2012年09月15日 05:19
■月の月24日 (G9/15) KIN110 白い律動の犬(by D)
G9/9(KIN104)、「時空のサーファークラス」の最終講義を無事完了出来た私は、極めて個人的な感覚ではあるが、「何とか責任は果たせた」という思いに満たされていた。『13の月の暦』と銀河文化ツールのエッセンスを6回に分けて伝えるスタイルをとり始めたのは確か9年ほど前。この間、一体どの位の方にご参加いただき、その内のどの位の方に本質を伝えられたのかは分からない。
しかし、アグエイアス夫妻を通じてもたらされた銀河のマヤ情報を、個人の趣味嗜好でフィルタリングすることなく、そのままの形で伝える場を10年近く保持し続けてきたことは、まぎれもない事実である。そして、おそらくではあるが、それが「銀河と調和する道」から外れてはいなかったことを、私は以下のシンクロから感じ取る事が出来た。
最終講義の全クラスに四国から参加して下さり、「銀河の署名」を導く際の例題にも立候補して下さったのは、G3/10(KIN16)生まれの方(Iさん)だった。一方、ラサでチベット民族蜂起が起きたのは1959年3月10日(KIN76)で、私は現在、ちょうどKIN76の道筋を歩んでいる。Iさんは、私達がチベットの子供達の支援をしていることも、3/10がそういう日付だということもご存知なかったが、何と、別の団体を通じて、チベット人子弟の里親を何年も続けられていることが分かった。
昭和天皇の誕生KINでもあるKIN16は、サイ時間単位で変換すると常に終戦記念日(8/15)とシンクロするのだが、2年前の終戦記念日(KIN129)に『シンクロニック・ジャーニー』を読んでDMを下さったのは、安倍昭恵さん(安倍晋三元首相夫人)であり、その昭恵さんと初めてお会いした日、四国の剣山の話題が平氏と絡む形で登場していた。
KIN104(9/9)が、12/22(マヤ長期暦が完了し次の新しいサイクルが始まる日)のぴったり104日前だと気付いたのは当日近くなってからで、その日が、この暦の情報を日本に伝え、全ての土台を築いて下さった高橋徹さんの76回目の誕生KINだったことに気付いたのは、今である。ちなみに、12/22は江本勝氏(近々共著が発刊予定)がメキシコで行われるスピリチュアルサミットで、新しい大周期の最初の講演を依頼されている日でもある。
ところで、この日クラスを終えるまでは、出張時恒例のシンクロ散歩の予定は全く立てていなかった。ちょうどKIN105(9/10)に、チベット関係の集いが大阪であることをチャクラで耳にはしていたが、私の中ではどうもピンと来ていなくて、どこか別な場所に行く必要性だけが漠然と感じられていた。夜になって、時空のサーファー仲間(と勝手に思い込んでいる)である吉田さん(4・夜)のFB記事を見ると、これまで耳にしたことが無い名前の神社が紹介されていた。瀬織津姫を含む祓戸四神が祀られているという佐久奈度神社である。
リンクで地図まで貼って下さっていたのでクリックしてみると、琵琶湖南部で距離的に行けないことも無さそうだったが、最寄りの駅(京阪石山寺駅)からも距離があって、車が無いとちょっと難しそうだった。そこで、神社の方は一時保留にして、私は駅名にもなっている石山寺の方を調べてみた。すると西国33箇所観音霊場の第13番札所で、住所も大津市石山寺1-1-1とある。今回、珍しく飛行機(JAL111便)で関西入りし、長年続けて来た『13の月の暦』のクラスを「13・種」の日に完了した私は、これだけでOKと思えたが、さらに調べると、「今回はここに来ることが、成すべきことの一つだったのだな」という情報が次々に見つかった。
