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石州和紙を通じて剣武創始の時空に出会う

2016年07月26日 00:43

時間をはずした日(G7/25)KIN218 白い惑星の鏡(by D)

島根県立古代出雲歴史博物館には、古代の巨大神殿の模型や、現在の本殿の千木(これも近くで見ると相当大きい)など、見どころは色々あるが、やはり最もインパクトがあるのは、荒神谷遺跡で出土した銅剣、銅矛、銅鐸の展示だろう。掘り出された銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個が、ほぼそのまま展示されている上、黄金に輝く当時の状態を再現したレプリカも同じくらい並べられていて、圧巻である。
銅剣 
古代の遺物を当時の状態で見るという体験には想像以上の驚きがあったが、前日に発掘現場を訪れていた事で、印象深さがさらに増したように思う。一通り見終えてガラス張りのホールに出ると、外は雨模様。それもかなり激しく降っている。近くにいた丸山師範と「参拝や移動の時に降らなくて良かったー」と言い合った。

外に出る頃にはもう上がっていたが、山の尾根に沿って雲が流れる様は、日本初の和歌とされるスサノオの「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」を彷彿させるものだった。この日、東京に戻るメンバーのフライト時間を考えて、とりあえず進路を日御碕に決める。
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国譲り神話の舞台でもある「稲佐の浜」を通り、日本海に面した崖沿いの道を進んでいくと、谷間のような所に赤い社がチラッと見えた。日御碕神社だ。下の本社(日沈の宮)に天照大御神が、上の本社(神の宮)に素盞嗚尊が祀られているという珍しい構造の神社で、「日沈の宮」という名は、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けたことに由来するらしい。上下の社の間に伸びる立派な松の緑と、社殿の朱色のコントラストが印象に残る神社だった。
IMG_8122.jpg IMG_8126.jpg 青木先生日御碕 (1) 
そこから車で数分のところに日御碕がある。灯台の近くにある切り立った崖まで近付いて、荒波にもまれた猛々しい岸壁と松林、そして雲間から差し込む太陽に照らされた海という、おそらく古代からそう変わらないであろう風景を、しばし楽しんだ。全員車に乗り込み「さあ出発」というタイミングで、まるで狙ったかのように雨が降って来た。みるみる大降りになり、一時は前方がよく見えないくらいの荒れ模様。

そういえば、昨年の宮崎・鵜戸神宮での奉納演武の後もこんな感じだった。演武前後は晴れて、青空まで見えていたのに、車に乗るや否や滝のような雨が降って来たのだった。幸い、荷を預けてあった宿に到着する頃には止んだが、この日は午後以降、出雲地方に大雨注意報が出ていたのを、夜にテレビのニュースで知った(その頃はもう私達は県西部の益田市に居た)。

大きい荷物の送付手続きなどをして、先に東京に戻るウィウソン師範&倫子師範とはそこで別れ、再び関口師範の運転で国道9号を一路西に向かう。日もすっかり暮れた頃、益田市のホテルに到着。ボーリング場なども併設されたかなりレトロな雰囲気のホテルで、エントランスには、ここを訪れた芸能人やスポーツ選手などのサインがズラーっと並んでいた。力道山とか村田英雄、島倉千代子の名前に歴史を感じる。

倫理法人会に所属しているらしく、倫理研究所が発行している冊子のバックナンバーがホールの棚に沢山積まれていたのも印象深かった。何しろここで同室した丸山師範のお父様は、倫理研究所理事長の丸山敏秋氏なのだ。『霊性のアート』にも書いた通り、敏秋氏は日本に『13の月の暦』を紹介した高橋徹さんと旧知の仲で、実は私も丸山貴彦師範より先に、敏秋理事長の方と暦の活動を通じて面識があったのである。

せっかく「時間をはずした日」にこれを書いているので、補足しておくと、1997年に「時間の法則に関する世界会議」の会場を提供して下さったのも、ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が日本に長期滞在できるよう尽力して下さったのも、丸山敏秋氏である(もちろん高橋夫妻との縁による)。さらに一言付け加えておけば、『13の月の暦・手帳』のP15にある「サイ時間単位」という表の右下にRINRI PROJECTとあるのは、倫理研究所、そしてその創設者である丸山敏雄氏に敬意を表して(その活動にインスピレーションを受けて)付けられたプログラム名である。
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さて、翌KIN196(G7/3)は、朝から津和野に向かい、森鴎外の旧宅、鴎外も通った藩校養老館などがある殿町通り、カトリック教会などを巡り、街の中心部にある沙羅の木・松韻亭で庭園を眺めながらコーヒーを美味しく頂いた。そこで教えてもらった「やぶさめ馬場」のある八幡宮鷲原公園前を通って、一路、浜田市三隅町にある石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんの工房へ。

ブータンでよく見かけるような生地の作務衣を来て出迎えて下さった久保田彰さんは、早速、工房を案内して下さり、和紙の原料となるコウゾやミツマタの木が生えている場所、それらの茎の皮を乾かしたものなどを見せて下さり、さらに、それらを叩いて繊維を解すところや、補助材料のトロロアオイに触れさせて頂くなど、和紙が生まれるプロセスをイメージできるよう色々と体験させて下さった。何とも有難い事である。
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見晴らしの良い海辺のレストランに場所を移し、久保田さんのお話を伺うと、何と、これまでに何度もブータンを訪れて和紙技術指導をされているとの事。着用されていた生地もやはりブータンのものと分かり納得。昼食を終えて石州和紙会館に場所を移し、さらに大きな工房や作品を見せていただいた。途中、Lからメッセージが入り、二子玉川駅前に参院選に出馬している候補の応援で昭恵さんが来ていたから挨拶をしたと、写真が送られて来た。このシンクロにには、かなり驚かされた。
アッキー 
なぜなら、私たちが初めて安倍昭恵さんにお会いした2011年11月15日は、ちょうど現ブータン国王夫妻が初来日されたその日だったからだ(その事は、こちらの記事と『霊性のアート』に書いてある)。ブログに綴り続けて来ている通り、シンクロ自体は日常茶飯なのだが、こういうピンポイントなものにはやはり驚かされる。上野の森美術館で行われている「ブータン展」のオープニングで来日された前国王夫人とも挨拶されたばかりというので、東京に戻ってすぐに「ブータン展」に行ってみる事にした(石州和紙のコーナーに久保田さんのお写真もあった)。

ところで、石州和紙会館には、青木先生が吹雪の羽黒山で書かれた大字書「覚」が収蔵されている。以前に、天真書法塾発表会で展示された時に拝見はしているが、このタイミングで改めて実物が見られたのは、非常に嬉しいことであった。というのも、この作品は剣武天真流創始と直接関わる作品だからだ。新体道で先輩に当たるトランペッターの近藤等則さんが「地球を吹く」のシリーズを国内で展開されていた時、青木先生に剣と書のパフォーマンスを依頼されたことがきっかけとなって、剣武天真流の開発が始められたからである。
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その後、会館で久保田さんが梳かれた石州和紙を手に入れ、出雲方面に戻る事になった。この後、さらに山口方面に向かう関口師範と川崎さんに浜田駅で別れを告げ、9号線を出雲方面に戻る。出雲にかなり近づいた「きらら多岐」という道の駅のような場所で、出雲国大社食品の山崎さんと待ち合わせ。かなり広い駐車場だったのにもかかわらず、運転していた丸山師範が車を停めたのは、何と、山崎さんの車の真隣だった!

