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高野山から剣山へ

2011年12月21日 03:30

律動の月8日(G12/20)KIN101 赤い惑星の竜(byD) 

2011年末にかけて風雲急を告げる変化が次々と起きている。同時にシンクロ率も益々UPしていて、ブログに整理するのが間に合わず、ひと月以上も遅れてしまっている。リアルタイムのシンクロは、メモ代わりにツイッターにつぶやいているので、旬なシンクロを味わいながら波乗り感覚を磨こうという方は、そちらをご覧いただければと思う。

さて、KIN66(G11/15)に安倍昭恵さん(青い月の夜)にお会いした時、その場には、イラストレーターの柴崎るり子さん(青い宇宙の嵐)、L(青い惑星の猿)、私の4名がいた。私以外の3名が全員「変容」を意味する「青」の紋章だったのが興味深いが(そういう自分も今の道筋は「青」)、これまで書いて来たようなシンクロ話でひとしきり盛り上がった後、場所を移動することになった。

所用があったLと別れ、3人で交差点からタクシーに乗り込むと、昭恵さんがおもむろに「今月末、念願の剣山に登る予定なんです」と口にされた。「何日ですか?」と聞くと、「29日か30日のどちらか」とのこと。その日が「13の月の暦」ではKIN80、81であるのを手帳で確認した時、目の前を走っていた車のナンバープレートが81だったので、私はそのことを伝えながら「多分、30日(KIN81)になるんじゃないでしょうか」と答えた。

広尾付近のお店に着くと、ほどなくして、るり子さんとスライドショーを共同開催されているSさん(KIN24)&Mさん(KIN38)ご夫妻も到着。私は初対面だったが、Mさんの「神秘のパートナー」で、るり子さんにとってはガイドキンでもある昭恵さんが、自然な場を生み出して下さり、うちとけた雰囲気の中、色々な話をすることが出来た。楽しい時間はあっという間に過ぎて、解散したのは夜もすっかり更けてから。昭恵さんとは、都合8時間近くもご一緒させて頂いた訳だが、気さくで自由でとても素敵な方だった。

その4日後の「倍音の月5日」は、ツタンカーメンの墓が発見されたのと同じKIN70「白い倍音の犬」。さすがに「5」の音が重なる魔術の亀の日だけあって、ネットニュースでも<応神、仁徳、履中…。教科書でおなじみの「倭の五王」にあたる天皇陵出土の埴輪が今回、勢揃いした>という記事が目に入る。応神天皇の母が神功皇后で、どちらも最近(5・種の日に)初参拝したばかりの岩清水八幡宮にお祭りされていた件については、既に触れた通りだが、驚くべきことに、この日、昭恵さんは、何と奈良の神功皇后の御陵(その名も「五社神古墳」)を参拝されていたのだった。

私がツイッターで「倭の五王」のことをつぶやいたわずか1時間後位にそのことをFBに書かれていたので、思わずコメントすると「大雨の中それもとてもわかりにくい場所でしたが、今日初対面の方にご案内頂きました。私には奇跡的なお参りでした」とのこと。私の方も、この日、「銀河の第5の力」を表現した『ドリームスペル』の校正を終えたり、普段から注目している坂本龍一氏と甲野善紀氏が、何故か同時にバルセロナ入りしていることをツイッターで知ったりと、倍音だけでなく、ツタンカーメンの魔術が関与している気配も感じる特別な一日だった。

ちなみに、『ドリームスペル』(「13の月の暦」情報の源)は、大日如来の五相のような、五つの城から成るマンダラ的構造を持っているのだが、古代のマヤ暦にはこういうデザインのものは存在しない。アグエイアス夫妻が銀河の知性から受け取ったもの、あるいは、もう少し「この世的」に解釈するにしても、彼らに強い影響を与えたチベット密教が反映されたものと考えるのが自然だろう。

さて、そこからさらに11日が経過したKIN81(11/30)の午前中、私が号令をかけている新体道瞑想クラスでは、高野山と空海からの流れを意識して、ラストに金剛位瞑想を行った。参加者は私を含め6名だったので、立ち位置は自然と六芒星の形になったのだが、後で小林美元氏の『古神道入門』のP245(新体道、剣武天真流創始者、青木先生はKIN245)を見ると、そこには剣山、玉置山、千ヶ峰をその頂点に含む六芒星の図が示されていた。

