カッシーニの誕生キン

2017年09月17日 00:57

月の月25日 (G9/16) KIN116 黄色い水晶の戦士 (by D)

10連続GAPの最終日だった昨日KIN115(11・鷲)に、土星探査機カッシーニ」が20年の旅を終えて土星大気中で燃え尽きた事が報じられていた。今日、ふと気になって調べてみると、色々面白い事が分かったので、以下にそのメモを記す。ただし、そんなに真面目に調べた訳ではなく、日付関係はwikiからの情報のみである事を予めお断りしておく。

カッシーニという名の由来となった天文学者ジョヴァンニ・カッシーニは、1625年6月8日生まれのKIN196(1・戦士)。グレゴリオ暦が始まった1582年以降なら、ドリームスペルに依拠したiOS用無料アプリKIN3D(*1)でダイレクトに調べられるので助かる。

太陽の紋章「黄色い戦士」が土星軌道に対応する事は、『テレクトノン』ボードに分かり易く示されているが、最初にその関係性が記述されたのは、1990年に発表された『ドリームスペル』である(*2)。

それにしても、誕生キンウェイブスペルも「黄色い戦士」だったカッシーニが、土星に関する多くの発見をしたのだから、何とも興味深い話だ。カッシーニの方が『ドリームスペル』より365年も前に生まれているのに、土星との関係が、まるで運命付けられていたかのように見えるからだ。

天球儀★こちらはフィレンツェのガリレオ博物館にある天球儀

占星術から天文学に進みながら、結果的に占星術を否定する事になったカッシーニにとっては、こういう話もたわ言にしか聞こえないかもしれないが、それはさておき、目を探査機のカッシーニの方に向けてみよう。

打上げ    1997.10.15(KIN125)
土星軌道投入 2004.6.30(KIN233)
運用終了   2017.9.15(KIN115)

探査機の方も、ザックリではあるが『時間の法則の20の銘板』と絡んでいる。『20の銘板』のクロノグラフは、1997.7.26(黄色い倍音の種の年)から始まった「磁気の月」をKIN1とみなし、「ひと月=1キン」で数える方法である。その数え方で260ヶ月が完了したのは、2017.7.24。この20年は、ほぼカッシーニの運用期間とダブっている。

さらに、土星軌道に入ったのも「石の神秘の7年」の始まり(2004.7.26)とほぼ重なっていて、20年の運用中、土星軌道にあったのは13年。「ドリームスペル創世記」で12:60周波数の発信地の一つとなっている土星軌道で、20:13を体現したカッシーニは、3次元的な任務とは別の、何か特別な銀河的任務も担っていたのかもしれない。

おまけで書いておくと、ジョヴァンニ・カッシーニが他界したのは1712.9.14(KIN69)。その305年と1日後に、探査機カッシーニも任務を終えたのだった。


(*1)同じ会社が古代マヤ暦の日付を出すアプリMaya3Dを出している事からも、「マヤ暦」と「ドリームスペル13の月の暦)」は別物である事が明らかなのだが、日本ではかなり混乱されているので、よく分かっていない人はまず「【13の月の暦】の大基本」を参照の事。

(*2)1987年の『マヤン・ファクター』の時点では、「黄色い戦士」という呼称はまだ存在せず、古代マヤ暦の呼称「キブ」が用いられているので、「黄色い戦士」=「土星軌道」とは書かれていない。この頃はまだ閏日処理にも試行錯誤が見られ『ドリームスペル13の月の暦)』準備中の過渡期と見なせる。

マヤ暦と易経

2017年09月04日 23:00

月の月13日 (G9/4) KIN104 黄色い宇宙の種 (by D)

マヤ暦ツォルキン)」と「」とを関連付けて述べた最初の本は、私の知る範囲では、「13の月の暦」提唱者の一人、ホゼ・アグエイアス博士による『Earth Ascending(アース・アセンディング)』ではないかと思う。もし、1984年初版の本書よりも前に、そうした文献があるのをご存知の方は、是非、ご教示いただければと思う。

EA.jpg 

その3年後の1987年に発表された『マヤン・ファクター』では、を「顕現物としての生命体」に関与する「遺伝子コード」の象徴として、ツォルキンを「光体」に関与する「銀河コード」の象徴と見なして、論を展開している。つまり、ホゼは、マヤ暦に関する本を世に問うた初期の段階から、常に「」との関係について言及して来ているのである。

MF.jpg ★私が持っているのはこのVOICE版

そうした長年の研究の成果が一つの形として結実したのが、銀河文化ツールの一つ『時間の法則の20の銘板』である。1997年に東京(会場:倫理研究所)で行われた「時間の法則に関する世界会議」で公式発表されたこのツールは、1987年の時点ではまだ形に成りきっていなかった『13の月の暦(ドリームスペル)』と「」を結びつけた具体的なプログラムで、2013年までの16年間が実践期間とされた。

その概要は、パン・ジャパン・ライブラリーの中で、アグエイアス夫妻による解説が公開されているので、誰でも知る事ができる。また、私はその日本語版の制作世話人代表を引き受けた事もあって、16年の間、実際に日々実践を試み、その内容と本質については、知識的にも体験的にもある程度理解しているつもりである。

今回、このテーマでブログを書こうと思ったのは、そうした背景を隠したまま、あるいは全く知らないまま、マヤ暦占い(鑑定)のオプションとして、の情報も使っている人々がいるらしい事を耳にしたからである。また、それをきっかけに、私自身が、曖昧な理解をしていた点について、明らかにする事が出来たからである。

占いや鑑定を含め、他者へのアドバイス的な用いられ方がなされている巷の「マヤ暦」と、「13の月の暦」との関係については、既に「【13の月の暦】の大基本」に整理してあるので、基礎的な事を知らない方はまずそちらを先に読んで頂くとして、ここでは「易の卦」との絡みに絞って情報を整理してみる事にする。

占い鑑定系の人々(特に各団体の親玉に当たる連中)が参照していると思われる情報ソースは、出版時期から推察して、ほぼ『マヤン・カレンダー』(高橋徹著/VOICE)と見て間違いないだろう。書籍の初版発刊年は、情報の出所を検討する際、最低限確認しておくべきポイントの一つだ。

著者の高橋徹さんは、上記『マヤン・ファクター』やパン・ジャパン・ライブラリーにUPされている膨大な資料の翻訳だけでなく、アグエイアス夫妻来日時の通訳なども務められた方で、夫妻と深く交流し、彼らの情報の本質と重要性をいち早く理解して、日本に紹介して下さった恩人にして先駆者である。

さて、『マヤン・カレンダー』は、大きく分けて3度、同じ出版社から出されている(ここではポイントが拡散しすぎないよう高橋いづみさんの『マヤン・カレンダー2』については触れない事にする)。そこで、以下、1994年発刊のものを「初版」、2000年発刊のものを「新装増補版」、2006年発刊のものを「2012」と記述する事にする。

MC_20170904224321083.jpg MCN.jpg ★左が「初版」右が「新装増補版」

「初版」と「新装増補版」は、冒頭の解説部分を除くと、前半は365日暦、後半は260日(ツォルキン)について、日毎のメッセージや解釈例が書かれている。今回、注目すべきは、後半の260日暦のパートで、その中でも特に、各ページの一番上に記されている調波(4日単位)毎のメッセージ(一文)についてだ。

「新装増補版」では、その33ページに徹さんご自身が書かれている通り、アグエイアス夫妻の研究に従った形で、「易の卦」がそれぞれの調波に割り当てられている。より具体的に書けば、それは上記『時間の法則の20の銘板』の「先天図」に依拠するものである。

この事は、出版時(2000年)から把握していたが、「初版」には、特に「易の卦」についての説明は無く、また「卦の番号」も記されていなかったので、私は最近まで、それが「易の卦」に由来しているものなのかどうかも、実は分かっていなかったのだ。そこで、これを機に、直接、高橋徹さんに尋ねてみる事にした。以下は、その回答からの抜粋である。


