シャンバラ教室とカーラチャクラ

2017年01月08日 00:59

律動の月26日(G1/7)KIN124 黄色い共振の種(by D)

今日は天真書法塾シャンバラ教室の稽古初めだった。シャンバラ教室は、天真書法塾最初の支部教室としてチベット民族蜂起51周年の2010.3.10にスタートした。その日は、支部教室師範・蘭禅の69回目の銀河の誕生日(KIN231=10・猿)でもあった。

昨今の表層的なスピリチュアル情報しか知らない人々は、「シャンバラ」と聞くと秘密の地底(地下)王国みたいなものを連想するようだが、私達は、今、まさに、ブッダガヤで行われれている「カーラチャクラ(タントラ)」に登場する「聖なる国の名前」から教室名として拝借したのである。もっと言えば、私達の活動名である「クリカ」も、実はカーラチャクラ由来の言葉なのだ。

私達がその名を使わせていただくに至った背景についてはクリカのリンクを、カーラチャクラについてより詳細かつ正確に理解したい方は、ダライ・ラマ法王公式サイトのリンクを参照いただければと思う(尚、後者のサイトに登場する「カルキ」という言葉が「クリカ」と同義である)。

アマラバ砂マンダラ ★伝説の地アマラヴァティで2006年1月に描かれた砂マンダラ

シンクロニック・ジャーニー』第1章「シャンバラからの招待状」に書いた通り、ちょうど15年前の今頃、私達はカーラチャクラが予定されていたブッダガヤに居た。しかし、ダライ・ラマ法王(KIN14)の体調不良によって灌頂は直前に中止になり、その関係で、私達はそこからほぼ260日後にオーストリアのグラーツで行われた灌頂を受ける事になった。

シャンバラのスチャンドラ王を初代とすると、ダライ・ラマ法王14世は、この教えの86代目の継承者という事になっているが、グラーツは現法王による27回目の灌頂であり、現在ブッダガヤで行われているのは34回目に当たるので、ちょうどグラーツから7回目という事になる。

今日、この記事を書いておこうと思ったのは、ブッダガヤでの法要がいよいよクライマックスを迎えるタイミングであるのと、ツォルキン7列目の「7・種」の日であり、チベット暦ではグル・パドマサンバヴァの日でもあったからである。

グラーツの灌頂最終日はKIN136(6・戦士)で、今回の灌頂最終日はKIN130(13・犬)。いずれもドリームスペル13の月の暦ツォルキンでは7列目に当たり、このツォルキンをマヤ長期暦の5125年に置き換えた時、ちょうどブッダが活躍した時代(バクトゥン)にシンクロする。それ故、テレクトノンでは毎月7日が「ブッダ心の教え」となっているのだ。

つまり、ブッダとシンクロするタイミングにブッダガヤで行われているカーラチャクラ(時の輪)に意識を向ける事は、それだけで素晴らしい事なのだ。ちょうどグラーツの時に初めて試みられたWEBを通じての世界同時中継も、今は中央チベット行政府公式WEBTVが、十分な画質と音声でリアルタイム中継をしてくれている。縁ある方は、そのバイブレーションに直に触れてみて欲しい。

カーラチャクラの教えは、密教最高峰の教えの一つであるのにもかかわらず、仏教徒以外にもその門戸が開かれている特別な教えである。その理由は、この教えにシャンバラという聖なる国が関わっていて、カーラチャクラの大法要が「世界平和」と密接に関係しているからなのだ。そして、シャンバラ教室に限らず、クリカの全ての活動は、その事を意識して行われているのである。

NPOクリカ設立10周年とボダナート仏塔の再建

2016年11月20日 19:42

倍音の月6日(G11/20)KIN76 黄色いスペクトルの戦士(by D)

NPOクリカは、チベット難民の子供達に対する教育支援を主な目的として、2006年11月20日(KIN66)に設立されました。10周年の記念日が、『13の月の暦』のツォルキンで、チベット民族蜂起の日付(1959年3月10日=KIN76)と同じKIN76となったのも、チベットに関する活動をしている立場からすれば、やはり特別な事と思えます。

ボーダ IMG_9683.jpg ★11/16(左)、11/13(右)

また、KIN66(G11/10)〜 KIN76(G11/20)の10日間は、この10年間に対応する期間でもありましたが、ちょうどこの期間に含まれていた11/13(KIN69)〜11/18(KIN73)に、今年もカトマンズボダナートにあるマナサロワール・アカデミーを訪れ、支援している子供達や、そこで素晴らしい教育をして下さっている先生方に会って来る事が出来ました(今年のアルバムはこちら)。

