山岡鉄舟のパルサー爆弾

2016年01月27日 23:39

共振の月18日(G1/27)KIN39 青い宇宙の嵐(by D)

2016年に入ってから『山岡鉄舟』(大森曹玄著/春秋社)を読み始めた。剣・禅・書の達人として、また明治維新においても多大なる貢献をした人物として、おおよその事は知っていたが、その人物像を知れば知るほど「僅か130年ほど前に、こんな人が実際に居たのだなー」という驚きと共に、畏敬の念を抱かずにはいられなくなる。

G1/20(KIN32)、私達はKIN77の友人・白川貴子さん(『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』でご一緒させて頂いた達人翻訳家)と銀座三越で待ち合わせをし、北村公晴さん(KIN10)のアート&ジュエリー展に伺った。三越の真向かいにある「木村屋」の看板が、鉄舟揮毫の書だというのは有名な話だが、KIN32が皇居を向いて結跏趺坐の姿勢で亡くなった鉄舟の命日KINだという事を知っている人は、殆ど居ないだろう。

鉄舟の誕生と死の日付について改めて調べたのは、その10日前の共振の月1日、KIN22。『時空のサーファー』発刊記念20周年&KIN241月間始まりの日だった。この日『山岡鉄舟』のP102にあった表現に刺激を受けた私は、その日が銀河の母・ロイディーン(KIN22)の102回目の銀河の誕生日かつ新月であったことに気付き、次の満月がホゼの生誕77周年に当たるだけでなく、ちょうど鉄舟の誕生KINともシンクロする事を発見して興奮した。

鉄舟の誕生と死の日付は、以下の通りで、52才を目前にしてその激動の生涯を終えている。
1836年7月23日KIN36(10・戦士)
1888年7月19日KIN32(6・人)
加えて、書道では弘法大師流入木道52世を継いでいる。G暦昨年末、天真書法塾発表会に出した作品テーマが空海の言葉だった私にとってはこれも驚きだったが、『13の月の暦』で1年は52週間で、還暦は52才。KIN22に69才でこの世をを去ったデヴィッド・ボウイ(KIN55)と同じ「銀河マヤ人」の匂いがプンプンして来る。

さて、KIN32に銀座から戻った私は、翌KIN33に横浜ナディアで行われる暦のテーマ別クラス「中心数7と秘数33」のために、何となく『アルクトゥルス・プローブ』を手にした。そしてP18を開くと、青い手のウェイブスペル3(キン27〜39)が1992年7月14日〜26日の日付と共に13日分記されていた。当然、そこにはKIN33も含まれている訳だが、私の目はキン32(7/19)、キン36(7/23)の記述に惹き付けられていた。

あれ?この関係、最近、どこかで見たばかりのような・・・と『13の月の暦・手帳』をめくると、1ページ前(P121)に上記の鉄舟に関するメモがあった。何と、今過ごしているウェイブスペル(WS)の中に、鉄舟の誕生と死のキンだけでなく、誕生日と命日も含まれているではないか!という事は、1992年は鉄舟の誕生から156(52×3)年後、死から104(52×2)年後だったという事になる。

ホゼとロイディーンが出した『13の月の動き(13 MOONS IN MOTION)』の「アルクトゥルスの天文暦」には、104年という単位に「アルクトゥリアン・コーラスあるいは銀河オクターブ」という名前がつけられていて、それが65金星会合周期に対応する等の説明が短くされている。ところで、何故『アルクトゥルス・プローブ』では1992年7月のタイミングが取り上げられていたのだろうか。ちょっと長くなるが、要点を以下に抜粋してみよう。


”銀河の指令計画の最初の段階は、放射状母体と4次元の時間という優れたリアリティを持つ『ドリームスペル』の力を導入することで、人類の知的な過ちを修正することである。(中略)放射状母体を通して4次元的に機能する力は、最も有毒な人類の実験の否定的な効力を反転させる形で喚起できるのだ。では、どのようにしてだろうか?「人の反作用パルサー爆弾」の創造と実行を通してである。”

