■太陽の月16日(G3/22)KIN93 赤い月の空歩く者(by D)
今年の「
春分の日」は、『13の月の暦(ドリームスペル)』での34週目の終わりとシンクロする「太陽の月14日」、KIN91(13・猿)だった。これに因んで、【銀河マヤの
ククルカン瞑想】というイベントを開催したが、例のごとく、開催日が近付くにつれ様々な情報が繋がって来て、そのシンクロ率は春分当日に最高潮を迎えた。その流れを、少しメモしておきたいと思う。
3/16(KIN87)、私は4年前の同日に体験した驚くべき発見について回想していた。その要点は『
銀河のマヤ、聖なる時の秘密』(ヒカルランド)や【パレンケ1320年のテルマ】という
記事にまとめてあるが、
春分の日にリンクして来る部分だけピックアップしてみると、おおよそ以下のような感じになる。
銀河文化ツール『テレクトノン』によれば、パレンケの「碑銘の神殿」が完成したのは、マヤ長期暦9.13.0.0.0とされる(神殿の碑文にこの日付が刻まれているのは確かだが、神殿が完成した日という説は今の所見あたらない)。この日付を、ユリウス通日など挟みつつグレゴリオ暦に仮想的に変換すると、692年3月16日となる。
長期暦の一番下の桁が0ならば、ツォルキンは「アハウ(太陽)」になるはずだが、きちんと調べた事がなかったので、改めて調べてみる事にした。すると、その日付はパカル王の誕生日と同じ「8アハウ」である事が分かった(ちなみにドリームスペルツォルキンではKIN167=11・手)。それで判明したのは、パカル王の誕生から9.13.0.0.0までの間に、
古代マヤのツォルキンはぴったり125回巡るという事だった。
パレンケ王朝11代目の王であるパカルの生涯は80年だったので、死後9年目に当たる9.13.0.0.0は、生まれてからほぼ89年後であり、これがぴったりツォルキン125回転分に対応していた事になる。一方、パカル王とのテレパシー的な繋がりによって生まれた『ドリームスペル』は、2013年をその目標点に定めていた。
私達は、日本語版制作チームとして、2004年にホゼ(KIN11)と共に内宮神楽殿にて『ドリームスペル』を奉納しているが、その9年後の2013年は、第62回式年遷宮のタイミングだった。伊勢の神宮は、全部で125のお社から成るが、遷宮儀式の中でも最も重要とされる内宮遷御の儀では、125代今上天皇の長女である黒田清子さん(KIN125)が臨時祭主を務められた。
ホゼは
パカル・ヴォタンと表記する事が殆どだが、石碑に残る王の名は「
キニチ・ハナーブ・パカル」で、直訳すると「太陽・花・楯」となる。そのパカルの声を聴いて『ドリームスペル』や『テレクトノン』をロイディーンと共に生んだホゼは、5年前のKIN89(G3/23)に他界している。ホゼの誕生(KIN11)と死(KIN89)の日付の合計であるKIN100は「黄色い太陽の太陽」。パカル王が生まれた日付も伊勢の御祭神も太陽である。
9.13.0.0.0からぴったり1320年後に当る2012年3月16日は、ドリームスペルでKIN187(5・手)だった。この日、パレンケを訪れた時のスケッチやメモを再発見したというのが、冒頭の「驚くべき体験」なのだが、それから1年半後に出版した『
霊性のアート』には、「13の月の暦・手帳」(こよみ屋)の12月1日(KIN187)の日付(=大周期完了とされた2012年冬至の20日前)の所に、青い虫が止まった事が書かれている。
そして『霊性のアート』P187には、この本のエッセンスを凝縮した「球状精神宇宙モデル」が掲載されている。もちろん、そんなページを自分で選べる訳ではない。自然の采配によって、そのページがKIN187に重なったのだ。自由が丘駅のホームで手帳を開いた瞬間に止まった「青い虫」は、グレートサイクルの終わり(2012年冬至)の20日前を示しただけでなく、その260日前、つまりマヤ長期暦9.13.0.0.0からぴったり1320年後の3/16の発見にも注目せよ、というサインだったのかもしれない。
