和田萬の胡麻、祇園の福豆

2015年02月25日 20:05

■銀河の月18日(G2/24)KIN222 白い磁気の風(by D)

磁気の月18日生まれの私にとって、今日は「毎月の誕生日」に当たる。28日に一度巡ってくるこの日も、他の誕生日同様、何か特別な事が起こると決まっている訳ではない。だが、毎月意識し続けていると、他の日とはちょっと違った感覚が芽生えて来て、それが自分の内的世界にリズムを生み出してくれるのが分かって来る。リズムは生命力と深く関係しているから、この誕生日を祝う(意識する)という単純な遊びは、意外と重要である。

加えて、18日に18番目のウェイブスペルの始まりが重なって来たりすると、それだけで「何か面白そうだぞ」という気配が生じて来る。年中、何番目のウェイブスペルか?なんて事を意識している訳ではないが、ドリームスペルの「旅程盤」のイメージがあると、自分が今、どのウェイブスペルをサーフィンしているのかが自然に分かってしまうのだ。毎日使うものだけに、暦というツールの影響力は良くも悪くも強力だ。

もっとも、グレゴリオ暦(G暦)ワールドとの関係を遮断するつもりも無い私は、それも巻き込みながら日々を遊ぶ。そこで今日は、2のゾロ目の方に注目して、22日前のG2/2(=KIN200)のことをメモしておこうと思う。「時を知る」参加者の皆様のお陰で、大阪チャクラにて2日間充実した出張クラスをやらせて頂いた後、私は恒例の1日シンクロ・ミニトリップを楽しんだ。

カーラチャクラとチベット暦」に記した通り、1114号という宿泊先の部屋番号は、結婚した年と記念日の両方に深く関係する「11・魔法使い」に変換できるものだったのだが、興味深いことに、実は今回の大阪に繋がる大変面白いシンクロが、結婚記念キンでもあるKIN171(G1/4)にあった。その暫く前から食卓で使われるようになった炒りゴマがとても美味しく、その日ついに、どこで製造されているのかを調べ、「和田萬」という大阪の会社が作っていることが判明した。

驚いたのはその住所で、「北区菅原町9-5」はチャクラと町まで一緒。ネットで調べると100m位しか離れていなかった!平成27年にちなんで27回目のカーラチャクラから始まった縁について話をしようと思っていたら、そのぴったり27日前にこんな驚きのシンクロが起きてしまったのだ。出張クラス初日(KIN198)、チャクラに向かう前に訪ねてみると、蔵を改造した直売店は閉まっていて、残念ながら土日はお休みである事が分かった。
写真 1 
そこで、KIN200(G2/2)は、スタートを少し遅くして、和田萬でゴマを手に入れてから散策に向かうことにした。住所の9-5は「9・蛇」(KIN165)とも置き換えられるが、何と、この日のサイ時間単位は、まさにそのKIN165!土日に開いていなかったことも天の采配かと思えてしまう。お店の方に訪問した経緯を伝えながら商品を選ばせてもらっていたら、その場で出されたゴマ茶もまた美味しくて、思わず購入してしまった。

その後、私は西宮の廣田神社へと向かった。初日の「シンクロ・ラボ」に参加されたメンバーが(当日体調を崩して来られなかった方も含め)皆、西宮に関係していたことと、廣田神社の住所が大社町7-7で、「共振の月」や「失われた7つの世代の第7(=KIN200)」とシンクロしていたので、「今回はここだな...」とほぼ心は決まっていた。

大阪前日のKIN197に渋谷で見た映画『イザイホー』でも、7つのウタキ、7つの橋、7巡など、7が連発で押し寄せていたし、廣田神社公式サイトの沿革に「白河天皇の時代(11世紀末)には、全国神社に冠たる勅祭22社の一社にも県内で唯一社選ばれ」という一文を発見した事も、その決意を後押しした。

何しろ2日前の共振の月22日(=7/22)に行った「シンクロ・ラボ」で、カーラチャクラ・マンダラには、722の諸尊が描かれている事を思い出したばかりだったし、そもそも『13の月の暦』は、KIN11のホゼとKIN22のロイディーンが提唱したものだ。阪急西宮北口駅から廣田神社までのバス代も220円。上部が注連縄という独特の鳥居をくぐって、天照大神の荒御霊を祀る本殿に参拝すると、その瞬間だけ太陽がチラリと姿を見せてくれた。
写真 1 
その後引いたおみくじは11番大吉。大吉と言っても色々あって、内容的にはイマイチだったり、少なくとも戒めじみた事が書いてあったりするものだが、今回のものは清々しいほどに思いきり「大吉」で、全くもって良いことしか書かれていなかった。用紙も廣田神社独自の大きなもので、晴れ晴れとした気持ちにさせてくれるものであった。

しばらく神社の周囲を散策してから駅に向かうバスを待っていると、西宮北口に向かう系統は2つある事が分かった。先に来たのは往路とは違う22系統のバス。途中、往路では通らなかった国道171号を経由したが、KIN171は和田萬の住所シンクロに気付いた日付でもある。それで急に気になって、下車した時にナンバーを確認してみると「神戸200 26-07」であった。流石、KIN200に、現在の運命の道筋がKIN26の私(署名は7・竜)を、大社町7-7から運んでくれたバスだけのことはある。
写真 2 
この時点で「今日の任務は完了」という感じだったので、そのまま東京に帰っても良かったのだが、新幹線のチケットは京都からにしてあるので、西宮北口駅近くでランチをしながら次の行き先をイメージしてみた。が、なかなかピンと来るものがなく、阪急電車で京都に向かって移動中にやってみたのは、おみくじの番号を活用して「京都 11番」とググることだった。

最初に出てきたのは西国33カ所の11番、醍醐寺だった。9日後に「超意識」というライブでご一緒する予定の近藤等則さんが、青木先生や剣武の若手メンバーと共に、東日本大震災で被災した児童のためのイベント(確か明治大学で死生学を教えておられる金山先生がオーガナイズされていたかと思う)を開催したお寺で、国宝も沢山あるし、何より番号の流れが良いので「ここだな」と思ったのだが、冬場の閉館時間は思いのほか早く、ぎりぎり到着は出来ても中をゆっくり見る事は不可能であると判断。せっかく国宝が沢山ある所なら、機会を改めて慌てず巡りたい。

次に京都十三仏霊場の11番を調べてみると法観寺、通称「八坂の塔」というのが出て来た(※)。タイミングで開いていない事もあるようだが、運よく開いていたら塔の2階まで行けて京都市内が一望できるとあったし、その場所なら時間的にも十分間に合う。それに、その界隈は京都らしい風情のあるところなので、塔に登れるかどうかに関わらず、散策するには良いところだ。十三駅で京都方面の電車に乗り換える頃には、私はそこに行く事を決めていた。
写真 3 
余談だが、その時点で『イザイホー』が上映されていたのは、日本全国で渋谷のアップリンクと十三のシアターセブンの2カ所だけ。短い上映期間中に、そうと知らずにどちらも訪れてしまう(片方は至近距離までだが)事になるのだから恐ろしい。「7」で共振しまくっているのだろうか。ちなみに、2/28(KIN226)からは沖縄・桜坂劇場で公開されるようだが、昨年の6月、15、6年ぶりに沖縄本島を訪れた時に、実はその劇場にも立ち寄っていたりする。

