2011年10月04日 03:38
■電気の月14日 (G10/3) KIN23 青い惑星の夜(by D)
今から4年前ほどに始まった「千夜一夜リーディング」(背景についてはコチラ)。最近は大分間が空くことも多いのだが、リーディング自体はコンスタントに続いていて、最近、98話目を迎えた。メルマガにも書いた通り、少し前にバルセロナに行って来たところなので、最近は、カタルーニャに関する過去生についてリクエストしていたのだが、なかなか出てこないまま日が経過していた(基本、必然性が無い時は出て来ない)。
だが、KIN19(9/29)の夜、バルセロナで入手したバスバブルで泡立てた湯船に浸かっている時に、日中、とあるサロンでトリートメントを受けている最中に、私のカタルーニャでの過去生をはっきり見ていたことを思い出したという。その内容は以下のようなものだった(とりあえず理性的に考えることは放棄して、言われたままのことを書いてみる)。
【コロンブスとかその前後位の時代に、航海用の地図をつくっていた人、学者か研究者のよう。誰も知らない新しいやり方で新しい地図をつくっていたので、「どうしてあいつはそんなことを思いつけるのだろう?」と多くの人に思われていた。実は、中身は宇宙人だったので、知っていることの45%くらいを(その位が最適と判断して)人々に伝えていた。見た目は今と似ているが、もっと彫が深くて今より少しガッチリしていた。白いシルクっぽいフリフリのブラウスに、ぴっちり目の茶色のジャケットを着ていて、いつもペンと手帳を持っていた(左利き)。手に持つタイプの眼鏡を使っていた。先の旅行で訪れた店「セッテ・ポルタス」(7つの扉)の辺りに居た。】
こうした情報から具体的な人物を特定することなど殆ど不可能に近い事は分かっているのだが、それでも、「何か該当する情報があると面白いな」という好奇心で、「カタルーニャ 航海図」とか「カタロニア 地図」でググってみた。すると、驚くべきことに「世界地図を作ろう」というサイトの中に、以下のような記述を見つけることが出来た。
[北イタリアにはじまった地図製作は地中海沿岸の各地に広まり、1385年にはカタロニアのバルセロナで、アブラハム・クレスケスにより『カタロニア図』とよばれるポルトラノ型世界図が作られました。従来のポルトラノでは陸地の部分には空白か想像上のイラストが描かれていましたが、『カタロニア図』では中国の都市からサハラの黒人王国まで、当時のヨーロッパが知り得たあらゆる情報が可能な限り精密に描かれていました。マルコ・ポーロの『東方見聞録』によってもたらされたアジアに関する情報や、ユダヤの商人から得た北アフリカの情報などが元になっています。]
これにはかなり興奮させられた。なぜなら、ポルトラノ型の地図とは「安全に航海できることだけを考えて作られた実用的な地図」であり、まぎれもなく”航海用の地図”であり、その名もズバリ「カタロニア図」というものが”バルセロナで作られた”と書いてあったからだ。ただ、他のサイトもいくつか調べてみると、[作ったのはマジョルカに住み、アラゴン家に仕えるユダヤ人で「地図と羅針盤の巨匠」と呼ばれるアブラハム・クレスケス]とあったりして、制作は1375年にマジョルカで、という記述が割と多い。
もちろん、上記のような情報をLが予め調べて知っていた訳ではない。もともと見えたものをただそのまま伝えてくれているだけだし、いちいちその裏付けを取っているような時間的余裕もないことは、私が良く知っている。だから、今回のようにそれなりの証拠らしきものが出てくれば、一緒になって驚くことにもなる。しかも今回の場合、自分達だけではなく、周囲の人々も非常に面白い形で絡んでいるのだ。
例えば、Lがこの過去生を見ていたのは、先にも書いたように、あるサロンでトリートメントを受けている最中だった。施術をして下さっていたのは、そのサロン「トトカ」のオーナー島田純子さん。シャンバラセラピストクラブのメンバーでもある彼女は、もともとスペインマジョルカ発の某サロンで研鑽を積み、そこで店長も勤めていた方なのだ。その上、島田さんの旦那さんは何と北アフリカ生まれ。ここまで細かに「カタロニア図」の情報とリンクする人は、そうそういないと思う。
加えて、カタロニア地図というサイトには[アラゴンの皇太子からフランス王シャルル6世(当時13歳)への贈り物。]とも書いてある。皇太子さまとのシンクロが深く関係している『マヤのリズム』の完成記念ということで訪れたバルセロナ。帰国直後にスペインのアストゥリアス皇太子賞が「福島第一原発事故の対応にあたった作業員、消防士、自衛官」に贈られたことも含めて振り返ると、ここにも興味深い繋がりを見出す事ができる。
