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13のはっきりとしたしるし

2012年09月15日 05:19

■月の月24日 (G9/15) KIN110 白い律動の犬(by D)

G9/9(KIN104)、「時空のサーファークラス」の最終講義を無事完了出来た私は、極めて個人的な感覚ではあるが、「何とか責任は果たせた」という思いに満たされていた。『13の月の暦』と銀河文化ツールのエッセンスを6回に分けて伝えるスタイルをとり始めたのは確か9年ほど前。この間、一体どの位の方にご参加いただき、その内のどの位の方に本質を伝えられたのかは分からない。

しかし、アグエイアス夫妻を通じてもたらされた銀河のマヤ情報を、個人の趣味嗜好でフィルタリングすることなく、そのままの形で伝える場を10年近く保持し続けてきたことは、まぎれもない事実である。そして、おそらくではあるが、それが「銀河と調和する道」から外れてはいなかったことを、私は以下のシンクロから感じ取る事が出来た。

最終講義の全クラスに四国から参加して下さり、「銀河の署名」を導く際の例題にも立候補して下さったのは、G3/10(KIN16)生まれの方(Iさん)だった。一方、ラサでチベット民族蜂起が起きたのは1959年3月10日(KIN76)で、私は現在、ちょうどKIN76の道筋を歩んでいる。Iさんは、私達がチベットの子供達の支援をしていることも、3/10がそういう日付だということもご存知なかったが、何と、別の団体を通じて、チベット人子弟の里親を何年も続けられていることが分かった。

昭和天皇の誕生KINでもあるKIN16は、サイ時間単位で変換すると常に終戦記念日(8/15)とシンクロするのだが、2年前の終戦記念日(KIN129)に『シンクロニック・ジャーニー』を読んでDMを下さったのは、安倍昭恵さん(安倍晋三元首相夫人)であり、その昭恵さんと初めてお会いした日、四国の剣山の話題が平氏と絡む形で登場していた。

KIN104(9/9)が、12/22(マヤ長期暦が完了し次の新しいサイクルが始まる日)のぴったり104日前だと気付いたのは当日近くなってからで、その日が、この暦の情報を日本に伝え、全ての土台を築いて下さった高橋徹さんの76回目の誕生KINだったことに気付いたのは、今である。ちなみに、12/22は江本勝氏(近々共著が発刊予定)がメキシコで行われるスピリチュアルサミットで、新しい大周期の最初の講演を依頼されている日でもある。

ところで、この日クラスを終えるまでは、出張時恒例のシンクロ散歩の予定は全く立てていなかった。ちょうどKIN105(9/10)に、チベット関係の集いが大阪であることをチャクラで耳にはしていたが、私の中ではどうもピンと来ていなくて、どこか別な場所に行く必要性だけが漠然と感じられていた。夜になって、時空のサーファー仲間(と勝手に思い込んでいる)である吉田さん(4・夜)のFB記事を見ると、これまで耳にしたことが無い名前の神社が紹介されていた。瀬織津姫を含む祓戸四神が祀られているという佐久奈度神社である。

リンクで地図まで貼って下さっていたのでクリックしてみると、琵琶湖南部で距離的に行けないことも無さそうだったが、最寄りの駅(京阪石山寺駅)からも距離があって、車が無いとちょっと難しそうだった。そこで、神社の方は一時保留にして、私は駅名にもなっている石山寺の方を調べてみた。すると西国33箇所観音霊場の第13番札所で、住所も大津市石山寺1-1-1とある。今回、珍しく飛行機(JAL111便)で関西入りし、長年続けて来た『13の月の暦』のクラスを「13・種」の日に完了した私は、これだけでOKと思えたが、さらに調べると、「今回はここに来ることが、成すべきことの一つだったのだな」という情報が次々に見つかった。

何しろ『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願によって、良弁という僧が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音を祀ったのが、この寺の始まりとされているのだ。良弁は、金鐘行者とも呼ばれていた華厳宗の僧で、その噂が聖武天皇の耳に入り、金鐘寺(後の東大寺)を賜ったとされる。また、天皇は大仏をメッキするための大量の金が得られるよう良弁に祈らせたとも言う(実は石山寺の開山もこのことと関係がある)。2年後、陸奥国(今夏、小原・伊調の金メダリストを生んだ)から金が産出したことで、良弁は無事役目を果たし、東大寺の初代別当となった。

思いがけないきっかけで、今年の誕生日を東大寺で迎えた私にとっては、もう十分すぎる程のしるしと思えたが、シンクロはまだまだ続く。その時、ホテルの213(→2013)号室で直前まで見ていた大河ドラマ「平清盛」には、源頼朝が何度も登場していたが、何と、石山寺の東大門と国宝の多宝塔は、その頼朝の寄進によって建てられたと言うのだ。

