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ポニータクシー

2007年12月31日 23:23

律動の月19日(G12/31)  KIN212  黄色い自己存在の人 (by D)

年の瀬も押し迫ったG27日(KIN208)、今、横浜でウワサのポニータクシーに乗った。といっても、まだその存在を知らない人の方が多いだろう。2007年の春先に登場したばかりで、実質1台、しかも、観光アトラクションのように決まった時間に決まった場所にいる訳でもない。連絡先も公開されていないので、当然予約なども出来ない。まさに、運良く巡り合えた人だけが乗れる”幻のタクシー”なのだ。
 
みなとみらいで落ち合ったS夫妻(※)と、横浜コスモワールド方面に向かうと、何と、そのポニータクシーが目の前に!流石にシンクロ率の高いメンバー!!・・・というのはウソで、Lの知人に無理を言って、特別に待ち合わせてもらったのだ。まあ、こういう裏技もご縁あっての賜物。そういう意味では、先にシンクロがあったとも言える。
 
御者の高橋さんの「ハイッ、太郎!」という掛け声と共に滑らかに動き始めたタクシーは、蹄と鈴の音が心地良く響き、美しい横浜の夜景とも見事にマッチする。想像以上の快適さと楽しさに、S夫妻も私達も興奮気味。考えてみれば、横浜には馬車道という名の通りがある位だから、馬との相性は良いのだ。ライトアップされたみなとみらいのビル群を背に、赤レンガ倉庫→日本大通→山下公園→中華街へと進む。
 
初めて目にする人も多いのだろう。道行く人々は皆振り返り、前を走る車は信号が青になってもなかなか走り出さなかったりする。元町手前の橋の弧が少しきつい事もあって、まだ元町に入った事は無かったそうだが、高橋さんが「太郎なら行けるかも」(ポニーはもう一頭いるとの事)とチャレンジしてくれて、無事元町に到着。4人も乗せて頑張ってくれた太郎と、色々教えて下さった高橋さんに感謝していると、どこからともなく人が集まって来て写真を撮り始めた。

 
聞けば、勝手に写真を撮る人は結構多いのだそう。せめて馬や高橋さんに断り位は入れて欲しいものだ。それにこのタクシー、とっても良心的な価格(一人1000円~)で横浜の名所を回ってくれるのだから、見かけたら写真を撮る前にまずは乗ってみてもらいたい。きっとウンと得した気分になるはずだ(少なくとも私達は大感激した)。出会えたらそれだけでラッキー、その時、他に客がいなくて乗れてしまったらもっとラッキーだ!みなとみらいや赤レンガ付近が主な出没ポイントだとの事なので、運良く乗車できた方は、是非、シンクロ・カフェに投稿を。そして、2008年、いい波に乗ろうという方は、まず横浜ポニータクシーを見つけるべし!それでは、よいお年を。
 
(※)前日発行したメルマガで、Enjoy surf!のコーナーに登場してもらったMaster Masaya 夫妻。 
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わたしが作品です

2007年12月30日 11:12

律動の月18日(G12/30) KIN211 青い電気の猿 (by L)

皆さま、HAPPY HOLIDAYS!
2007年もあとわずか。
いつも本当にありがとうございます。





写真は、今年クリスマスに家にやって来た、
よしだみよこ画伯の作品。「私が作品です」


タイトルもステキでしょう~?ウッキウキだよね。彼女の秋の個展でこの作品に一目惚れ。何だか永遠の少女という感じではないですか!絵から受ける印象とはちょっと違って、かなり大きな目の作品なんですね。で、掛けるところを想像すると、フレームが部屋には合わない。それで、みよこちゃんにわがまま言って、フレームだけ特注して頂いていたのが、ちょうどクリスマスに我が家に到着!(みよこちゃん、ホントにどうもありがとう~。)

ところで、私たちは今日で、年末断食3日目に突入しました。
ふだんの時間ではナカナカ出来ない事を集中して楽しめる、スペシャルな冬の時間をとても幸せに思います。この時期はそんな風に過ごすのが好き。

あなたの時間があなたの作品です。
2008年もステキな時間になります様に。
HAPPY HAPPY HOLIDAYS!

