2007年09月17日 00:47
■月の月25日(G9/16) KIN106 白い月の世界の橋渡し(by D)
今日は、月の月の「白い月の世界の橋渡しの日」。という事で、一昨日、打ち上げられた月探査機についてのシンクロをちょっとメモしておこう。
日本の月探査機「かぐや」がH2Aロケット”13”号機で”種”子島”宇宙”センターから打ち上げられた。『13の月の暦』では、今月は「月の月」であり、この日は「黄色い宇宙の種(13・種=KIN104)」という日だった。それに今週は、コドン13「組織された人々」というテーマもある。なかなかのシンクロぶりに感心していたが、もう一つ忘れてはならないのが、この日が『13の月の暦』を日本に紹介した、高橋徹さんの銀河の誕生日でもあった事だ。
徹さんは『マヤの暦はなぜ、2012年12月に終るのか』という本の中などで、ご自身の誕生日を明らかにされているので、その事も絡めて書いてみると、月探査との関係がますます興味深く思えてくる。アポロ11号が人類史上初めての月面着陸に成功したのは、1969年7月20日。この日は、何とパレンケでパカル王の墓室が開かれたのと同じKIN218だったが、日本時間ではすでに21日になっており、徹さんは11歳の誕生日を迎えていた。
さらに調べてみると、種子島宇宙センターが設立されたのも1969年(ついでに言えば私もこの年生まれ)。KIN11のホゼがパレンケ11代目の王と言われるパカルとチャネリングしたのがひとつのきっかけとなって生み出されたのが『13の月の暦』である事を考えると、実に興味深い。一昨日は、徹さんにとって69回目の銀河の誕生日でもあったし、パレンケの碑銘(碑文)の神殿の中央階段は、69段だったりもするからだ。
そういえば、アポロはサターンⅤ型ロケットで打ち上げられていたはずだ。そして、奇しくも徹さんの最新著『天と地の137年周期』は、土星(サターン)と「月の交点」との会合周期(11.4年)が、その中心的な話題となっている。日本の歴史をこうしたサイクルで読み解いた例は、いまだかつて無いと思われるが、安倍政権の崩壊や昨今の経済の動きを眺めていると、少なくとも我々日本人の集合意識は、このサイクルにかなり明確な影響を受けているように思えてくる。しかし、その事に気付き、私達1人1人がそれぞれの意識領域を探査して行く事が出来れば、逆に、そうしたサイクルの影響を、もっと上手に活用できる可能性も生まれて来るのではないかと、私は思うのである。
今日は、月の月の「白い月の世界の橋渡しの日」。という事で、一昨日、打ち上げられた月探査機についてのシンクロをちょっとメモしておこう。
日本の月探査機「かぐや」がH2Aロケット”13”号機で”種”子島”宇宙”センターから打ち上げられた。『13の月の暦』では、今月は「月の月」であり、この日は「黄色い宇宙の種(13・種=KIN104)」という日だった。それに今週は、コドン13「組織された人々」というテーマもある。なかなかのシンクロぶりに感心していたが、もう一つ忘れてはならないのが、この日が『13の月の暦』を日本に紹介した、高橋徹さんの銀河の誕生日でもあった事だ。
徹さんは『マヤの暦はなぜ、2012年12月に終るのか』という本の中などで、ご自身の誕生日を明らかにされているので、その事も絡めて書いてみると、月探査との関係がますます興味深く思えてくる。アポロ11号が人類史上初めての月面着陸に成功したのは、1969年7月20日。この日は、何とパレンケでパカル王の墓室が開かれたのと同じKIN218だったが、日本時間ではすでに21日になっており、徹さんは11歳の誕生日を迎えていた。
さらに調べてみると、種子島宇宙センターが設立されたのも1969年(ついでに言えば私もこの年生まれ)。KIN11のホゼがパレンケ11代目の王と言われるパカルとチャネリングしたのがひとつのきっかけとなって生み出されたのが『13の月の暦』である事を考えると、実に興味深い。一昨日は、徹さんにとって69回目の銀河の誕生日でもあったし、パレンケの碑銘(碑文)の神殿の中央階段は、69段だったりもするからだ。
そういえば、アポロはサターンⅤ型ロケットで打ち上げられていたはずだ。そして、奇しくも徹さんの最新著『天と地の137年周期』は、土星(サターン)と「月の交点」との会合周期(11.4年)が、その中心的な話題となっている。日本の歴史をこうしたサイクルで読み解いた例は、いまだかつて無いと思われるが、安倍政権の崩壊や昨今の経済の動きを眺めていると、少なくとも我々日本人の集合意識は、このサイクルにかなり明確な影響を受けているように思えてくる。しかし、その事に気付き、私達1人1人がそれぞれの意識領域を探査して行く事が出来れば、逆に、そうしたサイクルの影響を、もっと上手に活用できる可能性も生まれて来るのではないかと、私は思うのである。
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