fc2ブログ

龍の都「志賀海神社」での白龍遊天

2017年04月05日 05:13

惑星の月1日(G4/4)KIN211 青い電気の猿(by D)

春分の夜に見た天気予報では、3/21の午後には雨が上がるようだったので、夜のうちに雨雲が過ぎてくれる事を願っていたが、起きると外は殆ど暴風雨の様相。強風に乗って滑空するのを楽しんでいるかのような海鳥達を眺めながら朝食を頂く。流石に演武を控えているので、思わず箸が進みそうになるのをこらえ、少しの量をゆっくり噛んで頂く事にした。

小柄な女将さんは、「満帆荘」を訪れた著名人のことや、地震で被災した後に再建を決意した経緯について、気さくに話して下さる方なのだが、私達が共に受け取ったのは「多分、魔法が使える方」という印象だった。それが何を意味するのかは、実際に「満帆荘」に泊まって体感してみて欲しい。分かる人には分かると思うし、何のことやらという方でも、素晴しい宿なのは分かるだろう。

演武用の格好に着替え、幾分降りが弱くなった頃、ふたば幼稚園の小崎先生が迎えに来て下さり、真っ赤な77-77の車で志賀島877という住所にある志賀海神社へと向かった。『13の月の暦』のツォルキンで、この日は「赤い月の地球」。サイ時間も「赤い銀河の地球」、そしてKIN77は「赤い水晶の地球」。「赤い地球」のキーワード「舵取り/発展させる/共時性」を意識せずにはいられない。

御潮井(清め砂)を左、右、左と軽くふり清めてから境内に入る作法は初めてだったが、歴史の流れから見れば、これが清めの原形的なスタイルなのではないかと思う。志賀海神社の歴史や詳しい背景については、公式サイトをご覧いただくとして、以下にその冒頭部分を引用しておこう。

”古来より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要衝である博多湾の総鎮守として志賀島に鎮座し、信仰されている志賀海神社は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓によってご出生された綿津見三神を奉祭しています。”

社務所に到着し、権禰宜の平澤憲子さんにご挨拶。小崎先生のご紹介で2/25(KIN173)に電話でお話はさせて頂いていたし、ご子息の幸興さんとは昨年11月末にアートコンプレックスで行われた天真書法塾発表会の会場でお会いしてもいたが、ご本人にお目にかかるのは今回が初めて。しかし、最初からシンクロの嵐で、その場にいたメンバーはただただ驚くばかり。

中でも、蘭禅が奉納した書「君が代」の軸を広げた時が最も盛り上がった瞬間だったが、その件については、別途本人が報告する予定なので、ここでは別なシンクロをシェアしておこう。一つは、スペインの伝統菓子「ポルボロン」について。日本では二子玉川にしか出店していないお店のものをという事で、心ばかりの手土産としてお持ちしたのだが、平澤さんがことのほか喜んで下さったので、その理由をお聞きすると、「20年以上も前にスペインのお土産で頂いて、その食感や味が忘れられず、どこかで手に入れられないものかと、ずーっと探していたんです」との事。

そんな風に言って頂いてこちらの方が嬉しくなってしまったが、前後の文脈や反応から、決して社交辞令でそう答えて下さった訳ではなさそうだった。思えば、もう一つもスペイン絡みの話だったが、その件で最も驚いたのは多分私達だったに違いない。実は、平澤さんと電話でお話した前後に、ネットで志賀海神社の事を調べていて、平澤さんが福岡女子大のご出身だと知った。

一方、2011年にバルセロナを訪れる前から注目し続けていたサグラダファミリア主任彫刻家の外尾悦郎氏が、この春、福岡女子大の客員教授に就任される事をLがニュースで見つけていて、G1/6(KIN123)に特別講演「サグラダ・ファミリアに込めたガウディの意図」の場にて、辞令交付式が行われた事を知った。KIN123と言えば、パカル王の石棺の蓋が開いた日付で、交付式が行われたその日は、そこからぴったり90銀河スピン(260×90)に当たるタイミングだった。