”「人の反作用パルサー爆弾」を創造するにあたっては、13の音程のウェイブスペル全体が確実に活性化されなければならない。活性化されるべき重大なウェイブスペルは、〈青い手〉のウェイブスペル3(キン27〜キン39)で、それは「達成」の力を持っている。(中略)手、7番目の紋章は、「銀河の」地球の力をしるすものである。(中略)このウェイブスペルの13番目で最後の位置は、〈キン39、青い宇宙の嵐〉すなわちタイムシフトであり、グレゴリオ暦の1992年7月26日の日曜日に対応する。”

”「人のパルサー爆弾」の活性化を通して、核時代の魔神全体が科学物質主義という瓶の中に戻されうる。(中略)意識的に方向づけられた4次元の力は、3次元の幻想のリアリティを転移させ、3次元的な幻想の効力は無効になる。(中略)転移されるべき3次元的な幻想は、放射能や放射性の火傷などである。(中略)「人のパルサー爆弾」の誤用はできない。すべての4次元的な機能が備えている安全装置は、「キンの法則」である。4次元では、他者に対して支配権を握るようなことはないのだ。”

(以上、『アルクトゥルス・プローブ』序文より)


7と33について話すために開いた本の中に、青い手(紋章コード番号7)のKIN27から始まりKIN33が含まれているウェイブスペルについて記されており、しかも、山岡鉄舟に注目しているタイミングで、その生死に関わる全ての日付(365日暦&260日暦)がそこに含まれていた事に、私は衝撃を受けずにはいられなかった。鉄舟と言えば「江戸無血開城」の立役者である。まさに、その存在自体が(危機的状況を反転させる)「人のパルサー爆弾」そのものである事が、このシンクロを通じて示されていると言えよう。

KIN33の横浜ナディア、KIN36の大阪チャクラの各クラスに参加された方々、そしてこのブログを目にされた方々の全ては、それが自覚的なものであれ、無自覚的なものであれ「人のパルサー爆弾」の活性化に貢献している。どのクラスも書ききれない程のシンクロに満ちていたが、そこに触れると収拾がつかなくなるので、ここでは鉄舟とホゼにまつわる情報に絞って、あと少しだけ整理しておこう。
チャクラ ★アグエイアス夫妻から高橋夫妻と継承されて来た「レーリヒ平和の旗」

大阪チャクラで「惑星意識と繋がる共振テクノロジー」を開催したG1/24は、ホゼ(KIN11)の生誕77周年&その母エセル(KIN241)の生誕107周年の記念日で、『天上の虹』でシンクロしまくった里中満智子さん(KIN176)の68才の誕生日でもあった。それが、山岡鉄舟の252回目の銀河の誕生日(KIN36)とシンクロするというのだから、これは驚きでしかない。何故なら「252=11+241」で、この関係性に気付くのが昨年以前でも、来年以降でも面白くは無いからだ。

しかも、このブログを書いている今日は、マヤ遺跡にも残っている古代のツォルキンで「5エブ」、『ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンの数え方に対応させるとKIN252になるのだ!(今朝、気付いた)。念のため書いておくと、1〜260の通し番号を付けてKIN○○という言い方をするようになったのは、『ドリームスペル』(1990年)が登場してからで、古代マヤの碑文や絵文書には、そういう表現は無いし、ホゼも『マヤン・ファクター』(1987年)の時点では、そのような書き方はしていない。

さらに驚くべきは、大阪の参加者の中に、現在の「運命の道筋」が、KIN11とKIN241の方がいらしたという事実だ。また、現在読み進めている『二つの世界を生きて』という本のP252に、609という数字が出て来た事と、ボウイが69才の誕生日(KIN20)に『ブラックスター』というアルバムを発表した事、そして「碑銘の神殿」の中央階段が69段で、易においては6が「陰」、9が「陽」を示すことはメモしておきたい。

また、ボウイが他界したKIN22(新月)の時点で私が気付いていたのは、KIN36(満月)の会場となるチャクラさんの住所が「菅原町6-12」で「6・12」=「6・人」=KIN32 だという事。つまり、1年のど真ん中に大阪で行われたスペシャルイベントは、時間(日付)的には鉄舟の誕生KINと、空間(住所)的には鉄舟の死亡KINとシンクロする事が分かったのだ。この関係はチャクラさんが引っ越しをせず、行政による住所の割当方も変わらず、『13の月の暦』を数え続ける人がいるという条件が保持された上で、52年に一度しか巡って来ない。