ジュセリーノ所感

2007年12月23日 23:56

律動の月11日(G12/23)  KIN204  黄色い太陽の種 (by D)

数日前、ご縁のある方に声をかけてもらった関係で、ジュセリーノ氏の講演会に足を運んだ。翌日には、日テレの特番にも登場していたから、ご存知の方も多いだろう。ちょうど、その2,3日前に『ジュセリーノ未来予知ノート』という最新著を本屋で見つけて、立ち読みしてしまっていたので、講演内容に新鮮さは無かったが、ジュセリーノ氏の人柄を知るのには良い機会だった。
 
ご本人から感じたのは、素朴さ、真面目さ、熱心さといったもので、概して印象は良かった。だが、災害や事故といったネガティブビジョンを公に伝えて行く事の影響については、かなり無頓着というか無責任な印象を持たざるを得なかった。もし、「夢で見たものを世に伝え警告するのが自分の責任」と言うのなら、まず、それが常に高い精度で当たり続けている必要がある。殆ど外れている予知なら、心配性で妄想癖のある人物が発するメッセージと何ら変わり無くなってしまうし、警告的な意味も限りなく消失してしまうからだ。ところが、この「精度」については、かなりの疑問が残る(後で触れる)。
 
また、予知が外れたケースについて、「私はいつもそれを望んでいる」と言うのは、一見良心的ではあるのだが、この言葉が意味を成すのは「誰かが警告を真面目に受け止めて、何らかの対策をしたから外れた」という条件が満たされた時のみであって、対策も無しに勝手に外れたケースについては、多くの人々に余計な混乱と不安を抱かせるだけになる事、場合によっては真摯に受け止めた人程、経済的・社会的に打撃を受ける事を、もっと真剣に考えないといけないだろう(余談になるが、地震前兆現象の研究者である串田嘉男さんのやり方には、こういう側面に対しての配慮と誠意が感じられる)。
 
さて、実際のところ、彼はどれ位の精度で当てているのだろうか。これについては、簡単に結論を出してしまう事は避けたい。だが、自分で確認できる範囲に限って(=最新の本に発表された具体的な予知のうち、11月下旬から今日までに至る4,5個程度になると思われる)言えば、今のところ、当たりと言えるものは無い。過去のものについては、役場で登録した証拠があると言われても、実際の所は検証が難しいので何とも言えないが(ところがテレビでも本でも、殆どがここを拠り所にして語られている)、仮に言われている通り、これまで90%以上の的中率があったのだとしたら、その後、突然当たらなくなるのは、かなり不自然だと言わざるを得ない。
 
もう少し突っ込んで言えば、リアルタイムの情報発信方法が他に幾らでもある現代において、後出し疑惑をかけられる方法(しかも手間も費用も余計にかかる)を取っている所に、私などはかえって誠意の無さを感じてしまう。彼はEメールを使うケースがあることを本の中で表明しているので、協力者の力を借りればWEB上でも同じ事は出来るはずだ。そこで予知夢を無償公開し続けて、それがバンバン当たれば、宣伝などせずとも世界中の人がこぞって見に来るようになるはずだし、大いに警告の意味が出てくるだろう。
 
ちなみに、私は予知や予知夢自体を否定する者ではない。どちらかと言えば、かなり肯定的に見る立場だ。自分自身の体験や、身近な人々による具体例を見て来たからという理由もあるが、「虫のしらせ」という言葉の存在が示すように、もともとそういう現象は、特に珍しいものではないとも思っているからだ。従って、私は、ジュセリーノ氏についても、何らかの能力があるのだとは思っている。しかし、だからこそ、的中率90%以上などと言う売り込み方をして欲しくないとも思う。日付や場所が明確になっている詳細な予知を、1%であっても当てているのであれば、それはそれで十分に意味があると思うからだ。本物の能力があるのに、下手な売り込み方をしたせいで、後々バッシングを受けて無き者にされてしまうとしたら勿体ない。丁寧にゆっくり扱う方が結局は効果的、というものは沢山あるのだ。
 