自社製品をお土産に沢山下さったのだ。帰宅後、早速いただいたが、添加物などが入っておらず、しかもパワーがみなぎっている感じがあって実に美味であった。練り物好きのLの食いつきぶりも、その素晴らしさを証明していた。無事レンタカーも返し、出雲空港でスサノオラーメンを食べて、JAL286便40Gという席で羽田へ。

今回のメインは、出雲大社での剣武奉納演武ではあったが、その前後のことも含め、本当に色々な方のお世話になり、素晴らしい体験をさせていただいた。共に演武をした本部正師範含め、関係者全ての方々に感謝したい。しかし、その中でもやはり、青木先生と吉田先生には、格別の感謝の気持ちを捧げたい。先生方の長年に渡るご活動や、様々な方々との丁寧なコミュニケーション無しに、今回のような体験は出来なかったであろう。ここに改めてお礼申し上げる次第である。

12:60的な感覚では、もう日付をまたいでしまったが、私の中では、『13の月の暦(ドリームスペル)』での「時間を外した日」(注:マヤ暦にはこういう日は存在しない)に、一年の締めくくりとしてこの記事を書いたつもりでいる。

KIN218(10・鏡)は、パレンケの「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された1952.6.15からぴったり90銀河スピン=23400キン。「白い惑星の魔法使いの年」は、「10・魔法使い」で始まり「10・鏡」で終わる。年の始まりと終わりは常に同じ「色」と同じ「音」になる。これは非常に美しい法則だ。

日々体験する出来事の中、そして『13の月の暦』の中に「美と調和」を発見する毎に、私たちのシンクロニシティは増大する(それがドリームスペルの本質だ)。現れを仕上げる1年の終わりに、出雲での出来事をまとめられたことを嬉しく思う。明日から始まる「解放」の1年は、さらに驚くべき体験を私たちにもたらしてくれるだろう。この記事を目にした方にも、もちろんそれは訪れる。
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出雲大社での剣武天真流奉納演武

2016年07月22日 23:59

宇宙の月26日(G7/22)KIN215 青い共振の鷲(by D)

出雲大社での奉納演武が行われたのは、7/2(土)。『13の月の暦(ドリームスペル)』の365日暦では13月6日、260日暦(ツォルキン)だとKIN195(13・鷲)。月日の「銀河の音」が「13(宇宙の)」で重なる「魔術の亀の日」だった上、出雲大社の住所は、何と出雲市大社町杵築東195!こんな事は、狙っても出来ることではない。

ちなみに、この住所と日付のシンクロについて教えてくれたのは、天真書法塾シャンバラ教室生で出雲出身の尾崎さん。尾崎さんはツォルキン唯一の「パカルの特別な数字」であるKIN78(13・鏡)の生まれで、78=13×6(→13月6日)という点にも注目すると、演武当日の日付(天)と出雲という土地(地)が、この繋がりを教えてくれた、といようにも読み取れる。

演武用の稽古着に身を包んで宿を出発。大社の東側にある駐車場に車を停め、風情のある松の参道を進んで社務所へ向かうと、ちょうど社務所前で出雲大社を統べる出雲国造・千家尊祐氏が向こうからやって来られた。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)から生まれた天穂日命を初代とする出雲国造の84代目とされる方で(つまり神話時代から続く家系)、2年前に高円宮典子さまと結婚された千家国麿氏の父君でもある。
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天津神系と国津神系が再び一つになるというこのお二人の結婚には、様々な意味があったと感じているが、ちょうどその直前にツイッターでつぶやいた事に絡めて「天津神と国津神の調和的統合」というブログ記事にまとめてあるので、そこから一部引用してみたい(この記事が770番目のブログ記事であると気付き、一つ前の記事ともシンクロしているのを感じた)。


”G9/1、『ドリームスペル』の惑星ホロンで日本のエリアに対応するKIN46(7・橋渡し)に、私は【そして13×18=234は、第125代今上天皇の誕生KIN。そして、シンクロニシティという言葉を生んだユングの誕生KINだ】というツイートをクリカのツイッター上でした。それが、ちょうど10500ツイートという区切りの良い数だった事に気付いた私は、ふと、125という数字で10500を割ってみるという遊びをした。すると10500=125×84と綺麗に割り切れるではないか!

それだけで意味なく喜んでいた私だったが、125が伊勢の神宮の社の数や今上天皇の代、そして2013年の式年遷宮で臨時祭主を務められた黒田清子さんの誕生KINであることに思いを巡らせた私は、84にも何かあるだろうか?と「84代」だけ入れてググってみた。すると、「第84代出雲大社国造」というのがいきなり出て来たのだ!伊勢系、出雲系の結婚が目前に迫っていることを意識していた私が、無意識的にツイートした10500ツイート目に、今上天皇の事を書いていて、そこに伊勢と出雲を結ぶ数が、完璧な形で潜んでいたのだから驚愕せずにはいられない。”


念のため当日(2014.9.1)の手帳メモを確認してみると、さらに驚愕の事実を発見。何と私は、その日付けの「剣武天真流 本部正師範任命書」を青木宗家から拝受していたのだ。この頃から、出雲との回路は繋がり始めていたのかもしれない。ちなみに、その手帳メモの近くには、こんなメモもあった。【10500=105×100。KIN105(1・蛇)は大物主(大国主)、KIN100(9・太陽)は天照】。こじつけと思われても構わないが、暦を用いて何らか意味を見出すのに、キーワードだけに拘る必要が無いのは確かだろう。
任命書 
話を7/2(KIN195)に戻そう。今回の奉納演武に関して様々な形でご協力下さった出雲国大社食品の山崎社長も社務所に到着され、青木宗家、吉田事務局長と共に、千家尊祐宮司との対談のため別室に向かわれた。尚、今回の奉納演武の実現には、アオキメソッド(前・瞑想カレッジ)でご一緒した事もあるキーマンネットワークの中島孝志さんが関わっており、山崎さんとのご縁も中島さんを通じてのものだった事を記しておきたい。