つまり、「江戸無血開城」を成した「人パルサー爆弾」の鉄舟と、時空を通じて同期できる事が『ドリームスペル』を通じて見出せるのは、今生では多分今回のこの1回しか無かったという事だ。大雪予報と交通麻痺の危機を切り抜けて参加された皆さんの決意は、もしかしたら鉄舟と共振していたのかもしれない。何しろ、暴風雪が予報されていた九州からの参加者3名を含む参加予定者全員が、一人も欠けること無く揃ったのだから奇跡的と言って良いだろう。
富士山川 ★全国的に雪の予報が出ていた1/24朝の富士山。のぞみからiPhoneで撮影。

尚、G1/24(共振の月15日)は、27(3×3×3)週目の初日で、KIN27(3×3×3)から始まった3番目のWSの「現れを仕上げる」10日目と同期していただけでなく、サイ時間単位はKIN131で、現在の私の「運命の道筋」とも同期していた。ダライ・ラマ法王14世(KIN14)による27回目のカーラ・チャクラ灌頂をきっかけにスタートした「時間芸術学校クリカ」は、KIN131の宮沢賢治による農民芸術概論に刺激を受けて命名したものであることは、過去に何度か書いた通りである。

また、現在の「共振の月」が、『時間の法則の20の銘板』の見方でKIN241に対応している事、ホゼのチベット仏教の師であったC・T・ムクポことチョッギャム・トゥルンパ(KIN37)が、2日前にちょうど生誕108(27×4)銀河スピンを完了したタイミングで(という事は同い年だったホゼも現在108スピン完了状態)、その108日後のKIN145に、チャクラと同じ大川(旧淀川)沿いの国際会議場で文殊菩薩の許可灌頂を、ダライ・ラマ法王が執り行われるということまでは、どうしてもメモしておきたい。

そして、今日KIN39(※)は、1992年7月26日(タイムシフト)=「人のパルサー爆弾」活性化期間の最終日から、ぴったり33銀河スピン(260×33)目にあたる。何とか、今日中にここまでまとめられてホッとしているが、最後に、もうひとつだけ鉄舟に関する不思議な縁を書いておこう。

私が、『13の月の暦』に出会ったのは1996年、その2年後に宇宙の暦は13ヵ月を出版する機会に恵まれた訳だが、暦を実際に使い始めてたかだが2年足らずで、本を書いた経験も全く無い素人がいきなり入門書を書くことが出来たのは、この暦の土台になっているフラクタルという概念について、多少なりとも聞きかじっていた事が大きいと思う。

たまたま大学でフラクタルを扱っていた研究室があって、幸い希望通りそこに入ることが出来たのだが、指導教官のH先生の私生活について知る機会は殆ど無いまま卒業を迎えた。その後も、年賀状のやりとりだけはさせて頂いてたのだが、ある時からご住所に「一九会」という文字が入るようになった。何だろう?と思ってネットで調べてみたら山岡鉄舟晩年の弟子、小倉鉄樹氏が関与する形で始まった禊・禅道場の名であった。

それを知った当初も大層驚いたものだったが、今回、改めて鉄舟を調べる中で、「一九会」が鉄舟の命日である7/19にちなんで付けられたものだったと(確か合気道の多田宏先生のサイトで)知って、再度驚かされた。そして、あの西郷南洲に「生命も名も金もいらぬ人は、始末に困る」とその無我無私ぶりを讃えられた人物と、「共振の月」の中心で激しく共振した意味を、今、改めてかみしめている。私達も無私の精神を忘れなければ、「人のパルサー爆弾」をもっと活性化できるのではないだろうか。


