2016年05月01日 19:56
■惑星の月28日(G5/1)KIN133 赤い電気の空歩く者(by L)
好きとか嫌いなんてものでは測れない程の才能に出会った時には平伏するしかない。
20代の時、どれだけ気持ち悪いか見に行こうと思ってプリンスのコンサートに行ったのさ(だって、何でもこの目で見なければわからないではないですか)。
1986年9月9日、初来日公演楽日にしてプリンス&ザ・レヴォリューションの最終公演日。アンコール曲「パープル・レイン」の時、横浜スタジアムが小雨にすっぽり包まれたのを今でも覚えている。以来、彼の才能の凄さに完全ノックアウトされ虜になりずっとファン。9月9日なので、二子玉川に四重の虹がかかった日からピッタリ29年前ということになるね。ちなみに初来日公演は、KIN233とKIN234に行われた。これは後に結婚するプリンスの妻二人(Mayte GarciaとManuela Testolini)の銀河の署名でもある。
プリンスが他界した2016年4月21日(KIN123)満月(チベット暦でもカーラチャクラデーが2日続くスペシャル満月だった)、友人の芳美ちゃんはアースデーに向けて「明治神宮いのちの森」イベントセレモニーの香りの創香中であった。ラストの香りがあと一歩のところでどうしても完成せずに停滞。しかしプリンスの死とほぼ同じタイミングで一気に完成したという。「ハートビート」とすでに名付けられていたその香りは、もちろんプリンスへ捧げられるものとなった。(言っておくが、芳美ちゃんもプリンスのファンである。)
★第3の目にもサングラスが必要です!
4月23日、Dと私が明治神宮に着くと朝からの雨も上がり、実際に香りを聴かせてもらうと、それは色彩で言うのならロイヤルパープル、そしてそれはドンピシャリ第三の目を開く(プリンスが晩年愛したサングラスを思い出す)。その後、彼女の意図した通り神宮の聖なる芝生で存分にセレモニーを行うことができたという。
あくる日、イベントを終えた芳美ちゃんから写真とメッセージが届く。追悼でプリンスのCDを手に入れたという。添えられていた写真はそのCD冊子のライナーノーツで、美しいアラビア風の香水瓶がずらりと並んでいた。何気なく選んだCDにも香りのサインを見つけて嬉しかったことを伝えてくれたのだ。芳美ちゃんの写真を見た瞬間それは3枚組の「Emancipation」だとわかった。何故なら、これこそこの日私が聴いていたアルバムだったから!
★左上にheart beat の文字!
「プリンスが地球にいないなんて本当に悲しいねぇ」とお返事して、そして突然思い出す。確かこのアルバムにはプリンスの息子さんの心音が入ったものが一曲だけあったはず………ハートビート=心音!(息子さんは生後一週間で他界することになるのだが、彼がお腹の中にいた時の心音が曲にジョイントされている。)
36曲の中の一体どれだったかと直感スキャンし、曲(Sex in the summer)を聴いて確認、芳美ちゃんに更にメッセージを送る。そのCDにはリアルな「ハートビート」が入っていること、香水瓶のページのライナーノーツにはすでにそのことが書かれていることを知らせるために。
不思議なものだ。芳美ちゃんから連絡がなければ、私はこのことを思い出していなかっただろうし、もし私に連絡をしていなければ、芳美ちゃんもこのタイミングに、このことにまでは気づかなかったかもしれない。こうして「プリンスの香りがなぜハートビート?」の謎が解け、二人とも興奮しつつ昇華の喜びを味わった。
真実への道しるべは、シンクロを素直にシンプルに常にシェアすることだろう、子供のように。「Emancipation」は1996年のリリースだから、あのアースデーの写真とも時を同じくしている。20年の時が巡ったのだ。
★Planet Earth
もちろん全てのものは変わり続けるし私達は皆いっとき地球を訪れるだけの訪問者だ。わかっちゃいるけれど、ここにプリンスがいないのは本当に淋しい。「プリンス次はどんな作品創ってくれるんだろう?」こんなワクワクした期待に応え続けてくれていた偉大なアーチストが、今はもういない。
美意識も信仰も信条も痛みも、本当にはその人にしかわからないものだ。彼はこの星最高のエンターテイナーであり続けようとしたんじゃないかな。それゆえに、早く逝ってしまったように思えてならない。
★最期のステージ。Piano and microphone.
今までどれだけ聴いたかわからないほど彼の作品を聴いたし、これからも聴くと思う。
この30年間、心から彼の才能を愛し、尊敬していました。
ありがとうプリンス。R.I.P.
惑星の月のラストに追悼。
★追記:4/29時間魔術祭に奥様のピンチヒッターとして参加してくださった唯一の男性は、プリンスと同じ銀河の署名(KIN60)の方でした。
好きとか嫌いなんてものでは測れない程の才能に出会った時には平伏するしかない。
20代の時、どれだけ気持ち悪いか見に行こうと思ってプリンスのコンサートに行ったのさ(だって、何でもこの目で見なければわからないではないですか)。
1986年9月9日、初来日公演楽日にしてプリンス&ザ・レヴォリューションの最終公演日。アンコール曲「パープル・レイン」の時、横浜スタジアムが小雨にすっぽり包まれたのを今でも覚えている。以来、彼の才能の凄さに完全ノックアウトされ虜になりずっとファン。9月9日なので、二子玉川に四重の虹がかかった日からピッタリ29年前ということになるね。ちなみに初来日公演は、KIN233とKIN234に行われた。これは後に結婚するプリンスの妻二人(Mayte GarciaとManuela Testolini)の銀河の署名でもある。
プリンスが他界した2016年4月21日(KIN123)満月(チベット暦でもカーラチャクラデーが2日続くスペシャル満月だった)、友人の芳美ちゃんはアースデーに向けて「明治神宮いのちの森」イベントセレモニーの香りの創香中であった。ラストの香りがあと一歩のところでどうしても完成せずに停滞。しかしプリンスの死とほぼ同じタイミングで一気に完成したという。「ハートビート」とすでに名付けられていたその香りは、もちろんプリンスへ捧げられるものとなった。(言っておくが、芳美ちゃんもプリンスのファンである。)