125に関する発見の翌日に当たるKIN88は、地球の父の生誕106銀河スピン、その翌日のKIN89は銀河の父・ホゼが銀河に帰還して7銀河スピン、続くKIN90は『銀河のマヤ』を共に創って下さった波動と水の師・江本勝所長の生誕102銀河スピンに当たっていた。125銀河スピン=89年について、106+102=208銀河スピンのタイミングで気付くことになるのも、私にとっては銀河的なお告げである。
G3/18(KIN89)、私は、G4/16(KIN118)に神戸で開催される【
剣武天真流ワークショップ】をお知らせする意図もあって、2015.10.11(KIN191)に神戸TEN×TENで行わた宮野玄妙師範創作展会場での御祝い
演武映像を、FBでシェアしてから出かけた。その際、ふと気になって調べてみると、神戸での御祝い演武から4月のワークショプまでは、ちょうど187日である事に気付いた。
『7:7::7:7』マニュアルの13バクトゥン図で、KIN191が
パカル・ヴォタン(の時代)を意味し、反対のパートナー(130離れた最も遠い関係)のKIN61が、アブラハム(の時代)を意味するのを確認してから外に出ると、KIN191の神戸で共に演武した剣武本部正師範5名が月1回だけ顔を合わせる会場のすぐ近くで、191ナンバーの車に出会った。
この日(KIN89)、私は
ツタンカーメンの墓に関するニュースも目にしていたが、KIN191に関するシンクロの方に引きつけられていて、春分当日までそのサインの重要性に気付いていなかった。そして、チチェン・イツァに
ククルカン(羽毛の生えた蛇)が降臨する春分(KIN91)の朝がやって来た。
前日までの流れに刺激を受けていたからだろう、起き抜けに、ふと気になって『7:7::7:7』マニュアルの13バクトゥン図でKIN91に対応する所を確認してみると、何と「
ツタンカーメン」と書いてある!同じ図は、拙著『
宇宙の暦は13ヵ月・新装板』のP154-155にも(『
新しい時間の発見』から)引用させてもらっているが、初出は『マヤン・ファクター』だ。
そこで『
マヤン・ファクター:テクノロジーを超えた道 』を開いてみると、何と、同じ図がP186-187に出ている!そして「
ツタンカーメン」が含まれているページは187の方だった!数日前から注目していた187がここにも出て来た事で、私は、家を出るまでの限られた時間に、
ツタンカーメンについて調べる必要性を強く感じた。
Wikiによると、
ツタンカーメンの統治期間は紀元前1333年–1324年(第18王朝)とあるから、王として在位したのは9年間だった事になる。この日「羽毛の蛇」が現れるチチェン・イツァの
ククルカンピラミッドは、パレンケ同様9層の構造をしており、その4面にそれぞれ91段の階段がある。今回、瞑想を呼びかけた主な理由は、春分にKIN91が同期するという希な機会だったからだ。
9層の段(の一面)を階段で2つに割る構造は、18ヵ月(ひと月20日)から成る365日暦とも関係がある。91×4=364に、4面共通のテラス1段分を加えて365日の暦(ハアブ)になっているこのピラミッドは、18ヵ月+5日(これが共通テラス分)という仕組みも表現しているらしい。
思えば、みよこみよこさんに描いて頂いた『
マヤのリズム』のカバー絵も、監修を担当させて頂いた『
マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』のカバー写真も、この
ククルカンのピラミッドだが、1999年に現地を訪れた時には、どちらの本も、この世には存在していなかった。しかし、瞑想参加者には直接お伝えした通り、私はその時、非常に個人的かつ銀河的な儀式を、そのピラミッドで行っていた。
ホゼが、「
ケツァルコアトル(
