2017年12月28日 23:10
■律動の月16日 (G12/28) KIN219 青いスペクトルの嵐 (by D)
4日前の日曜夕刻、気分転換を兼ねてPC作業をさせてもらおうとツタヤ家電に赴いた。席を確保し、コーヒーもゲットして「さあ始めるか」と思って眼前の注書きをふと見ると「土日祝日のPCの利用はご遠慮ください」の文字!なにィーーーッと思いつつ、パッと切り替えて気になっていた本を読む事にする。
が、その本の検索結果は「在庫なし」。仕方がないので店内の近場を適当に流していると、講談社学術文庫のコーナーで『死海写本「最古の聖書」を読む』という本が目に止まった。クリスマスイブという事で無意識的に「聖書」に反応したのかもしれない。
長居するつもりは無かったので、全7章のうち第4章の「クムラン宗団の思想」(P137~177)だけ読もうと決めた。ちなみに、クムランとは死海の北西にある丘陵地の名だ。荒野の40日とシンクロする40ページのうちの後半10ページは、何とクムラン宗団(エッセネ派)の暦についての話だった。
そこには、1年364日(7日52週)の太陽暦を基礎としつつ、354日の太陰暦も考慮された太陰太陽暦(3年に一度30日の閏月が入るタイプ)だった可能性がある事が記されていた。終末論とも結びついていたこれらの暦は、神学的営みそのものでもあったという。
バビロン捕囚の期間が70年で、そこから終末までが490年と見なされていたというのもその一例と言える。70週=490年(ここでは週=7年の意)という表記もあり、70がキーナンバーとして様々な所に登場する事も書かれていた。奇しくも2017年は写本発見からほぼ70年。最終的に972見つかった写本のうち、最初に発見された死海(クムラン)写本は7つ。
その日の「13の月の暦(ドリームスペル)」ツォルキンは「7・鷲」で、その神秘のパートナーは「7・白い世界の橋渡し」だったが、「世界の橋渡し」のキーワードは「死/等しくする/機会」。まさに神秘の働きで、全く予期せず『死海写本(死海文書)』を40ページだけ読む機会を得たのだった。
念のため「あとがき」だけは目を通したが、そこではっきりしたのは、「聖書」が完成形の教えとして唐突に出現したのでは無かったという事。著者の土岐氏は、その事を以下のように表現されている。
”紀元前後頃、あるいはもう少し後まで、ユダヤ教にせよキリスト教にせよ、固定化された「聖書」は存在しておらず、「聖書」についての考え方は非常に柔軟であり、流動的であった、と言うことができる。”
おそらく、ほぼ全ての聖典や「教え」は、そうしたプロセスを経て徐々に形成されたもので、ある時点で(政治的に)力のある強い立場の者から強制力が働いた時に固定化された、と考えるのが自然だと私は思う。
そもそも人間は、同じ出来事に遭遇し、同じ言葉を聞いていても、各人の背景(成長過程での体験その他)によって、それを全く異なった意味合いで受けとってしまう事がありうる存在である。この事は、何かの探求をするに当たって、常に念頭に置いておく必要があるポイントだと思う。
★フィレンツェ・ラウレンツィアーナ図書館のプトレマイオス図(今回の内容とは直接関係はないが死海の位置はこの地図の中央左付近)
ちなみに、「最古の聖書」で検索すると、「レニングラード(サンクトペテルブルク)写本」とか「アレッポ写本」などが多くヒットする。「死海写本」がヘブライ語聖書(旧約聖書)の最古の写本を含んでいるのは確かだが、今回、私が手にした本で主に取り上げられていたのは、現在「旧約聖書」として知られているものには含まれていない、当時のクムラン宗団の「教え」であった。
それ故、『死海写本「最古の聖書」を読む』というタイトルに対しても、著者が「あとがき」で注意を促しているのだが、「売り上げ」につながるタイトルを付けたがるのは出版社の性みたいなもので、読者の側がそれを理解していないと、そこから「勘違い」が拡散して行く事になるのである。
「13の月の暦」をパクって、あちこちの解説文をゴッタ煮的にツギハギしただけの「偽・マヤ暦」が、日本では「マヤ暦」として広まってしまっているのも、情報の受取手である読者が、何の疑いもなしに本のタイトルや中身を鵜呑みにしてしまう事に、ひとつの要因があると私は思う。
情報が複雑化している現在、最低限の調査と検証くらいはして「見る目」を養って行かないと、騙されている事にすら気づかないまま、偽情報の拡散に無自覚に加担してしまう事になるだろう。各宗教の聖典が共通して「欲」の抑制を訴えているのは、それが「思い込み」を増長させ「目を曇らせる」ものであることを、見続けて来たからではないだろうか。
