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バリさまさま・11(ケチャ)

2010年10月31日 02:23

自己存在の月13日 (G10/30) KIN205 赤い惑星の蛇 (by D)

KIN145(G8/31)の朝は、実に幻想的だった。アユン渓谷から湧き立つ霧が、濃緑の谷間をゆっくりと流れて行く。前日は見えなかった遠くの山々も、澄んだ空の向こうにくっきりとその姿を現してくれている。辺りが明るくなるにつれ、鳥や獣達が美しいシンフォニーを奏で始め、谷の向こう側の森の上端も朝陽に照らされて輝き出した。

ubud  ubud2

あまりの気持ち良さに、そこからの展望がこのホテルの売りとなっているプールサイドで瞑想。人工音が一切しないので、目を閉じると映画のジャングルシーンのような様々な音が、あちこちから立体的に響いてくる。澄んだ空気と木漏れ日の中で何とも言えない時間を過ごしてから、そのままオープンエアのレストランへ。谷からの風を感じつつ朝食を頂く。

お天気も良いので、午前中はプールでのんびり過ごす事にしたのだが、中国系のカップルが結婚式用の装いで撮影を始める。台北でも見かけた事があるが、どうも景色の良いところで記念写真を撮りまくる風習があるようだ。専属の撮影スタッフが「5分だけ」というので待っていたら、延々30分以上も続いて呆れてしまった(お昼のチェックアウトの頃にも衣装を変えつつ他の場所でまだやっていた)。

夜には、同じ系列のアリラ・マンギスに移動するのでホテルに荷物を預け、シャトルバスでウブド中心街へ。目の前の大木の名前がそのまま店の名となっているブヌテで少し遅めのランチ。どうも店が通路にもなっているようで、やたらと人が店内を通り抜けて行く。その後、街中でタクシーをつかまえて、11世紀頃の遺跡と言われるゴア・ガジャへ。遺跡もそれなりに面白かったが、個人的には、真ん中にそびえ立つ「聖なる木」と、裏手で見つけた隠れ田圃と、出口に居たニシキヘビを首に巻いたおじさんがの方が印象に残った。

待っていてもらったタクシーで最初の場所に戻り、街中を散策しつつ買い物タイム。通りの入口に仏陀像のあるジャラン・ゴータマは、地元の人たちがのんびり暮らしている感じが残っていて味わい深い。ケチャが行われるタマンサリ寺院の目の前にあるKedaiCafeで軽く夕食を済ませてから会場へ。

ケチャは、チャッ・チャッッ!とかけ声を掛ける号令者や、ずっとウーニャ・ムーニャ・ウーニャ・ムーニャを繰り返す人がいたり、チャチャチャチャ・チャチャチャチャと激しくやっていたかと思うと、突如ガクッとうなだれてフン・タッタッタ、ウン・タッタッタとなったり、集団で行うリズムと人の声の力が織り成すダイナミックな変化が何とも面白い。

ケチャに続いて登場したのは、小学生くらいの女の子二人。トランス・ダンスということらしいが、踊りの順番はきちんと決まっていて、ある場面になると必ず二人揃ってバタッと倒れて、そこに僧侶のような人が現れて聖水をかけると、またムクッと起きて同じ踊りを繰り返すのだった。そのおぼつかない感じがまた可愛らしいのだが、これくらいはっきりやってくれると、「やっぱり演出もあるのね」と納得できる。

しかし、その後に続いた、成人男性によるファイアー・トランス・ダンスは演出とは言えない迫力があった。まず中央にヤシの木の皮を集めて小山をつくり、そこに油をたっぷりかけてから点火。かなり大きな炎が立ち昇り、一番前の席にいた私達の所にもその熱が伝わって来る。そこに既にトランスに入っていると思われる男性が、木の馬に跨ったような格好(実際は自分の足で立っている)で登場。広場の端に集まっているケチャメンバーのリズムに合わせて炎の周囲をグルグル巡っていたかと思うと、突如中央に突進してヤシの皮をそこらじゅうに蹴散らした!

