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大晦日から銀河の同期へ

2009年12月31日 16:29

律動の月19日 (G12/31) KIN162  白い律動の風 (by D)

2009年の大晦日、いかがお過ごしでしょうか。今年の(グレゴリオ暦の)年末年始は、「13の月の暦」から見ても、注目ポイントが沢山あります。まず、本日KIN162(6・風)は、月の「音」と日付の「音」がシンクロする「魔術の亀の日」ですが、「時間の法則の20の銘板」によると、今月(律動の月)全体もKIN162に対応するので、「超魔術の亀の日」とも言えます。クリスマスや年末年始を含む「律動の月」が、大晦日に圧縮シンクロしているのが興味深いところです。
 
元旦は、満月かつ部分月食。そして、2013年の「時間をはずした日」(G7/25)と対応するKIN163(7・夜) が巡ってきます。「豊かさを夢見る」「呼び起こす」というキーワードが、2010年という年を象徴することになるのかもしれません。
 
さらに、翌2日は、KIN164(8・種)。「13の月の暦」をはじめとする銀河ツールの全てが、その目標点としている「銀河の同期」=2013年7月26日から、ピッタリ1300(260×5)日前に当ります。また、非常に象徴的なことに、12/27~1/2までの1週間は、「20の銘板」では、コドン(易の卦)64に対応し、「準備」という名が付いています。あるいは、この日の過ごし方が、2013年7月26日以降の私達の在り方の「種」になるかもしれません。
 
fuji

という訳で、皆さま、HAPPY HOLIDAYS!

いつも本当に有難うございます。
皆さまのご多幸をお祈りしています。
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2011年と異星人

2009年12月27日 01:14

律動の月14日 (G12/26) KIN157 赤い磁気の地球 (by D)
 
2009年もいよいよ終盤、間もなく2010年を迎えようとしている。「2012年に世界が終わる」という映画をはじめ、様々なメディアでネタとして取り上げられる機会が増えた事もあって、一般にも「マヤの予言」とか「マヤ暦」が広く(かつ相当誤解された形で)知られるようになった。だが、私は今、その手前の2011年に、ちょっとばかり注目している。
 
それはもちろん、私自身がカール・コールマン博士の『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』という、ダイレクト過ぎるタイトルが付いた本に関わったからでもあるが、実は、それに前後するタイミングで、面白いシンクロがあったのだ。話は、コールマン博士の本を翻訳された白川さんのお誕生日(電気の月18日=KIN77=G10/7)にまで遡る。台風18号が2年ぶりの本州上陸を果たしたこの日、私は近所の書店で、りんごの無農薬栽培で有名になった木村秋則さんの『すべては宇宙の采配』という本を手にし、一気に立ち読みしてしまった。
 
無農薬栽培に関しては、絶対不可能とされたマンゴーで既にそれを実現してしまった驚くべき人物(むしろその存在自体が驚異なのだが・・・)を直接知っていたこともあって、特別関心を抱く事は無かったのだが、上記の本には、冒頭から、時間感覚に対する非常に興味深い記述があり、思わず引き込まれてしまったのだった。中でも印象に残ったのは、複数回に渡る異星人(子供くらいの背丈だとか)との遭遇シーン。
 
宇宙船に乗せられて・・・という話はそう珍しくないとして(それが全て事実かどうかはさておき)、地球の時間を計るカレンダー(その終わりが近付いているらしい)や1辺20センチ程の三角プレートを見せられた、という辺りに、私は何か感じるものがあった。また、この時、先にUFOに乗っていた白人女性が、テレビ番組の中でアブダクション体験の証言(UFOにはメガネの東洋人もいた)をしているのを木村さんが偶々目にした、というシンクロにも興味をそそられた。
 
それから6日後のKIN83(5・夜)、『平行的な知覚に忍び寄る技術』が、翻訳をされた高橋徹さんから届けられた。青い表紙に独特な絵文字が描かれたこの本の「訳者まえがき」は、「夜見る夢は・・・」という一文から始まっている。「青い夜」のキーワード「夢見る」と完全にシンクロするタイミングに送って下さるところが、まさにカレンダー・シャーマンなのだが、著者のルハン・マトゥスもまた、カルロス・カスタネダの系譜を継ぐ現代のシャーマンだとのこと。パラパラめくって、「これは深い・・」と直観しつつも、私は適当に開いたP102にあった以下の記述に引き付けられてしまった。

