鏡と水晶のシャンバラ瞑想

2012年12月18日 21:45

律動の月6日 (G12/18)KIN204 黄色い太陽の種 (by L)

今日はKIN204。ニコライ・レーリヒの誕生キンである。レーリヒとは、シャンバラを探し求めたロシア人の画家で、「13の月の暦に替える平和の運動」にも強い影響を与えている。「何かが間違っているとしたらそれは美しくはないし、美しくないものは何かが間違っている。」美しいか美しくないか。それを道しるべに生きて来た私にとって、このレーリヒの信念は最も強く心に響く。

そのレーリヒの著書を今日は紹介しよう。「シャンバラの道」(中央アート出版) 。れは、今からざっと100年近くも前に、シャンバラを探し求めた彼の分厚い実体験を元に書かれたものだ。(彼はヒマラヤのクルー渓谷ナガールで晩年を過ごし、その地に眠る。昔、私たちが新婚旅行でその地を訪ねた時の事はDがシンクロニックジャーニーに書いた。)それにひきかえ、最近のシャンバラと名がつく本や情報の殆どは、何とふわふわしてファンシーで未成熟なのだろう。源流まで辿ることのできる古典を、何であれまずは知るべきだと思う。

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さて、12という数字が3つ重なる2012年12月12日(13の月の暦ではKIN198/白い電気の鏡)に、Dが号令をかける天真体道瞑想クラスで、この日にちなんだスペシャルな瞑想が行われた。鏡と水晶の魔法を使ってシャンバラの意識に入り込む瞑想だ。・・・うわおーーー!!この日のメンバーは、普段からよく一緒に稽古しているOさんとKさん、そして私とDの4人。意識の場は既にできている。

稽古会場の壁一面、床から立ち上がる大きな鏡の前で、4人で半円形を描き、間隔を空けて立つ。すると鏡の前の私たちと、鏡の中の私たちとでつくられる、8人の大きくて美しい輪が出現する。(平面的な輪というよりは、感覚的にはフラーのドームのような空間ができる。)その輪の中心には、その日それぞれが持ち込んだ水晶が集められセットされる。当然水晶もダブル。(水晶=12。8×12=96=これはシャンバラの数。ちなみにこの瞑想の数日後に行われた選挙結果により、安倍晋三氏が96代目の内閣総理大臣となる予定。)

8人の輪の中に立つ時、正面(180度対角線上)に目を向けると、鏡の中に見えるのは自分ではない。これは、何とも奇妙で心もとないほどに新鮮な感覚だ。鏡のこちら側と向こう側、現実と夢の世界の境界線が、もう一気に溶けてしまうが、両方あることによってのみ出現する何かがそこに確かに感じられる。

目に見えている次元に寄り添って存在するもう一つの次元は、こんな風に合わせ鏡のようになっているが、多くの人には普段は見えない。業と徳の力が熟した人以外は行く事も見る事もできないとされる聖地シャンバラもまた、そのように存在している。ある瞬間に偶々出現したり、何かで境界線が揺らぐ時にかいま見えたりするのみだ。

しかし、不可視の領域を積極的に自分のリアリティーの中に招き入れて生きる方法はいくつもある。しかもそれは条件さえ整えば誰にでも開かれている。鏡の前でフォーメーションの一部になってみて、それをはっきりと体感した。あの瞑想の時間には「シャンバラの私たち」がやって来ていた。それはとてつもない、歓びと広がりと崇高な感覚に満ちている。
一度でもリアリティーを感じる事ができれば、あとはそこから広げて行く事ができる。

それにしても、この方法どこからやってきたの?(今まで隠してて!)とDに問うと、だってそれはインスピレーションだよ。と軽やかに笑った。さすが8×12生まれのD、さすがの天真体道瞑想クラスなのである。

頓悟のルーツ

2010年07月24日 01:40

■宇宙の月27日 (G7/23) KIN106 白い月の世界の橋渡し(by D)