もう一つ気になったのは、彼の予知の中に、地震や環境問題、ウイルスの流行についてのものが結構多いという点。これらは具体的日付や場所が正確で無かったら殆ど意味をなさないし、今の世界情勢を多少なりとも知っていれば、誰でも言えそうな内容ばかりだからだ。例えば、日本において、マグニチュード5とか6レベルの地震など、日常茶飯に起きていて、予知する意義があるとはあまり思えない。まあ、彼にしてみれば、ただ夢で見たものを書いてるだけという事なのかもしれない。しかし、世の中がより良くなることを願っているのなら、情報発信にはもう少し慎重になってもらいたいし、どうせなら誰も予想出来ないような素晴らしい出来事だけを次々に予知して、バシバシ当てて欲しいものである。
 
そういう意味では、本の読者による検証が可能だった「アル・ゴア氏のノーベル平和賞受賞」に関しては、確かに出版の方が先だったし、内容もグッドニュースだったと思う。だが、これもノミネート自体は2月に行われていた点は知っておくべきだろう。つまり、間違いなく賞発表前に予知はされているが、ある程度、誰でも当てられる範囲にまで絞られた後で本が出ているという事だ(ちなみに、役場に提出したのはもっと前という事になっているが、先に書いた通りこの検証を本だけするのは難しい)。
 
ところで、長いこと不思議世界に身を置いていると、未知なるものに対してもそれなりにモノの見分け方が分かって来る。私の勝手な印象によれば、一般に、ごく短期間に強い反応(良くも悪くもリアクション)が起こる情報に、あまり質の良いものは無い。それらの殆どは、人の欲や恐怖と結び付くものであって、心を豊かにしたり勇気付けたりするものでは無い。一方、テレビの視聴率や、出版物の発売部数は、概して短時間にどれだけ数を稼ぐかが優先される。従って、それらを通じて情報を得る時は、放映の動機、出版の動機がどこにあるのか、よく見極める必要がある。また、ジュセリーノ氏本人が純朴で真摯な人だったとしても、周囲の人々の動機はまたそれぞれ別だったりするかもしれないのだ。
 
最後に、テレビや本を見て「こりゃースゴイ!」と思って驚いてしまった方、あるいはこれから本を読んでみようと思う方にひと言。前提条件になっている「公証人役場での登録こそ動かぬ証拠」という部分を鵜呑みにせず(この点を無条件に受け入れるのとそうでないのとで見方が大きく変わる事を自覚して)、本で発表されている「これから自分で確認出来る事項」で、予知夢を検証して行く事を強くお薦めしたい。

遣唐使

2007年12月18日 23:13

律動の月6日(G12/18)  KIN199  青い自己存在の嵐 (by D)

KIN87(G8/28)、満月(皆既月食)の朝方に目を覚ましたLは、唐突に「Dは遣唐使だった」とつぶやいた。寝る前に、「今夜は夢を覚えておくようにしよう」と言ってはいたが、寝ながら過去生リーディングをしてくれるとは思わなかった(「千夜一夜リーディング」参照)。そう言われてすぐに記憶が取り戻せるほど記憶力の良くない私は、それでも興味はあったので、史料に残っている人物で誰かそれっぽい人がいないか、ネットで遣唐使について調べたりした。その時、気になった何人かの中に、井真成という人物が含まれていた。

そこから数えて3回目の満月が巡って来たKIN175(G11/24)、書法塾の祝賀会の帰り、倫理研究所の丸山さん(と気軽に呼んでしまうが今は理事長)から、一冊の本を手渡された。しかし、『日本創生への道』(丸山敏秋著)というタイトルが付けられたその本を、真剣に読み始めたのは、およそ一週間が経過してからだった。そして、P47から始まる「大化の改新—第一の日本創生」の所で、私の目は釘付けになった。

何故ならそこには、2004年10月に中国の西安市で発見された遣唐留学生、井真成の墓誌について書かれていたからだ。先にネットで調べた時には、そんなに話題の人物だとは知らなかったのだが、その墓誌には、はっきりと「日本」という記述があり、確認されている最古の「日本」の用例でもあるというのだ。だが、私が最も驚いたのは、「西安で発見された墓誌」というテーマと、彼が西安(長安)で36の時に亡くなったという点であった。

シンクロニック・ジャーニー』第7章にも書いたが、2006年に私達は西安を訪れている。この時、碑林博物館で開催された書法塾の臨書発表会に、私は北魏の「墓誌銘」の臨書を出しているのだ。30名程が参加したこの発表会で、墓誌銘を書いたのは多分私だけだったと思う。しかもこの時、自分が36才だった事もあって、陝西歴史博物館では、36マス魔方陣(6×6)にも注目していたのだった(それ故、拙著に写真も掲載した)。

