fc2ブログ

滋賀(志賀)ー 高島 ー 安曇の活性化

2017年05月19日 03:06

スペクトルの月17日(G5/18)KIN255 青い銀河の鷲

中学時代の同級生で、部活も同じで、誕生日(磁気の月18日&KIN241)まで全く同じ人物が居る。その平井俊旭君(以下トシ:中学時代の呼び名)からFBを通じて連絡があったのはG4/15(KIN222)。数年前に学年全体の同窓会があった時に顔を合わせて以来なので、かれこれ5年ぶり位だろうか。確か当時は、スープストックトーキョーの仕事をしていたはずだが、メッセージには「今は滋賀県の高島市っていうところに住んでいて、行政の仕事を受けて地域の活性化のような仕事をしてます」とあった。

それで改めてプロフィールを見ると、「雨上株式會社」社長となっている。いつの間に!と思ったが、おそらく今の仕事と関係があるのだろう。連絡のきっかけは水に関する事だったようで、しばしメッセージのやり取りをして、「まあ、近いうちに会おう」という流れになった。ところで、高島市ってどの辺りなのだろう?と気になって調べると、琵琶湖の西岸北寄りのかなり広いエリアである事が分かった。地図を拡大してみて驚いたのは、市の中心部に流れている川の名が安曇川だった事。

今年の春分(KIN196)とその翌日の2日間、安曇族発祥の地とも言える志賀島で過ごして来たばかりのタイミングに、それも、「スピリットを伝える」13日間(風のウェイブスペル)の初日に、水をきっかけに連絡が来るとは面白過ぎる。しかも、この日は剣武の奉納演武をさせて頂いた志賀海神社で「山誉種蒔漁猟祭」が行われていた日。志賀島の小崎亜久理さん(KIN219)が「時のからだ塾」MLで知らせて下さったのだが、このお祭りの中で、古来「君が代」が神楽歌として歌われ続けて来たのである。

更なる驚きは、お祭りが行われるG4/15(惑星の月12日)のサイ時間が、常に権禰宜の平澤憲子さん(KIN193)の誕生KINに対応するという事。加えて、G4/15は「13の月の暦に替える平和の運動」に強い影響を与えた「レーリヒ条約」(文化財保全を目的とした初期の国際条約)が調印された日でもあるのだ!

翌日、トシから「FBで君が代の書を見たけど、あれは最高だね!スゲー!」とコメントがあった。まさにその書こそ、志賀海神社に蘭禅が奉納した作品なのだが、その経緯については【「君が代」発祥の地・志賀島へ】にまとめてあるので、そちらを参照いただければと思う。

志賀海神社3 ★蘭禅による奉納書「君が代」

その9日後のKIN231(G4/24)は、蘭禅の79回目の銀河の誕生日とレオナルド・ダ・ヴィンチの565回目の誕生日、さらにレーリヒのKIN204(サイ時間)が重なるスペシャルな日で、私達は所用で自由が丘に居た。途中、メガネドラッグで眼鏡を洗わせてもらっていると、「おばら!」と見知らぬ(ように見えた)男性から声をかけられた。何と、中学の同級生K君だった!彼とも前の同窓会以来だから、やはり5年ぶり位。よくもこんな所で私を見つけられたものだ。

タイミング的にも面白かったので誕生日を確認しておくと、3/19(KIN200)との事。その日だったかその前日だったかにプリンスの319という曲を久しぶりに聞いていただけに、これまたビックリだったが、今年の3/19はKIN195で、ちょうど出雲大社(杵築東195)で剣武の奉納演武をさせて頂いた日(KIN195)からぴったり260日後という関係になっていた。そして、私達はその日、ANA241便で福岡入りしているのである。

この流れの発端は、2年前の誕生日(2015.8.12)にあると私は感じている。何故なら、私はその日からKIN131(1・猿)の道筋に入り、その4日後に志賀島(&安曇族)と繋がるきっかけとなった人物・亜久理さんと出会っているからである。誕生日当日の事をまとめた「鎌倉みちのく魔術紀行」シリーズの第6話「四重虹」には、以下のような記述もある。

”『ドリームスペル(13の月の暦)』旅程盤に由来を持つ反時計回り(ネジを緩める方向)のウェイブスペルの動きは、「偽りの時間」(12か月の暦)が生じたとされる約5125年前から現在までの時間を、解放(浄化)しながら再構築するプロセスを示してもいる。今回の日帰り紀行は、それを個人史に応用したもので、江島神社鶴岡八幡宮→横須賀線上り(帰路)という地理的な反時計回りと、高校→中学→小学校という時間的逆行とをシンクロさせ、その時々に混入した(無自覚な)12:60的影響を解放するという試みでもあった。”

亜久理さんと出会ったのはハーモニック・コンバージェンス28周年当日のG8/16(KIN135)。その日行った暦クラスのメモには、「福岡から一番乗りでやって来られて日帰り」「例題に立候補:KIN219、月の月18日(G9/9)」とある。上記「四重虹」に詳しく書いてあるが、自分の誕生日から28(4×7)日後の亜久理さんの誕生日(G9/9)に、4重の虹(7色)が出たのには、流石に驚いた。