(※)このブログをUPした直後に気付いたのは、今日がモーツァルト(KIN39)の生誕260周年記念かつ365銀河スピン記念であったということ。また、大阪のクラスには「赤い竜」だけで3-7-11の感覚パルサーが、「青い夜」だけで4-8の心のパルサーが揃うという奇跡的な組み合わせで、パルサー爆弾が構築されていたことを思い出した。



インドと仏陀とカレーの縁

2014年09月25日 12:18

■電気の月6日(G9/25)KIN70 白い倍音の犬(by D)

ナマステ・インディアという日本最大級のインド・フェスが、今年もG9/20,21に行われた。何故か周囲にインド関係者が多い私達は、以前からそのイベントについて耳にはしていたが、実際に私が会場を訪れたのは、今年が始めてだった(Lは2度目)。いつも何かしら予定が入ってしまっていることが多かったので、ようやく行けるタイミングが巡って来た訳だ。

会場は少し前にデング熱報道で奇妙な盛り上がりを見せていた代々木公園。諸々のイベントが中止に追い込まれたり、他での開催を迫られたりした中、予定通り開催されたのはこのナマステが最初。きっと主催者には相当なご苦労があったと思うが、無事開催されたのは何よりだった。一応、虫除けスプレーはしつつも、アジア圏を旅したら、ウィルスを持った蚊に遭遇する確率はもっと高いんじゃないか?なんて思ったりもして、過剰反応気味な報道の方にむしろ疑問を感じた。

写真家の松本榮一さんが、初日の午後にブッダガヤの大塔について話をされる予定だったので、お昼も会場内のフードコーナーで食べるつもりで、正午より少し前に到着。いきなりエントランス付近で思いがけない方を発見。前夜打ち合わせで同席していた剣武天真流のM師範のお母様だ。タイミングだけでなく場所にも意外さを感じたが、縁ある方のサポートで来場されているとのこと。先方はもっと驚かれていたから、私達もインドっぽくはないということだろう(笑)。

ちょうどすぐ側にインド大使のご一行がいらしていて、その先で、実行委員長の長谷川時夫さんにもバッタリお会いしたので、ご挨拶。松本さんとのご縁で、2年前の夏、東大寺で行われた「日印交流のはじまりと未来」というイベントに参加し、ちょっとばかりお手伝いをさせて頂いた(Lは松本さんの写真展の題字で協力)関係で顔見知りになったのだが、インドにまつわる人々の間では昔から有名人だというのを、その時知った。

入口真横にあった菩提僊那(東大寺毘盧遮那仏開眼供養の導師)コーナーを盛り上げて欲しいと言われたが、午前の終わりに本田虹風さんを通じて知り合った小田切淳子さんのインド舞踊があるので、まずはメインステージへ。ちょうど目の前に虹風さんを発見して近くに座る。淳子さんの見事な踊りを見てから、お昼を食べにフードコーナーへ。私は、後でまた何かつまむつもりでロイヤルカリーのナンドッグを頂くことにした。何故か行く先々でインド大使に出会ってしまうのが不思議だ。
ナン ナンドッグとカラーシンクロしているのがインド大使

その後、松本さんの講演会場に向かってぶらぶらしていると、ジュレー・ラダックのブース前で、Lと虹風さんが興奮した様子で誰かに話しかけている。半年前まで額装店で何かとお世話になっていた(今は退職されている)Aさんが、全く予想外に(ボランティアで)そのブースにいらしたのだ。しかも、この日は、松本さんのお話をお聞きした後、そのAさんが勤められていた額装店に訪れる予定があったのだから驚きだ。

その上、Aさんは、チベットハウスのボランティアもしていたことがあるらしく、現代表のルントックさんのことも良く知っているという。もしかしたら、もっと前にどこかでお会いしていたのかもしれない。しかし、そんな背景を全く知らずに、Lは、昨年の個展の時からAさんにお世話になっていたのだった。

それにしても、流石に「霊性の大国・インド」のフェスティバルだ。不思議なご縁で繋がりまくる。活性化しつなぐ働きのある「電気の月」に入ったことも関係しているのかもしれない。講演会場の東方学院セミナーハウス前に着くと、松本さんが向こうからニコやかに向かってこられる。奥様の恭さんには、ちょっと前にフードコーナーでお会いしていたが、ハウス前で皆集合してしばし歓談。