さらに、私の誕生日から導かれる冥王星(プルートー)のラッキーラインは、何とバルセロナとマジョルカを通っている。冥王星は「死と再生」を意味し、プルトニウムの語源にもなっていることを思うと、福島原発事故とそれに対する皇太子賞のことなども無関係とは思えなくなる。そして「13の月の暦」で見れば、今日はサイ時間単位がKIN45で、コドン45「存在の海」の週が完了する日だ。「海」というキーワードも然ることながら、私の父が冥界に旅立った日が、KIN45だったことも自然に思い出される。
「カタロニア図」が制作されたのは、コロンブスの誕生より70~80年前の話だし、上記以上の具体的な何かを見つけられた訳でもないのだが、Lがただの地図ではなく、あえて「航海用の地図」と言っていたことなどを含め、私自身にとっては、かなり面白いと感じられるケースであった。参考までに補足しておくと、私は子供の頃から地図が大好きで、地図さえあれば見知らぬ街でも国でも殆ど迷うことは無く、学生の時分は、地理が最も得意な教科だった。
だからと言って、私の過去生のひとつがクレスケスだなどと言うつもりは無い。逆に、それを否定するつもりもない。そもそも、私は仏教やヒンドゥー教、あるいは前世療法などで語られるような時間や宇宙に関するモデルを、そのまま信じている訳ではないので、たとえその実力と感性の鋭さを良く知っているLのリーディングであっても、検証できないところについては保留としているのである。
また、子供の頃からそういう事について考え、調べ、様々な体験もして来たことを踏まえると、過去生はあるにしても、ひとつの魂が時系列に沿って単純に転生するというモデルでは、どうしても無理が出て来てしまうとも感じている。世界の様々な分野の研究や千夜一夜リーディングがさらに進めば、また新しい知見を得られるかもしれないし、そのうち、私なりの見解を示す時がやって来るかもしれないが、今日のところはひとまずここまでにしておきたいと思う。
追伸メモ:特に銀河アルケミスト教室生に向けて
冥王星の「存在」を予想していたのは、パーシヴァル・ローウェル(PL)。モンセラート、『アルクトゥルス・プローブ』と、ここでも繋がって来た。
今から4年前ほどに始まった「千夜一夜リーディング」(背景についてはコチラ)。最近は大分間が空くことも多いのだが、リーディング自体はコンスタントに続いていて、最近、98話目を迎えた。メルマガにも書いた通り、少し前にバルセロナに行って来たところなので、最近は、カタルーニャに関する過去生についてリクエストしていたのだが、なかなか出てこないまま日が経過していた(基本、必然性が無い時は出て来ない)。
だが、KIN19(9/29)の夜、バルセロナで入手したバスバブルで泡立てた湯船に浸かっている時に、日中、とあるサロンでトリートメントを受けている最中に、私のカタルーニャでの過去生をはっきり見ていたことを思い出したという。その内容は以下のようなものだった(とりあえず理性的に考えることは放棄して、言われたままのことを書いてみる)。
【コロンブスとかその前後位の時代に、航海用の地図をつくっていた人、学者か研究者のよう。誰も知らない新しいやり方で新しい地図をつくっていたので、「どうしてあいつはそんなことを思いつけるのだろう?」と多くの人に思われていた。実は、中身は宇宙人だったので、知っていることの45%くらいを(その位が最適と判断して)人々に伝えていた。見た目は今と似ているが、もっと彫が深くて今より少しガッチリしていた。白いシルクっぽいフリフリのブラウスに、ぴっちり目の茶色のジャケットを着ていて、いつもペンと手帳を持っていた(左利き)。手に持つタイプの眼鏡を使っていた。先の旅行で訪れた店「セッテ・ポルタス」(7つの扉)の辺りに居た。】
こうした情報から具体的な人物を特定することなど殆ど不可能に近い事は分かっているのだが、それでも、「何か該当する情報があると面白いな」という好奇心で、「カタルーニャ 航海図」とか「カタロニア 地図」でググってみた。すると、驚くべきことに「世界地図を作ろう」というサイトの中に、以下のような記述を見つけることが出来た。
[北イタリアにはじまった地図製作は地中海沿岸の各地に広まり、1385年にはカタロニアのバルセロナで、アブラハム・クレスケスにより『カタロニア図』とよばれるポルトラノ型世界図が作られました。従来のポルトラノでは陸地の部分には空白か想像上のイラストが描かれていましたが、『カタロニア図』では中国の都市からサハラの黒人王国まで、当時のヨーロッパが知り得たあらゆる情報が可能な限り精密に描かれていました。マルコ・ポーロの『東方見聞録』によってもたらされたアジアに関する情報や、ユダヤの商人から得た北アフリカの情報などが元になっています。]
