2010年02月22日 22:02
■銀河の月16日 (G2/22) KIN215 青い共振の鷲 (by D)
先日、「22・2・22」の記事にも書いたが、『ジャガーの智恵』で紹介されているキチェ・マヤ族の数え方では、今日から「11・鹿」という新しい一年が始まった事になっている。1週間ほど前にも別な元旦を祝ったばかりだが、めでたい事は何度あっても良いし、今日は我らが師の2度目の22歳の誕生日(この意味は上記22・2・22参照)でもあるので、一日楽しく祝って過ごしている。
ところで、『マヤン・カレンダー2012』で採用されている暦も、キチェに伝えられているものをベースにしているので、ツォルキンの数え方は全く同じなのだが、年の始まりはG暦4/3の「12・マニク」となっており(マニク=鹿=手)、『ジャガーの智恵』よりもピッタリ40日遅く元旦が巡って来ることになっている。ちなみに、ここで言う元旦とは、365日を数えるハアブカレンダーでの初日「0ポプ」のタイミングを指す。
何故、このようなズレが生じたのかは不明だが、気になったので、いくつかの観点から調べてみることにした。長期暦で現在の13バクトゥン(約5125年)が始まったのは、「4アハウ・8クムク(クムフ)」という日であることは、マイケル・コウの『古代マヤ文明』などアカデミックな情報をひもとくと、ほぼ確定しているのが分かる。
長期暦の数え始めとマヤ文明の始まりが一致するかどうかは別な話であるが(日本書紀にとんでもなく古い日付が登場するように)、考古学者が特定したように、仮に、BC3114年8月11日(8/13説もある)を「4アハウ・8クムク」とし、それを土台にツォルキンとハアブを数え始めたとすると、結果は『マヤン・カレンダー2012』に書かれている通り、2010年4月3日に、「12マニク・0ポプ」となり、ハアブの元旦が巡ってくる。
さらに確認の為、前出『古代マヤ文明』P35の「信頼にたる資料とされているランダ司教の記述では、長期暦よりは単純なマヤの暦法で、約52年で一巡するカレンダー・ラウンドが、ユリウス暦の1553年7月16日に完結した・・・」という記述を元に、この前後に「0ポプ」が来るのは、どちらの数え方なのかを検証してみた。どの時代で調べても、『マヤン・カレンダー2012』の対応表と同じ結果になる暦変換サイト(注:時代が遡るとユリウス暦からしか変換できない)でこの日を調べると、「3ポプ」であったことが分かった。
従って、記述とは3日ほどズレはあるが、『ジャガーの智恵』の数え方よりは、かなり近いと言える。なぜなら、ジャガーとマヤン2012は、ほぼ100年前までの比較ができるのだが、そこでもハアブでの40日のズレの関係は変わっていないからだ(つまり、450年前でも関係性は変わらないと見なせる)。うるう日を入れないまま1年を365日で数え続けるハアブでは、およそ450年をさかのぼると、ざっと数えても、元旦の日付が今より100日(3ヶ月)以上後(夏寄り)になる。
他の角度からも検証するために、『マヤ神話―チラム・バラムの予言―』P218前後の、スペイン人がユカタンにやって来たころ(1513~1553年)で、G暦7/26に元旦が来るタイミングを探ってみた。何故7月26日したかというと、『13の月の暦』の元旦は、アグエイアス夫妻が明らかにしている通り、このチラム・バラムの書をひとつの参考にした側面があるからだ。
まず、幅広い時代でユリウス暦とグレゴリオ暦の変換が可能な「換暦」というサイトで、1513~1553年を変換をすると、そのどこでもグレゴリオ暦7/26は、ユリウス暦の7/16と対応することが分かる(当時は10日差、現代でそれを行うと13日差となる)。そこで、ユリウス暦7/16で「0ポプ」となる年を、先の暦変換サイトで適当に行うと、1540~1543年で一致することが判明した。
ややこしい話になってしまったが、つまり、BC3114年8月11日に長期暦を「4アハウ8クムク」で数え始め、そのままズーっとうるう日に関係なく(つまり季節や太陽位置との関係を無視して)数え続けると、スペイン人がユカタンで多くの時間の智恵を焚書してしまった1540年頃は、グレゴリオ暦換算で7月26日にハアブの元旦があったことになるのだ。そしてそのままの数え方と今日まで続けると、ハアブ元旦は4/3となるという事だ。
