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バリさまさま・7

2010年09月30日 01:29

■電気の月10日 (G9/29) KIN174 白い倍音の魔法使い (by D)

「13の月の暦」元旦G7/26(KIN109)に届いた、山川夫妻のメルマガには、8/19(KIN133)にバリのサヌールで講演をされるという情報が掲載されていた。日中、みんぱく友の会入会後、初めて届いた『季刊民族学』が133号だったのと見事にシンクロ。友の会に入った動機については過去記事に譲るが、7/19(KIN102)に、民博の長野泰彦先生の「チベット ポン教の神がみ」という講演を聞きに、立川に行ったことだけはメモしておこう。
 
翌G7/27(KIN110)は、上野・谷中のギャラリーTENに、この日から始まった宮本神酒男さんの写真展「夢幻シャーマン」を観に行く。もともとは、その翌日か翌々日に行くつもりでいたのだが、面白そうな対談があると知って、急遽初日に行く事に決めた。コンパクトな会場には、WEBサイトで見ていた超絶風景の数々が所狭しと展示してある。
 
その後、スライドを観ながらのトークの中で、往路、自分達のすぐ後を歩いていたのが田口ランディさんだと知った。作家なのは知っているが、私にとっては、文庫版『ベロボディアの輪』に手記を寄せていた人という認識なので、ここで会うのは面白いと感じた。途中からは、『ダライ・ラマに恋して』のたかのてる子さんも駆けつけられ、狭い空間なのにやたらと密度が濃い。
 
終了後も会場に残って、サイトにも掲載されていたサヌール在住のバリアン等について、宮本さんに色々とお話を伺う。実際に現地で会えるかどうかは別にして(住所などが曖昧なので)、このタイミングにディープなシャーマン研究家から直に話を聞けたのが、何よりの収穫だった。ちなみに、この日対談をされた宮坂さんという研究者も、ラダックのシャーマニズムに詳しい方で、色々と興味深い事を教えて下さった。
 
8/1(KIN115)、大阪のチャクラでの暦のクラスの後、所狭しと並んでいるアジア雑貨の中に、バリ風の絵があるのを発見して(というか前からあったので気付いて)、オーナーに聞いてみると、何と昔住んでいたこともあるし、今も親戚の家が現地にあるのだとか。よく見たら、もっと巨大なバリ絵画が、視界のずっと上の方にも飾られていた。色々と不思議な体験もされているようだったが、時間も遅かったので、またゆっくり聞かせて頂くことにして、その日は店を後にした。
 
8/2(KIN116)、数年ぶりに国立民族学博物館の八杉佳穂先生を訪ね、マヤ暦について気になっていたことを、色々と教えて頂く。研究室に向かって回廊を歩いていると、向こうから先の立川の講演会でお目にかかった長野先生がやって来られ、研究室に入って行かれた。お連れの方と会話している最中で、距離的にも微妙だったので会釈しかしなかったが、人が殆ど歩いていない研究棟の廊下でバッタリ再会するとは奇遇である。
 
しかし、かなり沢山の部屋がある建物の中で、八杉先生と長野先生の研究室がお隣同士であることの方が、もっと面白い偶然かもしれない。ついでだからこれも書いてしまうが、今日届いた「みんぱく」という小冊子によると、G12/4に八杉先生が「マヤ暦について―2012年まであと1年」という講演を、民博でされる模様。関西圏でこのテーマに興味がある方には、是非、参加することをお薦めしたい。学術的に正確な情報(そして巷に流布している情報のデタラメさ)を知る、良い機会となるだろう。
 
バリとは直接関係の無い(しかし実は重要な)話も混じって、また長くなってしまったので、今回はここまで。次回は、いい加減、バリの旅そのものに入ることが出来ると思うので、お楽しみに(つづく)。
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バリさまさま・6

2010年09月26日 02:28

■電気の月6日 (G9/25) KIN170 白い磁気の犬(by D)