さて、河原町駅から八坂の塔方面に向かうと、途中で小雨がパラパラと降って来た。その後も降ったり止んだりだったが、雪になってもおかしくない位の気温なのにも関わらず、それに見合わない着物姿の人が妙に目立つ。しかもなんだか着崩れているような…と思ったら聞こえた来たのは日本語ではなかった。観光客用の貸衣装屋を見つけたのは、それから程なくしてのことだった。

残念ながら法観寺は閉まっていて塔には登れなかったが、おかげで面白い場面に出くわす事が出来た。塔の界隈を散歩していて、ふと目に入ったポスターに、八坂神社の節分豆まきの事が書かれていたのだ。見れば、節分の2/3だけでなく、2/2にも3回くらい豆まきが行われるらしい。2/2の最終回は4時〜となっていたが、時計を見ると3:45。八坂神社なら歩いて10分位の距離なので、これはラッキーと行ってみる事にした。

現地に到着し、まずは須佐之男命が祀られている本殿に向かって参拝。廣田神社は天照大神だから、期せずして姉弟神を同日参拝することになった訳だ。しかも、後日調べてみたら、八坂神社もまた勅祭22社のうちの1社に列せられており、当時は廣田神社と同じ扱いであったことが分かった。そういう背景を一切知らず、シンクロに導かれるまま巡っているだけで、ちゃんと繋がって来るのは、シンクロに「お告げ」としての働きがあるからだろう(読み方次第ではあるが)。

ちょうど私が参拝した時、本殿の中でお祓いされていた人々が、これから豆をまく祇園河原町商店街の店主達だった。いかにも京旦那らしい爺さん(多分偉い人)のクサい挨拶が入った後、一人一人の紹介があった。私が知っていたのは漬け物の「西利」くらいだったが、男衆に混じっていた数少ない女性の一人は、ミシュラン3星「千花」の女将という事だったので、せっかくならこの人からもらってみようかと、大体の位置を決めた。
写真 4 
といっても、それほど真剣では無かったので、最初のうちはのんびり後方から写真撮影なんかしていた。だが、「投げるのは全部で13回です」というアナウンスがあったところで、なにーッ!とスイッチが入った。とりあえず一袋はゲットしようと前の方に行って、6回目の時に女将の隣にいた女性が投げた袋を空中でキャッチ。

あとは皆さんどうぞ〜、としばらく流していたが、時間帯もあってか、私の周囲はそれほど人も多く無く、2個3個と集めているような人ばかりだったので、「じゃあ、あと一袋くらい頂いて行くか」と終盤気合いを入れ直した。そして最後の13回目に「千花」の女将が投げた袋をゲット。思いがけず手に入った節分の豆と、そこに至るまでの一連の流れに満足感を味わいつつ、八坂神社を後にした。

境内から出る時、証拠に豆まきの事が書かれた看板を撮影しようすると、電池はまだ少し残っていたはずなのに、寒過ぎたのかiPhoneが固まって真っ暗になってしまった。充電するために入ろうとしたスタバ(結局入らず別な店に入ったが)のお陰で、翌日別なシンクロが、これまた壮大なスケールで展開して行ったのだが、話があまりに拡散してしまうので、大阪天満宮(菅原町)近くの胡麻で始まり、八坂神社(祇園)の福豆で終わったこの日の話で、まずはひと区切りしておこう。
写真 2 
豆を受け取った6回目と13回目は、6・空歩く者(KIN253)とも13・橋渡し(KIN26)とも読めるが、どちらもドリームスペルでは火星軌道に対応するのが(須佐之男命の働きも考えると)興味深い。6×13=78は、パカルの特別な数字であり、チャクラで2日目に行った天真体道瞑想クラスに参加されたYさんの誕生キンでもある。Yさんは、通信(&スカイプ)で学んでいるシャンバラ教室生だが、イザイホーにも強烈にシンクロしていて、久高島を訪れた経験もあるとのことだった。

今回のミニトリップに限らず、何重にも織り込まれたシャーマニックな働きが、今、様々な次元で解き放たれつつあるのを感じる。ここに例示した一日ほど濃密ではないにせよ、私達は日々の暮らしの中でも、そうしたことを自然と行っているに違いない。おそらく、それを自覚しながらも、その事にとらわれない時(何か特殊な神事だとか思わない時)、私達は真のドリームスペラーとして「銀河的な役割」を果たせるのではないだろうか。


(※)大変驚いたことに、私がG2/2に調べた時は確かに「法観寺」だったのが、今再確認したら「随心院」に変わっていた。しかも随心院は山科の醍醐寺にかなり近い。以前、天智天皇陵に行こうとした時にも似たような事が起こって(ネットでその前日までは調べられていたのに当日だけ画面が出なかった)、行くのをやめた経緯があるが、考えてみたら天智天皇陵も山科だ。あのエリアには個人的な何かがあるのかもしれない。いくつかサイトを確認したら、まだ「法観寺」となっているところもあるので、やはり見間違いではなく、ごく最近変更が加えられた可能性が高い。

おきなわ祈りの旅「レクイエム」

2014年07月23日 23:55

■宇宙の月27日(G7/23)KIN6 白い律動の世界の橋渡し(by D)

座間味から本島に戻った日の夜は、自然食のお店として香奈さんからも聞いていた「浮島ガーデン」へ。沖縄に来る直前、東京都美術館での公募展に出品した『麻』という作品には、おいしいもの師匠Mさんから頂いた「麻炭」を一部使用していたのだが、何とこのお店にも同じ麻炭が置かれていて、メニューの中には麻炭パスタもあった。縁を感じて色々頂いてみたが、どの料理も美味しく、満たされた気持ちで店を後にした。
麻  ★麻炭を使った「麻」

翌朝(KIN244)は、ホテルから徒歩圏にある「オハコルテ」でモーニング。先に沖縄入りしていた私がネットで発見し、26日(KIN239)に訪れてみたところ、美的にも味的にも素晴しかったのでLに伝えておいたのだが、結局、到着してから殆ど毎日通っていたようだから、相当気に入ったということだろう。