それに、松本さんの講演や写真展が行われたのは、東大寺南大門の横に生まれた東大寺総合文化センターの中の、金鐘ホールと小ホールだ。金鐘ホールのこけら落としがダライ・ラマ法王によって昨年行われたことは既に奈良の報告に書いたが、実は「平清盛」の題字を書かれた金澤翔子さんも、ほぼ開館直後に小ホールの方で個展を開かれているのだ。これだけの繋がりを見せられた上で、もしも石山寺に行かなかったら、私はシンクロの働きを大切にしているとは言えなくなる。

明けてKIN105(1・蛇)。この日は近畿全域に雷雨注意報が出ていたが、結局傘が必要となることは一度もなく、素晴しい参拝日和となった。石山寺駅に到着した私は、バス停の時刻表を見て、佐久奈度神社まで行くバスが意外と頻繁に来る事を知った。そこで、予定を変更し、先に佐久奈度神社へ参拝することに決めた。琵琶湖から流れ出る瀬田川は、古代から歌にされた来ただけあってさすがに風光明媚で、ゆったりとした流れをたたえている。川に沿って走る国道は422号。G4/22はアースデーだが、自己存在22日(G11/8)と見ると、何と今年はKIN164。つまり2013年7月26日「銀河の同期」から正確に1スピン前だ。それに最終講義に出て下さった方の一人は、G11/8生まれだった。
IMG_0929.jpg ★瀬田川の流れ
川幅が徐々に狭まり鹿跳橋という橋で対岸に渡って間もなく、バスは大津大石郵便局の隣に停車した。資料には、ここから歩いて3分と書かれていたが、入口がわからず、こんもりとした森を右手にコルラする形で河原に出てしまった。石山寺から南に下って来た瀬田川は、この辺りで西に向かって流れを変えている(まさにこの日から「燃える青い西の城」に入ったのだが)だけでなく、ごつごつした岩場の急流になっていて遊泳禁止の看板があった。カヌーとかラフティングをしている人々を見ながら、ようやく参道を見つけて参拝。何か涼しく爽やかなものがハートの辺りを吹き抜けて行った感覚を味わった。
IMG_0930.jpg ★佐久奈度神社
人気のない社務所の呼び鈴を押すと、隣の建物から普段着姿の宮司さん(とおぼしき方)がやってきて窓を開けてくれた。おみくじを引いてみると、13番大吉!(巻物みたいに)和紙に横向きに縦書きされた珍しいタイプの神籤の冒頭には「このみくじにあう人は太陽を手にとる相あり」とあった。これには色々な意味を感じたが、ちょうど前日の講座修了後に立ち寄ったカフェで、KIN240(6・太陽)のB・フラーが書いた『COSMOGRAPHY』の原著を見つけて手にとったことも、同時に思い出した。
IMG_0932.jpg ★佐久奈度神社のおみくじと
殆ど待つ事なくバスが来てくれたので、そのまま13番札所の石山寺に戻って、頼朝が寄進したという山門をくぐる。境内はかなり広く、どう巡るか考えてしまう程だったが、まずは33ケ所フダラク山巡りをしながら、八大龍王社にお参りした。濃い緑の木立に囲まれた丸い池は、本当にそこから龍が姿を見せてくれそうな気配を漂わせていた。後で13(番札所)×8(大龍王)=104であること気付き、帰る前に再度この近くの無憂園という場所で天真五相を捧げた。
IMG_0933.jpg ★石山寺境内の八大龍王社
寺名の由来となっている天然記念物の岩を見てから本堂へ行くと、紫式部が源氏物語の構想を閃いたという部屋が再現されていた。伝承では、八月十五日の名月の晩に「須磨」「明石」の巻の着想を得たとされているようだが、「明石」は全54巻の第13巻目に当たり、最終講義にはその明石から来られた方もいた。源氏物語では、主人公・光源氏の52才までが描かれていたり、『枕草子』の第208(52×4=13×16)段にも石山寺が登場することを知ると、今、このタイミングでこの寺を訪れた事に、さらに深い意味を感じる。

KIN208は『ドリームスペル』において重要な日付であるだけでなく、冬至の翌日、つまり新しい大周期の初日(12/22)にも対応している。また、『時間の法則の20の銘板』では、今年「7・嵐」の年の13ヵ月は、KIN196〜KIN208にも対応しているのだ。その数え方だと、月の月現在はKIN197に対応する。

その後、内部に快慶作の大日如来が安置されているという国宝の多宝塔を経由して、琵琶湖の方まで見える見晴らしの良い場所に来ると、月見亭という名の見晴し台があった。清盛にも登場している後白河天皇(第77代)行幸の際に建てられ、明治天皇、大正天皇、昭和天皇(KIN16)らも訪問された事が記されていた。前回のシンクロ散歩でも知らずに後白河天皇ゆかりの三十三間堂を訪れていたり、清盛の影響なのか、何かとその時代とリンクするのを感じる。