何しろ『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願によって、良弁という僧が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音を祀ったのが、この寺の始まりとされているのだ。良弁は、金鐘行者とも呼ばれていた華厳宗の僧で、その噂が聖武天皇の耳に入り、金鐘寺(後の東大寺)を賜ったとされる。また、天皇は大仏をメッキするための大量の金が得られるよう良弁に祈らせたとも言う(実は石山寺の開山もこのことと関係がある)。2年後、陸奥国(今夏、小原・伊調の金メダリストを生んだ)から金が産出したことで、良弁は無事役目を果たし、東大寺の初代別当となった。
思いがけないきっかけで、今年の誕生日を東大寺で迎えた私にとっては、もう十分すぎる程のしるしと思えたが、シンクロはまだまだ続く。その時、ホテルの213(→2013)号室で直前まで見ていた大河ドラマ「平清盛」には、源頼朝が何度も登場していたが、何と、石山寺の東大門と国宝の多宝塔は、その頼朝の寄進によって建てられたと言うのだ。
それに、松本さんの講演や写真展が行われたのは、東大寺南大門の横に生まれた東大寺総合文化センターの中の、金鐘ホールと小ホールだ。金鐘ホールのこけら落としがダライ・ラマ法王によって昨年行われたことは既に奈良の報告に書いたが、実は「平清盛」の題字を書かれた金澤翔子さんも、ほぼ開館直後に小ホールの方で個展を開かれているのだ。これだけの繋がりを見せられた上で、もしも石山寺に行かなかったら、私はシンクロの働きを大切にしているとは言えなくなる。
明けてKIN105(1・蛇)。この日は近畿全域に雷雨注意報が出ていたが、結局傘が必要となることは一度もなく、素晴しい参拝日和となった。石山寺駅に到着した私は、バス停の時刻表を見て、佐久奈度神社まで行くバスが意外と頻繁に来る事を知った。そこで、予定を変更し、先に佐久奈度神社へ参拝することに決めた。琵琶湖から流れ出る瀬田川は、古代から歌にされた来ただけあってさすがに風光明媚で、ゆったりとした流れをたたえている。川に沿って走る国道は422号。G4/22はアースデーだが、自己存在22日(G11/8)と見ると、何と今年はKIN164。つまり2013年7月26日「銀河の同期」から正確に1スピン前だ。それに最終講義に出て下さった方の一人は、G11/8生まれだった。
★瀬田川の流れ
川幅が徐々に狭まり鹿跳橋という橋で対岸に渡って間もなく、バスは大津大石郵便局の隣に停車した。資料には、ここから歩いて3分と書かれていたが、入口がわからず、こんもりとした森を右手にコルラする形で河原に出てしまった。石山寺から南に下って来た瀬田川は、この辺りで西に向かって流れを変えている(まさにこの日から「燃える青い西の城」に入ったのだが)だけでなく、ごつごつした岩場の急流になっていて遊泳禁止の看板があった。カヌーとかラフティングをしている人々を見ながら、ようやく参道を見つけて参拝。何か涼しく爽やかなものがハートの辺りを吹き抜けて行った感覚を味わった。
★佐久奈度神社
人気のない社務所の呼び鈴を押すと、隣の建物から普段着姿の宮司さん(とおぼしき方)がやってきて窓を開けてくれた。おみくじを引いてみると、13番大吉!(巻物みたいに)和紙に横向きに縦書きされた珍しいタイプの神籤の冒頭には「このみくじにあう人は太陽を手にとる相あり」とあった。これには色々な意味を感じたが、ちょうど前日の講座修了後に立ち寄ったカフェで、KIN240(6・太陽)のB・フラーが書いた『COSMOGRAPHY』の原著を見つけて手にとったことも、同時に思い出した。
★佐久奈度神社のおみくじと
殆ど待つ事なくバスが来てくれたので、そのまま13番札所の石山寺に戻って、頼朝が寄進したという山門をくぐる。境内はかなり広く、どう巡るか考えてしまう程だったが、まずは33ケ所フダラク山巡りをしながら、八大龍王社にお参りした。濃い緑の木立に囲まれた丸い池は、本当にそこから龍が姿を見せてくれそうな気配を漂わせていた。後で13(番札所)×8(大龍王)=104であること気付き、帰る前に再度この近くの無憂園という場所で天真五相を捧げた。