対談から戻られた先生によると、千家宮司は、およそ一ヶ月前に剣武天真流セミナー&輪島ツアーの際に訪れて、奉納演武をさせて頂いた重蔵神社の能門宮司と、大学で同級生だったとの事。重蔵神社での演武の様子は、「YOUは何しに日本へ?」(7/11後半)で放映された関係で( 動画リンクはコチラ 36分以降)、そちらのアナウンスが先行し、未だ現地での詳細は書けていないのだが、演武の他にもお粥講や高名秀人光漆芸工房での体験、御陣乗太鼓など、色々と貴重な体験をさせて頂いたので、そのうち文章化できればと思っている。

さて、宮司同士の繋がりも然ることながら、より興味深いのはご祭神の繋がりである。重蔵神社のご祭神は天之冬衣命と大国主命。『古事記』によると、天之冬衣命はスサノオの五世の孫で、大国主命の父に当たる神。能登での剣武セミナーが決まった時には、まだ出雲での奉納演武の話は出ていなかったし、この繋がりを予め知っていた人は居なかったと思うが、重蔵神社で奉納演武をした後、間をおかずに出雲大社で奉納演武をするという流れは、まさに天の采配と呼びたくなる美しい流れと言えよう。
本殿 
時が来て、社務所前の手水所で手と口を清めてから、本殿に向かう。天気予報では曇り時々雨だったが、今回もやはりお天気は大丈夫だった(重蔵神社も昨年の大神神社、鵜戸神宮も天気予報では常に直前まで怪しかったが演武の前後は晴れていた)。この記念すべきタイミングに合わせて出雲にやって来た天真会の仲間も合流して、八足門をくぐり、お祓いを受けてから本殿前にて正式参拝。宗家の玉串奉納に続いて、2礼4拍手1礼。この参拝方法に、一人マニアックな喜びを感じていたのは、おそらくKIN241の私だけだろう。

その後、大きな注連縄で有名な拝殿に移り、ついに奉納演武開始。青木宗家、吉田随流事務局長に、関口仁、丸山貴彦、吉田倫子、望月ウィウソン、小原大典の本部正師範5名を加えた全7名で礼式を行い。続いて、吉田事務局長が吉原義人模作聖徳太子七星剣にて四方荘厳。その後、本部正師範5名による大翻刀&神剣無礙(途中、白龍遊天を含む)。最後に青木宗家が天真五相&自由演武を奉納された。

全員が真剣で演武したのは今回が初めてであり、いずれも宗家が集められた名刀なので、ここに演武者と共に記録しておく。和泉守國貞(青木宗家)、河内守永國(関口師範)、肥前国住忠吉(丸山師範)、水心子正秀(倫子師範)、摂津守源忠行(ウィウソン師範)、播磨守忠國(小原)。出雲大社拝殿という空間、そして真剣を手にしての演武に緊張感はあったものの、何か別な次元でゆったりした時間が流れていたようにも感じられ、思ったよりは落ち着いて演武に臨む事が出来た。
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尚、この奉納演武については出雲大社の公式ページにも掲載されているので、リンク先を参照頂ければと思う。また、天真会のFB公式ページに動画や写真も掲載されているので、合わせてご覧頂ければ幸いである。写真は川崎さん、ビデオは郷右近さん(お二人とも天真会メンバー)が、ボランティアで引き受けて下さったものである(動画の一部は固定カメラによる)。記念となる貴重な記録に感謝。
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宗家に予言されていた怪我をする事も無く(十分注意しろよというアドバイスだったと思う)、無事、演武は終了して記念撮影。社務所で着替え、「おさがり」を頂いて大社を後にした。場所を出雲文化伝承館に移して、羽根屋で出雲そばを美味しくいただき、その後、亀山の麓にある命主社に参拝。ご祭神は造化三神の一柱、神産巣日神。境内にある樹齢1000年ともいわれるムクの巨木は、幹のうねりに迫力があって、強い生命力が感じられた。
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この神社の裏手の巨石の下で、古代の銅戈と硬玉製勾玉が発見されたと知ったのは、後になってからだったが、出雲大社からは徒歩圏なので、大社に参拝するのならここにも立ち寄ってみることをおすすめする。ここで、お世話になった山崎さんとはお別れし、私達は古代出雲歴史博物館へ向かった。エントランスを入るとすぐに出雲大社境内(八足門前)で2000年に出土した巨大な柱(3つの巨木を一つにした宇豆柱)が展示されていた。

3本の巨大な柱を一つにまとめた様は、パン・ジャパン・ライブラリーでも使用している「レーリヒ平和の旗」にそっくりな構造だが、2002年に初参拝した時は、まだ八足門前の地面に埋まった状態で囲いがされていたと記憶している。2013年の遷宮時に、ご神体を遷御する直前まで雨が降っていたのに、いざ遷御がはじまると雨はピタっと止み、遷御終了後本殿の扉が閉じると同時に大雨が降った、というエピソードをお昼に山崎さんから伺っていたので、一体その日付はいつだったのだろう?と思っていたら、それが記されたパネルがあった。

2013年5月10日(新月)はKIN87(9・手)。今、気付いたが、伊勢外宮の遷宮は、年月の数字が反転する同年10月5日(新月)=KIN235(1・鷲)に行われている。そして、そこからぴったり1年後の2014年10月5日(KIN80=2・太陽)に、高円宮典子さま(KIN135=5・鷲)と千家国麿氏(KIN162=6・風)が結婚されたのだから、これは随分前から決められていた事だったのかもしれない。少なくとも遷宮とセットで考えられていたというのは、決して見当違いではなかろう。

気付いてしまったので書いておくが、千家国麿氏がKIN87、つまり出雲大社遷御と同期する道筋に入ったのは2002年、つまり29才の時である。まだまだ続きがあるのだが、先刻、今日が千家典子さん(元・高円宮典子さま)の28才の誕生日である事に気付き(手帳のメモを見て)、出雲大社境内でのポケモンGO使用禁止のニュースを目にしたりもしたので、ひとまず、ここで区切るのがちょうど良いのだと判断した。それにしても、『銀河のマヤ』を共著で出させていただいた江本勝所長と千家典子さんが同じ誕生日だったとは驚きである。

奥出雲のタタラと日本刀

2016年07月20日 13:37

宇宙の月24日(G7/20)KIN213 赤い倍音の空歩く者(by D)