四重虹1 ★玉川高島屋のデッキより

その後、2016年5月に石川県羽咋郡志賀町(後に志賀島との関係を知る)で剣武の合宿があり、7月に出雲大社で奉納演武。この時、津和野方面も巡った事は【石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う】に記した通りである。結局、トシとはG5/9(KIN246)に自由が丘で会う事になったのだが、その5日前のKIN241(G5/4)に彼が居たのは、何と津和野であった。そして、互いの近況を話す中で、私が初めて知ったのは以下のような事だった。

・トシが現在住んでいるのは高島市安曇川(あどがわ)という所であること
・鎌倉-高島-出雲は、一直線上にあること
ホツマツタエの完全版は高島市で発見されていること
・第26代継体天皇の生誕地は現在の高島市であること
雨上株式會社という社名は水の循環になぞらえてあらゆる循環を象徴していること

最後の点は、『霊性のアート』で提示した「球状精神宇宙モデル」のイメージとも重なるところがあり、生年月日が同じで、同じタイミングに同じ学校で少年期を過ごすと、ある程度被るところも出てくるものなのか、と思わず感心してしまった(私は誕生日で運命が決まるとは思っていない立場なので)。

他にも、これまでの経緯や今の仕事について細かく話してくれたのだが、後からそれらがほぼそのまんま分かり易くまとめられている記事を見つけたので、是非、こちらのリンク(colocal)も見て頂ければと思う。そこには高島屋のルーツが高島にあるらしい事も書かれていて、毎日のように玉川高島屋にお世話になっている私としては、またまた驚かされたのだった。

3日後のKIN249(G5/12)、Sさん(KIN159)がウォーターセラピーに来られ、セッション中に滋賀の事を話題にされた。建築家のご子息が仕事の関係でここのところ割と頻繁に滋賀に通っている事、ご主人のご実家も滋賀にあること、さらに継体天皇が滋賀の出身だという話までされるので、私はすっかり驚いてしまった。私の方から話題を振った訳ではなかった上、15年以上つき合いのあるSさんから初めて聞く事ばかりだったからである。

さらに、ご本人が安曇野出身という事まで耳にしたら、流石に志賀島や安曇族の話をせずにはいられない。『宇宙の暦は13ヵ月・新装版』を出して下さっているプレアデス出版さんが安曇野にある事や、3日前に知ったばかりの滋賀県高島と継体天皇の関係、志賀海神社での奉納の事などひと通りお伝えした。すると、一時期神道の勉強もされていたとかで、穂高神社と安曇族の関係ばかりか、志賀海神社の平澤憲子さんのお兄様(他界された宮司さん)のお顔までご存知だという(直接会われている訳ではない模様)。

それだけではない、Sさんの来所時に、蘭禅はその志賀島に住む亜久理さんと書のスカイプレッスンをしていたのである。Sさんの来所はほぼ3ヶ月ぶりだったし、亜久理さんのレッスンはもともとは違う日時だったのが、諸事情でSさんの来所に被る形になってしまったもので、全くの偶然であった。しかし、以下の事実は、それが実は偶然ではなかったのかもしれない事を示唆している。

私達が玉川高島屋のデッキから四重虹を見たのは、2015.9.9(KIN159)。つまり、志賀島に住む亜久理さんの365日暦の誕生日G9/9と、安曇野出身のSさんの260日暦の誕生KINが重なった日だったのである!4重虹で結びつけられた日付同士の繋がりが、今度は実在の人物同士のシンクロとして再現されたのである。こうしたシンクロは、やはり何度体験しても驚きに満ちているし、不思議だ。

トシとは、古代における日本海側の交易、特に糸魚川翡翠が広い範囲で流通していた事も話題にしていたので、この時、Sさんがまさにその「糸魚川翡翠」のペンダントをされていた事も偶然とは思えなかった。この流れからすると、いずれ継体天皇生誕地の高島も訪れる事になりそうである。

翌日のKIN250(G5/13)、「時のからだ塾」MLに八王子の関野さん(KIN75)が「2016.9.24(KIN19)に日本の国石が糸魚川の翡翠に決定したと日本鉱物科学会が発表した」と書かれていて、その事実を知らなかった私は、まず単純にその事に驚き、そして、今のタイミングでこの情報を知った事に更に驚いた。

さらに翌日のKIN251(G5/14)、剣武天真流の本部稽古に、少し前まで糸魚川に住んでおられ、今は八王子在住のS師範が参加されていた。一連の流れもあったので、糸魚川翡翠について聞いてみると、「確かに駅とかに国石になったというポスターとかありました」とか「糸魚川では昔、それほど価値があると思っておらず漬物石とかにヒスイ原石を使っていたそうです」という話を聞く事が出来た。

これだけ綺麗な文脈で翡翠や安曇や高島が繋がって来ると、古代の時空間が、このタイミングでまとまって浮上して来ているようにも思えて来る。この物語には多くの人々が関わっているが、特に鍵となる人物を挙げるとすれば、やはり小崎亜久理さん(KIN219)と言う事になるのではないだろうか。志賀島出身というだけでなく、「青いスペクトルの嵐の年」はそのKIN219から始まっていて、その一年の中で、一気に話が加速しているからである。