「この時点で、何か奇妙なことが起こった。私から記憶が盗まれてしまったのだ。私が前庭からどのようにして自分の家の居間にもどったかの記憶だ。私は自分がそこに立っているのを見つけた。そして、三人の存在が私の目の前に立っていた。彼らの身長は、七歳か八歳の人間のそれだった。しかし、彼らの顔の記憶は、不思議にも消されていた。私は真ん中の異星人が長方形の箱を私に手渡したことを覚えていた。そして、彼がそれを開けたとき、何が箱の中にあったのかという記憶は、私の自覚的な意識からは消え去っていた。私は現段階で、情報の一部だけを回復できた。二〇一一年という年が私に残っていたのだ。私は、これが何か重要なことが起こるときだと仮定している。それは私にとっての個人的なことか、もしくは異星人が世界に彼らの存在を明らかにするときかもしれない。」
 
木村さんの本は、出版されてから既に数ヶ月が経過していたが、私は期せずして、1週間というごく限られた期間にこの二つの情報に触れた事によって、異星人と2011年というキーワードが、印象深く迫って来るのを感じてしまったのだった。さらに、木村さんの本を読んだのが、「2011年マヤ暦完了説」を唱えるコールマン博士の本の翻訳者のお誕生日だったり、私がその本の「監修者あとがき」を出版社に送ったのがKIN102で、上記のP102とシンクロしていたり、何かと2011と繋がる流れがあったことも注記しておきたい。
 
もっとも、”今”にエネルギーを注いでいる私にとっては、2011年でも2012年でも「その時になりゃー分かる」というのが正直な感想で、(他のうわさ話同様)あれこれと騒ぐのは、マスコミの扇動にまんまと乗せられているようでアホらしいとしか思えない。ルハンの本は、これまで私が触れたこの手の本の中でも、最も難解な部類に属するもので、今も格闘している最中だが、「うわさ話が人生の大切な時間を浪費させ、エネルギー漏れを起こさせる」というような貴重な教えに満ちており、徹さんがまえがきで書かれている通り、辛抱強く読み進める必要性を強く感じている。
 
ルハンが伝えるトルテック(メキシコのシャーマン)の伝統には、ヒューレン博士のホ・オポノポノ(ハワイの伝統が土台にある)や、オルガ・カリティディのシベリア・シャーマンの話を彷彿させる要素が多々あり、私は同じルーツの何かがあるのではないか?と感じていたのだが、今日、P286、287に「アルタイ山脈から来た戦士のシャーマンが、老練なナワールであるおまえの恩人にこれらの動作を授けた」とか「われわれのシステムのルーツは、東洋の奥深くにあるんだよ」という記述を見つけ、驚きつつも、深く納得したのであった。ただ、これも「今にそれをどう活かすか」という視点が無ければ、ただのうわさ話とそう変わらないように思う。「うわさ話」の本質は、過去や未来に意識を散逸させる働きにある、と言っても良いのかもしれない。

犀のワイン

2009年12月24日 23:10

律動の月12日 (G12/24) KIN155 青い水晶の鷲 (by L)

ハッピー・クリスマス!

sai

sai-2

我が家、今年は犀のワインです。
これには深い訳がありまして・・・。

続きは、冬休みに書きますね(本当か?と、隣でDが呟いています。本当ですとも!)。


皆さまもステキな時間を!
そして、ステキな人生を!

虹の柱

2009年12月22日 05:55

律動の月10日 (G12/22) KIN153 赤い惑星の空歩く者 (by D)
 
私が、『虹の階梯』という本に出会ったのは、高校生の頃だっただろうか。ラマ・ケツン・サンポ氏と中沢新一氏に導かれ、私は、初めてチベット仏教の世界に触れ、その魅力に引き込まれた。それは、実質的に私とチベットとの出会いでもあった。ニンマ派に伝わるゾクチェンの深遠な教えは、私の心の奥に、何かとても重要なものを植え付け、その種が育って行く過程で、ダライ・ラマ法王をはじめとするチベットの人々との縁も深まって来たように思う。
 
私達が、チベット人の友人、ドルマと個人的に話すようになったのは、4年前の秋、『ヒマラヤを越える子供たち』の上映会があった頃からだった。パタゴニア渋谷店での上映会の帰り道、ケツン・リンポチェの『虹の階梯』との出会いが、チベットとのご縁の始まりだったと伝えたら、彼女は興奮しながら、彼(後に夫となるペムシ)が、今まさに、そのリンポチェの元で修行しているんだと、教えてくれた(電気の月「素晴しさの伝達様式」参照)。そして、持ち歩いていたリンポチェの写真を見せてくれたりしたのだった。
 
その2年後の2007年、NPOクリカとしての活動を始動するに当って、ネパールにリサーチに行った折、ついに、ケツン・リンポチェと直接お目にかかるチャンスが巡って来た。当時カトマンズに居たドルマのお兄さんにガイドをしてもらって、カトマンズ郊外のスンダリジャルにあるリンポチェのゴンパ(お寺)でお会いしたのだ。この時の詳しい様子は、かつて書いたメルマガ記事に譲るが、帰りにゴンパの方を振り返ると虹がかかっていた事、そして、その日からピッタリ7週間(49日)後に来日され、東京でもリンポチェの法話に参加出来た事などが、印象深く思い出される。
 
