2007年10月30日 21:28
■自己存在の月13日(G10/30) KIN150 白い共振の犬 (by D)
10連続GAP(銀河活性化の正門)初日のKIN146、KIN144(1・種)のウェイブスペル(WS)と完全にシンクロして始まった「ホピの精霊たち、カチーナ人形展」に行って来た。過去のダイアリーを見て頂ければ分かると思うが、ホピとの繋がりはとても多次元的で、今回の展示も、書法塾の道友で人形研究家のW・Sさん(KIN121)が、企画に深く関わっているばかりか、会場が家から200m位(しかも学生時にアルバイトしていた事がある場所)という驚くべきシンクロ率の高さを示している。
さらに、先のヒマラヤ・ネパールの旅から戻った日(=Lの誕生日から260日なので今のLの道筋でもある)がKIN121で、この日、帰国後初の食事を高島屋でした関係で、カチーナ展の招待券をもらうというオマケ付き。開催前からキテいるのがビリビリと感じられた。
センスの良さが感じられる会場には、カチーナ人形だけでなく、20世紀初頭~前半のホピの村の写真や映像もあって、非常にインパクトがあった。特に昔の(未婚の)女性の髪形は、スター・ウォーズに登場するレイア姫そのままだし、そういう女性が数名集まって立っている写真などは、眺めているだけで、それこそ「昔々遠い銀河で・・・」というフレーズが聞こえてきそうな佇まいがある。きっとルーカスはこういう写真にインスピレーションを得たのではないだろうか。
会場に足を運んだ2日間、ちょうどホピの人形作家、マニュエル氏ご夫妻がいらしていて、色々と話を聞くことが出来たが、特に氏族の形成とその考え方(コミュニティでは、互いに助け合うために何が出来るかが重要)や、ホピのルーツがマヤにある点を改めて確認できたのは、大きな収穫だった。蝶の氏族(薬草や治療に関係する氏族だとのこと)であるマニュエル氏は、会場で入手した写真集(おススメ!)に蝶のサインもしてくれた。
ホピの大地から(米政府によって)掘り出されたウランが、後に広島・長崎に投下された原爆の材料になったという話は有名だが(しかもその事がホピの言い伝えの中で既に予言されていた点も)、まさに、原爆が投下された年である1945年当時のホピの村の様子を映したドキュメンタリー(10分弱)は、厳しい環境で生きる事を決意をした彼らの文化的背景を垣間見る事ができる、実に貴重な資料であると思う。
KIN144はまた、マヤの預言的なカレンダーゲーム『テレクトノン』と密接に結び付いている日付(1・種の年は1993年7/26から始まった)なのだが、この『テレクトノン』が発表された1993年前後に、私はカチーナ展の会場となっているホールでチケットもぎりをしていたのだから、時空の采配はまことに不思議だ。そう言えば、この日ご一緒したタツさんは、『テレクトノン』の失われた7つの世代の第7とリンクするKIN200、あまねさんは、その7を音に、そして、マヤが大いに注目していた金星の象徴を紋章に持つ「7・星(KIN228)」が銀河の署名だった。大雨が降っても、行き帰りは傘いらずになるのは、彼らが現代のシャーマンだからだろうか(実は私達もそういう事がよくあるが)。
カチーナ展は、10連続GAPが完了するG暦日曜まで開催されているので、何かインスピレーションを感じた方は、是非、ホピ(平和の民)の銀河的なバイブレーションを味わいに行ってもらいたい。私達も、少なくともあと一回位は会場に行きたいと思っているので、もし私達を見かける事があったら、声をかけてもらえると嬉しい。
さらに、先のヒマラヤ・ネパールの旅から戻った日(=Lの誕生日から260日なので今のLの道筋でもある)がKIN121で、この日、帰国後初の食事を高島屋でした関係で、カチーナ展の招待券をもらうというオマケ付き。開催前からキテいるのがビリビリと感じられた。
センスの良さが感じられる会場には、カチーナ人形だけでなく、20世紀初頭~前半のホピの村の写真や映像もあって、非常にインパクトがあった。特に昔の(未婚の)女性の髪形は、スター・ウォーズに登場するレイア姫そのままだし、そういう女性が数名集まって立っている写真などは、眺めているだけで、それこそ「昔々遠い銀河で・・・」というフレーズが聞こえてきそうな佇まいがある。きっとルーカスはこういう写真にインスピレーションを得たのではないだろうか。
会場に足を運んだ2日間、ちょうどホピの人形作家、マニュエル氏ご夫妻がいらしていて、色々と話を聞くことが出来たが、特に氏族の形成とその考え方(コミュニティでは、互いに助け合うために何が出来るかが重要)や、ホピのルーツがマヤにある点を改めて確認できたのは、大きな収穫だった。蝶の氏族(薬草や治療に関係する氏族だとのこと)であるマニュエル氏は、会場で入手した写真集(おススメ!)に蝶のサインもしてくれた。
ホピの大地から(米政府によって)掘り出されたウランが、後に広島・長崎に投下された原爆の材料になったという話は有名だが(しかもその事がホピの言い伝えの中で既に予言されていた点も)、まさに、原爆が投下された年である1945年当時のホピの村の様子を映したドキュメンタリー(10分弱)は、厳しい環境で生きる事を決意をした彼らの文化的背景を垣間見る事ができる、実に貴重な資料であると思う。
KIN144はまた、マヤの預言的なカレンダーゲーム『テレクトノン』と密接に結び付いている日付(1・種の年は1993年7/26から始まった)なのだが、この『テレクトノン』が発表された1993年前後に、私はカチーナ展の会場となっているホールでチケットもぎりをしていたのだから、時空の采配はまことに不思議だ。そう言えば、この日ご一緒したタツさんは、『テレクトノン』の失われた7つの世代の第7とリンクするKIN200、あまねさんは、その7を音に、そして、マヤが大いに注目していた金星の象徴を紋章に持つ「7・星(KIN228)」が銀河の署名だった。大雨が降っても、行き帰りは傘いらずになるのは、彼らが現代のシャーマンだからだろうか(実は私達もそういう事がよくあるが)。
カチーナ展は、10連続GAPが完了するG暦日曜まで開催されているので、何かインスピレーションを感じた方は、是非、ホピ(平和の民)の銀河的なバイブレーションを味わいに行ってもらいたい。私達も、少なくともあと一回位は会場に行きたいと思っているので、もし私達を見かける事があったら、声をかけてもらえると嬉しい。
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