秋分を過ぎてやっと季節に見合った気候になって来たが、こちらの話は猛暑へ突入するG7/14へ。G7/25(KIN108)にカレンダーラウンドを迎える並木芳美さんから、「当日の集いで108について何か話して欲しい」との依頼を受ける。それなりに話は出来るだろうが、何か面白い事ないかなー・・・と思っていたら、ちゃんとそのために準備されたかのような出来事に巡りあった。
 
ひとつは、7/18(KIN101)に見た「環水平アーク」という現象で、KIN104に「虹の鳳凰」という記事でも触れたが、ネットで調べてみると「環水平アークは、天頂を中心とする円の太陽に近い側の方位角にしておよそ108°しか見えない」とのこと。美しい現象の上、ばっちり108が入っていたので、「まさに当日のお話にふさわしい」と早速採用決定。雲の形も美しかったので、当日芳美さんにはその写真をプリントしてプレゼントすることにした。
 
もうひとつは、前日の7/24(KIN107)になってからのこと。この日は、剣武天真流の審査会があり、会場で、『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』(カール・コールマン著)の翻訳者、白川さんと久しぶりに顔を合わせた(ここでも稽古仲間なのだ)。思えば、そこからピッタリ365日前のKIN2に、大阪で鍼灸院を開業されたばかりの松山さん(新体道仲間)を訪ね、バリ料理のお昼をご一緒した直後、白川さんから携帯に電話を頂いたのがきっかけで、コールマン博士の本に関わる事になったのだ。バリの流れはこのころから既にやってきていたのかもしれない。
 
その夜、翌日のスピーチのメモをしていた時に、Lが「ジュリア・ロバーツの銀河の署名って何だろう?」というので、調べてみると、何と1967年10月28日生まれのKIN108!!私にスピーチを依頼した芳美さんと同じ(しかも翌日がその日)で、さらにコールマン博士の本のタイトルともシンクロしている日付。加えて、ジュリアが初来日する8/17(KIN131)は、そのコールマン博士の本の発刊日=2009年11月30日(KIN131)から、正確に260日が経過した日であることも判明。何だかすごい事になって来た。
 
おまけに書いてしまうと、『食べて、祈って、恋をして』の文庫が手元に届いたのは、8/14(KIN128)。冒頭に「この本の成り立ち あるいは、109個の数珠球」という文章があり、この本が数珠にちなんで108話のエピソードからなること、そして輪の外にある109個目の数珠が特別なものであることなどが書かれていたが、まさかそんな構成だとは知らなかったので、当日のスピーチでは、ジュリアがKIN108だということだけ伝えていた(それだけでも十分反響はあったが)。
 
時間をはずした日」(この1年の締め日)がKIN108(7/25)で、その翌日のKIN109(7/26)から「13の月の暦」での新年が始まったことを思うと、このタイミングでの文庫化、映画化というのも、見事という他無い。だが、そうしたタイミングに、さらに個人の特別な誕生日や、バリ行きを自然と重ねてしまうところが、ヘビーカレンダーユーザー(時空のプロサーファー)のシンクロ力なのかもしれない。
 
それに、KIN108もKIN128も星の紋章の日付で、そのキーワードは「美しくする」だ。KIN131(1・猿)も、「13の月の暦」では金星(ヴィーナス)軌道に対応するから、もうこの展開は美しくなるしかないのだ。バリ行きが決まってから知った映画や小説、そしてその主人公を演じるジュリアが、こうも完璧に絡んでくるとは思わなかったが、私達が旅に出る時はいつも、大抵このくらい分かり易い形で勢い付けられるのである。(つづく)
 
※このバリの流れでも多くの結びつきを生み出して下さった青木先生(新体道創始者、剣武天真流宗家)の天真会事務所は、KIN108まで西荻窪のマンションの108号室にあったのだが、元旦と共に、近所の別な場所にお引越しされた。特に意識されていた訳ではない(確認済)のにも関わらず、自然にシンクロしてしまうところが流石である。

バリさまさま・5

2010年09月22日 02:22

■電気の月2日 (G9/21) KIN166 白い惑星の世界の橋渡し(by D)