熱帯並みの猛暑が始まったKIN102(G7/19)、知らぬ間に大都市化していた立川の街と人混みに驚きつつモノレールに乗換え、ひとつ目の高松駅で降りた。目的地である国文学研究資料館までの道のりは、距離にすれば大した事はないのだが、灼熱の太陽の下、だだっ広い道を歩くには少々遠いと感じる。にも関わらず、会場の大会議室には結構な人が集まっていた。

昨年、大阪千里の国立民族学博物館(通称みんぱく)で行われた「チベット ポン教の神がみ」と同じものが東京でも見られると知って、G昨年末からボン教の波を強く感じていた私は、会期中(7/2~9/10)に1回だけある長野泰彦教授による講演に参加すべく、すぐに予約のメールを送った。また、講演後に予定されていた、教授による会員向け質疑&展示解説を聞きたい一心で(他シンクロも色々あって)、みんぱく友の会の会員にもなった。

「チベット ポン教とは何か」と題された講演の内容は、やはり非常にタイムリーかつ興味深い内容で、それだけで「来て良かった」と思った位だったが、気になっていたいくつかの点について、展示会場で直接伺うことも出来て、私はすっかり満足してしまった。私の素朴な質問にも、気さくかつ丁寧に答えて下さった長野先生に、この場をもって御礼申し上げたい。ちなみに、質問内容は以下の通り(自分用のメモとして記しておく)。
 
ゾクチェンのルーツとしてのシャンシュンとウディヤーナの関係」「オルモルンリンとシャンバラについて」「シャンシュン語とギャロン語の関係性」。いずれも、学術的には現状どういう見解になっているのか、大雑把にでもつかんでおきたかったので、私にとってはこの上なくありがたい機会だった。エリアーデの『シャーマニズム』の翻訳に長野先生が深く関わられていたのに気づいたのも、割と最近のことだったので、何か色々なところで繋がった感じもした。
 
会場には、現みんぱく館長も来られていて、ユーモア溢れる挨拶をされながら来館などを呼びかけられていたが、振り返ってみれば、私は、天真会の青木先生のご紹介で、みんぱくの八杉佳穂先生の研究室に伺った事もあるのだ。奇しくも、会員に届く「月刊みんぱく7月号」には、長野先生と八杉先生の記事がほぼ並んで掲載されている。また、機会があれば、是非、先生方に色々と伺ってみたいものである。
 
ところで、講演の中では「漸悟VS頓悟」「インド仏教の正統的継承VS中国仏教(如来蔵)」「チベット大乗仏教(ゲル派)VS大究竟(→禅への波及)」という切り口での解説もあった。それによると、シャンシュンの辺りに由来を持つゾクチェン(大究竟)の教えは、仏教を取り入れたソンツェンガンポの時代に迫害を受け、半ば中央チベットから追い出される形で、東のギャロン(中国の四川省境界エリア)地方などに逃れて行ったという経緯があるという。
 
12、13世紀頃、ゾクチェンの思想を中心に置くボン教が、そのギャロン地方で大きく発展している点は、同時代にチベット(吐藩)と接していた中国(宋)で禅宗が興隆し、ちょうど日本からも道元や栄西が留学していたタイミングだったことを考慮すると、かなり興味深い。禅宗はインド僧・達磨が中国で開いたものとされているが、達磨の存在自体が伝説的であるし、仏教のルーツに迫るほどに頓悟の思想は見出せなくなる(私の知る限り)事を考えると、ゾクチェンの思想が影響した可能性が、かなりあるのではないかと思えて来る。
 
もしかしたら、漸梧だ頓悟だとこだわること自体がバカげた行為なのかもしれないが、悟りを「気付き」と置き換えてみれば、これらのことは少しイメージし易くなるかもしれない。頓悟・漸悟については、青木先生からも繰り返しお話を伺ってはいるのだが、まだまだ自分では消化しきれていない感じがあるので、この機会に、とりあえず、現時点での整理というつもりで、最後に少しだけメモを付しておきたい。あくまでメモなので、あんまり真面目に読まないようにして頂けたらと思う。
 