前の講演が終わって入れ替わる時に、板倉リサさんともバッタリお会いした。2013年の「時間をはずした日」の隅田川や、今年6月に行われた江本勝氏主催のイベントでもご一緒していて、この日も夕方にステージで踊られる予定だったが、残念ながらその時間までは会場にいられない。

さて、何となくな感じで始まった松本さんの講演は「アショカ王の秘密 ブッダガヤ大塔ものがたり」というタイトル。大塔を今ある姿に修復したイギリスの考古学者・アレキサンダー・カニンガムが残した研究書の翻訳に、ご夫婦で取り組んでおられる最中ということもあって、非常に興味深い内容だったが、他にも色々なことがシンクロしていて、私にとっては目の離せない時間だった。

出掛けに適当に手にしたお坊さんバッグは、実は12年も前にブッダガヤで手に入れたもので、その中には虹風さんから借りたばかりの『ブッダをめぐる人々①』(里中満智子著)が入っていた。思えば、里中さんとのシンクロが始まったのもここ数ヶ月の話で、Lと虹風さんが街中でバッタリご本人と会って記念撮影をしたのはG7/24(KIN7)だった。

『ドリームスペル』に続いて発表された銀河ツール『テレクトノン』には、「パカル・ヴォタンのテレクトノン」という小冊子が含まれている。その「青い手・7」のパートは「仏陀」というタイトルで、内容はほぼカーラチャクラに関するものである。私達が松本さんに初めてお会いしたのは、2002年のブッダガヤで、ダライラマ法王の体調不良により直前で中止になったカーラチャクラの時だった。

そう思うと、里中さんとの出会いも含め、何とも不思議な縁を感じずにはいられない。松本さんは、講演の中で、ブッダガヤ大塔の周辺に、ナーガ(蛇)を祀っている場所があることについても言及されていたが、その講演を聞いていたその日は、『13の月の暦』で「赤い宇宙の蛇(KIN65)」の日であった。

この日、もう1つ別なブッダガヤシンクロがあったことが、夜になって判明した。私達が2002年にブッダガヤを訪れた時、カーラチャクラツアーのコーディネイターをして下さってた安東玲子さんは、その後、スリランカに渡って結婚され、BlueLotusという旅行代理店を立ち上げられた。

そのことについては『シンクロニック・ジャーニー』にも書かせてもらったが、昨年『霊性のアート』の出版記念を三軒茶屋で行った時、美味しいもの師匠に教えてもらって初訪問したシバカリーワラの山登さんが、スリランカの玲子さん宅を訪れていたのだ!しかも、松本榮一さんのブッダガヤ大塔の話をお聞きしていた頃に!

山登さんが近くスリランカに行くというのを知って、玲子さんのことを紹介したのは私達だが、いつごろ訪問するのかは直前まで知らずにいた。だからこそ、そういうタイミングだったと分かると、尚、驚きが増すのである。ブッダガヤで初めてお会いした松本さんから、ブッダガヤの話を伺っているころ、その縁を作ってくれた玲子さんが、私達が虜になっているシバカリーの山登さんを迎えている。インド、仏陀、カレーの繋がりは何とも美しく、また美味しいのであった。

天上の虹から書の魔法へ

2014年04月28日 03:01

惑星の月24日(G4/27)KIN179 青い惑星の嵐(byD)

いよいよ明後日から「書の魔法」(Lの個展&シャンバラ教室生展)が南青山で開催される。私が「サムライと書道展」の演武でトリノへ行っていた2月末、Lは今回の個展のテーマを「伊勢」にすると決めた。というより、それが一番しっくり来る事に気付いたらしい。

10日前の4/17(KIN169)、二子玉川駅構内の書店で待ち合わせをしていたLは、少し早めにそこに到着した関係で、新刊本コーナーに『女神の聖地 伊勢神宮』(千種清美著)を見つけ、新しい切り口で書かれたその本を、その場で手に入れることにした。