子供達と ★藤田理麻さんが寄付して下さった絵本を手に

10年という歳月の間に子供達も移り変わって行き、今年から新たに支援を始めた子供達と初顔合わせをした一方で、卒業した子供達も駆けつけてくれるなど、嬉しい出会いが沢山ありました。これも、長年に渡ってNPOクリカの活動を強く支えて下さっている皆様(一般財団法人天真会様はじめ多くの支援者の方々)のおかげと、深く感謝申し上げます。

P1040756.jpg IMG_9944.jpg ★支援を始めた頃(左)と今年(右)

滞在最終日には、毎週木曜にマナサロワール・アカデミーで号令を掛けて下さっている現地の道友・木村悟郎さんと共に、100名あまりの子供達に号令を掛けつつ、天真体道を一緒に楽しみました。今回は、『13の月の暦 TIMESCORE』の共同制作者でもあり、悟郎さんが経営するカフェのカップイラストも描かれたMiyokoさんともご一緒し、充実したシンクロ時間を過ごして来ましたが、それらについては、また機会を改めて報告させていただく予定です。

天真体道 天真体道2 ★天真体道を楽しむ子供達

今日、どうしても書いておかなければならないのは、世界遺産でもあるボダナートの仏塔についてです。昨年4月にネパールを襲った大地震で尖塔部分が崩れ、昨年11月に訪れた時には、一度完全に解体された状態になっていましたが、今年はその部分が新たに作り直されて、ちょうどカトマンズを訪問している最中に、仕上げの化粧直しが完了していました。そして、何と、本日、復興と完成を祝う大法要が行われたのです。

IMG_0677.jpg  IMG_9970.jpg ★昨年(左)、今年のスーパー満月時(右)

NPOクリカの設立10周年とチベット民族蜂起81(9×9)銀河スピンが重なるだけでも十分スペシャルなことですが、支援先のマナサロワール・アカデミーがあるボダナートのシンボルが、そのタイミングに完全復活したのですから、これ以上の喜びはありません。ちなみに、今日という日が選ばれたのは、チベット暦で以下のような意味がある日だからのようです。

チベット暦9月22日にあたるこの日は「ラバプドゥーチェン」と呼ばれ、「釈尊が天界より降臨された日」を意味しています。釈尊は、41歳の夏に釈尊は須弥山の上の三十三天に一度上られてしまいましたが、この9月22日に、再び人間界に戻られてその後40年間説法をなされた故事に因んでいます。”
(文殊師利大乗仏教会さまのサイトより解説部分を引用)

大地震の時、ボダナートエリアで死者が出なかったのは、多くの人々によって祈りが捧げ続けられてきた仏塔が被害を引き受け、護ってくれたからだと、現地の人々には信じられています。その仏塔の完全復活が今日という日に重なるとは、私たちが10年前にNPOを設立した時には知る由もありませんでしたし、最初はマナサロワールの子供だけを支援していた訳では無かったので、この縁には、やはり特別に深いものを感じます。

ボダナート滞在中に、世界遺産ポーランドの中世都市トルンの博物館に、私(小原天迅)の書作品がコレクションされる事が決まったというニュースを知り、帰国途中のバンコクでは、天真書法塾シャンバラ教室の生徒たち3名が、西安華厳寺臨書展で、何と「大賞を授賞」というニュースまで飛び込んで来ました。という訳で、この善き日に、嬉しいニュースをまとめて報告させていただいた次第です。きっと、このブログを目にされた方にも、素晴らしい事が起こるでしょう。

この10年の全てのご縁に感謝いたします。

ネパールも4月が新学期

2016年06月17日 18:50

■水晶の月19日(G6/17)KIN178 黄色いスペクトルの太陽(by DL)

ミニ報告。ネパールの学校も4月が新学期。カトマンズのマナサロワール・アカデミーから、 NPOクリカ支が援中の子供達一人一人の昨年度の成績表と手紙、そして写真が送られて参りました。全員落第しないで次の学年に進級オッケー!(ホッ)。


mr20160617

里親の皆様のお手元には、お手紙と成績表をお手元にお送りさせていただき、子供達の成長を共に喜び合いました。いつもサポートしてくださる皆様、本当にありがとうございます!

