トルン市東洋美術館収蔵作品「葦」

2017年07月11日 00:22

宇宙の月14日(G7/10)KIN48 黄色い太陽の星(by D)

G7/6に、天真書法塾の師範科クラスがあった。月1回、青木天外塾長が直接ご指導下さるクラスなのだが、その日は冒頭に「ポーランド・トルン市東洋美術館発行の作品収蔵証明書」が塾長より授与された。実は、この書類が届くのを、私は心待ちにしていた。その理由と経緯を、以下にまとめてみたいと思う。

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ポーランド・トルン地域中世都市博物館(世界遺産)で「トルン東洋美術館展」が行われたのは昨年の10月、そのための作品を提出したのは8月上旬だった。7月に出雲大社で剣武天真流の奉納演武があり、その前後に遺跡や博物館、神社等を巡った事と、限られた時間の中で作品を仕上げる必要性に迫られて、私にはあるアイディアが浮かんでいた。

それは、幾つかある出品ジャンルの中の「前衛書」を選択し、「日本刀」のような一本の線を引いて「葦原中国」というタイトルで出品しようという目論みだった。実際、日本列島は刀のような反りのある姿をしているし、天真書法塾では「生命の実線」と言って、ひたすら線を引き続ける稽古も行うので、一本の線にも表現の可能性が無限にあるのを知っていたからだ。

できれば土地や人との縁も活かしたいと考えていた私は、出雲大社での奉納演武の後に立ち寄った石州和紙会館で、手漉き和紙を手に入れた。その辺りの経緯は、ちょうど一年前の今頃書いた「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」という記事にまとめてあるので、是非、ご覧いただければと思う。

ただ、普段作品制作に使用する紙と単純比較をすると、何十倍もする手漉きの和紙は、私にとって気軽に購入出来るものではなかったので、現地でお世話になった石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんが漉かれた美しい和紙の中から、自分のイメージに合うもの数点だけを選んで入手したのである。まさに「神頼み」ならぬ「紙頼み」の心境であった。

しかし、どんなに紙が素晴らしくても、作品としてマズければ、やはり出品する事はできない。結局、「神頼み」もして(笑)何とか仕上げた1枚をポーランドに送る事になった。その際、タイトルは英語でという事だったので「From words of the ancient Japanese name and Pascal」とした。パスカルを入れたのは、「人間は考える葦である」も想起してもらえたら面白い、という閃きによる。

トルンでの展示が終了した11月中旬、吉報が入った。博物館(美術館)にコレクションとして収蔵される作品10点が報告され、その内の5点が何と天真書法塾会員による作品だったというのだ!しかも、驚いたことに、その中には私の作品も含まれていた。複数の書道団体が出品していた中、収蔵作品の半分を天真書法塾が占めたというのは、やはり快挙である。これも青木塾長と吉田副塾長のご指導の賜物。ただただ感謝するのみである。以下にその5点の作者、タイトル、出品ジャンルを明記しておこう。

・小西稜雲「It is snowy to live Yaku cedar for 3,000 years」近代詩文書
・前原白水「Ryokan, waka」近代詩文書
・本田虹風「One sky is a thing of all」墨象
・松尾翔月「Own work, haiku」近代詩文書
・小原天迅「From words of the ancient Japanese name and Pascal」前衛書

同じ頃、現地での展示の様子を撮影した写真も送られてきて、私は初めて軸装された自分の作品を目にした。それが本文冒頭の写真である。今回は、軸装前の状態で出品というスタイルだったので、実は軸装作品を直接見ることはまだ一度もしていないのだ。そういう訳で、いずれトルンには行かなければと思っている。

さて、昨年11月には明らかになっていたこの事実を、何故、今になるまで書かないでいたのかというと、「収蔵証明書」が届くのを待っていたからなのである。いや、それ以前に、出品者全員に届くはずの「感謝状」もなかなか届かない状態が続き、タイミングを逸していたというのが正直なところだ。