★石山寺境内の八大龍王社
寺名の由来となっている天然記念物の岩を見てから本堂へ行くと、紫式部が源氏物語の構想を閃いたという部屋が再現されていた。伝承では、八月十五日の名月の晩に「須磨」「明石」の巻の着想を得たとされているようだが、「明石」は全54巻の第13巻目に当たり、最終講義にはその明石から来られた方もいた。源氏物語では、主人公・光源氏の52才までが描かれていたり、『枕草子』の第208(52×4=13×16)段にも石山寺が登場することを知ると、今、このタイミングでこの寺を訪れた事に、さらに深い意味を感じる。
KIN208は『ドリームスペル』において重要な日付であるだけでなく、冬至の翌日、つまり新しい大周期の初日(12/22)にも対応している。また、『時間の法則の20の銘板』では、今年「7・嵐」の年の13ヵ月は、KIN196〜KIN208にも対応しているのだ。その数え方だと、月の月現在はKIN197に対応する。
その後、内部に快慶作の大日如来が安置されているという国宝の多宝塔を経由して、琵琶湖の方まで見える見晴らしの良い場所に来ると、月見亭という名の見晴し台があった。清盛にも登場している後白河天皇(第77代)行幸の際に建てられ、明治天皇、大正天皇、昭和天皇(KIN16)らも訪問された事が記されていた。前回のシンクロ散歩でも知らずに後白河天皇ゆかりの三十三間堂を訪れていたり、清盛の影響なのか、何かとその時代とリンクするのを感じる。
参拝を終えてから、山門近くで見かけた店で梅おろし蕎麦を頂き、駅に向かう途中にあった「茶丈藤村」というお店で名物の「たばしる」という胡桃の入った和菓子などを頂いてシンクロ散歩は終了。時間的にはまだ多少余裕があったが、もう色々な意味で満腹な感じがあったので、京都は駅前だけ散歩して、時間トンネル(ホゼ・アグエイアスがヴァルム・ヴォタンへと変容を遂げたKIN105〜KIN132の28日間のこと)の入口であるKIN105に、その出口とシンクロする「のぞみ132号」で帰途についた。
★石山寺駅にて百人一首のマンガ電車
深夜、FBの吉田さんのページで、ここに佐久奈度神社の記述があったお陰で素晴しい参拝が出来た御礼を書き込んでから眠ると、KIN106(9/11)の早朝に、私が佐久奈度神社に参拝したKIN105の日、吉田さんは仕事帰りに饒速日命が祀られている野間神社に参拝されたこと、そしてその神社には「大和国石上哮嶺(石上神宮)の石窟から真勾玉241個を奉戴遷祀したともされている」という言い伝えがあることを教えて下さった。もちろん、私がKIN241だからである。
饒速日命が火、瀬織津姫が水と対応するという対比にも興味を持ち、野間神社の位置を地図で確認すると、何と「天王山」に対して佐久奈渡神社とはじ、実際にほぼ対称の位置にある事に気付いた。しかも、石上神宮は、剣武天真流を稽古し始めてからピッタリ520日目のKIN257(天王星に対応)、2010年12月21日、皆既月食の日に参拝したことを『マヤのリズム』にも記している。また、KIN257は、最終講義で例題になって下さった方(16)と私(241)のKINの合計数でもあり、「地球が静止する日」で「クラトゥ・バラダ・ニクト」のセリフを一度だけ口にするキアヌ・リーブスの誕生KINでもある。
最後に佐久奈度神社の住所を書いておくと、大津市大石中1丁目21。磁気の月21日と見れば終戦記念日だし、KIN121と見れば、13列からなるツォルキンマトリックスの中央の神秘の柱という事になる。やはり、サインはつねに中心を示しているようだ。対称と対極の中心にこそ次元間を突き抜ける秘密がある。
追記:徹夜でこの記事をUPし終えた時「9/15の5:19で591番目の記事とは美しいなー」と思っていて、後で気付いたのは、9×1×5=5×1×9=5×9×1=45。第45代聖武天皇のサインだと感じた。
