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メルマガ27号発行しました

2010年01月25日 00:39

共振の月16日 (G1/25) KIN187 青い倍音の手 (by D&L)

メルマガ【Happy シンクロ Days♪】発行いたしました。
ご登録はこちらから →http://archive.mag2.com/0000184705/index.html

以下のスナップは、メルマガのシンクロニック・ジャーニー「エジプトからの呼びかけ(6)」と合わせてご覧下さい。

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★第二チャクラに対応する、コム・オンボの神殿。

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★いつ見てもステキなマアト女神。ここの“ウジャトの目”のレリーフは最高!

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★女神セシャット。何故かヒョウのドレス。文様がモダン。
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ヘリオコンパス2010

2010年01月21日 23:59

共振の月11日 (G1/21) KIN183 青い磁気の夜 (by D)

Lの誕生日だったKIN176(G1/14)は、ほぼ丸一日外出していて、『アバター』を観て帰宅したのは夜も大分更けてからだった。宅配ボックスに入っていた縦長の箱の形状から、ヘリオコンパスに違いないと分かったものの、その日は開封する余力が無く眠ってしまった。翌KIN177、ヘリオコンパスの販売元でもあるビオ・マガジン社から「アネモネ2010年1月号」が届き、考案者の杉山開知氏の記事を目にする。「KIN177は、確か開知君の銀河の誕生日ではなかっただろうか?」と銀河ノートのメモを調べると、やはりビンゴ。
 
それに、この日(G1/15)は新月で、旧暦師走の初日。アフリカやインドでは金環日食も観られ、ヘリオコンパス2010を開封するのには、申し分無い日と思えた。開けてみて驚いたのは、昨年、既に完成の域に達したのではないかと感じていたヘリオコンパスが、さらに進化していた点だ。1兆分の1スケールの本体には、昨年よりも充実した惑星定数表や会合周期表が付され、私が「あると嬉しいなー」と思っていた、主要恒星の方位データもバッチリ記載されていた。どの惑星かがひと目で分かるよう作成された9つのピンも心憎い。
 
付録の冊子もフルカラーになっただけでなく、太陽中心と地球中心の図が毎月分掲載されていたり、1年間の惑星会合パターンが具体的に図示されていたり、もう見事という他無い。見開きには銀河系全体を上から見渡した図やヘリオスフィアの概念図もあって、銀河人としての感覚を呼び起こさせてくれる。だが、シンクロ研究を体感的に行なっている私が個人的に最も嬉しかったのは、開封したその日(1/15)から、ちょうどこの冊子が使えるようになっていた点だった。
 
2009年版のものをおよそ1年、実際に使ってみて感じたのは、太陽系の中の自分(地球)の位置を、かなりリアルにイメージ出来るということだった。地球の赤道傾斜角を意識していれば、日照時間と季節の関係などもイメージし易いし、太陽から180度の方位(真夜中)をしっかり意識していると、夕暮れ時や夜明け頃に見えている星がどの惑星や恒星なのかも、容易に把握できるようになる。つまり、自分の目で直接見ている星空と、太陽系上方から観た配置図とが、イメージの中で繋がってくるのを感じられるのだ。
 
2010年版だと、恒星の情報も日々目に入るので、より簡単にそれが楽しめるようになるだろう。人工光が溢れる東京の夜空でも、シリウスやアルクトゥルスなどの明るい恒星や、金星、火星、木星、土星などの惑星は、かなりはっきりその位置を把握することができる。星々を見る時、常に地球(自分)中心と、太陽(上方)中心の2重の視点で空間を意識できるところ、あるいは、その意識状態(ちょっとマニアックになるが、半田広宣氏の『2013:人類が神を見る日』の表現を用いれば「変換人型ゲシュタルト」的な意識)を開発できるところが、このヘリオコンパスの素晴しい点ではないかと思う。
 