これにはかなり興奮させられた。なぜなら、ポルトラノ型の地図とは「安全に航海できることだけを考えて作られた実用的な地図」であり、まぎれもなく”航海用の地図”であり、その名もズバリ「カタロニア図」というものが”バルセロナで作られた”と書いてあったからだ。ただ、他のサイトもいくつか調べてみると、[作ったのはマジョルカに住み、アラゴン家に仕えるユダヤ人で「地図と羅針盤の巨匠」と呼ばれるアブラハム・クレスケス]とあったりして、制作は1375年にマジョルカで、という記述が割と多い。
もちろん、上記のような情報をLが予め調べて知っていた訳ではない。もともと見えたものをただそのまま伝えてくれているだけだし、いちいちその裏付けを取っているような時間的余裕もないことは、私が良く知っている。だから、今回のようにそれなりの証拠らしきものが出てくれば、一緒になって驚くことにもなる。しかも今回の場合、自分達だけではなく、周囲の人々も非常に面白い形で絡んでいるのだ。
例えば、Lがこの過去生を見ていたのは、先にも書いたように、あるサロンでトリートメントを受けている最中だった。施術をして下さっていたのは、そのサロン「トトカ」のオーナー島田純子さん。シャンバラセラピストクラブのメンバーでもある彼女は、もともとスペインマジョルカ発の某サロンで研鑽を積み、そこで店長も勤めていた方なのだ。その上、島田さんの旦那さんは何と北アフリカ生まれ。ここまで細かに「カタロニア図」の情報とリンクする人は、そうそういないと思う。
加えて、カタロニア地図というサイトには[アラゴンの皇太子からフランス王シャルル6世(当時13歳)への贈り物。]とも書いてある。皇太子さまとのシンクロが深く関係している『マヤのリズム』の完成記念ということで訪れたバルセロナ。帰国直後にスペインのアストゥリアス皇太子賞が「福島第一原発事故の対応にあたった作業員、消防士、自衛官」に贈られたことも含めて振り返ると、ここにも興味深い繋がりを見出す事ができる。
さらに、私の誕生日から導かれる冥王星(プルートー)のラッキーラインは、何とバルセロナとマジョルカを通っている。冥王星は「死と再生」を意味し、プルトニウムの語源にもなっていることを思うと、福島原発事故とそれに対する皇太子賞のことなども無関係とは思えなくなる。そして「13の月の暦」で見れば、今日はサイ時間単位がKIN45で、コドン45「存在の海」の週が完了する日だ。「海」というキーワードも然ることながら、私の父が冥界に旅立った日が、KIN45だったことも自然に思い出される。
「カタロニア図」が制作されたのは、コロンブスの誕生より70~80年前の話だし、上記以上の具体的な何かを見つけられた訳でもないのだが、Lがただの地図ではなく、あえて「航海用の地図」と言っていたことなどを含め、私自身にとっては、かなり面白いと感じられるケースであった。参考までに補足しておくと、私は子供の頃から地図が大好きで、地図さえあれば見知らぬ街でも国でも殆ど迷うことは無く、学生の時分は、地理が最も得意な教科だった。
だからと言って、私の過去生のひとつがクレスケスだなどと言うつもりは無い。逆に、それを否定するつもりもない。そもそも、私は仏教やヒンドゥー教、あるいは前世療法などで語られるような時間や宇宙に関するモデルを、そのまま信じている訳ではないので、たとえその実力と感性の鋭さを良く知っているLのリーディングであっても、検証できないところについては保留としているのである。
また、子供の頃からそういう事について考え、調べ、様々な体験もして来たことを踏まえると、過去生はあるにしても、ひとつの魂が時系列に沿って単純に転生するというモデルでは、どうしても無理が出て来てしまうとも感じている。世界の様々な分野の研究や千夜一夜リーディングがさらに進めば、また新しい知見を得られるかもしれないし、そのうち、私なりの見解を示す時がやって来るかもしれないが、今日のところはひとまずここまでにしておきたいと思う。
追伸メモ:特に銀河アルケミスト教室生に向けて
冥王星の「存在」を予想していたのは、パーシヴァル・ローウェル(PL)。モンセラート、『アルクトゥルス・プローブ』と、ここでも繋がって来た。
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