7年前に出した『シンクロニック・ジャーニー』にも書いた通り、伊勢の式年遷宮は、持統4年(690年)に内宮、持統6年(692年)に外宮で始められた。そういう背景もあって、持統天皇とその夫であった天武天皇には以前から注目していたが、2014年に入って両天皇の陵墓とされる野口王墓古墳に関するニュースを目にした事で、近いうちに訪れてみたいという気持ちが生じていた。

関西出張クラス2日目(KIN172)の朝、私は、天智天皇、天武天皇、持統天皇の即位と崩御の日付を調べていた。グレゴリオ暦への変換を含め、ウィキペディアの情報がどれくらい正確なのかは分からないが、シンクロサーフィンをするに当たっては、学術的正確さは関係無い、と言い切れるだけの体験を重ねて来ているので、最近はあまり気にせず活用している。

天智天皇ー即位668年2月20日(KIN223)崩御672年1月7日(KIN79)
天武天皇ー即位673年3月20日(KIN256)崩御686年10月1日(KIN256)
持統天皇ー即位690年2月14日(KIN187)崩御703年1月13日(KIN220)

天智天皇は「青」で即位して「青」で崩御した「変容」の動き以外はあまりピンと来るものが無かったが、天武天皇は「黄色い太陽の戦士」で即位し、全く同じ日付で崩御していることを初めて知っただけでなく、その日付が今の日本の土台を完成(熟成)させたことと見事にリンクしているように感じられて納得感大であった。

加えて持統天皇は、その両者を橋渡しするような変容(青)から熟成(黄)を担っただけでなく、KIN187に即位されたという点に、何より驚かされた。何故なら、それは私にとって、パレンケでスケッチして数年間見失っていたメモが見つかった2012年3月16日(マヤ長期暦9.13.0.0.0から正確に1320年のタイミング)のKINであり、ビセンテ・アミーゴの生演奏を初めて聴いた日である。

それだけでなく、その260日後の2012年12月1日(マヤ長期暦完了20日前)に、自由が丘駅のホームで「青い虫」が手帳に止まり続けて何かを教えてくれたKINであり、『霊性のアート』で最も重要な図「球状精神宇宙モデル」が掲載されているページ数でもあるからだ。

私はその時点で、京都山科にあるという天智天皇陵と、飛鳥にある天武・持統天皇陵の両方をお参りしようと考えていた。しかし、翌4/21(KIN173)の朝、改めて上記3天皇のことを調べ直そうとしたら、何故か天智天皇のページだけエラーが出て、何度やっても表示されなかった(ちなみに今は戻っている)。そこで私は、天智天皇陵は今回ではない方が良いのだなと感じて、直接飛鳥に向かう事にした。

飛鳥路散策については、書けばいくらでも長くなってしまうので、主に天武・持統天皇陵を参拝した時の事を中心にメモしておこう。この日は、小雨が降ったり止んだりのお天気で、飛鳥路を行く旅行者の姿は殆ど無く、散策コースから少し外れたところにある天皇陵にも、人影は全く無かった。そこで、私は天真五相を奉納し、その後しばし立位で瞑想をしていた。
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雨は降り続けていたが、少し空が明るくなった感じがしたところで、鶯が鳴き始めた。かなり至近距離にいるようで、美しい声で何度も「ホー、ホケキョ」と鳴くので、目を開けて探してみたが、どうも姿を見つけることが出来ない。せめて声だけでも、と思ってiPhoneで都合5回ほど録音させてもらったが、綺麗に録れたのは少し距離が離れてからだった。録音のことはともかく、私にとって、祈りが完了したタイミングでやって来たこの鶯は、天からの使いそのものだった。

その後向かった、岡寺(龍蓋寺)は、当初訪れるつもりは無かったのだが、駅前のカフェでランチを食べながら調べてみたところ、天武と持統の間に生まれた草壁皇子が住んでいた岡の宮にその由来があるとのことで、急遽予定を変更して訪れることにした場所だった。思いがけず満開のシャクナゲも見る事が出来、帰り際には青空と太陽も姿を見せてくれて、この飛鳥散策の中で最も天気が良くなった瞬間だった。
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私がこうして、持統天皇ゆかりの地を巡っているころ、Lはちょうど『女神の聖地 伊勢神宮』で持統天皇に関するところを読んでいたらしい。帰宅後、飛鳥での私の体験も詳しく知ったLは、オバマ大統領(KIN173)が来日したKIN175に、その本のP77で紹介されていた『天上の虹』(里中満智子著)を注文した。