”33ページに「筆者独自」と書きましたが、『マヤン・カレンダー』初版の時点では、当時、私なりに考えた対応に基づきました。非常に単純な対応関係で、調波1から32までは、易の卦の番号の1、3、5、……という具合に順番に奇数を対応させ、逆に調波64から34まで戻る順番では、易の卦の番号の2、4、6、……という具合に偶数を対応させるという方式です。”


つまり、「新装増補版」P33に、「初版」時も「易の卦」に対応させていた事がきちんと書かれていたのに、私がそれを見逃していただけだったのである(ただし「初版」での配列法則まで知っている方は非常に限られていると思う)。こういう事が判明した時には、直に修正するよう心がけているが、私も結構いい加減なところがあるので、このブログに書かれている事も、最終的には、皆さん自身で確認して頂きたいのである。

さて、実際に「初版」と「新装増補版」を比較してみると、確かに同じ「卦の番号」に相当する所には同じ文章が入っている事が確認できた。法則が分からないと、同じものが並べ替えられているだけなのに、「易」由来なのかどうかも分からなくなってしまうのだから不思議だ。「順番」や「配列」というものの妙を、改めて考えるきっかけを頂いた気がする。

ちなみに「2012」にも、「新装増補版」と同じ(『20の銘板』に従った)順番で「易の卦」がツォルキン冒頭から4日毎対応するよう並べられているが、こちらは、ツォルキン自体が、ドリームスペル(13の月の暦)バージョンから、古代マヤ暦バージョンに差し替えられている点が大きく異なる(古代マヤ暦とドリームスペルの違いについては「【13の月の暦】の大基本」参照のこと)。

mc12.jpg 

なぜ、徹さんがそのようにされたのかは「2012」に詳しく書かれているので、関心のある方は、そちらに直接当たって頂くとして、ここでは、その中から、私が強いインパクトを受けた一文を「2012」のP51から引用してみたいと思う。


”「今さらこのような日々の解釈には意味がない、自分がその日をどうとらえるかが大切なのだ」ということを読者にも体験してもらいたいのです。その意味で、本書はわれわれが本道に立ち返り、ツォルキンの本質をきわめることを促す「捨石」です。”


かなり過激な文章だが、「初版」からずっと訴えて来られたのにも関わらず、そこはスルーして、日々のメッセージの方ばかりにくっついてしまう読者に対する訴えの気持ち、そして混乱を招いた一因を作った(と徹さんが思われている)事に対する責任の気持ちが、強く表れているように思えるのである。実際、徹さんは、「初版」でも「新装増補版」でも、きちんと以下のような注意書きを入れて来られたのである。


「初版」より
・どんな答も本書の中にはなく、それは常に生きているあなたの中にあります。(P22)
・ポイントは個々の内容や表現にあるというより、日々の時間を構成している全体の構造やしくみにあるのです。(P204)

「新装増補版」より
・「ツォルキン」の260項目の内容は、1994年時点で筆者が試みた日付の解釈の一例です。この解釈は、筆者の個人的なものであり、人の性格やその日の「意味」を特定するものではありません。(P6)


当然、これらはツォルキンそのものだけではなく、それと連動する形で掲載されている「易の卦」にも通じるものなので、「ポイントは全体の構造やしくみにある」という考え方を無視して、個々の卦の意味解釈に走ったり、それが自分の体験とマッチしているかどうかを論じても、殆ど意味は無いのである。

割と最近になって私が気付いたのは、「確定したブループリントのような情報がどこかに存在していて、それを読み取る」という発想を、無意識レベルで強くしている人ほど、「13の月の暦」の本質が分からなかったり、難しいと感じたりするケースが多いようだ、という事。

確かに、洋の東西を問わず、「暦」と絡む占いには「決まっている運命」を読み取り、読み解くという発想が少なからずあるので、「暦」というだけで無意識レベルからそういう受け止め方をしてしまうのも、ある意味、仕方の無い事だとは思う。だが、最初に「全く異なる発想で生み出されたもの」という事が理解できていれば、「運命論的占いシステム」に改変された偽マヤ暦に引っかかったりする事はやはり無いのだ。

以上、「易」と「マヤ暦」に関する情報の出所と背景を整理してみたが、それらの関係性を真摯に探求されている方にとって、少しでも参考になれば幸いである。

最後になってしまったが、今日、KIN104(13・種)は、文中に登場いただいた高橋徹さんの銀河の誕生日。このブログ記事がお祝いに相応しいかどうかは、かなり疑問だが(笑)、私が「13の月の暦」に出会い、「易」との関係について考察することができたのも、徹さんがいらして下さったからこそ。

心から感謝しつつ、83回目の銀河のお誕生日を、お祝い申し上げます。

パカル王からの呼びかけー日本とメキシコを繋ぐ「時の魔法」

2016年10月15日 23:36

電気の月26日(G10/15)KIN40 黄色い磁気の太陽(by D)

天真書法塾の道友にMさん(KIN38)という方がいる。もともと『13の月の暦』を通じて知りあったのだが、数年前にLの個展にいらして下さった後くらいに、本部クラスに入塾された。私達とはクラスが違うので、普段、顔を合わせることは無いのだが、10/10(KIN35)、天真会のメーリングリストにとても興味深い投稿をされていた。

NHK BS1で放映された特集番組「チャスラフスカ もう一つの肖像 ~知られざる激動の人生」を見ていて、青木天外塾長(KIN245)の書が、チャスラフスカさんの自室に飾られていたのを目にしたという内容だった。ベラ・チャスラフスカさんは、その優美な演技により東京五輪の名花と讃えられ、メキシコ五輪と合わせて女子体操で2度総合優勝し、計7個の金メダルを獲得したチェコ代表の体操選手。
希望 
2012年に書の展示と剣の演武でチェコを訪れた事と、その時にチャスラフスカさんにお会いした事は、『霊性のアート』に、彼女の誕生キンがKIN165で、チェコ訪問時の青木先生の道筋(KIN165)と完全にシンクロしていた事と共に記しているが、今年の夏(8/30)に彼女が癌で亡くなっていた事は、Mさんの投稿によって初めて知った。
先生と 
民主化運動を支持していた関係で、共産主義政権下で非常に困難な人生を歩み続け、更に、離婚した夫が次男とのトラブルの末に死亡するという事件などもあって、長い間うつ状態であったとも言われている。共産党体制崩壊後は、ハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任し、後チェコオリンピック委員会の総裁も務められていたが、直接お会いしてみて分かったのは、何より人として素晴らしい方だという事。やはり、その人の生き様というのは、存在感に現れるものなのだ。
ベナトキ 
上記のような背景から、青木先生は激励の意味も込めて、日本語とチェコ語で「希望」と書いて贈ろうとされていたのだが、チェコ訪問時には法的にそれが叶わないという事情があって、諦めていたとのこと。そんな訳で、チャスラフスカさんがその書を自室に飾っていた事は、今回のMさんからの報告があるまで全くご存知なかったというのだから、人の機縁とは不思議なものである。
大 
Lが主宰しているシャンバラ教室は、その天真書法塾の支部教室に当たり、私も瞑想体操の指導で関わっているのだが、チャスラフスカさんの話を知る1週間ほど前、教室生のOさんが、世田谷美術館利根山光人による拓本「パカル王の石棺」が展示されている事を教えて下さった。以前、ジュエリーデザイナーの北村公晴さん(KIN10)に、雑誌に掲載された赤い拓本を見せていただいた事がある(「7つの世代の書」とカミーノ)ので、現物があるなら見ておきたいと思ったし、《時の魔法・ドリームスペル展》前なので、タイミング的にも完璧だ。

今回は10/23までの展示との事なので、それまでにと思っていたら、KIN37(G10/12)のシャンバラ教室で、今度はIさんから「パカルの拓本」を見たと、興奮気味に教えられた。OさんもIさんも、実は企画展の「志村ふくみ展」を見に行っていて、拓本の方は思いがけず目にしたとの事だったが、Oさんは『テレクトノン』における唯一の「パカルの特別な数字」(石棺の縁の日付と関連)であるKIN78だし、Iさんはパレンケの「赤の女王」(「碑銘の神殿」の隣のピラミッドに埋葬されていた)と結びつけられるKIN185(ホゼの最後のパートナーだったステファニーのKINでもある)。