しかし、オープンしたのが今年のアースデー(G4/22=KIN174)だったとは知らなかった。ということは、この日からぴったり70日前に生まれたばかりだった訳だ。しかも店の名前の由来は「十八番(おはこ)」にあるという。「オハコルテでは、毎月18日をオハコの日と決めています」という文言まであって(G暦での話だが)、『13の月の暦』での毎月の誕生日が18日で、干支が酉(トリ)でもある私は、鳥がトレードマークのこの店をさらに身近に感じてしまった。
オハコルテ  ★オハコルテの朝
それに今年のアースデーは、私が倫理研究所の富士研修センターで、アグエイアス夫妻、高橋夫妻、KOZOさんらと共にアースデー瞑想(その日は高橋徹さんの誕生KINであるKIN104だった)をしてからぴったり18年のタイミングでもあったのだ!お店の誕生自体が、私にとっては既に「おはこ」だった訳だ。さすがに”引力”が働く店は、背景からして違う。

その後、国道330号をタクシーで移動して、やちむん通りを巡ったが、最終的に記念の品を手に入れたのは〈壺屋1-22-33〉という住所にあった「育陶園」。もちろん、住所で店を選んだ訳ではなく、作品が素晴しかったからなのだが、結果的にドリームスペルの提唱者(KIN11ホゼ&KIN22 ロイディーンの合計KIN33)とシンクロしてしまったのは、今回の旅の目的の1つが、沖縄に『ドリームスペル』を着地させることにあったのと無関係ではないと思う。

やちむんどおり ★素敵な、やちむん通りにて。

さて、最終日だったこの日は、朝のうちにチェックアウトして、フロントで荷物だけ預かってもらうことにしたのだが、この時もらった番号札が32。その後、やちむん通りで最初に入ったお店も32、そのまま通りを行くと、今度は32と大きくプリントされたTシャツの人に出会った。締めは那覇空港の出発ゲートで、これまた32番だった!

32 ★32!!!

ひとつ前の沖縄旅行記にも書いた通り、「32」はハワイ生まれの「奇跡の亀」の数でもある。実はその最後の1匹(1万ツイートプレゼント用とは別にとっておいたもの)を、今回「おきなわシンクロニック・アートラボ」を主催して下さった香奈さんにお渡ししようと持ち歩いていたので、この32シンクロは、もしかしたら、そのことと関係していたのかもしれない。

以下は、「ジョジョの奇妙な冒険・第5部 黄金の風」を知らないとちょっと話が通じないと思うが、沖縄の主催メンバーは、基本ジョジョファンだったので、彼らと私用のメモとして書かせてもらうとしよう。アートラボの初日がKIN242(11×22)で、会場のてぃるるエントランスに黄金の扇風機があったことから、沖縄主催メンバーを「黄金の風チーム」と見ていた私達は、32匹目の亀を彼らに手渡す前から「ポルナレフ亀」という名で呼んでいた。

もちろん、これは第5部の終盤に出てくるポルナレフの魂が入った亀のスタンドに由来する名だ。実際にその亀を香奈さんに手渡したのは、最後のクラスの時。その場に居合わせたのは、黄金の風チームのメンバーだけだった。実は2日前、静子さんと驚きの出会いを果たした時、記念に撮った写真をFBにUPしたら、沖縄でかなり古くから暦の活動をされていたNさんから「静子さんは同じアパートのお隣さん」という、これまた驚くべきコメントが寄せられた。

そこでこの日のクラスにお誘いし、参加されることになっていたのだが、当日になって急に体調を崩されたらしく、結果、チームメンバーだけのクラスとなったのだった。だが、最後に綾野さんの車で空港まで送ってもらう途中に、そういう展開になった秘密(かもしれない要素)を私は知った。何と、綾乃さんの車の名前が「ポルナレフ」だったのだ!綾野さんは身近なモノに名前を付けて愛でる習慣のある方で、車種名の一部を使う形でその名を付けていたから、私達が亀に名前を付けたのとは関係なく、前からそう呼んでいたのだ。

ジョジョ第5部の終盤、ポルナレフは自らのスタンドに矢を射るという荒技で、進化形のスタンド「レクイエム」を発動させ、その力で自らの魂を亀スタンドの魂と入れ替えることに成功する。結果、ポルナレフの魂が入った「ポルナレフ亀」が誕生する訳だが、マンガとはいえ、この「レクイエム」が、(ポルナレフ亀を通じて)沖縄の旅のラストに関わってくるのは、やはり偶然ではないのだろう。

「彼らに安息を」という意味のラテン語で、本来は「死者の安息を神に願うカトリック教会のミサ」を指す「レクイエム」が、日本では原義には無い「鎮魂歌」とか「鎮魂曲」と訳されることが多いのは、死者や神に対する概念が、西洋社会とは根本的に異なるからであろう。しかし、どちらの意味であれ、今回の沖縄の旅には、「レクイエムの働き」があったように私には思えるのだ。

最も有名なレクイエムの1つであるモーツァルトのレクイエム(死者のためのミサ曲)に「K. 626」というナンバーが付されていることを、今日というタイミングで知ったのも、その証のように私には思えてしまう。何故なら、KIN6もKIN26も「死/等しくする/機会」をキーワードに持つ「白い世界の橋渡し」で、今日(KIN6)から20日後のKIN26は、私の誕生日でもあるからだ(そして初日にお会いした外間先生の今の道筋だ)。

那覇空港のゲート32から飛び立ったANA136便の中でも、私は『ハバナ奇譚』を読み続けていた。このマジカルな本に通底しているテーマも、ある意味「レクイエム」と言えるだろう。羽田に着陸した時にちょうど読み終えた第5部のラストP414には、こんなことが書いてあった。《ハバナは、失われた古代大陸のような町なのだ。アバロン、レムリア、シャンバラみたいな…》。

KIN136は、私達がオーストリアのグラーツで、シャンバラに由来するカーラチャクラの灌頂を最初に受けた時のKINだ(灌頂が完了した満月の日付がKIN136だった)。414=G4/14とすると、今年の場合は『マヤのリズム』発刊4銀河スピンのKIN166に当たり、41×4とすると「黄色い銀河の種の年」のKIN164になる。5つの城から成る『ドリームスペル』の旅程盤を知っていると、これが第5部の終わりに書いてあることや、その頁数にも深い意味が感じられて来る。

沖縄から戻って2日後のG7/3(KIN246=12・世界の橋渡し)に、インドのラダックでスタートしたカーラチャクラは、ダライラマ法王14世(KIN14)による33回目のカーラチャクラだった。私達が受けたグラーツは27回目だったから、ここにも33ー27=6=「世界の橋渡し」が登場する。また、最終日に気付いた「32」と「18」の差「14」が、ダライラマ法王そのものを示す数であることにも注目しておきたい。

『13の月の暦』の年末に入って行事が重なり、沖縄編を完結できないまま10日以上が経過してしまったが、何とか年を越える前にメモだけでも済ませられてホッとしている。だが、シンクロは、今、ここでも、当たり前のように続いていて、楽しみのために共有されることを待ち構えている。それが本来の自然な状態なのだ。

おきなわ祈りの旅「7匹のウミガメ」

2014年07月15日 00:29

宇宙の月18日(G7/14)KIN257 赤い惑星の地球(by D)