時空の間隙を縫って、今日『食べて、祈って、恋をして』をパパッと観て来た。冒頭からクトゥ・リエさんのお家が出てきて、何だか懐かしい気持ちにさせられたが、手帳を見れば、まだほんの22日前(KIN144)の出来事。ご本人も奥様も役者さんが演じていたが、しゃべり方や間合いは(そして歯の無いところも)、まさにご本人そのもので、映画の本筋とは別なところでも、たっぷりと楽しませてもらった。
 
昨日Lが書いたように、この映画ついては(そしてその原作の小説についても)、バリに行くことを決めてから後付け的に知ったのだが、主演のジュリア・ロバーツが来日した直後、かつ映画の公開直前というタイミングにバリに行く事になったので、私達にとってこの映画は、今回の旅を味わい深いものにする、スパイス的な働きをしてくれた、とも言えるのである。実際、このタイミングでなかったら、旅も映画も、その楽しみは半減していたことだろう。早すぎても遅すぎてもダメなのがシンクロの醍醐味なのだ。
 
さて、私の担当部分を「バリさまさま・2」に続いて、少し書き進めるとしよう。クトゥさんが代々続くバリアン(治療師・祈祷師)の9代目である事は、今日観た映画の中でも触れられていたが、G7/5(KIN88=私の父のKIN)に、新婚9日目のN(改宗した関係でムハンマド・ヤシン・イブラヒムという名になったらしいが永田のNってことで今後もNとする)から、やたら力の入ったヴィラの推薦メールが届いた。
 
事情が分からずに読んだ時は訝しく思ったが、程なくして、それが彼の仕事なのだと判明した。数年前にバリで始めた新しい仕事というのは、どうやらヴィラ・マネジメント&ヴィラ予約会社の経営ということだったらしい。「せっかくだから頼んでみるか」なんて気持ちも無かった訳ではないのだが、今回の旅のスタイルにはマッチしない事が明らか過ぎたので、丁重に断って、結局、Lが見つけたホテル(バリさまさま・4参照)をはしごする形となった。
 
ただ、Nはこちらのリクエスト(例えば綺麗なところでシュノーケリングしたいとか)に対しても、なかなか的確なアドバイスをしてくれていたし、バリで少し贅沢にゆっくりした時間を過ごしたい人は、彼の会社でマネジメントしているヴィラを活用してみるのも、悪くないと思う。実際、最近発刊された旅行雑誌でも、注目のヴィラのひとつとして紹介されていたし、結構人気もあるようだ。
 
例のごとく、Lは電光石火の早業で、Nがメールをくれた7/5にはフライトチケットを、ダライ・ラマ法王75歳の誕生日でもあった7/6(KIN89)には、既にホテルの予約を済ませていた。ということは、ジュリアの映画について知ったのも、多分この頃のはずだ。7/10(KIN93=私の母のKIN)がNの誕生日だったと知ったのは、バリに行ってからの話だが、この日は、パタゴニア渋谷店に、ジェリー・ロペス(バリのサーフポイント開拓者)との記念ショットを受取りに行ったりもしていたのだから、面白い。
 
実際の旅の話は、まだ当分先になりそうだが、「シンクロの旅の秘密はその準備期間にこそある」という視点で、しばし楽しんで頂ければと思う。という訳で、今日はここまで(つづく)。

バリさまさま・4

2010年09月20日 01:58

月の月28日 (G9/19) KIN164 黄色い銀河の種 (by L)

今回のバリは、ウブド(山)に2泊、マンギス(海)に2泊。どちらもALILA(←サンスクリット語で、驚き!という意味なんですって。気に入った!)を選びました。

休暇でホテルを選ぶ時の基準は、こんな感じかな?
「清潔で、センスが良くて(というより好みと合ってて)、ロケーション等含めその旅の目的にかなう。更に客室規模は70室前後。」