12:60的な(時計時間を主体とする)発想では、もう日付を跨いでしまった事になるが、私的には眠りに就くまでは前日の流れの中にいる感覚なので、サイ時間単位がKIN219の今日中に何とかこのブログをまとめられて、少しホッとしている。この先の展開も、きっと予想を超えたものになるのだろうが、思い切り楽しんで行きたいと思う。
スポンサーサイト



龍の都「志賀海神社」での白龍遊天

2017年04月05日 05:13

惑星の月1日(G4/4)KIN211 青い電気の猿(by D)

春分の夜に見た天気予報では、3/21の午後には雨が上がるようだったので、夜のうちに雨雲が過ぎてくれる事を願っていたが、起きると外は殆ど暴風雨の様相。強風に乗って滑空するのを楽しんでいるかのような海鳥達を眺めながら朝食を頂く。流石に演武を控えているので、思わず箸が進みそうになるのをこらえ、少しの量をゆっくり噛んで頂く事にした。

小柄な女将さんは、「満帆荘」を訪れた著名人のことや、地震で被災した後に再建を決意した経緯について、気さくに話して下さる方なのだが、私達が共に受け取ったのは「多分、魔法が使える方」という印象だった。それが何を意味するのかは、実際に「満帆荘」に泊まって体感してみて欲しい。分かる人には分かると思うし、何のことやらという方でも、素晴しい宿なのは分かるだろう。

演武用の格好に着替え、幾分降りが弱くなった頃、ふたば幼稚園の小崎先生が迎えに来て下さり、真っ赤な77-77の車で志賀島877という住所にある志賀海神社へと向かった。『13の月の暦』のツォルキンで、この日は「赤い月の地球」。サイ時間も「赤い銀河の地球」、そしてKIN77は「赤い水晶の地球」。「赤い地球」のキーワード「舵取り/発展させる/共時性」を意識せずにはいられない。

御潮井(清め砂)を左、右、左と軽くふり清めてから境内に入る作法は初めてだったが、歴史の流れから見れば、これが清めの原形的なスタイルなのではないかと思う。志賀海神社の歴史や詳しい背景については、公式サイトをご覧いただくとして、以下にその冒頭部分を引用しておこう。

”古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要衝である博多湾の総鎮守として志賀島に鎮座し、信仰されている志賀海神社は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓によってご出生された綿津見三神を奉祭しています。”

社務所に到着し、権禰宜の平澤憲子さんにご挨拶。小崎先生のご紹介で2/25(KIN173)に電話でお話はさせて頂いていたし、ご子息の幸興さんとは昨年11月末にアートコンプレックスで行われた天真書法塾発表会の会場でお会いしてもいたが、ご本人にお目にかかるのは今回が初めて。しかし、最初からシンクロの嵐で、その場にいたメンバーはただただ驚くばかり。

中でも、蘭禅が奉納した書「君が代」の軸を広げた時が最も盛り上がった瞬間だったが、その件については、別途本人が報告する予定なので、ここでは別なシンクロをシェアしておこう。一つは、スペインの伝統菓子「ポルボロン」について。日本では二子玉川にしか出店していないお店のものをという事で、心ばかりの手土産としてお持ちしたのだが、平澤さんがことのほか喜んで下さったので、その理由をお聞きすると、「20年以上も前にスペインのお土産で頂いて、その食感や味が忘れられず、どこかで手に入れられないものかと、ずーっと探していたんです」との事。

そんな風に言って頂いてこちらの方が嬉しくなってしまったが、前後の文脈や反応から、決して社交辞令でそう答えて下さった訳ではなさそうだった。思えば、もう一つもスペイン絡みの話だったが、その件で最も驚いたのは多分私達だったに違いない。実は、平澤さんと電話でお話した前後に、ネットで志賀海神社の事を調べていて、平澤さんが福岡女子大のご出身だと知った。

一方、2011年にバルセロナを訪れる前から注目し続けていたサグラダファミリア主任彫刻家の外尾悦郎氏が、この春、福岡女子大の客員教授に就任される事をLがニュースで見つけていて、G1/6(KIN123)に特別講演「サグラダ・ファミリアに込めたガウディの意図」の場にて、辞令交付式が行われた事を知った。KIN123と言えば、パカル王の石棺の蓋が開いた日付で、交付式が行われたその日は、そこからぴったり90銀河スピン(260×90)に当たるタイミングだった。

太宰府天満宮で引いた私達のおみくじが5と18で、「5×18=90」にもなるので、私は、それ以外に特に根拠も無く「彫刻家の外尾さんが福岡女子大の客員教授になられましたけど、私達は外尾さんにすごく影響を受けていて、深く尊敬しているんです」と、平澤さんに話してみたところ、「え、外尾くん?」と口にされたのだった。聞けば、学生時代の同級生らしく、外尾さんが帰国される時には、割と頻繁に合うような間柄らしい。

