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夢のアンテナの向け方

2018年01月13日 01:27

■共振の月3日 (G1/12) KIN234 白い宇宙の魔法使い (by D)

お正月期間が終わって世間が動き始めたG1/9,10、青山(表参道)の善光寺で行われたゾンサル・ケンツェ・リンポチェによる「密教を垣間見る("Glimpse of Vajrayana”)」に参加して来た。ここ数年、同会場でシャーンティデーヴァ『入菩薩行論』の連続講演が行われていて、今年も1/7,8はその続きだったのだが、諸事情で今回は後半のみ参加させて頂く形となった。

あくまで「垣間見る」だけで、密教を教わったという訳では無かったが、声聞乗、大乗、金剛乗、それぞれの特質と違いを、大変わかりやすく解説して下さって、大いに勉強になった。仏教に土台を持つマインドフルネスが、そこを隠して単なるビジネスツール(商品)として広まっている事を痛烈に皮肉ってみたり、相変わらず時代に即応した講演内容でユーモアに溢れており、しかも本質的である。

また、毎度の事ながら時間に正確で冗長さも全く感じさせない。話に広がりがあるのに脱線しっ放しになる事は無く、質問への回答も、一見飛躍しているようでいてポイントがズレる事は無い。これは、通訳(やそれを助ける人々)との意思疎通も滑らかである事の証拠と言えよう。主催のシッダールタズ・インテントの運営の仕方、アナウンスなどにもそれは現れていて、見事に調和的で美しかった。

と、ここまで書いて「青山善光寺(表参道)の仏縁」という前の記事を検索で辿ってみたら、殆ど同じような感想を某Dなる人物(過去の自分)が書いていた(笑)。それくらい、毎回新鮮に「素晴らしい!」と思える方だし、本質においてブレが無いのである。

その場にとって必然性の無い事は、極力省く方針を取られている一方で、どんなに簡略化しても押さえるべきところは押さえているという、この絶妙なさじ加減に毎度感服させられるのである。冒頭に行われたマンダラ供養(教えの請願)にもそれは示されていて、とても短い短縮版ながら、okudaさんという方がリードして下さって、皆さんと気持ちを合わせて捧げる事が出来た。

このokudaさん、実は、私がしばしばお世話になっている大阪のチャクラさんとも前々からご縁があるようで、チャクラのオーナーご夫妻からよくお話は伺っていたのだが、今回はリンポチェの真正面に座られていて、色々と気を向けなければならない立場にいらっしゃるようだったので、あえて声はおかけしなかった。いずれゆっくりお話出来る機会が巡って来ると思えたからでもある。

そもそも、リンポチェとのご縁はケンツェ・ノルブ名で監督された映画『ザ・カップ:夢のアンテナ』にある。前の記事にも書いてあるが、実は初めてLと観に行った映画がこの「夢のアンテナ」なのだ。それが時を経て、二子玉川から電車1本20分とかからない場所で、二人揃って直々に講演を聞ける事になったのだから、幸運この上ない巡り合わせと言えよう。

もちろん、唐突に繋がった訳ではなくて、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェの師ディルゴ・ケンツェ・リンポチェとの出会いについては、『シンクロニック・ジャーニー』P43に写真入りで書いてあるし、NPOの活動で毎年訪れているカトマンズでのシンクロについては、上記「青山善光寺(表参道)の仏縁」の中にまとめて書いてある通りである。

だから、今回、私達にとっての初日でもあった1/9(KIN231)に、お寺の山門前でいきなり立ち話をされているリンポチェにご挨拶出来る機会があったのも、「Lの銀河の誕生日祝い」という感じで、ある意味、自然な出来事のように思えたのだった。万事そういう印象ではあったのだが、2日目午前中の体験についてだけは、ちょっと記しておきたいと思う。

善光寺 ★講演が行われた青山善光寺の本堂内

私は、お話を聞きながら半ば瞑想状態に入っていて、いつしかリンポチェの祖父ドゥンジョン・リンポチェ、師のディルゴ・ケンツェ・リンポチェ、前世に当たるジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥ(*)、さらにはこの法脈の源とも言えるグル・パドマサンバヴァへと至る流れに、深い感謝の気持ちを捧げていた。