「13の月の暦」を使って圧倒的とも言えるシンクロを日々感じている(といっても暦だけの働きとは言い切れないが)私は、時空間に対する物理的精緻さや正確さは、実はシンクロの体感とは直接的には関係が無いのかもしれないと思っているのだが、一方で、星々がどういう位置関係にあるのかを大雑把にでも把握しておくことは、シンクロ感覚を深める重要な要素の一つだとも感じている。特にこの1年は、毎日ピンを動かしているおかげで(こうした手作業がまたいいのだ)、夜空の惑星の動きを初めて強く意識し、おそらく古代人もあの(恒星とは違う)ふるまいを不思議に思っただろうなー、と想像することがしばしばあった。シンクロの鍵は、むしろこうした「思い」の方にあるのかもしれない。
 
ちなみに、この記事を書いている今日(G1/21)は、金星と火星が太陽に対して180度の位置にあることが、冊子巻末の会合表に記されている。占星術をやる方なら、ここから何かを読み取るのだろうが、私は「13の月の暦」と同じように、こうした運動パターンを、リズムとして心身に取り込んで行く事を優先しているので、何かに気付くとしても、もっと先になってからになるだろう。いずれにしても、ヘリオコンパス2010は、使ってみる価値のある意識変容ツールの一つだと思うし、正確な観測データに基づいているから、学校での教材などにも活用できるのではないかと思う。これだけのものを創り上げた考案者の開知くんと、チーム地球暦の皆さんに、敬意と感謝の気持ちを込めて、今年も使わせて頂くとしよう。
 
追記:現時点ではまだ準備中が多いようだが、公式サイトは→こちら

学芸大学

2010年01月15日 19:30

共振の月6日 (G1/15) KIN177 赤い銀河の地球 (by D)

1のゾロ目となった今年の成人の日(G1/11=KIN173)、午前中に時空のサーファークラスを終えて向かった先は、東横線の学芸大学駅。「古本GALLERY673ひらいし」というカフェとバーと古本屋が一体となったようなお店を、いきなり訪ねることにしたのだ。オーナーの平石さんは、『時空のサーファー』の復刊を通じてご縁が出来た方で、昨年ビックリするような出会い方をし(「予期せぬ出会い」参照)、夏のオープン前頃には、スタッフの方共々サーファークラスにも参加して下さったりしていた。

お店がオープンした後も、何度か電話でお誘いを受けていたのだが、なかなかタイミングが合わないまま数ヶ月が過ぎてしまったので、今度はこちらがビックリさせようと、直接お店に向かったのだった。が、連休中だったためかお店のシャッターは降りたまま…。美味しいコーヒーも目当てにしていた私達は、そのまま帰る訳にもいかず、駅前の商店街を散策することにした。しかし、慣れない街でピンと来るお店も見つけられず、結局スタバに落ち着くことに。

2階に上がると、Lが若い女性と何やら話している。記憶の曖昧な私は、失礼にも、見知らぬ方が「今、席空きますよ」と言って下さっているのかと思ってしまったのだが、何とその女性は、10年前にLが主催した日本初のテレクトノン勉強会(日本語版テレクトノンの完成を記念したもの)に参加して下さっていたKさんだった。Kさんは、ご近所に引っ越されていて、資格等のお勉強の時だけそのスタバに来るとのことだったが、私達はもちろん初めて。

そもそも、私は学芸大の学生だったのにも関わらず、学芸大学駅で降りたのはおそらく生涯初。キャンパスがこの地にあったのは遥か昔のことで、武蔵小金井に移転後、駅名だけが残ったのだ(付属の中学と高校は今もある)。そんな場所で10年ぶりの人にバッタリ会ってしまうのだから面白い。もし、平石さんのお店が開いていたらスタバには寄らなかったし、2階席が混み合っていなければLは周囲を見渡さなかっただろう。それにKさんが階段を上がった正面の席にいて、タイミング良く顔を上げなければ、目の前を通っても気付かないままだったに違いない。

不思議な事に、翌日(KIN174)シンクロニック・リーディングにいらした方のうち、お一人は、フルネームがスタバで10年ぶりに再会したKさんと殆ど同じ(音で1字違い)で、もう一人のSさんは、何と学芸大学駅がご自宅の最寄駅というシンクロ状態。関東圏から来所される方が多いとは言え、駅は何百もあるのだから、このタイミングで「学芸大駅」が出てくると流石に驚く。Lが前日の様子と「古本GALLERY673ひらいし」の事を伝えたら、リーディングの帰りに、早速その足で立ち寄られたらしい。さらに、この日の夜には、大学時代のサークル仲間のS君から、2年ぶりくらいの連絡が入った。