G6/30(KIN243)の朝、出掛けにPCをチェックすると、前夜びっくりするようなシンクロでお会い出来たアウェハント静子さんがFBリクエストを承認して下さっていて、私の友達はちょうど330人になった。滞在しているホテルのすぐ裏手は国道330号。沖縄に来るまで330号が那覇市内を走っていることすら知らなかったのだから、このシンクロもまた興味深い。

この日は、イベント無しの完全オフ。この季節の沖縄に来て海で泳がない手はないということで、予め日程を空けておいたのだった。友人の増田さんご夫妻の紹介で通うようになった横浜元町のヘアサロン「アンブロシア」のオーナー・野田さんご夫妻は、かなりの沖縄ツウと聞いていたので、沖縄行きを決めた時、Lがアドバイスを求めたのだった。

結果、ご本人達も毎年行かれるという座間味に決定。野田さんが、懇意にされているマリンショップIRIEの鈴木さんのことも紹介して下さった。高速船「クイーンざまみ」を使えば那覇から50分、ターミナルのある泊港に向かう。出発前に軽く腹ごしらえと、マーミヤカマボコを購入すると、おばさんがオマケで結構追加してくれる。このさじ加減が沖縄の魅力のひとつなのかもしれない。

船が動き出してしばらくすると空が暗くなって来て、ウトウトし始めた頃には豪雨になっていたが、島に到着するまでそれは続いていた。屋根のある桟橋に下船する時の僅かな隙間でも濡れてしまいそうな降りだったので、Lは折り畳み傘を開きながら出口に向かっていたが、幸い降りる瞬間には雨は止んでいた。しかし、鈴木さんを見つけて車に乗り込むと再び豪雨に。

「お天気がちょっとねー…、先に島巡りでもしましょうか」と申し訳なさそうに言う鈴木さん。私達に喜んでもらいたいという気持ちや、野田さんから「頼むよ」と言われている関係もあるのだろうが、あまりに天気を気にし続けているので「鈴木さんが心配するから降るのよ、この人(→D)は晴れ男だから大丈夫!」とLが一喝。それが効いたのか、マリンショップで手続きしたりしているうちに、船も出せそうな雰囲気になって来た。

アシスタントは神奈川の座間から来てまだ2週間というAさん。座間から座間味というのも洒落が利いている。鈴木さんの誕生日をお聞きすると、ちょうど同じタイミングに沖縄を訪問された美智子皇后と同じKIN15(2・鷲)。狙ったようにボートも15人乗り(※1)。最初のポイントは、風も穏やかな静かな入り江。周囲に人工物や川が無いからか、豪雨の直後でも透明度は高い。座間味島は、2日前の「世界ふしぎ発見」で取り上げられていた慶良間諸島のひとつでもあるから、まさに今、ケラマブルーを目にしている訳だ。
亀の海 
シュノーケリングを始める頃にはすっかり晴れて、自然が生む驚くべき色彩の魚達を堪能。虹の輪に囲まれた太陽の下、船底から海中がよく見えるグラスカヤックを楽しんでから、ウミガメ出没率の高いポイントに移動。必ずいるとは言い切れないが、大抵1、2匹には会えるらしいので期待が膨らむ。海に入って間もなく、底の方から亀が浮かんで来るのが見えたので、気持ちを合わせて近付くと、私の胸の真下に入る形になったので挨拶のつもりで甲羅に軽くタッチした。
座間味日輪 
後で鈴木さんから「驚いて人に近付かなくなるから触らないで下さい」と諭されたが、特に驚いた様子もなかったし、予め本人(亀)に断りも入れた上でのこと。もちろん、海で仕事をする人々のルールというのがあるのだろうから、それは尊重したいと思うが、亀でも魚でも雨雲でも、謙虚さと畏敬の念を失わずにコミュニケーションすれば、その行為がマズイことかどうかは、自然がダイレクトに教えてくれるものだ。

その海域には、亀が好む海藻が生えているようで、都合7匹もの海亀を間近で見ることが出来た。殆どの亀は海底にある海藻を無心に食べていて、大抵その周囲には魚達が群れていた。きっと食べこぼしにあずかっているのだろう。しかし、何より印象に残ったのは、亀が海底から海面に息を吸いに行き、また海底に潜って行く場面を見られたことだった。私はその時、ある仏教のたとえ話を思い出していた。

「大海の底に一匹の盲亀がいて、百年に一度、海面に浮かび上がってくる。その時、大海原に浮かぶ流木に空いた小さい穴から偶然その亀が顔を出す。そんなありえない出来事よりもありえない貴重な機会が、人間に生まれるということなのだ」…とまあ、ざっとこんなお話なのだが、もうちょっと正確に知りたい方は、『雑阿含経』の「盲亀浮木(もうきふぼく)の喩え」で調べてみると良いだろう。

ところで、亀は『13の月の暦』において、13番目の「宇宙の月」のトーテムアニマルである。海亀でも緑亀でも、亀の甲羅は13の区画に分割されているのを知れば、なるほどという気持ちになるが、その「宇宙の月」の最中に7匹もの海亀に会えたのは、何とも嬉しいことだった。しかも、13×7=91は、1年の四半期であるというだけでなく、今回の「おきなわシンクロニック・アートラボ」を主催してくれた、香奈さんのKIN91ともシンクロする。
もずくそば 
体力的にもちょうどいい塩梅で陸に上がり、少し遅めのランチに噂の「もずくそば」を頂く。野田さんが「絶対に食べさせるように」と言伝していたこともあって、鈴木さんは(麺が切れ次第終了となるので)海に入る前にも店に立ち寄って下さったのだが、普段なら11時には始まるランチが、あいにく前日までの大きなイベントで麺を切らしていて、お昼過ぎの船が来ないと出せないとのこと。

しかも、人気商品なので「2時過ぎには売り切れてしまっているかもしれない」とも言われていた。それだけに、まだ食べられると分かった時は嬉しかったし、鈴木さんも心底ホッとした様子だった。味は確かに絶品で、あっという間に完食。やはり、センスのある方のアドバイスは聞いておくものだ。その後、夕方の船の時間までは、車で少し海岸沿いを登った「神の浜」の東屋で、海風を浴びながらのんびりと過ごした。
水平線 
聞けば、この島も戦時中はあちこちで集団自決があった所で、見えない世界とは殆ど無縁という鈴木さんも、この島に来てからは、それなりに体験があったようだ。そのお話を聞きながら、私は、祈ったり奉納演武をしたりすることだけが慰霊になるのではなく、土地の歴史や背景について、何らかの形で知り、そこに想いを巡らすこともまた、ひとつの慰霊行為になり得るのではないかと、改めて思ったのだった。