もともと、KIN38(冒頭のMさんの誕生KINだ)に訪れるつもりでいたところに、この2人から話を聞いたことで、私はパカル(&ホゼ)が「早く来い」と使者をよこしたかのように思えた。実は世田谷区民になって12年、何と世田谷美術館は初体験。最初に「志村ふくみー母衣(ぼろ)への回帰」で絹糸の色と織の美しさを堪能し、それから2Fで行われていた「神々の森」へ。

そこに待ち受けていた「パカル王の石棺拓本」は、思っていた以上の大きさと迫力があった(色が赤ではなく墨色だったのもちょっとした驚きだった)。他にボナンパクとチチェン・イツァ(のジャガーと鷲)、そしてパレンケ十字の神殿の拓本があったが、やはりパカルの拓本が圧倒的だった。私もLも、現地で実物を目にしているのだが、墓室の中で水平に置かれた石板を見るのと、その拓本を縦向きに軸装したのとでは印象が全く異なる。拓本だと細かいデザインもはっきり見えて、マヤ文明が最も洗練されていた頃の芸術とそのエネルギーを、じっくりと味わう事が出来た。

それにしても、利根山氏の事を最初に教えて下さったのがKIN10の北村さんだったのは、何とも興味深い。何故なら、前日配信した最新のメルマガ(vol.64)では、KIN10の荒木氏と台風10号の事を書いていたからだ。美術館からの帰り道、10-10ナンバーの車と11ナンバーの車をそれぞれ2,3度見てしまったのは、単に自分がその数に注目していたからなのだろうか(後から考えるとG10/10もリンクしていたように思える)。

このパカル王石棺の拓本が世田谷美術館の所蔵だと言う事は、今回の展示を通じて初めて知ったが、昨年、この美術館に至近の病院に11日間も入院する事になったのも、もしかしたら何か関係があったのかもしれない。何故なら、パカルはパレンケ王朝11代目の王で、KIN11のホゼはそのパカルの声を聞いて『ドリームスペル』を生み出したからだ。ちなみに、KIN11は「銀河の音」も「紋章コードNo」も11である。

気になって利根山氏の誕生キンも調べると、KIN179(10・嵐)で生まれKIN146(3・橋渡し)で死んでいる。メルマガでは、KIN186(4・橋渡し)で生まれKIN219(11・嵐)で死んだダヴィンチの事を書いたが、どちらも生死の間が33キンであり、嵐ー橋渡し、橋渡しー嵐という反転の関係になっている。従って、どちらも「銀河の音」の差は「7」で、「紋章コードNo」の差は「13」である。そして、パカルの石棺には「3つ玉」のデザインを11見出す事ができる。

利根山光人は、茨城に生まれ、メキシコを題材とした作品を多く残し「太陽の画家」と呼ばれたらしいが、晩年は岩手の北上で過ごして、「鬼剣舞」を題材にした作品も製作されていたようである。私が鬼剣舞について知ったのは、宮沢賢治(KIN131)を通じて、昨年の自分の誕生日直前になってから(鎌倉みちのく魔術紀行(2))。誕生日当日(KIN131)は、江ノ島、鎌倉をウェイブスペル回りに巡る魔術的小旅行を実施したのだが、その時、遥かな空間を越えてシンクロした人物と、今日、久しぶりにお会い出来たのも不思議な縁である。

また、志村ふくみさんがKIN245(11・蛇)と分かったのも、大いなる驚きだった。何故なら、青木先生と同じ誕生キンであり、青木先生が開かれた天真書法塾の縁で、今回、チャスラフスカさんやパカル王の拓本との繋がりも発見されたからだ。この流れをきっかけに1964年の東京五輪を調べたら、何とMさんが天真会MLに投稿した10/10(KIN35)のピッタリ52年前の10/10(KIN35)〜10/24(KIN49=7×7)が開催期間だったと判明。つまり、今と全く同じ周期(365日暦も260日暦も)の52年前に、チャスラフスカさんは東京五輪で活躍していたのだ。

この流れは全て、2週間後に渋谷で行われる《時の魔法・ドリームスペル展》と密接にリンクしている。展示予定のホゼのコラージュ作品には、当然「パカル王の石棺」が含まれているし、会場最寄り(徒歩5分)の渋谷駅には、岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」が設置されている。この作品は、もともとメキシコ五輪とリンクして制作されたものであるだけでなく、太郎が以下のような意図を込めたものなのだ。「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く―といった気持ちを表現した」。
時の魔法展 
ドリームスペル展は、広島原爆投下(KIN55)から『13の月の暦』のツォルキン(260日暦)が100回巡ったタイミングに開かれる。それは、単にホゼの作品を公開するだけの場ではなく、同じKIN55に、ホゼとロイディーンによって呼びかけられた平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」、あるいは「明日の神話」の意図とも重なる「災いの反転と、調和的未来への祈り」が込められた「時の魔法」の実践的な行為でもあるのだ。
ホゼ作品 
そして、このタイミングにチャスラフスカさんに焦点が当たった事も、おそらく深いレベルで関係しているのだと、私は考えている。何故なら、彼女が合計7つもの金メダルを手にしたのは、東京五輪とそれに続くメキシコ五輪での事だったからだ。利根山光人が拓本を取ったパレンケ遺跡はメキシコにあり、「明日の神話」はメキシコで数奇な運命を辿って東京渋谷に戻って来た。その作者、岡本太郎は、多摩川の対岸、我が家から数百mのところで生まれている。

以上、何とかここ数日の間に生じた出来事を整理してみたが、今日、ある方から10/10(KIN35)にご家族が他界されたという連絡があった。80才というその年齢は、まさにパカル王の生涯と重なる。そして「電気の月26日」のサイ時間単位はKIN218(10・鏡)。1952年6月15日に「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された、まさにその日に対応する。この一連の流れを「パカル王からの呼びかけ」と感じた方は、2週間後、渋谷でお会いする事になっている方であろう。

*KIN38のMさんが広島出身だったと気づいて、また驚かされた

ポプ月から始まる「マヤ暦新年」

2016年03月31日 19:58

■太陽の月25日(G3/31)KIN102 白いスペクトルの風(by D)

今日は、『ドリームスペル』日本語版(第1刷)が伊勢の内宮に奉納された日からぴったり12年。内宮神楽殿でホゼと神職の方からのミニレクチャーの後、お神楽と共に奉納した事が思い出される。あの日はKIN142(12・風)だったから、12年経つと銀河の音が「1」戻るという事になる。

前後の経緯は『シンクロニック・ジャーニー』に記してあるが、『13の月の暦』情報の源である『ドリームスペル 時間船地球2013の旅』を、第62回式年遷宮が行われた2013年の9年前に当たる2004年に、ホゼと共に伊勢内宮に奉納出来た事は、多次元的に重要な意義があったと感じている。

という事は、そろそろ「マヤ暦新年」でもあるはず・・・と思って改めて確認をしてみると、前々から気になっていた疑問が浮上して来て、朝から他の作業そっちのけで資料を引っくり返す事になってしまった。おかげで、明確になった事があったので、自分の学習メモとして記録しておきたいと思う。

尚、これからその「新年(元旦)」を検討する「マヤ暦」は、メソアメリカに栄えた古代文明(マヤ、アステカなど)で使われていた365日暦(ハアブ)のことであり、昨今、日本で占い系情報として蔓延している「偽マヤ暦」とは異なることを、予め記しておく。

ここで言う「偽マヤ暦」とは、『13の月の暦(ドリームスペル)』という「新しく提唱された暦」の情報を丸パクリしつつ、その主旨とは全く異なる扱い方(占い鑑定や資格認定商法絡み)で拡散されているものを指す。それらは「マヤ暦」でもなければ「13の月の暦」でもないという意味で、《まがいもの》なのだ。