私達が普段何かに「気付く」時は、あえて「気付こう」などと思わなくても気付いてしまうものだし、かえって「気付こう」などと思うほどに気付けなくなることもある。かといって、意識が散漫に過ぎたり、逆に集中し過ぎたりしても、やはり何かに気付くことは出来なくなる。とすると、自分が意識的に出来るのは、あくまで「気付くための環境を整える」ことだけになるのではないだろうか。これが漸悟と頓悟という表現で、分離分類されているものの背後にあるものなのではないのだろうか。
 
つまり、「気付き(悟り)」というのは、本質的には頓悟しかなく、修行しながら段階を追って悟る漸悟とは、「気付くための環境を整える」ことにも注意を払った言い方なのではないか、ということである。環境を整えるという中には、出来るだけ修行の妨げになるような障害に出会わないよう戒を守ることも、瞑想や経典研究を通じて、散漫さや偏った見解(意識の集中)から離れるという意味も含まれる。
 
そんな事してもしなくても悟る時は悟るというのが頓悟の見解であり、できる事はやっておこう(人事と尽くそう)というのが漸悟の見解と言えるのではなかろうか。頓悟を声高に叫ぶ者でも、無意識に漸悟的手法を取っていたり、悟りの道は漸悟のみと信じる者も、その瞬間は頓悟的であることを忘れていたりするだけなのかもしれない。いずれにしても、悟り(気付き)自体はコントロールできるものではないという点は、共通しているように思う。結局、言葉とは、どこに注目しているかを示すものなのかもしれない。

瞑想の達人

2010年06月20日 00:49

水晶の月21日 (G6/19) KIN72 黄色い共振の人 (by D)

昨夜、「18の力」というブログを書いたからか、今朝、
瞑想カレッジに向かう途中コンビニに立ち寄ったら、自分の並んだレジのお兄さんがサムライブルー18番を着ていた(他にもスタッフは3名位いて皆異なる番号)。教室に着くと、隣の部屋には「易占集中講座レイモンド・ロー」という看板が・・・。どこかで聞いた事がある名前だなーと思ったら、友人Kさんの風水の先生だと判明。

先の大阪スペシャルセミナーには、そのKさんのご紹介で、やはりローさんに学ばれた熊本の方が参加して下さったりしていたので、面白いご縁だなと感じた。何しろ、会場となっているビルには、もう何年も月3回ペースで通っているが(書と瞑想のクラスで)、レイモンド・ローというお名前に気付いたのは、初めてだったからだ。

カレッジでは、グノーシス派やマグダラのマリア、トマスの福音書等についての講義があり、非常に興味深かったが、やはり瞑想の達人である師のガイドで道友と共に行う瞑想は、いつも特別なものがあると感じる。特に今日はビームが収束するような深さを体感した。最後に、地球交響曲第7番のアナウンスがあったが、実は、私達はランチ後、第4番に登場したジェリー・ロペスに会いに行く計画を立てていた。新著『
SURF IS WHERE YOU FIND IT』の出版を記念したサイン会が、パタゴニアのショップで行われるというニュースを目にしていたのだ。
 
サーファー達にとってはまさに伝説の人だし、予約制とも書かれていたので、せめてチラッと姿だけでも見られたらいいなーというノリで会場の3階に行ってみたのだが、ちょうど隙間タイムだったのか、人がごった返している訳でもなく、すぐにサインをしているジェリーの姿が目に入って来た。メルマガ過去記事にも書いている通り、私達は、このレジェンド・サーファーに多大な影響を受けていて、深い敬意も抱いている。だから、ただその場にいるだけで、もう感激だった。
 
ただ、本もまだ積んであったので、ダメもとで一応聞いてみると、「本当は予約が無いとダメなのですが、特別に」ということでサインの列にも入らせてもらえることに!ジェリーの名を耳にした当初、ジェニファー・ロペスと勘違いしていたような道友のMさんも、私達が「こんなチャンスはない!」と半ば強引に薦め、結局、本を手にして列に並ぶことになった。10分と待たずに順番が回って来て、ゆっくりサインと握手をしてくれ、パタゴニアスタッフが記念撮影までしてくれるというサービスぶり。