G9/9(KIN104)、「時空のサーファークラス」の最終講義を無事完了出来た私は、極めて個人的な感覚ではあるが、「何とか責任は果たせた」という思いに満たされていた。『13の月の暦』と銀河文化ツールのエッセンスを6回に分けて伝えるスタイルをとり始めたのは確か9年ほど前。この間、一体どの位の方にご参加いただき、その内のどの位の方に本質を伝えられたのかは分からない。
しかし、アグエイアス夫妻を通じてもたらされた銀河のマヤ情報を、個人の趣味嗜好でフィルタリングすることなく、そのままの形で伝える場を10年近く保持し続けてきたことは、まぎれもない事実である。そして、おそらくではあるが、それが「銀河と調和する道」から外れてはいなかったことを、私は以下のシンクロから感じ取る事が出来た。
最終講義の全クラスに四国から参加して下さり、「銀河の署名」を導く際の例題にも立候補して下さったのは、G3/10(KIN16)生まれの方(Iさん)だった。一方、ラサでチベット民族蜂起が起きたのは1959年3月10日(KIN76)で、私は現在、ちょうどKIN76の道筋を歩んでいる。Iさんは、私達がチベットの子供達の支援をしていることも、3/10がそういう日付だということもご存知なかったが、何と、別の団体を通じて、チベット人子弟の里親を何年も続けられていることが分かった。
昭和天皇の誕生KINでもあるKIN16は、サイ時間単位で変換すると常に終戦記念日(8/15)とシンクロするのだが、2年前の終戦記念日(KIN129)に『シンクロニック・ジャーニー』を読んでDMを下さったのは、安倍昭恵さん(安倍晋三元首相夫人)であり、その昭恵さんと初めてお会いした日、四国の剣山の話題が平氏と絡む形で登場していた。
KIN104(9/9)が、12/22(マヤ長期暦が完了し次の新しいサイクルが始まる日)のぴったり104日前だと気付いたのは当日近くなってからで、その日が、この暦の情報を日本に伝え、全ての土台を築いて下さった高橋徹さんの76回目の誕生KINだったことに気付いたのは、今である。ちなみに、12/22は江本勝氏(近々共著が発刊予定)がメキシコで行われるスピリチュアルサミットで、新しい大周期の最初の講演を依頼されている日でもある。
ところで、この日クラスを終えるまでは、出張時恒例のシンクロ散歩の予定は全く立てていなかった。ちょうどKIN105(9/10)に、チベット関係の集いが大阪であることをチャクラで耳にはしていたが、私の中ではどうもピンと来ていなくて、どこか別な場所に行く必要性だけが漠然と感じられていた。夜になって、時空のサーファー仲間(と勝手に思い込んでいる)である吉田さん(4・夜)のFB記事を見ると、これまで耳にしたことが無い名前の神社が紹介されていた。瀬織津姫を含む祓戸四神が祀られているという佐久奈度神社である。
リンクで地図まで貼って下さっていたのでクリックしてみると、琵琶湖南部で距離的に行けないことも無さそうだったが、最寄りの駅(京阪石山寺駅)からも距離があって、車が無いとちょっと難しそうだった。そこで、神社の方は一時保留にして、私は駅名にもなっている石山寺の方を調べてみた。すると西国33箇所観音霊場の第13番札所で、住所も大津市石山寺1-1-1とある。今回、珍しく飛行機(JAL111便)で関西入りし、長年続けて来た『13の月の暦』のクラスを「13・種」の日に完了した私は、これだけでOKと思えたが、さらに調べると、「今回はここに来ることが、成すべきことの一つだったのだな」という情報が次々に見つかった。