mr201606 

チベット難民である子供達は、この学校で、彼らの母国語であるチベット語、世界共通語である英語、そして生活している国の言葉であるネパール語、の3つの言葉の読み書きを小さなうちから学びます。授業はすべて英語で行われます。(ここ数年は、私たちの道友の悟郎さんが、週一で天真体道とともに日本語会話も教えているので、挨拶程度はバッチリできる子供達も増えました!)とにかく子供達の言語習得能力には、いつも驚かされます。


NPOクリカより緊急支援のご報告

2016年03月19日 15:12

■太陽の月13日(G3/19)KIN90 白い水晶の犬(by DL)

NPOクリカで支援中の学校(在ネパールのカトマンズ/ボダナートエリアのマナサロワール・アカデミー)と子供達の現在の状況、昨年2015年に緊急支援として皆さまからお預かりした寄付金についてご報告いたします。
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2015年4月25日、ネパールを大地震が襲いました。
支援中の子供達と学校関係者も、家屋倒潰などにより野宿を余儀なくされている者がいるとの連絡を受け【外で暮らしてるマナサロワール校の生徒家族のための緊急支援】を行うことを決定しました。

2015年5月末までの期間限定で皆さまから寄付を募り、当初の目標である緊急支援を行う事ができました。その節は暖かいお心をお寄せ頂き心よりありがとうございました。ここまでの経緯については以下のリンクをご覧頂けましたら幸いです。

NPOクリカより緊急支援のお願い
緊急支援のお願い&ご報告-1
緊急支援のお願い&ご報告-2

【マナサローワール・アカデミーと関係者への支援として行った事】
1・野宿の43家族に対して、テント・蚊帳・マットレスの直接支給(テントはマヤネットワ―ク様からの支援)。
2・家屋が全壊し全く行き場の無い家族と、学校全体に対して、お見舞い金を直接支給。
3・ダメージを受けた校舎設備(電気関係・ソーラーパネル・バッテリー)の補修・交換。
 (職人と物資の不足により、修復に数ヶ月を要した。)

NPOクリカでは現地に事務所を置いておりません。上記は全て、同じ先生(青木宏之先生/一般財団法人天真会代表)を持つカトマンズ在住の道友・木村悟郎さんが、私達からの依頼を受け、NPOクリカの臨時スタッフとしてボランティアでご尽力くださり実現したものです。悟郎さんがいらっしゃらなければ、送金も物資の手配も一切が不可能でした。あらためて深くお礼申し上げます。木村悟郎さんとNGOマヤ・ネットワーク・ネパール(代表:ウサ・ギリさん)のご活動ついてはこちらをごらんください。

【現在の状況】
・野宿・テント生活の家族が多数いましたが、今は全員建物の中に住むことができています。
・校舎本体は無事。地震被害調査も合格。電気設備の修理交換を行い、良い状態で使用中。
・地震後40日間休校した後に授業再開。休校中の遅れを取り戻す為に補講が行われたため、授業の遅れはありません。

【寄付の報告】
★収入合計¥944,301
★支出合計¥732,296
1・マナサロワ―ル校:野宿の43家族に対して、蚊帳・マットレスの支給。¥72,151
2・マナサロワ―ル校:学校と生徒達に対して見舞金を支給。¥157,148
3・マナサロワ―ル校:校舎設備の補修・交換(電気関係・ソーラーパネル・バッテリー)。¥162,025
4・NGOマヤ・ネットワ―ク・ジャパン:最も甚大な被害を出した山岳部を中心に緊急支援を行った団体に寄付。¥240,648
5・ルンタプロジェクト:チベット難民と山岳地帯のチベット系民族を対象に緊急・復興支援を行う団体に寄付。¥100,324
★余剰金¥212,005
引き続き、マナサロワ―ル・アカデミーの子供達の教育支援に使わせて頂きます。

【その他】
私達は2015年11月にネパールを訪問しました。地震から約半年後のことです。訪れたのはカトマンズ、それもマナサロワール・アカデミーのあるボダナート地区で4日間のみでしたので、以下は私達が直接見た狭い範囲の報告になります。正直な所、外から見る限りは地震による「建物」の被害は一部の歴史的建造物を除いては、そんなには酷くないようにも見えました。(もちろん、場所によっては大きなダメージを受けているものも見受けられました。)実際、鉄筋コンクリート造のマナサロワ―ル・アカデミーの校舎も、私達が毎年利用するゲストハウスや周辺の家屋も、地震の影響や爪痕は殆ど感じられませんでした。