もちろん、何らかの繋がりがあるかもしれないという思いで振ってみた話だったのだが、いきなりストライク過ぎて、聞いたこちらがビックリしてしまった。それに、今回の志賀島での講座は、春分という事もあって意識的に『マヤのリズム』を準備していたのだが、実は、2011年にサグラダファミリアを訪れた時、私は出来て間もなかったこの本を、外尾さんに届けてもらうよう職人さんに託した経緯があるのだ(メルマガ”Happy シンクロ Days♪” Vol.42参照)。そのメルマガの配信日がKIN221(=13竜=ミケランジェロ)というのが、今、最高に旬な驚きなのだが、話が広がりすぎるのでそれについては機会を改めるとしよう。

そうこうしているうちに、奉納演武の時間が迫って来た。拝殿への移動に傘が必要無いくらいにまで小降りにはなっていたものの、すっかり上がった訳ではない。晴れ男&晴れ女の私達にしては珍しい展開だが、小崎先生は「ここは龍の都だから、神様がお喜びになると雨が降るんです」と移動中の車の中でおっしゃられていた。それでもやはり、演武を観に来て下さっている方の事を考えると、天気の事は気になる。
志賀海 

まず、拝殿に上がりお祓いを受け、正式参拝。蘭禅の書は、既に三方に乗せられて神前に供えられている。その後、奉納演武へ。すぐ近くで新しい建物の工事が行われていて、かなり激しい音がしていたのだが、入場礼法を終えて「天真五相」に入ると、神職の方が止めて下さったのか、「ア」の直前でピタッと音が止んだ。その後、観に来て下さっている方々に対して、剣武天真流の概要と、使用刀が江戸初期の佐賀藩の刀工(播磨守忠國)による作品で、青木宗家からお預かりしているものであること、および、これから行う型についての説明をさせて頂いた。


当初は、天地清浄祓いの型である「四方荘厳」と最も複雑かつ高度な型である「神剣無礙」だけを行うつもりだったが、「龍の都」で「赤い共振の竜」の私が演武するのだから、「白龍遊天」も入れないと話にならないと思い、その型も含めて奉納させて頂く事にした。演武中は集中していて気付かなかったのだが、ビデオを見ると実はかなり激しい雨が降っていて、「白龍遊天」が終わった瞬間(納刀時)には、強い風が吹き渡ると共にトンビが鳴くという天の演出まであった(以下の動画の一番最後に音が入っている)。



「世界の平和と人々の幸福を祈る」奉納演武を何とか無事に終え、観に来て下さった方々に刀をお見せし、希望される方には触れていただこうと拝殿から降りて行くと、雨はもう止んでいた。その後、幼稚園で「書の掲額式」(こちらもLが別途報告する予定)が控えていたので、境内を見て回る余裕も無くそのまま移動。「亀石」「鹿角堂」などは、次の機会にゆっくり見せて頂くつもりである。
奉納後 ★刀を手にされる権禰宜の平澤さん

お天気が荒れただけでなく、福岡市内からの高速道路でバスの事故などがあった(ニュースにもなっていた)関係で、残念ながら間に合わなかった方もいらっしゃったが、「掲額式」の後のお昼時間には、特別に美味しい幼稚園の給食(あまりの美味しさに丸二食分頂いてしまった)を頂きながら、一緒に話に華を咲かせる事が出来た。話の順序は前後している可能性が高いが、印象深いシンクロを以下にメモしておく。
志賀海2 ★(写真は玉里さんより)

2016年に剣武セミナーが行われた石川県羽咋市志賀町の「志賀町」は、安曇族が移り住んだ場所の一つで「志賀島」に由来する。2015年に剣武の奉納演武を行った宮崎県の鵜戸神宮には、ウガヤフキアエズノミコトが祀られているが、その母トヨタマヒメノ、妻のタマヨリヒメもオオワタツミノカミの娘であり、志賀海神社との関係が深い。

宇宙の暦は13ヵ月・新装版』の版元であるプレアデス出版は、現在、長野県安曇野市にあり、2/24(KIN172)に、麻畑社長がメールの返信の中に穂高神社のお船祭の事を書かれていたので、改めてその祭りについて調べてみると、白村江で討死した安曇比羅夫の命日に行われている事が判明。その翌日に、平澤さんと初めて電話で話をさせて頂いていた。

さらに、その5日後の3/2(178)、グランドジャンプに連載中の「行雲流水〈徐福〉」(本宮ひろし作)の中に「海人の安曇族」というセリフを発見して驚いた事、昨年のイタリア旅行の直後から始まった「旅するイタリア語」という番組が、ちょうど奉納演武当日の朝(春分の深夜過ぎ)に最終回を迎えた事など、とにかく今回の志賀島に繋がる様々なシンクロについての話をさせて頂いた。
お昼 ★素晴らしく美味しい「ふたば幼稚園」の給食

旅するイタリア語に出ていた東儀秀樹氏は、昨年の12/25(KIN111)に「ふくおか無形文化遺産フェスティバル&シンポジウム」でコンサートをされているのだが、その時のシンポジウムには平澤さんがパネリストとして、フェスティバルにはふたば幼稚園職員の北本さんが「龍の舞」で、それぞれ出演されていたのである。