また、不思議なシンクロで導かれたパトマサンバヴァゆかりの聖地、インドのツォペマ、ブータンのタクツァン、ネパールのファルピンでの体験や出来事なども思い出していた。すると何と、今回、どなたかからのリクエストがあったという事で、急遽パドマサンバヴァに関する祈りをリンポチェが唱えて下さる事になったのだ。

それほど長い時間では無かったが、この時の感覚は、ツォペマでシンクロに導かれて加持を受けた時のものに非常に近く(この時の経緯は『シンクロニック・ジャーニー』に記してある)、後でLに感想を聞くと「あの時と全く同じ感じだった」との事。またしても、全く思いがけない形でありがたい機会を頂いてしまった。現地での出来事を思い出していた直後だっただけに、私にとってその驚きは大変なものだった。

しかし、私は「アンテナを常に本質に向けていれば、そこから届くシグナルを聞き逃す事はない」という気持ちも、同時に味わっていた。情報過多と言えるほど情報に溢れている現代において、アンテナの向け方は、その人の針路を決定する大きな要素であると思う。私が具体的事象をすっかり忘れても、同じ対象に同じ反応をするのは、自分の「夢のアンテナ」が常に一定の方向に向いているからだと思う。

ちなみにゾンサル・ケンツェ・リンポチェは1961.6.18生まれのKIN126(9・世界の橋渡し)で、私達と同じ「運命の道筋」になるパターンは、Lの2スピン(520日)後、私の4スピン(1040日)後という関係になっている。私の誕生日の520日後&リンポチェの誕生日の520前がLの誕生日、という言い方も出来る。

この暦の数え方を示したホゼとロイディーンもまた、チベット仏教に深い影響を受けており、彼らの師チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェは、ディルゴ・ケンツェ・リンポチェにも学んでいるのである。そして、タクツァン滞在中に「西洋の科学物質文明の中に仏教を真に根付かせるには、自らの中の精神の物質主義を断ち切ることが必要だ」と悟ったらしい。

ドリームスペル13の月の暦)』を、いわゆるマヤ暦からのみ追っている人々が、結局のところ本質を理解できないまま情報を歪曲し、嘘で塗り固めることに終始してしまうのは、こうした背景や仏教的見解について、あまりに無知であるからだと思う。

逆に、チベット仏教(特に超宗派的な系譜の人々の教え)にある程度馴染んでいれば、『13の月の暦』の伝えている本質は割と直ぐに分かってしまうと思う。例えば、一つの見方に執着せず、多様な文脈で物事を捉える事ができるかどうかというのも、その一つだ。こうした見解は、人生をより豊かにし深めてくれるもので、知識の切り売りとは全く別な方向性のものなのだ。


(*)私はゾンサル・ケンツェ・リンポチェがこの方の転生者だとは知らずに、『知恵の遥かな頂』のP179に掲載されているこの方の写真のポーズに何故か惚れ込んでいて、よく真似をしていた。最初、Lだけがゾンサル・ケンツェ・リンポチェの講演に参加した時、指の動かし方が独特でジャムヤン・ケンツェの写真とどこか似ているという事が話題になったのだが、その時点でもまだ転生者である事を知らなかったのだ。
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青い鷲のシュタイナー

2015年01月29日 22:08

共振の月20日(G1/29)KIN196 黄色い磁気の戦士(by D)

先週末、表参道リビーナで開催された第13回天真書法塾発表会は無事終了。お忙しい中ご来場下さった皆様、ありがとうございました(シャンバラ教室生の作品を中心に整理したアルバムはこちら)。

さて、その1週間前に発表会場のすぐ傍で行われた講演との不思議なシンクロについては、「青山善光寺(表参道)の仏縁」と「明恵の夢見と華厳の教え」にまとめた通りだが、その後も思いがけない展開があって、今のうちに整理しておかないと、次の波がどんどんやってきて書き留める機会を失いそうなので、以下に手短にまとめておこうと思う。