参拝を終えてから、山門近くで見かけた店で梅おろし蕎麦を頂き、駅に向かう途中にあった「茶丈藤村」というお店で名物の「たばしる」という胡桃の入った和菓子などを頂いてシンクロ散歩は終了。時間的にはまだ多少余裕があったが、もう色々な意味で満腹な感じがあったので、京都は駅前だけ散歩して、時間トンネル(ホゼ・アグエイアスがヴァルム・ヴォタンへと変容を遂げたKIN105〜KIN132の28日間のこと)の入口であるKIN105に、その出口とシンクロする「のぞみ132号」で帰途についた。
IMG_0928.jpg ★石山寺駅にて百人一首のマンガ電車
深夜、FBの吉田さんのページで、ここに佐久奈度神社の記述があったお陰で素晴しい参拝が出来た御礼を書き込んでから眠ると、KIN106(9/11)の早朝に、私が佐久奈度神社に参拝したKIN105の日、吉田さんは仕事帰りに饒速日命が祀られている野間神社に参拝されたこと、そしてその神社には「大和国石上哮嶺(石上神宮)の石窟から真勾玉241個を奉戴遷祀したともされている」という言い伝えがあることを教えて下さった。もちろん、私がKIN241だからである。

饒速日命が火、瀬織津姫が水と対応するという対比にも興味を持ち、野間神社の位置を地図で確認すると、何と「天王山」に対して佐久奈渡神社とはじ、実際にほぼ対称の位置にある事に気付いた。しかも、石上神宮は、剣武天真流を稽古し始めてからピッタリ520日目のKIN257(天王星に対応)、2010年12月21日、皆既月食の日に参拝したことを『マヤのリズム』にも記している。また、KIN257は、最終講義で例題になって下さった方(16)と私(241)のKINの合計数でもあり、「地球が静止する日」で「クラトゥ・バラダ・ニクト」のセリフを一度だけ口にするキアヌ・リーブスの誕生KINでもある。

最後に佐久奈度神社の住所を書いておくと、大津市大石中1丁目21。磁気の月21日と見れば終戦記念日だし、KIN121と見れば、13列からなるツォルキンマトリックスの中央の神秘の柱という事になる。やはり、サインはつねに中心を示しているようだ。対称と対極の中心にこそ次元間を突き抜ける秘密がある。


追記:徹夜でこの記事をUPし終えた時「9/15の5:19で591番目の記事とは美しいなー」と思っていて、後で気付いたのは、9×1×5=5×1×9=5×9×1=45。第45代聖武天皇のサインだと感じた。
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パカル王、9と13の太陽フレア

2012年07月11日 02:42

■宇宙の月14日 (G7/10) KIN43 青い自己存在の夜(by D)

ダライ・ラマ法王の77才のお誕生日を素晴しいシンクロと共にお祝いした翌日の7/7、私は、のぞみ215(7・鷲)号で11:33に新大阪に到着した。関西での『オロ』公開も、ちょうどこの日から。七夕、そしてマザー・テレサの誕生KIN(1・太陽)でもあったこの日に、「ドリームスペル時間船地球2013」への乗船を果たした方は、きっと天の川(銀河)の流れに同期できていたのだろう。ちょうど乗船配布会の会場近くを流れる大川では、LED電球を使った天の川が生み出されていたらしい(橋にいた人だかりの理由はこれだったのだ)。

ここ数日、太陽活動が活発になって来ていたので、私は配布会の途中で「今頃、太陽が大きな爆発を起こしているかもしれません」と伝えていたのだが、後で調べてみたら、やはりこの日の8時頃、X1.1のフレアが起きていた。フレア(太陽面爆発)の分類上最大級に属するX級は、G3/7のX5.4以来4ヵ月ぶりとのこと。世界標準時で詳しい日時を確認すると、3/7は0時、この日のものは7/6の23時ということになっていた。ここで私は大変興味深いことを発見した。

X級フレアのあった両方の日付を『13の月の暦』で見ると、「太陽の月」の「白い太陽の鏡」と、「宇宙の月」の「青い宇宙の嵐」、つまり9(太陽)と13(宇宙)の「魔術の亀の日」だったのだ。マヤの世界観において9は冥界の数、13は天界の数として特に重要視されている。加えて「13の月の暦」では、その基本骨格とも言えるウェイブスペルにおいて、「塔」と「門」という要所を押さえる数でもあるのだ。その両方の「魔術の亀の日」に太陽が大爆発しているのは、ただの偶然だろうか。