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最前列にいた人々はどよめき、私達の右隣にいた子連れの親子は子供をサッと抱きかかえていた。何しろ自分達のすぐ足元にも破片が飛んで来るのだ。しかも手をかざしてみるとかなり熱い。係のおじさんがほうきでその破片を中央に集めると炎が再び強くなり、男性が周囲をグルグル回った後、また蹴散らしたり中央を走り抜けたりした。都合、5,6回はそんな事を繰り返しただろうか。終了後、呆けたような顔で地べたに座っているその男性を、客が取り囲んでいるので、私もチップを持って近くに行ってみた。

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全身にかなり汗をかいていて、足はススで脛の辺りまで真っ黒になっている。本人に確認すると、触ってもいいとのことだったので、軽く指で足裏を押してみたりもした。角質でカチカチになっているのかと思ったら、そうでもなくて、普通に柔らかい足だったし、やけどや水ぶくれがあるようにも見えなかった。よく「火渡りは実際は大して熱くない」などと解説する人がいるが、間近で熱の強さを感じた身としては、「他のものはいざ知らず、これは特殊なトランス状態に入ってないと無理だろう」という印象を受けた。

奇しくも、この日は2番目の月の「2・蛇」の日。「挑戦」を意味する音「2」がダブルで効いている魔術の亀の日で、「蛇」のキーワードは「生命力・生き残らせる・本能」。まさにそんな感じのものを一日の締めに見せてもらった気がした。興奮冷めやらぬ感じで寺院の外に出ると、アリラホテルの車が荷物を載せてちゃんと迎えに来てくれていた。そのままウブドに別れを告げて、マンギスへ。暗闇に浮かぶ星空を楽しんでいるうちに、45分ほどで到着。道が空いていたせいもあるが、想像よりずっと早かった。おそらく日中ではこうは行くまい。

この日の紋章とシンクロする105(1・蛇)号室に入ると、品のあるネコが窓の外のテラスにどこからともなく現れて、私達を出迎えてくれた。波音の聞こえる部屋でラップトップを開くと、『LOVE & THANKS』誌の編集長をしているS君からメールが入っていたので、その場で校正して返信。私の担当コーナーはP55で、このホテルは全55室。意味無く「これで良し」と思いつつディープな一日を終えた。(つづく)

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バリさまさま・10(ガムラン)

2010年10月29日 03:36

自己存在の月11日 (G10/28) KIN203 青い銀河の夜 (by D)

書の作品提出に追われていて、大分間が空いてしまった。今日は、このシリーズでも何度かご登場いただいている伝説のサーファー、ジェリー・ロペスの銀河の誕生日なので、そのエネルギーに乗ってバリの時間に戻ろう。時は8/30(KIN144)、ところはバリ島はウブドのお話である。

心温まる時間を過ごしたクトゥ・リエさんの家を後に、再び自転車でウブド中心街へ。帰りにどこかでお茶でもしようかと思っていたのだが、クトゥさんのところに結構長居していたようで、自転車の返却時間も近付いていたし、雨がパラついてきたりもしたので、そのまま王宮前に直行することに。幸い雨はすぐに止んでくれたが、往路楽した分、帰路は上り坂が多く、交通量もかなりあったため、Lにはちょっとしんどかった模様。大分後まで、あの時の自転車で・・・とブツブツ言われた。

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今となっては懐かしい問題の自転車(笑)。炎天下、大型バスの行交う、くねった一通を逆走させられて泣きそうだったが、ちゃんとクトゥさんのお家に連れてってもらえた。(L追記)

王宮でのサダ・ブダヤの公演まではまだ十分時間もあったので、ウブドにおけるオーガニックフードの草分けと言われる「バリ・ブッダ」へ。フルーツジュース&ヘルシーかつ美味なサンドイッチで一気に息を吹き返した。公演会場に少し早目に行ってみると、まだ人影はまばらで、舞台横に並べてある楽器の目の前(一番前)の席に座って待つことにした。開演直前には、かなりの人だかりが出来て熱気を帯びてきたが、驚いたのは演奏者が入って来てからだ。多少は楽器を前にズラすのかと思っていたら、殆ど自分の足に触れるくらいの位置にそのまま座って、ガムランの演奏が始まった。

グワ~ン!グヮグヮグヮ・グヮグヮグヮグヮ・グワヮヮヮ~~ン!!という音が、身体全体に響いて来て心地良い。斜め前にいる人が団長らしく、拍子が変わるときに、バチをクルクルっと回したりして、それとなく号令をかけている。音の渦に酔いしれるのに最高の席だったが、奏法も魅力的で、どうやら右手のバチで叩いた直後、一瞬ずれて左手で鉄琴の部分を押さえて響き方を調整しているようだ。それが、どんな高速演奏の時も守られていて見事だった。