実際、コーディネーターである国際書道文化発展協議会の岡田伸吉氏を通じて、作品(収蔵作品以外)と「出品感謝状」が届いたのは、年をまたいで今年の3月になってから。志賀海神社に奉納させて頂いた蘭禅の「君が代」も、実は、本当にギリギリのタイミングで日本に戻って来たのだった。

IMG_1863.jpg ★左が3月に届いた「出品感謝状」、右が7月に届いた「収蔵証明書」

そして、そこから4ヶ月を経て、ようやく「作品収蔵証明書」が届いたという訳である。現地の様子や、作品返送の流れなど、今ひとつクリアでは無い感じのやりとりが(コーディネーターとの間で)続いていたので、「証明書」が届くまでは、ブログに書くことも久保田さんに報告することも、念のため控えておいたのである。

IMG_5165.jpg ★7/6(KIN44)青木天外塾長と

しかし、おかげで、個人的には特別な記念日だと思える日に、青木塾長から「収蔵証明書」を手渡して頂けた。何しろ、7/6はダライ・ラマ法王の82回目の誕生日であり、『13の月の暦』のツォルキンではKIN44、私が日本語版の制作世話人を引き受けた『時間の法則の20の銘板』が始まった1997.7.26(KIN44)からツォルキンがぴったり28回巡ったタイミングだったからだ。

そして、面白い繋がりがあるので、書き添えておくと、翌々日の7/8(7・橋渡し)に、聖心女子大学グローバルプラザで行われた「難民と教育:チベットの民の知恵と経験」で講演をされたジェツン・ペマさん(ダライ・ラマ法王の実妹で元チベット子供村校長)は、7/7に77才の誕生日を迎えられた事を知った。誕生キンのKIN20(7・太陽)は、私(7・竜)の「神秘のパートナー」。

先にリンクを紹介した「石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う」には、安倍昭恵さんとブータン国王夫妻の来日、そして久保田さんとのびっくりシンクロについても書かれているのだが(久保田さんはブータンに何度も和紙の技術指導で訪れられている)、現ブータン国王妃も同じジェツン・ペマさんというお名前なのである。

昨年、上野の森美術館で行われていた「ブータン展」には久保田さんの石州和紙のコーナーもあった事が、その記事には書かれているが、実は、今日、1年ぶりにその「上野の森美術館」を訪れて「石川九楊展」を見てきたばかり。この繋がりは、ここまで書いて初めて気づいたことで、我ながらビックリしている。しかし、これこそが自然時間の共時性秩序なのである。

石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う

2016年07月26日 00:43

時間をはずした日(G7/25)KIN218 白い惑星の鏡(by D)

島根県立古代出雲歴史博物館には、古代の巨大神殿の模型や、現在の本殿の千木(これも近くで見ると相当大きい)など、見どころは色々あるが、やはり最もインパクトがあるのは、荒神谷遺跡で出土した銅剣、銅矛、銅鐸の展示だろう。掘り出された銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が、ほぼそのまま展示されている上、黄金に輝く当時の状態を再現したレプリカも同じくらい並べられていて、圧巻である。
銅剣 
古代の遺物を当時の状態で見るという体験には想像以上の驚きがあったが、前日に発掘現場を訪れていた事で、印象深さがさらに増したように思う。一通り見終えてガラス張りのホールに出ると、外は雨模様。それもかなり激しく降っている。近くにいた丸山師範と「参拝や移動の時に降らなくて良かったー」と言い合った。