発表会の初日に、ご自身も二子玉川「ラサ」でチベット仏画展を開催中の飯野博昭さんが来て下さって、少し話をした。絵の師匠がネパール在住のチベット人というのは耳にしていたが、詳しく聞いてみると、どうもNPOクリカで支援をしている子供達が通うマナサロワール・アカデミーのすぐ近く(徒歩圏)に住んでおられる様子。カトマンズ市内ならまだ分かるが、ボダナート地区というのはピンポイント過ぎだろう。

この時、コパン・ゴンバ方面という話を聞いたせいか、そこから5日後の昨日(KIN195=13・鷲)、家から「ラサ」に向かう途中のビルに「コパン音楽教室」という看板を見つけてしまった。後で調べてみたら、カトマンズのコパンともマヤ遺跡のコパンとも違うフランス語のスペルだったが、何故か「コパン」という言葉とは縁がある(大学の学食も、もしかしたらフランス語由来だったのかもしれない・・・)。

飯野さんの仏画は、虹の身体のブッダや、ダムニェン(チベットの楽器)を手にした弁財天など、これまで見たことの無いスタイルのものが含まれていて、美味しいお茶を味わいながら興味深く観させて頂いた。この時、ラサの石川さんが、唐突にシュタイナーの事を聞いてこられたので、知っている範囲で話をさせてもらったのだが、この偶然の問い掛けが、実はこの日の全てを繫ぐ鍵だったことに、帰り道の途中で気付いたのだった。

帰り際、今日が「石川さんにとって大切な方の命日」だったことを教えて下さった。20年前なら「青い鷲」になるが、ひょっとして…とiPhoneのドリームスペル計算アプリ「KIN3D」で確認すると、やはり直感通りKIN175(6・鷲)になった。KIN175は、シュタイナーの誕生KINであり、カトマンズにいる道友・木村悟郎さんの誕生KINでもある。

青い鷲の蒼天 ★ラサを訪れた日、青い夜のウェイブスペルの最終日「青い宇宙の鷲」の蒼天

実は、飯野さん、石川さんとの会話の中で、私達は悟郎さんの事も話題にしていた。何故なら、天真書法塾の塾長は新体道(天真体道)の創始者・青木先生であり、悟郎さんはマナサロワール・アカデミーで、その天真体道(新体道)を週一で教えくれてもいるからだ。さらに、ボダナートにあるマヤ・ベーカリー・レストランのオーナーの一人でもあるので、あの辺りの事となれば、必然的に話題に登る。

これだけでも既に十分な感じがするのだが、もっとスゴイのは、悟郎さんがかつて、立川にあるシュタイナー学校(東京賢治シュタイナー学校)で新体道を教えていた経験があるということだろう。現時点でも、日本には数えるほどしかシュタイナー学校は無い。カトマンズのボダナートにチベット仏画(タンカ)の師を持つ日本人だって、飯野さん以外にいるかどうか・・・。

そして、「ラサ」というお店の主にとって、大切な方の命日から20年というタイミングだとは知らずにそこを訪れた私達と、これまで何度もお会いしていながら今回初めてシュタイナーの話をして来た石川さん。まさに、私が書法塾発表会に出品した「因陀羅網」そのものだ。余談だが、次の太陽暦誕生日から、私はKIN131(=宮沢賢治)の道筋に入る。賢治が「インドラの網」という作品を残していたのを知ったのも最近のことだったが、東京賢治シュタイナー学校の「賢治」も、もちろん宮沢賢治由来だ。

ところで、一昨日、共振の月18日(KIN194)は、『13の月の暦』で私の毎月の誕生日だった。青山善光寺の講演以来、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェの動画を見つけて来ては視聴していたLが、ちょっとした勘違いから別なスペシャル映像を見つけ出して来てくれたのが、ちょうどその日だった。何とその動画は、『シンクロニック・ジャーニー』にもご登場頂いているディルゴ・ケンツェ・リンポチェの生涯がまとめられたもので、まだ出来てから半年位の作品だった。

