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肥田翁を偲ぶ

2008年08月28日 03:21

月の月6日 (G8/28) KIN192  黄色い惑星の人 (by D)

磁気の月28日(G8/22)。目が覚めると、外はすっかり明るくなっていた。テラスでモーニングコーヒーを頂いてから、朝の体操をしに、お散歩がてら大室山の麓にある「さくらの里」へと向かった。途中、シャボテン公園から抜け出して来たと思われる孔雀に会ったりしながら、緑溢れる広場でいつもの運動を開始。大室山に向かって思い切り声を出しながら行う胸開きは、ことのほか気持ちが良かった。

朝食を済ませて一休みし、松本さんご指導の下、ランチ用のカレーの仕込みを行う。弟子入りさせてもらった気分で何だか嬉しい。準備が終った辺りでちょうど天気が良くなってきたので、近場にドライブに行く事になった。実は、前日出掛け(玄関を出る5分前位)に、ふと閃いて、八幡野の八幡来宮神社の資料をプリントアウトして来ていたのだが、ちょうど松本さん達もまだ行った事が無いという話だったので、「是非、一緒にお参りしましょう」という事になったのだ。

この神社、実は、肥田式強健術で知られる肥田春充翁ゆかりの場所で、すぐ近くには、翁がその後半生を過ごされた旧肥田邸跡もある。随分前に、伊豆で新体道の合宿があった帰りにも、数名の稽古仲間と共に立ち寄った事があり、伊豆高原の駅から割と近かった記憶があったのと、最近の恭さんのブログに、八幡野港の花火大会について書かれていた記事があったりしたので、チャンスがあれば訪れたいなとは思っていた。だが、こうして訪ねられる日が、翁の銀河の誕生日、KIN186(4・世界の橋渡し)とぴったりシンクロするとまでは思っていなかった。色々な調整の後で決まった日程だったし、場合によっては、前日訪れていても良かったのだから。

私が肥田翁の事を知ったのは、確か高校生の頃で(そう思うと前日の日航機シンクロともリンクしているのかもしれない)、甲野善紀氏の『表の体育・裏の体育』や、壮神社から出た復刻版の『聖中心道肥田式強健術』などを手に入れて読み込み、自己流ながら実践も続けて来た(実は今も、簡易強健術のひとつの型を、朝の体操に取り入れていたりする)。だから、私にとって、翁の著書に度々登場するその神社に参拝する事は、他のメンバー以上に特別な意味があったのだ。それが、期せずして、KIN186にもシンクロしているのだから何かの導きを感じずにはいられない(少し前に「橋渡し」というタイトルで書いた記事に松本さんが登場する事も含め)。

殆ど迷う事無く到着した神社は、駐車場も整備されていて、以前来た時よりも若干開けた印象だったが、一歩境内に踏み入ると、うっそうとした原生林に囲まれた幽玄な世界が広がっていた。何本もの巨樹がつくる木陰で気温の上昇が抑えられているためか、昼間だというのに、ここだけヒグラシが鳴いているし、本殿まで続く苔むした幅の広い階段には、所々石灯篭や小さな社が建てられていて、玄妙な雰囲気を醸し出している。本殿前のご神木は、肥田翁の著書にも登場する見事な杉で、翁もこの杉を見上げていたのかと思うと感慨深い。真夏の強い陽射しが木漏れ日となって境内に優しく注ぎはじめると、いつしかヒグラシの声は消え、別なセミ達の合唱へと変わっていった。

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境内横の坂道を登りきると、そこが旧肥田邸の跡地だ。強健術に触れた者にとっては、まさに聖地とも言える場所なのだが、かつての建物は既にそこには無く(大分前に火災で焼失している)、南国を思わせる植物達が勢い良く生い茂っているだけだった。素敵な里山風景が見られる場所に立ち寄ってから宿(お宅)に戻ると、ちょうどお腹も良い感じに空いて来たので、先に準備してあったサーモン・カレー(初めて食べたがこれがかなりイケる)&スイカをテラスで頂いた。ラヴィ・シャンカールの感動的な演奏の話や、政財界にはカーストとは全く別な階層が存在していて、非常に複雑な構造を持っていることなど、ディープ・インディアに通じるお二人からしか伺えないような話を、たっぷりと聞かせて頂けた。