きっかけは色々あったが、「サムライと書道展」でイタリアのトリノに行った時、現地に行くまで知らなかった航空機事故(※2)と、時空を超えて繋がる体験をしたことが大きかったように思う(その時も91がキーナンバーだった)。また、そのことは「時空の周期性」に関して、「13」が新しい視点をもたらしてくれる可能性を示してもいた。それを証明するかのように、東屋の近くに建てられた「慶良間諸島国立公園」の碑には、大変興味深い日付が以下のように刻まれていた。

<指定:平成26年3月5日> すかさずKIN3Dで調べてみるとKIN126「9・橋渡し」と判明。『マヤのリズム』を発刊した時の私の運命の道筋で、この本を編集して下さった天野照久さんの誕生KINだ。その碑を見ている今日KIN243は「9・夜」だから、国立公園に指定されてから13の倍数の日数が経過しているはずだ(同じ「銀河の音」になるのはそういうことを意味する)。243–126=117=13×9。マヤの世界観における「天界の数」と「冥界の数」がここにも出て来た。

それを目にしたのが「神の浜」展望台で、そこから見えている海で、7匹の亀に出会ったのも美しい。何故なら、マヤの世界観で「7」は、天界と冥界の間にある「現世の数」だからだ。つまり、この日、私達は13、9、7というスペシャルナンバーを、「13番目の月」を守るトーテムアニマルの「亀」と、慶良間諸島を訪れた「時」から知らされた訳だ。

他の方にとってはさておき、少なくとも私にとっては、現地でそういう繋がりに気付くことの中に、途切れていた時空の回路を繋ぐという意味での「慰霊」があり、断片化されていた自分の内部に繋がりを見出すという意味での「清め」があると、強く感じるのである。たとえ、それが「慰霊」や「清め」を意識していないレジャーを通じて体験することであっても、プリセッション的に、私達はそういうことをしているのではないだろうか。


(※1)このブログにとりかかり始めた7/12は、ちょうど鈴木さんの32才の誕生日で、32匹の失われた木彫りの海亀(奇跡の亀)との繋がりを思い出していた。同時に、この日は、NPOクリカで10名余りの子供達を支援しているマナサロワール・アカデミーの創立15周年のタイミングで、さらには、ダライ・ラマ法王による33回目のカーラチャクラ灌頂が完了したタイミングでもあった。「奇跡の亀」の消印は2009年7月17日で今年の鈴木さんの誕生日とシンクロするKIN255だった。つまり、消印から260日暦がぴったり7回巡った日が、今年の7/12満月だったということだ。

(※2)スペルガの悲劇として知られる事故で31名が亡くなっているのだが、慶良間諸島が日本で31番目の国立公園で、全くの新規は1987年の釧路湿原以来というのは、この記事を書いた後に知った。


おきなわ祈りの旅「銀河人」

2014年07月08日 01:57

■宇宙の月11日(G7/7)KIN250 白い電気の犬(by D)

天真会のセミナーは、G6/29(KIN242)午前にホテルのロビーで閉会式が行われて終了。迎えに来てくれた豊樹くん(KIN63)の車で、シンクロニック・アートラボの会場「てぃるる」に向かう。駐車場が混み合っていて2ヶ所しか空いていなかったが、その番号は狙ったように62、63。自然と63に停める事に。前日63銀河スピンを迎えたばかりだった私は、125代今上天皇が沖縄に到着された6/26が、ちょうど誕生555朔望月のタイミングでもあった(生まれたのが新月直前だったので、同じ月相になるのが6/26で555回目だったという事)。

後から5×5×5=62+63=125と気付いて、この同期ぶりに驚いたが、10年前にホゼ(11・猿)と『ドリームスペル』を奉納し、そのひと月ほど後に私達が本籍地を移した伊勢の神宮が、総社数125社から成ること、『ドリームスペル』の副題が「時間船地球2013の旅」で、2013年の第62回目の式年遷宮とシンクロしていたことを思うと、駐車場の空きひとつにもさらに深いものが感じられる。

加えて、2014年1月1日は、新月のKIN63(11・夜)だったから、G暦の今年1年(平成26年)は、ある意味「青いスペクトルの夜の年」だとも言える。今、気付いたが、セミナー初日にお話を伺ったカミンチュの外間先生(KIN206=11・橋渡し)は、現在KIN26の道筋を歩んでおられ、私も間もなくKIN26の道筋に入る。つまり先生とは平成26年の間に104日間KIN26で同期する訳だ。何度も握手して下さったのはそういう訳かと一人勝手に納得。ちなみに555朔望月を教えて下さった高橋徹さんはKIN104(52×2)だ。
扇風機 
ロビーにあった黄金の扇風機は、3つの羽の小型扇風機が3つ合体しているようなつくりで、水平軸と垂直軸が共に回転する大変面白い構造。ジョジョがご縁で「風の日」に行うことになった集いだけに、第5部「黄金の風」が思い起こされる。会場は2F第2会議室で、KIN242(白い銀河の風)は、242=11×22だから、ホゼ(KIN11)とロイディーン(KIN22)が銀河から受け取った『ドリームスペル』を学ぶのに、これ以上ないスペシャルな時と場所である。

天のいたずらか、隣の部屋では何と「マヤ暦講座」が行われていた。ボードを見ただけなので、内容までは分からないが、おそらくその名称で行われる講座の多くがそうであるように、『ドリームスペル13の月の暦)』情報をパクった「マヤ暦モドキ講座」だと思われる。学んでいる方はもちろん、場合によっては教えている人も、自分達の使っている用語や概念の殆どが、実は『ドリームスペル』に由来するものだということを知らない可能性が高い。

何故、「マヤ暦モドキ」なのかは『マヤのリズム』に整理してあるので、マヤ暦、13の月の暦コズミック・ダイアリー地球暦コルマン・インデックス等々の関係性を明確にしたい方、隠蔽や改変のない情報を得たい方は、そちらを参照して頂ければと思う。本当の情報が間近にあっても、縁のない方には届かないし、別に隠蔽などされていなくても、見る目の無い人には何も見えないのだ。
ラボ 
銀河の羅針盤をプレイする時の例題に立候補して下さったEさんは宮古島からの参加。銀河の書名は「青い銀河の夜」(KIN203)で、レジェンド・サーファー、ジェリー・ロペスと同じだった。クラス終了後、Lが泊まっていたホテルに戻って、2名用の部屋に移動するも、若干トラブルがあってフロントに対応を求めると、結果的にハイグレードな部屋に変更となった。流石イリュージョンの使い手(青い猿)のLである。しかも、1205から1310への移動という、暦的にも大変面白いシフト。

何故なら、1205を「12・蛇」(KIN25)、1310を「13・犬」(KIN130)と置き換えると、ちょうど365日後の同日という関係になる数だからだ。ちなみに、直近のKIN25は2013年11月24日で、烏丸御池駅構内のカフェに入り、京都精華大学でダライ・ラマ法王(KIN14)とよしもとばななさん(KIN217)の対談を聞いた日だが(お二人のKIN合計はLに同期する231)、実はこのブログを書いている今日も、私は烏丸御池近くのカフェに入っていたのだった。