冒頭のガムラン演奏だけですっかり満足してしまったが、続いて行われたレゴンを含む6つの演目の踊りも、もちろん素晴しかった。中でも一番シビれたのは戦士の踊りバリス。振り付けが面白いというのもあったが、きっと踊り手に才能があるのだろう、華もあるし何より踊りのキレがいい。ちょっと肩を力ませた格好でプルプル手と頭を震わせて静止していたかと思うと、クルッと一回転してパッと決めのポーズを取る。かと思うと、眼球を信じられないスピードで左右に動かしたりもするしで、すっかりファンになってしまった。

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この夜のバリスの踊り手は最高!ハートわし摑みにされたDは、帰国後もしばらくバリスの踊りを真似ていた(笑)。

もちろん、どの踊りにもガムランがセットになっていて、公演中ずっと音に浸っていられるので、それだけで殆どトランス状態。私は身体でリズムをとらずには居られない感じだったのだが、観客の殆どは動かずにジーッと見ているだけなので、それが不思議でならなかった。いずれにしても、ガムランを聴くなら、演奏者の目の前に座ることを強くお薦めしたい。大橋力(山城祥二)氏の講演を聞くまでもなく、これは身体で聴くものだと思った。
 
公演終了後の王宮前は、タクシーの客引きが多くて煩わしかったので、しばらく歩いてからゆっくりタクシー選びをした。その甲斐あって、無駄口を全く叩かないとても静かな運転手のソフトな運転でホテルへ。こういう時のLの人の選び方は見事で、まず外れることがない。たとえオーラが見えるという人でも、こういう時にパッと人が見分けられないようでは、全然実用的ではないし、そもそも見えているものが何と相関性があるのかも分からなくなる(気のせいと言われても仕方あるまい)。
 
Lも常時見えている訳ではないそうで(その日の調子とか背景の色とか諸々の条件で変わるとのこと)、こういう時も、目で見るというよりは殆ど気配で感じるらしい。私の方はもともと気配派で、ごく希に見えるというタイプだが、いずれにしても、感じることはLと近いようで意見はほぼ一致する。例えば、新体道の稽古をすると、その人の気配がグッと強くなったりするのを私は感じるのだが、そういう時はオーラも大きく広がっているとのこと。そういう検証を重ねていると、結局、色が見えるかどうかよりも、変化や場を読み取れるかどうかが重要なのではないかと思えてくる。(つづく)

メルマガ31号発行しました

2010年10月22日 00:14

自己存在の月4日 (G10/21) KIN196 黄色い磁気の戦士 (by D&L)

メルマガ【Happy シンクロ Days♪】発行いたしました。
ご登録はこちらから →http://archive.mag2.com/0000184705/index.html

以下のスナップは、メルマガのシンクロニック・ジャーニー
エジプトからの呼びかけ(10)」と合わせてご覧下さい。

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ナイルエクスプレス車窓の朝。もうすぐGIZA~♪、GIZA~♪と胸高鳴っていると・・・

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GIZA駅到着直前の踏切風景。すごいでしょー。でも、全然おとなしい方です。このめちゃくちゃさ。だってエジプトですからね。

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GIZA駅着。終点の一つ手前。東京だと、浜松町みたいな感じなのかな。

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そして、まずは一目散にグレートピラミッドへGO!!! 数年前から、このピラミッド内部への、一日の入場者数が制限されるようになりました。(もちろん、入場料もベラボーに上がりました。)でもホントに制限しているのか? そう言って、もったいつけてるだけじゃないかしらと私は見てるんですが(笑)。ともあれ、ピラミッドは、5000年前からずーっとここにいます。

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グレートピラミッド内部、王の間。玄室です。この日一番乗りで玄室に入り瞑想を始めたのですが、空間全体がいつの間にか瞑想ルームになっていました。最初の行為が流れを作るのね。

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まけ。上:ピラミッドから振り返った駐車場風景。実は、ピラミッドエリアの入り口は街中にあるんですよ。GIZAは、窓を開けたらピラミッド、なんてお家ばかりです。 下:ちょっとばかり理解に苦しむ、典型的なエジプトギャルのファッション。でも、ヘガップ(頭の布)はきちんとコーディネート。ギャル達が撮っているのは謎の東洋人カップル(私たちのこと)。昔は、ヤバ~ン!(日本人!)としつこく声かけられていたが、今回はチャイニーズと言われまくり。(それほど中国人観光客が増えてるってこと。)そんな時は、サっと人差し指を立て、「ラッ!(ちがいます)」と思いきり振ろう。