7/2(土)に出雲大社で行われた剣武天真流の奉納演武は、お天気にも恵まれて無事終えることが出来たのだが、その前後の時間も素晴しい体験に満ちていたので、感覚が鮮明に残っていて、手帳のメモも解読可能なうちに、少し整理しておこうと思う。

霊性のアート』等に記している通り、シンクロ率というのは、心身が自然状態にあれば自ずと高まるものである。当然、青木宗家をはじめとする参加メンバーのシンクロ率は高く、普段から様々なシンクロが当たり前のようにある。今回、天真会の吉田晶子事務局長による細かなご準備により、演武を中心に据えた7/1〜7/3の3日間、島根の各所を巡る事が出来た。そこで、今後、島根を訪れる機会のある方の参考にもなればと思い、現地情報を交えつつシンクロ体験をシェアしてみることにした。

7/1(金)は、『13の月の暦』のツォルキンだとKIN194(12・魔法使い)。早朝に家を出て、羽田からJAL277便に乗る。席は33Eで隣は丸山貴彦師範(KIN129=12・月=調波33の始まり)。私が過去に出雲を訪れたのは2002年1月14日(KIN116=12・戦士)の一度きりであり、丸山師範も東日本大震災当日のKIN77(12・地球)の一度きりらしい。今、こうして書いてみると全て「12(水晶)」で共鳴しているのが分かる。

丸山師範が出掛けに何気なく手にして、そのまま持って来たという新体道会報誌『楽天』のバックナンバーvol65(ツォルキンの全調波は65)は、2002年の発刊で、ちょうど私が出雲を訪れた年のものだった。中には当時の審査結果も掲載されていて、私が本科高等科、空手8級(実は未だにそのまま)に合格した記録もあった。

1時間余りで出雲縁結び空港に到着し、そこからレンタカーで市内に向けて移動。先に出雲入りしていた吉田倫子師範&望月ウィウソン師範に市内で合流する予定だったが、途中、青木先生が「ここに寄ってみよう」と促し、荒神谷遺跡へ向かう。古代ハスが一面に咲き乱れる美しい場所で、その奥の山の斜面に、大量の銅剣や銅鐸が発掘された当日の様子を再現した遺跡があった。
IMG_8056 (1) ★荒神谷遺跡古代ハス

1984〜1985にかけて出土した銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本は、島根県立古代出雲歴史博物館に保管展示されているが、実際に発掘された場所、つまり1000年以上前に埋められた場所を訪れる事が出来たのは、貴重な体験だった。今見ても、どうしてこんな場所に剣(祭礼用と言われている)を大量に埋めたのか、理由はよく分からないが、当時は特別な意味のある土地だったのだろう。
IMG_8052 (1) ★荒神谷遺跡の銅剣発掘跡地

その後、倫子&ウィウソン両師範と無事合流し、たたらの故郷・奥出雲へ。途中、雲南市木次町を通ったことで、2年ほど前に偶然手にして知った木次コーヒーの事を思い出す(ちょうど京都亀岡の出雲大神宮を訪れた直後で色々な発見が重なったので、当時の事は「出雲大神宮から杵築大社へー国道9号」という記事にまとめてある)。

気温がグンと上がった頃に「奥出雲たたらと刀剣館」に到着。スタッフの方が詳しく解説をして下さったのだが、青木先生が吉原義人さんの刀を持っている事や、翌日、出雲大社で奉納演武をする事を伝えると、俄然スイッチが入ってさらに熱が入り、是非たたらと関係の深い金屋子神社にも行ってみて下さい、と勧められたりした。
IMG_8059.jpg ★たたらの実物大模型(地下構造までわかる)

しかし、まずは奥出雲の自然に触れつつ涼も得られそうな場所ということで「鬼の舌震」へ。緑に覆われた渓谷に沿って巨岩、奇岩が多数見られるその場所は、遊歩道も整備されていて、気持ちの良い散策が出来たが、最初の吊り橋はかなり迫力があって、高い所が苦手な人の中には、渡るのを躊躇する方もいるのではないかと思えるほどだった。
IMG_5111.jpg ★高さ45mの吊り橋

その後、江戸時代にたたら吹きを製鉄を行っていた鉄師頭取の館「絲原記念館」に立ち寄ってから、金屋子神社へ。たたら製鉄と密接に結びついた大切な神社というだけあって、参道脇には出雲各地で採取された鉧(けら:鉄の塊)がいくつも並んでいる。ご祭神の金屋子神は、一言でいえば冶金に関する神様という事になるが、以下wikiからその謂れが書かれている所を引用してみよう。

「高天原から、雨乞いをしている村人に応えて、播磨国志相郡岩鍋にまず天降った。しかし、自ら、元々西方に縁のある神であるとの理由で、白鷺に乗って、西方の出雲国能義郡黒田奥比田(現 金屋子神社の社地)の山林に着き、桂の木にて羽を休めていたところを宮司の祖先である安倍正重が発見し、長田兵部朝日長者が桂の木の横に神殿を建立したという。各地で金屋子神は自ら村下(むらげ:鍛冶の技師長)となり、鍛冶の指導を行ったとされる。」

後日、たたらについて解説が書いてあった『図説 日本刀大全Ⅱ 名刀・拵・刀装具総覧』を調べてみたら、そこにも金屋子神社はしっかりと掲載されていた。また、戦後途絶えたタタラを復活させ、現在唯一操業されている「日刀保たたら」は、「奥出雲たたらと刀剣館」から数キロの場所にあり、現在も日立金属が深く関わっている事を刀剣館で教えてもらったが、本書には、当初、日立製作所が関係した事も記されていた。大学で金属工学を学び、日立製作所で働いていた父は既に他界しているが、こういう背景を知ると多次元的な縁を感じる。

現代の刀工が使う玉鋼(けらの中でも特に品質の良いもの)は、全て、この「日刀保たたら」で生み出されるものだし、既に江戸期には奥出雲はたたらの中心地と言える状況になっていたようなので、新刀時代の刀の大部分も、この地域で生み出された玉鋼から鍛えられた可能性が高い。やはりこの地は古来「日本刀」の故郷なのだ。

ちなみに、出雲大社での演武に使用するのは、播磨守忠國と鑑定された刀で、今は私が青木先生からお預かりしている状態にある。また、忠國は、江戸中期、肥前の国の刀工で、今回、丸山師範が使用する肥前国忠吉の忠吉とは親戚関係に当たる。「播磨守」というのは幕府許認可制の官名みたいなもので、播磨国とは直接関係無いのだが、それでも、播磨国から出雲国へとやってきた金屋子神の話をこのタイミングで知ると、無関係とは思えなくなる。さらに、たたらシンクロは続いて、金屋子神社を参拝した1週間後のKIN201にもこんな体験があった。