外に出る頃にはもう上がっていたが、山の尾根に沿って雲が流れる様は、日本初の和歌とされるスサノオの「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」を彷彿させるものだった。この日、東京に戻るメンバーのフライト時間を考えて、とりあえず進路を日御碕に決める。
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国譲り神話の舞台でもある「稲佐の浜」を通り、日本海に面した崖沿いの道を進んでいくと、谷間のような所に赤い社がチラッと見えた。日御碕神社だ。下の本社(日沈の宮)に天照大御神が、上の本社(神の宮)に素盞嗚尊が祀られているという珍しい構造の神社で、「日沈の宮」という名は、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けたことに由来するらしい。上下の社の間に伸びる立派な松の緑と、社殿の朱色のコントラストが印象に残る神社だった。
IMG_8122.jpg IMG_8126.jpg 青木先生日御碕 (1) 
そこから車で数分のところに日御碕がある。灯台の近くにある切り立った崖まで近付いて、荒波にもまれた猛々しい岸壁と松林、そして雲間から差し込む太陽に照らされた海という、おそらく古代からそう変わらないであろう風景を、しばし楽しんだ。全員車に乗り込み「さあ出発」というタイミングで、まるで狙ったかのように雨が降って来た。みるみる大降りになり、一時は前方がよく見えないくらいの荒れ模様。

そういえば、昨年の宮崎・鵜戸神宮での奉納演武の後もこんな感じだった。演武前後は晴れて、青空まで見えていたのに、車に乗るや否や滝のような雨が降って来たのだった。幸い、荷を預けてあった宿に到着する頃には止んだが、この日は午後以降、出雲地方に大雨注意報が出ていたのを、夜にテレビのニュースで知った(その頃はもう私達は県西部の益田市に居た)。

大きい荷物の送付手続きなどをして、先に東京に戻るウィウソン師範&倫子師範とはそこで別れ、再び関口師範の運転で国道9号を一路西に向かう。日もすっかり暮れた頃、益田市のホテルに到着。ボーリング場なども併設されたかなりレトロな雰囲気のホテルで、エントランスには、ここを訪れた芸能人やスポーツ選手などのサインがズラーっと並んでいた。力道山とか村田英雄、島倉千代子の名前に歴史を感じる。

倫理法人会に所属しているらしく、倫理研究所が発行している冊子のバックナンバーがホールの棚に沢山積まれていたのも印象深かった。何しろここで同室した丸山師範のお父様は、倫理研究所理事長の丸山敏秋氏なのだ。『霊性のアート』にも書いた通り、敏秋氏は日本に『13の月の暦』を紹介した高橋徹さんと旧知の仲で、実は私も丸山貴彦師範より先に、敏秋理事長の方と暦の活動を通じて面識があったのである。

せっかく「時間をはずした日」にこれを書いているので、補足しておくと、1997年に「時間の法則に関する世界会議」の会場を提供して下さったのも、ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が日本に長期滞在できるよう尽力して下さったのも、丸山敏秋氏である(もちろん高橋夫妻との縁による)。さらに一言付け加えておけば、『13の月の暦・手帳』のP15にある「サイ時間単位」という表の右下にRINRI PROJECTとあるのは、倫理研究所、そしてその創設者である丸山敏雄氏に敬意を表して(その活動にインスピレーションを受けて)付けられたプログラム名である。
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さて、翌KIN196(G7/3)は、朝から津和野に向かい、森鴎外の旧宅、鴎外も通った藩校養老館などがある殿町通り、カトリック教会などを巡り、街の中心部にある沙羅の木・松韻亭で庭園を眺めながらコーヒーを美味しく頂いた。そこで教えてもらった「やぶさめ馬場」のある八幡宮鷲原公園前を通って、一路、浜田市三隅町にある石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんの工房へ。