JL1    JL2
 
私達は、もともと素晴しい思想で製品をつくっているパタゴニアの大ファンで、それだからこそ、今回のイベントの事も知った訳だが、こういう気持ちの良い、楽しいサービスをされると、「また、ここでお買い物しよう」という気分になる。パタゴニア創設者、イヴォン・シュイナードは、ジェリーの新著のあとがきに「ジェリーはまるで、波の中で優雅に、そしてパーフェクトなタイミングで動くようにストーリーを語る」と書いているが、スタッフの方の場を見ての柔軟な対応も、素晴しい動きだったと思う。
 
それにしても、ジェリーは信じられない程に華奢で、とてつもなく静かな存在感の方だった。人間の力ではどうにもならない圧倒的なパワーの波の中で自在に動けるのは、波と一体化するこの無我の状態を保てるからなのだろう。私はこの日、瞑想の達人(それも動きを通じてその境地に達した)二人に直接出会うという、非常に貴重な体験をしたが、続けてその存在に触れられたことで、改めて確信したことがある。それは、極まった達人は、パッと見達人には見えないということ。それでいながら、普通の人と明らかに違うのは、(力だけでなく何もかもが)完全に抜け切っているということだ。
 
「サーフィンのなかで一番楽しいのは、終わったあとそのことについて話すことだと言う人も多い。確かにそうだろう。サーフィン自体はとても個人的な行為(Personal Endeavoer)だけれど、サーフストーリーは誰でも一緒に楽しみ、多くの人と共有することができる。」「サーフィンを通して何かを悟ること、サーフリアライゼーションの瞬間は、私たちに自分たち本来の可能性を思い出させてくれる。それが、私たちがサーフィンをする理由だとしたら素晴しいことではないか。サーフィンは私たちが本来の自分自身の姿に戻る手助けをしてくれる、それはなおさら、これからもサーフィンを続けていくべき立派な理由ではないだろうか。」
 
以上は、新著から抜粋したジェリーの言葉だが、まるで瞑想カレッジでいつも行われていること(瞑想後のシェアリング)や、書・剣・新体道などを通じて青木先生がいつもおっしゃられていることと同じで(サーフィンの部分を他の言葉に入れ替えたら全く同じ)、やはり同じような境地に達すると、語られることも同じようになってくるのだなーと妙に感心してしまった。同時に、自分が心から尊敬し、目標にしたくなるような方に、こうして直に巡り合えたという幸運を、改めて感謝した一日だった。

多様性と複眼的視点

2009年08月09日 02:11

磁気の月14日 (G8/8) KIN17  赤い自己存在の地球 (by D)
 
今日は、月1回の瞑想カレッジの日だった。講義と実践を通じて、いつも非常に多くのことを学ばせて頂いているが、このカレッジの奥深さは、参加されている皆さんの多様性にもよく現れている。おそらくこれは、学長の青木宏之先生の懐の深さが、そのまま表現されたものだろう。多様性は、自然界が持つ重要な特徴のひとつであり、「自然な場」がそこにあるかどうかを示す指標のようなものとも言える。

帰りにランチをご一緒したメンバーを振り返ってみても、たかちゃん(ドイツ式フットケアの達人)、増田さん(横浜増田窯代表)、極真空手の元チャンピオンMさん、南米育ちの翻訳家Sさん、そして私達と、客観的に見ても、相当面白い気がする。

ところで、私達が絶賛推薦中の『空手仙人 岸信行 枕にキノコが生えるまで泣け!!』に対するMさんの反応は、意外なことに、拍子抜けする程薄かったが、それは本書の内容が、Mさんにとっては慣れ親しんだ当り前の世界だからという事のようだった(どう考えても、私達には当り前とは思えないのだが(笑))。
 
逆に、私達が普段当り前と感じているスピリチュアルな話題(これも一般的にはまだそんなに当り前ではないのかもしれない)に、Mさんはかなりオーバーに反応して下さるのだが、きっとお互いに慣れない世界については、驚いたり興奮したりするものなのだろう。これはとても重要な事で、双方にとって、単に良い刺激となるだけでなく、物事をより複眼的に見る習慣を促すことにもなると思う。