実家に届いていた鎌倉高校の同窓会会報誌『うしお』35号を捲ると、何と「鎌高のたたら製鉄」という記事があり、奥出雲についても触れられていたのだ。「奥出雲たたらと刀剣館」で受けた説明が、まだ生き生きとしている内だったので、大変興味深く読み進める事が出来た。実験を繰り返して「赤目砂鉄」「真砂砂鉄」のチタン含有量の違いが製鉄に影響することを明らかにし、鎌倉に見られる「赤目砂鉄」からの製鉄工程を確立しようと試みているようなので、今後の進展が楽しみである。
IMG_6351.jpg ★金屋子神社で天真五相

さて、話を奥出雲に戻そう。金屋子神社を参拝し、境内で天真五相を行った後、私たちは酒造奥出雲交流館という場所に立ち寄った。そこで、地元の方々と話していた先生が、近所にある亀嵩温泉という温泉を聞き出され、ひと風呂浴びて行こうという流れになった。玉峰山荘という立派な施設には、木彫りの亀の置物もあったりして、「宇宙の月」のトーテムが「亀」だと知っている私には絶妙なシンクロに感じられたが、結局、交流館で話していたおじさん達もお風呂に入って来て再会。当たり前のように色々な事が繋がって行く。

すっかり暗くなった帰路、玉峰山荘から県道に出る川縁にあった「ホタルの里」に寄ると、数は少ないものの時折スーッ、スーッと明るい光が移動するのが見える。地元の方によると最盛期は過ぎているとの事だが、温泉でサッパリした後に見るホタルの光は、何とも涼しげで嬉しい出会いだった。全行程、運転を引き受けて下さった関口師範には感謝の言葉しかないが、今も続けられている東北支援の折には、ほとんど休まずに運転することもあるらしい。

この日の宿泊は出雲市内のビジネスホテルだったが、私は207号室に泊まる事になった。KIN207(12・手)と言えば、マヤ長期暦が完了した2012年冬至の日付であり、その反対のパートナー(130キン離れた関係)は、丸山師範が出雲大社に参拝したという東日本大震災当日のKIN77(12・地球)である。「赤い地球」は古代マヤのカバンに由来し、カバンは「大地」を意味するが、転じて「動き」「生命力」「地震」などのニュアンスも含む。大地のマグマ(火のエネルギー)を彷彿させる「たたら」についての情報をたっぷりダウンロードした日に泊まる部屋として申し分ないナンバー。

この日からぴったり2週間後、真剣を受け取りに(&打ち合わせで)天真会事務所を訪れた帰り、丸山師範と西荻窪から中央線に乗って、私だけ吉祥寺で降りた瞬間、ホームでバッタリ会ったのは『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』でご一緒した翻訳家の白川さん(KIN77=12・地球)だった。互いに驚きつつ挨拶を交し、そのまま電車に乗り込むと、丸山師範(KIN129=12・月)と共に去って行った。マヤ長期暦の完了と東日本大震災が、どこかの回路(水晶ネットワーク?)を通じて繋がっているのを感じずにはいられなかった。
IMG_8058.jpg ★奥出雲たたらと刀剣館前のオロチ

スサノオが、出雲国において十拳剣でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を切り刻んだ時、尾を切ると十拳剣の刃が欠け、中から大刀が出てきた。それが後に三種の神器のひとつとなる「草薙の剣(天叢雲剣)」である。そうした神話が生まれた地を実際に訪れてみて感じたのは、川の氾濫や、製鉄技術の渡来と発展が、物語に置き換えられて伝わって来たに違い無いという事だった。もちろん、神話には、シャーマニズム的な意味やヴィジョン等も混ざっていると思うが、歴史的な事実が全く関係無いとは流石に思えない。

いずれにしても、「聖なる剣」伝説の地において奉納演武をさせて頂けるというのは、何より得難い機会だと思いつつ、その日は眠りに就いたのだった。

青木宏之先生「讃寿」の御祝い会

2016年03月08日 14:54

太陽の月2日(G3/8)KIN79 青い磁気の嵐(by D)

今年のG2/22(KIN65)、天真体道(新体道、天真書法、剣武天真流、瞑想、ボランティア活動等)の師である青木宏之先生が80歳を迎えられた。これを記念して、天真会の吉田晶子事務局長が発起人となり、一昨日の3/6(KIN77)、アートコンプレックス・センターにて「讃寿の御祝い会」が行われた。一般に「傘寿」と書かれる八十歳の誕生日を「讃寿」としているのは、「いのちの讃歌」を体現し、教えて下さっている先生のご希望による。

『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンで見ると、東日本大震災(KIN77)からぴったり7銀河スピン(260×7)というタイミングだったが、青木先生が立ち上げられた「チーム天真」では、震災直後から東北被災地でのボランティア活動を開始し、今も道友の関口仁さん(剣武本部正師範)をリーダーに、支援活動が続けられている。

一昨日は、私達(D&L)も、演武や揮毫を通じて御祝いの機会を頂いていたので、その事も含め、諸々の事情で参加が叶わなかった方に向けて(そして自分達の記録の為にも)、当日の様子を記しておきたいと思う。

天真会会員による手作りの御祝い会という事で、会場セッティングのために9時45分に現地に集合。前々から準備を進めて下さっていた事務局長を始めとする設営リーダーの指示の下、青木先生の書作品や活動記録写真などが次々に展示されて行く。

流石に青木先生を慕って集まっている方々だけあって、普段、それぞれ全く異なる分野で活躍している多様なメンバーであるにも関わらず、善意に満ちた自律性があり、その場その場で必要な仕事を自ら見出し、協力し合うという動きが自然に生み出されていた。

「お祝い会」の本番は14時〜17時という事になっていたが、私は、この会場設営から終了後の撤収作業までを含む全場面に、青木先生が創り上げて来られた「天真体道」の実際の働きを見て、自分自身もその場に身を置かせて頂きながら、ひそかに感動していたのだった。

定員80名の会場に、来賓と会員合わせて160名もの参加者があった(お陰で申込み締切が当初の予定より大幅に繰り上げられてしまったほど)関係で、会場は開宴前から熱気に包まれていた。発起人である吉田事務局長の挨拶に続いて、青木先生が挨拶を述べられたが、海外からの参加者に向けて、小学6年のお孫さんが英語で同時通訳を担当。流石である。