龍の舞」は志賀海神社に伝わる舞で、県の無形民族文化財にもしてされている貴重な民族芸能とのことだが、「白龍遊天」の動きが「龍の舞」に似ていたと、演武を見て下さった多くの方から言われたので、今度は北本さんによる「龍の舞」を、是非拝見したいと思っている。ちなみに、ふたば幼稚園のワカメ部長にも(小崎園長により)任命された北本さんは、奉納演武や掲額式の様子も撮影して下さっていて、同じ幼稚園職員の赤羽さんがそれをあっという間にDVD化して送って下さった。この場をお借りして、深く御礼申し上げる次第である。

志賀島には、そう遠くない将来、是非また訪れたいと思っている。そう思わせるだけのご縁と貴重な自然、古代からの歴史の記憶が、この島にはあるからである。

春分・志賀島のワカメ体操

2017年04月01日 00:09

太陽の月25日(G3/31)KIN207 青い水晶の手(by D)

春分の朝、潮騒で目覚めて窓辺に近付くと、すぐ目の前が海で、岩場に海鳥たちが佇んでいるのが見えた。1階に降り、同じ「満帆荘」に宿泊した鹿児島のMさんと、3人横並びで絶景を眺めつつ朝食を頂く。地元産の旬の食材はどれも滋味に溢れ、特に女将さんがこの島で育てているという古代赤米と、目の前の海岸で取れるワカメのお味噌汁は、あまりの美味しさに普段朝食をとらない私が思わずおかわりをしてしまったほど。
わかめ ★今が旬のワカメ

セミナー会場はすぐお隣なのだが、開始までにまだ時間があったので、1800年ほど前まではそこに志賀海神社があったとされる勝馬小学校の方を巡って海岸に出てみる事にした。今年初のウグイスの声を聴きながら道を進むと、勝馬宮と書かれた鳥居が現れ、こんもりとした小山に続く魅惑的なスロープが見えて来た。沖縄のウタキのような雰囲気もあるこの森からは、7世紀の古墳も発見されているらしい。
鳥居 ★勝馬宮(仲津宮)鳥居

小山のほぼ頂上部に仲津宮の社が建てられていて、その側にある木には紙垂の付いた木片が3本縛り付けられている。シャーマニックな雰囲気に満ちたそのエリアから、トンネル状に生えた樹々の間を抜けて海側に下ると、出口付近で強い潮の香りが漂って来た。海辺に出ると、ほぼ正面に沖津島があり、天御中主神が祀られているという沖津宮の鳥居が見えたので、そこで天真五相を行ってから会場に向かった。
umidori.jpg 

会場の「喜多乃家」さんは、ふたば幼稚園のスタッフでもある北本さんがご家族とされている「海の家」。これまた絶景の広々とした空間で、小崎先生が迎えて下さった。30名余りの参加者のうち、1/3以上が幼稚園スタッフの方々という事もあってか、既に場が出来上がっている。午前中は「13の月の暦」について。2日連続で参加して下さっている方には、重複してしまう所もあったが、2時間で要点をお伝えするとなると、やはり外せない所は自ずと決まってしまうもの。
kitanoya.jpg ★喜多乃家のオーシャンビュー

前日触れられなかった「運命の道筋」の例題に立候補して下さったNさんの誕生キンがKIN54(2・魔法使い)だったので、「人は時間の代表者(窓口)」(Nさんの自由意志を通じつつKIN54という時間が他の日付より強く主張して来た)というドリームスペル的発想で、最近のKIN54を調べると、2016.10.29。何と私達が渋谷で「時の魔法・ドリームスペル展」を開催した日だった。

実は、今回の主催者である高木さん(KIN203)と、様々な面でサポートして下さったシャンバラ教室生の小崎亜久理さん(KIN219=今年1年)は、その時、わざわざ九州から渋谷の会場に来て下さっただけでなく、それぞれ私達の書作品を入手して下さってもいるのだ。前夜、宿に行く途中に小崎さんのお宅に立ち寄らせて頂いた折、綺麗に額装された「嵐」と「魔法使い」を目にしていた私は、「青い嵐の年」の「白い魔法使いの日」という、まさにその書とシンクロする方が、例題のためにいち早く挙手された事を、驚きをもって受けとめていた。
魔法書 ★魔法使いさんの家にて

それだけでなく、亜久理さんと高木さんが共同で入手して下さった蘭禅の連作「銀河の七方向への祈り」を、高木さんが車で持参して下さっていた事にも驚かされた。時間的余裕が無く、それを広げる機会を逸したまま講座を終了してしまったのは申し訳なかったが、Nさんが立候補された事も含め、全てが美しく繋がっていた事をここに記しておきたい。

広島ゼロポイント(原爆投下日=KIN55)から100銀河スピン(26,000キン)目のKIN55(3・鷲)が、渋谷での「ドリームスペル展」。その100日後のKIN155(G2/7)に、当ブログで今回のイベントをアナウンスし、そのさらに40日後のKIN195が、前日の福岡天神でのクラスだったのである。Nさんが2日間だけ開催された「ドリームスペル展」の初日とシンクロしていた事は、この流れと決して無関係ではないのだ。