楽しい食事を終えて、二子玉川に戻ったその足で高島屋の地下食料品街へと直行。六本木クローバーで必要なお菓子を入手し、おまけで自分達用にも何か買って行こうと欲を出したところで(これがなければ気付かなかっただろう・・・という事で「欲も活用する」という今日の先生のお話が腑に落ちる)、Lがカウンターの後ろの飾り棚に馴染みのある「青」を発見。何と、「横浜増田窯」の横浜開港150周年記念の器がディスプレイされていたのだ!ほんの20分前まで渋谷でご一緒していた増田さんは、そこの代表者。面白すぎる展開だ。こんな楽しい経験が出来るのも、稽古仲間が多様である事と無関係ではあるまい。

20090808
 
ちなみに、私達が自ら積極的に時間を割いて学びに行っているものの殆どは、青木先生が創始され、指導して下さっているものだ(当然、どれもこれ以上ない貴重な機会だと思っているからだ)。瞑想、天真書法(書道)、新体道、そして最近、公に指導を始められた剣武。学びたいという気持ちがあれば、誰でもどの窓口からでも入門できる。という事は、このブログを読んで下さっている人の中にも、将来、私達の稽古仲間となる方がいらっしゃるかもしれない。自分らしさを探求する者にとって、これ以上の場は、中々無いように思う。何故ならそれは、多様性があってこそ分かることだからだ。

馬の目

2009年04月15日 22:39

惑星の月12日 (G4/15)  KIN162 白い律動の風(by L)

タマタカ近くに、私たちが週に一度は必ず押し掛ける小さなトラットリアがある。いやー、そこのオーナーの仕事っぷりが見事でねー。いつも見とれちゃうの。まるでオーケストラの指揮者みたい。

厨房の中の仕事以外、ホールの何もかもをオーナーが殆ど一人で仕切っているのだけど、全くもって忙しそうな様子も動きの乱れも無く、すべてのお客のそれぞれの勝手なペースを見極め、そして完璧なタイミングでコトを運んで行く。・・・少なく見積もっても、彼一人で4~5人分の仕事をしてるんじゃないでしょうか。

今日も、あまりにも見事なタイミングで食後のコーヒーが運ばれてきたので驚嘆したところ、「僕の目は馬みたく横についてるから視界が180度、360度あるんですよ、だから店の何処にいても何でも見えちゃうんですよ、わはは。」とか言ってたけど、もちろん目の位置はふつう(笑)。

ここで終わってはいけない。更に大げさに褒め讃え、馬の目って何?と食い下がったところ、コッソリその極意を公開してくれた。・・・なるほど、そうであったか。(ご興味のある方には、お会いする機会のあるときにでもお話するとして)つまりは、一点集中に対し全方位集中(ウサギ対金魚)ということね。今の自分の稽古ともリンクしていて、とても響くものがあった。

ヘリオコンパス

2009年03月15日 22:38

太陽の月9日 (G3/15)  KIN131 青い磁気の猿 (by D)
 
銀河の月21日(KIN115)、杉山開知氏(KIN177=赤い銀河の地球)が中心となって開発された「HELIO COMPASS(地球暦)2009」が、アネモネ経由で届いた。開封出来ないまま数日が経過し、G3/1(KIN117=赤い宇宙の地球)になって、ようやくじっくり中身を見ることが出来た。メインのヘリオコンパスも然ることながら、ガイドブックの出来が秀逸で、その日のうちに感動を開知氏に伝えた程だ。

「正しく強く生きることは 銀河系を自らの中に意識して これに応じて行くことである」とか「新たな時代は、世界が一つの意識になり、生物となる方向にある」といった宮沢賢治(KIN131=今日は158回目の銀河の誕生日!)の言葉が効果的に引用されているだけでなく、ヘリオスフィア(太陽圏)と各恒星(系)の位置関係や、地球と各惑星との会合情報など、前々から「あったらいいなー」と思っていた情報が、見事に、しかも美しく表現されている。

