住所が浅草の竜泉だったり、静嘉堂文庫で刀と共に展示されていた青磁が、龍泉窯というところで焼かれたものだったのも、偶然とは思えなくなる。鉄と龍がどう繋がるのかはよく分からないが、サカダワ満月とシンクロしたKIN49(10・月)のキーワードに「清める」が含まれていたことは、とても自然なことと感じられた。そして、刀というものが、熱く熱せられた鉄を、水で冷やして鍛える中で完成することを思い返すと、これら一連の出来事に、何か美しい繋がりがあるようにも感じられて来るのだった。
 
※サカダワ大祭とは、カーラチャクラ・タントラに基づく伝統的なチベット暦サカダワ(四月)に行われる、釈尊の降誕・成道・涅槃に因んだ大乗仏教の縁日です。特にチベットではサカダワの朔日から十五日まで潔斎して、在家信者・出家信者問わず功徳をできるだけ積む日とされています。(以上、案内書類の解説文より抜粋)

鉄舟と桜あんぱん

2007年05月27日 17:34

■スペクトルの月26日 (G5/27) KIN254 白い共振の魔法使い(by L)

ある博物館からご招待を受け、Dも私も只今作品の制作中である。もちろん、私達だけではなく、指名を受けた他の書道仲間達も一緒で、全員がそれぞれ異なるフザンの臨書作品を仕上げる。(自分の作品はともかく)全作品が並ぶ様子を想像するだけで、その迫力にムズムズ、ソワソワしてくる。(だってホントに凄い手本ばかりなんだもん!)まだほとんど手つかずであるが、提出まで、あと僅か2週間。

書の作品を仕上げるというのは、音楽で言うとレコーディングの様なものだと思う。私の今までの作品は、(コンペや発表会も含めて)全てプライベート・レコーディングに近い。それぞの作品に、その時々の自分の有りようをそのまま凝縮して置いて来る私小説の様なもの。つまり自分の為の作品、自護体だ。もちろんそれも悪くはない。でも、プロの仕事とアマチュアの作品の境界線は、多分その辺にある。

ところで、あんぱんで有名な「銀座木村屋」の大看板は、かの山岡鉄舟の揮毫である。・・・剣術や書の達人でもあった鉄舟とあんぱん・・・この組み合わせ、常々不思議に思っていたのであるが、やはりちゃんと理由(縁)があった。HPに詳しいが、銀座木村屋は、鉄舟のアドバイスにより、お花見に行かれる際の明治天皇に「桜あんぱん」を献上。そして明治天皇・皇后は桜あんぱんを大変喜ばれたという。大看板もその当時(約130年前)からのもので、チョンマゲを結っていたこともある鉄舟が書いていたという訳。

そして。実は私は、大変光栄な事にネパールの木村さんから看板を頼まれているのだった。・・・ベーカリーにあんぱんはあるのだろうか?などと妄想にふけっている場合ではない。さあ、とにかく仕事を始めよう!(こちらも制作期間はあと2週間!これからちょっと籠って集中します。)

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