今回は、『マヤのリズム』のカバー絵を描いて下さったみよこみよこさんも、遠路、延岡から参加して下さったのだが、その絵はまさに「春分のチチェン・イツァ」をデザイン化したものなので、本書を入手された方には、みよこさんと私が記念サインをさせて頂いた。『時空のサーファー』を発刊日当日に手に入れた事から全てが始まった私の実体験からすると、この日『マヤのリズム』を手にした方には、これからとても面白い事が起こり続けるだろう。

流石に「食」を意識している幼稚園の方々が用意して下さっただけあって、ランチのお弁当も素晴しく美味しく、素材もバランスもよく配慮されたものだった。食事の時に同席させて頂いた方が、おそらく参加者の中で最も古代史に詳しい方だった(後で福岡の古代遺跡について聞いた時の反応から)のも面白いシンクロ。

午後の「天真体道クラス」は、お天気が良ければ海岸でやろうと思っていたのだが、あいにく雨だったのと、食後すぐに動くのも無理があると感じ、前半30分ほどは、青木先生が「世界の12賢人」に選ばれたことや、その背景となった天真体道の目的は「心身の力みを抜き切り、天地人々と融和する事」というようなお話をさせて頂き、少しお腹がおちついた頃を見計らって準備運動(天真柔操)を始めた。
sinwa.jpg ★親和体操(写真は高木さんより)

全く初めての方が殆どだったので、背中合わせで行う親和体操や、発声しながらの動きなども新鮮だったようだが、一番リアクションがあったのはワカメ体操だった。というのも、志賀島では今がまさにワカメシーズンの始まりで、後に小崎先生からふたば幼稚園のワカメ部長に任命された北本さんなどは「志賀島用にアレンジしてそういう呼び方をされていたのかと思った」と、ワカメが名産の島の方ならではの感想を伝えて下さった。

最後の「春分の円卓クラス」は、『13の月の暦』において「協力を捧げ」「共有する」ことの重要性をお伝えし、実際にそれを試みるためのものだったが、結局、今回のイベントに関わる数々のシンクロを私がシェアしているうちに半分以上の時間が過ぎてしまった。以下にその一部をメモしておくが、最終的には参加者の皆様からも質問やシェアが出始めて、ある程度このクラスでやろうとしてた事は達せられたように思う。

・2015.9.9(KIN159)重陽に二子玉川で「四重の虹」が見られた。後に亜久理さん(KIN219)の太陽暦誕生日だったと知る。その260日後2016.5.27は「オバマ大統領広島訪問」で、さらにその260日後の満月2017.2.11建国記念日(ヴァチカン誕生88年)、河口浅間神社で剣武奉納演武。
・「金印」が文化財保護法で国宝に指定されたのは1954.3.20(KIN81→9×9)。この日のぴったり63年前。KIN63はKIN219から始まった「青いスペクトルの嵐の年」の「時間外した日」に当たる。
・『6歳までにかしこい脳をつくる 奇跡の幼稚園メソッド』は「10魔法使いの年」の「6魔法いの日」発刊で、著者小崎孝子先生は「8魔法使い」=KIN34。この日が34週目の終わり。
・「庚寅銘大刀」(570年)と「四寅剣(陽気の極)」とマホメット。テレクトノンは「光の剣」。
・本宮ひろし『行雲流水〈徐福〉』に「海人の安曇族」。
・「剣・鏡・勾玉」の「三種の神器」が出ているのは「吉武高木遺跡」「平原遺跡」はじめ5つで、いずれも福岡市近圏。

ちょっと驚いたのは、地元の方ならご存知かと思った「吉武高木遺跡」や「平原遺跡」について、殆どの方が知らなかった事。学校教育で教えられていないとか、九州は古代遺跡が多過ぎて覚えられないという理由もあるようだが、かなり重要な発見が成されていても、様々な要素のフィルターがあって、世の中にはシンプルな事実すら、そのまま伝わっていない事を再認識した。

そもそも「13の月の暦」と「マヤ暦」という、簡単かつ明確にその違いが確認出来るものでさえ混同されているような状況では、学閥や皇室、国家が絡むような歴史分野で本質的情報に辿り着くのは、夢のまた夢という感じなのかもしれない。まだ調べが浅いので、あくまで参考情報としか言えないが、執筆者の立ち位置が(見える範囲では)自由で、過剰な妄想癖も諸団体との利害関係も無さそうな「日本古代史つれづれブログ」は、上記シンクロ発見の過程で知ったブログだが、とても勉強になったのでメモしておきたい。

終了後、幼稚園で書作品の設置作業(これについてはLが別途書く予定)を見守っていた小崎先生とLも合流し、「満帆荘」で懇親会が行われた。2日連続で参加して下さった方や幼稚園スタッフの方々と、美味しいお刺身や海の幸、山の幸を堪能しながら、1日を振りつつ楽しい時間を過ごさせて頂いた。主催の高木さんはじめ準備や片付け、会計などを手伝って下さった皆様に、この場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である。

部屋に戻って、翌日の奉納演武の準備と荷造りを済ませ、PCでメールなどを確認している時だっただろうか。朝、女将さんが出掛けに「地震でここも被災し、以前の1/3の規模になりました」と言っていた事や、北本さんが日中一時抜け出していたのは「消防訓練のサイレンを鳴らしに行っていたから」という話が気になって、福岡県西方沖地震の事を調べてみると、何と12年前のその日、つまり2005.3.20(KIN236)だった事が判明。