余談になるが、「時間芸術学校クリカ」は、賢治の「農民芸術概論」にインスピレーションを得て付けた名前でもある。賢治の母校・旧制盛岡中学(現・盛岡一高)は、私の祖父や父も学んだ学校なので、父の元に届いていた卒業者名簿をずっと遡ると、そこに賢治の名前を見つける事も出来て、親しみを覚えたものだった。

ところで、ヘリオコンパスを実際に使い始めたのは、スチレンボードを手に入れたKIN127(G3/11)の満月からである。使うと言っても、私の場合、水星~火星までの内惑星と月に見立てたピンを日々動かし(それ以外の惑星はたまに動かすだけで良い)、銀河的な視点からその位置関係を観想し、瞑想するだけなのだが、これがなかなか良い。以前からそういう瞑想はしていたのだが、実際の惑星配置(内惑星までは1兆分の1スケールでほぼ正確に表現されているらしい)が分かると、よりイメージし易くなる。
heliocompass 
私は、自分が実際に使ったり体験したりしてみて、「これはいい!」と思えたもの以外は、基本的に人に薦めることが出来ない性質である上、暦に関しては、これ以上別の何かを使いたいという意思も必要性も感じてはいなかった。「13の月の暦」は、私に十分な楽しみと発見をもたらし続けてくれているし、さらなる可能性も感じさせてくれる。しかし、今回のヘリオコンパスは、そういう状況の私であっても尚、「使ってみたいな」と思わせる何かがあった。

その「何か」を分析すれば、色々出て来るとは思うが、おそらくそこに一貫しているのは「美しさ」という事になるのではないかと思う。デザイン的に見える形としてのものだけではなく、その背後にある精神的な方向性や思想の深さも関係した「美しさ」。私のアンテナが反応するのは、どうもそういう要素があるものなのだと、振り返ってみて思う。逆に言えば、「13の月の暦」だって、そういうところが無かったら多分反応はしなかっただろう。

ヘリオコンパスは、太陽銀河的な空間意識を育む非常に有効なツールになると思う。また、ある期間分を少し早回しする感じで、ガイドブックP9にあるような螺旋運動をイメージ出来れば、意識の中に創造的なエネルギーを生み出せるようになるかもしれない。そう考えたのには訳がある。ガイドブックに感動した3日後、『自然は脈動する』のP116に、ガイドブックの螺旋図と殆ど同じ図を見つけ、その前後に以下のような文章を見出したからだ。
 
「現在の機械的な動きの形は必ずといっていいほど軸性→放射性であり、熱と摩擦を引き起こす。一方、自然のダイナミックなプロセスは、これまで見たように反対の種類の動きを用い、速度は周辺部でもっとも遅く、中心部で最も速くなる。」(P115より )「遠心的加速では、同じ速度を維持したり、さらに加速するのにいっそう多くの力が必要となる。求心的加速では、速度とエネルギーはひとりでに増加する。ヴィクトルはこれを、あらゆる生命を生みだす建設的エネルギーである「形成力」と呼んだ。」(P117より)
 
ちなみに、ガイドブックP9 には、太陽に近い惑星ほど速く運動している事が、具体的な数値で示されている。また、ヴィクトル(シャウベルガー)の思想については、過去記事の「渦巻き」も参考になるだろう。実は、ヘリオコンパス絡みのシンクロはまだ続くのだが、話の質がちょっと変わるので、ここでひとまず小休止を入れるとしよう。

楽しみのためだけに

2008年09月09日 03:09

月の月18日 (G9/9) KIN204  黄色い太陽の種 (by D)
 
瞑想カレッジに行くと、いつも色々な事がシンクロして面白いのだが、この日(KIN201=G9/6)も、冒頭からヒューレン博士の名前が登場して、「おお、波が来ているなー」と感じる。既に、当ブログでも取り上げているように、今や話題の人となりつつある博士の名を、どこで耳にしようと、それほど驚く事は無いのだが、この日に限ってはちょっと違っていた。と言うのも、その5日前(KIN196)の朝、瞑想中にあるテーマと共に思い浮かんで来たのが、カレッジ学長の青木先生、ヒューレン博士(ハワイ在住)、ラマ・ケツン・サンポ(ネパール在住)という3人のマスター達だったからだ。
 
