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時空間の楽譜

2017年12月26日 22:57

律動の月14日 (G12/26) KIN217 赤い太陽の地球 (by D)

今日のお昼、行きつけの「Time&Space」に行くと、入り口に近い席に漫画家(タレント?)の蛭子能収さんがいて目が合ってしまったので、思わず「蛭子さん、こんにちは」と挨拶した。少し前に実家で「ぐるナイ」の「ゴチになります」というのを見ていて、蛭子さんが全額を支払うシーンを目にしていた関係で、最近会った気になっていたのかもしれない(笑)。

気になって調べてみると、その放映は12/14(KIN205)で、蛭子さんはゴチ第22戦のゲストだった事が判明。普段は全く見ない番組なのでゲストかどうかも知らなかったが、「13の月の暦」では今日が22週目の最終日。KIN22は、この暦の提唱者の一人ロイディーンの誕生KINでもあるから面白い数字シンクロだ。

そこで蛭子さんの誕生日を調べると、1947.10.21のKIN81(3・竜)。何と、今の私の「運命の道筋」とシンクロしている!1947年は2日前に出会った「死海写本」情報(これについては改めて書く予定)とも絡むし、長崎の天草出身というのも、同じく2日前に届いた『日本武術達人列伝』(本書の最後に青木先生が登場されている)の著者・長野峻也氏と重なる。私の中では、前夜Eテレで放映されていた『ソラリス』との繋がりも感じるのだが、キリがなくなるので本題に入ろう。 

TS外 

クリスマスに「13の月の暦 TIMESCORE」を共同制作しているみよこみよこさん(KIN101)から、来年どこかで展示会がやれたらいいねという話があり、今日、出掛けにLの閃きで「Time&Spaceに聞いてみよう」という事になった。日によって混み具合がまるで違うのだが、私達が訪れた時は、幸い蛭子さんと連れの方以外おらず、そのお二人もすぐに店を後にされたので、色々な事を一気に確認する事が出来た。

TS壁 TS中央 

詳細は時を見て改めてお知らせするが、2018年6月に「Time&Space」で「TimeScore展」を行う事はほぼ決まったので、速報としてここに書いておく。実は、この場所で「13の月の暦」関連の展示ができるのは、私達にとって大変感慨深い事なのだ。

何故なら、この地に「時間&空間」という名のこの店が生まれたのは2013.7.5(KIN143)で、『ドリームスペル 時間船地球2013の旅』を含む全銀河ツールの目標点だった2013.7.26(KIN164)「銀河の同期」の21日前の事。まさに「銀河連盟は静かにやって来る」を地で行く出来事であった。

ちなみに、その開店記念日は、現在6名いる「時のからだ塾」の塾生・近藤さんのカレンダーラウンドの日でもあった事が後に判明。KIN143だけでも凄い確率だが、カレンダーラウンドまで同じという事は、近藤さんとTime&Spaceは、365日暦で見ても260日暦で見ても「同じ時間的存在」という事になる。

振り返ると、この波は天皇誕生日の12/23(KIN214)に一つの発端があるように思える。この日、私は「調波と(コドン)」というタイトルで、特別バージョンの暦クラスを行なっていた。この日のサイ時間は、みよこみよこさんと同期するKIN101。参加者にはKIN143の近藤さんも含まれていた。

041Book_Front.jpg 

世間に出回っている「マヤ暦絡みの情報」は、ほぼ全て『時間の法則の20の銘板』(以下「銘板」)という銀河ツールに由来を持つ。自分で情報の出所を調べない人は、こうした事実も知らずにデタラメな説明を無自覚に、そしておそらくは「自分は良いことをしている」と信じて流布しているが、「銘板」のマニュアルには以下のような一文がある。

”「普遍生命の書」の64のウル・ルーンとコドン・キーは、『経』の64のまったく新しい施し(体制)であり、それはちょうどドリームスペルやテレクトノンがマヤ暦の新しい施しであるのと同様である。”

つまり、『13の月の暦』にマヤ暦的解釈を混入したり、『銘板』に経の解釈を混入させるのは、全くの見当違いなのだ。誕生のプロセスを知るために古典を当たるのは良いが、そのツールが何を目的にしてどう使うものなのかを押さえておかないと、結局、本質を見失う事になる。

事実、『銘板』では、陽のを「時間」、陰のを「空間」として、その土台から新体制を構築しており、64の名前も意味も古典そのものとは直接的には関係が無い。ポイントは13:20のリズムを通じて、を特定の手続きで意識して行くところにこそあるのだ。

この「銘板」を16年に渡る実践期間の間、弛まずプレイし続けて来た私にとって、その総仕上げのタイミングに「Time(時間)&Space(空間)」という名のお店が自宅から至近距離に誕生した事は、それだけで十分すぎるほどのOKサインであったが、以降、週一以上のペースで通うようになるほど、感覚的にも響く場所になるとは思っていなかった。

また、みよこさんと共同制作している「13の月の暦」にTIMESCOREという名を付けた背景には、「銘板」の中に16枚あるスコア(総譜)が念頭にあったので、今回、そのTIMESCORE関連の展示をTime&Spaceで行えるのは、もう本当に望外の喜びなのだ。しかも、以下に示す通り、そのタイミングも完璧である事が後からわかった。

まず、T&S店主のSさんはG12/8生まれのKIN154(11・魔法使い)で、これは私達が結婚し二子玉川に越して来た時の年であり、先のポーランドの旅の初日でもある。現在のSさんの道筋はKIN199で、これは「銘板」が発表された「時間の法則に関する世界会議」が東京で開催された年である。

こよみ屋さんの『13の月の暦・手帳』(以下「手帳」)では、今日までの1週間はP114に掲載されているが、これはジョン・レノンの誕生KIN114とシンクロしており、ジョンが他界した1980.12.8(KIN214)はSさんの誕生日とシンクロし、そのKINは「調波と(コドン)」クラスを開催したG12/23ともシンクロしている。そして今日のサイ時間KIN104は、日本にこの暦の情報を紹介して下さった高橋徹さんの誕生KINだ。