教師をしている彼は、教育実習を(学芸大学駅に近い)付属の世田谷中高で行なっていたはずなので、後で確認してみたらやはりそうだった。付属校は確か4ヵ所あり、必ずしも世田谷で行なうものではないし、私の世代だと半分位は教養系コースで、教員免許を取らない者もかなりいたので、学芸大駅に縁のあった友人からこのタイミングで久しぶりの連絡が入ったのには、素直に驚いた。さらに、私達は、近々別府にいる書法塾仲間(そしてアマラヴァティのカーラ・チャクラにも一緒に行った)のCちゃんに会いに行く予定があるのだが、思えば彼女も学芸大生だ。

目的を持ってある場所を訪れ、その通りに目的を果たせるのは嬉しい。しかし、そこから思いがけない展開が生じて色々な事が繋がって来てしまう方が、やはり遥かに面白い。ちなみに、10年前のテレクトノン勉強会は、テレクトノンの預言とシンクロしたKIN144で、満月の天皇誕生日だった。Sくんの用件は、サークルの30周年パーティについてのものだったが、10年前の20周年の時には、確か私も参加したような気がする。『マヤン・オラクル』の件といい、今、10年くらい前の動きが様々な形で巡って来ているのを強く感じている。

追記:20周年の時は、「参加した気がする」ではなくて「KIN20に20周年 だから参加することに決めた、と言ってたよ」とLに驚くべき指摘をされた。そこで、10年前の手帳を見ると、確かにKIN20に参加しているではないか!これには二重の驚きがあった。ひとつは、Lの記憶力の良さと正確さ。そして、もうひとつは、KIN20が本ブログ冒頭に登場した平石さんの誕生KINだということだ。10年前の私の遊びに基づく行動が、今こうしてさらなる楽しみを生み出している。平石さんや学芸大と繋がった背景には、自分でもすっかり忘れていたその遊び心が影響していたのかもしれない。

グーグルの英断

2010年01月14日 23:59

共振の月5日 (G1/14) KIN176 黄色い共振の戦士 (by D)

今日は、Lの誕生日だった。起きぬけ、目の前で鯛が釣り上がって太陽にキラリと反射する夢を見たかと思ったら、午後には思いがけず(偶然がいくつも重なり)本当に生きて泳ぐ鯛を目にしたり、朝から晩まで冗談みたいにメデタイ一日だったが、チベット語で「自由」を意味する蘭禅(ランゼン)という雅号を持つLにとって、一番のバースデープレゼントは、グーグルが中国政府の検閲を拒否して、自由に何でも調べられるようにしてしまったことだろう。
 
何しろ中国語版グーグルでは、これまで「DALAI LAMA」で検索しても、中国政府に都合の悪い(国民に知られてはマズイ)情報は一切出て来なかったのだが、何と今(おそらくKIN176から)は、そこそこまともな自由度がある国と同じくらいにズラーッと情報が出て来るようになっているのである!つまるところ、グーグルが中国政府の目に余る対応にキレて、事業撤退覚悟で情報公開してしまったという訳だ。
 
裏には色々と政治的な駆け引きなどもあるのかもしれないが、とにかく、情報隔離状態にあった中国の国民が、多少なりともマトモで多様性のある情報に触れられる機会が、今与えられているという事実は、祝福して良いだろう。この動きに、私は世界的な大変化の第一歩となる気配を感じている。今後に注目したい。
 
ちなみに、「13の月の暦」では、「魔術の亀の日」「パカルの特別な13日」「GAP(銀河活性化の正門)」と、これでもかという位にマジカルなエネルギーに満ちた日だった。映画アバターでのエイワ(ネイティブアメリカンのグレートスピリットみたいなもの)の働きのように、地球規模で聖なる力が作動し始めているのかもしれない。

マヤン・オラクル

2010年01月11日 22:35

共振の月2日 (G1/11) KIN173 赤い自己存在の空歩く者 (by D)