マヤ暦と2011・2012・2013年

2010年10月18日 11:07

自己存在の月1日 (G10/18) KIN193 赤いスペクトルの空歩く者 (by D)

【関西出張特別クラス】
・12/18(土) マヤ暦と2011・2012・2013年+新体道瞑想クラス
+12/19(日)  時空のサーファークラス at チャクラ

2012年の冬至まで残すところ2年。巷には、マヤ暦やそれにまつわる予言など、様々な情報が出回っていますが、ネイティブ・マヤが使っている暦と「13の月の暦」を混同したり、長期暦とコールマン・マトリックス(コルマンインデックス)を同一視するなど、基本的なレベルで混乱が見られるものも非常に多くなって来ています。また、そうした曖昧な情報を元に、アセンションなどと絡めて色々と勝手な事を言う人も増えています。

そこで、今回のクラスでは、そのような見解にいちいち振り回されないための土台となる情報を、様々な角度から整理してお伝えしたいと思います。また、2012年(あるいはその前後の期間)を、一つの有用な機会として活用するためには、何を意識して行ったら良いのか、暦を実際に生活の中に取り入れ、時間感覚や心の変容を体験して来た立場から、検討を加えてみたいとも思っています。尚、続けて行われる瞑想クラスは、その実践編です。

ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻、カール・ヨハン・コールマン博士、ドン・アレハンドロ・シリオ・ペレス氏、高橋徹・いづみ夫妻、日本の代表的なマヤ学者・八杉佳穂博士など、錚々たる先達から直に教えて頂いた情報、さらには、『ジャガーの智恵』『マヤン・オラクル』を邦訳した友人・知人との交流や実践的暦使用者としての立場から得たものを、余すところ無くお伝えします。

マヤ暦について「本当のところはどうなの?」という点を知りたい方、日常の中で実践的に活用してみたいという方のご参加を、お待ちしています。

※トラブルで申し込み用アドレスへのリンクがしばらく切れていました。ご興味を持ってアクセスして下さっていた皆様、申し訳ありませんでした。

ガイド:小原大典(赤い共振の竜・KIN241)
「13の月の暦」提唱者・アグエイアス夫妻や、日本でのこの暦の普及に尽力された高橋夫妻らから直に学び、1998年に入門書を出版。『時空のサーファー』(ホゼ・アグエイアス著)では後書きを、『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』(カール・コールマン著)では監修を担当した他、幅広いマヤ情報に触れる機会を得る。NPO新体道・登録号令者。

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12/18(土)
【1】 「マヤ暦と2011・2012・2013年」  13:30~16:30 
【2】 新体道瞑想クラス 「ゼロになる」  18:00~19:30
会場:大阪・東梅田から地下鉄で約10分の「関目高殿駅」徒歩3分
(詳細は受付時にご案内します)
定員:
【1】 20名
【2】  6名
(両クラスとも先着順に受付け、定員になり次第締切らせて頂きます)
費用:
【1】4,000円
【2】3,500円
【1、2通し】 7,000円

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内容ご紹介
【1】「マヤ暦と2011・2012・2013年」 13:30~16:30(途中休憩あり)
・2012年はどのように特定されたのか
・各種神話との関係
・その説を世界に広めたのは誰か
・現代のマヤ人が具体的な日付を語らない理由 
・マヤ暦の種類
・日本のマヤ暦事情「運命鑑定からコルマンインデックスまで」
・2011年~2013年の注目ポイント
・飛躍の機会を十全に活用するために 
・質疑応答
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【2】新体道瞑想クラス「ゼロになる」 18:00~19:30
柔らかく動きながら深い瞑想状態に入り、本来の自分自身へと回帰して行きます。このワークによって、からだの自然性が取り戻されてくると、細胞のひとつひとつが光り輝き、肌もツヤやかになって来ます。一人で出来る心身のほぐし方、瞑想法についてもお伝えしますが、クラスでは、人と一緒に行うことによる相乗効果も体感できます。今回は特に、「ゼロになる」という感覚について探求してみたいと思っています。もちろん、このクラスのみの参加も大歓迎です。
*お気に入りのクリスタルと共にご参加いただくと、石も一緒にクリアになります。