丁寧に作り込まれたその作品には、ダライ・ラマ法王、カルマパ16世、トゥルシック・リンポチェ、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェ、メレン・ティチェン・リンポチェ、シェチェン・ラブジャム・リンポチェ、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェ、ジグメ・ワンチュク前ブータン国王、マチウ・リカールなどなど、キラ星のごとく霊性のマスター達が登場している。

『シンクロニック・ジャーニー』の中で、失礼にもクリ坊呼ばわりしていたシェチェン・リンポチェが、どんな法統の方なのかが分かって驚き、『13の月の暦』の誕生に多大な影響を与えたチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェが登場してまた驚き、ナレーションがリチャード・ギアだと分かってまたまた驚き、という具合に、ひたすら驚きに満ちた映像なのだが、最も驚いたのは、何と言ってもディルゴ・ケンツェ・リンポチェの存在感そのものだった。

実は、20年前の出来事をきっかけにチベット仏教徒となった石川さんの師も、この映像の中に登場されている。だから、後から判明したこととは言え、20年前の昨日が「大切な方の命日」だった石川さんに、この映像のことを昨日お伝え出来たのは、とても嬉しいことだった。

シュタイナーの誕生キンであるKIN175については、他にも驚嘆すべきシンクロを次々に発見してしまったのだが(今まさに起きていることの中に)、もう収拾がつかなくなりそうなのと、カーラ・チャクラやハーモニック・コンバージェンスとも絡んで来るので、週末の【銀河のマヤの共振技術】(特に「シンクロ・ラボ」と「シンクロのマイスターへの道」)で整理しつつお伝えしたいと思っている。

青山善光寺(表参道)の仏縁

2015年01月22日 00:43

共振の月12日(G1/21)KIN188 黄色い律動の星(by D)

今年もシャーンティデーヴァの『入菩薩行論』の講演でゾンサル・ケンツェ・リンポチェが来日して下さった。会場は2013年夏に続き青山の善光寺。映画監督でもあるリンポチェの作品『ザ・カップ:夢のアンテナ』は、初めてLと2人で観に行った映画でもあるので、「豊かさを夢見る」青い夜のウェイブスペルの始まり(KIN183=1・夜)と完全にシンクロして行われた今回の講演には、何か特別なものを感じていた。
善光寺 
自分達が主催するイベントや剣武の稽古等もあって、私自身が実際に出席できたのは、3日間の日程のうち、2日目の午後の時間帯だけだったが、それで十分と思えるほど素晴しい講演(法話)だった。内容や環境など様々な条件が異なるので、単純な比較は出来ないが、おそらく、これまで体験したあらゆる法話の中で、最も引き込まれた特別な時間だったと思う。

何しろ、リンポチェのしゃべり方、しぐさ、存在感、間合い・・・そのいずれもが驚きに満ちていて自然なのだ。海や風、野生動物たちが示すダイナミックな変化を、エレガントに表出しているとでも言ったら良いだろうか。通訳を介したやり取りも、それを感じさせないほどベストなタイミングで話を区切り、質疑に対する応答も明快この上ない。現代という時代に則し、その人その人に応じた喩えを使いながら、王道である「ものごとの真のあり様(空性)を観る智恵」に向けて一切ブレること無く迫って行く。

これほど現代に相応しい形で、しかも様々な角度からの見解にも十分な検討を加えながら仏教の本質を説ける方が、他にいらっしゃるだろうか?もちろん、ダライ・ラマ法王をはじめ、世界には他にも素晴しい僧侶、教師は沢山おられる。しかし、映画という表現手法を方便として使える優れた感性と縁を持ち、複数の法統と血統を統合する立場も大いに活用しながら、それにとらわれることなく仏教の本質を伝えている方は、なかなか見当たらない気がする。

もちろん、昨年も素晴しいと思ったが、今年は言語的な面だけでなく、様々な教えにも通じておられる永沢哲さんが通訳をされた事も大きかったのだろう。リンポチェは法話の中で「空海」の名を何度か出されていたが、私が永沢さんとのびっくりシンクロを体験したのは、『霊性のアート』P113や過去記事にも書いた通り、高野山大学でのダライ・ラマ法王による金剛界マンダラの灌頂の時だったので、そこにも「通りの良さ」を感じる見えないご縁があったのかもしれない。