パカル王ことキニチ・ハナーブ・パカル(太陽盾)からのテレパシーを受けて生まれた『ドリームスペル』は、「銀河の盾」がその箱の表紙を飾っている。パカル王が活躍し、パレンケ王朝が最高潮に達したのは、9バクトゥン13カトゥン(長期暦表記で9.13.0.0.0)の頃のこと。そして、今まさにそのマヤ長期暦は、ひとつの大きなサイクルの完了を目前に控えている。このことに気付いた今日から正確に164日後が冬至だというのも、ただ事とは思えない。何故なら、『ドリームスペル』の目標点は2013年7月26日(KIN164)だからだ。

さらに、X1.1はダライラマ法王の77才のお誕生日でもあった。13も19(嵐)も、マヤの数字体系では最大数に当たる(20の絵文字は0ー19でコード化されている)。観測史上最大の太陽フレアX28は、そのダライ・ラマ法王(KIN14)が伊勢の内宮(天照大神)を参拝した2003年11月4日(KIN255)に起きている。チベットの人々に観音菩薩の化身と信じられている法王の雰囲気は、まさに太陽そのもの。だから、太陽神が自分自身に出会うことを喜んで爆発するのかもしれない。

ところで、七夕の乗船会後、最後まで残って話をしていた方は、『マヤのリズム』の装丁画を描いて下さったみよこみよこさんと生年月日が全く同じKIN101の方だった。翌日の「時空のサーファークラス」で、例題に立候補して下さった方は、8/6(広島原爆の日)生まれで、「13の月の暦」のツォルキンだとKIN90の方だった。初秋に共著が出る予定の江本勝氏と同じKINだ。(この日は他にKIN164の方や2012年1月1日とシンクロするKIN113の方もいた)。

江本氏は、冬至にユカタン半島で行われるイベントに、ジェームズ・レッドフィールドらと共にゲストスピーカーとして呼ばれた唯一の日本人で、間もなく迎えられる誕生日には、KIN55(広島原爆のKIN)の道筋に入る。ちょうど、7日の新幹線の中で「行動の原点はヒロシマ」という記事を目にし、浜田省吾の名をそこに見た私は、広島出身で浜ショーファンだった大学時代の友人に久々のメールを送ったりしていたし、出張直前に書いていた江本氏の会報誌原稿の内容もまた「放射能の影響を中和する」だったから、この流れは自然なものだった。

だから、クラス終了後に「『GATE』という映画の情報を伝えても良いでしょうか?」と言ってこられた方にも、即座に「構わないですよ」と答えた。もちろん、そういう手順をきちんと踏む方だったからというのもあるが、内容的にもこの日伝えられるのに相応しいものだったのだ。「60年以上、祈りとともに絶やすことなく燃やし続けた原爆の火をアメリカに戻し、破滅の輪を閉じようという 仏教の教えに従う僧侶たちの祈りのドキュメンタリー」というのがその内容である。

暦のクラスや配布会の会場ではいつも、こうした、その時、その場でのシンクロが起こる。というより「起きていること」を見出す。乗船配布会では『ドリームスペル』マニュアルのP111にKIN40が出ていたのだが、翌日、最後まで残っていた方の一人(KIN170)は、近く西安に旅するとかで、手持ちのガイドブックを見せながら私に意見を求めた。私は西安で見た合計が111になる6×6魔方陣や、草堂寺(鳩摩羅什の墓の廟に青木先生の額がある)等を含めて紹介したのだが、KIN170といえば、私達がバルセロナに行くきっかけになった日(2011年6月12日)で、その時のサーファークラスに参加していた方は、今日のサイ時間単位とシンクロするKIN251だった。

今週末に予定されている仙台では、また別な、その場にふさわしいシンクロが生じ、それを見出すことになるだろう。これは、平行して起きている沢山の物語りを、ひとつの大きな物語りへと編み上げる作業でもあると、私はここのところずっと感じている。7/9(KIN42=3・風)に体験した小旅行にもそれは現れている。自分の記憶の為のメモなので、少々分かり難くなるがご容赦願うとしよう。

先に天王山周辺で様々なシンクロを体験した私は(これは未だ整理する余裕が無く手帳のに留まっている)、3つの川が合流するこの付近が気になって、離宮八幡宮に立ち寄ってから京都に向かった。ツォルキンの調波の中央、そして観音菩薩の化身の数として、ここのところチャンネルが合っているだけでなく、この日、サグラダファミリアで手に入れた合計が33になる4×4魔方陣Tシャツの着用もしていた私は、京都駅の3033というロッカーに荷を預け、三十三間堂へと向かった。単なる数字合わせで選んだ場所だったが、ここもにもまた驚くべきシンクロが潜んでいた。

何と、三十三間堂は第77代後白河天皇平清盛(1118~1181)に資材提供させて建てさせたものだったのだ!私が京都駅から三十三間堂まで使ったバスは208(ドリームスペルで宇宙の星、猿の創世記の完了)系統で、ナンバープレートは11-99だった。また、後白河上皇は1155年に天皇に即位し、1192年に六条殿にて66才で逝去している。ゾロ目も「遊びをせんとや…」ということなのだろうか。しかも、私はダライラマ法王77才の誕生日に、1192年に幕府が開かれた鎌倉の中学(源平池の横を通って通っていた)、高校(江の電で通っていた)で同級生だった友人と会っていたのだ。