しかも、このマスター達、何と、10月の同じ時期に日本に集合している予定で、体育の日に絡む形で、セミナーをされるという共通項まであった。この事に気付いたのは、瞑想終了後、ヒューレン博士のお顔がどんな雰囲気だったかを確認したくなって関連サイトを見に行ってからで、瞑想中は、ラマ・ケツン・サンポの来日予定があった事すらすっかり忘れていたし、ヒューレン博士が行うセミナーの日程が新たに発表されている事も知らなかったのである。ちなみに、瞑想中のテーマについては、最新号のメルマガ(氣美人研究所★スピリチュアル・ビューティ健康法)に「表情の柔らかさ」というタイトルで書いてあるで、良かったら目を通してみて欲しい。

カレッジではこの日、「思うことの大切さ」というタイトルで前半の講義が行われていたのだが、「猪から豚」とか「銀ギツネから犬」への(交配による)変化についてお話をされている時、ふと「これポニョと関係ある話だなー」と思って手帳に「ポニョ」とメモした瞬間、「宮崎駿さんが・・・」と先生が口にされたり(実際はポニョではなく、「千と千尋」関係の話だったのがまた面白い)、何かとシンクロがあって、先生に脳をググられているのではないか、という気さえしてしまう程だった。
 
終了後、道玄坂を一緒に下っていたクラスメイトの増田さんが、道で拾ったコインを何故か私にくれると言う。使い古されたゲーム用のコインで、「えー、こんなのどうしろってんだ?」と思いつつも、「ここにメッセージがあるので」という意味不明の理由に説得されて、結局、受け取ってしまった。夜、「これは、ここに刻まれているメッセージに意味があるのだから、それだけ受け取って、コインは捨てる事にさせてもらおう」とLに向かって言った瞬間、テレビ画面からは、「あなたに伝えたいメッセージがあります」とCMのナレーションが聞こえて来た。あまりのタイミングに笑ってしまったが、そのコインに刻まれていたメッセージは「ONLY FOR AMUSEMENT」だった。
 
ゲーム用のコインなのだから当然、という感じではあったが、この日が、銀河ツール『7:7::7:7』において、「時間をはずした月」と呼ばれる月(2012年の冬至を含む)とシンクロするKIN201だった事に気付くと、「おっ、これは、なかなか素敵なメッセージかもしれないぞ」と思えて来た。巷で色々と騒がれている2012年冬至は、マヤ長期暦に基づいて算出された、ひとつの大きなサイクル(約5125年)の完了と、次の回転の始まりを意味するポイントであるが、それは、私にとって「ただ、楽しみのためだけに」あると言っているように思えたからだ。というより、私は、12年前に『時空のサーファー』という本によって2012年の事を意識するようになった時から、自分はそこで最高に楽しい時間を過ごす事にしよう、とイメージし続けて来たので、このシンクロが「まさにその通り!」と言ってくれたようで、嬉しかったのである。
 
夕食時、すぐ隣のテーブルでは、肥田式強健術について熱く語っている男性がいた。思わず「先日、伊豆の旧肥田邸跡を訪ねて来たばかりなんですよ」と話しかけそうになったが、特にピンと来るものを感じなかったのでそれは止めた(笑)。それにしても、肥田式自体かなりマニアックな話題なのに(少なくともこれまでの人生の中で、それについて語っている人が私の隣に現れた事など一度も無い)、このタイミングで真横に座った人が、それを話題に出すとは驚きである。これも、肥田翁の銀河の誕生日(KIN186)に、ゆかりの地を訪れた事と関係があるのだろうか。いずれにしても、2012年の同期ポイントは、私にとって、かなりエキサイティングで楽しいものとなりそうである。そう思う人には、そういう現実が訪れる。午前中の講義「思うことの大切さ」が、改めて思い出される一日だった。

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