それよりも、その時点では、市民生活に不可欠な穀物、医療品、エネルギー(ガソリン、調理用ガス)などなど、インドに頼っていたものが全く入って来ない状況の方が、地震被害よりも遥かに深刻の様でした。当然物価は高騰。交通もマヒ。多くの市民生活に多大な影響が出ていました。何より「一体これからどうなるのだろう」と人々の気持ちがガックリ落ち込んでいました。マナサロワール・アカデミーでも、約400人分の子供達の給食を薪で作っています。レストランやホテルはメニューを最小限に絞って営業している所が殆どでした。地震後、観光業で成り立ってきたネパールへの訪問者は激減し経済も大打撃。更に多数の失業者がでています。政府はほとんど当てにならないといった中、親戚などを頼ってインドに避難する人、外国に出稼ぎに出る人も多く出始めているとの事でした。人々の精神的なショック、先の見えない閉塞感は計りしれないものがあるようです。

しかし!そんな中でもマナサロワ―ル・アカデミーの子供達と先生方は、明るく元気いっぱいに学校生活を送れるまで立ち直っていました。度重なる余震に眠れない夜が続き、安全が確認されてからも尚、潰されるのではないかと怖くて建物に入れない状態が続いていた事を考えると夢の様です。やはり苦しい時期に手を差し伸べてくださる方々の存在は、何よりも励みになり気持ちを強くしてくれるものなのかもしれません。この度、私達の呼びかけに対し寄付のご協力を頂きました皆々さまに厚くお礼申し上げます。心よりありがとうございました。そしてお忙しい中ボランティアで、マナサロワール・アカデミーの子供達に天真体道の指導をしてくださる木村悟郎さんに心から感謝です。先生方も子供達もどんなにか勇気づけられた事でしょう。

もともとがアジアの最貧国の一つであるネパールの復興は、まだまだ始まったばかりです。多くの日本人の目には、地震が起こる前のネパール(首都カトマンズでも、一日10時間以上の計画停電が頻繁にあり、断水は日常茶飯。交通マヒとなれば、給水車もやって来ません。もちろんゴミ収集などあとまわし)の姿でも「こりゃ酷い!」と写るのではないかと思います。今後とも、ネパールとチベット難民に関心をお持ち頂けますよう、どうぞよろしくお願いします。


祝!チベット暦新年

2016年02月09日 11:29

銀河の月3日(G2/9)KIN52 黄色い宇宙の人(by DL)

Happy Losar Tashi Delek!
the year of the male fire monkey


チベット暦新年、あけましておめでとうございます!
月を招く申月を招く申 
★北村公晴氏作「月を招く申」


チベット暦は、『カーラチャクラ・タントラ』に説かれている暦法が土台になっていて(※)、基本、干支と同じ順番と周期(60年)で巡りますが、元旦に関しては、旧暦とは数日から一か月近くズレる事があります。何故、そのような複雑なズレ方をするのかについては、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトに詳しく書かれていますので、「チベット暦と占星術」のリンクをご参照下さい。

また、十干は火・土・金・水・木の五行に基づいていますが、それぞれの陰陽は、「兄弟」ではなく「男女」で表されるので、日本では「丙申(ひのえさる)」となりますが、チベット暦だと、上記の通り「the year of the male fire monkey」という事になります。


(※)Wikipediaより
チベット暦は太陰太陽暦であり、密教経典『カーラチャクラ・タントラ(時輪タントラ)』の「世間品」に説かれた暦の体系にもとづいている。チベットに『カーラチャクラ・タントラ』が伝来したとされる「火の女兎の年」(丁卯,1027年)から始まる60年間を「第一ラプチュン」と呼ぶ。

カトマンズ訪問2015

2015年11月20日 01:49

倍音の月5日(G11/19)KIN230 白い太陽の犬(by DL)

今年もNPOクリカで教育支援を行っている子供達に会いに、カトマンズ(ボダナート)のマナサロワール・アカデミーを訪問して来ました。大地震後、一時はテント生活を強いられていた生徒や先生達も、建物の安全性が確認された今は家に戻れて、ほぼ平常通り学校生活が送れているとの事(家が全壊、半壊などで住めない状態になってしまった支援生徒にはNPOクリカからお見舞金を出しました)。ただ、400人近くいた全校生徒のうちの50人位は、震災後、親戚の家や他の土地に移動したまま戻って来ていないそうです。