さらに、その後、その墓誌は171文字からなり、蓋の12文字を合わせると全部で183文字になる事が分かった。KIN171は、伊勢神宮で結婚の報告をした日付、KIN183(1・夜)はキチェー・マヤに伝わる方式で数えた時の、私のKINバースデーでもある。この辺になると、かなりこじつけっぽくなって来るが、気づいた事をメモしておくとさらなる気づきが得られる事が多いので、どうかお許し頂きたい。
 
それから、こうした一連の繋がりが見えたからと言って、私は別に、自分の過去生が井真成だなどと言うつもりは無い。もちろん、全く関係ないとも思えないが、具体的に何かを思い出したり、現代の私が活用できる情報でも無い限り、これらのシンクロは、私にとって人生の楽しみと活力の源という以上には、特別な意味を持たない。ちなみに、この件に関して詳しく書かれている『遣唐使から見た中国と日本』は、朝日選書のNo780(260×3)で、2005年7/25(KIN103)の発行となっている。これは、昨日の日記にご登場頂いたマダムサチコの今年の道筋ともシンクロしている。

ところで、2004年の10月といえば、ダラム・サラでダライ・ラマ法王に初めて謁見した頃に当たるのだが、丸山さんとお会いした日のちょうど一週間前(KIN168)、私達は伊勢で偶然法王と同じホテルに滞在し、そこで興味深い新聞記事を目にしていた。談山神社(大化の改新と密接に関係する)の十三重の塔が40年ぶりに修復され、落慶大祭が行われたというニュースだった。
 
思えば、1997年に「時間の法則に関する世界会議」が倫理研究所で行われた時(KIN199から始まった年の終盤)、ちょうど『時間の法則の20の銘板』が発表され、G7/26からコドン1「創生」が始まった。会議の2ヶ月程前に来日していたアグエイアス夫妻を、談山神社に案内したのは、確か丸山さんだっと記憶している。この時ホゼは、645年からちょうど1352年経過したタイミングに、その十三重の塔を訪れた事から、1段を104年(カレンダーラウンドの2倍)と見るヴィジョンを得ていた。
 
それから10年の時を経て、『日本創生のへの道』を手にし、大化の改新の項(P47)で遣唐使のシンクロに驚かされている自分がいる。おまけに昨日の日記には、KIN47の人(元三重県知事)も登場したばかりだ。だが、私はこの本の表紙カバーを取り外した瞬間、もう一度大きく驚かされた。何故ならそこには、2013年に遷宮が行われる内宮の御敷地の写真が、表紙一面に展開されていたからだ。やはり日本の心はここにあり、って事だろうか。

ウーマンオブザイヤー

2007年12月17日 15:41

律動の月5日(G12/17)  KIN198 白い電気の鏡 「ウーマンオブザイヤー」(by D)

私達の友人で、『シンクロニック・ジャーニー』第5章にもご登場いただいたマダムサチコこと小島幸子さん(クメールアンコールフーズ代表)が、『日経ウーマン』によるウーマン・オブ・ザ・イヤーのキャリアクリエイト部門で1位!そして総合でも4位に輝くという快挙を成し遂げました!おめでとうございます!!現在書店に並んでいる2008年1月号(No278)、是非、手にとってご覧になってみて下さい。

授賞式(&お仕事)で来日するという連絡と共に受賞を知った私達は、早速近所の本屋さんで平積みになっていたその雑誌をゲット。ゲスト審査員で元三重県知事の北川正恭さんが、サッちゃんを1位に推薦していたのが分かったりして、さらに嬉しい気分に。

脱線するが、この北川さん(現・早大院教授)、マニフェストの導入を提唱した事で知られる方で、その後、早大にマニフェスト研究所まで設立している。1944年11/11生まれとの事なので、銀河の署名は「8・手(KIN47)」。マニフェストの語源が、ラテン語の「手(manus)」と関係しているらしいことや(マヤでは手=MANIK)、今の道筋であるKIN162が、エジプトのシンクロ(前月の
「ネパールからエジプトへ」を参照)とも繋がっているようで興味深い。