さらに、展示予定期間は、2018.6.1(KIN114)〜6.30(KIN143)だから、ジョンで始まり、会場の誕生7銀河スピンの日に完了という事になる。ちなみに、KIN143はマイケル・ジャクソンの誕生KINでもあり、思いがけず出会った蛭子さんの現在の道筋はKIN151で、『ドリームスペル』の配布受付開始日でもあった。

きっかけとなったメールからたった2日で決まった話の中に、これだけのシンクロが詰まっていたら、もはや見えざる次元からの銀河的な指令として受け止めるしかないだろう。計画は「13の月の暦」の6月(律動の月)、実施はグレゴリオ暦の6月。

「完全数」の「6」についてFB「水晶の円卓」で書いたのは、明日のKIN218「神殿瞑想」に絡めての事だったが、ここでもやはり「6」が来ていて、Time&Spaceから多摩堤通り経由で帰宅する僅かな距離の間に、11-66,66-66,666というナンバーの車を続けて見た時には「もう十分です」という気分になっていた。


追伸:『20の銘板』の裏面にスコア(総譜)があり、表面にはクロノグラフがある。そのクロノグラフの数え方を続けた場合、今月はKIN6(6・橋渡し)に対応する。6・橋渡しは6•6と書ける。
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レーリヒ「平和の旗」と「13の月の暦」

2017年12月13日 23:03

律動の月1日 (G12/13) KIN204 黄色い太陽の種 (by D)

『13の月の暦』では、今日から6番目の「律動の月」に入った。28日周期の暦で5ヶ月、20日周期の暦で7ヶ月、すなわち元旦から140日が経過したこのタイミングには、2つの暦の関係が、元旦と同じ「1日、黄色い種」という状態に戻る(*1)。

20日周期は古代マヤのハアブ(365日暦)に順じたもので、こよみ屋さんが出しているA3カレンダーの裏面にも掲載されているが、あくまで区切り方が同じというだけで、古代のものがそのまま継承されているのでは無い事に注意する必要がある(*2)。

今日から始まった8番目の「モル月」に添えられた「断片のすべてを統一し」という一文も、私の知る限り『テレクトノン』のマニュアルに掲載された情報が初出である。ちなみに、テレクトノンパレンケの「碑銘の神殿」と関係が深い銀河ツールだが、今日のサイ時間KIN69は「碑銘の神殿」の中央階段69段とシンクロしている。

さて、KIN204となった今朝、私が最初に思い浮かべたのは、ニコライ・レーリヒリョーリョフ)というロシアの人物だ。シャンバラを探し求めて中央アジアを旅した探検家にして画家で、その「文化による平和」の精神は、「平和の旗」と共にアグエイアス夫妻の「13の月の暦に替える平和の運動」にも引き継がれた。

事実、アグエイアス夫妻がこの暦の情報を携えて世界中を巡っていた時、会場には常に「レーリヒ平和の旗」が掲げられ、2001年にはその活動を讃えたアルタイ共和国が夫妻を招いている。思い出したが、それはまさに「黄色い太陽の種の年(KIN204)」の始まりで、出発前に日本に寄った夫妻に、何故かLが私の写真を渡した関係で、私は写真を通じて二人と共にアルタイを訪れている(笑)。

その後、アグエイアス夫妻が使っていた「平和の旗」が、高橋夫妻を経由して私たちの手元に届けられた事は、『シンクロニック・ジャーニー』に記した通りである。そんな事もあって、今日はレーリヒ誕生からどれくらい経過したのかを、計算してみたくなった。そして、その結果、今日そうしたくなった理由が分かった。

レーリヒの生没年は1874.10.9(KIN204)〜1947.12.13(KIN134)。つまり、ぴったり70年前の今日、この世を去っていたのだ!レーリヒが生まれた日(KIN)から201銀河スピン(201×260)というタイミングでもあった今日は、レーリヒの生と死の時間が重なる、極めて特別な日だったのである。この現象は52年に一度しか起きず、少なくとも「13の月の暦」が誕生してからは初めて生じた事である。

DSC01782.jpg ★レーリヒが最晩年を過ごした家で「平和の旗」と

しかも、70年前のその日に他界した場所は、ヒマヤラのクルー渓谷。『シンクロニック・ジャーニー』P137に私と写っている「平和の旗」は、13年前に訪れたレーリヒメモリアルトラストという場所で撮影したものだが、それはまさに、クルーにあったレーリヒの自宅跡をそのまま活用したミュージアムであった。

さらに、「201」という数にも私は驚きを隠せなかった。何故なら、3日前のKIN201に行われた「時のからだ塾」で、冒頭伝えたのは、『7:7::7:7』におけるKIN201は「時間をはずした月」(2012年冬至を含む「律動の月」=5年前の今日を含む28日間)という特別なひと月に対応する、という話だったからだ。

関連で、もう一つ書き添えておきたい事がある。今日、午前中の天真体道瞑想クラスでは、PANポーランドのYaro(KIN239)から預かった双剣水晶と共に瞑想したのだが、45日前にポーランドで出会った時、彼がクラクフ中央広場にプロジェクターで投影した数枚の映像の中にも「平和の旗」は含まれていた。

IMG_3080.jpg IMG_3085.jpg ★世界遺産の古都クラクフ中央広場にて

「平和の旗」にある3つの円は、科学、芸術、宗教を表しているという(*3)。昨年、渋谷で開催した《時の魔法・ドリームスペル展》で展示した「平和の旗」は、もちろんアグエイアス夫妻から継承されたものだが、然るべき機会があれば、できるだけ公開して、より多くの方に「平和の運動」としての「13の月の暦」の使用を喚起したいと思っている。

平和の旗 ★昨年の《時の魔法・ドリームスペル展》より

この根本の精神さえ押さえていれば、細かい使い方など後からどうにでもなる、というのが長年この暦について伝えて来た私の率直な感想だ。10日後のKIN214(G12/23)に行われる「時空のサーファークラス」も、初心者にはちょっと?なところがあるかもしれないが、「文化による平和」「改暦による平和」というコンセプトにピンと来る方なら、全くの初心者でも心配はいらない。