まんま私の現在の「運命の道筋」ではないか!KIN236(2・戦士)を歩む私が、KIN236の春分に被災した志賀島(その中でも被害の大きかった地域)に、同じ春分のKIN196(1・戦士)にやって来て、暦や天真体道について伝えさせて頂いた事の意味は、何なのだろうか?「意味」を求める方のために、自分なりの見解を述べておくと、それは原爆投下(KIN55)に対するハーモニック・コンバージェンス(KIN55)と同じで、4次元の時間を通じて、場の記憶を調和(中和)させる事にあると言える。

そう決まっていると言っている訳ではなく、私ならそのように「見る」という事だ。そして、事は見たようになって行くというのを私はずっと体験し続けて来た。12年後の同日は、同じ「太陽の紋章」で「銀河の音」が「1」だけ減る、という法則にも改めて気付いて眠りについて数時間後、ズズズズズという振動で目が覚めた。スマホで速報を見ると、震度は1でマグニチュードも3程度と小さい地震だったが、何と震源は12年前と殆ど同じというピンポイントさ。

一体、この事実をどう受けとめたら良いのだろうか?と、こういうのが初めての方なら悩むかもしれない。しかし、私は既に何度もこういう「あり得ないような時空のシンクロ」を体験して来ているので、これは、中和の象徴的現象なのだと自然に受けとめた。同時に、数時間後に奉納演武をする日程が「2・地球」で、サイ時間も「8・地球」と「大地(地球)」が関係する日である事は前から意識していたので、演武の時には大地を鎮める祈りも捧げよう、と思いながら再び眠りに就いたのだった。

この記事をまとめた今日(G3/31)は、『ドリームスペル』日本語版を伊勢の内宮神楽殿でホゼと共に奉納した日(12・風)からぴったり13年。そしてマヤ長期暦の完了ポイント2012年冬至(KIN207)からピッタリ6銀河スピンというタイミング。伊勢に奉納時のホゼ(KIN11)とステファニー(KIN185)の写真をツイッターとインスタにアップして気付いたが、二人のKINの合計196は、この春分志賀島の日付(KIN196)そのものだった事に、ここまで書いて来て気付いた。

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花

2017年03月28日 01:32

太陽の月21日(G3/27)KIN203 青い銀河の夜(by D)

春分前後の4日間(3/19〜22)、私達は九州でとても豊かな時間を過ごして来た。前半2日間は、J.T高木さん(KIN203)主催の「天真体道」と「13の月の暦」のワークショップ、後半は志賀海神社で書と剣武の奉納、ふたば幼稚園での掲額式、そして別府国東巡りと、実に盛り沢山なスケジュールだったので、まずは前半から一つ一つ整理して行きたいと思う。

今回のイベントのきっかけが、1年前のG1/24にホゼ生誕77周年を記念して大阪で行ったクラスにあった事は「鷹と鷲の福岡天神&春分の志賀島」に書いた通りである。より詳しい背景は「天神さんと天迅さんの梅(前後編)」にまとめてあるが、それを再確認していて驚いたのは、ホゼ(KIN11)とロイディーン(KIN22)が大阪天満宮の天神祭に参加した2001年7月25日(KIN203)から、今日でぴったり22銀河スピンというタイミングだったのが判明した事。

やはり今回の九州行は、アグエイアス夫妻や菅原道真公も関与している何らかのミッションと関係があったようだ。出発の2週間余り前に、ある方がご自宅にあった道真公の真跡拓本のお軸を写真で送って下さり、その内容が太宰府に左遷された後に読まれた漢詩「自詠(みずからえいず)」だと判明したのも、大変興味深いシンクロだった。

ホゼの生誕77周年が、KIN241(ホゼの母エセル&私の誕生KIN)に対応するひと月(7番目の「共振の月」)の中心に巡って来ていた時点で、既にスユア(時空記憶回路)が開いていたのか、今回、羽田69番ゲート(62番から直前変更で7増えた)から乗り込んだのはANA241(7・竜)便。今の羽田-福岡路線に、わざわざこの数字が使われているのも偶然ではないのだろう。

富士山 

早朝の真っ赤な太陽と真っ白な富士山を見つつ福岡へ。大阪クラスの直前に大阪天満宮を参拝し、その翌日、北野天満宮で1番大吉のおみくじ(道真公11歳の詩とされる「月輝いて清雪のごとし」)を引いていた流れから、まずは太宰府天満宮を参拝することを決めていた。といっても、午後からのクラスに遅れる事は出来ないので、電車の接続が上手く行っても現地には30分余りしか居られない。

太宰府電車 

3連休中日の天満宮は既に多くの参拝客で賑わっており、本殿前には行列も出来ていた。菅公を追って飛んで来たという「飛梅」はほぼ咲き終わっている様子だったが、葉山御用邸から運ばれたという「皇后の梅」をはじめ満開の樹々も多く、境内には麗しい梅の香りが漂っていた。何気なく梅を撮った裏に「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」の碑があった事、そして、天満宮の住所が「7番1号(→7・竜)」だったのを知ったのは、今日(KIN203)になってからだった。