これを書いていて思い出したが、ナムカイ・ノルブ・リンポチェの支援でスタートしたのが、カトマンズにあるマナサロワール・アカデミーで、私達はその流れを全く知らずに別なご縁でNPOクリカとしてマナサロワール・アカデミーの子供達を支援しはじめたのだった。この繋がりに気付けたのは、2012年サカダワ満月にナムカイ・ノルブ・リンポチェの来日講演に参加させて頂いた時で、もちろん、その時も永沢さんが通訳をされていた(リンポチェの著書の殆ど全ても永沢さんが翻訳されている)。
NNR.jpg 
確か、中学高校時代の同級生だった高松佐和子さんが、永沢さんと古い付き合いがあるという事を知ったのも、その前後のことだったと思う。ちなみに、彼女は今、自由が丘駅前で「さわこ未来クリニック」を開設していて、オープン直後くらいのタイミングに購入して下さったLの書作品をセットしに訪れたことがある。これもその少し前に、随分久しぶり(多分20年ぶり位)に中学の同窓会に顔を出したことがきっかけだったのだから、人の縁は面白い。

ついでだからもうちょっと書いておくと、『シンクロニック・ジャーニー』でその不思議なご縁について書いたディルゴ・ケンツェ・リンポチェは、ケンツェの系譜ということで、当然ゾンサル・ケンツェ・リンポチェとも深い関係がある。実際、私達は2008年に、ディルゴ・ケンツェ・リンポチェの転生活仏ケンツェ・ヤンシ・リンポチェが、カトマンズのシェチェン寺を訪れた時に偶然その場に居合せ(この時にあった色々な事は過去記事にメモってある)、そこにはゾンサル・ケンツェ・リンポチェもいらしていたのだ。
DJK.jpg ★2008年11月18日=KIN14(=ダライ・ラマ法王の誕生KIN)。シェチェン・ラブジャム・リンポチェとゾンサル・ケンツェ・リンポチェ。

話が飛んでしまったが、青山善光寺での講演は、シッダールタズ・インテント・ジャパンの主催。来場者の半分以上が台湾や香港などからの方々だったのは、リンポチェの活動拠点との関係もあるのだとは思うが、せっかく来日して下さっているのに、日本人がその法話を耳にしないのは大きな損失であると、私は真剣に思ってしまった。未だに欧米の真似しか出来ない人々が多い日本では、ジム通い、マラソン、自転車、ヨガなんかが20年遅れ位で流行ったりしているが、どうせ猿真似するならダライ・ラマ法王やゾンサル・ケンツェ・リンポチェの講演も聞いたら良いのに、なんて思ってしまう。

それはさておき、リンポチェの講演とぴったり7日ズレた関係となる明後日1/23(金)〜25(日)に、いよいよ天真書法塾の発表会が行われる。驚くべきことに、今年の会場は13回目にして初めての表参道リビーナ。何と青山善光寺の敷地のすぐ隣(裏)なのだ!しかも、書題にそういう決まりは無いのに、何故かLも私も仏教関係の言葉を作品化している。このことに関して、さらに不可思議な繋がりを発見してしまったのだが、話が長くなりすぎるので、一旦ここまでにして、明日にでもまた続きを書こうと思う。

ひとつ言えることは、今週末に表参道リビーナで行われる「天真書法塾発表会」と、その次の週末に大阪チャクラで行われる「銀河のマヤの共振技術」にいらっしゃる方は、いずれ「大いなる驚き」を体験するだろうと言うことだ。今、起きていることは、とてつもない広がりを持った現在進行形の物語だからだ。

追記:ゾンサル・ケンツェの来日講演を最初に私達に教えてくれたのは、天真書法塾シャンバラ教室で学んだでいた友人ドルマだったが、マナサロワールも、考えてみたら校長先生のサンモさんが、TCV時代にドルマの同級生だったからである。

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