その日の午後、FBを見ると、KIN66の時のタクシーのお告げの通り、昭恵さんが剣山山頂に(午前中に)立たれたことを報告されていた。予想が当たったことをコメントすると、「壇ノ浦の戦で平家が敗れた後、幼かった安徳天皇三種の神器を持って関門海峡に入水したと言われていますが、実は生き延びて四国に渡り、剣を隠した場所が剣山だという伝説もあるようです。その安徳天皇は81代天皇です」との返信。KIN81に81代天皇とは出来過ぎた話だ。しかも「安」「徳」の文字は、『マヤのリズム』に登場して頂いている”安”倍晋三氏、皇太子”徳”仁親王にも通じるものがある。余談だが、私の父もその名に「徳」がつく上、誕生KINは四国88カ所とシンクロするKIN88。

考えてみれば、空海は四国出身で、KIN76~78(11/25~27)に行われた天真書法塾発表会に出した私達の作品もまた、空海と関連するものだった。私は空海も臨書したという孫過庭の「書譜」を四国で漉かれた和紙に書いたし、Lも空海の「性霊集」にヒントを得て「観自在」と書いた。そう思うと、午前の瞑想クラスにOさんがクリスタルの三鈷杵を初めて持参して下さったのも偶然ではなかったのだろう。81は9×9魔方陣(縦横斜めの合計が369=天照大神の数霊)とも繋がりが見えるが、『マヤのリズム』で皇太子さまと安倍ご夫妻にご登場いただいているのは、P170から始まる「太陽の世界の橋渡し(369と三輪山)」の項だ。

一方、2012/1/8(KIN120=黄色い電気の太陽)から放映される大河ドラマは「平清盛」で、清盛は安徳天皇の祖父にも当たる。この大河ドラマの題字を書かれた書家、金澤翔子さん(KIN40=黄色い磁気の太陽)の現在の道筋は何とKIN170で、上記のページと直結しているばかりか、私達にとってはバルセロナの扉が開いた日でもあった。KIN81が「赤い電気の竜」にキャッチされた情報が「黄色い電気の太陽」から放映される平清盛にも多次元的に繋がっていることを見ると、剣山にあるとされる「失われたアーク」とは、実は目に見える箱などではなく、「太陽光発電に関する智慧」のようなものなのかもしれない。

さらに、『古神道入門』のP159(今年はガウディ生誕159年)にある「言霊数霊一覧表」によれば、アントクは「1、10、17、8」に置き換えられ、81(代)を3(種の神器)で割った27(10、17)を「ア、ン、ト、ク」から引くと、「ア、ク」=「1、8」(清盛放映開始日)となる。ここまで来ると単なるお遊びというか、かなり無理矢理感が出てしまうが、アーク(ark)には「安全な避難所」という意味もあるので、安徳天皇が「三種の神器」を剣山に避難させたという話も、数霊的にはアリなのかもしれない。

こんな風に、空海から始まった流れが剣山に行き着くという美しい流れとシンクロを感じたKIN81の夜、15日前のKIN66に頂いた「美味しい昭恵米」を炊く機会がようやく巡って来た。化学農薬や肥料を一切使っていないというそのお米はとても美味しくて、それだけで何だかお祝いしている気分になれた。

長くなったついでに書いてしまうと、昨日KIN100(黄色い太陽の太陽)に京都白峯神宮を訪れた。讃岐(四国)に配流された崇徳天皇が御祭神だったと後で知ったのだが、ここで引いたおみくじが20番で、震災後、東日本ソーラーベルト構想を唱えた孫正義氏の誕生KIN20(黄色い共振の太陽)とシンクロしていたのが、非常に興味深かった。

神功皇后応神天皇、空海、源氏と平氏、こうした異なる時代の流れが、今、互いに響き合いながら2012年のポイントに収束して来ているのを感じる今日このごろである。
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高野山の金剛界マンダラ灌頂

2011年11月17日 02:33

倍音の月2日(G11/16)KIN67 青い月の手(byD) 