現在は、新憲法に対するインドの圧力で国境の物流が滞り、燃料や食料の不足が深刻化しています。実際、ガスが不足している関係で、食事も薪で作っていました。震災後、学校からのリクエストがあったソーラーパネル&蓄電池&照明設備は、NGOマヤネットワークの木村悟郎さんらの協力で、無事設置が完了していました。学校で寄宿生活をしている子供達(全体の一部)や先生方は、停電の多い日々も、灯りのある生活が送れていると、とても感謝していました。

カトマンズ2015  

★写真はfacebookのアルバムにリンクしています。それぞれコメントを付けて行きますので、写真をご覧になりながら現地の様子を感じて頂けましたら幸いです。

★NPOクリカの活動に関心を持ってくださる方は、是非、下記もご参照下さい。
http://www.kulika.com/index.php?page=npo-kulika

書寫山圓教寺のチベット旗

2015年10月21日 17:18

自己存在の月4日(G10/21)KIN201 赤い律動の竜(by D)

先の連休は、3日間とも関西で過ごした。10/10(KIN190)は、大阪市中央体育館で「剣武天真流大阪ワークショップ」。10/11(KIN191)は、天真書法塾の道友・宮野玄妙さんの個展会場(神戸TEN×TEN)にて「祝いの剣武」。そして最終12日(KIN192)は、姫路城書寫山圓教寺を訪れていた。その後も密度の濃い日々が続いて、気付いた時には1週間が経過していた。

「百聞は一見に如かず」という事で、大阪と神戸の様子については、天真会のFBページに公開されているアルバム(上記タイトルにリンクが貼ってある)や動画(←クリック)を観て頂くとして、ここでは姫路での出来事、特に圓教寺での体験について記しておきたいと思う。

今回姫路行きを決めたのには、いくつかの理由があった。もちろん、せっかく神戸まで行くのならという前提もあっての事だが、第一の理由は、圓教寺の大樹玄承さんにお会いしてみたい、というものであった。2008年のブログ「ラストサムライのいる寺」に書いた通り、大樹さんは、仏教者としての誠意から、北京五輪を間近に控えたタイミングでチベット問題に真正面から触れられた勇気ある僧侶である。

関西のチベットサポーターが集う場としても知られる大阪の「チャクラ」さんで、私が暦や天真体道のクラスを長年やらせて頂いている関係で、チャクラのタッちゃんやアッちゃんからも大樹さんについて聞く事があったし、最近FBでご本人と繋がった事もあって(Lはもっと前からFB友達だったが)、いつかお目にかかりたいと思っていたのだ。

一方、Lは年末(G11/27〜29)に表参道で行われる天真書法塾の発表会に向けて、大燈国師の遺偈を作品にすべく制作を進めていた。大燈国師こと宗峰妙超が播磨の生まれで、地元の大寺院である圓教寺で11才から学んでいた事を知った彼女は「今でしょ!」と、今回の姫路行きを決めたのだった。

もう1つ書いておくと、映画『ラストサムライ』のロケ地だと知った事で、「いつか剣武の奉納演武が出来ないだろうか?」という思いが浮かんで、実際にその場を観ておきたいという気持ちもあった。圓教寺のFBページをフォローし始めて間もなく、地元の方々による奉納演武の様子がUPされたのを目にしたり、8月末に訪れたチャクラで、知人が1泊2日のワークショップを圓教寺で行うという話を耳にしたりしたシンクロも無関係ではない。

そういえば、8月末のチャクラでは、私の暦のクラスとリンクする形で、キンちゃんこと金城裕子さんのライブが行われたのだが、その金ちゃんは、今回の剣武大阪ワークショップに参加してくれただけでなく、青木先生の閃きに応じて、忙しい中、神戸での(玄妙さんの個展開催に対する)祝いの場にも駆けつけて、素晴しい歌声を披露してくれたのだった(上記動画のラストにも登場している)。

しかし、考えてみれば、私達がNPOクリカとしてチベットサポート活動をし始めたのも、天真会(青木先生が代表)から大きな支援を頂いた事が一つのきっかけであった訳だし、その後も、様々な形で応援して頂いているのだから、今回のこの繋がりは、ある面「チベットサポートの輪」によって生じたものだとも言えよう。