太宰府天満宮で引いた私達のおみくじが5と18で、「5×18=90」にもなるので、私は、それ以外に特に根拠も無く「彫刻家の外尾さんが福岡女子大の客員教授になられましたけど、私達は外尾さんにすごく影響を受けていて、深く尊敬しているんです」と、平澤さんに話してみたところ、「え、外尾くん?」と口にされたのだった。聞けば、学生時代の同級生らしく、外尾さんが帰国される時には、割と頻繁に合うような間柄らしい。

もちろん、何らかの繋がりがあるかもしれないという思いで振ってみた話だったのだが、いきなりストライク過ぎて、聞いたこちらがビックリしてしまった。それに、今回の志賀島での講座は、春分という事もあって意識的に『マヤのリズム』を準備していたのだが、実は、2011年にサグラダファミリアを訪れた時、私は出来て間もなかったこの本を、外尾さんに届けてもらうよう職人さんに託した経緯があるのだ(メルマガ”Happy シンクロ Days♪” Vol.42参照)。そのメルマガの配信日がKIN221(=13竜=ミケランジェロ)というのが、今、最高に旬な驚きなのだが、話が広がりすぎるのでそれについては機会を改めるとしよう。

そうこうしているうちに、奉納演武の時間が迫って来た。拝殿への移動に傘が必要無いくらいにまで小降りにはなっていたものの、すっかり上がった訳ではない。晴れ男&晴れ女の私達にしては珍しい展開だが、小崎先生は「ここは龍の都だから、神様がお喜びになると雨が降るんです」と移動中の車の中でおっしゃられていた。それでもやはり、演武を観に来て下さっている方の事を考えると、天気の事は気になる。
志賀海 

まず、拝殿に上がりお祓いを受け、正式参拝。蘭禅の書は、既に三方に乗せられて神前に供えられている。その後、奉納演武へ。すぐ近くで新しい建物の工事が行われていて、かなり激しい音がしていたのだが、入場礼法を終えて「天真五相」に入ると、神職の方が止めて下さったのか、「ア」の直前でピタッと音が止んだ。その後、観に来て下さっている方々に対して、剣武天真流の概要と、使用刀が江戸初期の佐賀藩の刀工(播磨守忠國)による作品で、青木宗家からお預かりしているものであること、および、これから行う型についての説明をさせて頂いた。


当初は、天地清浄祓いの型である「四方荘厳」と最も複雑かつ高度な型である「神剣無礙」だけを行うつもりだったが、「龍の都」で「赤い共振の竜」の私が演武するのだから、「白龍遊天」も入れないと話にならないと思い、その型も含めて奉納させて頂く事にした。演武中は集中していて気付かなかったのだが、ビデオを見ると実はかなり激しい雨が降っていて、「白龍遊天」が終わった瞬間(納刀時)には、強い風が吹き渡ると共にトンビが鳴くという天の演出まであった(以下の動画の一番最後に音が入っている)。



「世界の平和と人々の幸福を祈る」奉納演武を何とか無事に終え、観に来て下さった方々に刀をお見せし、希望される方には触れていただこうと拝殿から降りて行くと、雨はもう止んでいた。その後、幼稚園で「書の掲額式」(こちらもLが別途報告する予定)が控えていたので、境内を見て回る余裕も無くそのまま移動。「亀石」「鹿角堂」などは、次の機会にゆっくり見せて頂くつもりである。
奉納後 ★刀を手にされる権禰宜の平澤さん

お天気が荒れただけでなく、福岡市内からの高速道路でバスの事故などがあった(ニュースにもなっていた)関係で、残念ながら間に合わなかった方もいらっしゃったが、「掲額式」の後のお昼時間には、特別に美味しい幼稚園の給食(あまりの美味しさに丸二食分頂いてしまった)を頂きながら、一緒に話に華を咲かせる事が出来た。話の順序は前後している可能性が高いが、印象深いシンクロを以下にメモしておく。
志賀海2 ★(写真は玉里さんより)