続いて、天真書法塾・無鑑査師範3名による書の揮毫。「寿」という字を、それぞれ自由なイメージで表現。Lこと蘭禅も、袴姿で初の大字揮毫に挑戦し、宮野玄妙師範、菅原咲蓮師範と共に、三人三様の全く異なる作品が完成。同じ師から習うと、似たようなテイストの作品になってしまう事が殆どだが、それぞれの味がそのまま引き出されるのが、天真書法の特徴の1つだ。
寿 ★左から、蘭禅、玄妙、咲蓮 各師範

来賓代表で祝辞を述べられたのは、(株)アウレオ守屋祐生子社長とグローバル・タンク(株)田中治幸社長。お二人とも、長年、天真会の活動に惜しみない協力をして下さっている方々だが、守屋社長は、30年前に青木先生に出会った頃からの変わらない若々しさについて語られ、剣武天真流の先輩でもある田中社長は、豊田章男氏(現トヨタ自動車社長)と共に青木先生に滝行を学んでいた頃のエピソードを披露して下さった。

そして、天真書法塾の先輩でもあるアルビオンアート(株)有川一三社長は、青木先生とそこに学ぶ人々を、如来と菩薩に喩えた挨拶をされてから、乾杯の音頭を取られた。流石に、第一線で活躍されている方々のお話は、内容も間合いも見事で、学ぶところ大である。他にも、お名前を挙げていたらキリが無いくらい素晴しい方々が大勢いらしていたが、それこそが先生の深さと豊かさの現れであるように、私には思えた。
悟郎さん ★海外からのビデオレター

フランス、イタリア、ブラジル、チリ、フィリピン、ネパールなど、世界各国から届けられたビデオレターにもそれは示されていて、どの国の人々も皆、心から先生をお祝いしているのが伝わって来たが、特に印象に残ったのは南米チリの方だった。何しろ、青木先生に一度も会った事が無いのにも関わらず(剣武ブラジルの望月ウィウソン師範を通じて学んではいる)、稽古着姿で砂浜に正座して先生に感謝を述べているのだ。日本から最も遠い地域にも、その教えは伝わっているのだ。
青木先生讃寿のお祝い 演武 新体道 ★新体道の栄光組太刀

バースデーケーキを先生が真剣(びっくりするような名刀)でカットされ、花束の贈呈などが行われた後は、いよいよ御祝いの演武。石井俊充首席師範率いるNPO新体道と、中央大学&慶応大学棒術部OBOGによる迫力ある演武(剣、棒、空手、杖など)に続いて、剣武の出番が巡って来た。剣武天真流開発当初からのメンバーでもある丸山貴彦本部正師範が、当時を振り返りつつ代表して祝辞を述べた後、剣武の師範達が3つのグループに分かれて演武を行った。
青木先生讃寿のお祝い 剣武 フランス ★剣武フランス代表のジョエル師範とデルフィ師範

弐段師範は「一心拓道」「生々流転」という型を、海を越えて駆けつけた剣武フランス代表のジョエルとデルフィ(共に参段師範)は「複合抜刀型」と素手による組手を、そして本部正師範(四段)は、172もの剣の極意から成る「神剣無礙」という壮大な型を演じて、御祝いさせて頂いた。先生が苦心して生み出された型をその眼前で演じるのは、ベートーヴェンの前で「運命」を演奏するようなもので、正直緊張したが、会場の皆さんの熱い「氣」に助けられて何とか無事に終了。
青木先生讃寿のお祝い 剣武 小原大典  

最後に、NPO氣道協会の長谷川浄潤先生によるピアノの即興演奏に合わせて、青木先生が素手と剣で演武をして下さった。やはり師は偉大である。しかし、そんな師の「讃寿」を、このように大勢の人々と共にお祝い出来たのは、何とも嬉しい事であった。
青木先生讃寿の剣武 ★揮毫された「寿」を前に青木先生の演武

準備に関わられた全ての皆さま、特に、リーダーとして時間をかけて計画を練り、当日も号令をかけて下さった吉田随流(晶子)先生、宮野玄妙師範、関口仁師範、吉田倫子師範に感謝する次第である。そして、このような素晴しい道友と出会わせて下さり、私達を導き続けて下さっている師・青木宏之先生に、心からの感謝と祝福を。この度は、誠におめでとうございました!
青木先生讃寿のお祝い 揮毫 小原蘭禅 ★D&L 宴の後でホッとしているところ

剣武天真流プロモーションビデオ

2014年08月12日 08:12

剣武天真流プロモーションビデオ

■磁気の月18日(G8/12)KIN26 白い宇宙の世界の橋渡し(by D)

この度、剣武天真流のプロモーション・ビデオが youtube で公開されました!

昨夜、初めて内容を確認したのですが、宗家の演武や普段の稽古風景など、5分余りの中にギュッと濃い内容が詰まっています。私も意外とあちこちに登場していますので、どこにいるか探してみて下さい。




この映像をご覧になって、「やってみたいな」とか「稽古ではどんな事をするのだろう?」と思った方は、まず天真会のサイトへ。解説やQ&Aの他、メールフォームから問い合わせれば、見学や体験も可能です。もし、平日夜の時間帯しか参加できないとか、私から教わってみたいという方は、どうぞ蒼天支部道場へ。

老若男女、経験に関係なく、誰でも始められますし、既にフランスやイタリアにも熱心な稽古人が誕生しています。日本の精神文化が凝縮されたこの新しい「居合・抜刀剣術」には、生涯をかけて取り組んで行けるだけの広大な体系と、世界に向けて発信して行けるだけの果てしない奥深さがあります。

今の時代に必要なものを、現代に生きる私達だからこそというやり方で、共に深め伝えて行きましょう!