話を沖縄に戻すと、そのホテルはフランス語で「水星」を意味する名前だったのだが、「白い犬」はドリームスペルでは水星軌道に対応するから、この部屋の変更は、何か正しい位置に置き直された感じがした。スーツケースを部屋に入れ、必要なメールの確認などを済ませたところで、再び豊樹くんが迎えに来てくれた。晩ご飯の時間までは少しあったので、お茶する場所を香奈さんらと相談して決めてくれていたのだった。

しかし、ネットに公開されている住所にスマホナビで行ってみても待ち合わせのカフェは見当たらない。Lが店に電話してみると、公開されている住所とほぼ同じだったが、全ての数字の間にハイフンが入ることが判明。しかし、その時既に店に入っていた香奈さんらによると、実は電話を受けたのは新人でよく分かっていない人だった模様。結果、教えられた住所にも住宅地しかなく、私達はカフェに辿り着けないまま彷徨う逆ホテルカリフォルニア状態に陥ってしまった。

そうこうしているうちに、晩ご飯の時間になってしまったので、カフェはパスして、直接「大根の花」という店に集合という話になった。しかし、ここも駐車場は満車で、やっと空いたと思うと他の車に先を越されたりするのを繰り返して、駐車場内でも何周も巡ることになった。その間、同乗していた亜紀さんが予約をしに行ってくれて、待ち時間はおよそ20分くらいと判明。カフェに行ってた香奈さんたちが到着するまで、私達は店の中で並んで待つ事にした。

私は疲れが出たのか座った途端に殆ど寝落ちしてしまったのだが、程なくして、Lが「ねえ、あの方アウェハントさんじゃない?」と少し興奮した様子で起してくれた。まぎれもなくお顔はそうだが…と思っていると、受付の人に向かって「アウェハントです」と声に出している。そこで、「こんにちは、東京でお会いした小原です」と声をかけてみると、大して驚く様子もなく「あら、こんにちは。お友達と来ているのだけど、せっかくならご一緒しましょう」なんて言って下さる。しかし、私達は総勢6名、アウェハント静子さんとその友人も入れたら8名になる。そんな人数で一緒に座れるような場所は見あたらない。

それにしても、この出会いは驚きだった。Lは静子さんに直接お会いした事はなく、写真で見たことがあるだけだったし、私は日中、『霊性のアート』に関するクラスも行っていたのだが、この本が出た頃に東京でお会いした静子さんには、出版時に献本をしていたからだ。沖縄行きが決まった時にご連絡しようかな?と思ったりもしたのだが、予定が詰まり過ぎてスケジュールの調整が難しくなりそうなので、今回は遠慮させてもらっていたのだ。でも、結局、こうして会えてしまうのだから面白い。もし、カフェ探しで彷徨っていなければ、少しタイミングがズレて、少なくとも食事をご一緒するという事にはならなかっただろう。

それから10分位して、香奈ちゃん達が到着したころ、ちょうどお客さん達がドッと出て行って、8名一緒に座れる席も確保出来てしまった。何と美しい流れだろうか。俊克くんはこの席には参加していなかったのだが、クラスの中で幽体離脱について質問していた。一方、静子さんは、まるでその話を聞いていたかのように、ところてんの話から突然、ご自身の幽体離脱体験を語って下さったりしたのだ。また、静子さんだけでなく、そのお友達のIさんも、天真館道場でお会いしている明治大学の金山先生と親しくされていることが判明。話はどんどん広がる。

ガイアシンフォニー第4番に登場する名嘉睦稔さんの事も話題に出たので、今日、クラスで例題になった方が第4番に出ていたジェリー・ロペスと同じ誕生KINだったと話した後で、静子さんの誕生KINをお調べしたら、何とこれまたジェリー・ロペスと同じKIN203「青い銀河の夜」だった!シンクロニック・アートラボは、日中のクラスの中だけでなく、まさに「今、ここ」で展開されていることを、そこにいたメンバーは実感したと思う。
大根の花 
サービス精神旺盛な静子さんは、その場で算命学の表を出しながら、私とLのことを色々読み取って、沖縄の若者たちに楽しく解説して下さったりもした。その内容は実に的確で、その上、迫真のパフォーマンスまで付いているので、誰もが静子さんの話にすっかり引き込まれてしまった。「大根の花」のお料理も素晴しかったが、静子さんのお話で大いに盛り上がって、楽しい時間はあっという間に終了。

ホテルへ戻る道は国道58。KIN58はKIN203の神秘のパートナーだ。マヤ暦モドキの占いや鑑定をする人々は、「人と人の相性」という型にはまった見方しか出来ないが、ドリームスペルプレイヤーは、「道と人」という組み合わせからも、その日の出来事の背後に働いていた「隠された神秘の力」を読み取る。「白い銀河の風」の日に沖縄で初めて行った「銀河シンクロ教室」は、「青い銀河の夜」という神秘の働き(青と白はそもそも神秘の関係)で始まり、そして完了したのだった。それを「宇宙の月」の「銀河の日」に目撃した人々は皆、宇宙人であり銀河人なのである。

天上の虹から書の魔法へ

2014年04月28日 03:01

惑星の月24日(G4/27)KIN179 青い惑星の嵐(byD)

いよいよ明後日から「書の魔法」(Lの個展&シャンバラ教室生展)が南青山で開催される。私が「サムライと書道展」の演武でトリノへ行っていた2月末、Lは今回の個展のテーマを「伊勢」にすると決めた。というより、それが一番しっくり来る事に気付いたらしい。

10日前の4/17(KIN169)、二子玉川駅構内の書店で待ち合わせをしていたLは、少し早めにそこに到着した関係で、新刊本コーナーに『女神の聖地 伊勢神宮』(千種清美著)を見つけ、新しい切り口で書かれたその本を、その場で手に入れることにした。

7年前に出した『シンクロニック・ジャーニー』にも書いた通り、伊勢の式年遷宮は、持統4年(690年)に内宮、持統6年(692年)に外宮で始められた。そういう背景もあって、持統天皇とその夫であった天武天皇には以前から注目していたが、2014年に入って両天皇の陵墓とされる野口王墓古墳に関するニュースを目にした事で、近いうちに訪れてみたいという気持ちが生じていた。

関西出張クラス2日目(KIN172)の朝、私は、天智天皇、天武天皇、持統天皇の即位と崩御の日付を調べていた。グレゴリオ暦への変換を含め、ウィキペディアの情報がどれくらい正確なのかは分からないが、シンクロサーフィンをするに当たっては、学術的正確さは関係無い、と言い切れるだけの体験を重ねて来ているので、最近はあまり気にせず活用している。

天智天皇ー即位668年2月20日(KIN223)崩御672年1月7日(KIN79)
天武天皇ー即位673年3月20日(KIN256)崩御686年10月1日(KIN256)
持統天皇ー即位690年2月14日(KIN187)崩御703年1月13日(KIN220)