清潔さを求めるのは当たり前だよね。説明はいらないと思います。

センスに関しては、これはもう好み。視界にストレスになるものが入らない、そういう気配りがされていることが私には大事。私ね、特に日本のホテルに泊まる時にまずやるのが、部屋の机の上に立てかけてある、各種パンフレットやお土産何ちゃらフライヤーやら、マッサージがどうたらとかその他諸々、目障りなものを、見えない所、クローゼットの中の棚上などにすべて移動すること。更に、自分が落ち着ける様、ササッと家具のレイアウトを変える時もある。(もちろんチェックアウトの時に元に戻します。)

その点、アリラは視覚のストレスになるものが一切無くて素晴しかった。どこを見回しても、建物や人工物の存在感がほとん無く、小さな備品の色彩・素材に至るまで、自然の中に溶け込み切っていて、設計者の豊かな愛情を感じたほど。

ただ、そんなこと言ったって実際に行ってみないとわからないよね。
多少はネットでリサーチもする(その副産物で、「食べて、祈って、恋をして」を知りました。)けれど、ホテルを選ぶ時は直感でいくしかない。で、いつもだいたい当たる。これは私の特技の一つかな。でもね、多分誰でも、ちょっとお部屋の写真でも見れば、背後にあるものはわかります。例えば、お薦め!と鳴り物入りで紹介されている施設でも、ベッドの真上にエアコンとか、へんてこな絵とかが設置されてたりして、どこかに違和感を感じたらアウト。残念だけれど、一事が万事そういう感じの気配りです。

客室規模70室前後が良いというのは、ものすごい独断ですが、例えば400室もある様な大型ホテルの場合は、小回りが利かない。スタッフの数も比例して増えるので、サービスの質にバラつき・当たり外れ・無駄が多い。団体が入っていて混雑が集中する時は、何かと待たされるケースもある。逆に、20室以下(高級ヴィラなどに多い)の場合は、至れり尽くせりに違いないけれど、逆にスタッフからいつも見張られているみたいで、小市民の私はちょっと落ち着かない(笑)

アリラウブドアリラマンギスともに、その辺りの加減が私にはちょうど良かった。
古いけれど、静かで良いホテルでした。

AU2
アリラウブドで、光りまみれ・緑まみれ(笑)。いつ~いつ~までも~瞑想できます!

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アリラマンギスのアクティビティーの一つ、ホテルの敷地から、バリ風の小さな舟で、スノーケリングのポイントまでプチ航海。途中、入り江の向こうに聖なるアグン山も見える。これ、はまります。

ーホテルのお話は、もう一回続く。



「チベットの少年 オロ」

2010年09月16日 21:44

月の月25日 (G9/16) KIN161 赤い倍音の竜 (by L)

「モゥモチェンガ」の岩佐寿弥監督によるドキュメンタリー作品、「チベットの少年 オロ(仮題)」の公開が来年(2011年)予定されている。

舞台は、ダライ・ラマ法王と多くの亡命チベット人が住む、ダラムサラのマクロードガンジ。殆ど平地が無い山あいの急坂の街に、チベットから逃れて来た人たちが、本当にへばりつく様に生きている。そこでひと夏の休暇を過ごすチベット少年の目を通して、岩佐監督はダラムサラの日常をどう描きだすのだろうか。

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【〈チベット人の人間関係のあり方、とりわけ大人と子どもの間に見られるあの自然で意味深い関係のあり方〉こそが、この映画で見届けたかったことである。われわれ日本社会が失ってしまった宝がそこに隠されている。〈根無し草〉の生活を強いられながら、老若男女が相互に持ち合わせている自然な共同体の意識。そこからくる生き方・・・この十数年チベットの魅力にとらわれているその理由を、わたしは映画体験のなかで確かめてみたかった。】---by 岩佐寿弥

実は、この映画のアドバイザーに名を連ねているのは、私たちの長年の友人であり、我が天真書法塾シャンバラ教室で学ぶドルマ・セーリングさん。一方、通訳・コーディネーターは、NPOクリカの活動で大変お世話になっている、ドルマさんの兄上、ツェワン・ギャルツェン氏。ツェワンさんは、現在カナダ在住で中々お会いできないが、いつもそば近くに感じる頼もしい存在だ。お二人は、きっとこのプロジェクトでも、誠実な素晴しい働きをされたことと思う。