ククルカン)の預言」がもし真実であるのなら、世界は然るべき反応をするはずだという仮説を立て、実際にハーモニック・コンバージェンスを通じてその確認をしたように、私も自分の儀式が単なる個人的な動機に基づくものではない、宇宙的な流れに沿うものであるのなら、いずれその反響はあると考えていた。そして、2冊の本の表紙は、その反響のひとつだと、今、私自身は感じている。
さて、出かける前に、
ツタンカーメンについて、もうひとつ確認しておきたい事があった。ちょうど、4年前の今ごろ、関西で最初の『ドリームスペル』配布会を兼ねたレクチャーがあり、その時、大阪駅でツタンカーメンに関する驚きのシンクロを体験した記憶があったからだ。しかし、ブログ内検索をしてもそれらしい記事が出て来ない。あまりに激しいシンクロに見舞われている時期だったので、その事をまとめて記述する余裕が無かったのかもしれない。
とにかく出掛けで慌てていたので、4年前の手帳に頼る事にした。すると、パレンケに関するテルマ(埋蔵経典)発見の翌日に当るG3/17(KIN188)には、こんなメモがあった。「大阪駅でツタンカーメン展が今日から6/3と知る。3300年」。対応する日付前後の写真をiPhotoで探して張り出して来てiPhoneに転送して出発。お陰で参加者に証拠を見せてあげる事が出来たが、今日(KIN93)、改めてツイログで探ってみたら、ちゃんとメモが残っていた。以下当時のツイートを抜粋してみる。

★2012年3月17日当日大阪駅にて
”3300年の時を超えて今日からツタンカーメンの宝の一部が大阪で公開されるようだ。3300部制作されたドリームスペルの一部が今日大阪で配布されるのは、もちろん偶然ではない。といっても今日から大阪で公開と言うのは知らなかったけど(笑)。”
”なにしろ私は四年前の3月3日に、王家の谷のV62とナンバリングされたツタンカーメンの墓で一般公開されたばかりの彼のミイラと対面しているのだ。”(注:2013年の伊勢式年遷宮は第62回)

★大阪駅の改札を出るといきなりこんな状態だった
そして、4年前の手帳の「太陽の月」には、「191」という数字も記述されていた。これは『時間の法則の20の銘板』のクロノグラフ情報だが、先述した13バクトゥン図で
パカル・ヴォタンに対応するキンだ。「碑銘の神殿」が9.13.0.0.0に完成したのであろうとなかろうと、『テレクトノン』と『20の銘板』と「13バクトゥン図」の中においては、完璧に整合するタイミングに、私がパレンケのテルマを受取ったという事実こそが重要なのだ。何しろ、私は自らその窓口を選んで銀河マヤにアクセスして来たのだから。
果して、「銀河マヤの
ククルカン瞑想」に参加された方は、午前9名、午後9名の合計18名(重複あり)となった。午後の9名には、当日になって参加を決めた方の数も含まれていたが、結果的にククルカンピラミッドの構造とも、ツタンカーメンの在位期間とも、「9(太陽)の月」とも完璧にシンクロしていたし、最初から参加される事になっていたのだと感じさせる発見が、後から沢山出てきたりもした。
何しろ、当日参加を決めた方の1人は、この日が55回目の銀河の誕生日で、太陽暦の誕生日は現在55才のLと同じだったのだ!さらに、9人の中に「反対のパートナー」が2組もいらしたのだ。ひと組いるだけでも驚きだが、この人数で2組とは誠にマジカルである。13バクトゥン図で、アブラハムと
パカル・ヴォタンの関係に注目した流れも関係がありそうだし、ピラミッドに羽毛の蛇が現れる春分と秋分が、地球公転軌道上の180度離れた「反対」の関係にある事も関係しているのだろう。

★9名の参加者とドリームスペル日本語版世話人のL
そして帰宅後、午後の「ククルカン瞑想」参加者9名の誕生キンを合計してみたら、何と1330になった。朝、ツタンカーメンの統治期間が、紀元前1333年–1324年というのを知ったばかりだっただけに、この9年の統治期間にBC1330が含まれる事は、大いに驚きだった。ピラミッドと虹のククルカンを通じて太陽意識にチューニングをする瞑想は、参加して下さった皆さんにそれぞれ興味深い体験をもたらしたようだったが、そこにはツタンカーメンやパカルも深く関係したように、私には感じられた。