ブータンでよく見かけるような生地の作務衣を来て出迎えて下さった久保田彰さんは、早速、工房を案内して下さり、和紙の原料となるコウゾやミツマタの木が生えている場所、それらの茎の皮を乾かしたものなどを見せて下さり、さらに、それらを叩いて繊維を解すところや、補助材料のトロロアオイに触れさせて頂くなど、和紙が生まれるプロセスをイメージできるよう色々と体験させて下さった。何とも有難い事である。
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見晴らしの良い海辺のレストランに場所を移し、久保田さんのお話を伺うと、何と、これまでに何度もブータンを訪れて和紙技術指導をされているとの事。着用されていた生地もやはりブータンのものと分かり納得。昼食を終えて石州和紙会館に場所を移し、さらに大きな工房や作品を見せていただいた。途中、Lからメッセージが入り、二子玉川駅前に参院選に出馬している候補の応援で昭恵さんが来ていたから挨拶をしたと、写真が送られて来た。このシンクロにには、かなり驚かされた。
アッキー 
なぜなら、私たちが初めて安倍昭恵さんにお会いした2011年11月15日は、ちょうど現ブータン国王夫妻が初来日されたその日だったからだ(その事は、こちらの記事と『霊性のアート』に書いてある)。ブログに綴り続けて来ている通り、シンクロ自体は日常茶飯なのだが、こういうピンポイントなものにはやはり驚かされる。上野の森美術館で行われている「ブータン展」のオープニングで来日された前国王夫人とも挨拶されたばかりというので、東京に戻ってすぐに「ブータン展」に行ってみる事にした(石州和紙のコーナーに久保田さんのお写真もあった)。

ところで、石州和紙会館には、青木先生が吹雪の羽黒山で書かれた大字書「覚」が収蔵されている。以前に、天真書法塾発表会で展示された時に拝見はしているが、このタイミングで改めて実物が見られたのは、非常に嬉しいことであった。というのも、この作品は剣武天真流創始と直接関わる作品だからだ。新体道で先輩に当たるトランペッターの近藤等則さんが「地球を吹く」のシリーズを国内で展開されていた時、青木先生に剣と書のパフォーマンスを依頼されたことがきっかけとなって、剣武天真流の開発が始められたからである。
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その後、会館で久保田さんが梳かれた石州和紙を手に入れ、出雲方面に戻る事になった。この後、さらに山口方面に向かう関口師範と川崎さんに浜田駅で別れを告げ、9号線を出雲方面に戻る。出雲にかなり近づいた「きらら多岐」という道の駅のような場所で、出雲国大社食品の山崎さんと待ち合わせ。かなり広い駐車場だったのにもかかわらず、運転していた丸山師範が車を停めたのは、何と、山崎さんの車の真隣だった!

自社製品をお土産に沢山下さったのだ。帰宅後、早速いただいたが、添加物などが入っておらず、しかもパワーがみなぎっている感じがあって実に美味であった。練り物好きのLの食いつきぶりも、その素晴らしさを証明していた。無事レンタカーも返し、出雲空港でスサノオラーメンを食べて、JAL286便40Gという席で羽田へ。

今回のメインは、出雲大社での剣武奉納演武ではあったが、その前後のことも含め、本当に色々な方のお世話になり、素晴らしい体験をさせていただいた。共に演武をした本部正師範含め、関係者全ての方々に感謝したい。しかし、その中でもやはり、青木先生と吉田先生には、格別の感謝の気持ちを捧げたい。先生方の長年に渡るご活動や、様々な方々との丁寧なコミュニケーション無しに、今回のような体験は出来なかったであろう。ここに改めてお礼申し上げる次第である。

12:60的な感覚では、もう日付をまたいでしまったが、私の中では、『13の月の暦(ドリームスペル)』での「時間を外した日」(注:マヤ暦にはこういう日は存在しない)に、一年の締めくくりとしてこの記事を書いたつもりでいる。

KIN218(10・鏡)は、パレンケの「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された1952.6.15からぴったり90銀河スピン=23400キン。「白い惑星の魔法使いの年」は、「10・魔法使い」で始まり「10・鏡」で終わる。年の始まりと終わりは常に同じ「色」と同じ「音」になる。これは非常に美しい法則だ。

日々体験する出来事の中、そして『13の月の暦』の中に「美と調和」を発見する毎に、私たちのシンクロニシティは増大する(それがドリームスペルの本質だ)。現れを仕上げる1年の終わりに、出雲での出来事をまとめられたことを嬉しく思う。明日から始まる「解放」の1年は、さらに驚くべき体験を私たちにもたらしてくれるだろう。この記事を目にした方にも、もちろんそれは訪れる。

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