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12/18のクラスのお申込手順:
下記項目をコピー&ペーストなさり、必要項目をご記入の上、メール(←クリック)にてお申込下さい。その際、メールのタイトルを【関西出張クラス】とご明記ください。追ってこちらから詳細案内のメールをご返送いたします。
【ご希望クラス】 参加希望クラスをお書き下さい(【1】や【1,2通し】など)
【お名前】
【〒ご住所】
【お電話(携帯)番号】
【過去の参加クラス】ある場合はお書き添え下さい。(無い方も大歓迎です。)
*お寄せ頂いた個人情報はいかなる場合においても外部へ漏らす事はございません。
*敏速な返信を心がけておりますが、通信事情等により、ごくまれにメールが届かないケースがございます。お申込をお送り頂いた後、3日間経ってもこちらから返信が届かない場合は、大変お手数ですが、再度メールをお送り頂けますようお願いいたします。

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【時空のサーファークラス at チャクラ】 12/19(日) 大阪市内(南森町・北浜)

アグエイアス夫妻によって発表された全銀河文化ツールのエッセンスが掲載されている「13の月の暦・手帳」(こよみ屋刊)。そこに掲載されている図の意味を知り、ひと通り活用できるようになると、時空の波乗りがグンと面白くなって来ます。今回の内容は以下の通り。チャイとカレーがおいしいお店「チャクラ」で行います!

◇昼の部(14:00~16:20)【13の月の暦/基本の基本を押さえる】
・マヤ暦と「13の月の暦(銀河のマヤ暦)」の関係
・2種類の誕生日
・暦のしくみと年の巡り方
・銀河の署名を導き、運命の道筋を読み解く
・地球家族 など

◇夕の部(17:00~19:00)【ドリームスペル/全銀河ツールの源】
・時間船2013を構築して乗船する
・ウェイブスペル(13の鋳型と流れ)
・パルサー、方位と色、調波配列
・惑星ホロン&人ホロンと5つのチャクラ
・ドリームスペル創世記、キンの書 など

※12/19のお申込みは下記より直接チャクラさんにお願いします。
各部、3000円+1ドリンク
→ http://www.chakra-jp.com/shop/shop_index.html

バリさまさま・9(クトゥさんの家)

2010年10月14日 20:51

電気の月25日 (G10/14) KIN189 赤い共振の月 (by D)

KIN144(G8/30)、ガイドブックでもよく取り上げられている絶景プールのほとりで朝の体操をしてから朝食。街の喧騒とは無縁のこのホテルの素晴しさは、ひらけた空と緑あふれる風景だけではない。谷間を流れるアユン川の沢の音や、様々な鳥・獣たちの美しい鳴き声、そして清冽な空気などを通じて、ウブドの森のエネルギーを直に感じられるよう、と同時に、安全性と清潔さも十分に保持されるよう、随所に配慮がなされている点にある。

王宮のある中心部へと向かうシャトルバスが午前中に出るというので、私達は、予め少し手前の場所で降ろしてもらうようリクエストした。ウブド発祥の地として知られる「グヌン・ルバ寺院」に参拝するためだ。すっかり日が高くなった寺院は人影もまばらで、殆ど貸切状態だったので、本殿と思われる場所の前で天真五相(新体道の型)を捧げてご挨拶。

しばらくすると、坂道の途中にあった学校の生徒と思われる女学生が3人やって来て、私が型を行った辺りかそのやや後方で跪いて、合掌した手に花びらを挟んで祈り始めた。その後、美しい仕草で指先をパッとはじいたかと思うと、花びらを左耳の所に挿した。その後も、3,4名の学生グループ(男子も含む)が次々にやって来ては、同じように祈ったり小さな捧げ物を祠の前に置いたり、掃除をしたりしていた。生活の中に、祈りが溶け込んでいるのが感じられて、何故か嬉しい気持ちになる。

そこからウブド王宮前の観光案内所まで、坂道を歩いて移動。大した距離ではないのだが、暑さでへばってその手前のカフェ・ロータスで冷たいものを頂きつつひと休み。夜に王宮で行われる公演(&翌日の夜のケチャ)のチケットを観光案内所で手に入れてから、近場で自転車をレンタルした。最初に向かったのはモンキーフォレスト。パンフレットに、「猿たちはこの森の主です。皆様は森の来客であるため猿たちを敬ってください」とか「餌はご自由に与えてください」と書いてあるのが新鮮だった。丁寧に扱われているためか、猿たちは人が近付いてもゆったり寝転んだり毛づくろいしたりしていて、攻撃的な気配がまるで無い。もちろん、野生動物はいつ豹変するか分からないが、基本、満たされて安心している場では落ち着いているものなのだ。
 