そして、ほぼ一ヶ月前のKIN122(G11/21)、今年も支援している子供たちに会いに、カトマンズへ行った私達は、ちょうどインドでのリトリートを終えてカトマンズに滞在していたペムシと、タイミング良く落ち合う事が出来た。今回の滞在は、NPO活動のためだけの短いものだったが、この日の午後は、時間通りに事が運ばない可能性が高いネパールの状況を考慮して、特に予定を入れずに空けてあった。前日、ペムシから、「リンポチェに会えるかもしれないよ」と伝えられていたので、思いがけない展開に喜んでいたのだが、何かが当ったのか、前夜一睡も出来ない程に激しくお腹を壊してしまった私は、午前中の子供たちとの面会に気力で立ち会うのが精一杯で、午後はホテルの部屋から出られない状態になってしまった。
 
程なくして、ペムシから、リンポチェも急に体調を崩されて、今日は面会が難しくなってしまったとの連絡が入った。思えば、この時の身体の感じを最初に味わったのは、2002年初旬にブッダガヤで行なわれたカーラ・チャクラの時だった。その時は、儀式を執り行われるダライ・ラマ法王が体調を崩され、中止になってしまったのだが、私も完全に体調を崩し、半分以上寝て過ごした経緯がある。後から考えれば、そのお蔭で、グラーツのカーラ・チャクラに参加する事になり、後の様々なシンクロへと発展する種を受取った訳だが、ブッダガヤで苦しんでいた時には、そんなことは想像すら出来なかった。
 
結局、今回は、台湾を経由して帰国するまでにほぼ体調は回復し、その後も怒涛のシンクロウェーブに乗り続けて、あっという間に2週間が経過。KIN138(G12/7)、石濱先生のブログで、ケツン・リンポチェの体調が思わしくないので、緊急告知という形でマントラを唱える呼びかけがなされているのを知る。この時、Lが、2年前にスンダリジャルを訪れた際のことを書いたブログ記事を見に行くと、何故か、そこに添付してあった虹の写真のデータが消えていた(その前後の写真は問題なく残っているし、自分達で消した覚えも無いのに)。今だから書くが、その時、「もしかしたら、リンポチェはもう肉体を離れられたかもしれないね」と私達は話していた。
 
果たして、その2日後のKIN140、石濱先生のブログを見に行くと、12/5には逝去されていたらしいとの報が掲載されていた。この日の早朝、ソウルに滞在していたLは、太陽と同じ方向(の大分離れたところ)に短く垂直の虹が出ているのを見つけて写真に収めていた。虹の身体になったリンポチェが、チラリとその姿を見せて下さったのだろうか。12/5(KIN136)は、今年最後の瞑想カレッジで、青木先生が1年のまとめなる極めて重要な教えを伝授して下さった日であり、KIN136は、7年前、私達がオーストリアのグラーツで、最初のカーラ・チャクラの灌頂を授かった日付(満月)でもあった。夜に、NHKでハトシェプスト女王についての番組が放映されていたことも、私には、大きなシンクロのように思えたが、ここでは、それをメモするだけに留めておこう。
 
私は、2年前に2つの質問をリンポチェにさせて頂いた。一つは、先に書いたメルマガに書いてあるが、もう一つは、「リンポチェが学び、マスターされた様々な貴重な教えは、次の世代の人々に全て伝えられたと思いますか?」というものだった。リンポチェは、「はい、伝えられたと思います」とおっしゃられたので、私は、何かホッとした気持ちになって、それ以上、質問する事が思い浮かばなかった。今、私は、リンポチェの記された『虹の階梯』を読み返している。リンポチェが伝えて下さった貴重な教えを、しっかり学んで心に刻むことが、供養になるのではないかと想像するからだ。
 
私は、バルドという言葉も、多分この本を通じて初めて知ったような気がする。ひとつの生から次の生への移行期間という意味で、日本的に言えば49日のことだが、KIN136に遷化されたのであれば、バルドが終わるのは、ちょうど「13の月の暦」での1年の前半の完了ポイント(1/23)とシンクロすることになる。『知恵の遥かな頂』という本を残して下さったリンポチェの遷化が、「知恵がわき起こる」というテーマでコード化された週の完了日にシンクロしたのも、おそらく偶然ではないだろう。こういう美しいタイミングにピタッとはまってしまうのは、自然と一体化した人々の、大きな特徴の一つなのだ。日本とも縁が深く、チベットに伝わる宝のような知恵を伝えて下さったリンポチェに、心のからの感謝を捧げつつ、冬至とシンクロしたこの記事を終わりにしたい。