2016年に剣武セミナーが行われた石川県羽咋市志賀町の「志賀町」は、安曇族が移り住んだ場所の一つで「志賀島」に由来する。2015年に剣武の奉納演武を行った宮崎県の鵜戸神宮には、ウガヤフキアエズノミコトが祀られているが、その母トヨタマヒメノ、妻のタマヨリヒメもオオワタツミノカミの娘であり、志賀海神社との関係が深い。

宇宙の暦は13ヵ月・新装版』の版元であるプレアデス出版は、現在、長野県安曇野市にあり、2/24(KIN172)に、麻畑社長がメールの返信の中に穂高神社のお船祭の事を書かれていたので、改めてその祭りについて調べてみると、白村江で討死した安曇比羅夫の命日に行われている事が判明。その翌日に、平澤さんと初めて電話で話をさせて頂いていた。

さらに、その5日後の3/2(178)、グランドジャンプに連載中の「行雲流水〈徐福〉」(本宮ひろし作)の中に「海人の安曇族」というセリフを発見して驚いた事、昨年のイタリア旅行の直後から始まった「旅するイタリア語」という番組が、ちょうど奉納演武当日の朝(春分の深夜過ぎ)に最終回を迎えた事など、とにかく今回の志賀島に繋がる様々なシンクロについての話をさせて頂いた。
お昼 ★素晴らしく美味しい「ふたば幼稚園」の給食

旅するイタリア語に出ていた東儀秀樹氏は、昨年の12/25(KIN111)に「ふくおか無形文化遺産フェスティバル&シンポジウム」でコンサートをされているのだが、その時のシンポジウムには平澤さんがパネリストとして、フェスティバルにはふたば幼稚園職員の北本さんが「龍の舞」で、それぞれ出演されていたのである。

龍の舞」は志賀海神社に伝わる舞で、県の無形民族文化財にもしてされている貴重な民族芸能とのことだが、「白龍遊天」の動きが「龍の舞」に似ていたと、演武を見て下さった多くの方から言われたので、今度は北本さんによる「龍の舞」を、是非拝見したいと思っている。ちなみに、ふたば幼稚園のワカメ部長にも(小崎園長により)任命された北本さんは、奉納演武や掲額式の様子も撮影して下さっていて、同じ幼稚園職員の赤羽さんがそれをあっという間にDVD化して送って下さった。この場をお借りして、深く御礼申し上げる次第である。

志賀島には、そう遠くない将来、是非また訪れたいと思っている。そう思わせるだけのご縁と貴重な自然、古代からの歴史の記憶が、この島にはあるからである。

スポンサーサイト



剣武天真流演武会2015

2015年12月16日 01:31

律動の月3日(G12/15)KIN256 黄色い太陽の戦士(by D)

剣武天真流の稽古人が、この一年の稽古の成果を発表する場でもある年末の演武会「大剣祓い」が、今年もG12/5(KIN246)に行われた。お忙しい中、会場に足を運んで下さった皆様に心から感謝しつつ、諸事情で直接会場には来る事が出来なかった(剣武に関心を持って下さっている)皆様に向けて、当日の様子を手短にご報告しておきたいと思う。

会場となった小田急梅が丘駅前のホールには、開場前から、天真会(書法塾、瞑想カレッジ)や新体道の関係者をはじめとする多くの方々がいらして下さっていたが、青木宗家が冒頭の挨拶の時に来場者に向けて紹介されていたのは、『剣武天真流』DVDを制作して下さったクエスト社の木暮社長、日子流体術の田中光四郎先生、武術研究家の長野峻也さん、ダンス指導者の稲吉優流さん、サンデンタルクリニック院長の小山悠子先生など、その道のプロとして広く活躍されている方々であった。