KIN52(11/1)は、「金剛界マンダラ灌頂 序会」ということで、ダライ・ラマ法王も灌頂を受ける前段階の基本的な教えについて解説して下さる時間を長く取られていたように思う。これはカーラ・チャクラの時も同じで、儀式そのものより、教えの本質や灌頂を受ける意味についての理解こそが重要だとする法王の姿勢が、そのまま表現されていると言えよう。

翌、KIN53(11/2)は、『13の月の暦』(ドリームスペル)ではちょうど「交差の北の白い城(52日間)」、そして「空間の力」が働く「赤い空歩く者」のウェイブスペル(13日間)に入るタイミングで、まさに「金剛界」という空間に参入するのにふさわしい流れだ。法王のスケジュールは、何故かいつもこの暦にシンクロしていて驚かされる。

早朝、大伽藍の三鈷の松(空海が唐の海岸から投げた三鈷がひっかかっていたという高野山開山にまつわる伝説の松)の前で軽く身体を動かし、「天真五相」を行う。新体道の大基本で、同時に極意でもあるこの型について、創始者の青木先生は『新体道ー智慧をひらく身体技法』の中で、以下のような解説をされている。

【宇宙の中心、本質そのものである御本尊(詳しくは金剛界大日如来)の五つの見方(現れ方)を「五相」といいます。】

つまり、灌頂に登場する、阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就、そして大日の各如来を、連続する身体の動きとして表現するのが「天真五相」という型だとも言えるのだ。この構造は同時に、「ドリームスペル」のジャーニーボードに登場する5つの城(注:マヤ暦には存在しない)にも見出すことが出来る。

その後、奥の院へと向かうと、前日、大師堂や梵恩舎でたまたま居合わせた人や、顔見知りの人にやたらと出会う。ちょうど森の中に朝陽が差し込んで来る時間帯だったが、奥の院のエリアはまだヒンヤリしていて結構からだが冷えてしまったので、「みろく石」でくるみ餅とお茶を頂いてから会場(講堂)に向かった。

マンダラについての解説を聴きに体育館に行っている方が多いのか、法王を中心に儀式が行われている講堂は割と席が空いていて、チャド・リンポチェの手の動きがよく見える席に座る事が出来た(午前は自由席)。グラーツでのカーラ・チャクラでもそうだったが、実はこの午前の儀式には見所が沢山あり、瞑想するのにも最高の時間なのだ。

「この儀式(特に数々の印)に関して一番詳しい」と法王も認めるチャド・リンポチェが、全体をリードするような感じで僅かに早く動いている。きっと空海の印のスケッチは、こういう動きの瞬間を切り取ったものだったのだろうと思わせる流麗さ。せっかくの記念行事なら、砂マンダラを固めて残すなんて格好悪いことをするより、文字や写真では残らない「動き」を様々な角度から撮影して記録する方が、密教を教える大学として遥かに意味があると思うのだが(高野山に伝わっているものと比較する上でも)、どうもそういうことをやっている気配は見受けられない。

この何とも言えない形式主義的な雰囲気は、イベント全体を通じて感じられたもので、このような機会を設けて下さった主催者には申し訳ないが、もう少し過去のカーラチャクラの様子でも研究して準備を進めて頂きたかった、というのが正直な感想だ。壇上ではどんどん儀式が進められているのに、会場では2段階位ズレて色々なものが配られている印象だった。配布ボランティアの席の位置を考慮するだけでも大分違ったと思うのだが…。受け身で融通の利かない参加者が多かったことも含め、今の日本の縮図を見る思いがした。

灌頂終了後、「砂マンダラ」拝観のために列に並ぶ。儀式を執り行っていたナムギャルの僧侶達は、さすがに手際良く、もう片付けを始めていたが、ちょっとした間を突いてチャド・リンポチェとの記念撮影をお願いしてみたら、快く受けて下さった。後日談によると、暖かいものを欲していたリンポチェは、中華料理店でラーメンを食べていたらしいし、その後、東京では焼き肉も食べられた模様。

チベットの風土や文化を知らない人や、仏教徒は肉を食べないと思い込んでいる人(特にベジタリアンの方が魂が進化しているなんて信じているスピ系の人)は驚くだろうが、肉を食べるチベット人の僧侶は法王も含め結構多い。もちろん、「最初から食肉用に飼育されている動物についてどう思っているのだろうか」という疑問も湧かないではないが、彼らの解釈では、死んでしまっている動物の肉を食べるのは別に問題は無いらしい。