天智天皇は「青」で即位して「青」で崩御した「変容」の動き以外はあまりピンと来るものが無かったが、天武天皇は「黄色い太陽の戦士」で即位し、全く同じ日付で崩御していることを初めて知っただけでなく、その日付が今の日本の土台を完成(熟成)させたことと見事にリンクしているように感じられて納得感大であった。

加えて持統天皇は、その両者を橋渡しするような変容(青)から熟成(黄)を担っただけでなく、KIN187に即位されたという点に、何より驚かされた。何故なら、それは私にとって、パレンケでスケッチして数年間見失っていたメモが見つかった2012年3月16日(マヤ長期暦9.13.0.0.0から正確に1320年のタイミング)のKINであり、ビセンテ・アミーゴの生演奏を初めて聴いた日である。

それだけでなく、その260日後の2012年12月1日(マヤ長期暦完了20日前)に、自由が丘駅のホームで「青い虫」が手帳に止まり続けて何かを教えてくれたKINであり、『霊性のアート』で最も重要な図「球状精神宇宙モデル」が掲載されているページ数でもあるからだ。

私はその時点で、京都山科にあるという天智天皇陵と、飛鳥にある天武・持統天皇陵の両方をお参りしようと考えていた。しかし、翌4/21(KIN173)の朝、改めて上記3天皇のことを調べ直そうとしたら、何故か天智天皇のページだけエラーが出て、何度やっても表示されなかった(ちなみに今は戻っている)。そこで私は、天智天皇陵は今回ではない方が良いのだなと感じて、直接飛鳥に向かう事にした。

飛鳥路散策については、書けばいくらでも長くなってしまうので、主に天武・持統天皇陵を参拝した時の事を中心にメモしておこう。この日は、小雨が降ったり止んだりのお天気で、飛鳥路を行く旅行者の姿は殆ど無く、散策コースから少し外れたところにある天皇陵にも、人影は全く無かった。そこで、私は天真五相を奉納し、その後しばし立位で瞑想をしていた。
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雨は降り続けていたが、少し空が明るくなった感じがしたところで、鶯が鳴き始めた。かなり至近距離にいるようで、美しい声で何度も「ホー、ホケキョ」と鳴くので、目を開けて探してみたが、どうも姿を見つけることが出来ない。せめて声だけでも、と思ってiPhoneで都合5回ほど録音させてもらったが、綺麗に録れたのは少し距離が離れてからだった。録音のことはともかく、私にとって、祈りが完了したタイミングでやって来たこの鶯は、天からの使いそのものだった。

その後向かった、岡寺(龍蓋寺)は、当初訪れるつもりは無かったのだが、駅前のカフェでランチを食べながら調べてみたところ、天武と持統の間に生まれた草壁皇子が住んでいた岡の宮にその由来があるとのことで、急遽予定を変更して訪れることにした場所だった。思いがけず満開のシャクナゲも見る事が出来、帰り際には青空と太陽も姿を見せてくれて、この飛鳥散策の中で最も天気が良くなった瞬間だった。
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私がこうして、持統天皇ゆかりの地を巡っているころ、Lはちょうど『女神の聖地 伊勢神宮』で持統天皇に関するところを読んでいたらしい。帰宅後、飛鳥での私の体験も詳しく知ったLは、オバマ大統領(KIN173)が来日したKIN175に、その本のP77で紹介されていた『天上の虹』(里中満智子著)を注文した。

その翌日、KIN176(4/24)に訪れた「北村公晴さんの装身具彫刻展」については、1つ前の記事に書いた通りだが、今思うと、大阪のシンクロ教室に参加されていたIさんも、北村さんも1/13生まれということで、持統天皇との繋がりがあったと言える。そして、手元に『天上の虹』が届いたのは、翌KIN177(4/25)の夜だった。奇しくも、夕方、沈む太陽を撮影したLの写真には、かすかに短い虹が写っていた。

奥付けをパッと見る習慣がある私は、手元に届いた第十六刷の日付を目にして驚愕した。何故なら、式年遷宮の儀式の中でもクライマックスと言える、内宮での「遷御の儀」が行われたまさにその日、2013年10月2日(KIN232)がそこに記されたいたからだ。持統天皇が始めたときから数えて62回目の式年遷宮の最高潮の瞬間に刷られた、持統天皇についてのマンガなのだから、驚かずにはいられない。

初版の2000年2月10日はKIN193で、これまたツォルキンを長期暦に対応させてみる見方が習慣化している私にとっては、驚愕であった。何故なら、KIN193はマヤでパカル王が活躍していた最盛期、672〜692年(マヤ長期暦での9.13.0.0.0)に対応するだけでなく、まさに、天武天皇と持統天皇が天皇として活躍していた時代そのものでもあるからだ。これだけ、完璧なタイミングで刷られていると、目を通さなくてもこのマンガの凄さが伝わって来る。

しかも、作者の里中満智子さんは、届いた前日のKIN176が誕生KIN。つまり、山川亜希子さんと同じで、今年のシャーリーマクレーンの道筋であり、Lがシャンバラ教室を始めた時の道筋でもあるのだ。そして、明後日からそのLの個展とシャンバラ教室生展「書の魔法」が始まる。全ては完璧なタイミングで進行している。

そして今日。「惑星の月」の「惑星の日」に行われた「惑星KINの集い」には、4/21(KIN173)にちょうどカレンダーラウンド(52才)を迎えられたKさんが参加されていた。もちろん、天武・持統天皇陵での体験をシェアしてお祝いしたが、その関係で、野口王墓古墳に関するニュースが報じられた日付のことが気になって、その場で改めて調べ直したところ、またまた驚きの発見があった。

宮内庁職員以外の15学会の研究者が初めて立ち入り調査したその日付は、2014年2月21日。4年半もの間、どこかを彷徨っていたハワイ生まれの木の亀の置き物が、手元に届いた日だ(「4年半の時を経て届いた銀河の贈り物」参照)。あの贈り物が私達のところに届いた日付と、天武・持統天皇陵への初めての立ち入り調査が行われた日付とが同じということが、何とも言えないリアリティを持って私の胸に迫って来る。

帰宅すると、3/4(KIN125)に他界されたTさんの奥様から、49日が過ぎた事を知らせるお手紙とお香典返しが届いていた。そこには、俳句もたしなまれていたTさんが3/3に読まれた句「淡雪のふとあらはれて消えにけり」も添えられていた。私は、この句を目にした時、岡寺で引いたおみくじの歌を思い出さずにはいられなかった。

「わが園に梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも」

「雪かそれとも梅の花びらか、空から雪が降って来るようできれいだ」の意とのことで、その意味するところは違うかもしれないが、明後日から行われる「書の魔法」に「梅」という作品で出品している私にしてみれば、Tさんの句と私の作品と岡寺のおみくじには、美しい繋がりがあるように思えてならないのだ。