実は、『13の月の暦』を日本に紹介して下さった恩人・高橋徹さん&いづみさんご夫妻も来て下さっていたのだが、それは私達との縁だけではなく、丸山貴彦本部正師範とも長い付き合いがあるからであろう。高橋夫妻と丸山師範、そして『13の月の暦』との繋がりについては、『霊性のアート 心の豊かさを育む技』に詳しく書いてあるので、関心のある方はそちらをご参照頂ければと思う。

さて、肝心の演武についてだが、発表に当ってあまり細かい制限はなく、稽古の進度に合わせたメンバーと型を決めた後は、割と自由にアレンジしたり音楽をつけたりする事が出来る。だから、どのチームも他のチームがどんな演武をするのか、当日まで殆ど知らない状態で臨む事になるのだ。それでも何故か、ちょうどいいバランスで音楽を使うチームと使わないチームが出来るし、演武構成にも独自の工夫がなされ、皆それぞれ違う感じになるから面白い。

今年は支部道場の数も増え、その一部は本部のメンバーに混じって演武に参加したが、フランスやブラジル、金沢など遠方のメンバーは、ビデオレターで参加してくれた。また、トランぺッター近藤等則氏とのコラボパフォーマンス「超意識」や、かすがの森(佐久平)での合宿、大神神社や鵜戸神宮での奉納演武の様子など、一年間の活動についても映像で報告が成された。

蒼天道場 ☆青木宗家と蒼天道場のメンバー

蒼天支部道場は、今年新メンバーになった大空さんを入れた4名で出演(道場主でもある私は司会)。大空さんとは、7年前のヒューレン博士によるホ・オポノポノ・セミナーがご縁で、その名通訳ぶりに感銘を受け、その場で御礼をお伝えしたのが最初の出会いだったが、その後、クリカの天真体道瞑想クラスに参加して下さるようになり、今年からは剣武の稽古も始められる事になったのだから、人の縁とは面白い。

演武会の締めは、もちろん、青木宗家の真剣による演武。先生の動きはあまりに自然で、それ故一見すると「簡単そう」に見えてしまうのだが、自分が実際にやる立場になってから見ると、どれだけ驚くべき事を易々とやってのけられているのかが、ようやく垣間見えて来る。全体の様子については、天真会からアルバムが公開されているので、そちらを参照頂くとして、最後に、稲吉さんが撮影&公開して下さった映像について少し触れておきたい。



ひとつ前の記事にも書かせて頂いた通り、稲吉さんはワールドワイドに活躍されている振付家でもあるのだが、今回の本部師範演武に関して、舞台演出の立場から貴重なアドバイスを頂き、大変お世話になった。この場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である。それも、大前提として青木先生や吉田先生、そして長野さんとのご縁があっての事と、ただただ有難く感謝するのみである。

青木先生と稲吉さんの出会いは、ほびっと村で行われた長野さんと青木先生の対談がきっかけで、最近出たばかりの長野さんの新刊『剣に学ぶ 武術の奥義』にはその時の写真も掲載されている。稲吉さんも登場されている付録のDVDは、かなり内容が充実していて、武術や剣を研究する方にとって色々と参考になると思う。

来年は、大阪でも本部道場が正式に始動する予定だし、金沢で5月に予定されている合宿には海外からの参加者が既に多数申込みを済ませている。日本の精神文化のエッセンスとしての刀と、新体道をベースにした最新かつ普遍的な身体技法から生み出された剣武天真流は、今、まさに世界に広まって行く気配に満ちている。

日本には、未だに舶来ものに弱く、影響され易い人が多いが(ヨガ、自転車、マラソンなど、皆欧米で20年以上前に流行ったものばかり)、世界は逆に、日本文化の素晴らしさを求める時代に入っているのだ。20年後に逆輸入される前に、自分の足下にある宝を学ぶ行為は、老若男女誰にとっても楽しみに満ちたものになるだろう。深遠な思想と身体を通じた学びは、年齢や性別に関係なく、生涯を通じてどこまでも深めて行けるものだからだ。