その後、FBでヌートリアが出没することを知って、私は下鴨神社に近い鴨川の三角州の辺りを散策した。後から手帳を見て驚いたのは、ほぼぴったり1スピン前のKIN44(調波は11で完全に同じ)にも、私は岩清水八幡宮に寄った後、出町柳で降りてその付近を散策するという、ほぼ同じ行動パターンを取っていたこと。しかも、実は最初に岩清水八幡宮があった場所が離宮八幡宮だと、私はこの日初めて知ったのだ。だが、こうして平清盛の放映と完全にシンクロする形でこれらの場所を訪れたことで、私は平安末期の日本史を体験的に学ぶ事が出来た。

同時に、平氏と源氏、南朝と北朝、国津神と天津神など、あらゆる次元の二極構造の統合が、今、私の時間体験の中で進んでいるのを感じている。それは、冬至に向けて益々加速しそうな気配である。おそらく、時間船の乗船と構築に関わっている人なら誰でも、何らかの形で同じような体験をしていると思う。今後、さらに重要な局面が続くだろうが、気を抜かずに最高潮の波乗りを続けて行きたい。


追記:離宮八幡宮の御祭神は、岩清水八幡宮と同じ第15代応神天皇、神功皇后。三十三間堂には、ご本尊である11面千手千眼観世音1001体に、雷神・風神像、そして観音28部衆像がある。33=20+13、そして28という数は、まさに「13の月の暦」を示している。また三十三間堂は七条通りに面しているが、33×7=231は今の私の道筋(KIN231)である。また、この期間は調波11で、ロッカーの3033を3×33とすれば99で、11-99のバスとも繋がる。尚、KIN99は江本氏との共著の編集担当者の誕生KINでもある。

清盛の剣

2012年01月17日 04:21

共振の月7日(G1/16)KIN128 黄色いスペクトルの星(byD)

今日はアントニオ・ガウディ224回目の銀河の誕生日。クリカにいらした方から、バルセロナ発の美味しい飴・パパブブレを頂いたのも「美しい」シンクロだ。

実は、前の記事から続いているKIN97(G12/16)にも、バルセロナとのシンクロがあった。殆ど飲まず食わずで神護寺、高台寺をめぐった後、祇園でかなり遅めのお昼を食べてから向かったのは、何必館・京都現代美術館。魯山人や良寛の所蔵で知られているのでチェックはしていたのだが、ロベール・ドアノー展をやっていることは、表の案内を見るまですっかり忘れていた。

バルセロナのピカソ美術館のカフェにあった楽しい作品(面白かったのでその前で記念撮影した)が、ドアノーによる「ピカソのパン」だと知ったのは帰国してからだったが、まさかKIN44(10/24)に石清水八幡宮を初参拝した時に、八幡市駅前のカフェで見かけた写真もドアノーの作品(しかもそれが代表作「市役所前のキス」)だったとは、その世界に疎い私は全く知らなかった。

しかし、こういうタイミングで同じ場所にそれらが展示されていて、そこから学ぶというのも実に楽しい体験だ。素晴しい写真を撮る人は、時や心の性質に敏感なのだろう。作品のひとつひとつはもちろんのこと、ドアノーの言葉は、心に響くものがあった。また、地下の常設展にあった蘇軾の赤壁賦の木彫り臨書作品?を見て、魯山人の実力を垣間見た思いがした。

その後、大阪でのクラスやワークショップを無事に終え、KIN99(12/18)の夜に宿泊先でテレビをつけると、横浜で行われているクラブワールドカップ決勝戦が放映されていた。優勝したのはバルセロナ。3ヵ月前に訪れたばかりで、日中のワークでもサグラダファミリアの「受難の門」魔方陣(合計が33になる)の話をしたりしていたので、やはり嬉しい(横浜出身でもあるし)。

KIN100(12/19)の午前中、『フライデー』の記者さんからメールで取材原稿が届き、出掛けに慌てて校正を戻す(予告通りの無茶なスケジュールだ)。帰路も京都で立ち寄りたい場所があったので、そのまま出発したが、帰宅してから重大な直し忘れがあったことが判明する。しかし、その時は知らずに大徳寺大仙院へ。そこでの出来事と、美味しいもの報告はそのうちLが書いてくれるはずなのでスルーして、ここでは偶然立ち寄る事になった白峯神宮について書いておきたい。