伊勢、式年遷宮、持統天皇という流れと完全にシンクロしている「書の魔法」は、会場に来て下さる皆さんに、きっと思いがけない美しい魔法をもたらすことだろう。是非、皆さんが「然るべき時」と感じるタイミングで会場にお越し頂ければと思う。

高野山の美味しいもの-2

2012年01月18日 16:56

■共振の月9日 (G1/18) KIN130 白い宇宙の犬(by L)

このブログで、食べ物のリポートは、いつの間にか私(L)の担当になっている様なのですが、実はDの方が、よっぽど美味しいものに目がない。食いしん坊。とてもウルサイ人の部類に入ると思います。同じものは続けて食べないし(除く:カレー)。

そんなDが(私も)、秋の高野山で3日間通い詰めたお店があります。
それは「花菱」。

今回私たちは、灌頂のスケジュールに合わせて、同じ宿坊に3泊したのですが(もちろんお宿の料理は精進料理)、でも同じお宿で3夜連続ってどうなんだろう・・・?? とふと思い、他にお目当ては無いものの、夜は自由に動けるよう、素泊まりでお願いしました(朝食はもともと頂かないので)。

hanabishi

大正解!
写真は三鈷膳。全て申し分無かったです。

金剛峰寺御用達、高野山・精進料理を代表する名店ですが、お弁当やお膳もありますよ。

高野山、バルセロナ、京都・・・。
美味しいものリポートが溜まりすぎて、宿題に追われている気分です。どんどんこれから書きますよ(笑)。

神護寺の龍

2012年01月13日 02:46

共振の月3日(G1/12)KIN124 黄色い共振の種(byD)

今日は、『13の月の暦』で月と日付の銀河の音が「7(共振)」で響き合う「魔術の亀の日」。13列20行から成るツォルキン(※)の中央7列目最初の7の日でもある。ほぼひと月前のKIN97(6・地球)もまた「魔術の亀の日」だったが、その日は「年、月、日」の全てが「6(律動)」で共鳴し合うという意味で、今日とはまた違ったスペシャルな日だった。

その日のお昼頃、私達は京都の神護寺を訪れていた。高野山からの流れで、関西出張の機会に行ってみようという事になったのだ。空海ゆかりの地は他にもあったが、これまで一度も参拝したことが無かったし、10年前のカーラチャクラ(法王の体調不良で唯一中止となったブッダガヤ)で知り合って以来、何かとお世話になっている起心書房代表・安元剛さんのお薦めもあったので、「今がその時」と相成った。

jingoji-1 ★金堂前。まるで真夏の空でした。

直前に雨が降っていたらしく路面は濡れていたが、空は澄み渡った青で気持ちがいい。ところが金堂にお参りしておみくじを引くと、何と2人揃って凶!2人共というのはさすがに初めて。空海ゆかりの寺なのに何故?と思いつつ、私は「あ、こういう話だと面白いな」とその後の展開を何となくイメージした。

実は直前まで知らなかったのだが、神護寺は「かわらけ投げ」という厄よけ儀式発祥の地。谷間に向かって展望の拓けた崖があり、そこから素焼きの小皿を投げるらしい。ということで、崖に近付いてみると、谷間の奥の山をすーっと乗り越えるようにして霧のような雲がこちらに向かって来る。と思う間もなく、辺り一面にわかにかき曇り、雪まで舞い始めた。夏のような青空が一瞬にして墨絵の世界に変貌。

jingoji2     snowshine  ★雪雲が現れて、不思議なお天気雪に。
 
雪雲のベールに覆われながらも、太陽はその裏でうっすら輝き続けていて、いわばお天気雪のような状態なのだが、風も急に強まって来て吹雪の様相を見せ始めたので、ひとまずお茶屋に避難して甘酒で身体を暖めることにした。が、それを飲み終える頃にはもう、の群れのようなその雲は東へ去りつつあり、ほぼ元の青空に戻っていた。狐につままれたような気分のまま、お茶屋の女将に教わったスナップを利かせた投げ方で、谷底にキラキラ輝く川面めがけて小皿を投げた。

境内を一巡りした後、裏手に文覚上人のお墓があるのを入り口でもらった地図の中に見つける。文覚上人と言えば、その昔、新体道の滝行セミナーで初めて入った洒水の滝で荒行をしたと言われている方。金堂にあった冊子によれば、神護寺中興の祖であるだけでなく、那智の滝でも超人的な滝行をした(といってもさすがにあの大瀑布ではなく、下流の小さめの滝らしいが)とのことなので、これはご挨拶に行かねばという気になった。

しかし、地図とは大分縮尺が違い、しかも一部土砂で崩れたような細い道はどんどん斜面を登って行く。Lが早めにあきらめて引き返したのは正解だったかもしれない。かなりの勢いで一気に登って行くと20分位で境内裏手の山頂に辿り着いた。まさか山頂にお墓があるとは思っていなかったが、実に見事な展望で、遥かに京都市街が見渡せる。お天気もすっかり良くなってしばし絶景を味わった。

jingoij3 ★そしてまた、どっかーんと晴れました。

山を下りて金堂に辿り着くと、再度L共々おみくじを引いてみた。ここで吉が出れば最初にイメージした通りの展開なのだが、果たして結果は…やはり2人共「吉」だった。物事をその場その場でブツブツに切って感じ取っていると、ただただ一喜一憂するばかりだが、常に展開し続ける物語の一場面だと思っていると、こんな風に楽しめてしまう。

最初に引いたのが52で、2回目が22、かけ算すると1144かな?と暗算した後で、念のため電卓で確認。その話をしながら、夢見で知られる明恵上人が開いた高山寺へ向かって川沿いの道を歩き始めると、すぐに1144ナンバーの車が目に入った。あんまりタイミングが良いので思わずデジカメに納めてしまった程だ。この出来事からも様々なサインが読み取れるが、長くなって来たので、ここでは事実のメモだけに留めておこう。

そういえば、金堂には神護寺住職と安元さんの共著『ほっとする空海の言葉』も置いてあった。多分、雲の姿をとって現れてくれた達も、お参りを喜んで挨拶に来てくれたのだろう(と勝手に思うことにする)。結局、その日お天気が崩れたのは崖に近付いたあの瞬間だけだったし、登場の仕方もまさにのごとしで、かつてブータン(雷の国)で見た雲にもよく似ていた。京都シンクロ・ミニトリップはまだ続くのだが、今日のところはここまでとしよう。

(※)特に「マヤの機織り」という文様入りのものは、マヤ遺跡や絵文書からは見つかっていないタイプで、メキシコやグアテマラなどの先住民(ネイティブ・マヤ)にも殆ど伝わっていないバージョン。かといってホゼ・アグエイアスが編み出したものでもない。その背景については『マヤのリズム』に整理してあるので、興味のある方は参照頂ければと思う。

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