クトゥ・リエさんの家は、そこからさらに南。地図があればまず迷う事はないのだが、縮尺の感覚がイマイチ掴めなくて少々道を行き過ぎてしまったようだ。少し戻った広場のようなところで自転車を止めて位置を確認していると、そこにジープがやってきて真横に駐車した。降りて来たのは日本人女性で、先方から「道、わかりますか?」と声を掛けて下さった。近くに用事があって車を止めた様子だったが、何というタイミングの良さだろう。地図の見方が間違っていないことを確認し、お礼を述べて、そこから割とすぐのクトゥさんの家に向かった。程なくして、新品になったばかりの看板が見えて来た。色々改装しているらしく、女性達がひっきりなしに門前と中庭を行ったり来たりしつつ土を運んでいる。

中に入ると、ちょうど日本人の母娘が相談を終えたところだった。満足げな様子で現地ガイドと帰って行くところをLがつかまえて、謝礼をどれ位払ったのか聞き出していた(私はその時、中庭の散策をしていた)。後に、その倍以上の額が相場として書かれている本やサイトも見つけたが、そもそも寄付なので決まった額がある訳ではない。とはいえ、よく下調べもせずに行った身としては、その親子の存在はとてもあり難かった。

続いて、西欧の女性が一人、その次にシンガポールから来たインド系の夫婦が一組という状況で、マネージャーのような男性(後にクトゥさんの後継者と判明)に様子を聞くと、「本当は予約が必要だけど、今日は空いているからいいよ」と3番目で受け付けてくれた。暫くすると、NYから来たというカップル、女性一人、またカップルと客が続いたが、最後のカップルは「今日はもう一杯なのでまた明日来てね」と言われて、断られていた。見れば、受付はAM9~12、PM3~5と入口に書いてある。自分達が到着したのは4時前くらいだったから、色々な意味でちょうど良いタイミングだったようだ。

小説や映画の影響でウブドが大変な事になっているというのを知った友人Nは、「バリの人は朝がものすごく早いから、早朝に押しかけてみたらいい」等と最もらしいアドバイスをしてくれていたが、そこは適当に聞き流しておいて良かった。多分、そういう人がいるから受付時間がわざわざ門に書いてあるのだろう。もっとも、この日の午後、アポなし現地ガイドなしで押しかけたのも、私達くらいだったかもしれないが。西欧の女性が15分ちょっと位で終わったので、すぐに自分達の番だと思っていたら、次のカップルはかなり長くて、途中、クトゥさんは裏手の祠にお祈りに行ったり(どうやら決まった時間に行う日常の儀式とかもある模様)して、結局、小一時間は待った感じがする。

「最初に夫から」とLは伝えたが、クトゥさんは「いや、あんたからだ」と言って、まずLの顔から観はじめた。前のカップルと同じ手順だったので、大体観る場所は決まっているのだろう。まず、耳から始まった。「pretty」は日本語で何という?と聞くので「かわいい」だと伝えたら、その後「かわいい」を連発(笑)。多分、ニュアンスとしては「結構」とか「よろしい」という感じなのだろうが、すっかりインプットされてしまったようだ。小説にもある通り、クトゥさんは大変な勉強家で、色々と言葉をメモしながら話をされる。こういう好奇心、向学心が若さの秘訣なのだろう。

ktbali  本当に勉強家のクトゥさん。英語と同じくらい日本語も話される。初めての言葉は片っ端からメモしまくり。

その後、鼻、口、アゴと続き、全部「良し」か「かわいい」。さらに、目、まゆを観て「大変賢い女性です」。手相からは、「97まで長生きします」とか「時々感情的になります」とか「芸術家(仕事したら成功します)」と読み取る。その後、首の付け根、膝下と続いて終わるのだが、基本良い事しか言わない。前のカップルの時にも、大笑いしたりすることはあっても深刻な顔になることは無かった。外国人には意識的にそうしているのかもしれないが、もしそうだとしても、むやみに脅して怪しげなものを売りつけたりするよりずっといい。