尚、クルー渓谷にあるミュージアムについて、私たちが知っている最新情報は、2013年にNYのレーリヒ美術館を訪れた時の様子をまとめたメルマガに詳しく書いてあるので、そちらを参照頂ければと思う。そして最後に、没後70周年を記念する情報を一つ。『シンクロニック・ジャーニー』P70には、アグエイアス夫妻がアルタイに招かれた経緯が、レーリヒと関連付けて書かれている(今発見した)。


(*1)13ヶ月の「惑星奉仕のウェイブスペル」で見ると、1-6-11という「倍音パルサー」に対応する月にこの現象が生じる。

(*2)365日暦の元旦をG7/26で固定しているのは『13の月の暦(ドリームスペル)』であり、古代のハアブでは、異なる日付に元旦が巡って来る。この辺りの事は『マヤのリズム』に詳しく整理してある。

(*3)確認のために開いたレーリヒ著『シャンバラの道』(中央アート出版社)のP397に驚くべき記述を発見したのでメモしておく。「アメリカのドル紙幣の裏側に印刷されている目が描かれたピラミッドの絵(フリーメーソンの象徴)は、レーリヒ発案になるものだという。」(引用おわり)。前にも読んでいるはずだが、今日、新たに発見した気分。

青い「虫の知らせ」

2017年12月01日 21:53

倍音の月17日 (G12/1) KIN192 黄色い惑星の人 (by D)

今朝、FBが「駅のホームで手帳を開いた瞬間、今日の日付の所に青い虫が止まった!」という5年前の投稿を勝手に知らせてくれた。

青い虫 ★5年前の今日の手帳

マヤ長期暦の大周期(約5125年)完了のタイミングだった2012.12.21(冬至)を20日後に控えていたその日(12/1=KIN187)、自由が丘駅で「13の月の暦・手帳」を開いた瞬間に「青い虫」が飛来して、まさにその日付(青い倍音の手)の所に止まったのだ。面白い体験だったので、この時の事は『霊性のアート』にも記してある。

それから5年、ドリームスペル13の月の暦)のツォルキンがぴったり7回巡ったKIN187(2017.11.26)に、国連本部に「12人のマスター(賢者)」が集い、それに同期する形で「世界瞑想」が呼びかけられた(詳細はリンク先へ)。KIN187は「5・手」で、「青い手」の紋章コードNoは「7」なので、KIN187は5年&7銀河スピンとも綺麗にシンクロしている。そして5+7=12でもある。

昼過ぎ、「天皇陛下退位日、19年4月30日決定」というニュースを目にして、アプリ(*)で調べてみると、何とKIN187!「青い虫」が知らせてくれたのは、「世界瞑想」のタイミングだけではなく、「平成」という年号の最終日でもあったのかもしれない。

ちなみに、今朝、FBよりも前に目にしていたのは「愛子さま16歳に 海外王族ともご交流、英語で会話も」という記事。という事は、KIN187は愛子さま11歳の「運命の道筋」だったという事でもある。

13の月の暦を使う」というのは、日々の指針を与えてもらうとか、人間の相性を見たりするのとはまるで違う事なのだ(アグエイアス夫妻もそんな事はしていなかった)。根本的なリズムを替え、暦の情報だけではなく、個人が体験する出来事を、様々な文脈や枠組みを通じて主体的に読み取り、遊び、自由度をあげる事にこそ本質がある。

KIN187に続く「魔術の亀の日」であるKIN200(G12/9)には横浜ナディアで、その次の「魔術の亀の日」で天皇誕生日でもあるKIN214(G12/23)には、「自由が丘」のすぐ近く(九品仏)で、「13の月の暦」のクラスがある。この2回の「魔術の亀の日」に行われる内容は、初心者がこの暦を自由に使えるようになるのに必要な、ほぼ全ての情報を網羅している。本当の意味で「使えるようになりたい」方は、この機会を逃さない事だ。


(*)iOS向けの無料アプリ「KIN3D」。グレゴリオ暦の日付を「ドリームスペル13の月の暦)」に幅広い年月で変換できる大変便利なアプリ。尚、同じ開発者が「Maya3D」という「マヤ暦」への変換アプリを提供している事からも分かる通り、「13の月の暦ドリームスペル)」と「マヤ暦」は別物で、導かれる誕生日や意味も異なる。日本で出回っている「マヤ暦」は、その殆どが「13の月の暦」の仕組みをパクりつつ、個人が勝手に色々な解釈を混ぜ込んだもので、古代からの「マヤ暦」とも「13の月の暦」とも全く関係がない。詳しい背景は『マヤのリズム』に整理してある。

ドリームスペルの中心調波33

2017年10月06日 00:53

電気の月16日 (G10/5) KIN135 青い倍音の鷲 (by D)

グレゴリオ暦での下半期スタートとも言える10/1(電気の月12日)は、『ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキン(260日暦)でも後半が始まるKIN131(1・猿)だった。それは同時に、紋章コードNo11の「青い猿」から始まる11番目のウェイブスペル(13日間)、そして「猿の創世記」の78日間の始まりでもあった。

さらに、農民芸術概論を通じて時間芸術学校クリカの名称にも影響を与えた宮沢賢治(KIN131)の170回目の銀河の誕生日で、Lの誕生日から1銀河スピンのタイミングでもあった。

こうした様々な背景に加えて、この暦を提唱したホゼ(KIN11=11・猿)とロイディーン(KIN22=9・風)の合計KINが「33」になる事と、KIN131が調波33の中心でもある事を意識して、私はこの日、かつて二人がプレゼントしてくれた「猿」の置き物をツイッターなどでシェアした。

猿 ★ドリームスペル旅程盤とアグエイアス夫妻から贈られた猿

「赤白青黄」の4日単位を「調波」と呼ぶのは『ドリームスペル』独特のもので、マヤ暦には存在しない概念と呼称だが、全部で65ある調波の中心に当たるのが調波33(KIN129〜KIN132)である。私が日本語版の制作に関わった『時間の法則の20の銘板』には、DNAコドンとリンクした「易の64卦」を調波に対応させる表があるのだが、中心調波の33だけは対応する卦が存在しない「虚空コドン」とされている。