このブログを書いていて気付いたのは、KIN191は「9・猿」=「9・11」であり、瞑想参加者9名に私達2名を加えた11名とも読める。この瞑想が911の影響を中和反転させるだけでなく、さらに先に繋がる共振テクノロジーの土台となることを願うばかりである。
他にも無数のシンクロがあったが、果てしなくなってしまうので、今回はこの位にしておこう。ひとつはっきりさせておきたいのは、このような気付きや発見は、参加者の集合意識、時空の場、多次元的な流れが全て関係して生じるものだ、という事だ。その時、その場に集う人々にとっての贈り物が、必要に応じて届けられるのだ。今回の場合、それが太陽王であるパカルやツタンカーメン、そして天照大神(伊勢)だったという事だろう。
目に見える情報はツイートやブログで追う事ができるが、その場のエネルギーはその場に居た人にしか届けられない。今週末は
横浜ナディアで「テレクトノンとエクスカリバー」について、4月の中旬には京都で「ツォルキン・マトリックス」をテーマにした
クラスがあるが、その内容はある面、参加者によって決まるところもあるのだ。興味関心を持つ人々が集う場と、ただ受け身で聞くだけの人々が集う場とでは、直前に発見される情報の質やクラスの最中に気付く事も違って来る。それ故、私のクラスは同じテーマで話す時でも、二度と同じ内容のものは無いのである。
例えば、今回のククルカン瞑想の開催を決めた当初は(そのお知らせは13700ツイート目にシンクロした)、『
ヨーロッパの祝祭日の謎を解く』(アンソニー・アヴェニ著/勝貴子訳)を持参しようと思っていたのだが、上記の通り、直前にあまりにも色々なシンクロがありすぎて、すっかり忘れてしまった。しかし、それも自然の流れなのだ。この本の第4章は「
春分の日-大蛇の降臨」というタイトルで、チチェン・イツァと絡めて、ハーモニック・コンバージェンスやホゼの事も書かれているので、関心のある方は読んでみると良いだろう。最後に、
春分の日のLのツイートを付して、このメモを終えよう。
”クリカのブログ、FC2から割り当てられたナンバーは91だった!ということにKIN91の今日気づく!それは道友のメーリングリストへの投稿のおかげなのだが、その道友の銀河の署名はKIN175=本日のPCUなり!きゃ!L
http://happykulika.blog91.fc2.com/ ”
★KIN94満月の追記
調べものがあって、自分の誕生日前後を手帳で調べていら、KIN132に三島由紀夫に関する
以下のようなメモを見つけた。
1925.1.14(KIN91=13・猿)誕生「天界」
1970.11.25(KIN191=9・猿)死「冥界」
1971.1.14(KIN241)多摩霊園に埋葬
13が天界で、9が冥界というのはマヤの神話論。
春分のククルカン瞑想に参加して下さった方の一人は、当日KIN91が銀河の誕生日で、G暦誕生日はLと同じ1.14だった。そして、上記のシンクロに気付いたのは、今日(KIN94)、シャンバラ教室で1.14生まれの方に会った直後のこと。13バクトゥン図(歴史の波動調波図)でKIN91は「ツタンカーメン」、KIN191は「
パカル・ヴォタン」。
そして今日は、『13の月の暦』の年初から(0.0フナブ・クを省けば)元旦含めて241日目。0.0フナブ・ク含めれば、元旦から241日目。以上の気付きを得て飲食店から外に出ると、そこに止まっていたのは「91-11」ナンバーの車。91はツタンカーメンと三島由紀夫と春分とピラミッドの階段の数、11はパレンケ王朝11代目の王(パカル)、もしくはホゼ・アグエイアスだろう。
全ては完璧なタイミングで見出される。