魔術都市での「サムライと書道展」

2014年03月03日 23:57

銀河の月25日(G3/3)KIN124 黄色い共振の種(byD)

新月の夜、北イタリアのトリノから帰国した。「サムライと書道展」というイベントに参加し、天真会のメンバーと共に剣武の演武や子供達の体験書道教室等を行って来たのだが、メイン会場のホテルSANTO STEFANOの回廊には、予め送られていた書作品も展示されていて、天真書法塾塾長はじめ本部会員やシャンバラ教室生の力作を目にすることが出来た(シャンバラ教室生の作品をまとめたアルバムはこちら)。
IMGP1257.jpg ※揮毫される青木天外塾長
会期は、2/26(KIN119)〜3/10(KIN131=調波33の中心で「猿の創世記」の始まり)で、あと1週間は展示されているので、トリノ近郊(ミラノとかジェノバ等)に友人知人を持つ方が万一この記事を読まれていたら、是非、この催しについて伝えて頂ければと思う。会場は有名な「聖骸布」(磔にされた後のキリストを包んだと信じられている布)が収められているドゥオーモ(サンジョヴァンニ大聖堂)から目と鼻の先にある。

私はそのホテルの330号室に4泊(今気付いたが330×4=1320=パカルの墓の封印から長期暦完了までの期間=ツォルキンの比)したのだが、思えば、昨年の今日(3/3)は、青木先生の喜寿(77)の仮装パーティで(聖☆おにいさんの)イエスに扮していた。また、その日はKIN19だったが、今回の私の作品展示Noも19であった(会期の初日も嵐=19)。
ジーザス ※昨年のパーティにて
伊勢の式年遷宮が完了したタイミングで訪れたNY(現在メルマガで報告中)は、ジョジョ第7部スティール・ボール・ランと完全にシンクロしていたが、今回もその続きで「聖なる遺体(遺物)の収集」をして来たようなものかもしれない。トリノはかつてサルディニア王国の都でもあり、現地でも強烈なジョジョシンクロがあったが、それについては機会を改めて語るなり書くなりしようと思う。何しろ、イタリア側主催者が空条承太郎と日本語で言える位のファンだったりしたので、ひとたび書き始めたら簡単には済まないのだ。

ところで、「聖遺物の収集」作業(といっても実際に物体を集めている訳ではないので、勘違いなさらないように)は、6(3+3)年前のエジプトから始まったような気がする。カイロ博物館でセティ1世のミイラの回りを巡った時の面白い体験をメルマガに書いたことがあるが、その辺りが意識的に古代の遺物とコミュニケーションし始めた最初の頃かもしれない。もっとも、それより前に、初来日したアルタイの入れ墨ミイラと出会った時も、その時代の情報を運ぶ存在として意識してはいたが…。

トリノにはカイロ博物館に次ぐコレクションと言われるエジプト博物館があるのだが、今回は、あいにく拡張工事中で全体の半分くらいしか見られなかった。なので公平な比較は出来ないが、仮にフルオープン状態だったとして、大英博物館やメトロポリタン以上と言えるのかは、ちょっと疑問が残る。というか、エジプトで直に遺跡を見てしまうと、どんなに巨大でインパクトのあるお宝をせしめて来た博物館でも、しょぼく見えてしまうものだ。

奇しくも、ちょうど6年前の今日(3/3)はKIN14で、まさにエジプトのルクソールにいた。「王家の谷」の第14番墳墓から始まって、62番のツタンカーメンの墓まで巡った後は、ナイル東岸のカルナック神殿を参拝し、夜に列車でギザに向かっている。あの時のセティ1世やオンム・セティ(KIN241)とのシンクロにも驚愕したものだが(その一部は『マヤのリズム』にも紹介してある)、トリノでも負けず劣らず強烈なシンクロを体験して来た。

ガイドブックを開いてみれば分かるが、イタリアの中でもトリノの情報は極めて少ない。最近は、国内外問わず、その場に行ってからでもほぼ完璧な場所に導かれるので、あまり下調べはしないのだが、トリノはしようにもその資料が限られていたし、演武や体験教室がメインで、時間的余裕があるかも分からなかったので、結局、何も調べずいきなり街をブラついたりしていた。
IMGP1414.jpg ※塔よりドゥオーモ方面を望む
しかし、それでも、全ては完璧なタイミングでやって来たのだった。それも、最終日に向かって加速するかのように。最終日の朝、その日初めて会った現地ガイドが教えてくれたのは、トリノが白黒両魔術に関わる魔術都市だということ、そして、その中でも特別なパワースポットと言われる場所を、私はそうとは知らずに既に訪れていたということだった。

さらに、その後訪れた別な聖堂では、まるで演出過剰な映画のワンシーンかのような天候の急変。それは「時間の法則」が運んで来たあまりにも完璧なシンクロ現象だった。後からその関係性を発見した私は、戦慄を覚えて鳥肌が立つのを禁じ得なかった。演武に使ったヴィヴァルディの「四季」は、カルミニョーラの演奏によるものだったが、旅の直前に触れ、旅行中も関連本を読んでいたストラディヴァリウスとの関係も出て来て、どうにもまとめるのが困難な状態になってしまった。

もう少し整理がついたら(少し先になると思うが)、「運を創るシンクロ旅行術」の第2弾として、トリノ編をやってみても良いかな等と思っているが、あまりに膨大かつ壮大な流れが関与しているので、ひとまずは以下のクラスで、それぞれの時と場に適った内容(毎回違う側面を語ることになると思う)をシェアするつもりでいる。魔術都市トリノの聖なるエネルギーと繋がってみようという方は、是非「自分のタイミング」で参加してみて頂きたい。

霊性のアート円卓読書会(東京3/8、京都4/20-近日中にアナウンス予定)
銀河シンクロ教室(東京3/9、大阪4/19-近日中にアナウンス予定)
ドリームバンク(東京3/23)

日本の霊性と剣

2012年12月26日 04:00

律動の月13日 (G12/25)KIN211 青い電気の猿(by D)

マヤ長期暦が大きな周期の完了迎えた冬至(12/21)、『13の月の暦』のツォルキンでKIN207「青い水晶の手」の日、私達は20名の参加者と共に「水晶の円卓の集い」を行った。40日前にカトマンズで体験した13人の子供達&13人のおばあちゃん達との出会いや、新刊の表紙にまつわるシンクロをシェアした後、地球ダイビング瞑想を実施。前夜にインスピレーションでやってきた方法を試してみたところ、皆さん、それぞれに面白い体験をされた様子だった。
冬至の水晶 
予め『マヤのリズム』などにも書いておいた通り、この日、人類は滅亡や壊滅的な災害を体験することなく、ごく普通に次の大周期の初日12/22を迎えた(あれこれ脅しを書いていた人たちはどう責任を取るのか見ものである)。しかし、体感的にはむしろ、その翌日の12/23から何かが大きく刷新された感じがした。

実際、『ドリームスペル13の月の暦)』では、12/23から「月の創世記」「魅惑の緑の中央の城」そして「赤い月のウェイブスペル」という新しいフェーズに入っている。ドリームスペル創世記において、「猿の創世記(KIN131〜208)」から「月の創世記(KIN209〜260)」への魔術飛行は、常に特別なタイミングであるが、今回のはとびきりスペシャルだったということを、以下、追って整理してみたいと思う。

まず、この日79才を迎えられた天皇陛下は、これから1年間、ほぼ2013年と同期する形で「赤い磁気の月(1・月)」の道筋を歩まれることになる。4年周期での始まりである「赤」の流れに入っただけでなく、13年周期の始まりである「磁気(1)」の音に入っている点にも注目したい。