余程”オイシイ商売”と見えて、資格を与える側の団体(個人)が増殖し、もはや誰が何をやっているのかも分からない状況にあるが、「類似、反対、神秘、ガイド」「銀河の音」「ウェイブスペル」など『13の月の暦(ドリームスペル)』に特有の用語や概念を使いつつ「マヤ暦」と言っていたら、まず”偽物確定”である。

今や出版社も「儲けになるなら何でもアリ」の様相を呈しているので、観る目を持たない人は、偽物に出会う確率の方が高いかもしれない。ハリボテ、パチもの、イミテーション大好き!という人もいるので、そういうのに走る人を止めるつもりは無いが、ウソまみれの道具で見た「相性の良い人」とか「あなたの運命」が信頼に足るのかどうかは、よく考えた方が良いだろう。
ハアブ ★メキシコで入手したお土産のハアブ暦

さて、本題に入ろう。私は長いこと、古代マヤの365日暦(ハアブ)の元旦は「0ポプ」だと思って来た。『マヤのリズム』にもそのように書いているし、例題も示している。しかし、それだとどうも話の辻褄が合わない事が、いくつかあるのがずっと気になっていた。例えば八杉先生の『マヤ興亡』のP231には、以下のような記述がある。

 ”新年は365日暦のポープ月の最初の日に当たるが、その年は、その日に当たる260日暦の日の名前で呼ばれていた。つまり365日で一周する一年の最初の日は、260日暦のどの日に当たるかというと、碑文時代は、アクバル、ラマット、ベン、エツナブであった。それがランダの時代には、一日ずれて、カン、ムルック、イシュ、カワックの日となってしまっており・・・"

一方、マヤ長期暦とも連動するiphoneの無料アプリ「Maya3D Light」他、いくつかの手法で調べると、「0ポプ」の日に入って来るツォルキンの日付のグループは、カバン、イク、マニク、エブとなり、上記の碑文時代、ランダの時代のどちらとも異なるパターンになってしまう。

ただ、『マヤのリズム』に書いたように、現代のキチェ・マヤに伝わっている情報をベースにしたマヤ暦占いの本『ジャガーの智恵』も、このグループ(カバン〜エブ)が元旦になるパターンを採用しているので(ただし古代のものとは40日ズレている)、どれかひとつを”正解”とするのは早急に過ぎるかもしれない。どれもそれなりの背景や経緯があるのだろう。

ただ、今回、私が謎に思っていた「碑文時代は、アクバル、ラマット、ベン、エツナブであった」には、きちんとした理由があった事が分かったので、それを以下に整理してみる。まず、ジェフ・ストレイ著の『古代マヤの暦』P28には、はっきりと以下のように書いてある。

 ”マヤの元日は1ポプである。そして、その日のツォルキンでの日付を年の名前とした。”

 ”最初の日は「着座」の日と呼ばれる。マヤ人は時の周期の交代を事前に予知できるものと捉えていたため、各月の最後の日が次の月の着座の日とされた。”


そして、おそらくストレイのネタ元になったと思われるマイケル・コウ著の『古代マヤ文明』P78にも、以下のように書いてある。

 ”マヤの新年は1ポプに始まる。翌日は2ポプとなる。しかし月の最後が20とはならず、その翌月が「着座する」ことを示す記号がつく。これはマヤ独特の思考によるもので、あらゆる時の流れはそれが始まる前に予知され、また時間が完了した後もいくらか持続するという考えに基づいている。”

なるほど、0ポプではなく、1ポプを元旦とするなら、碑文時代の話はアプリの計算とも辻褄が合う。つまり、コウやストレイの言っている事を整理すると、ポプ月というのは「0ポプ〜19ポプ」ではなく、「1ポプ〜0ウォ」と数えるという事だ。そして最後の特別な5日間に対応するのも「1ワイエブ〜0ポプ」だという事だ。

何とも分かり難い話だが、これが今日の私の「発見」である。手持ちの本にきちんと書いてあったのに「ポプ月というのは、0ポプ〜19ポプの事だろう」という思い込みがあって、見過ごしていたのだ。たったこれだけの事も「思い込みフィルター」があると見えないのだから、この世界の真のあり様を観るのは容易ではない。

では、0ポプを元旦と考えるのは「間違い」なのだろうか?八杉先生の『マヤ文字を解く』P52にある、下記の説明を読むと、必ずしもそうとは言えないようである。

 ”0から19がふつうだが、20日目まで数えられることがある。その日は次の月の0の日、すなわち次の月が支配の座につく日でもある。これまで十二例ほど知られているが、とくにヤシュキン月のときが多い(表1)。”

書かれていることはコウやストレイの本と同じだが、ヤシュキン月の例(表1)を文章で書くと、次のようになる。
・通常ー 19ヤシュキン、0モル、1モル
・トゥン文字使用ー 19ヤシュキン、20ヤシュキン、1モル
最初から後者のように区切られていたら混乱は無いのだが、違う表記法があるという事は、その背後にある感覚にも違うものがあるのかもしれない。

ちなみに、日本に『13の月の暦』を紹介された高橋徹さんが、古代マヤ暦のカウント法について書かれた『マヤン・カレンダー2012』では「0ポプ」が元旦となっているし、青木晴夫氏の『マヤ文明の謎』P128にも、以下のように明確に文章化されている。

 ”マヤのハアブの元日は、「ゼロ・ポップ」である。この日に当たるツォルキン暦の日が「年の担い手」と呼ばれる。”

そして、本書では「年の担い手(イヤー・ベアラー)」として、カン、ムルク、イシ、カワクという、「ランダの時代」と同じグループが紹介されている。青木氏は、カリフォルニア大学で言語学を学ばれた方で、厳密な意味でマヤの専門家と言えるのかは分からないが、シーリーを始めとする米国の著名なマヤ学者に直に学ばれたようなので、そんなに情報に狂いは無いはずだ。そして、ホゼの『マヤン・ファクター テクノロジーを超えた道』のP349にも以下のような記述がある。

 ”ハアブの最初の日は常に0ポプである。例えば、7月26日は常に0ポプとなる。ひとつのウィナルの最初の日は常に0で、最後の日は19である。”

この文の前後に登場する元旦のツォルキンの日付は、やはりカン、ムルク、イシュ、カワクで、「ランダの時代」と同じ。ホゼもマヤ学の専門家とは言えないものの、美術史のPh.Dとしてアカデミズムの世界に身を置いていた人物であり、コウの本も参考文献としてしっかり挙げている位だから、区切り方が色々あるのは分かっていたのではないかと思う。その上で、「0〜19」の方を採用しているのだろう。

ただ、ここで注意しておきたいのは、『マヤン・ファクター』の数え方は、本来1/4年ずつ元旦がズレて行くはずのハアブを、「ランダの時代」のまま(ユリウス暦7/16→グレゴリオ換算7/26)固定して数えている点である。この数え方は『テレクトノン』に継承され、こよみ屋さんのA3カレンダー(裏面)にも「ウィナル・カレンダー」として掲載されているが、碑文に残るハアブとは異なるものであることを、理解しておく必要がある。

もとより、私自身はアカデミズムの人間ではない。しかし、layman(門外漢)だからこそ見えたり、素人発想で自由に考えたりできる側面もある。そして、素人として調べた限りでは、今年の「マヤ暦新年」は、(碑文時代の数え方を仮設的に続ければ)以下のどちらかになる。

・ G4/1、マヤ暦「0ポプ、5カバン」、ドリームスペル「KIN103(12・夜)」 
・ G4/2、マヤ暦「1ポプ、6エツナブ」、ドリームスペル「KIN104(13・種)」

個人的には、日本の新年度ともシンクロする「0ポプ」説、つまり明日を「マヤ暦新年」と意識したいが、現地では半世紀以上も前に「数え方の伝承が途絶えた」とされるハアブなので、好きな方で数えたら良いと思う。ただ、G暦7/26が元旦なのは「マヤ暦」ではなく『13の月の暦(ドリームスペル)』であり、『13の月の暦(ドリームスペル)』は「マヤ暦」そのものではない、ということは、最後にしつこく念押ししておきたい。