地下鉄今出川駅を出て、お昼の目的地に向かう途中、ある神社の前で松濤館空手という文字が目に入った。青木先生の師である江上茂師のさらに師であるところの船越義珍師を事実上の開祖とする流派だけに、ふと気になって確認すると、そこが白峯神宮だった。大仙院で宮本武蔵が沢山和尚から極意を授かったという部屋を訪れたりした後で、ゆっくり参拝してみると、どうやら蹴鞠と縁の深い場所らしく、サッカーをメインに様々なボールが奉納されている。

武道の縁で訪れた神社だったが、前夜のバルセロナ優勝とも繋がっているのが興味深い。さらに、御祭神を調べてみると、何と平清盛と同時代の崇徳天皇(75代)と和気清麻呂(神護寺とも縁あり)の時代の淳仁天皇(47代)。淳仁天皇祭がドアノーの誕生日である4/14に、崇徳天皇祭が安倍晋三氏の誕生日である9/21に行われるというのもタイムリー過ぎる。恒例のおみくじは、この日の紋章ともシンクロする20番(大吉)。

そういえば、大徳寺への道すがら鳥の灯明が可愛くて立ち寄った若宮神社は、岩清水八幡宮を本宮とする八幡宮社で、御祭神は源氏の始祖・清和天皇だと後に判明した。剣武を始めたからなのか、どうも武家(源平)との回路が活性化している。松之助というカフェで休憩をしていた時、LのiPhoneに安倍晋三氏(KIN6)のメルマガ(号外)が入り、金正日が死去したことを知る。

翌KIN101(12/20)は、その安倍氏がメディアに引っ張りだこ状態だったが、前日、京都市内でやたらと72ナンバーの車を見たのは、そのサインだったのかもしれない。何故なら、安倍氏は第72代内閣官房長官でもあったからだ。この日、『フライデー』から連絡があり、年末年始号に掲載予定だった「マヤ暦と2012年に関する記事」(取材協力したもの)は、北朝鮮情勢の関係で差し替えとなり、1/6(KIN118)発売の号へとズレ込む事になったと伝えられた。

1・6=1・世界の橋渡し(KIN66)は安倍昭恵さんと初対面した日であり、118は『マヤのリズム』と関係が深い数字なので(あとがきに詳細あり)、私は「この差し替えには素晴しい時間魔術の力は働いたな」と感じた。事実、そのお陰で、前日夜に気付いた重大なミスを正す事が出来たし、出来上がった記事に『マヤのリズム 』が登場するのは、四国88カ所や父(徳政)の誕生KINともシンクロするP88だった。それにしても”金”正日の影響でフライデー(”金”曜日)に差し替えが起こり、結果、P88(KIN88は”金”星と関係する)に掲載される事になるとは、中々に面白い。

またバルセロナ優勝KINとシンクロするKIN99には、大河ドラマ平清盛の人間関係図が出ていて、番組を見る際に大いに役立っている(何しろ人間関係がややこしい)。しかもそこには、崇徳天皇や安徳天皇(高野山から剣山へ参照)、西行の名まで出ている。西行は、高野山に滞在していたこともあり、金剛峰寺壇上伽藍には西行桜と呼ばれる桜もあった位だが、何と清盛と同じ1118年生まれ。神護寺で登場した文覚も1139年生まれというから、ほぼ同時代だ。

話は少し飛んで、KIN125(1/13)。125が伊勢神宮の社の数とシンクロしていたので、久しぶりに神宮司庁が出している『お伊勢まいり』を眺めていたらP101にご正殿の間口は11.18m(3丈6尺9寸に相当)と書いてあるのを目にした(1118シンクロ)。翌KIN126はLの誕生日で、『マヤのリズム』でお世話になった天野照久氏の銀河の誕生日でもあったが、思いがけず昭恵さん(KIN223)と天野氏からメールが届いた。

天野氏は神功皇后と二天一流(宮本武蔵)について、昭恵さんは、何と巌流島の戦いから400年という話を書いて下さっていた。昭恵さんは、この日から何となく気分が変わったので『13の月の暦』を見てみたらKIN126で、ちょうどその日のフライト予約番号ともシンクロしていたとのこと。『マヤのリズム』が生まれた背景やLの誕生日だったことについては、特に意識されていなかった模様(それがまた直感的で面白い)。

しかし、私が興味を引かれたのは剣山の後日談として、剣に関する以下のような話が書かれていたことだった。「(前略)真っ直ぐな剣は本来、平和のために使われるものが、曲がって刀になってしまい、戦いの道具となったということでした。 巌流島の合戦での佐々木小次郎の剣が本当の剣であるという ことで(後略)」。

そして、昨日(KIN127)、平清盛の第2話目を何とはなしに見ていたら、何と終盤に岩清水八幡宮で剣を持って舞うシーンがあった(大治4年と言っていたので12才の時に舞ったという史実に基づいている模様)。83日前に訪れた場所に、こういう形で再開するとは思っていなかったが、関西に4年近く住み、その後も7年近く何度も通っていたのに、何故、このタイミングで岩清水八幡宮に参拝(過去記事参照)したのか不思議な気持ちになる(清盛とこんなに繋がっていると知ったのは参拝後)。