何しろ『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願によって、良弁という僧が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音を祀ったのが、この寺の始まりとされているのだ。良弁は、金鐘行者とも呼ばれていた華厳宗の僧で、その噂が聖武天皇の耳に入り、金鐘寺(後の東大寺)を賜ったとされる。また、天皇は大仏をメッキするための大量の金が得られるよう良弁に祈らせたとも言う(実は石山寺の開山もこのことと関係がある)。2年後、陸奥国(今夏、小原・伊調の金メダリストを生んだ)から金が産出したことで、良弁は無事役目を果たし、東大寺の初代別当となった。
思いがけないきっかけで、今年の誕生日を東大寺で迎えた私にとっては、もう十分すぎる程のしるしと思えたが、シンクロはまだまだ続く。その時、ホテルの213(→2013)号室で直前まで見ていた大河ドラマ「平清盛」には、源頼朝が何度も登場していたが、何と、石山寺の東大門と国宝の多宝塔は、その頼朝の寄進によって建てられたと言うのだ。
それに、松本さんの講演や写真展が行われたのは、東大寺南大門の横に生まれた東大寺総合文化センターの中の、金鐘ホールと小ホールだ。金鐘ホールのこけら落としがダライ・ラマ法王によって昨年行われたことは既に奈良の報告に書いたが、実は「平清盛」の題字を書かれた金澤翔子さんも、ほぼ開館直後に小ホールの方で個展を開かれているのだ。これだけの繋がりを見せられた上で、もしも石山寺に行かなかったら、私はシンクロの働きを大切にしているとは言えなくなる。
明けてKIN105(1・蛇)。この日は近畿全域に雷雨注意報が出ていたが、結局傘が必要となることは一度もなく、素晴しい参拝日和となった。石山寺駅に到着した私は、バス停の時刻表を見て、佐久奈度神社まで行くバスが意外と頻繁に来る事を知った。そこで、予定を変更し、先に佐久奈度神社へ参拝することに決めた。琵琶湖から流れ出る瀬田川は、古代から歌にされた来ただけあってさすがに風光明媚で、ゆったりとした流れをたたえている。川に沿って走る国道は422号。G4/22はアースデーだが、自己存在22日(G11/8)と見ると、何と今年はKIN164。つまり2013年7月26日「銀河の同期」から正確に1スピン前だ。それに最終講義に出て下さった方の一人は、G11/8生まれだった。

川幅が徐々に狭まり鹿跳橋という橋で対岸に渡って間もなく、バスは大津大石郵便局の隣に停車した。資料には、ここから歩いて3分と書かれていたが、入口がわからず、こんもりとした森を右手にコルラする形で河原に出てしまった。石山寺から南に下って来た瀬田川は、この辺りで西に向かって流れを変えている(まさにこの日から「燃える青い西の城」に入ったのだが)だけでなく、ごつごつした岩場の急流になっていて遊泳禁止の看板があった。カヌーとかラフティングをしている人々を見ながら、ようやく参道を見つけて参拝。何か涼しく爽やかなものがハートの辺りを吹き抜けて行った感覚を味わった。

人気のない社務所の呼び鈴を押すと、隣の建物から普段着姿の宮司さん(とおぼしき方)がやってきて窓を開けてくれた。おみくじを引いてみると、13番大吉!(巻物みたいに)和紙に横向きに縦書きされた珍しいタイプの神籤の冒頭には「このみくじにあう人は太陽を手にとる相あり」とあった。これには色々な意味を感じたが、ちょうど前日の講座修了後に立ち寄ったカフェで、KIN240(6・太陽)のB・フラーが書いた『COSMOGRAPHY』の原著を見つけて手にとったことも、同時に思い出した。

殆ど待つ事なくバスが来てくれたので、そのまま13番札所の石山寺に戻って、頼朝が寄進したという山門をくぐる。境内はかなり広く、どう巡るか考えてしまう程だったが、まずは33ケ所フダラク山巡りをしながら、八大龍王社にお参りした。濃い緑の木立に囲まれた丸い池は、本当にそこから龍が姿を見せてくれそうな気配を漂わせていた。後で13(番札所)×8(大龍王)=104であること気付き、帰る前に再度この近くの無憂園という場所で天真五相を捧げた。