『ジャガーの智恵』は、グァテマラ・キチェー地方のフィールドワークから生まれた本なので、ハアブにおける40日のズレは、その地域での実際のカウントを示している可能性と、著者による勘違いの可能性とがある。前者の場合は、長い歴史の中で、情報が一部混乱した結果なのかもしれないし、もともと最初から今のままだったのかもしれない。ただ、ツォルキンの数え方については双方一日のズレも無く一致しているので、混乱があったと見る方が自然では無いかと思う。
ところで、そのG4/3がキチェのツォルキンの数え方で「12・マニク」となるのは、非常に興味深い。「12・マニク」=「12・手」、つまり一つ前の記事のタイトル「青い水晶の手(KIN207)」と同じになるからだ。実際には、「13の月の暦」と「キチェ・マヤ」のツォルキンの数え方に、現在48日のズレがあることから生じる出来事なのだが、一方は今年の旧暦やチベット暦の元旦と、もう一方は、マヤ暦の(伝統のひとつの)元旦とシンクロしているのが面白い。
先日、「22・2・22」の記事にも書いたが、『ジャガーの智恵』で紹介されているキチェ・マヤ族の数え方では、今日から「11・鹿」という新しい一年が始まった事になっている。1週間ほど前にも別な元旦を祝ったばかりだが、めでたい事は何度あっても良いし、今日は我らが師の2度目の22歳の誕生日(この意味は上記22・2・22参照)でもあるので、一日楽しく祝って過ごしている。
ところで、『マヤン・カレンダー2012』で採用されている暦も、キチェに伝えられているものをベースにしているので、ツォルキンの数え方は全く同じなのだが、年の始まりはG暦4/3の「12・マニク」となっており(マニク=鹿=手)、『ジャガーの智恵』よりもピッタリ40日遅く元旦が巡って来ることになっている。ちなみに、ここで言う元旦とは、365日を数えるハアブカレンダーでの初日「0ポプ」のタイミングを指す。
何故、このようなズレが生じたのかは不明だが、気になったので、いくつかの観点から調べてみることにした。長期暦で現在の13バクトゥン(約5125年)が始まったのは、「4アハウ・8クムク(クムフ)」という日であることは、マイケル・コウの『古代マヤ文明』などアカデミックな情報をひもとくと、ほぼ確定しているのが分かる。
長期暦の数え始めとマヤ文明の始まりが一致するかどうかは別な話であるが(日本書紀にとんでもなく古い日付が登場するように)、考古学者が特定したように、仮に、BC3114年8月11日(8/13説もある)を「4アハウ・8クムク」とし、それを土台にツォルキンとハアブを数え始めたとすると、結果は『マヤン・カレンダー2012』に書かれている通り、2010年4月3日に、「12マニク・0ポプ」となり、ハアブの元旦が巡ってくる。
さらに確認の為、前出『古代マヤ文明』P35の「信頼にたる資料とされているランダ司教の記述では、長期暦よりは単純なマヤの暦法で、約52年で一巡するカレンダー・ラウンドが、ユリウス暦の1553年7月16日に完結した・・・」という記述を元に、この前後に「0ポプ」が来るのは、どちらの数え方なのかを検証してみた。どの時代で調べても、『マヤン・カレンダー2012』の対応表と同じ結果になる暦変換サイト(注:時代が遡るとユリウス暦からしか変換できない)でこの日を調べると、「3ポプ」であったことが分かった。
従って、記述とは3日ほどズレはあるが、『ジャガーの智恵』の数え方よりは、かなり近いと言える。なぜなら、ジャガーとマヤン2012は、ほぼ100年前までの比較ができるのだが、そこでもハアブでの40日のズレの関係は変わっていないからだ(つまり、450年前でも関係性は変わらないと見なせる)。うるう日を入れないまま1年を365日で数え続けるハアブでは、およそ450年をさかのぼると、ざっと数えても、元旦の日付が今より100日(3ヶ月)以上後(夏寄り)になる。
他の角度からも検証するために、『マヤ神話―チラム・バラムの予言―』P218前後の、スペイン人がユカタンにやって来たころ(1513~1553年)で、G暦7/26に元旦が来るタイミングを探ってみた。何故7月26日したかというと、『13の月の暦』の元旦は、アグエイアス夫妻が明らかにしている通り、このチラム・バラムの書をひとつの参考にした側面があるからだ。