それに、クトゥさんは、様々な国の人との交流を心から楽しんでいる気がする。興が乗ってくると、話が止まらなくなって、待っている人たちのことなどすっかり忘れてしまっているかのようだ。一期一会という心境なのかもしれないが、結局2人で40~50分は観てもらって、最後には「お手てつないで」を日本語で歌ってくれたりもして(戦時中の影響でお年寄りには日本語を解される方がいる)、とても満たされた気持ちでお別れした。また、機会があれば、あの笑顔に触れてみたい。

ktbali2 終始満面、温かなスマイル。クトゥさん、ちょっとだけヨーダに似ているかしら。

実はこの時、石があって手術がどうのという話をチラッとされていたのだが、後にある方のブログで、「結石の手術で入院中」という記事を見つけた。もう退院されて元気にされているらしいが、私達が訪れた数日後には入院していたようだし、今はもう映画も公開されて、短い滞在の中で希望通りのタイミングに観てもらうのも難しそうだ。そういう意味でも、やはり今回は滑り込みセーフだったと言える。ご縁のあったことに感謝したい。(つづく)

祝!中国初ノーベル賞

2010年10月12日 01:10

■電気の月20日 (G10/11) KIN186 白い自己存在の世界の橋渡し (by D)

ノーベル賞委員会は10/8(KIN183)、2010年のノーベル平和賞を、中国で服役中の民主活動家・劉暁波氏に授与した。もちろん、西欧諸国の中国に対する牽制という政治的な意味もあるのだろうが、どんな背景があるにせよ、中華人民共和国初のノーベル賞が、人権のための非暴力活動を展開している人物に対して送られた「平和賞」だったという”既成事実”は、21世紀初頭の画期的な出来事のひとつとして、末永く世界で語り継がれることになるだろう。中国国民の皆様に、心からお祝い申し上げる次第である。

ところで、この劉氏、ジョン・レノン(KIN114)と興味深い繋がりがある。劉氏は、中国の民主化推進を求めた宣言文「08憲章」の起草者として、2008年12月8日から拘束・隔離され続けているのだが、これはジョンが暗殺された時から、正確に28(7×4)年後のタイミングだった。そしてノーベル平和賞を受賞した翌日は、ジョンの生誕70(7×10)周年のタイミングでもあったのだ。そして、今日KIN186は、オノ・ヨーコのKINでもある。

劉氏は、1955年12月28日生まれとのことなので、KIN209(1・月)。従って、2008年に拘束された時は、まさに52才のカレンダー・ラウンドの道筋(のラスト20日)を歩んでいた事になる。ドリームスペル創世記では、「月の創世記」に入るこのKIN209のタイミングで、時間泥棒に自然の時間が盗まれた(=12ヶ月のカレンダーが誕生した)というお話があるのだが、見方によっては、未だにその影響力が残っているとも受け取れる。

だが、今回の受賞は、そうしたものを中和・反転する、大きなターニングポイントになる可能性を秘めている。劉氏のカレンダー・ラウンド(52才)から1040日、つまりツォルキンが4回巡るタイミングには、特に注目しておきたい。何故ならそれは、コールマン・マトリックス(コルマンインデックス)における「銀河地下世界」のラスト、第13天界(第7昼)が始まるタイミング(G11/3)ともシンクロしているからである。

マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった! 』のP182、183の図にある通り、一つ前の「惑星地下世界」における第13天界(第7昼)の始まりである1992年には、世界的な民主主義運動の流れのひとつの結末として「ソビエト連邦の崩壊」があった。「銀河地下世界」は、もともと、「国境の消滅、神聖な力に導かれる無政府的なユートピア、東半球の強化」などの流れがあるとされているが、その結実期とも言える第7昼の始まりが劉氏の誕生KINともシンクロしている事、そして、上記の通り、その劉氏が、ユートピアをイマジンしたジョンとの繋がりも示していることは、誠に興味深い。
 
私自身は、未来は柔軟で可変のものという立場なので、今回の件であろうと2012年の件であろうと、予知や予測をするつもりは無いが、上記のような法則性を持った周期に注目することで、そういう方向への流れが強化されるということについては、過去の様々な個人的体験からも、その可能性を強く感じている。「どこに注目するか」は、私達が想像する以上に、大きな力を持っているのである。

バリさまさま・8

2010年10月10日 01:33

電気の月20日 (G10/9) KIN184 黄色い月の種 (by D)