しかも驚いたのはその演出で、最初通常の反り刀(太刀)を使っていたのが、途中で直刀に変えるシーンがあったのだ。昭恵さんのメールが無かったら、ただの演出と思って流していたかもしれないが、タイミングもタイミングだし、私も新体道では真っ直ぐな木刀を使う一方で、剣武では曲がった木刀・模擬刀を使うので、色々とイメージが膨らんでしまった。

という訳で、久々に大河ドラマ級の長~いブログになってしまったが、次々にビッグウェーブが来ていて、まとまりのないメモでもどんどん書き留めて行かないと、益々タイムラグが生まれてしまうので、とりあえず区切りの良いところまで書いてしまった。

2012年の世界がどうなるかは時間が進めば自ずと明らかになるだろうが、少なくとも私の中では、平安初期(空海の時代)、平安末期(清盛の時代)、バルセロナ(カタルーニャ)、マヤ、エジプト(KIN126に『インディージョーンズ/クリスタルスカルの王国』が放映されていたが、大英博物館でスカルに出会った足でエジプトを訪れた直後に公開されたもの)、様々な時代と場所のエネルギーが、螺旋を描きながら収束して来ているのが、はっきりと感じられる。これがどういう反応をひき起こすのか楽しみである。

高野山から剣山へ

2011年12月21日 03:30

律動の月8日(G12/20)KIN101 赤い惑星の竜(byD) 

2011年末にかけて風雲急を告げる変化が次々と起きている。同時にシンクロ率も益々UPしていて、ブログに整理するのが間に合わず、ひと月以上も遅れてしまっている。リアルタイムのシンクロは、メモ代わりにツイッターにつぶやいているので、旬なシンクロを味わいながら波乗り感覚を磨こうという方は、そちらをご覧いただければと思う。

さて、KIN66(G11/15)に安倍昭恵さん(青い月の夜)にお会いした時、その場には、イラストレーターの柴崎るり子さん(青い宇宙の嵐)、L(青い惑星の猿)、私の4名がいた。私以外の3名が全員「変容」を意味する「青」の紋章だったのが興味深いが(そういう自分も今の道筋は「青」)、これまで書いて来たようなシンクロ話でひとしきり盛り上がった後、場所を移動することになった。

所用があったLと別れ、3人で交差点からタクシーに乗り込むと、昭恵さんがおもむろに「今月末、念願の剣山に登る予定なんです」と口にされた。「何日ですか?」と聞くと、「29日か30日のどちらか」とのこと。その日が「13の月の暦」ではKIN80、81であるのを手帳で確認した時、目の前を走っていた車のナンバープレートが81だったので、私はそのことを伝えながら「多分、30日(KIN81)になるんじゃないでしょうか」と答えた。

広尾付近のお店に着くと、ほどなくして、るり子さんとスライドショーを共同開催されているSさん(KIN24)&Mさん(KIN38)ご夫妻も到着。私は初対面だったが、Mさんの「神秘のパートナー」で、るり子さんにとってはガイドキンでもある昭恵さんが、自然な場を生み出して下さり、うちとけた雰囲気の中、色々な話をすることが出来た。楽しい時間はあっという間に過ぎて、解散したのは夜もすっかり更けてから。昭恵さんとは、都合8時間近くもご一緒させて頂いた訳だが、気さくで自由でとても素敵な方だった。

その4日後の「倍音の月5日」は、ツタンカーメンの墓が発見されたのと同じKIN70「白い倍音の犬」。さすがに「5」の音が重なる魔術の亀の日だけあって、ネットニュースでも<応神、仁徳、履中…。教科書でおなじみの「倭の五王」にあたる天皇陵出土の埴輪が今回、勢揃いした>という記事が目に入る。応神天皇の母が神功皇后で、どちらも最近(5・種の日に)初参拝したばかりの岩清水八幡宮にお祭りされていた件については、既に触れた通りだが、驚くべきことに、この日、昭恵さんは、何と奈良の神功皇后の御陵(その名も「五社神古墳」)を参拝されていたのだった。

私がツイッターで「倭の五王」のことをつぶやいたわずか1時間後位にそのことをFBに書かれていたので、思わずコメントすると「大雨の中それもとてもわかりにくい場所でしたが、今日初対面の方にご案内頂きました。私には奇跡的なお参りでした」とのこと。私の方も、この日、「銀河の第5の力」を表現した『ドリームスペル』の校正を終えたり、普段から注目している坂本龍一氏と甲野善紀氏が、何故か同時にバルセロナ入りしていることをツイッターで知ったりと、倍音だけでなく、ツタンカーメンの魔術が関与している気配も感じる特別な一日だった。