それに、やけに豪華な精進料理を食べたり、形式的なことばかりにこだわっているだけで中身が無いよりは、肉食していても、仏陀の教えを思い起こさせる智慧や、必要に応じてサッと動ける行動力が伴っている方が、ずっと説得力があるし世の中の役にも立つと思う。思えば、灌頂(序会、本会)の二日間は見事に空が晴れ渡っていたが、きっと空海(法王は法身として今も高野山におられるということは十分ありうるという見解を述べられていた)も、生きた教えの息吹が再び高野山にもたらされたことを、喜ばれていたのではないだろうか。

翌、KIN54(11/3)は、朝に宿坊(西禅院)をチェックアウト。その時はじめて、この宿が親鸞や松下幸之助と縁ある寺であることを知った。小雨の中、ちょうど見頃に色付いた紅葉を味わいながら高野山の名所を巡ったが、特に西南院前の真っ赤なもみじは見事だった。大伽藍に戻ってくると、何か儀式的な意味があるのか、境内の道がコウヤマキで縁取りされていて、甘酒も振る舞われていた。

この日、コウヤマキをお印にされている悠仁親王が、「着袴の儀」と「深曽木の儀」という儀式を東京で行っていたそうなので(後で知ったのだが)、もしかしたらそのことと関係があったのかもしれない。何しろコウヤマキ高野山に多く生えていることにその名の由来がある植物である。法王が高野山に滞在されているタイミングで、このような儀式が行われていたのは興味深い。

また、私にとっては、コウヤマキがお印に決まった2006年9月12日(KIN257)が、2010年12月21日(KIN257)の三輪山登山からちょうど6スピン前だったというシンクロも面白く感じられた。『マヤのリズム』にも書いた通り、369(これは天照大神の数霊でもあるらしい)は、その登山と密接に関係した数字だったし、3と9は他の流れからも頻繁に登場していたが、6だけは抜けていたからだ。

細かいことを書けば(夕に大阪の四天王寺でまた灌頂仲間とバッタリ再会したなど)まだまだ色々あるが、長くなってしまったので、今回のショートトリップについては、あとひとつだけメモを残して終わりにしたいと思う。帰路のフライトは14列目、羽田から二子玉川行きのバス乗り場も14番と、ダライ・ラマ法王14世(KIN14)にバッチリシンクロして完了。尚、高野山の美味しいものメモについては、そのうちLが書いてくれる・・・かもしれない。

ヒマラヤから来たチベット人画家

2011年11月09日 01:56

自己存在の月22日(G11/8)KIN59 青い共振の嵐(byD) 

今日の昼、ものすごく久しぶりに「徹子の部屋」を見た。高野山で出会ったチベット人画家、テンジン・ヌルブさんがゲスト出演することを知っていたからだ。ヌルブさんは、ネパール西方のドルポ地方出身で、もともとトロン寺の僧侶&タンカ絵師でもある。

ドルポという地名は10年ほど前に映画『キャラバン(原題:Himalaya)』で初めて耳にした気がするが、その後、私達の友人で在日チベット人のドルマさんや、そのお兄さんのツェワンさん(NPOクリカの活動でも何かとお世話になっている)、また、彼らの従兄弟で歌手のテンジン・チョーギャルさんの出身地でもあることが判明。縁を感じる場所のひとつである。

『キャラバン』は手つかずの大自然の圧倒的な映像と、そこで生き抜くチベットの人々の暮らしぶりが印象に残る素晴しい映画だったが、当時、手に入れていたサントラCDを見返してみたら、ちゃんとイラストレーターとしてTenzin Norbuと記されていて、確かに、今回目にした画風と同じイラストが入っていた。10年前に出会っていた絵の作者と対面していたのかと思うと感慨深い。

そもそも今回の個展について知ったのは、暦や新体道のクラスで定期的にお世話になっている大阪のチャクラさんでのこと。「素晴しい絵だし、高野山でのダライ・ラマ法王のイベントとシンクロする形で個展が行われるので、是非行ってみて下さい」とオーナーに言われていたのだ。