ちなみに、松本さんの所では、「ベイビー・クリシュナ」という名前でインド更紗や雑貨の販売もされている(通販もあり)他、週末カフェ夏のリトリート、ヨガのワークショップ等も開催されているので、ご興味のある方は、是非、直接問い合わせてみて頂きたい。松本さんの写真作品をはじめとする、インド・チベット・アジア関係の書籍の充実度も、並の図書館の比ではない(肥田翁と交流のあった大川周明に関する本も見かけた)し、日本に居ながらにして、インドに行ったような気分になれる深い時間が、そこには流れている。
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フライト・チケット

2008年08月25日 14:35

月の月3日 (G8/25) KIN189  赤い共振の月 (by D)

磁気の月(G7/26~8/22)の終わりに、私達は、伊豆の松本榮一ご夫妻の新居を訪ねつつ、思い切り夏休みな時間を過ごして来た。1泊2日とは思えないような濃密さで、一回で書くのには少々無理があると思われるので、まずは初日のシンクロ・ダイジェストから。

伊豆高原駅から車で10分程の大室山の麓、緑の木立に囲まれた素敵な場所に、松本さんのお宅はあった。お昼にはまだ少し早い時間だったが、荷を解き、海の見える気持ちの良いテラスでお茶を頂いているうち、ランチの時間となった。カレー好きの私にはたまらないインド仕込みのベジカレーを頂きながら、話に花を咲かせていたとき、おもむろに、松本さんがお財布から1枚の紙片を取り出して「カワカミさんのだよ」と言いながら見せて下さった。そこには、「123便 8/12 18:00」という数字が並んでいたが、私は頭の中で「あれ?自分の誕生日だ・・・」と思いながらも、しばらくの間、それが日航機事故の生存者、カワカミ・ケイコさんのフライト・チケットのコピーだとは気付けなかった。それくらい唐突な感じだったのだ。

聞けば、それはお守りのようなものらしく、コピーにコピーが重ねられたせいか、線も文字も随分とゆがんでいる。しかし、到着してすぐのこのシンクロには相当驚かされた。何故なら、あの事故は、私の暦の活動とも深く関係しているように感じられるからだ。16歳の誕生日に起きたあの事故からほぼ16年後の2001年5月、自分が制作世話人をしていた『時間の法則の20の銘板』(日本語版)が完成した。易の64卦とDNAをリンクさせながら活性化させる、というこのツールには、「16年間のテレクトノン」というサブタイトルが付いている。

基金へのカンパ額から、約500部の制作が計画されていたのを、マヤ暦のツォルキン(260日暦)にちなんで520部にした時点では、日航機事故との繋がりは意識されていなかった。だからこそ、後に、4枚の「預言の銘板」を含む『20の銘板』の制作部数が、事故の犠牲者の数と一致していたのを知った時には、何か計り知れないものを感じたものだった(PCUで1.23に当たる日がツォルキンでKIN241=自分の銀河の署名であると知った事も含め)。そして、その時の4名の生存者の一人が、カワカミさんなのだ。松本さんが何故、急にそのコピーを見せようと思われたのかは聞きそびれてしまったが、少なくとも上記のような暦活動の背景についてご存じないはずだ。23年と9日前に、123便にトラブルが発生した相模湾上空を見渡せる場所で、思いがけず目にする事になったチケットを前に、私は静かなる衝撃を受けていた。

食後、強い日差しと共に青空が広がり始めて来たので、早速、海へ繰り出すことに。車で連れて行ってもらったのは、地元の人たちも重宝するという赤沢海岸。「赤い銀河の季節(KIN185~249)」の始まりの「3・赤い蛇」の日にピッタリの名前だ。50m程の可愛い砂浜に、ちょっとした岩場、海を見渡せる所には無料の温泉まであって(ただし日中駐車場代がかかる)、至れり尽くせりなビーチだ。この日の伊豆は、朝から肌寒く「海はちょっと無理かも」という気配だったらしいが、お陰様で程よい強さの陽射しが雲間から注ぐ感じで、ヤケドする事もなく、シュノーケリングを存分に楽しませてもらえた。海中の多様な生き物達に、普段以上に親しみを憶えたのは、「崖の上のポニョ」を観たせいだろうか。