そして、この1年の間に、伊勢の式年遷宮(20年毎)と出雲の遷宮(基本60年毎)が行われることも考え合わせれば、「日本の霊性」は、これからの1年で全く新しくなると言えるだろう。加えて、政の方も、このタイミングに、日本の惑星ホロンとシンクロする「6・橋渡し」の安倍晋三氏が新政権を発足させる。まるで狙ったかのような天の采配だ。

また、銀河ツール『時間の法則の20の銘板』『7:7::7:7』で採用されている「ひと月=1KIN」の見方では、KIN209(1・月)は、2013年7月26日から始まる「黄色い銀河の種の年」の「磁気の月」に対応する。つまり12/23は、「銀河の同期」そのものともシンクロしていたことになる!さらにサイ時間単位も「赤い惑星の竜」(KIN101)。

こうした「始まり感」に満ち満ちた日に、剣武天真流新体道棒術の演武会が、西神田で行われた。「赤い磁気の月」のキーワード「目的/統一する/引きつける」「普遍的な水/清める/流れ」は、エネルギーを統一して高め、祓い清める方向性を持つ剣武天真流にピッタリシンクロしている。また、私は九段下の駅から会場の体育館に向かったのだが、「赤い月」のコード番号はもちろん9である。

そもそも、三種の神器のひとつに天叢雲剣があるように、日本の霊性は「剣」を抜きに語ることは出来ない。新体道の剣術部門を進化発展させた剣武天真流は、まさにその霊性を中心に据えていると言っても過言ではない流儀であるが、新体道創始者にして剣武宗家の青木宏之先生が吟味検証しながら構築された体系だけに、武術的な側面も当然きちんと押さえられている。同様に棒術や空手も、新体道という土台の上に構築されているので、本質的なところは皆同じである。

さて、今回の演武会では、NPO新体道本部と慶応大、中央大の新体道棒術部が前半に棒と杖を、剣武天真流が後半に型や組太刀を行った。勢いのある学生諸君の演武も素晴しかったが、やはり本部指導員の演武は迫力があってどれも見事だった。また、今回は久しぶりに帰国された岡田満先生の応援演武と宗家の演武も見られて、稽古人としては非常に得るものが大きい時間であった。
剣武演武 
私も剣でいくつか出番があったのだが、一人で行う自由演武として「生々流転」という型をアレンジしたものを演武させて頂いた。会場が皇居至近でほぼ真北のエリアであることや、全く新しいサイクルに入るというタイミング、そして「赤い月」や「赤い竜」と言った日付のエネルギーのことを意識し過ぎて少々力んでしまったが、まずは無事に終えられたことに感謝したい。
写真-9
会場を天真館道場に移してからの大納会は、認定証の授与式からスタート。私は、剣武天真流弐段の認定証を頂いたのだが、この日の朝、誕生KINが「6・世界の橋渡し」(KIN6)の安倍次期首相がテレビに登場されているのを目にしていたので、第6号と知って嬉しくなってしまった(ちなみに、G暦の年末年始は『13の月の暦』で常に6番目の月になる)。

ちょうどこの日に合わせて、青木先生(KIN245)が一気に名札も書いて下さり、道場の名札掛けに自分の名前を見つけることが出来た。天真館の道場開きは今年のG4/29(KIN231=Lの誕生KINでその時の私の道筋)だったし、演武会&大納会もKIN209で、さすが私達の先生!というタイミング。
剣武名札 
今後、支部教室を開くつもりで手続きしているので「師範」のところにも名を入れて頂いているが、実際には、まだ半年ほどの研修期間がある。上記の通り、暦的にもちょうど「黄色い銀河の種の年」のスタートとシンクロする日に弐段の認定を得たので、今年の夏から教室を開始する予定である。老若男女問わず、興味のある方は、是非、お問い合わせ頂ければと思う。

そういえば、今回のイベントは、剣武天真流弐段師範で本部指導員の吉田倫子さんが総合プロデュースと陣頭指揮を取って下さった。新年からは、慶大棒術部も初の女性幹部体制になり、中大棒術部も監督陣に女性が入るとのことで、時代の流れを反映してか女性の活躍が目覚ましい。本来、道の世界に男も女も無いと思うが、志を同じくする「道友」というのは、本当に大切だと近頃切に思う。

そういう意味では、大納会まで参加して下さっていた武術研究家の長野峻也先生をはじめとする游心流の方々や、新陰流のC先生など、天真会や新体道の活動を見守り、応援して下さっている皆様の存在にも、ありがたさを感じずにはいられない。広い意味では、そういう方々も「道友」と言えるのではないかと私は思っている。

互いにお宝を持ち寄って、上がった人から順に好きなものを選べるというビンゴゲームでは、フランスのワインコンペで最優秀をとったという赤ワイン(宗家より)や、オーナー自ら出品した横浜増田窯のマグカップなど、真剣に勝負したくなる景品が沢山出ていて大いに盛り上がった。Lはフランス人の稽古仲間が出品した水差しを、私は実用的なメモ帳を手に入れたのだが、帰宅してよく見ると、何と今使っている名刺入れと同じデザインのPスミスのメモ帳で、しかも何故かフランス製だった。

余興でムーンウォークやダンスを披露したOさんは、近所に住む稽古仲間だが、何と、かつてマイケル本人に認められたダンスチームの一員で、本人と握手した経験も持つ。その道のエキスパートが沢山いるという多様性も、天真会の魅力的な側面のひとつと言えるだろう。セラピストという仕事柄、時々、「何かお薦めの運動とか瞑想法ってありますか?」と聞かれることがあるのだが、自分が学んでいるものが一番おすすめなのは言うまでもない。

もし、他にもっと魅力的なものがあったらとっくにやっているだろうし、そう思えるものだったらきっと辞めずに続けているだろう。もちろん、世の中には素晴しい道や手法はいくらでもある。だが、私は日本に生まれたからには、日本の霊性と文化のエッセンスを学び、それを次の世代や世界に伝えて行きたいと思うのだ。そういう意味で、剣武天真流や新体道(天真体道)は、私の求める全てを内包する最高に魅力的な道なのである。



追伸:安倍氏は間もなく96代の首相になる予定だが、前回の90代と合わせると186。実はKIN90の江本氏と書いた『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』は、奥付にある発刊日がG11/30で、その日はKIN186である。最終的にカットされてしまったが、安倍氏や昭恵夫人について書いているところもあった本だけに、興味深い繋がりである。

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