まず、幅広い時代でユリウス暦とグレゴリオ暦の変換が可能な「換暦」というサイトで、1513~1553年を変換をすると、そのどこでもグレゴリオ暦7/26は、ユリウス暦の7/16と対応することが分かる(当時は10日差、現代でそれを行うと13日差となる)。そこで、ユリウス暦7/16で「0ポプ」となる年を、先の暦変換サイトで適当に行うと、1540~1543年で一致することが判明した。
ややこしい話になってしまったが、つまり、BC3114年8月11日に長期暦を「4アハウ8クムク」で数え始め、そのままズーっとうるう日に関係なく(つまり季節や太陽位置との関係を無視して)数え続けると、スペイン人がユカタンで多くの時間の智恵を焚書してしまった1540年頃は、グレゴリオ暦換算で7月26日にハアブの元旦があったことになるのだ。そしてそのままの数え方と今日まで続けると、ハアブ元旦は4/3となるという事だ。
『ジャガーの智恵』は、グァテマラ・キチェー地方のフィールドワークから生まれた本なので、ハアブにおける40日のズレは、その地域での実際のカウントを示している可能性と、著者による勘違いの可能性とがある。前者の場合は、長い歴史の中で、情報が一部混乱した結果なのかもしれないし、もともと最初から今のままだったのかもしれない。ただ、ツォルキンの数え方については双方一日のズレも無く一致しているので、混乱があったと見る方が自然では無いかと思う。
ところで、そのG4/3がキチェのツォルキンの数え方で「12・マニク」となるのは、非常に興味深い。「12・マニク」=「12・手」、つまり一つ前の記事のタイトル「青い水晶の手(KIN207)」と同じになるからだ。実際には、「13の月の暦」と「キチェ・マヤ」のツォルキンの数え方に、現在48日のズレがあることから生じる出来事なのだが、一方は今年の旧暦やチベット暦の元旦と、もう一方は、マヤ暦の(伝統のひとつの)元旦とシンクロしているのが面白い。
上記の流れを振り返ると、古代マヤ暦(「13の月の暦」を商用にパクったものではなく現地で今も使われている伝統の暦)は、そのままでは使いにくい側面もあるのが分かるだろう。例えば、グレゴリオ暦での誕生日(太陽の位置、季節が一定)を基準に、毎年そこに入ってくるツォルキンの日付を辿ると、キチェの方法では、4年毎に全然別系統の日付(13暦用語だと異なる地球家族)が入って来てしまう。そういう意味では、52年周期の人生の流れを読むのには、「13の月の暦」方式の方が明快と言える。
マヤ暦に限らず、全体のどこか一部分だけを切り取って色々語る人が多いが、全体像を見ると、どの暦にも利点と不便な点が混在しているものである。それを知った上で、どの暦をどういう意図で選択するかが、意味ある暦の使い方を生むのではないかと思う。閏日にツォルキンの流れをストップさせると(前日の続きで数えたりすると)宇宙との繋がりが絶たれる、というようなことをコールマン博士は本の中に書いているが、かなり誠実な人である(実際会ってみての印象)博士が、しっかり実験もしないでそんな事を言ってしまったのは、少々安直だったと思う。
私が、10日スパンでも10年スパンでも変わらず、圧倒的なシンクロを天地人々の間に体験し続けているのは、そして、それを検証し続けて来られたのは、そのストップさせる方の数え方でのことなのだ。逆に言えば、キチェの数え方ではシンクロしているのに気付けない現象が多々あるということだ。しかし、私はこれをもって、伝統的な数え方が宇宙と繋がっていないなどという主張をしている訳ではない。
あるツール(暦)に意識を合わせれば、それに見合ったシンクロとリアリティを体験するというだけの話だ。私がキチェの伝統暦をメインに使えば、その中で、やはり様々なシンクロを感じることだろう。いずれにしても、全ては使い方ひとつなのだ。今日をせっかく元旦だと知ったなら、それがどの伝統のどういう数え方であれ、祝って楽しく過ごしたらいい。少なくとも、私はそうして様々な暦の情報を、生活の中に「楽しくするために」取り入れている。
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