夜は、再びテラスで恭さんお手製のご馳走を頂く。外で食べるのは本当に気持ちがよく、自然と食も進む。食べ終わる頃に小雨が降ってきたが、その後、また雲が途切れて星が見え始めて来たので、歩いて1,2分の所にある星空鑑賞ポイントを教えてもらい、満腹状態で道に寝転んでみた。東京では観られない数の星々が瞬き、人工衛星がスーッと横切って行く夜空には、ボンヤリと天の川も観て取れる。かと思うと、晴れ上がった星空が雷光で全体にパッと明るくなったりもする。何とも不思議な光景だ。しばらくすると、その雷光の源である雲があっという間に天を覆って来たので、部屋へ戻る事にした。家に辿り着いて間もなく、急に激しい風が吹き始め、雨脚が強くなった。「晴れ間」にライディングするこういう感覚も「時空のサーフィン」の一つと言えるかもしれない。

その夜、アンモナイト型のキャンドルを灯した部屋で、パイナップルを頂きながら伺ったディープなインド・チベット話は、私の記憶メモリーを大幅にオーバーする内容だったので、その辺りに興味のある方は、是非『ホテル・ガンジスビュー』他、松本さんのご著書を当たってみて頂ければと思う(つづく)。

花火大会

2008年08月16日 22:53

磁気の月22日 (G8/16) KIN180  黄色いスペクトルの太陽 (by L)

花火はねー、やっぱ音ですよ、音!
ああ江戸っ子の血が騒ぐ!

二子玉川の花火大会は、毎年同日同時刻に、世田谷サイドと川崎サイドの両方から、まるで競うかの様にこれでもか!という勢いで次から次へとドンドコ打ち上げられる。よって、空いっぱい、どこを見ても花火だらけのメチャクチャ素敵な一時間となる。私の脳内エンドルフェイン炸裂だ!

当然ものすごい人出(大勢の機動隊や警察が昼間っから警備に当たるほど)なので、昨年は軟弱にも建物から出ることなく観賞したのだったが、やっぱりこれでは手ぬるい。だいいち、見下ろす感じになってしまい、愛する花火に失礼ではないか。楽ちんだったが、私的にはこれが正しくなかったことを悟り、今年はノコノコ川原に繰り出すことにした。苦手な混雑にだって負けないわよ(といっても、家はもともと川っぺりだ。威張るほどの距離ではない)。

かくして、テキ屋のおじさんを冷やかし、芝生に山吹色のピクニックシートを広げ、豆菓子を頂きつつ、大勢の善男善女と共にキャーピー狂喜しながら花火の時間を楽しんできた。・・・これでいいのだ、大満足。つき合ってくれたDにも感謝。

ほんのちょっと気持ちを強くするだけで、人生は何倍にも楽しくなる。ほんのちょっとで良いからね。

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★花火職人さん、今年もどうもありがとう。

崖の上のポニョ

2008年08月13日 23:50

磁気の月19日 (G8/13) KIN177  赤い銀河の地球 (by L)

映画「崖の上のポニョ」を観た。

この映画、潜在意識にものすごく効く。
後から後から、幾重にも効いて来る、とても味わい深い映画です・・・観なきゃだめ!

崖の上のポニョ、登場する女性陣は(誰が誰とは言わないけれど)みな押し並べて自分自身を見ているようで、個人的に笑ってしまった。(特に足の指を自在に使えるところとか、さては宮崎監督にリモートビューイングでもされてたかしら。キャー。)

ところで、今二子玉川は、花火大会に向け街をあげて大忙しの準備中!そわそわザワザワの空気が漂っている。夕暮れ時、コーヒーをポットに詰めて河原に出ると、爽やかな風とオーロラのような雲が迎えてくれた。週末には、この空が花火で一杯に彩られる。

 

★月と一番星(左)。西の空がゴージャース(右)。

橋渡し

2008年08月13日 00:35

磁気の月18日 (G8/12) KIN176  黄色い共振の戦士 (by D)
 
2008・8・8(KIN172)の朝、仕事の関係もあって前夜から実家に泊まっていた私は、出掛けに母から「へーっ!」を連発するような話を幾つか聞かされた。どういう流れでそういう話になったのかは忘れたが、以下、手帳にメモった順に書いてみたいと思う。