飛鳥(アスカ)から日向(ヒムカ)へ

2015年07月25日 01:57

宇宙の月28日(G7/24)KIN112 黄色い銀河の人(by D)

剣武天真流の奉納演武ツアーは、本来7/17(KN105)から始まる予定だった。しかし、台風11号の接近で宮崎へのフライトが危ぶまれた為、出発を遅らせる事が決まり、現地で予定されていたミーティングも、西荻窪の天真会事務所で行われる事になった。

事務所のベランダにある月下美人のつぼみを見て、青木先生が「今晩か明日位には咲きそうだね〜」とおっしゃっていたのがどこかに残っていたのか、ひと通りの話し合いを終えた辺りで、「あ、今つぼみが開いた気がする」という感覚がやって来た。窓際にいた丸山師範に確認してもらうと、確かに開き始めているという。
月下美人 
そこで、植木鉢を部屋のテーブルの上に置いて、皆でしばし観賞する事になった。1時間程の間にみるみる開花して行く様は、美と驚きに満ちていて、飽きることが無かった。しかも、この花は一夜限りで散ってしまうというのだから、ツアーメンバー全員が揃っているタイミングに開花したのは奇跡的だ。

この日は、宮崎が梅雨明けしたというニュースも入って来て、幸先の良い徴に満ちていたが、それは帰宅してからも続いた。郵便ポストに届いていたのは、何と橿原神宮(神武天皇が御祭神)からの案内だった。大分前に何かで寄付をしてから、年に数回案内が届くようになったのだが、今回のは内容もタイミングも凄かった。
橿原 
何しろLは、まさにこの日(7/17)の朝、橿原神宮に参拝しており、私は翌日から日向国へと向かうスケジュール。私とほぼ同じ時間帯に奈良から戻ったLに、久米寺や天武持統陵の話(「金星・空海・キトラ古墳」を参照)なんかを聞きながらこの案内をめくると、以下のような文章が目に入って来た。

”御祭神 神武天皇様は日向国高千穂宮をお発ちになり、熊野灘を経て大和橿原の地にはじめて都を定められました”

普段だったら何と言うことの無い一文なのだが、台風11号の影響で和歌山県南部に大雨が降り、熊野川が氾濫した事を知った青木先生が、事務所から熊野在住の方に電話をかけて安否を確かめられていたので、私は、このタイミングでこの文章を目にした事に驚かざるを得なかったのだ。だが、今、再確認していて気付いた驚きがもう1つあるので、同じく冊子より引用してみよう。

”来る平成二十八年、御祭神 神武天皇様 崩御二千六百年の式年を迎えることとなり、同年四月三日に「神武天皇ニ千六百年大祭」を厳粛且つ賑々しく御斉行申し上げます”

つまり、この冊子の趣旨は、来年4/3の大祭のお知らせだった訳だが、2016年4月3日を調べるてみるとKIN105で、何と冊子が届いた7/17と同じ「赤い磁気の蛇」だったのだ!月下美人もこの冊子の件も、予定通りに7/17に宮崎に飛んでいたら直接は見られなかったものだと思うと、台風11号の動きにも、何か大いなる働きを感じてしまう。

ところで、紀元ニ千六百年と言えば1940年に盛大に祝われたはず…と思って調べると、今回のは崩御2600年で、1940年の時は即位2600年だった事が分かった。私の両親は共にその紀元2600年の生まれで、新婚旅行も熊野那智〜橿原神宮だったと聞かされて来たから、このシンクロには個人的に強く響くものがある。

ちなみに、Lが飛鳥で入手して来た『新改訂・キトラ古墳と壁画』は平成18年3月27日の発行で、気になってその発行日を調べてみるとKIN88だった。四国八十八ヶ所からの流れ、国際天文学連合が定めた全天88星座とも見事にシンクロしていたが、同時にそれは父の誕生キンでもあるのだ。

