2009年07月31日 22:20
■磁気の月6日 (G7/31) KIN9 赤い太陽の月 (by D)
昨年末、初の試みとして行なった「ドリームバンク・ワークショップ」は、東京、大阪共に「4・種」の年に完璧にシンクロする16名(種のコードNoは4なので、4・種→4×4=16)の方が集まって下さり、とても素晴しい場が生み出された。このイベントの大まかな構想は、既に随分前に考えてあったのだが、具体的なことが一気に決まったのは、東京での開催日(KIN256=G7/18)の数日前だった。
KIN253(G7/15)の夕方、私は、ネットニュースで「優雅に咲く古代ハス」というタイトルの記事を目にし、優しい雰囲気を持つハスの写真にひき込まれた。Lにその写真を見せると、「大賀ハスだ」と言う。私がそのハスについて知らない事を伝えると、Lは驚いた様子で、「有名なもの」という証拠を示すために、ネットで調べ始めた。その結果、あるサイトで、大賀ハスと似たような背景を持つ「ツタンカーメンのエンドウ豆(※1)」というものを見つけ、興奮気味に知らせてくれた。
KIN253(G7/15)の夕方、私は、ネットニュースで「優雅に咲く古代ハス」というタイトルの記事を目にし、優しい雰囲気を持つハスの写真にひき込まれた。Lにその写真を見せると、「大賀ハスだ」と言う。私がそのハスについて知らない事を伝えると、Lは驚いた様子で、「有名なもの」という証拠を示すために、ネットで調べ始めた。その結果、あるサイトで、大賀ハスと似たような背景を持つ「ツタンカーメンのエンドウ豆(※1)」というものを見つけ、興奮気味に知らせてくれた。
ところが、私はその豆を随分前に誰かにもらったことがあって(どういう経緯だったかは忘れてしまったが)、ささやかな不思議コレクションのひとつとして手元に保管してあった。Lにもとっくに話したつもりでいたが、どうも初めてだったようで、今度は別な意味で驚かれてしまった。ハスもエンドウ豆も、2000年以上もの間、種として眠っていて、それが近代になって開花したものと言われている。特に大賀ハスの方は、かなり由来がはっきりしていて、ウィキペディアにある解説を要約すると、以下のようになる(実は今日調べ直していて気付いたこともいくつかあって、改めて驚かされた)。
千葉県の落合遺跡でハスの果托が発見された事を知ったハス博士こと大賀博士は、1951年3月3日(KIN9=本日と同じ!)から、ボランティアの協力を得て発掘調査を行なった。めぼしい成果が上げられないまま、翌日で調査打ち切りという3月30日(KIN36)になって、ようやくハスの実1粒が発掘され、予定を延長して4月6日にさらに2粒の実を発掘した。5月上旬から3粒の実の発芽育成を試みたところ、3月30日に出土した1粒だけが育ち、翌1952年7月18日(KIN251)大輪の花を咲かせた(※2)。
東京でのドリームバンクの開催日は7月18日だったので、ちょうど57(52+5)年前のその日に、古代ハスは、2000年以上の時を経て開花したことになる。しかも1952年と言えば、パカル王の墓が開いた年。確認してみると、墓が開いて33日目が開花のタイミングだった。3粒の実(種)といい、「3・嵐」の年の締めくくり(時間をはずした日は「3・夜」→3・3だった)にふさわしい数字が並んだ。しかも、大賀ハスはその後株分けされて日本全国に広まり、このシーズンには各地からそのニュースが報告されているにも関わらず、私が目にしたのは、福島県いわき市にある白水阿弥陀堂(1952年に国宝に指定されている)にあるものだった。
さらに、大賀ハス(そのものではないが)の放射線年代測定は、何とシカゴ大学で行なわれていた。オバマ大統領とイチローがシカゴで出会ったのは、大賀ハスのニュースを目にした日の前日のKIN252(G7/14)。「13の月の暦」の提唱者の一人、ホゼ・アグエイアス氏が学び、博士号を取得したのもシカゴ大学。架空の人物ではあるが、あのインディ・ジョーンズもシカゴ大学を出ていることになっている。ちなみに、インディは、ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターとも幼少時にエジプトで出会っている事になっている。
話をKIN253(G7/15)に戻そう。「4・種」の年の元旦(G7/26)に、NHKスペシャルでツタンカーメンの事が放映されることを知っていた私達は、このタイミングで「ツタンカーメンのエンドウ豆」に繋がったシンクロを重視して、その種を手に入れ、「ドリームバンク」の参加者に配布しようと決意した。とはいえ、東京の開催日は3日後に迫っていたので、間に合うかどうかは分からなかった。一般に流通はしているようだが、近所のかなり大き目な園芸店でも、その種を見つける事はできなかった。ネットで遠隔地に注文した種が届いたのは、イベント前日の午後遅く。
夕方、1952年のパカルの墓の発見、古代ハスの開花、クリスタルスカル、ツタンカーメンの墓・・・これら全ての繋がりに思いを馳せながら、「ツタンカーメンの豆」と書かれた袋(育て方と由来の簡単な説明あり)のコピーを取りに、近所のコンビニに出かけて帰宅すると、10年前マヤに一緒に旅した滝元さんからメールが届いていた。その内容は驚くべきもので、翌日のイベントとも別次元で完全にシンクロしているように思えたが、長くなりすぎるので、それについては次の項で整理することにしよう。
(※1)この豆は、カーターによって発掘されたツタンカーメンの墓の副葬品の中にあったとされているが、諸説あるようで、大賀ハスのようなはっきりとした由来は明らかになっていない模様。ただ、1960年代後半に日本(日立?)に届けられたものが広がり、紫エンドウ(ツタンカーメンの豆)として流通するようになったようだ。
(※2)発掘調査が始まった3/3からピッタリ5年後、オンム・セティは、カイロからアビドスへと列車で移住した。そのぴったり52年後、私達は、ルクソールからカイロへと同じ線路を列車で逆向きに移動した。種が見つかった3/30の57年後、つまり今年の3/30、私達はトックリヤシの種を注文している。そして来年の3/30は、古代ハスの開花とシンクロするKIN251となる。
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