ニコタマにてサッちゃんとL

話を戻そう。G12/12(KIN193)、サッちゃんは、忙しい合間を縫ってニコタマまで足を伸ばしてくれ、楽しいランチを共にした。久しぶりに会った彼女は、ますます洗練されてオーラが輝いていたが、アイディアをどんどん形にしてみる創造性、良いと思ったら直ぐに取り入れて実行するところなど、話を聞いているとその理由がよく分かる。しかし、何より大きいのは、仕事に対する動機と、それをブレさせない信念にあるように思えた。オーラは、その人の動機と振る舞いの反映物なのだ、と改めて感じたひと時だった。

ネパールからエジプトへ

2007年12月12日 02:53

倍音の月27日(G12/11) KIN192 黄色い惑星の人 (by D)

ツタンカーメンのミイラ公開をきっかけに、エジプトとの回路が急速に開き始めたのを感じていたら、やはり次の波がやって来た。きっかけは、KIN177(11/26)に、暦の資料の関係でEさんという方とお会いした事にある。添乗員をされているというEさんとは、この時が初対面。カフェで30分ばかりお話をしたのだが、ヒマラヤの8000m級の山に登るのが将来の目標だとの事。

ちょうど2ヶ月程前にヒマラヤの山々を直接目にして来た私は、何か繋がるものを感じて、かつてマヤ遺跡を訪れた時に同行(というか全て手配)してくれたのが、この時Eさんに手渡した資料の制作にも関わっていたTさんという添乗員の方だった事などをお話した。この時、私の携帯に珍しく電話が入ったのだが、会話の途中だったのでそのまま留守録にして後で聞く事にした。Eさんと別れた後、着信を確認すると、何と今まさに話題にしていたそのTさんからだった!多分、携帯に連絡をもらったのは1年ぶり位ではないだろうか。それにしても凄いタイミングだ。

翌日、用事の合間に書店に立ち寄り、ふと手にしたのが『転生-古代エジプトから甦った女考古学者』(新潮社)という本。パラパラとめくって、「これは面白い!」と思ったが、その場では入手せず帰宅。すると、ちょうどLがエジプト旅行のフライトチケットを1名分確保し終えた所だった(1名分はキャンセル待ち)。先の本の著者と主人公は別人なのだが、ラストに主人公本人が友人に宛てた手紙が掲載されていて、それがまた興味深い事に、カトマンズの事が書かれていたりするのだ(後に本を入手してそれがP241=私のKINだと気付いた)。


その夜、Eさんから届いたメールには、何と「明日からエジプトの添乗なんです」と書かれていた!昨日お会いした時には、一言もそんな事は口にされていなかったのだから驚きは倍増だ。しかも、「『時空のサーファー』と『マヤン・ファクター』を持参して読破するのが目標です」なんて一文まで添えてある。今回の波はどうもかなり大きいようだ。何故なら、私は前々日『時空のサーファー』の監訳者であり『マヤン・ファクター』の翻訳者でもある高橋徹氏に久しぶりにお会いしており、前日Eさんと面会中に電話を掛けてきたTさんとは、実は『マヤン・ファクター』監訳者の滝元さんの事だからだ。

おまけに、『マヤン・ファクター』のP371にあるパレンケ「碑銘の神殿」の写真は、メキシコに一緒に旅した時に滝元さんが撮ったもので、私はその写真のすぐ側に立っていたのだ!(このとき私達は『テレクトノン』を持って行って、碑銘の神殿の上でプレイまでしている)さらに、Eさんがエジプトに旅立つというKIN179(10・嵐)は、エジプト考古学者、吉村作治氏の銀河の署名。あまりに見事なシンクロぶり。

だが、まだ先がある。私は今回が初めてのエジプトになるのだが、Lは既に何度もエジプトを訪れており、11年前のG11/30(KIN66)に出発した最初の旅では、KIN162の友人と一緒だったという。そして、Eさんの銀河の署名もまたKIN162なのだ!先のネパールの旅では11がひとつのテーマになっていたのだが、EさんはもともとG11/1の生まれで、今年はG11/11が銀河の誕生日。ここにもネパールとエジプトの繋がりを見て取る事が出来る。