チベットの少年 オロ」、只今製作支援者募集中です。
支援者の名前は映画クレジットに刻まれ、完成試写会に招待して頂けるそう。
公式サイト→http://www.tibetnoshonen.com/

バリさまさま・3

2010年09月14日 18:09

月の月23日 (G9/14) KIN159 青い電気の嵐 (by L)

さて、バリ行きを決めたらどうする?
そう、まずは日程。

二人揃って、何も予定の入っていない期間を探すのは、一週間程度とはいえ結構むずかしいのね。(余裕があれば、出発はKINいくつの日にしようか等も、いっくらでも言い出したいところだが、今回は空いている日程が最優先!)手帳と睨めっこして「ええい、ここよ!」と決めてしまおう。ちなみに、ネパールやチベットでは、慣例として(笑)、驚くなかれ、たとえそれが仕事であっても「後から入った予定が優先される」ことも多いらしいし、その日の気分が優先されたりもするらしい。でも私達はそれはしない。
当たり前。約束は約束だ。

次に、飛行機とホテルを押さえる。
短期の旅の場合は、フリータイムのパッケージツアーも使えそうだが、結局は自由度が低くなるのがわかっているので、最初からパス。飛行機は、時間的な効率を最優先すれば、デンパサールまで乗継無しの直行便だ。となるとガルーダとJALのどちらかね。(東南アジアのどこかの都市で乗り換えれば、デンパサールへのルートは沢山ある。時間的な余裕があれば、いくつかの街でストップオーバーしつつの旅も楽しいだろう。)

私たちは今回、JALを選んだ。
選んだ理由は単純で、ただ応援したかったから。もちろん、私たちが乗ったからといって、経営状態を良くする為に著しい貢献ができるなどと言うつもりはないが、日本人としては、やっぱりJALには元気でいてもらいたいんだよね。正直な所、私はJALの国際線に乗る機会は普段も殆ど無く、今よりも頻繁に飛行機に乗っていた頃も、アメリカ系キャリアにばかり乗ってきたよ。でも、それはアメリカ系が好みだったからでは全然なくて、JALが高嶺の花だったから。

ちなみに、JALデンパサール直行便は、2010年9月末で一旦撤退とのこと。Dの現地の友人達も、やはりそれは淋しいと話していた。そりゃそうだ。JALに勤務される方にコッソリ伺ったのだが、就航のラスト1ヵ月、
今までの感謝として『鶴の恩返し』ではないけれど、乗務員の方々がクーリエとなって、皆で集めた本をバリ島日本語学校に届けておられるとのこと。(もちろん、仕事としてではなく個人の行為として。) 現地の日本人の方々にとっては、JALが毎日バリ島に飛んでいたことが、何かしらの安心につながっていたはずだ。これは、企業が果たせる以上の役割であろう。これからは、チャンスがあればJALに乗らせてもらおうと思う。

ホテルの話は次回ね。

バリさまさま・2

2010年09月12日 03:14

月の月20日 (G9/11) KIN156 黄色い宇宙の戦士 (by D)

最初のバリの波から10日後のG6/13(KIN66)、宗教民族研究家の宮本神酒男さんのサイトに、写真展「夢幻シャーマン」の案内が掲載されているのを発見。数年前からちょくちょく見に行くようになり、特に2010年に入ってからは、ボン教やシャンシュンなど、自分が注目している事柄と見事にシンクロする形で情報を提供して下さるのを感じていたのだが、ついに、バリアン(バリのシャーマン)のことまでUPされるに至ったので、「これはいよいよコンタクトを取らなければ」と思っていた矢先のことであった。