普段から「その時、その場でしか体験できないもの」に魅力を感じる私は、旅においても、その土地特有の何かに触れることに最も心惹かれる。それ故、「バリで何をしたいのか」と自らに問いかけてみた時も、以下のような答えがパッと浮かんで来た。

・ウブド発祥にまつわる寺院を参拝したい
・ガムラン(特にジェゴク)を間近で聴いてみたい
・ケチャを生で観たい
・複数の実力あるバリアン(シャーマン)に会ってみたい
・「食べて、祈って、恋をして」に登場するクトゥ・リエさんにも会いたい
・綺麗な海でシュノーケリングしたい

最後の一つは、毎夏騒ぎ立てることで、特にバリである必要性も無いのだが、今年は他に機会も無かったし、バリの山だけでなく海も体験したいという側面もあったので、やはり自分にとっては外せない要素だった。一方、バリ7度目というLは、「程よい大きさと質の高さを兼ね備えた宿でのんびり過ごしたい」ということ以外は、特に強いリクエストも無いようで、上記のいずれの希望にも快く賛同してくれた。

特に、音の力でトランス状態になる人もいるというジェゴク(竹のガムラン)については、大橋力さんの講演を聞いた直後だったこともあってか、色々と調べてくれたりもした。それではっきりしたのは、ジェゴクは、バリ島の西方にある村ヌガラで、スアール・アグンという楽団によって、週1回程度演奏されるということだった。移動を含めると一日仕事になるし、滞在期間の短さを考慮すると、なかなか調整も難しい。
 
しかし、さらに調べると、何と、8月初旬に年一度の来日公演があることが判明。出来れば現地で聴きたいという気持ちもあったが、上記のような事情もあったし、先にバリのバイブレーションに浸っておくのも悪くなかろうという事で、8/7(KIN121)、五反田の会場へと向かった。もともとジェゴクは、竹のガムランのうち、一番大きなものを指す言葉で、「偉大なもの」とか「奥深さ」という意味があるらしい。
 
私がジェゴクの存在を知ったのは、おそらく芸能山城組(代表の山城氏の本名が大橋氏)による「AKIRA」のサントラだったと思う。その大地からわき起こるような響きに、何か畏敬の念に近いようなものを抱いた記憶があるが、全身で体感した生ジェゴクにも、同じかそれ以上のものを感じた。冒頭、軽やかなリズムと共に会場後方から現れた楽団は、そのまま舞台へ。通路側にいたLは、ちゃっかりスウェントラ団長とも握手。
 
その後は怒涛の演奏で、後半には団員が次々トランス状態に入って2,3名がバタバタと倒れたりするありさま。ちょっとヤラセっぽい気もしたが、少なくとも一人は、「意識があったらそうは倒れられない」という倒れ方をしていたし、あの動きであの音の渦の中にいたらトランスになってもおかしくはないと思う。こちらも興奮しつつ、バリとのコネクションがより深まったのを感じた。

その後あった細かいシンクロはすっ飛ばして、いよいよ出発日の8/29(KIN143)へ。この日の朝、久々の(よく考えたら新年最初の)「千夜一夜リーディング」があった。どうやら私は、かつてバリでも色々とシャーマニックなことをやっていたらしい。ただ、検証出来るほど細かい内容では無かったので、後は現地に行ってみて、事がスムースに進むようであれば、前世のご縁のおかげかもしれない、と思うことにしよう。
 
マイケル・ジャクソンの生誕52周年(「13の月の暦」での還暦)ともシンクロしていたので、予約時にシートは52番をチョイス。7時間ほどのフライトは、読書と映画で退屈することもなくバリに到着。空港に迎えに来てくれていたバリチリのガイド・アルナワさんは、何とヌガラの出身。聞けば、お兄さんはスアール・アグンの団員で、スウェントラ団長はお母さんの親戚だとか!こういうシンクロは幸先が良い証拠だ。
 
アリラウブドに到着したのは雨上がりの深夜だったが、ライステラスを縫うように走る曲がりくねった道の先にほんのり明かりが見えてくるつくりは、なかなか幻想的だ。コドン64「準備」の週が完了する日とシンクロするようにホテルの部屋数は64、谷に面した110号室も、ギャラリーTENで宮本さんの写真展を見た日付KIN110とシンクロしていた。谷間の闇にうごめく様々な存在の気配が「ウブドの森に居る」という事を実感させてくれるのを味わいながら、移動の疲れを癒すべく身を横たえた(つづく)。

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