こうした流れに刺激を受けたのか、その夜、忙しさで途切れがちになっていたLの千夜一夜リーディングは(11/28に)第28話目を迎え、エジプトの4回分もの過去生を一気に観る事になったのだった。もっとも、日常的にも記憶喪失気味の私には、そう言われても相変わらず特別な実感はない。だが、ツタンカーメンから始まった只ならぬこの流れが、私達とエジプトとの繋がりの深さを確かに伝えてくれているようにも思う。

最後にもうひとつ。昨夜、この日記を途中まで整理して眠る前に、最後のメールチェックをしたら、何とそのEさんから「エジプトから戻りました」というメールが一通だけ入った。ここまでシンクロ率が高いと、「よーし、この大波には思い切り乗ってみようか」という気分になる。実はこのストーリーと絡んで、他にも複数のシンクロが頻発しているのだが、ここでは私の記憶補助の目的で、ロンドンとの繋がりが同時に深まっているという事だけメモしておきたい。

ダライ・ラマ法王とお伊勢参り

2007年12月08日 17:37

倍音の月24日(G12/8)  KIN189 赤い共振の月 (by D)

今月冒頭の「キラ星月間」にLが書いた通り、先のダライ・ラマ法王の来日では、開催直前に一般受付の案内を知った「伊勢国際宗教フォーラム」にのみ参加。しかし、私達には、それで十分であった。フォーラムの申込み番号は14番と15番。銀河の署名がKIN14のダライ・ラマ14世とのシンクロで、これは縁起が良いと思っていたら、やはりビックリな出来事があった。

伊勢参拝時には、決まって神宮会館に泊まるのだが、今回は満室で、やむなく宇治山田駅近くのホテルを予約。前回法王が伊勢を訪問された折には、神宮会館で食事をされたという噂を耳にしていたので、今回もきっと関係者で押さえられているのだろうと思っていたら、フォーラム前日にホテルの入り口で、『ガイア・シンフォニー』の龍村監督とバッタリ出くわした。

監督にお目にかかるのは、2年前の新体道の合宿でお世話になって以来(参照:シンクロニック新体道)。その節の御礼を述べつつチェックインを済ませると、KIKUの久保さんやチベットハウスのスタッフの方なども見かけて、なんだかモノモノしい雰囲気。どうやら法王もこのホテルに泊まられるらしい・・・となると最上階だろうか。私達の部屋は一つ下の階だったのだが、間違いを装って一番上まで行ってみる事にした。SPらしき人に「何かご用ですか?」と止められるも、とぼけたフリをしたLが廊下を見渡すと、一番奥の部屋の前にだけ、さらに2名のSPを発見。何と、自分達の部屋の真上だ!

法王のエネルギーフィールドに包まれたせいかどうかは分からないが、21時頃にはLが睡魔に襲われて早くもドリームタイムへ、私も「これはチャンス!」としばし瞑想するも、程なく眠りに引き込まれてしまった。翌日は、午前中に法王が内宮を参拝されるという噂を小耳に挟んだので、少し早めに宇治橋へ行って待ち伏せ。気持ちの良い快晴の中、報道陣やSPの登場が法王の到着を知らせてくれる。米国やドイツでは国の長が法王と対談するレベルなのに対し、日本での扱いはあまりにお恥ずかしい状況(それでも大分マシになったが)。そのせいか、一般の人々もあまり法王の事を知らなかったりする。

とは言っても、どこから集まって来たのか、私達を含めた「追っかけ取り巻き」(&取材陣&SP)が40~50名は居たように思う。それが法王を囲んでお団子になりながら内宮を移動する。ここでは、女優も学者も映画監督も歌手も、皆子供みたいな笑顔で法王に纏わり付いていて、何だかほほえましい(笑)。法王は、正宮で御垣内参拝をされて、そのまま午後の会場である皇學館大学に向かわれたが、私達は「法王と一緒に伊勢参拝」という大きな夢を果たして、しばし放心。もちろん、午後のフォーラムにも参加したが、個人的には午前の参拝の方がメインイベントという印象だった。

私達は(そして法王も)、この日も同じホテルに泊まったので、KIN169(13×13)は「一日中、伊勢で法王追っかけをした日」として記憶する事になるだろう。横浜で大きな講演会があった2日後のKIN171は、私達が伊勢神宮で結婚のご報告をし、本籍地を内宮の住所に移した日からちょうど1300日。横浜育ちの私には、これもまた勝手に記念日になったように思えたのだった。

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