訪問日が近くなった時点で大樹さんに確認を取ってみたら、残念ながら、その日は西国札所会の研修会で留守にされているとの事。私達も今回は日程変更できる状況では無かったので、大樹さんへのご挨拶はまたの機会に改めさせて頂く事にして、まず圓教寺に伺ってみる事にした。

12日(KIN192)は朝から見事な秋晴れで、姫路駅前の大通りから見えるお城は、まさに「白鷺」の名に相応しい輝きを放っていた。このお天気と、ホテルで入手した姫路の観光パンフに「姫路城大天守登閣整理券」が1日15,000枚までと書いてあったのを目にして(しかも何故か5000枚と見間違えて)、「これは先にお城に行った方が良いのでは?」と予定を急変更(これが全く配慮に欠けた行動であった事を後で恥じ入る事になる)。

実は、私自身は「銀河の同期」を目前に控えた2013年の4月にも、シンクロに導かれて(「式年三ツ山大祭で虹の輪を見る」参照)姫路城を訪れているのだが、その時は修復の真っ最中で、中に入る事はおろか天守閣を仰ぎ見る事も出来なかったので、今回はぜひ天守閣に、という思いがあった。加えて、Lは初姫路。蒼天に浮かぶ白鷺城を目にしたら、観光客で溢れる前に観ておこう、という気持ちに自然となる。
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幸い、殆ど並ぶことも無くじっくり観て回ることが出来たのだが、巨大な柱や梁を目にする度、「一体どうやってこんな巨木をこの高さまで持ち上げ、組むことが出来たのだろう」と木造建築の見事さに感嘆するのと同時に、「何故、この素晴しい木造建築文化を発展させる方向にもっと力を入れないのだろうか」と、短期的な経済効率ばかりを追求する現代日本の方向性に、疑問と憤りを感じたりもしていた。
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天守閣の公開と共にパンフレットも刷新されたようで、以前書かれていた「場内59種122個の刻印」や、呪術的な意味を持つという「鏡石」についての記述等は省かれていた。見方を変えれば、2013年訪問時は、天守閣が修復中だったお陰で、そうした魔術的情報に注目する事が出来たとも言えよう(※1)。門は常に開いている訳ではないのだ。

ひとしきり城を巡った後で、スマホ充電のために商店街のカフェに寄り、手早くお昼を済ませられそうな店を探す。カフェの向いにあるスポーツ店の看板に、18番のユニフォームを着た選手が見えているのに気付いた後で、評判の良いラーメン店「麺哲」を発見。その住所が呉服町18で、カフェからも至近だったので迷わず移動(もちろん鏡石も意識した)。確かになかなかの美味しさだった。

大通りに出た所で運良く書写山行きのバスが通りがかったので、飛び乗ってロープウェイ乗り場がある終点まで揺られること30分余り。ロープウェイ山上駅付近からは、姫路市内だけでなく瀬戸内海までが見渡せる。さすがに四国は霞んでいたが、前日までの数日間は市内も見えないほど真っ白だったらしいから、この眺望を体験できただけでありがたい。仁王門をくぐり、巨木に囲まれた参道を進むうち、この名刹の規模が想像以上に大きい事を実感した。

「拝観受付並びに本坊事務所へ声掛けくださいませ」という大樹さんからのメッセージと、入口で受け取ったパンフを頼りに事務所を訪ねてみると、「午前中にいらっしゃると聞いていました。案内の者が待機しておりますので、本殿(摩尼殿)の方へお寄り下さい」と言われる。確かに、大樹さんへの最初のメッセージに「12日朝に書写山に参る予定」と書いていたが、その後のやりとりの中ですっかり失念し、上記のように予定を急変更して姫路城に先に行ってしまったのである。