ちなみに、『ドリームスペル』(「13の月の暦」情報の源)は、大日如来の五相のような、五つの城から成るマンダラ的構造を持っているのだが、古代のマヤ暦にはこういうデザインのものは存在しない。アグエイアス夫妻が銀河の知性から受け取ったもの、あるいは、もう少し「この世的」に解釈するにしても、彼らに強い影響を与えたチベット密教が反映されたものと考えるのが自然だろう。

さて、そこからさらに11日が経過したKIN81(11/30)の午前中、私が号令をかけている新体道瞑想クラスでは、高野山と空海からの流れを意識して、ラストに金剛位瞑想を行った。参加者は私を含め6名だったので、立ち位置は自然と六芒星の形になったのだが、後で小林美元氏の『古神道入門』のP245(新体道、剣武天真流創始者、青木先生はKIN245)を見ると、そこには剣山、玉置山、千ヶ峰をその頂点に含む六芒星の図が示されていた。

その日の午後、FBを見ると、KIN66の時のタクシーのお告げの通り、昭恵さんが剣山山頂に(午前中に)立たれたことを報告されていた。予想が当たったことをコメントすると、「壇ノ浦の戦で平家が敗れた後、幼かった安徳天皇三種の神器を持って関門海峡に入水したと言われていますが、実は生き延びて四国に渡り、剣を隠した場所が剣山だという伝説もあるようです。その安徳天皇は81代天皇です」との返信。KIN81に81代天皇とは出来過ぎた話だ。しかも「安」「徳」の文字は、『マヤのリズム』に登場して頂いている”安”倍晋三氏、皇太子”徳”仁親王にも通じるものがある。余談だが、私の父もその名に「徳」がつく上、誕生KINは四国88カ所とシンクロするKIN88。

考えてみれば、空海は四国出身で、KIN76~78(11/25~27)に行われた天真書法塾発表会に出した私達の作品もまた、空海と関連するものだった。私は空海も臨書したという孫過庭の「書譜」を四国で漉かれた和紙に書いたし、Lも空海の「性霊集」にヒントを得て「観自在」と書いた。そう思うと、午前の瞑想クラスにOさんがクリスタルの三鈷杵を初めて持参して下さったのも偶然ではなかったのだろう。81は9×9魔方陣(縦横斜めの合計が369=天照大神の数霊)とも繋がりが見えるが、『マヤのリズム』で皇太子さまと安倍ご夫妻にご登場いただいているのは、P170から始まる「太陽の世界の橋渡し(369と三輪山)」の項だ。

一方、2012/1/8(KIN120=黄色い電気の太陽)から放映される大河ドラマは「平清盛」で、清盛は安徳天皇の祖父にも当たる。この大河ドラマの題字を書かれた書家、金澤翔子さん(KIN40=黄色い磁気の太陽)の現在の道筋は何とKIN170で、上記のページと直結しているばかりか、私達にとってはバルセロナの扉が開いた日でもあった。KIN81が「赤い電気の竜」にキャッチされた情報が「黄色い電気の太陽」から放映される平清盛にも多次元的に繋がっていることを見ると、剣山にあるとされる「失われたアーク」とは、実は目に見える箱などではなく、「太陽光発電に関する智慧」のようなものなのかもしれない。

さらに、『古神道入門』のP159(今年はガウディ生誕159年)にある「言霊数霊一覧表」によれば、アントクは「1、10、17、8」に置き換えられ、81(代)を3(種の神器)で割った27(10、17)を「ア、ン、ト、ク」から引くと、「ア、ク」=「1、8」(清盛放映開始日)となる。ここまで来ると単なるお遊びというか、かなり無理矢理感が出てしまうが、アーク(ark)には「安全な避難所」という意味もあるので、安徳天皇が「三種の神器」を剣山に避難させたという話も、数霊的にはアリなのかもしれない。

こんな風に、空海から始まった流れが剣山に行き着くという美しい流れとシンクロを感じたKIN81の夜、15日前のKIN66に頂いた「美味しい昭恵米」を炊く機会がようやく巡って来た。化学農薬や肥料を一切使っていないというそのお米はとても美味しくて、それだけで何だかお祝いしている気分になれた。

長くなったついでに書いてしまうと、昨日KIN100(黄色い太陽の太陽)に京都白峯神宮を訪れた。讃岐(四国)に配流された崇徳天皇が御祭神だったと後で知ったのだが、ここで引いたおみくじが20番で、震災後、東日本ソーラーベルト構想を唱えた孫正義氏の誕生KIN20(黄色い共振の太陽)とシンクロしていたのが、非常に興味深かった。

神功皇后応神天皇、空海、源氏と平氏、こうした異なる時代の流れが、今、互いに響き合いながら2012年のポイントに収束して来ているのを感じる今日このごろである。

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