044Book_Back.jpg ★『20の銘板』の先天図、後天図。昔、トルトゥガからダウンロードしたもの。

この日(KIN131)、バルセロナを州都とするカタルーニャ州では、スペインからの独立を問う住民投票が行われ、今も大きなうねりが続いている。私たちがバルセロナのシンボル、サグラダファミリアを「時間船」の象徴と見なしているのには幾つかの理由があるのだが(例えばこの記事のシンクロなどから)、今回の動きはその活性化とも無関係ではないように思われる。

なぜなら、サグラダファミリアの「苦難の門」には、縦横斜めの合計が33になる(特殊な)魔法陣が刻まれていて、その3日前のKIN128(64×2)は、ガウディの生誕232(58×4)銀河スピンでもあったからだ。ちなみに、中沢新一(3・犬)の『バルセロナ、秘数3』によると、バルセロナは3で出来ているらしい。

先の『20の銘板』では、KIN105からKIN132の28日間は、ホゼ・アグエイアスがヴァルム・ヴォタンという存在へと変容した「時間トンネル(復活のテレクトノン)」であるとされている。『20の銘板』のプログラムが始まったのはKIN44からで、G10/2(電気の月13日)のサイ時間もまたKIN44だった。そして、調波33の4日間が完了するKIN132は44の3(電気)倍。『20の銘板』マニュアルには、以下のような記述がある。

”聖なる計画を取り戻すヴァルム・ヴォタンの28日間の旅は、「すべての旅の中の旅」である。3つの自己存在の(自立的な)通過儀礼が、旅を完了させる。すなわち、形の体、調波27,28,29。エネルギー体、調波30,31,32。復活、調波33、「無我の13の月・月の人の誕生」である。”

その日(KIN132)、ノーベル医学生理学賞を受賞したのは、サーカディアンリズム(概日周期)に関する体内時計の遺伝子的な仕組みを明らかにした米国の「3」人の科学者だった。そして、私達が同じ日に見た映画『ドリーム』は、1961年のNASAを舞台に、有人宇宙飛行計画に関わった黒人女性「3」人の活躍を描いた映画だった。1969年のアポロ計画にも繋がるその話は、まさに「月の人の誕生」を象徴するものだったと言えよう。

加えて、その晩、ある方が送って下さったUSBメモリーが届き、そこに保存されていた映像を一気に見る事になった。そこには、日本の『ドリームスペル13の月の暦)』情報の普及に関わった重要な人物4名が映し出されていたのだが、調波33の4日目というタイミングに届いてしまうのが何とも素晴らしい。

シンクロがシンクロを呼ぶ流れは更に続き、何と、私達が管理しているFBの「ドリームスペル時間船地球2013の旅」に、同じくFBの「Dreamspell Journey by Valum Votan & Bolon Ik」から「いいね」が思いがけず付いた。ずっと前からあるページに今頃「いいね」が付くのが面白い。

しかも、そのページのトップにはアグエイアス夫妻の写真と共に「33」が記されており、タイムラインの一番上には、ホゼ(KIN11)とロイディーン(KIN22)による懐かしい「銀河の7方向への祈り」の動画が貼り付けられている。まさに、ツォルキン7列目の中心調波33の仕上げ(4日目)というタイミングにふさわしい完璧なシンクロだ。

「Dreamspell Journey by Valum Votan & Bolon Ik」は、「時間の法則財団」が設立された当初(かその前ころ)、アグエイアス夫妻が「公式サイト」としていたトルトゥガ・コムのFBページだという事が分かった。現時点では「時間の法則財団」のサイトが公式ページという事になっているが、長く関わって来た人の中には、トルトゥガ・コムの方がしっくり来る人も多いだろう。

なぜなら、「13の月の暦に替える平和の運動」は、ホゼとロイディーンが情報発信していた頃が、最高に芸術的かつ本質的だった事を、見る目がある人は分かっているからだ。ポイントは本質的であるかどうかであり、情報が多いかどうかではないのだ。情報量に惑わされる人々は「あっちだどうだ、こっちがどうだ」とやり続けて、結局、本質を見逃してしまう。本質を見抜く目があれば、どこからでも普遍的共通項を見出せるだろうし、それが無いと闇雲に彷徨うだけとなる。

中心調波「33」にこれら一連のシンクロが生じた事は、「中心(本質)を押さえよ!」という銀河からのメッセージだと、私は思うのである。

一粒万倍天赦日の魔法台風18号

2017年09月19日 23:46

月の月28日 (G9/19) KIN119 青い月の嵐 (by D)

昨日、月の月27日(G9/18)は、母(KIN93=赤い月の空歩く者)の喜寿(77)の誕生日だった。特別なお祝いの機会という事で、「九つ井」本店の離れを予約してみたのだが、その時には、9、18、27が並ぶこの日が、テレクトノンで「ボロン・イクが9の力を送り出す」日だという事にも気づいていなかった。

本店に割と近いエリアに実家がある関係で、ずっと昔から「九つ井」の名は知っていたが、縁のないまま時は過ぎ、数少ない支店の一つがある二子玉川に越して来てからも、気軽に入れる感じではないお店と思い込んだまま13年間が経過していた。

変化の波は、本店近くに友人の増田博一(1・鏡)&オラヌ(5・鏡)ご夫妻が引っ越した事と関係して訪れた。その経緯は「大本を辿るー浅野正恭と井上鑑昭」に書いた通りだが、その後、改めて「九つ井」について調べてみると、割とリーズナブルにランチも頂ける事が判明。結果、この夏は二子玉川店にしばしば通う事となった。

G9/18は、『13の月の暦ドリームスペル)』ツォルキンだとKIN118(1・鏡)で、鏡のウェイブスペルの初日。台風18号は、当初の予報より早く関東圏を抜け、午前には台風一過の晴天となっていたが、本体は日本列島を北に向けて縦断している最中だった。「白い鏡」の紋章コードNo「18」とシンクロしたこの台風は、全く新しい秩序に向けての魔法を、日本全土にかけていたのかもしれない。