早いもので、2010年もあっという間に10日が過ぎた。昨年中に書こうと思いつつ、書ききれなかった話をひとつUPしておきたい。6(律動)の月6日、6・月(KIN149)の日(G12/18)は、「銀河の音」が重なる「魔術の亀の日」だったのに加えて、28日サイクルの日付も6日。さらに10連続で銀河活性化の正門(GAP)が開いている最中でもあったので、流石に面白い流れがあった。

ただ、朝から何重にもあった全てのシンクロはとても書ききれそうにないので、一日の終盤にあった出来事だけに絞らせてもらおう。この日は、横浜ナディアでのウォーターセラピーがあり、昼から夜の8時ころまで、殆どの時間セッションをして過ごしていた。最後のお客様を送りつつお店の入り口の方へ向かうと、何故かKさんとCさんが一緒にそこに居て、ちょうどオーナーのゆみこさん(11・嵐)もお店に顔を出していた。

Kさん(7・嵐)は、もともと「13の月の暦」がきっかけで10年以上前に知り合った友人で、数年前からは、歩いて数分の距離のご近所さん同士でもある。一方、Cさん(11・星)は、ちょうど1年前位のナディアでのセラピーにいらした編集者の方。別な経緯で知り合ったこの二人、何と、『マヤン・オラクル(星に還る道)』の制作でタッグを組むことになって、この日、出来たてホヤホヤのその完成品をわざわざお店に持って来て下さったのだ。私がナディアにいるのを知って、いきなり当日のシンクロで決めたらしい。

それだけでも十分なサプライズだったが、1年前にはスピリチュアルとは殆ど関係の無い出版社で仕事をしていたCさんが、スピリチュアルそのものとも言える本の出版に関わり、さらに友人と共に仕事をしていたことに、私は人の縁の不思議さを感じたのだった。というのも、Kさんが、「Cさんのおかげでやっと形になった」と口にしたからだ。確かに、この本については、既に何年も前にKさんから聞いていたし、様々な要因でなかなか前に進まない様子も耳にしていた。だから、この言葉が社交辞令的なものではないのが、よく分かるのだ(出版に関わった人物のKINを見ても、Cさんが入った方が流れが良くなるのは納得が行く)。

普段はマウイに居て、来日中もあちこち飛び回っていることが多いゆみこさんも、この日は、新しいセッションルームが完成した関係でお店に来られていた様子。つまり、その場に居合わせた3名は、皆、この特別な日に、完成を祝していた訳だ。3人の署名が、ゆみこさんの「11・嵐」を軸にして見事に繋がっているのも興味深かったが、帰宅するとさらに面白いシンクロが待ち受けていた。「3・嵐」のSさんという方から、以下のような文面のメールが届いていたのだ。

”「赤い律動の月」の年に暦に出会えてから11年。今日は私にとってシャンバラの門の前に立った、まさに記念すべき日です”

同じ日に、「3-7-11」という感覚パルサーで繋がった「嵐」(コードNo19)の方とコミュニケーションするというのも珍しい話だが、布石は既にあった。私はこの日の朝、実家を出るとき、ふと坂本龍一(KIN69=4・月)の手による「1900」というタイトルの楽譜を持って帰る事にし、カバンに忍ばせていたのだ。20年近くも前に手に入れて、そのままずっと実家に置きっ放しだったのにも関わらずだ。家族が持つ車のナンバーが19なのは前から気付いていたが、これについても、朝、改めて意識していた。

加えてこの日、私はメルマガ用の資料として、『ベロボディアの輪』も持ち歩いていたのだが、ベロボディアはシャンバラの別名でもある。ナディアの店頭で、別なシンクロがあった事を伝えるために、この本を皆に見せた時、ゆみこさんが、「その本、私達がマウイに行く時に小原さん達がプレゼントしてくれたんだよね」と言った。記憶喪失気味の私は「そうだったかな・・」とイマイチ自分の行動に自信が持てなかったが、帰宅後、Lに確認しつつ過去の手帳を見ると、確かにその通りだった。