そんな流れで、前日から大いに盛り上がっての宮崎行き。翌7/18(KIN106)に羽田から乗ったのはANA603便28。台風11号が経過しての603と来ると、どうしてもパレンケ11代王パカルの事を意識せずにはいられない。ちょうどマヤでパカル王が活躍していた頃、日本では天武・持統天皇がこの国の基礎を創っていた。おそらく、神武天皇が神話の中に位置づけられたのもその頃だろう。

宮崎空港からレンタカーで日向の大御神社に向かう。前日、梅雨明けしたと報じられた割には曇り空で、東京よりも涼しい。大御神社の御祭神は天照大神なので、レンタカーのナンバー「11-38」も、「猿」「鏡」に見えてしまう(紋章コード番号変換で)。

神社の駐車場に付くと、今回の奉納演武の諸々をご手配下さった刀匠の松葉さんが迎えに来て下さっていた。そして門をくぐると、嬉しい事に、6月一杯二子玉川ラサで「時の楽譜」展を共同開催し、TIMESCOREを共同制作したMiyokoさんが、延岡からお友達と駆けつけて下さっていた。ちなみに、Miyokoさんは7月の誕生日を迎えてから「青い宇宙の猿」の道筋を歩まれている。

本殿で正式参拝をしてから、海に面した広い場所で奉納演武をさせて頂いた。お天気が危ぶまれたものの神社に到着した頃からは青空が広がって、とても気持ちの良い風が吹き続けていた。演武終了後、新名宮司が境内の「さざれ石」や「龍の玉」「龍宮」などを、発見時のエピソードを交えながら案内して下さり、大変充実した時間を過ごさせて頂いた。ここに改めて感謝申し上げる次第である。

もしかしたら、高千穂から海に出られた神武天皇は、この辺りから東に向かったのかもしれない、とそんなイメージが浮かぶ、何とも清冽で気持ちの良い神社だった。その後は、松葉刀匠のお宅に伺って、試し斬り大会。松葉先生の指導を受けつつ、奥様やお弟子さんにもお世話になって、大いに学ばせて頂いた。ちょうど、試し斬りが終わった頃に雨がポツポツ降り始め、その後は結構な降りに。

翌7/19(KIN107)も、お天気はグズついていて、雨雲レーダーの予想では、午前中一杯、鵜戸神宮の辺りは雨雲がかかっているような状態だったが、これも現地に付くと晴れて来て、正式参拝を終え、演武をする海辺の広場に出ると、日の光がパーっと差し込んで来た。

松葉さん曰く「青木先生の神通力を信じてますから、雨は全く心配してなかったですよ」との事。確かに、私も晴れ男ではあるが、先生の晴れ男ぶりには敵わないかもしれない。実は10年以上前に、私はこの鵜戸神宮を訪れていて、今回演武をさせて頂いた辺りから亀石に向かって「運玉」というのを投げている。

その時、確か2回分チャレンジして最後のひとつが亀石に入ったと記憶しているが、今回、こういうタイミング(トーテムが亀の宇宙の月23日、KIN107)に鵜戸神宮で奉納演武が出来たのも、もしかしたら、その時の願いがある形で成就したのかもしれない。何しろ10年前には考えられなかった青木先生との組手まで、その場でさせて頂けたのだ。しかも、「念流」や「陰流」の開祖が、剣の奥義を悟ったとされる場所でだ。

演武終了後、地元メディアの取材を受けられていた青木先生の横で、今回の演武を佐賀から見に来られた矢山先生と少しばかりお話をさせて頂いた。20年以上前に『気の人間学』という本を読んで注目していた先生と、このような場でお会い出来たのも、青木先生、松葉先生のお陰であるが、お話しているうちに空海の研究をかなりされていた事を思い出して伺ってみた。
矢山先生 ☆矢山先生と