…と書いてから急に気になり、この台風について調べてみた。するとG9/9(5・月)に発生し、9/18(1・鏡)までの9日間勢力を保った模様。「赤い月」の紋章コード No「9」も含め、「9」で非常に強力にコード化されているのが分かる。「赤い月」のキーワードが「普遍的な水・清める・流れ」である事をメモしておこう。

talim.jpg ★台風18号の映像  earthobservatory.nasa.govより

アジア名はフィリピンが命名した「タリム(talim)」で「刃」の意味。興味深い事に、ドリームスペルで「白い鏡」の参考にされたマヤ暦の絵文字「エツナブ」には、何と「ナイフ」の意味がある。その上、この台風、何と観測史上初めて本土四島(九州、四国、本州、北海道)全てに上陸した台風となった。タイミングも動きも実に魔術的である。

初の「九つ井」本店は、味、空間、サービス共に申し分なく、大満足の内容で、母にも喜んでもらえたようだ。全員が抱いた共通の感想は、見た目の量から想像される感覚とズレて、お腹が満たされてしまったという事。おそらく、料理にもサービスにも、ホスピタリティの「気」が充ちているのだろう。この店をこのタイミングに思い出せて良かった。

帰りに、先の「増田博一うつわ展」でgetした最新作の「南蛮船シリーズ」をピックアップさせてもらいながら、母にも増田ご夫妻を紹介。この日が77の誕生日だった母と、68スピンの誕生KINだった増田さんが顔を合わせる事になったのも、ある意味「九つ井」のご縁。77-68=9という所にも、銀河の母「ボロン・イク(9・風)」の「9の力」を感じる。

ちなみに、2017.1.1もKIN118だったので、9/18は(ドリームスペルの数え方では)常に、G暦元旦から260日目に当たる日という事になる。この日、往復の移動で読んでいたのは、KIN241発刊の『開祖を語る13人の弟子たち』。増田夫妻との流れを思い出しての再読だったが、やはり面白い。

この日は、他にも強烈に面白いシンクロが幾つかあった。これぞ「時空のサーファー」と呼びたくなる吉田さん(KIN43)は、『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』にも登場頂いた「青い夜」の方だが、流石に「白い鏡」の神秘キンだけあって、この1日の中で予期せぬ情報を色々ともたらして下さった。

一つは、「天赦日」という干支に関連して決まる開運日の情報で、9/18がその日に当たる事を、吉田さんのFB記事で知った。正直、『13の月の暦』を通じて、意識と暦の関係性を体験的に知ると、吉凶など気にしなくなってしまうものだが、文脈やタイミングによっては嬉しい話。

後から自分でも調べてみると、単なる「天赦日」ではなく「一粒万倍日×天赦日」だったそうで、その手の見方では、9/18が2017年最高の吉日だったようだ。確かに、個人的には素晴らしい1日だったが、そういう日だと知って日程を決めた訳でもないし、同じ日に台風で被災している方も大勢いらっしゃるのだから、結局は、その日どこに居て、どういう体験をし、それにどういう意味付けをするかだけなのではないかと思う。

もう一つの面白シンクロのきっかけは、その前夜にあった。私(KIN241)の「神秘のパートナー」でもある北海道の山口さん(KIN20)が、FBで「いいね」したページを偶々目にし、珍しく気になってその図をツイッターでシェアしたのだ。それは37に3の倍数を掛けると、全て3桁のゾロ目になるというものだった。

ゾロ目 
★http://www.jainmathemagics.com/artofnumbervol1/より

その記事を、台風の影響で仕事を休みにされた吉田さんが、面白いタイミングで目にし、以下のように応答されたのだ。「突然三草山に登りたくなり登ってきました。三草山の標高の数4239、今日の27日の157倍です!157は37番目素数を三草山頂上で確認し、家に帰ってきたところなので驚きです」。

4239というのは423.9mの事なのだが、その数の因数が27や157になるのをどうやって知ったのか?と不思議でならなかったが、吉田さんによると、どうやら「数のプロパティ」というサイト(アプリ?)があるようだ。私が見つけた「数の帝国」でも同じような事ができるのを知ったが、その道のオタクというのは本当に凄い。オタク万歳と思う(笑)。

37.jpg 

電車の中で吉田さんのツイッターを見た後、駅から家までの道を歩いていると、狙ったように「37」の車が13という駐車場に停車している。37番目の素数KIN157は、「13の月の暦」でその日のKIN118から39日=3ウェイブスペル(3×13日)後。三草山の「3」までシンクロしてる。

さらに、その日の夜、「広島37年ぶりリーグ連覇」のニュースを目にする。KIN37(11・地球)は、ホゼが『マヤン・ファクター』を捧げたチョッギャム・トゥルンパの誕生KIN。KIN37もKIN157も「赤い地球」で、広島も赤いC(=3)。「核」の影響力の「反転」を感じる。

さらに「37」は12番目の素数である事も発見。「水晶(12)の円卓」の活性化と、広島のリーグ優勝、つまり広島の活性化は、少なくとも私の中では、決して無関係な出来事ではない。

物事の意味が、もともと固定されておらず、人間が勝手に色々と意味付けしているだけだとしたら、そして、その意味付け行為によって「ある種の実効的な働き」が生じてしまうのだとしたら、どう受け止めて意味を付けて行くかについて、やはり注意深くありたいと思う。

ハーモニック・コンバージェンス30周年「時空を超えた出会い」

2017年08月19日 03:53

磁気の月24日 (G8/18) KIN87 青い太陽の手 (by D)

8/16、17は、「ケツァルコアトル(13の天国と9の地獄)の預言」というマヤに伝わる預言に基づいて、1987年に催された世界規模の平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」(以下H・C)の30周年を記念するタイミングだった。マヤ長期暦のバクトゥンという単位、そして聖書の黙示録に登場する数でもある144,000人が世界の聖地で祈る必要性を訴えたこのイベントは、後に『13の月の暦ドリームスペル)』を提唱するホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻によって、呼びかけられたものだった。