しかも、もともとこの本のハードカバー版を私達に貸してくれた(結局、そのまま頂くことになったのだが)Mさんが、この日、フットケアでわが家に来る予定だった事も判明(実際にはキャンセルで来られなかったがそんなに頻繁に来られる訳ではない)。S(3・嵐)さんは、こちらのそんな状況を一切知らずにメールを下さったのだ。そこには、最近ヒューレン博士(ハワイの秘法を伝えている)に会ったことも書かれていたが、上記の通り、ナディアはハワイとの繋がりも深い。

こうして振り返ると、無意識の領域で、まさにベロボディアの輪が形成されているかのような一日だったが、「赤い月」(コードNo9)の日に、「青い嵐」(コードNo19)のエネルギーがこれだけ活発に迫って来たのは、どういう流れだったのだろうか。共に、テレクトノンにおける「太陽の預言的な流れ」と「銀河のカルマ的な流れ」の完了ポイント(Ω)の位置にあることを考えると、やはり「完了」とか「完成」と関係があるような気がする。また、反対KINが持つ「挑戦」の関係性が、律動の魔術の亀の日がもたらす「つり合わせる」という働きによって調和的に包み込まれ、挑戦が釣り合って完了したというイメージも浮かぶ。

話は前後するが、この日、『マヤン・オラクル』の完成を祝って、KさんCさんと晩御飯を食べる事にした店は、私と同じ1969年に誕生した店だった。この数字にも、嵐(19)と月(69)が表現されている。後から気付いたが、この時、坂本龍一(KIN69)の「1900」という楽譜を持っていたことは非常に興味深い。だが、大魔術の亀の日は、これでもまだ驚かせ足りないらしく、さらなる話題を提供してくれた。何と、その数日前に行なわれたカール・コールマン博士のレクチャーで配られた資料の翻訳は、Kさんが行なったというのだ。

もちろん、既に様々な分野で活躍し、特にスピリチュアル系では引っ張りだこのKさんだから、確率的にありえない話ではないのだが、『マヤン・オラクル』とコールマン博士の資料の入稿日が同じ日だったというのは、やはりタダごとではないだろう。ちなみに、『マヤン・オラクル』は、マヤ暦を応用したセルフリーディングツールであり、暦として使うものではない。しかし、そのメッセージは興味深く、活用法は幅広い。私は、実際に使った経験がまだないので、内容について何かを述べる事は出来ないが、著者のアリエルが、冒頭でホゼ・アグエイアスらの仕事に対し敬意を払い、参考にしたことを明言しているのには好感が持てる。

また、Kさんの翻訳が、バランスのとれた素晴しいものであろうことも、容易に想像がつく。翻訳においても、用語や考え方の引用においても、どこまでが本来のもので、どこからが個人的見解(意見)なのかをはっきりさせることが重要だと、私は思う。そこをうやむやにして、個人的見解をあたかも元々あったものかのように伝えている人に、本質的に美しい者はいない。Kさんはその点、とても誠実だと思うし、アリエルにも同様の印象を私は抱いた。

ところで、これはあくまでKさん側からのみ聞いた話ではあるが、ヴォイスの堀社長にコールマン博士の情報(存在)を伝えたのは、リサ・ロイヤルを通じてその情報を知ったKさんだったとのこと。結局、十数年前にアグエイアス夫妻の「13の月の暦に替える平和の運動」に関わった時のご縁が、今、様々な形で輪を広げつつ、繋がりを取り戻しているように感じる。高橋徹さんが翻訳された『平行的な知覚に忍び寄る技術』、Kさんが翻訳された『マヤン・オラクル』、そして私が監修した『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』がほぼ同時期に出版されたのも偶然ではないだろう。

Cさんは、以前ボン教のことでブログに書いた『スターピープル』のVol31もおまけで下さったのだが、そこには、徹さんが翻訳された本の著者、ルハン・マトゥスの名前の由来も記されていた。セバスチャンからファン・マトゥスまで7代続いた系譜の、3代目と7代目のナワールの名前を授かっているのが、ルハン・マトゥスだという。彼がその系譜に直接的に関係があるのか、あるいは何代目に当るのかはわからないが、「3-7-11」というパルサーを意識した一日に、こうした情報を目にした事実に私は意味を感じる。