(*)マヤ暦、特にツォルキンに関する情報を整理し、シンクロ加速ツールとして活用したい方は「ツォルキン・マトリックス瞑想 in京都(G4/17)」が役立つだろう。

(*)出て来たツォルキンの日付を、ドリームスペル(13の月の暦)の「太陽の紋章」に変換表記しておく。
・アクバル(夜)、ラマット(星)、ベン(空歩く者)、エツナブ(鏡)
・カン(種)、ムルック(月)、イシュ(魔法使い)、カワック(嵐)
・カバン(地球)、イク(風)、マニク(手)、エブ(人)

(*)ランダとは、スペインがユカタン半島を征服した時期のカトリックの司教。つまり「ランダの時代」とは16世紀頃を指す。

太陽の使者 - パカルとツタンカーメン、そして天照大神

2016年03月22日 23:57

太陽の月16日(G3/22)KIN93 赤い月の空歩く者(by D)

今年の「春分の日」は、『13の月の暦(ドリームスペル)』での34週目の終わりとシンクロする「太陽の月14日」、KIN91(13・猿)だった。これに因んで、【銀河マヤのククルカン瞑想】というイベントを開催したが、例のごとく、開催日が近付くにつれ様々な情報が繋がって来て、そのシンクロ率は春分当日に最高潮を迎えた。その流れを、少しメモしておきたいと思う。

3/16(KIN87)、私は4年前の同日に体験した驚くべき発見について回想していた。その要点は『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』(ヒカルランド)や【パレンケ1320年のテルマ】という記事にまとめてあるが、春分の日にリンクして来る部分だけピックアップしてみると、おおよそ以下のような感じになる。

銀河文化ツール『テレクトノン』によれば、パレンケの「碑銘の神殿」が完成したのは、マヤ長期暦9.13.0.0.0とされる(神殿の碑文にこの日付が刻まれているのは確かだが、神殿が完成した日という説は今の所見あたらない)。この日付を、ユリウス通日など挟みつつグレゴリオ暦に仮想的に変換すると、692年3月16日となる。

長期暦の一番下の桁が0ならば、ツォルキンは「アハウ(太陽)」になるはずだが、きちんと調べた事がなかったので、改めて調べてみる事にした。すると、その日付はパカル王の誕生日と同じ「8アハウ」である事が分かった(ちなみにドリームスペルツォルキンではKIN167=11・手)。それで判明したのは、パカル王の誕生から9.13.0.0.0までの間に、古代マヤのツォルキンはぴったり125回巡るという事だった。

パレンケ王朝11代目の王であるパカルの生涯は80年だったので、死後9年目に当たる9.13.0.0.0は、生まれてからほぼ89年後であり、これがぴったりツォルキン125回転分に対応していた事になる。一方、パカル王とのテレパシー的な繋がりによって生まれた『ドリームスペル』は、2013年をその目標点に定めていた。

私達は、日本語版制作チームとして、2004年にホゼ(KIN11)と共に内宮神楽殿にて『ドリームスペル』を奉納しているが、その9年後の2013年は、第62回式年遷宮のタイミングだった。伊勢の神宮は、全部で125のお社から成るが、遷宮儀式の中でも最も重要とされる内宮遷御の儀では、125代今上天皇の長女である黒田清子さん(KIN125)が臨時祭主を務められた。

ホゼはパカル・ヴォタンと表記する事が殆どだが、石碑に残る王の名は「キニチ・ハナーブ・パカル」で、直訳すると「太陽・花・楯」となる。そのパカルの声を聴いて『ドリームスペル』や『テレクトノン』をロイディーンと共に生んだホゼは、5年前のKIN89(G3/23)に他界している。ホゼの誕生(KIN11)と死(KIN89)の日付の合計であるKIN100は「黄色い太陽の太陽」。パカル王が生まれた日付も伊勢の御祭神も太陽である。

9.13.0.0.0からぴったり1320年後に当る2012年3月16日は、ドリームスペルでKIN187(5・手)だった。この日、パレンケを訪れた時のスケッチやメモを再発見したというのが、冒頭の「驚くべき体験」なのだが、それから1年半後に出版した『霊性のアート』には、「13の月の暦・手帳」(こよみ屋)の12月1日(KIN187)の日付(=大周期完了とされた2012年冬至の20日前)の所に、青い虫が止まった事が書かれている。

そして『霊性のアート』P187には、この本のエッセンスを凝縮した「球状精神宇宙モデル」が掲載されている。もちろん、そんなページを自分で選べる訳ではない。自然の采配によって、そのページがKIN187に重なったのだ。自由が丘駅のホームで手帳を開いた瞬間に止まった「青い虫」は、グレートサイクルの終わり(2012年冬至)の20日前を示しただけでなく、その260日前、つまりマヤ長期暦9.13.0.0.0からぴったり1320年後の3/16の発見にも注目せよ、というサインだったのかもしれない。

125に関する発見の翌日に当たるKIN88は、地球の父の生誕106銀河スピン、その翌日のKIN89は銀河の父・ホゼが銀河に帰還して7銀河スピン、続くKIN90は『銀河のマヤ』を共に創って下さった波動と水の師・江本勝所長の生誕102銀河スピンに当たっていた。125銀河スピン=89年について、106+102=208銀河スピンのタイミングで気付くことになるのも、私にとっては銀河的なお告げである。

G3/18(KIN89)、私は、G4/16(KIN118)に神戸で開催される【剣武天真流ワークショップ】をお知らせする意図もあって、2015.10.11(KIN191)に神戸TEN×TENで行わた宮野玄妙師範創作展会場での御祝い演武映像を、FBでシェアしてから出かけた。その際、ふと気になって調べてみると、神戸での御祝い演武から4月のワークショプまでは、ちょうど187日である事に気付いた。

『7:7::7:7』マニュアルの13バクトゥン図で、KIN191がパカル・ヴォタン(の時代)を意味し、反対のパートナー(130離れた最も遠い関係)のKIN61が、アブラハム(の時代)を意味するのを確認してから外に出ると、KIN191の神戸で共に演武した剣武本部正師範5名が月1回だけ顔を合わせる会場のすぐ近くで、191ナンバーの車に出会った。
191.jpg 

この日(KIN89)、私はツタンカーメンの墓に関するニュースも目にしていたが、KIN191に関するシンクロの方に引きつけられていて、春分当日までそのサインの重要性に気付いていなかった。そして、チチェン・イツァにククルカン(羽毛の生えた蛇)が降臨する春分(KIN91)の朝がやって来た。

前日までの流れに刺激を受けていたからだろう、起き抜けに、ふと気になって『7:7::7:7』マニュアルの13バクトゥン図でKIN91に対応する所を確認してみると、何と「ツタンカーメン」と書いてある!同じ図は、拙著『宇宙の暦は13ヵ月・新装板』のP154-155にも(『新しい時間の発見』から)引用させてもらっているが、初出は『マヤン・ファクター』だ。

そこで『マヤン・ファクター:テクノロジーを超えた道 』を開いてみると、何と、同じ図がP186-187に出ている!そして「ツタンカーメン」が含まれているページは187の方だった!数日前から注目していた187がここにも出て来た事で、私は、家を出るまでの限られた時間に、ツタンカーメンについて調べる必要性を強く感じた。

Wikiによると、ツタンカーメンの統治期間は紀元前1333年–1324年(第18王朝)とあるから、王として在位したのは9年間だった事になる。この日「羽毛の蛇」が現れるチチェン・イツァのククルカンピラミッドは、パレンケ同様9層の構造をしており、その4面にそれぞれ91段の階段がある。今回、瞑想を呼びかけた主な理由は、春分にKIN91が同期するという希な機会だったからだ。