スープカレー

2009年12月15日 01:15

律動の月2日 (G12/14) KIN145 赤い月の蛇 (by D)
 
G暦年内最後の書法塾で、日が暮れた頃に渋谷へと向かう。道玄坂を登って行くと、見たことの無いカレーの店がオープンしていたので、「帰りはここで食べて行こう」と思わず口にする。いくらカレー好きとはいえ、何でも良いという訳ではないので、何かピンと来るものがあったのだと思う。そもそも、クラス開始前から晩御飯の場所を決めるなどというのは、私にとっては非常に希なケースなのだ。
 
帰り道、予定通りに店に入ると、かなりの人で賑わっていた。Lとタカちゃんと3人揃って「MOMOと野菜のスープカリー」というメニューを注文。「いつ開店したんですか?」とLが聞くと、「今日です」とのこと。思わず「おめでとうございまーす!」と皆で言ってしまう。店内の液晶テレビでは、ひたすらチューブをくぐり抜けて行くサーファー達の姿が映し出されている。様子から察するにハワイと思われる。
 
その事に注目した直後、「そういえばこの店、何と言う名前?」と店内を見回すと、ヒンドゥーのシバ神をモチーフにしたロゴが何箇所かにあって、よく見ると、そのシバの身体には、見慣れたデザインのマークが7つのチャクラの所に描かれている。わずかにアレンジはされているものの、持ち歩いている「13の月の暦・手帳」(こよみ屋)で確認するまでもなく、それは「7つの放射状プラズマ」であった!(テレクトノンや7:7::7:7に登場する)
plasma 
 
私がこの店に惹かれたのは、単に看板のスープカレーが美味しそうに見えたからだけではなかったのかもしれない。サーフィンの映像といい、プラズマをモロに使っているところといい、この店のオーナーか関係者の中に、おそらく「13の月の暦」ユーザーがいるのだろう。そういうバイブレーションが店全体から滲み出ていたからではないだろうか。
 
肝心の店の名前は、シャンティ(レインボー)。帰宅してから調べると、札幌から5年前に東京に上陸したお店らしい。開店記念ということで、今日は全メニュー半額だったが(ツイテル!)、通常の値段でもまた来たくなるだけの味だったし、開店したその日に見つけて入ってしまうというシンクロもあった位だから、きっとこれからも頻繁にお世話になるだろう。それにしても、「13の月の暦」とサーフィンがリンクしたカレーショップが、書法塾の会場のすぐそばに出来るなんて、何とも出来すぎた話である。

ダライ・ラマ&オバマ

2009年12月11日 02:38

倍音の月26日 (G12/10) KIN141 赤いスペクトルの竜 (by D)
 
午後、NPOクリカを通じて教育支援をしているカトマンズ在住のチベット人ファミリーから、メールが届いた。そこには、今日がダライ・ラマ法王(KIN14)のノーベル平和賞の授賞式&スピーチから20周年であり、チベット人は記念日としてそれを祝福する(なのでお休み)と書かれていたが、そういう内容だと認識したのは、もっと後になってからだった。
 
夜、難波の書店に出かけた際、思いがけず『チベット ポン教の神々』という本を見つけて手に入れた。最近のボン教シンクロの流れから、いずれ手に入れたいとは思っていたが、発行が国立民俗学博物館になっていたので、ネットで注文するか千里のみんぱくまで行った時にでも入手しようと思っていたので、非常に嬉しかった。しかも、法王の平和賞受賞20周年記念のタイミングだというのだから、縁起がいい。
 
LはLで、今日、偶然ポタラ宮がデザインされたスカーフを旅先で見つけて、それを入手したという。狙ってそうした訳ではなく、そういうタイミングに何か記念するようなものが手に入ってしまうところに喜びがある。出先から戻ってPCを開くと、今日、オスロでオバマ大統領(KIN173)のノーベル平和賞授賞式&スピーチがあったと報じられていた。賞が持つ政治的な側面はさておき、ぴったり20年のサイクルで、ダライ・ラマ法王とオバマ大統領が平和賞受賞という形でシンクロしているところに、私は希望を感じる。
 
伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度行なわれ、マヤの数学は基本20進法で、当然カトゥン(=20トゥン=7200日≒19.7年)も重要なサイクルの一つと見なされていた。おそらく、先人達は、その周期が持つ(増幅)力や働きについて、何らかの形で気付いていたのではないかと思う。ダライ・ラマ法王とオバマ大統領の間で、時空を超えて共鳴強化される「何か」に期待したい。

追伸:「13の月の暦」では、今週、KIN137(G12/6)~KIN143(12/12)は、1年52週間の20週目にあたっていた。

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