この魔術的な1日から3900日(=260×15=10年ちょっと)前の「赤い律動の月の年、赤い律動の月の日」(ある意味これも魔術的な日)、私は、パレンケの碑銘の神殿の上で「テレクトノン」をプレイした。洒落のつもりでやったことだが、こうしてみると、やはりあるタイミングにある行為をすることは、繋がりある未来の時間に、特別な影響を与えるのかもしれない。この記録的とも言える長い記事を途中まで書きかけて出かけた今日も、また約10年前と繋がる面白いシンクロに出会った。それについては機会を改めるが、時間の周期性は様々なスケールで働いているということを実感する、今日このごろである。

2013年はこれだ!

2010年01月03日 03:01

律動の月21日 (G1/2) KIN164 黄色い銀河の種 (by L)

13の月の暦では、今日(G1月2日)はKIN164/黄色い銀河の種。これは、言わずと知れた2013年の7月26日、銀河の同期とシンクロするKIN。こんなタイミングに行われた箱根駅伝で、今年も柏原竜二選手が見る者の度肝を抜く爆発的な走りを見せてくれた。

私、彼のブっちぎりな走りっぷりだけでは無く、彼の思いきり気の強いところ、ケロケロとあっけらかんとして用意周到なところが大好きなのだが、注目すべきは何といっても彼の発言であろう。

何故そんなに最初から飛ばすのか?と問われば、
「その方が楽しいから。」


どうすれば山登りでこんな走りができるのか?との問いには
「楽しめるようになれば。」


・・・こういっては何だが、未だ20歳の男の子だよ?

「強いほうが楽しい。」
「走っている間、本当に楽しかった。」
「この緊張感がたまらなく楽しい。期待されて幸せ。」

「作戦なんて考えて無い。誰かが前に見えたら抜くだけ。」
「マークされていても関係ない。全部抜いてやるという気持ちで走った。」
「最初から、負けない気持ちをもって走ることが自分の強さ。」

・・・もう、どこまで行ってもこの人の口から出てくるのは「楽しい」ばかり。
そして、フツーに考えたら困難に思える事を敢えてやってやるぞという挑戦。それを楽しい事に変えてしまえる勝ち気さ((ポジティブで心配無用な態度)こそ、彼の一番の強みかも。私たちも、「できない」と思い込んでいるだけで、ホントはできる事がたくさんあるかもよ?
自分にとっての「楽しい」感覚が本気でつかめていたら、なーんの心配もいらない。他人が何と言っても煩わされずに勝ち気で行こう!

結論。
2013年は「楽しい」で決まり!

ちなみに柏原竜二選手、私と同じKIN231(自慢)。
そして2013年には私もカレンダーラウンドを迎える。

★自分用メモ:
・日テレ「ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎2010」で伊勢と出雲。こちらもそろって2013年にご遷宮。

・タイガー・ウッズもKIN231。今時たーくさんの愛人がいる有名人なんてそうそういないからこれも自慢して良いと友人に励まされた。

ダブル大吉

2010年01月01日 20:46

律動の月20日 (G1/1) KIN163 青い共振の夜 (by D)
 
平成22年、明けましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
元旦から、個人的にかなり興奮することがあったので、気分が盛り上がっているうちにブログを書くことにしよう。ここ数年、初詣は近所(等々力)の玉川神社への参拝が定着しつつあったのだが、今年は飯田橋にある東京大神宮へ行ってみることにした。きっかけは、昨年末の書法塾発表会の少し前に、何かの冊子で、「東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建された」という情報を見かけたことによる。
 
毎年、発表会をさせて頂いている会場のすぐ近くに、そんなお宮があったとは知らなかったので、会期中に是非ご挨拶をという話になっていたのだが、その時は時間的に余裕が無く延期に。しかし、例年お世話になっている土地にあって、しかも、天照皇大神、豊受大神はもとより、造化三神、倭姫命までお祀りされているとあっては、そのままお参りしない訳にも行かない。さらに、千代田区富士見2-4-1という住所を知ってしまったからには、今年の初詣で訪れないという選択肢は、既に無かったのである。
 