9層の段(の一面)を階段で2つに割る構造は、18ヵ月(ひと月20日)から成る365日暦とも関係がある。91×4=364に、4面共通のテラス1段分を加えて365日の暦(ハアブ)になっているこのピラミッドは、18ヵ月+5日(これが共通テラス分)という仕組みも表現しているらしい。

思えば、みよこみよこさんに描いて頂いた『マヤのリズム』のカバー絵も、監修を担当させて頂いた『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』のカバー写真も、このククルカンのピラミッドだが、1999年に現地を訪れた時には、どちらの本も、この世には存在していなかった。しかし、瞑想参加者には直接お伝えした通り、私はその時、非常に個人的かつ銀河的な儀式を、そのピラミッドで行っていた。

ホゼが、「ケツァルコアトルククルカン)の預言」がもし真実であるのなら、世界は然るべき反応をするはずだという仮説を立て、実際にハーモニック・コンバージェンスを通じてその確認をしたように、私も自分の儀式が単なる個人的な動機に基づくものではない、宇宙的な流れに沿うものであるのなら、いずれその反響はあると考えていた。そして、2冊の本の表紙は、その反響のひとつだと、今、私自身は感じている。

さて、出かける前に、ツタンカーメンについて、もうひとつ確認しておきたい事があった。ちょうど、4年前の今ごろ、関西で最初の『ドリームスペル』配布会を兼ねたレクチャーがあり、その時、大阪駅でツタンカーメンに関する驚きのシンクロを体験した記憶があったからだ。しかし、ブログ内検索をしてもそれらしい記事が出て来ない。あまりに激しいシンクロに見舞われている時期だったので、その事をまとめて記述する余裕が無かったのかもしれない。

とにかく出掛けで慌てていたので、4年前の手帳に頼る事にした。すると、パレンケに関するテルマ(埋蔵経典)発見の翌日に当るG3/17(KIN188)には、こんなメモがあった。「大阪駅でツタンカーメン展が今日から6/3と知る。3300年」。対応する日付前後の写真をiPhotoで探して張り出して来てiPhoneに転送して出発。お陰で参加者に証拠を見せてあげる事が出来たが、今日(KIN93)、改めてツイログで探ってみたら、ちゃんとメモが残っていた。以下当時のツイートを抜粋してみる。

ツタンカーメン ★2012年3月17日当日大阪駅にて

”3300年の時を超えて今日からツタンカーメンの宝の一部が大阪で公開されるようだ。3300部制作されたドリームスペルの一部が今日大阪で配布されるのは、もちろん偶然ではない。といっても今日から大阪で公開と言うのは知らなかったけど(笑)。” 

”なにしろ私は四年前の3月3日に、王家の谷のV62とナンバリングされたツタンカーメンの墓で一般公開されたばかりの彼のミイラと対面しているのだ。”(注:2013年の伊勢式年遷宮は第62回)

ツタンカーメン柱 ★大阪駅の改札を出るといきなりこんな状態だった

そして、4年前の手帳の「太陽の月」には、「191」という数字も記述されていた。これは『時間の法則の20の銘板』のクロノグラフ情報だが、先述した13バクトゥン図でパカル・ヴォタンに対応するキンだ。「碑銘の神殿」が9.13.0.0.0に完成したのであろうとなかろうと、『テレクトノン』と『20の銘板』と「13バクトゥン図」の中においては、完璧に整合するタイミングに、私がパレンケのテルマを受取ったという事実こそが重要なのだ。何しろ、私は自らその窓口を選んで銀河マヤにアクセスして来たのだから。

果して、「銀河マヤのククルカン瞑想」に参加された方は、午前9名、午後9名の合計18名(重複あり)となった。午後の9名には、当日になって参加を決めた方の数も含まれていたが、結果的にククルカンピラミッドの構造とも、ツタンカーメンの在位期間とも、「9(太陽)の月」とも完璧にシンクロしていたし、最初から参加される事になっていたのだと感じさせる発見が、後から沢山出てきたりもした。

何しろ、当日参加を決めた方の1人は、この日が55回目の銀河の誕生日で、太陽暦の誕生日は現在55才のLと同じだったのだ!さらに、9人の中に「反対のパートナー」が2組もいらしたのだ。ひと組いるだけでも驚きだが、この人数で2組とは誠にマジカルである。13バクトゥン図で、アブラハムとパカル・ヴォタンの関係に注目した流れも関係がありそうだし、ピラミッドに羽毛の蛇が現れる春分と秋分が、地球公転軌道上の180度離れた「反対」の関係にある事も関係しているのだろう。

春分L ★9名の参加者とドリームスペル日本語版世話人のL

そして帰宅後、午後の「ククルカン瞑想」参加者9名の誕生キンを合計してみたら、何と1330になった。朝、ツタンカーメンの統治期間が、紀元前1333年–1324年というのを知ったばかりだっただけに、この9年の統治期間にBC1330が含まれる事は、大いに驚きだった。ピラミッドと虹のククルカンを通じて太陽意識にチューニングをする瞑想は、参加して下さった皆さんにそれぞれ興味深い体験をもたらしたようだったが、そこにはツタンカーメンやパカルも深く関係したように、私には感じられた。

このブログを書いていて気付いたのは、KIN191は「9・猿」=「9・11」であり、瞑想参加者9名に私達2名を加えた11名とも読める。この瞑想が911の影響を中和反転させるだけでなく、さらに先に繋がる共振テクノロジーの土台となることを願うばかりである。

他にも無数のシンクロがあったが、果てしなくなってしまうので、今回はこの位にしておこう。ひとつはっきりさせておきたいのは、このような気付きや発見は、参加者の集合意識、時空の場、多次元的な流れが全て関係して生じるものだ、という事だ。その時、その場に集う人々にとっての贈り物が、必要に応じて届けられるのだ。今回の場合、それが太陽王であるパカルやツタンカーメン、そして天照大神(伊勢)だったという事だろう。

目に見える情報はツイートやブログで追う事ができるが、その場のエネルギーはその場に居た人にしか届けられない。今週末は横浜ナディアで「テレクトノンとエクスカリバー」について、4月の中旬には京都で「ツォルキン・マトリックス」をテーマにしたクラスがあるが、その内容はある面、参加者によって決まるところもあるのだ。興味関心を持つ人々が集う場と、ただ受け身で聞くだけの人々が集う場とでは、直前に発見される情報の質やクラスの最中に気付く事も違って来る。それ故、私のクラスは同じテーマで話す時でも、二度と同じ内容のものは無いのである。

例えば、今回のククルカン瞑想の開催を決めた当初は(そのお知らせは13700ツイート目にシンクロした)、『ヨーロッパの祝祭日の謎を解く』(アンソニー・アヴェニ著/勝貴子訳)を持参しようと思っていたのだが、上記の通り、直前にあまりにも色々なシンクロがありすぎて、すっかり忘れてしまった。しかし、それも自然の流れなのだ。この本の第4章は「春分の日-大蛇の降臨」というタイトルで、チチェン・イツァと絡めて、ハーモニック・コンバージェンスやホゼの事も書かれているので、関心のある方は読んでみると良いだろう。最後に、春分の日のLのツイートを付して、このメモを終えよう。

”クリカのブログ、FC2から割り当てられたナンバーは91だった!ということにKIN91の今日気づく!それは道友のメーリングリストへの投稿のおかげなのだが、その道友の銀河の署名はKIN175=本日のPCUなり!きゃ!L
http://happykulika.blog91.fc2.com/ ”


★KIN94満月の追記
調べものがあって、自分の誕生日前後を手帳で調べていら、KIN132に三島由紀夫に関する
以下のようなメモを見つけた。
1925.1.14(KIN91=13・猿)誕生「天界」
1970.11.25(KIN191=9・猿)死「冥界」
1971.1.14(KIN241)多摩霊園に埋葬
13が天界で、9が冥界というのはマヤの神話論。

春分のククルカン瞑想に参加して下さった方の一人は、当日KIN91が銀河の誕生日で、G暦誕生日はLと同じ1.14だった。そして、上記のシンクロに気付いたのは、今日(KIN94)、シャンバラ教室で1.14生まれの方に会った直後のこと。13バクトゥン図(歴史の波動調波図)でKIN91は「ツタンカーメン」、KIN191は「パカル・ヴォタン」。

そして今日は、『13の月の暦』の年初から(0.0フナブ・クを省けば)元旦含めて241日目。0.0フナブ・ク含めれば、元旦から241日目。以上の気付きを得て飲食店から外に出ると、そこに止まっていたのは「91-11」ナンバーの車。91はツタンカーメンと三島由紀夫と春分とピラミッドの階段の数、11はパレンケ王朝11代目の王(パカル)、もしくはホゼ・アグエイアスだろう。
9111.jpg 
全ては完璧なタイミングで見出される。

「0.0 フナブ・クの日」とは?