私の祖父(母の父・故人)は、早稲田での学生時代、嶺さんという方と大親友になったらしく、後年、母が大学生活のため上京した際にも、よくその嶺さんの御宅に祖父からの土産物を運んだ事があったそうだ。そうした時に、何度か会った事のあるお嬢さんの一人が、何と現首相夫人、福田貴代子さんだと言う。それだけでも、かなりビックリな話なのに、その時テレビ画面には、まさに福田首相夫妻が映し出されたのだ!北京五輪開幕の日とは言え、あまりにタイムリー。しかし、これはまだ序の口だった。
 
話はさらに母の小学校時代へと遡り、1年から3年まで同級生だったチエコちゃんという人の話題になった。何でも、最近本家(盛岡の「ござ九」という雑貨屋さんで、NHK連続テレビ小説の76作目に当たる「どんと晴れ」ではロケ地にもなったらしい)に、そのチエコちゃんが久しぶりに訪れたとかで、7/6消印の母宛のハガキに、その事が書かれていたのだ。7/6と言えば、ダライ・ラマ法王14世(KIN14)のお誕生日。「13の月の暦」で1月14日(1・14→1・魔法使い→KIN14)に当たる日に、こんな話を聞く事になるのも面白い。
 
さて、そのチエコちゃん(と母の立場で呼ばせて頂くが)、聞けば、すえもりブックスの代表、末盛千枝子さんその人だと言うではないか!これには、「何だってー!」と声を出して驚いてしまった。なぜなら、私は、この出版社から出されている皇后美智子様のご講演録『橋をかける-子供時代の読書の思い出』を、数年前に行われた映画『マザー・テレサ』のロイヤルプレミア(美智子皇后ご臨席)の時に、参加者プレゼントとして頂いていたからだ。しかも、このロイヤルプレミアを主催したベルテック社は、仕事で扱わせてもらっているVIVOという水の製造・販売元であり、ちょうど実家にも、その数日前、ニューボトルが届いたばかりだったのだ。
 
それだけではない。すえもりブックスは、ダライ・ラマ法王のご縁で繋がった写真家の松本榮一さんとも(間接的に)関係があり、以前、松本さん宅を訪れた時に、その話題で盛り上がった事があるのだ。そんな状況で、半ば興奮したまま実家を後にしたのだが、日中の仕事を終えて自宅に帰った後も、さらにシンクロは続いた。LSD映画に刺激を受けて急に手に入れたくなった『現代人のためのチベット死者の書『アネモネ9月号』の見本誌が届いていたのだ。
 
死者の書』は、ユマ・サーマンの父で著名なチベット仏教学者のロバート・サーマンが解説したもので、ゾクチェン独特のリズミックな言い回しが何とも言えず、思わず声に出して読みたくなってしまう名著なのだが、何と、その口絵は、松本さんによるタンカ絵写真で飾られていたのだ!しかし、そもそもこの本は、LSD映画を観なければ、このタイミングで手にする事は無かったものだ。振り返ってみれば、あの映画に行くきっかけをつくったのは、『ダライ・ラマ ハートフル・メッセージ』を翻訳された鈴木さんだった。彼女がハワイの情報を求めていた事から、Lが友人のあまねさんと連絡をとったことで、直前に上映情報を知ったのだ。こうしてみると、ここでも法王にご縁を繋いで頂いているのがよく分かる。
 
ちなみに、『アネモネ』の方は、「受難と祈り、チベットを知る夏」のイベント情報を提供した事と、拙著『シンクロニック・ジャーニー』がプレゼントコーナーに掲載されている関係で送って頂いたものだったが、拙著の終盤には、松本さんと私が、中高時代の友人の裕君を通じて繋がった事が記されているので、やはりこのタイミングで届いたのは無関係とは言えまい。松本さんは、昨年、伊豆に引っ越しをされて、その後、何度かお誘いを頂いていたにも関わらず、なかなかタイミングが合わないまま今に至り、この夏、ようやくご新居に遊びに伺う予定が立った所だった。だから、尚更、このタイミングに、こんなシンクロを体験している事が面白く思えるのである。
 