それはもちろん、自分の誕生KINが241だということもあるが、伊勢の遥拝殿でありながら、出雲との繋がりも感じさせる数字(出雲では2礼4拍手1礼)がそこに見られたからでもあった。伊勢(天津神)、出雲(国津神)の両方の遷宮がシンクロして行なわれる2013年まで残すところ3年、「銀河の同期」(正確にはその直前の時間をはずした日)まで1300日というタイミングで訪れるのにピッタリだと思えたのだ。
 
出掛けに、二子玉川駅の郵便局出張コーナーで、年賀状と共に天皇陛下御即位20周年の切手シートを入手。正午過ぎに飯田橋に到着すると、神宮に向かう参道は既に行列状態。天皇・皇后両陛下が登場したという今朝のLの夢の話(切手を買った時点では思い出せていなかった)について聞いたり、本も持参していたので、退屈はしなかったが、多分1時間近くは並んだと思う。その間耳にした、付近の人々の会話によれば、テレビ放映の関係で、例年以上に人が来ているという話だったが、それ以外にも沢山の人が訪れる「仕掛け」があるのを私は感じた。
 
列に並ぶ所では、白袴の青年がホカロンを無償配布し、手水舎では手拭用の紙を配布する巫女さんがいて、門をくぐると宮司さんが頃合を見計らって参拝前のお祓いまでしてくれる。さらに、参拝後には、赤福や白鷹までもがふるまわれるというサービスぶり(プチ断食中だがありがたく頂いた)。下衆な言い方をすれば「商売上手」ということになろうが、参拝者が喜んだり嬉しくなったりすることを積極的に行なう精神は、素直に素晴しいと思う。奉仕する側に立ってみれば、準備から何から労力のかかる大変なことをしていると思う。
 
肝心の参拝を無事済ませ、恒例のおみくじを引くと、めでたいことに二人揃って大吉(1番と11番)。「引けぬなら、引くまで引くぞ大吉を」という歌(詠み人知らず)を、ここ最近聞かなくなったという事は、Lがほぼ一発で大吉を引いているのは間違いないが、二人揃ってというのはあっただろうか?と振り返ると(お財布に入ったままになっていた)、何と、ぴったり260日前のKIN163(2009・4・16)に、世田谷の松陰神社で、やはり二人揃って大吉を一発で引いていた事が判明!この時は、私が22番でLが12番。
 
G暦元旦(律動の月20日)が、前年の4/16(惑星の月13日)の260日後に当たるという事、また、日付が20:13になっている事に、今回初めて気付かされたが、松陰神社での22番大吉が、平成22年元旦の大吉(松が枝に・・・という表現あり)へと繋がっていると思うと、非常に興味深い。いずれにしても、KIN163は非常に縁起の良い日あり、今日から1300日後の2013年7月25日も、おそらくめでたい日になるということだろう。
 
ここから先は、さらに数字マニアな話だが、自分のために書いておきたい。260日を隔てて引いた大吉の番号は、私が22と1で合計23。Lが12と11でやはり合計23。「13の月の暦」では、明日までが第23週に当たり、伊勢神宮(内宮)へと至る道は、国道23号である。23+23=46(7・世界の橋渡し)となるが、今日、東京大神宮内で配布されていた「むすひ」という冊子(平成22年版)の特集は「橋」で、表紙は昨年11月3日に行なわれた宇治橋渡始式の様子だった。
 
G11/3は、「13の月の暦」の元旦(G7/26)からちょうど100日目(13・種の日だったので20日周期に慣れていると割と簡単に気付ける)で満月。今日(元旦)は、そこからさらに2回進んだ満月である。伊勢神宮(内宮)の所在地は伊勢市宇治館町1、東京大神宮は千代田区富士見2-4-1。元旦にKIN241の私がおみくじで1番を引いたのは、神社同士の繋がり、満月のシンクロ、そして自分の本籍地のことを思えば、自然な流れだったようにも感じられる。この随神な感じで、平成22年もつらつらと進んで行きたい。
 
皆様にとりましても、この一年がますます素晴しい年となりますようお祈り申し上げます。

★平成22年賀状(今年は2種)

2010  

 npokulika

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