2016年02月28日 23:31

銀河月22日(G2/28) KIN71青い律動の猿(byD)

今日は、『ドリームスペル(13の月の暦)』の260日暦(ツォルキン)でKIN71(6・猿)、365日暦で「銀河の月22日(8・22)」だった。一方、古代マヤ遺跡の記録とも整合するマヤ暦では、11カン(KIN24に相当)。では、グレゴリオ暦の閏年にのみ生じる調整日2/29は、どうなるのだろうか?
dreamspell 
数え方の背景を知っておく事が重要なのは言うまでも無いが、まずは、現状、実際に行われているやり方で、今日から3日分を、グレゴリオ暦(G)、ドリームスペル(D)の365日暦、260日暦、マヤ暦で追ってみる。

尚、現在もメソアメリカで使われている(遺跡の記録と整合する)マヤ暦は260日暦のみであり、(本来の)マヤ暦ツォルキンには、ドリームスペル(13の月の暦ツォルキンのような通し番号は存在しないが、便宜的にKIN○○相当と記しておく(世間に蔓延しているのは、後述する通り「偽マヤ暦」なので要注意)。

★G2/28
D365日暦 銀河の月22日
D260日暦 KIN71(6・猿)
マヤ暦   11カン(KIN24相当)

★G2/29 
D365日暦 0.0フナブ・ク
D260日暦 0.0フナブ・ク
マヤ暦   12チクチャン(KIN25相当)

★G3/1
D365日暦 銀河の月23日
D260日暦 KIN72(7・人)
マヤ暦   13キミ(KIN26相当)

整理すると、グレゴリオ暦閏日(2/29)に、ドリームスペル(13の月の暦)は、時間を一時停止させ、マヤ暦はかまわず数え続けるという事だ。では、G2/29生まれの人に、ドリームスペル(13の月の暦)での誕生日や誕生KINは無いのだろうか?

まずグレゴリオ暦だけで考えてみれば良い。そもそも、2/29生まれの人が4年に一度しか年を取らないなどという事は(生物学的に)ありえず、閏年以外は、2/28か3/1のどちらかを誕生日として祝っているはずだ。

これと同じで、「0.0フナブ・ク」の日生まれの人も「銀河の月22日」か「銀河の月23日」のどちらかを、誕生日として”選び”、生まれた年のその日付に対応するKIN(例えば今年ならKIN71かKIN72)を「銀河の署名(誕生キン)」として”選ぶ”、ということになろう。

「時間をはずした日」生まれの人や、真夜中0時(前後)生まれの人も同様に考えれば良いだけで、全ては「誰かが”仮に”決めたルール」の中で生じている事なのだと分かっていれば、自由に発想できるようになる。

さて、視点をマヤ暦ツォルキンに移してみよう。こちらは、何事も無かったかのように普通に日付を数え続けている。グレゴリオ暦が誕生する遥か以前から、メソアメリカでツォルキンを使い続けて来た人々にとっては、グレゴリオ暦の事など一切想定する必要は無いのだから、当たり前と言えば当たり前である。

本来は、『ドリームスペル(13の月の暦)』もマヤ暦と同じように、グレゴリオ暦の閏日など考慮せず、そのままカウントし続けると、「白い電気の魔法使いの年」(1995.7.26〜19967.25)の資料の中で、以下の通り、はっきりと述べられている。

 ”2月29日は、グレゴリオ暦の機能であり、13の月の暦の中には存在しません。地球の現在の回転によって集積させれるこの余剰分の日は、その代わりに52年ごとに特別な13日の「時間をはずした日」で調節されます。これが意味することは、1996年2月29日は、余剰の「時間をはずした日」で、260日の銀河スピンにも、13の月の暦にも登録されていません。この日は、「0.0フナブ・ク」として登録されます。

しかし、『ドリームスペル』マニュアルには、「注意:2/29は数えません。それを省いて次に進みます。」としか書いていないので、当初は「0.0フナブ・ク」という名称は無く、閏日の処理についても、あまり考えられていなかったのかもしれない。それは『13の月の暦説明書』(PCC東京)P68に、以下のような書き方がされていることからも伺い知る事が出来る。

 ”こんどの銀河の月の22日と23日のあいだに、惑星キンは、もうひとつの<時間をはずした日>を祝う事ができ、その日は、暫定的に<0.0フナブ・ク>として知られます。2000年には、グレゴリオ暦は、過去のものとなり、もはや閏年は問題とされることはないでしょう。

つまり、グレゴリオ暦から「13の月の暦」へのシフトが完全に完了してしまえば、この問題は消失すると書いてあるのだ。実際には、アグエイアス夫妻が思い描いていた通りの流れにはなっていないため、その後も、暫定的なはずの<0.0フナブ・ク>を数え続けている、というのが現在も続いている状況である。

同時に、ドリームスペル(13の月の暦)は、12:60の象徴であるグレゴリオ暦からのシフトを重要視しているが故に、その橋渡し期間での混乱を避ける目的で(元旦がG暦7/26で固定され他の日付の関係性も変わらないように)、<0.0フナブ・ク>を入れ込んでいるとも言える。従って、<0.0フナブ・ク>という暫定処置をしている(人々がG暦と13暦を併用している)間は、上記の”52年ごと特別な13日の「時間をはずした日」で調整”という本来のやり方は、行われない事になる。

また、当初、アグエイアス夫妻の資料の殆ど全てを翻訳され、最も密に連絡を取られていた高橋徹さんの著書『銀河文化の創造「13の月の暦」入門』には、以下のような文章もある。

 ”<0.0フナブ・ク>の日は、神聖暦の260日の中に対応する〈銀河の通路〉(13の銀河の音程と20の太陽の紋章の組み合わせ)を持ちません。現時点では、前日の銀河の月22日の〈銀河の通路〉がそのまま続くという見方をしています。

つまり、2/29は2/28の延長として、365日暦も260日暦も前の日のものを2日続けて数える、という事だ。私が、この暦に関わり始めた当初は、確かにそのように教わった記憶がある。ただ、これはあくまで、直接誕生日が関わらない人に向けた一般的見解であり、誕生日が関わる人に向けては「前後の日付のどちらかを当事者自身が選び取れば良い」旨、同書の中で述べられている。

以上、出典を確認しつつ細かく書いてきたが、要は、グレゴリオ暦との関係性を一定に保持するために、暫定的に生み出されたのが<0.0フナブ・ク>だ、ということである。

私が、著書の監修を担当させて頂いたカール・コールマン氏などは、「こんな暫定処置が入ったツォルキンでは宇宙と共鳴できない」等と、『ドリームスペル(13の月の暦)』をかなり否定的に捉えている面があったが、私自身の20年に渡る体験から言わせてもらえば、コールマン氏の言い分は、「マヤ長期暦の終わりは2011年10月28日だ」と言い切っていた彼の仮説同様、信用するに足るものでは無い。

むしろ、この暫定処置によって驚くべきシンクロ体験が出来ている、というのが私の実感である。その証拠は、これまでに出版している拙著やシンクロニック・ダイアリー、メルマガに延々書き述べて来ている通りである。このことは、「仮設のルール」であっても、「本質と繋がる仕組み」があれば、使用者のリアリティに大きな変化をもたらす可能性が高い、という重要な示唆を含んでいる。