その翌日、KIN176(4/24)に訪れた「北村公晴さんの装身具彫刻展」については、1つ前の記事に書いた通りだが、今思うと、大阪のシンクロ教室に参加されていたIさんも、北村さんも1/13生まれということで、持統天皇との繋がりがあったと言える。そして、手元に『天上の虹』が届いたのは、翌KIN177(4/25)の夜だった。奇しくも、夕方、沈む太陽を撮影したLの写真には、かすかに短い虹が写っていた。

奥付けをパッと見る習慣がある私は、手元に届いた第十六刷の日付を目にして驚愕した。何故なら、式年遷宮の儀式の中でもクライマックスと言える、内宮での「遷御の儀」が行われたまさにその日、2013年10月2日(KIN232)がそこに記されたいたからだ。持統天皇が始めたときから数えて62回目の式年遷宮の最高潮の瞬間に刷られた、持統天皇についてのマンガなのだから、驚かずにはいられない。

初版の2000年2月10日はKIN193で、これまたツォルキンを長期暦に対応させてみる見方が習慣化している私にとっては、驚愕であった。何故なら、KIN193はマヤでパカル王が活躍していた最盛期、672〜692年(マヤ長期暦での9.13.0.0.0)に対応するだけでなく、まさに、天武天皇と持統天皇が天皇として活躍していた時代そのものでもあるからだ。これだけ、完璧なタイミングで刷られていると、目を通さなくてもこのマンガの凄さが伝わって来る。

しかも、作者の里中満智子さんは、届いた前日のKIN176が誕生KIN。つまり、山川亜希子さんと同じで、今年のシャーリーマクレーンの道筋であり、Lがシャンバラ教室を始めた時の道筋でもあるのだ。そして、明後日からそのLの個展とシャンバラ教室生展「書の魔法」が始まる。全ては完璧なタイミングで進行している。

そして今日。「惑星の月」の「惑星の日」に行われた「惑星KINの集い」には、4/21(KIN173)にちょうどカレンダーラウンド(52才)を迎えられたKさんが参加されていた。もちろん、天武・持統天皇陵での体験をシェアしてお祝いしたが、その関係で、野口王墓古墳に関するニュースが報じられた日付のことが気になって、その場で改めて調べ直したところ、またまた驚きの発見があった。

宮内庁職員以外の15学会の研究者が初めて立ち入り調査したその日付は、2014年2月21日。4年半もの間、どこかを彷徨っていたハワイ生まれの木の亀の置き物が、手元に届いた日だ(「4年半の時を経て届いた銀河の贈り物」参照)。あの贈り物が私達のところに届いた日付と、天武・持統天皇陵への初めての立ち入り調査が行われた日付とが同じということが、何とも言えないリアリティを持って私の胸に迫って来る。

帰宅すると、3/4(KIN125)に他界されたTさんの奥様から、49日が過ぎた事を知らせるお手紙とお香典返しが届いていた。そこには、俳句もたしなまれていたTさんが3/3に読まれた句「淡雪のふとあらはれて消えにけり」も添えられていた。私は、この句を目にした時、岡寺で引いたおみくじの歌を思い出さずにはいられなかった。

「わが園に梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも」

「雪かそれとも梅の花びらか、空から雪が降って来るようできれいだ」の意とのことで、その意味するところは違うかもしれないが、明後日から行われる「書の魔法」に「梅」という作品で出品している私にしてみれば、Tさんの句と私の作品と岡寺のおみくじには、美しい繋がりがあるように思えてならないのだ。

伊勢、式年遷宮、持統天皇という流れと完全にシンクロしている「書の魔法」は、会場に来て下さる皆さんに、きっと思いがけない美しい魔法をもたらすことだろう。是非、皆さんが「然るべき時」と感じるタイミングで会場にお越し頂ければと思う。

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