東風梅 ★この梅の樹の奥に道真公の「東風吹かば」の歌碑がある

また、以前(上記「中編」で)引用した「天神には神号の他に五つの名と姿があるといい、第五に九州の安楽寺に道真と称し十一面観音菩薩の化身になる」という下りの「安楽寺」とは、まさに太宰府天満宮の事で、創祀時は安楽寺天満宮と呼ばれていた事も、今日初めて知った。今回が初参拝だった太宰府には、ほんの僅かな時間しか滞在出来なかったが、きっと改めてゆっくりと訪れる機会があるに違いない。そう思える場所だった。

恒例のおみくじは、5番中吉で、Lは18番吉だった。上記「前編」ブログによると、大阪天満宮本殿の屋根の上には、5枚の花弁からなる「梅紋」が5つあり、その時は「のぞみ5号」で大阪に行っているので、やはり繋がっている。その後、天神に戻って地下街で軽食を済ませ、会場の「書斎りーぶる」(住所1-18)に向かった。地上に出ると、そこは10年以上前に天真体道(新体道)と暦のクラスを行ったアクロス福岡からすぐの場所だというのが分かった。

書店に併設されている会場に入り、部屋の奥の椅子に荷を降ろした時、いきなり目に飛び込んで来たのは、何と松田隆智先生の『謎の拳法を求めて』。思いがけない出会いだったが、著者の松田先生には数年前(他界される直前)に青木先生のご縁でお会いしており、目の前で寸勁を見せて下さった事が、懐かしく思い出された。パラパラ見ていたLが「素晴しい事が書いてあるから買って行こう」と言うので、四半世紀以上前に手に入れたものが実家の書庫にある事を伝えた。

いよいよ始まったクラスには、福岡だけでなく、長崎や佐賀、鹿児島からも参加者が集まって下さっていて、その熱心さにこちらも力が入ったが、大事なポイントはとてもシンプルで、そこさえブレていなければ、天真体道も「13の月の暦」も、自ら幾らでも深めて行けることをお伝えした。特に、暦に関しては既に知識のある方が多かったので、何が本質なのかに思い切り注力させて頂いた。

天真体道については、本来、新刊出版記念イベントの予定だったところ、諸事情で大幅にずれ込んでそれが叶わなかった事をお詫びしつつ、10月にNY国連ビルで行われる「12賢人会議」に、マスターの一人として青木先生が(ル・シエル財団に)選ばれた事や、それが『霊性のアート』に書いた「13人のグランマザー」とも関係している事をシェアし、新刊発刊の折には、また改めて機会を設ける事をお約束した。

終了後は、88-22ナンバーの車に乗せてもらって、のんちゃんという焼き鳥屋さんで懇親会。部屋が真っ白になるほどの煙にはビックリしたが、美味しい焼き鳥を堪能させて頂きつつ、参加者の皆さんと親交を深めた。翌日は午前中から志賀島でクラスを行う関係で、宿も翌日の会場隣にある「満帆荘」にして頂いた。その住所は「勝馬257-5」。

257というと、私の中では、伊豆熱川で初めて剣武天真流セミナーが行われた2009.7.19(KIN257)や、そこから520日後のKIN257(冬至)に三輪山の磐座に参拝した事、さらにその520日後に『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』のための対談を江本所長と行った日として思い出されるのだが、4月下旬に行われる剣武天真流の合宿が、8年ぶりに再び伊豆熱川で行われる予定で、そこにル・シエル財団の方が来る予定になっているのも、偶然とは思えないのである。

何しろ、この日、G3/19(KIN195)のちょうど260日前には、出雲市大社町杵築東195にある出雲大社で、剣武天真流の奉納演武を、青木宗家&本部正師範で行っているのだ。つまり、時間的にも空間(257)的にも、この日は剣武と深く繋がっている日だったのである。志賀島から福岡市内まで、真っ赤な77-77ナンバーの車で迎えに来て下さったのは、『6歳までにかしこい脳をつくる 奇跡の幼稚園メソッド』の著者、ふたば幼稚園の小崎孝子園長先生。シャンバラ教室生の小崎亜久理さん(KIN219)のお母様だが、今回のイベントには、お二人にも様々な形でご協力頂き、大変お世話になった。

途中、かの有名な「金印(漢委奴国王印)」が発見された場所を通った時に、日中の暦クラスの時に、窓の外で81-81ナンバーの車が方向転換したのを目にした事を思い出した。何故なら、金印が文化財保護法で国宝に指定されたのは1954.3.20(KIN81)だからである。遅い時間に到着した上、人工的な灯りが殆どないので、外の様子はよく分からなかったが、「満帆荘」が海岸に面した宿である事は、波の音から分かった。

そして、案内された部屋は「東風(こち)」という名前だった。その時は、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花…」という道真公の詩の事は全く頭に無かったので、剣武天真流の受け技「東風波濤剣」の事しか思い浮かばなかったのだが、今日、このブログを書いた事で、この部屋の名前までもが、道真公(天神さま)と繋がっていた事を(ある種の驚きをもって)知ったのだった。

最近の記事