ついでなので、『死者の書』シンクロをもう少し。この本が届いたのは、私が実家にいたKIN171(8/7)の夜だったのだが、このKINは、私達の結婚記念KINで、2004・4・29のKIN171からちょうど6スピンが経過したタイミングだった。LSDの開発者ホフマン博士は、今年の4/29(昭和天皇誕生107周年)に102才で他界されたのだが、そのホフマン博士の映画がきっかけとなって手に入れる事になった『死者の書』がKIN171に届くところが、また味わい深い。この日、ネットでは、ツタンカーメンの墓で(1922年の時点で)見つかっていた2人の胎児のDNAを鑑定する、というニュースが報じられてもいた。
 
私達がツタンカーメンの墓を訪れたのは、今年の3/3(KIN14=ダライ・ラマ法王)。そして、同日、新拠点マザーシップにお引越しした芳美さんのところで、オープニングイベントを行ったのが、ホフマン博士の他界した4/29であった。映画の事を伝えて下さったあまねさんは、この時のイベントに参加して下さってもいたのだ。『死者の書』と言えば、エジプトかチベットかと言われる位、世界的に有名になったその起源の場所が、日常体験の中でこうして繋がってくるのだから、興奮せずにはいられない。
 
ここで、もう一度8/8に戻ろう。五輪開会式を控えたこの日の早朝、北京では、面子にかけて晴天を維持するため、1104発もの消雨弾が放たれたという(余談だが会社事務所は1104号室)。同じ頃、日本では、皇太子様が、富士山に初登頂を果たされていた(20年前に8合目までは行かれたものの悪天候で引き返されているとか)。皇太子様の銀河の署名は「白い惑星の世界の橋渡し(KIN166)」で、現在の道筋は「1・世界の橋渡し(KIN6)」。安倍前首相の銀河の署名と同じである。五輪開会式への招待が打診されていた皇太子様が、このタイミングに日本の霊峰の山頂を極められた事に、私は特別な意味を感じている。
 
しかもそれが、中国に対して毅然とした(というか、普通にまともな)態度を取れた唯一の首相とも言える、安倍前首相の道筋の時に成された事にも、深い意味を感じざるを得ない。それが、美智子様のご著書『橋をかける』を強く意識させられた日の出来事であった事も・・・。そもそも「世界の橋渡し」は、惑星ホロンで日本のエリアに対応している上、キーワードは「死」「等しくする」「機会」である。この夜、五輪開会式に合わせて、世界中でキャンドルが灯されたのは、チベット問題を忘れない心ある人々の連携が、今も続いている証拠だ。そこにはもちろん、先のロバート・サーマンも関わっている。
 
今年の11/4、ダライ・ラマ法王はまた来日され、北九州で講演をされる。私達がこの春エジプトに行く事になったのは、昨年の11/4にツタンカーメンのミイラの顔が、一般公開される事になったのがきっかけだった。ダライ・ラマ法王が初めて伊勢に参拝されたのは2003年の11/4であり、私の父が他界したのは2001年の11/4である。縁起を担いで8の並ぶ日に行われる事になった北京五輪の開会式を観ながら、私は、「橋渡し」の象徴としての「死者の書」や「ミイラ」について、思いを馳せていた。日本は、そして私達は、これから何と何を橋渡しして行く事になるのだろうか。

ダブル・レインボー

2008年08月11日 17:30

磁気の月17日 (G8/11) KIN175  青い律動の鷲 (by D)
 
長崎への原爆投下から63年、ホフマン博士LSD開発者)の生誕から144銀河スピンに当たるKIN173、結晶写真マエストロmasaya(江本氏の許で共に仕事をしていた)から、久しぶりのメールが届いた。近況と共に添付さていれた動画には、バイカル湖での祈りの直後(2時間後位)に出たという、ダブル・レインボーが映し出されていた。有志で行った瞑想時にも手応えは感じていたが、こういう分かり易い形で大自然からの反応が得られると、やはり嬉しいものだ。
 
もちろん、「偶然だ」と考えたい人はそれでいいだろう。全ての出来事に意味を与えるのも与えないのも、その人の自由だ。私はただ、このブログを通じての呼びかけに賛同し、共に祈って下さった皆様に、「こんな素敵な事があったらしいよ」という事を伝えたいだけだ。今回のイベントは、ロシアの映画撮影も絡んでいたようなので、そのうち、より詳しい情報や映像がまた入ってくるだろう。
 