すると『超訳 空海の人間学』という本を、割と最近出版された事を教えて下さった。「金星・空海・キトラ古墳」に書いた通り、ここ最近の流れには、空海がずっと絡んでいる。帰宅後、改めて調べてみると、矢山先生の御著書は、何と剣武天真流のDVDも出して下さっているクエストから発売されていた。何と言うご縁だろうか。

鵜戸神宮では、その後、社務所で松葉刀匠が復元、奉納された「鵜ノ丸太刀」を見せて頂くなど、こちらも大変長い時間に渡って本部宮司はじめ神社の方々にお世話になった。宮崎日日新聞に奉納演武の案内や報告が細かに掲載されたのも、松葉刀匠と本部宮司のお陰である事は言うまでもない。この場を借りて深く御礼申し上げたい。

もっとも、これも青木宗家と吉田事務局長が、松葉さんと時間をかけて交流を深めて来られたというベースがあっての事。全くもってありがたいご縁、そして先生方に、ただただ感謝するのみである。

ちなみに、鵜戸神宮の御祭神は鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)で、神武天皇の父に当たる方である。そして鸕鷀草葺不合尊の父が彦火火出見尊(ヒコホホデノミコト)こと山幸彦、母が豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)という流れになっているのだが、豊玉姫命は、出産の際に八尋和邇(やひろわに)の姿になっているのを山幸彦に見られたため海に帰って行ったという。

興味深い事に、太平洋を挟んだメキシコのオアハカにも、「ワニの花嫁」という伝説がある。といっても、これもごく最近になって知った話で、きっかけは、「時の楽譜」展最初の来場者となったOさんが、岡本太郎美術館で竹田鎭三郎展が行われていることを教えて下さった事にある。

その時の経緯は「サカダワ満月のパカル王」にまとめてあるが、6/23(KIN81)に展示会場へ行き、『ワニのお嫁さんとハチドリのお嫁さん』という絵本を目にした。実はその日は、ホゼ(KIN11)がウォールストリート・ジャーナルの一面を飾った日からぴったり28年目に当たる日だったので、私は往路のフライトが603便で28という席だったのにも特別なものを感じていたのだった(帰りはSNA56便17で11番ゲート)。

その絵本は、オアハカ先住民の伝統行事「人間の村人が、生きたワニと結婚式をあげるお祭り」にヒントを得て、清水たま子さんが創作され、竹田鎭三郎さんが絵を描かれた作品だったが、そういう話に意識を合わせていたからか、7/8(KIN96)には「花嫁はワニ!?豊漁祈願の伝統儀式 メキシコ」というネットニュースを偶然目にする事にもなった。この記事が公開されたのが13:20というのも驚きだが、私は日本神話との類似性に改めて心ひかれる思いがした。

古事記や日本書紀での和邇(ワニ)は、サメの事だとも言われているが、因幡の白兎と同型の神話が東南アジアなどにもあり、そこではサメではない所謂ワニが登場するので、和邇ももしかしたら普通のワニを指しているのかもしれない。

鵜戸神宮の海岸側の参道は、私達が訪れる10日程前まで崖崩れの影響で通行止めになっていたようだし、演武を終えて車で移動している途中からは、かなりの土砂降りにもなったりしたので、今振り返っても、無事神宮にたどり着けた事や、演武の時に晴れていた事が、特別にありがたいことのように思える。「世界の平和を祈り、この国を創って来た人々に感謝する」という動機に、天が呼応してくれたのだろうか。

大御神社、鵜戸神宮での演武の様子は、天真会のFBアルバムとユーチューブの動画で公開されているので、それぞれのリンクを辿って頂ければと思う。

尚、10月には大阪で、本部大阪道場開設を記念する体験ワークショップが予定されており、宗家をはじめ、今回の演武メンバー一同が訪問する予定なので、実際に剣武をやってみたい、体験してみたいという方は、早めに申込みをされる事をおすすめしたい(リンク先のお知らせ欄参照)。日本から世界に発信できる身体文化、身体芸術を是非、その心身で味わって頂ければと思う。

最近の記事