サイト上では連絡する方法が見つけられなかったので、即写真展行きを決定(と言ってもまだひと月以上先の話だったが)。この日は、2001・3・10(KIN66)に芦屋で行われた山川亜希子さん・野崎ゆりかさんとのジョイント講演(背景については、拙著の冒頭部を参照)からツォルキン(260日暦)が13回巡り、2006・11・20(KIN66)のNPOクリカ設立からは5回巡ったタイミングでもあったので、それらとの繋がりを保ちながらも、何か新しい時間の流れに入って行く気配が感じられた(実際、後に山川夫妻のメルマガと絶妙なシンクロが起こる)。

それから6日後の6/19(KIN72)、渋谷での瞑想カレッジに参加した後、伝説のサーファー、ジェリー・ロペスにあいまみえる機会があった(その時の様子は「瞑想の達人」にまとめてある)。この時、手に入れた『SURF IS WHERE YOU FIND IT』にも書かれている通り、ジェリーは、バリのサーフスポット開拓者の一人としても、その名を知られている。従って、このタイミングに出版記念で来日した事もまた、私にとっては、バリからのメッセージにように感じられたのだった。

月が満ちた(部分月食)6/26(KIN79=1・嵐)、今回のきっかけをつくってくれた永田新クン(以降Nとする)が、パートナーの出身地・ジャワ島で式を挙げていた頃(結婚の宣誓をした瞬間、地震が起こったらしい)、私達は、パシフィコ横浜でダライ・ラマ法王の「幸せの本質」という講演を聞いていた。これも、なかなか味わい深いシンクロだが、後に聞いたところによると、Nがイスラム教に改宗したのは、2010・2・6(4・嵐)とのこと。改宗も結婚も、知らずに「嵐」の日を選んでいるとは、偶然にしても「抜け目の無いヤツ」である。

なぜなら、19番目の紋章である「嵐」は、「13の月の暦」のコンテクストでは、アラーと結び付けられていて、「テレクトノン」のボード上にも、「嵐」の日付のところに「真実の日アラーの慈悲の力」としっかり記されているからだ。詳しくは、パン・ジャパン・ライブラリーに譲るが、おそらく、コーランが114(19×6)章からなり、74章30節には「19がその番をする」(岩波文庫『コーラン』井筒俊彦訳より)と記されていることなどが、根拠になっていると思われる。余談になるが、この日入手した新しいシューズは、偶然にもインドネシア製であった。

その3日後の6/29(KIN82=4・風)は、ダライ・ラマ法王の生誕75年を祝う記念行事として砂曼荼羅の制作が始まった相田みつを美術館に足を伸ばした。このとき行われた大橋力さん(=芸能山城組の山城祥二氏)の講演は「感性脳を飛翔させるチベット仏教の美」というタイトルだったが、もともとバリのガムランを深く研究している方でもあるので、当然、バリの音楽や芸術についても話が出た。これが、惑星ホロンでインドネシアエリアに対応する「風」の日であったことも書き添えておきたい。
 
そういえば、この日から10日後、どういう訳か分からないが、それぞれ全く別の大橋さんという方と3度もお目にかかることになったのが、とても不思議だった。この1年、いや10年を振り返ってみても、そんなに集中して大橋さんという方に会った事は多分無いと思う。私「大典」が実際にバリを訪れるのが「橋渡し」の道筋になってから、ということを示唆していたのか・・・などというかなり強引な解釈くらいしか今のところ思いつかないが、そこまで意味探求に走る必要も無いのかもしれない。長くなってきたので、今日はここまでとする。

※本日の瞑想カレッジ(月1回)で、青木先生(KIN245)は聖書が旧約39、新約27の全66巻から成ることを話されていた。そして、6/13(KIN66)に行っていた暦のクラスにはKIN245の方が参加され、本日(9/11)クリカにいらした方の中にもKIN245の方がおられた。

※今日、書店で立ち読みした旅行雑誌には、クトゥ・リエールさんが代々バリアン(シャーマン&ヒーラー)の家系で9代目に当たるということが書かれていたが、Nの奥様が9人兄姉の9番目だとか、自分達のバリ訪問がラマダン月(9月)だったことなどに気付いたのが、911から9年目の今日だった。

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