この日、私は、KIN164(銀河の同期)から読み始めた『ハワイの秘法(zelo limits)』という本を、ちょうど読了したところだった。著者の一人、ヒューレン博士の伝説的偉業については、1年以上前にネット経由で耳にしていたが、本書を通じて改めて強い衝撃と刺激を受けた。これは、新体道における心身のゼロ化や、ウォーターセラピーでの感情エネルギーの中和などとも深い相関性を持っているように思えるので、別な機会に本腰を入れてまとめてみたいと思っている。
 
動画を目にした日の前日、つまり北京五輪が開幕したG8/8、手元に届いた『アネモネ9月号』のトップは、江本氏による水の結晶写真の特集だった。そこには、バイカル湖の事も、ヒューレン博士の事も書かれていて、とてもタイムリーだったのだが、その日は、他にも嵐のようにシンクロの波が押し寄せていたせいで、今こうして書くまで、この事を忘れていた程だった。それくらいのシンクロがあったという予告だけして、ひとまず、この記事をUPするとしよう。

キャンドル・フォー・チベット

2008年08月08日 01:44

磁気の月14日 (G8/8) KIN172  黄色い電気の人 (by L)

8月8日、北京オリンピックの開幕に合わせ、世界中でチベットのためにキャンドルを灯そう(キャンドル・フォー・チベット)という運動がある。

数日前、このイベントの案内メールが、私たちの友人であるチベット人のP&D夫妻からも届いた。彼らの日本語表現、少しだけ誤りが有るけれど、以下そのまま転載します。(っていうか、読んでみてよ、すごいでしょう? 数年前まで日本語ゼロだった人の文章にはとても思えないよ。)私が、彼らについて素晴らしいな、と思うことの一つは、単にチベットやチベット人を助けて!という姿勢ではなく、全ての人権問題を解決しようという視点から働きかけているところ。

*****以下転載*****

日本人の皆様、毎日が暑いです。この暑さに負けないようにみんなが日々元気にお過ごしだと思います。

いつも、チベットのご支援とご協力を心より感謝しております。オリムピックが目の前に訪れてきています。その中でチベット問題の解決はどのぐらいできらかを心配しています。世界中が立ち上がれない限り中国は変わらなければ人権問題や人間性は悪化する一歩(L注:一方)です。ですので、世界を立ち上がろ!という姿勢はまずオリムピックの日に合わせて「キャンドルフォアチベッ」が行われます。ご都合のつける方は8月8日夜9時からキャンドルライティングが行われますのでご参加くださいますよう、よろしくお願いします。お経をとあげながら、お祈りをしながらロウソクをともします。お家のいる方はご自宅でキャンドルライティングをよろしくお願いします。詳細については、www.candle4tibet.org を検索してください。どうぞ,およろしくお願いします。

With warm regards, P&D

*****転載ここまで*****

ところで、私たちは先週末、彼らの主催するモモ・パーティーに招かれて行った。このパーティーの主旨は、日本人への感謝だそう。・・・チベット人として、何かお返しがしたかったんだって。

彼らとはいつも仲良しだから「モモ作るの手伝うよ?」と申し出たのだけど、予想外にも「Thanks,でも、今回はダメ。」とキッパリ断られてしまった。モモは、招く側がゲストの為に、愛情こめて一つずつ包むものだから、彼ら曰く、ゲストが包んではこのパーティーの意味が無くなっちゃうそうだ。

しかし、この日は150人くらい集まっていたから、1000個程のモモを朝から仕込んでくれてた事になる。・・・うーむ、チベタン。やることが豪快なり。普段2人分の食事を用意するだけの私は、1000個モモの、皮作りから始まって蒸し上げる(しかもこの暑さ!)までのプロセスを想像してクラクラしつつ、彼らの温かいハートが詰まった美味しいモモを、たくさん頂いて帰ってきた。

本日8日夜9時、自宅で職場で、平和を祈願してキャンドルを灯しましょう。
英語詳細→http://www.candle4tibet.org/en/
日本語詳細→http://www.candle4tibet.org/jp/

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