「13の月の暦」で14週目のラストに当たる自己存在の月14日、羽田の14番カウンターで発券してもらって乗り込んだのは、スターフライヤーという会社の飛行機(ANAとのコードシェア便)。小型ながら座席が割と広くてなかなか快適だった。関空から南海線で一度天下茶屋まで戻り、そこから特急こうや7号に乗り込むと、何と同じ宿坊に泊まるクリカ理事のTちゃん、Mさんが、別に約束もしていないのに同じ車両に居た。

彼女達は新幹線で移動していて、市内でお昼を済ませた後になんばから乗り、私達は空港でお昼を済ませ、天下茶屋で当日13:20に発券された席(コールマン・マトリックスのラスト2日に対応する13暦のKINと同じ47,48だった)に座っただけだが、ちゃんと良いタイミングで出会えるようになっているのが素晴しい。ちなみに、天下茶屋からの特急料金は760円、極楽橋までの所要時間は1時間14分。G7/6生まれで今年76才になられた法王(KIN14=1・14)とのシンクロ率もさらに上がりつつあった。

今回私達がお世話になった「西禅院」は、空海が開山当時住んでいたとも言われる大伽藍の目の前で、部屋から根本大塔も見えるという好立地。それだけでなく、住所は154(11・魔法使い=77×2)、『古寺巡礼13/高野山』というガイドブックの中では、高野山に全部で52あるという宿坊の中の13番目に名前が登場している点で「13の月の暦」的にも美しい。

江戸後期の頃には、八方の峰に囲まれたこの地に812の寺社があったと言うから、カーラチャクラで伝えられているシャンバラ(八葉蓮花の山々に囲まれた96(8×12)の地方からなると言われる)のようでもある。
そうでなくても、初めて訪れた高野山は、見事な晴天と紅葉で美しく彩られていて、聖地の爽やかさに溢れていた。宿の方によると、前日までは結構愚図ついたお天気だったらしいから、これも空海のお導きと感謝するしかない。何しろ、もうすぐ開催される天真書法塾の発表会には、私もLも空海と関係する書を出しているのだ。

部屋のLANの調子がおかしかった関係で宿を出るのが予定より少し遅れたものの、何とか根本大塔も扉が閉じられるギリギリ前に入れて大日如来にご挨拶できたし、恒例のおみくじも社務所が締まるギリギリ前に引くことが出来た。15番(中吉)は、1週間前に大阪に出張した時にもやたらと目にした数だったが、考えてみれば、灌頂を受ける日が、自己存在の月15日=15週目の冒頭=15枚目の銘板という15シンクロなタイミングなのだ。

日が暮れ始めた頃、ヌルブさんの個展をやっている「梵恩舎」というカフェに到着すると、何と軒先でチャクラのオーナー夫妻とバッタリ出くわした。諸事情でこの日しか高野山には来られないと聞いてはいたが、まさかどんぴしゃりのタイミングで会えるとは思っていなかった。おかげで、ヌルブさんにも直接紹介してもらえたし、チベットの3つの聖山にそうとは知らずに訪れてしまったという女性にも会うことが出来た。

既に大分長くなってしまったので、今日はこの辺りまでにして、以降の「高野山シンクロニック・ジャーニー」については、また日を改めて近日中に報告してみたいと思うが、最後に今日の暦情報を少しメモしておこう。ちょうど今日からツォルキン(260日暦)がひと巡りすると(※)、来年の「13の月の暦」の元旦(G7/26)になる。

ということは、今日一日の流れの中に「青い共振の嵐の年」(2012年7月26~2013年7月25日→長期暦が完了する12月21日もこの期間に含まれる)の一年が、予兆的に映し出されていたと見なすことも出来る(あくまで見なす事ができるだけで、そう決まっているというのとは全く違う)。ヌルブさんやヒマラヤとの繋がりがさらに深まるのかどうかは分からないが、色々と楽しくなりそうなのは確かだ。


(※)このツォルキンの数え方は、グレゴリオ暦(G暦)との橋渡しを意識した「13の月の暦」に特有のもので、伝統のマヤ暦の数え方とは異なるものである。「13の月の暦」の一部をパクって「マヤ暦」として喧伝している人々は、G暦閏年になると、なぜ「00フナブ・クの日」を差し込むのかの説明が困難になるだろう。「13の月の暦」はその構造上、ツォルキンの部分だけを切り取って使うようにはなっていないし、それでは不完全なのである。

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