しかし、このイベントが実際には何を意味するものだったのか、あるいはどういうコンテクストで呼びかけられたものだったのかを知る人は少ない。昨今は「同時刻に気持ちを合わせて祈りましょう」的なものも珍しく無くなった関係で、そういうものの一つくらいにしか認識されていないような気もするが、H・Cこそが、そうした運動のモデルになった源泉の一つなのであり、だからこそ、当時の先鋭的なアーティスト達が反応し、メディアも取り上げたのだ。

マヤ暦という呼称を巧みに組み込む21世紀の商人たちは、このH・C情報やイベントも商材にしてしまうような所があるので、本質を知りたい方は、無駄に散財する前に、まず呼びかけた張本人であるホゼやロイディーンの文章に当たる事をお薦めしたい(むやみやたらと情報収集に走る人に限って、改変されまくった2次、3次情報にひっかかるケースが多く見受けられる)。以下に参考情報を記しておく。

・『新しい時間の発見』(風雲舎)P48〜
・『マヤン・ファクター』(VOICE)の P275〜
・『時空のサーファー』は全体的にその経過をまとめたもの(小学館版とモデラート版がある)

HC本 

ところで、少なくとも上記書籍の内容くらいは把握している私達自身は、この記念すべき2日間をどう過ごしたのか?を書いておこう。過去にはイベントを主催した事もあったし、今後も閃きがあれば何か呼びかけたりするかもしれないが、「銀河時間で生活し、それを体現し続ける事はイベント開催と同等の働きを持つ」と実感している私達は、「普段通りシンクロ時間を生きる」事を徹底させていた。

KIN85(8/16)は、横浜元町アンブロシアの野田さん(KIN101=Lの反対のパートナー)に髪をカットして頂いた後、三菱一号館美術館で開催されている「レオナルド×ミケランジェロ展」へ。もともとは別な予定があったのだが、諸事情によりそれが延期となり、時間がぽっかり出来た。その時、KIN85から突如思い出したのは、G5/30(水晶の月1日)にフィレンツェのウフィツィ美術館で、ダ・ヴィンチの「マギ(東方三博士)の礼拝」を見た部屋が「85」だったという事。

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加えて、「レオナルド×ミケランジェロ展」の最終日(G9/24=KIN124)は、ウフィツィ美術館での「マギの礼拝」特別展示期間最終日ともシンクロしており、三菱一号館を「3・1 → 3・竜」とすると、今の私の道筋KIN81ともシンクロする事にも気付いた。こうして「お告げを読む」と、然るべき時に然るべき場所に行けるという事を、21年前に『時空のサーファー』を手にした直後から連続的に体験し続けているのだから、迷う事はない。

IMG_2086.jpg ★私の初イタリアは2014トリノ、2回目は2016フィレンツェ

ユリウス暦からグレゴリオ暦への変換に注意すれば、ダ・ヴィンチはKIN186(4・橋渡し)、ミケランジェロはKIN221(13・竜)で、共に私達の地球家族である。さらに、今年のG4/24にダ・ヴィンチは生誕565周年をKIN231で迎えていて、その時Lは79銀河スピンを迎えた。そしてウフィツィ美術館で「マギの礼拝」以外のダ・ヴィンチの作品は「79」の部屋に展示されているのだ。このシンクロは、私たちが生きている間には、今年しか起きない。

ある意味、シンクロの醍醐味は、こうした一回性にこそあると言えよう。展示会場は想像していたよりも空いていて、ハーモニック・コンバージェンス30周年の記念日に、ルネサンスのエネルギーが収束しているかのような巨匠2人の筆致を思う存分堪能出来たのは、何よりの喜びだった。

KIN86(G8/17)は、こよみ屋KOZOさん主催の「ハーモニック・コンバージェンス30周年の集い」で渋谷デイライトキッチンへ。懐かしいメンバーとの再会や、日本各地から参加された方々との出会いを楽しませて頂いたが、中でも香りと共にマダガスカル産の水晶もギフトとして贈って下さった芳美さん(KIN108)のセレモニー、パカル王の生誕1414年(今年)の道筋とシンクロしているタツさん(KIN200)の話(見事に要点が押さえられていた)には、感動するものがあった。

しかし、今回、個人的に最もスパークしたのは、私が「13の月の暦」に出会った直接的な原因でもある『時空のサーファー』(小学館)編集担当者のOさんに、20年越しでようやくお会い出来た瞬間だった。想像していた以上の共鳴度の高さに、初めてお会いしたとは思えない気分だったが、何だか無性に嬉しくて『マヤン・ファクター』監訳者の滝元さん(KIN190=パカル王)を交えつつ、すっかり話し込んでしまった(*追記1)。

ot.jpg ★中央が尾崎さん、右が滝元さん

何しろ、H・Cについて詳しく書かれている原典的な2冊の本の直接的な関係者と、その30周年記念の日にゆっくり語り合えたのだから、これ以上の至福は無い。きっと、ホゼも喜んでくれたのではないだろうか。これも、集いを企画・実施して下さったKOZOさんや関係者のみなさまのお陰と感謝する次第である。

これだけでも、もう十分なギフトを頂いた気分だったが、驚きはまだ続いた。何と、30年前のH・Cを富士山頂で迎えて参加されたオノ・ヨーコさんについての番組が、翌KIN87(G8/18)にNHKで放映される事が分かったのだ。何週間か前に、ニュース記事で8月に放映があるのを見かけてはいたのだが、それが具体的にいつだったかはメモしていなかった。それを、Lが再確認してくれたのだった。

30周年の2日間が続いた直後のこのタイミングでの放映は、アグエイアス夫妻がH・Cを通じて世界に広めた「ケツァルコアトルの預言」が、今も生きている事を示しているように思えた。そして、KIN186(4・橋渡し)生まれの彼女は、ダ・ヴィンチ(KIN186)との繋がりを明確に意識させるだけでなく、H・C30周年初日(8/16)に「レオナルド×ミケランジェロ展」に導かれたのが、単なる偶発性のものではなかった事を感じさせてもくれた。