寺名の由来となっている天然記念物の岩を見てから本堂へ行くと、紫式部が源氏物語の構想を閃いたという部屋が再現されていた。伝承では、八月十五日の名月の晩に「須磨」「明石」の巻の着想を得たとされているようだが、「明石」は全54巻の第13巻目に当たり、最終講義にはその明石から来られた方もいた。源氏物語では、主人公・光源氏の52才までが描かれていたり、『枕草子』の第208(52×4=13×16)段にも石山寺が登場することを知ると、今、このタイミングでこの寺を訪れた事に、さらに深い意味を感じる。
KIN208は『ドリームスペル』において重要な日付であるだけでなく、冬至の翌日、つまり新しい大周期の初日(12/22)にも対応している。また、『時間の法則の20の銘板』では、今年「7・嵐」の年の13ヵ月は、KIN196〜KIN208にも対応しているのだ。その数え方だと、月の月現在はKIN197に対応する。
その後、内部に快慶作の大日如来が安置されているという国宝の多宝塔を経由して、琵琶湖の方まで見える見晴らしの良い場所に来ると、月見亭という名の見晴し台があった。清盛にも登場している後白河天皇(第77代)行幸の際に建てられ、明治天皇、大正天皇、昭和天皇(KIN16)らも訪問された事が記されていた。前回のシンクロ散歩でも知らずに後白河天皇ゆかりの三十三間堂を訪れていたり、清盛の影響なのか、何かとその時代とリンクするのを感じる。
参拝を終えてから、山門近くで見かけた店で梅おろし蕎麦を頂き、駅に向かう途中にあった「茶丈藤村」というお店で名物の「たばしる」という胡桃の入った和菓子などを頂いてシンクロ散歩は終了。時間的にはまだ多少余裕があったが、もう色々な意味で満腹な感じがあったので、京都は駅前だけ散歩して、時間トンネル(ホゼ・アグエイアスがヴァルム・ヴォタンへと変容を遂げたKIN105〜KIN132の28日間のこと)の入口であるKIN105に、その出口とシンクロする「のぞみ132号」で帰途についた。

深夜、FBの吉田さんのページで、ここに佐久奈度神社の記述があったお陰で素晴しい参拝が出来た御礼を書き込んでから眠ると、KIN106(9/11)の早朝に、私が佐久奈度神社に参拝したKIN105の日、吉田さんは仕事帰りに饒速日命が祀られている野間神社に参拝されたこと、そしてその神社には「大和国石上哮嶺(石上神宮)の石窟から真勾玉241個を奉戴遷祀したともされている」という言い伝えがあることを教えて下さった。もちろん、私がKIN241だからである。
饒速日命が火、瀬織津姫が水と対応するという対比にも興味を持ち、野間神社の位置を地図で確認すると、何と「天王山」に対して佐久奈渡神社とはじ、実際にほぼ対称の位置にある事に気付いた。しかも、石上神宮は、剣武天真流を稽古し始めてからピッタリ520日目のKIN257(天王星に対応)、2010年12月21日、皆既月食の日に参拝したことを『マヤのリズム』にも記している。また、KIN257は、最終講義で例題になって下さった方(16)と私(241)のKINの合計数でもあり、「地球が静止する日」で「クラトゥ・バラダ・ニクト」のセリフを一度だけ口にするキアヌ・リーブスの誕生KINでもある。
最後に佐久奈度神社の住所を書いておくと、大津市大石中1丁目21。磁気の月21日と見れば終戦記念日だし、KIN121と見れば、13列からなるツォルキンマトリックスの中央の神秘の柱という事になる。やはり、サインはつねに中心を示しているようだ。対称と対極の中心にこそ次元間を突き抜ける秘密がある。
追記:徹夜でこの記事をUPし終えた時「9/15の5:19で591番目の記事とは美しいなー」と思っていて、後で気付いたのは、9×1×5=5×1×9=5×9×1=45。第45代聖武天皇のサインだと感じた。
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