■太陽の月18日(G3/24) KIN35 青い太陽の鷲 (by D)
春分(G3/20)の日、車を借りて、朝から富士山の麓へと向かった。キチェー・マヤ族13代目の高位神官、ドン・アレハンドロ(以下、長老)の行うセレモニーに参加するためである。アレハンドロの名前を最初に目にしたのは、1998年初頭に『13の月の暦』(以下、13暦)の提唱者・アグエイアス夫妻が報告したニューズレターにおいてだったと記憶している。さらにその約半年後、『謎のクリスタル・スカル』という本の中で写真も拝見していたが、その時点で既にご高齢だった記憶があったので、来日の話を耳にした時は(そして、ほぼ同時にホゼ・アグエイアスが来日するというシンクロにも)、少々驚いた。おそらく、どこかで耳にした「今回が最初で最後の来日になるだろう」との噂も本当だろう。
エジプトの旅程との兼ね合いで、来日講演会には参加出来ない事が分かっていたのだが、帰国直後のKIN21(G3/10=チベット民族蜂起49周年)に主催者のHPを見に行った事と、春分の日なら、何とかスケジュールの調整が付く事が判明して、今回の富士行きを決意した。そこには、「来日行事の中で、長老が最も重視なさっているのが、春分の日の富士セレモニーです」という言葉と、今年のG1/14(=Lの誕生日)に、グァテマラの新大統領就任式において長老が行ったスピーチとが掲載されており、私達の旅での経験が、見えない次元でこの行事に結び付いているのを感じたからだ。
エジプトへ向かう途中、ロンドンで大英博物館に立ち寄った私達は、そこでパレンケやヤシュチュランの有名なレリーフの実物、そしてマヤと関係があると言われているクリスタル・スカルに、運良くお目にかかる事が出来た。だが、スカルはマヤのコーナーではなく、「Living and Dying」というテーマ展示のコーナーにあった。しかも同じ場所を2日続けて訪れていたのに、初日は全く気付かず、2日目に地下のアフリカコーナーから登って来た時に、その存在に気付いたのだった。また、同時にインド・アマラヴァティのレリーフの展示があったのにも驚かされた。何故なら、2006/1/14の満月に、私達はまさに(日本では殆ど知られていない)その地で、ダライ・ラマ法王14世より、カーラ・チャクラの灌頂を受けていたからである。
春分の2日前、ふとスカルとマヤの関係が気になって再度『謎のクリスタル・スカル』をめくると、P388~389に非常に興味深い記述を見つけた。ドン・アレハンドロというのはスペイン名であり、マヤ語の本名はジョブ・ケメ(チジン)であり、「生命・死」という意味だと書いてあったのだ!しかも、生まれた日付に由来するこの名前をG暦に変換すると、1929年2月2日になるとも書いてある。早速「銀河の署名」を調べるとKIN10(10・犬)。何と!大英博物館の「Living and Dying」コーナーでスカルに出会ったその日ではないか!伝統暦に由来する長老の名前と、13暦の日付、そしてスカルの展示コーナー名が一つに繋がったのだった。
本書には、他に、マヤに由来を持つオリジナルのスカルは13個あり、伝承によれば、アメリカ先住民、チベット、アボリジニーの元など、世界の聖地に52個あると伝えられている事も記されていた。春分の翌日には、書法塾仲間の渡辺さんが開催しているホピの「カチーナ展」に行く予定を入れていた事もあって、この大きな流れの背景には、スカルとの出会いが深く関係しているうように思えてならなかった。
春分当日の富士山麓は、まるで冬に舞い戻ったかのような冷たい雨が降りしきっていて(富士インターの辺りでは一瞬青空と太陽が顔を見せてくれたが)、車のラジオは、13年前の今日、オウムによる地下鉄サリン事件があったことを伝えていた。帰宅後に知った事だが、このとき走っていた静岡県道71号沿いに、そのサリン製造工場であるサティアンがあったのだ。この富士での春分の祈りは、マヤの長老による重要な儀式という意味合いだけでなく、今まさに起きているチベットでの混乱や、13年前のサリン事件で亡くなられた犠牲者の方々を追悼し、さらに力を誤用している人々の、硬直した心を解かす意味もあったのかもしれない(そういえばチベット仏教のイメージを著しく汚したのもオウムだった)。少なくとも私達はそのつもりで祈りを捧げさせて頂いた。
会場では、私達のエジプト巡礼とほぼシンクロしてハワイに巡礼をしていた13暦仲間のタツさん達とバッタリ会い、旅先でそれぞれ同じような発見と体験をしていた事をシェアしあう機会にも恵まれた。参考までに、この日の13暦情報を整理しておくと、KIN31(5・猿)、手のウェイブスペル、PCU=KIN175(6・鷲)。さらに、会場に至る国道139号は、「20の銘板」で今月に対応するKIN139(9・嵐)とシンクロし、県道71号は今の私の道筋KIN71(6・猿)と対応していた。また、キチェ・マヤのカウントでは、この日は「9・夜」、私の誕生日は「1・夜」、Lの誕生日は「2・猿」となり、これらも含めて13暦的に俯瞰すると、全てに一貫しているのは、「変容の青」という事になる。おまけに、レンタカー屋にあった車は殆ど全てシルバーだったのに、私達に割り当てられた一台だけが「青」だった。
春分点は、昼と夜の長さが同じになるという意味で、もともと変容のタイミングと見なす事が出来るように思うが、今回のこの「青」のシンクロぶりは、これからの世界に、様々なレベルで大きな変容が訪れることを象徴しているような気がしてならない(既にそれを肌で感じる現象が起こりまくっているが)。そして、このダイアリーをようやくUP出来るようになった今日の日付もまた、「青い太陽の鷲の日」(魔術の亀の日)であり、青い第3週目であり、青い手のWSと、青揃いなのである。また、エジプト行きのきっかけとなった、85年ぶりのツタンカーメンの顔公開日「青い水晶の鷲の日(KIN155)」(=G11/4=父の7回忌)から、ちょうど140(=20×7=28×5)日というタイミングであるのも、何だか区切りが良い。