当方としては、実際に訪れた事が分かるよう、ご挨拶の品だけお渡し出来ればと思っていたので、大樹さんにもお寺にも特に連絡は入れずに予定を変更してしまったのだが、わざわざ案内の方を手配して下さっていたとは知らず(そういうお心遣いを察する事が出来ず)、大変申し訳ないことをしてしまった。猛省しながら摩尼殿に向うと、大きな日の丸が入口の柱に2つ、その奥にチベット国旗が掲げられているのが目に留まった。
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かなりチベットサポートに積極的な寺社でも、チベットの旗を境内に掲げている所は中々見かけないし、日本国旗だって旗日だったからこそ、こんなに目立つ場所に掲げられているのだろう。しかも圓教寺は西国三十三観音霊場の第27番。私達が「時間芸術学校クリカ」という名で活動を始めたのは、観音菩薩の化身とされるダライ・ラマ法王14世による27回目のカーラチャクラ灌頂(オーストリア・グラーツ)に参加した事がきっかけでもあったから(※2)、この数字と旗のシンクロには、何とも言えない嬉しさを感じた。
円教寺 
姫路城大天守の一般公開が始まったのも、平成27年3月27日からとの事なので、「27」は今回のミニトリップのキーナンバーだったとも言える。それはさておき、摩尼殿で待っていて下さった村岡さんには、大変お世話になった。私達の勝手な予定変更でご迷惑をおかけしてしまった張本人であるにも関わらず、境内の各所を一緒に巡りながら圓教寺の歴史や背景について、実に丁寧に教えて下さった。この場を借りて、改めて御礼申し上げる次第である。

普段は入ることの出来ない場所等にも案内していただきながら、色々と興味深いお話を聞かせて下さったのだが、ここでは、個人的に印象に残ったことをいくつかメモするに留めておきたい(既に随分長くなっているので)。まず、書寫山の「書寫(しょしゃ)」は、スサノオのスサに由来するという話で、かつて素戔嗚尊が降り立たれたという言い伝えに因んでいるとのこと。書寫山そのものが磐座で、10世紀に性空上人が入山される前から霊山として知られていたようである。

天下泰平・五穀豊穣を祈る年頭の行事「鬼追い会式(修正会)」は、不動明王の化身とされる青鬼と毘沙門天の化身とされる赤鬼が鬼踊りをするもので、千年に渡って継承されて来たという。もともとは旧暦1/18に行われていたのが、現在はG暦1/18に行われるようになったとの事だが、ここでも18が登場したのは興味深い。思えば、18も27も「9」の倍数だ。出雲に続く国道が9号で、スサノオが出雲の地で八岐大蛇を退治した時に、その尾から出て来たのが「三種の神器」のひとつ「草薙剣」であった事が、自然と思い出される。
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それにしても、流石にメディアに顔を出してチベット人の苦しみを訴えられた僧侶の居るお寺である。摩尼殿だけでなく、奥の院に当たる「開山堂」にもチベット旗が掲げられていたのには感動した。もちろん、『ラストサムライ』や『軍師官兵衛』等に使われた「三つの堂」(大講堂・食堂・常行堂)のエリアも印象深いものがあったし、樹齢900年というご神木にも心打たれるものがあったが、伝統を重んじる古刹にあってチベット旗を掲げるのは、そう簡単な事では無いとも思う。しかし、だからこそ、そこに仏教者としての心意気を感じるし、チベットの人々にこの事が伝われば、彼らを勇気づける事にもなるに違いない。
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お忙しい中、時間を割いてご案内下さった村岡さんの誕生キンはKIN140(10・太陽)。圓教寺の現住職は大樹玄承さんのお父様が第140世として継がれているというから、今回はKIN14のダライ・ラマ法王14世と、(現れを仕上げる)「10・魔法使いの年」シンクロで、村岡さんとお会いする事になったのかもしれない。

最後に余談を少し。10/10(KIN190)の朝、私はのぞみ201号13号車7Cという席で新大阪に向かっていた。先に大阪入りされていた先生方とはホテルのロビーで落ち合う事になっていて、他の剣武本部師範がどの交通手段で大阪に向かうのかについては、互いに全く知らないままであった。だが、私と同じ車両の同じ列の3つ後ろに、S師範が座っているのを途中で発見し、ロビーに数十秒遅れで到着したM師範も、実は同じのぞみ201号に乗っていた事が後で判明した。それで、このブログも何とかKIN201のうちにUPしたいと思ったのである。こうして「時の輪(カーラチャクラ)」は巡るのだと感じながら。


(※1)姫路城はドリームスペル(13の月の暦)との繋がりも深い。姫路城が世界遺産に登録された1993年は『テレクトノン』の預言の7年の始まりにシンクロしており、私達が訪問した「電気の月23日」は『テレクトノン』での「銀河の同期」に対応していた。

(※2)グラーツのカーラチャクラは2002年10月21日(KIN136)、つまり本ブログをUPした日付のぴったり13年前に灌頂が完了した。そして翌KIN137に法王の長寿の灌頂が終わった時、空には虹が架かったのだった。

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