最後に、死海写本(文書)の一部は、写本を保管しているイスラエル博物館のサイトで閲覧する事が可能である事をメモしておく。
4日前の日曜夕刻、気分転換を兼ねてPC作業をさせてもらおうとツタヤ家電に赴いた。席を確保し、コーヒーもゲットして「さあ始めるか」と思って眼前の注書きをふと見ると「土日祝日のPCの利用はご遠慮ください」の文字!なにィーーーッと思いつつ、パッと切り替えて気になっていた本を読む事にする。
が、その本の検索結果は「在庫なし」。仕方がないので店内の近場を適当に流していると、講談社学術文庫のコーナーで『死海写本「最古の聖書」を読む』という本が目に止まった。クリスマスイブという事で無意識的に「聖書」に反応したのかもしれない。
長居するつもりは無かったので、全7章のうち第4章の「クムラン宗団の思想」(P137~177)だけ読もうと決めた。ちなみに、クムランとは死海の北西にある丘陵地の名だ。荒野の40日とシンクロする40ページのうちの後半10ページは、何とクムラン宗団(エッセネ派)の暦についての話だった。
そこには、1年364日(7日52週)の太陽暦を基礎としつつ、354日の太陰暦も考慮された太陰太陽暦(3年に一度30日の閏月が入るタイプ)だった可能性がある事が記されていた。終末論とも結びついていたこれらの暦は、神学的営みそのものでもあったという。
バビロン捕囚の期間が70年で、そこから終末までが490年と見なされていたというのもその一例と言える。70週=490年(ここでは週=7年の意)という表記もあり、70がキーナンバーとして様々な所に登場する事も書かれていた。奇しくも2017年は写本発見からほぼ70年。最終的に972見つかった写本のうち、最初に発見された死海(クムラン)写本は7つ。
その日の「13の月の暦(ドリームスペル)」ツォルキンは「7・鷲」で、その神秘のパートナーは「7・白い世界の橋渡し」だったが、「世界の橋渡し」のキーワードは「死/等しくする/機会」。まさに神秘の働きで、全く予期せず『死海写本(死海文書)』を40ページだけ読む機会を得たのだった。
念のため「あとがき」だけは目を通したが、そこではっきりしたのは、「聖書」が完成形の教えとして唐突に出現したのでは無かったという事。著者の土岐氏は、その事を以下のように表現されている。
”紀元前後頃、あるいはもう少し後まで、ユダヤ教にせよキリスト教にせよ、固定化された「聖書」は存在しておらず、「聖書」についての考え方は非常に柔軟であり、流動的であった、と言うことができる。”
おそらく、ほぼ全ての聖典や「教え」は、そうしたプロセスを経て徐々に形成されたもので、ある時点で(政治的に)力のある強い立場の者から強制力が働いた時に固定化された、と考えるのが自然だと私は思う。
そもそも人間は、同じ出来事に遭遇し、同じ言葉を聞いていても、各人の背景(成長過程での体験その他)によって、それを全く異なった意味合いで受けとってしまう事がありうる存在である。この事は、何かの探求をするに当たって、常に念頭に置いておく必要があるポイントだと思う。

ちなみに、「最古の聖書」で検索すると、「レニングラード(サンクトペテルブルク)写本」とか「アレッポ写本」などが多くヒットする。「死海写本」がヘブライ語聖書(旧約聖書)の最古の写本を含んでいるのは確かだが、今回、私が手にした本で主に取り上げられていたのは、現在「旧約聖書」として知られているものには含まれていない、当時のクムラン宗団の「教え」であった。
それ故、『死海写本「最古の聖書」を読む』というタイトルに対しても、著者が「あとがき」で注意を促しているのだが、「売り上げ」につながるタイトルを付けたがるのは出版社の性みたいなもので、読者の側がそれを理解していないと、そこから「勘違い」が拡散して行く事になるのである。
「13の月の暦」をパクって、あちこちの解説文をゴッタ煮的にツギハギしただけの「偽・マヤ暦」が、日本では「マヤ暦」として広まってしまっているのも、情報の受取手である読者が、何の疑いもなしに本のタイトルや中身を鵜呑みにしてしまう事に、ひとつの要因があると私は思う。
情報が複雑化している現在、最低限の調査と検証くらいはして「見る目」を養って行かないと、騙されている事にすら気づかないまま、偽情報の拡散に無自覚に加担してしまう事になるだろう。各宗教の聖典が共通して「欲」の抑制を訴えているのは、それが「思い込み」を増長させ「目を曇らせる」ものであることを、見続けて来たからではないだろうか。
最後に、死海写本(文書)の一部は、写本を保管しているイスラエル博物館のサイトで閲覧する事が可能である事をメモしておく。
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