4月23日、Dと私が明治神宮に着くと朝からの雨も上がり、実際に香りを聴かせてもらうと、それは色彩で言うのならロイヤルパープル、そしてそれはドンピシャリ第三の目を開く(プリンスが晩年愛したサングラスを思い出す)。その後、彼女の意図した通り神宮の聖なる芝生で存分にセレモニーを行うことができたという。
あくる日、イベントを終えた芳美ちゃんから写真とメッセージが届く。追悼でプリンスのCDを手に入れたという。添えられていた写真はそのCD冊子のライナーノーツで、美しいアラビア風の香水瓶がずらりと並んでいた。何気なく選んだCDにも香りのサインを見つけて嬉しかったことを伝えてくれたのだ。芳美ちゃんの写真を見た瞬間それは3枚組の「Emancipation」だとわかった。何故なら、これこそこの日私が聴いていたアルバムだったから!

「プリンスが地球にいないなんて本当に悲しいねぇ」とお返事して、そして突然思い出す。確かこのアルバムにはプリンスの息子さんの心音が入ったものが一曲だけあったはず………ハートビート=心音!(息子さんは生後一週間で他界することになるのだが、彼がお腹の中にいた時の心音が曲にジョイントされている。)
36曲の中の一体どれだったかと直感スキャンし、曲(Sex in the summer)を聴いて確認、芳美ちゃんに更にメッセージを送る。そのCDにはリアルな「ハートビート」が入っていること、香水瓶のページのライナーノーツにはすでにそのことが書かれていることを知らせるために。
不思議なものだ。芳美ちゃんから連絡がなければ、私はこのことを思い出していなかっただろうし、もし私に連絡をしていなければ、芳美ちゃんもこのタイミングに、このことにまでは気づかなかったかもしれない。こうして「プリンスの香りがなぜハートビート?」の謎が解け、二人とも興奮しつつ昇華の喜びを味わった。
真実への道しるべは、シンクロを素直にシンプルに常にシェアすることだろう、子供のように。「Emancipation」は1996年のリリースだから、あのアースデーの写真とも時を同じくしている。20年の時が巡ったのだ。

もちろん全てのものは変わり続けるし私達は皆いっとき地球を訪れるだけの訪問者だ。わかっちゃいるけれど、ここにプリンスがいないのは本当に淋しい。「プリンス次はどんな作品創ってくれるんだろう?」こんなワクワクした期待に応え続けてくれていた偉大なアーチストが、今はもういない。
美意識も信仰も信条も痛みも、本当にはその人にしかわからないものだ。彼はこの星最高のエンターテイナーであり続けようとしたんじゃないかな。それゆえに、早く逝ってしまったように思えてならない。

今までどれだけ聴いたかわからないほど彼の作品を聴いたし、これからも聴くと思う。
この30年間、心から彼の才能を愛し、尊敬していました。
ありがとうプリンス。R.I.P.
惑星の月のラストに追悼。
★追記:4/29時間魔術祭に奥様のピンチヒッターとして参加してくださった唯一の男性は、プリンスと同じ銀河の署名(KIN60)の方でした。
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