しかし、こうした暫定処置の背景も知らずに、「鏡の向こうがどうだ」とか「黒キンだこうだ」などと騒いでいる人々に比べたら、コールマン氏の方がずっと誠実かもしれない。なぜなら彼は、ドリームスペル(13の月の暦)とマヤ暦の違いを、はっきり認識していたからだ。

ドリームスペル(13の月の暦)を都合よくパクった(後付け解釈まみれの)「偽マヤ暦」とセットになった資格認定商法にまんまと乗せられて、「運命は決まっている」なんて考えている人々は、こういう閏日処理についても、もっと真面目に考えてみた方がいいだろう。そうでないと、いつまでも「いいカモ」のままである。

最後に、今日、銀河の月22日の「サイ時間単位」に注目しておきたい。「銀河の月22日」つまり「8・22」のサイ時間単位は、常にKIN164、つまり2013年7月26日「銀河の同期」と同期している。もし、『銀河文化の創造』に書かれているように、明日G2/29も「前日の延長」として数えるのなら、「銀河の同期」に通じる「サイ時間」が2日続くという事になる。

これは、「暫定処置」から生まれた実にマジカルな現象だと私は思う。そして、こうした采配にこそ、銀河知性の絶妙な働きを感じる。今回のこの気付きから、<0.0フナブ・ク>の日は、2013年7月26日以降も「銀河の同期」ポイントへとアクセスできる、重要な窓口(の1つ)なのではないかと、私は思っているのである。

パカルの特別な13日とマヤ暦

2016年02月17日 23:45

銀河の月11日(G2/17)KIN60 黄色い銀河の太陽(by D)

今日は、『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンでKIN60(8・太陽)。銀河の音「8」が月日で重なる「魔術の亀の日」だった。そして「パカルの特別な13日」。確かに、パカル王の石棺の蓋には「8・太陽」に相当するマヤ暦ツォルキンでの「8アハウ」が刻まれている。しかしながら、これをそのままKIN60と数えてしまったのは、問題があった。
pacal.jpeg ★達人サーファー吉田さん(KIN43)作のレリーフ

順番に整理してみる。まず、巷に広く出回っている「ドリームスペル(13の月の暦)のツォルキン」と、遺跡に残された記録とも整合する「古代マヤのツォルキン」とは、全く別な日付を数えている別な暦である。つまり、この世には、少なくとも2つのバージョンのツォルキンが存在するということだ。

具体的に書けば、今日は、ドリームスペルだとKIN60(8・太陽)で、マヤ暦だと「13ベン」、仮にドリームスペル風に書けば、「13・空歩く者」(KIN13)となる。つまり、二つのツォルキンは、現時点で47日ズレている。このズレは、間もなく訪れるG2/29で変化して46日となる(グレゴリオ暦の事を考慮するかしないかの違いによって)。

13の数字と20の絵文字を組み合わせて260日周期を数えるという仕組みは同じなのに、数えている日付が異なっているから、ややこしくなるのだ。と同時に、「ドリームスペル(13の月の暦)のツォルキン」と「古代マヤのツォルキン」という2つの別な暦を、ホゼ自身が都合よくごちゃ混ぜにしてしまったのが、後に偽マヤ暦団体を幾つも誕生させ、より深い混迷を生み出す遠因にもなったと言える。そこをもう少し追求してみよう。
dreams.jpg ★『ドリームスペル』キット日本語版

8アハウ」が、「古代マヤのツォルキン」でのパカル王の誕生日であるのは、間違いない。しかし、ホゼはこれを「ドリームスペル(13の月の暦)のツォルキン」の計算方法に換算せず、古代マヤの数え方のまま、見かけだけドリームスペル風にして、テレクトノン発表時に「パカルの特別な13日」という形で組み込んでしまったのである。

世界各地の伝統的精神文化を、何でも「時間の法則」(ドリームスペルのカウント方法が土台にある見方)に統合してしまうのは、ホゼの得意とするところで、ある意味一貫性があるのだが、マヤ暦とドリームスペル(13の月の暦)の識別が付かない初心者にとっては、やはり混乱の源となる(識別方法は『マヤのリズム』に整理してある)。

実際、私自身も、2012年にあるきっかけが訪れるまで、16年近くもの長きに渡って、何の疑いも無く「パカル王はKIN60(8・太陽)生まれ」と信じ込んで来た。というより、あまり真面目に検証もせず、なあなあにして来たという方が、より正確かもしれない。

では、今日をKIN60と数えるドリームスペル(13の月の暦)ツォルキンの数え方では、パカル王の誕生キンは、一体何になるのだろうか?私なり色々調べて検証した結果は、KIN190(8・犬)である。その検証プロセスについては『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』(ヒカルランド)に述べてあるので、きちんと背景を押さえたい方は、そちらを参照して頂ければと思う。

こうした背景や、グレゴリオ暦との関係性を曖昧にしたまま、「あなたの運命は?」とか「相性は?」とか「潜在意識が○○」「鏡の向こうが××」なんてやっている人々は、まさに砂上の楼閣的な後付け知識を増やしているだけなのだ。ものごとの本質を探究し、自分の間違いや勘違いを正視する勇気を持てる人なら、今すぐには受け入れられなくとも、いずれそう悟る時が来るだろう。

今日をKIN60(8・太陽)と数えながら、それをマヤ暦と呼んでいる人々は、単に勉強不足なだけか、勉強好きでも方向性を間違えて本質から外れ続けている人か、本当はマヤ暦とは違うものだと知っていながらゴマかしている嘘つきか、のいずれかである。今日をKIN60と数えるのは、ドリームスペル(13の月の暦)のツォルキンで、マヤ暦のツォルキンではないのだ。

ウェイブスペル」「銀河の音」「太陽の紋章」などの用語も、全て『ドリームスペル(13の月の暦)』に由来するもので、もともとのマヤ暦には存在しない。殆どの人がネットにアクセス出来る現代、ちょっと調べれば分かるのだが、多くの人はその「ちょっと調べる」という手間を省いてしまう。だからこそ、嘘でも声の大きい者の情報に流されてしまうのだ。

どんな分野でも、大抵ニセモノの方が流行り易く、一気に広がり易いのは、そういう面倒臭さを避ける人々が、「手っ取り早さ(即効性)」や「仮(その場)の安心感、幸福感」を優先して、お手軽簡単な情報を求めるからだろう。昨今は、出版物もそういうものだらけなので、先に識別力を鍛えておかないと、時間と労力とお金を浪費し続けて、「結局、私は一体何をやって来たのだろうか?」という状態に陥りかねない。

という訳で、世間でマヤ暦とかツォルキンカレンダーとか呼ばれているものの殆どは、『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンをパクった上で、色々な情報を混ぜこぜにした「偽マヤ暦」なのである。それは、本来のマヤ暦でも、本来のドリームスペル(13の月の暦)でもないのだが、世間には「パチもん」好きな人もいるので、そういうバイブレーションに引き寄せられる人を無理して止めようとは思わない。ただ、どういう背景のものか知って触れるのと、そうでないのとの違いは大きいので、縁ある人に向けて書いておきたいのだ。

尚、偽マヤ暦系の親玉たちは、もちろんネタ元の『ドリームスペル(13の月の暦)』のことも知っているので、講座では予め「色々な流派がある」という言い逃れを口にしてるようである(大枚叩いて講座に通っていた複数の人達から聞いた)。この際、はっきり書いておくが、流派など最初からなく、単にピラミッド型集金システムを作りたい者達が、偽マヤ暦団体をあちこちで乱立させているだけの話なのだ。

最後に、このブログに辿り着いた方は、本来の情報を知る可能性を持つ人々だが、私が書いている事もそのまま鵜呑みにせず、是非、多面的、多角的に検証してみてほしい。その姿勢こそが、銀河知性の贈り物である『ドリームスペル(13の月の暦)』が促しているものだからだ。

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