実は、オノ・ヨーコさんがH・Cに参加したという話を聞いた当初は「本当だろうか?」という気持ちもどこかにあったのだが、ある時、ご本人による『ただの私(あたし)』(飯村隆彦編/講談社文庫)の中で、証拠をつかむ事ができた(*追記2)。以下、巻末の南里空海さんによる解説文(P240)より引用してみよう。

”三年前にヨーコさんと一緒に富士登山をしたことを思い出す。世界中の平和を願う人達が同時刻に指定された場所で平和を祈るというもので、日本では富士山頂がその場所だった”

この文章は、1990年の出来事を振り返る文脈で書かれているので、やはりH・Cに富士山で参加したというのは本当だったのだ。それにしても、この文章が書かれているのがP240というのも凄い。何故なら、ホゼに強い影響を与え、富士山頂にあった富士山レーダーの設計者でもあったB・フラーの誕生KINがKIN240だからだ。

もう一つ、南里空海さんまで一緒にH・Cに参加されていた事も驚きだ。この方『伊勢の神宮』という素晴らしい本を出されているのだが、ホゼは2004年に伊勢の神宮神域内で講演し、私達を含む当時のPAN(惑星芸術ネットワーク)メンバーと共に『ドリームスペル』日本語版を内宮で奉納している。そして20年周期(≒カトゥン)で行われている式年遷宮は、「銀河の同期」と同じ2013年に行われたばかり。見えない次元での繋がりを意識せずにはいられない。

せっかくなので、番組に一緒に出ていた息子のショーン・レノンについても触れておこう。父、ジョン(KIN114)と同じG10/9生まれの彼は、KIN149(6・月)。この日付は、私が滝元さんと共にパレンケを訪れ、碑銘の神殿でテレクトノンをプレイし、地下墓室で石棺を目にした日付。流石にH・C 30周年、強烈である。

が、まだ続きがある。H・C10周年(ケツァルコアトル・プロジェクトの完了)を祝って、アグエイアス夫妻らと共に、目黒不動尊で祈った事は、Lも私もよく覚えていたし、その時からぴったり20年だった8/16にも話題にしてはいたのだが、どこかに記録があったはず、と今日改めて探してみたら、パン・ジャパン・ライブラリー「黄色い倍音の種の年(1)」の冒頭から2/3辺りに、以下の文章を発見した。

”国際日付変更線を交差したために、私たちは、磁気の月22日、ハーモニック・コンバージェンスの10周年を二度祝うという体験をしました。私たちはハーモニック・コンバージェンスのお祝いを二度、一回は日本で、もう一回はマウイで行なったのです。

日本での第1回目のお祝いは、パン・ジャパンの人たちと共に、東京の目黒不動尊で美しい夜明けのセレモニーを行ないました。私たちは輪になって立ち、いまや実現可能になっている「13の月の暦に替えること」にみずから誓いを立てました。私たちは、セレモニーのあと、ほかならぬデニーズで朝食ミーティングを行ないました。そこで、将来の協力関係に関する詳細を最終的に話し合ったのです。そして同じ日、私たちの第2回目のハーモニック・コンバージェンスのお祝いのために、日本からマウイへと太平洋を横断して、私たちはハレアカラ──太陽の家──の頂上まで行きました。”

この記事を再発見したのが今日KIN87「青い太陽の手」(パカルの特別な13日)で、マウイ島が「青い手」の惑星ホロンエリアにあること、そして、同じ日に、H・Cの呼びかけに応じて富士山頂で祈ったというオノ・ヨーコが出演する番組がNHKで放映されたことは、やはり時空の記憶回路「スユア」の活性化と決して無関係ではないだろう。

さらに、私は、翌日(というかもう明け方になりそうだが)のKIN88、マウイと横浜に拠点があるナディアで、「13の月の暦」についての話をする予定になっているのだ。だから、今回のナディアでのクラスに参加される方は、この文章を読んでいようがいまいが、自動的にH・Cのスユア(記憶回路)と完全に接続する事になる。おそらく、そこに居合わせるだけで、私が21年前に体験したようなシンクロ加速体験が始まるだろう。

私は「13の月の暦」の勉強をしてシンクロが加速した訳ではない。『時空のサーファー』に出会って、スユア(時空の記憶回路)が激しく活性化されたからこそ、直後にホゼ・アグエイアス本人に出会い、暦の本質も体感的に分かってしまったのだ。いや、仕組みや本質の理解に必要な学問的側面も、既にシンクロで済ませていたという方が正しいかもしれない。

いずれにせよ、ポイントのズレまくった勉強をするよりも、然るべき時に然るべき場に居合わせる方が、ずっと理解は早い。「然るべき時」がよく分からないという人は、即座に横浜ナディア行きを決意するか、それが無理なら来週の神楽坂セイ・ギー・ヒーの機会を逃さない事だ。この文章を読んで、そういう行動を取れる方なら、もうそれだけで大丈夫である。

(*追記1)”KIN90の夜、文中のOさんこと尾崎さんに確認が取れたので、どうしても書いておきたかったエピソードを、写真と共に添えておく。実は、この尾崎さんと滝元さん、ホゼの著書に関わったという以外には全く接点が無かったのにも関わらず、驚くべきことに、ある時期、同じ高層マンションのお隣さん同士だったのだ!2人を繋ぐ唯一の人物である高橋徹さんが、年賀状の住所を見比べて気付いたらしいのだが、随分後になって、偶々某駅でバッタリ会った時に徹さんが滝元さんに伝え、その後3人で会う事になったという。そんな超シンクロ体験を誰にも話さず黙っていられる徹さんにも驚かされるが、やはり、こうした事実があると「ユスア」の働きというものを実感せずにはいられない。

(*追記2) ハーモニック・コンバージェス当日、オノ・ヨーコさんが富士山に登ったという話は、『マヤン・カレンダー』(VOICE)にも書かれている事を、その著者で日本での「13の月の暦」普及の土台を築いて下さった高橋徹さんから、最近のやりとりの中で教えて頂いた(私もおそらくこの本で知ったのだと思うが、すっかり失念していた)。1994年刊の最初のバージョンではP13に、2000年刊の新装増補版ではP20にその記述がある。

終戦記念日の祖父母への感謝

2017年08月16日 00:46

磁気の月21日 (G8/15) KIN84 黄色い律動の種 (by D)

終戦(敗戦)記念日のG8/15は、常に『13の月の暦ドリームスペル)』の元旦である7/26から20日後に当たる。従って、元旦が「黄色い種」なら終戦記念日も必ず「黄色い種」となる。なぜなら、「太陽の紋章」(*)は20種類しか存在せず、20日周期で同じ紋章が巡って来るからだ。そして、あるきっかけから、私はこの元旦と終戦記念日との関係を強く意識するようになった。

故・江本勝氏の会社(I.H.M.)時代から共に仕事をして来た青山保喜氏(現ウィリット代表)の52才の誕生日でもあった2010年8月15日(KIN129)、思いがけない人物からメールが届いた。それは安倍昭恵さん(現首相夫人)からのもので、拙著『シンクロニック・ジャーニー』を偶然手にし、そこに思いがけず夫・晋三氏や江本氏の事が書かれていた事に、シンクロを感じられたらしい。

その経緯は『マヤのリズム』に、その後の更なるシンクロ(今年の私の道筋KIN81と剣山の関係等)については『霊性のアート』に、ご本人の了解を得て掲載させて頂いているが、その流れと関係して、2010年11月に、当時シャンバラ教室生だったYさんから「終戦の詔勅」というコピーを頂いた。

「堪ヘ難キヲ堪ヘ…」で有名な玉音放送の原稿である。表紙が「詔書」ではなく「詔勅」となっている理由は不明だが、ネットで調べた限りでは、改行状況や文字の書体含め、本文に関しては国立公文書館にある原本と同じものだと確認できた。

詔勅 

全13か条からなるポツダム宣言が発せられたのが、「13の月の暦」の元旦に同期する1945.7.26(KIN44)で、その受諾を国民に公表したのが同年8/15(KIN64=16×4)だったのだと明確に意識するようになったのは、その年からである。奇しくも、G8/15は「磁気の月21日」に当たり、そのサイ時間単位は常にKIN16、昭和天皇の誕生KINとなる。

終戦時には、まだ存在していなかった「13の月の暦」(の特別バージョンで倫理研究所と深く関係しているサイ時間単位)の数え方で、昭和天皇ご自身の誕生KINが、終戦記念日と完全にリンクしているところに、この暦が今、この世界に現出している意味を感じる。

戦後72年の今年は、52年が還暦となる「13の月の暦」だと、72=52+20という関係から、終戦時の365日暦と260日暦の関係と、ぴったり20日ズレた関係になる(『20の銘板』は終戦時と完全シンクロした周期でスタートしていた事に改めて気付かされた)。具体的に書けば以下の通り。

・1945.7.26=ポツダム宣言=KIN44(5・種)
・1945.8.15=玉音放送=KIN64(12・種)
・2017.7.26=KIN64(12・種)
・2017.8.15=KIN84(6・種)

つまり、今年「黄色い水晶の種の年」の元旦は、終戦時の今日(8/15)と同期しているのである。その意味するところをどう受け止めるかは「各人に依る」というのが『13の月の暦』の特徴だが、私にとっては、「それまでの価値観が意味を失ってゼロになった日」という感覚が強い。

そして、そういう日が今年の元旦とシンクロしているという事は、この一年が「協力を捧げる/普遍化する」というキーワード由来の意味合いだけではなく、「価値観のゼロ化」とリンクする一年という側面もあることを想像させるのである(そうと決まっている訳ではない)。

そもそも「価値観のゼロ化」と言っても、人によってその印象は全く異なるだろう。法や権力の象徴でもあった軍や憲兵、報道機関や教育機関などを信じ込んでいた人にとっては、終戦によって、天地がひっくり返るような感じがしたであろうし、端からそんなものは信じておらず、より普遍的な指針で生きていた人にとっては、(色々と現実的に大変な事はあったにせよ)案外、真っさらになった事を前向きに捉えていたかもしれない。

そういう意味で、この新しい一年は、個人的に結構注目している年でもあるのだ。加えて、今日のKIN84は、私の父方の祖父の誕生KINでもある(本日で生誕173銀河スピン)。といっても、実は、それが判明したのは、2017.3.24(KIN200)になってからで、恥ずかしながら、それまで自分の祖父母の誕生KINを真面目に調べた事が無かったのだ。

子供の頃には誕生日毎にお祝いの手紙を送ったりしていた記憶もあるのに、他界してからは、季節すらよく分からなくなっている事に気づいて、母に改めて確認したのが、パカル王の生誕1414年とシンクロしていたG3/24だったのである。今頃になって、という気もしたが、以下のような関係性を知ると「今がその時」だったようにも思える。

遺伝的な意味では、誰にとっても祖父母は4人(4は「黄色い種」の紋章コード番号)しかいない。その4人の誕生キンを合計してみると、何と480になるという事を、私はパカル王の誕生記念日に発見したのである。そして、そこから141日後のKIN81(9×9)に、私は48(12×4)になった。

「黄色い水晶の種」=「12・種」であり、それは「12・4」と表記できる。「水晶の円卓」と「種」。「種とは私の遺伝的源泉の4人の祖父母でもあるのだ」という思いが、今日、終戦の日に浮かび上がる。厳しい戦時下を生き抜いた祖父母たちに改めて感謝すると共に、私が「他の誰でもない自分自身を生き抜くこと」こそが、祖父母(あるいはそれ以前の全ての祖先たち、さらには地球生物圏)への最も価値ある贈り物となるのではないか、と長年の霊性研究から思うのである。

実は、KIN84の祖父は、父が子供の頃に既に他界しており、唯一直接顔を合わせた事のない祖父母なのだが、今日、この記事を書いた事で、四次元的に深く交流できたような気がしている。お爺ちゃん(小原徳四郎さん)、どうもありがとう!

(*)1990年に発表された『ドリームペル』に由来する用語(マヤ暦ではこのような呼び方はしない)。詳しくは「【13の月の暦大基本」か文中の『マヤのリズム』を参照。

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