聖なる水の話

2010年12月23日 17:22

■律動の月11日 (G12/23) KIN259 青い水晶の嵐 (by D)

昨日、ようやく『WATER』を観に行く事が出来た。ロシア国営テレビ局から2006年度最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞しているだけあって、実に多面的な切り口から水の謎と神秘に迫っており、興味深く素晴しい内容だった。
 
ノーベル化学賞を受賞しているスイスのクルト・ヴュートリッヒ博士をはじめ、世界各地の科学者、宗教者、研究者が23名も登場するのだが、その中に、唯一の日本人として登場しているのが江本勝氏である。江本氏は、水の結晶写真実験で世界的に知られるようになり、今や世界中で引っ張りだこの状態だが、15年ほど前、その最初期の実験に直接関わっていた私は、その月日の経過も含め、感慨深くこの映画を楽しませて頂いた。
 
「クラシック」と「ヘビメタ」を水に聞かせた(ちなみに最初の実験でその選曲をしたのは私である)時の影響などは、誇張、あるいは誤解を招く形で伝えられているところもあって、現場での詳細な状況を把握していた者として、いずれ何らかの形にまとめて発表する必要性を感じてはいるが、それはともかくとして、この映画が伝える水の不思議さと可能性については、知っていて損は無いと思うし、少なくともウォーターセラピーに来られる方(あるいは興味のある方)には、一度は観ておいてもらいたいとも思う。
 
何しろ、一人の研究者だけが勝手な主張しているのではなく、ロシア科学アカデミーのメンバーなど、各国の複数の学者や研究者が、様々な実験を通じて新しい知見を得ているのである。・・・と薦めておきながら、渋谷アップリンクでの上映は、何と明日、クリスマス・イブの午前11時からの1回でラスト。お知らせが遅くなってしまったことを残念に思うが、今、この情報を目にして間に合う方は、聖夜の日に聖なる水の話に耳を傾けるという特別なシンクロを、是非味わってもらいたい。
 
もっとも、既に日本語版のDVDも出ているし、今回の上映も、映画の配給に関しては素人というボランティアの方(→上映応援ブログに背景が書かれています)が中心になって動いたことで可能になったとのことなので、今後も、より多くの方に観てもらえる機会が、様々な形で生まれることを祈る次第である。

モナリザの微笑

2010年12月22日 23:12

■律動の月10日 (G12/22) KIN258 白いスペクトルの鏡 (by D)

KIN247(G12/11)、G暦年内ラストの瞑想カレッジで思いきり軽やかな状態を味わった後、渋谷アップリンクに併設されているタベラへ。前回訪れた時にも思ったが、最近のここのランチは数段階レベルアップして、とても美味しくなった気がする。

少し前にご紹介した『不食の時代』は、かなり反響を呼んでいるようで、さらに上映期間が延長されていた。同じ場所で、江本勝氏が出演者の一人として登場しているロシアのドキュメンタリー映画『WATER』が上映されていたのにも、面白いシンクロを感じた。なぜなら、『不食の時代』の白鳥監督は、『ストーンエイジ』という作品の中で、江本氏をモデルにした人物を登場させていたりもするからだ。

その後向かったのは、人体科学会第20回大会が行われている水道橋の倫理文化センター。竹本忠雄先生(筑波大学名誉教授)の特別講演は、非会員でも無料参加できるプログラムだというのに、入口で『皇后美智子さま祈りの御歌』(竹本忠雄著/扶桑社)という美しい装丁の本までプレゼントして下さるというサービスぶり。ずっと関心があったのにも関わらず、会員にはなっていなかった私は「ここまでしてもらうと入会しない訳にはいかないなー」という気分にさせられた。

「美の顕現と宇宙的霊性」と題された講演は、東方教会やマリア信仰、さらにはノストラダムスにまで話が及ぶ非常に興味深いもので、「青い宇宙の手」というこの日の日付とも見事にシンクロしていた(マリアを象徴する青が頻繁に登場した)。スクリーンに映し出された貴重な写真の中には、モナリザの本物、模写、スケッチ画も含まれていて、先生がそれらの映像を行き来して下さったお蔭で、私は自分でも驚く発見をした。

模写には感じられず、本物には感じられたもの。それは主に目元の陰影による表情の変化だった。今までそう見えた事は無かったのだが、殆ど同じ絵をパッパッと入れ替えて見る機会を得たことで、その影が、微妙にゆらぐ表情を生み出すのに、かなり大きな役割を果たしているのに気付いたのだった。それは、能面がわずかな角度の違いで様々な表情を見せるのに似た現象だった(※1)。

今大会の会場は、13年前に「時間の法則に関する世界会議」が行われ、「時間の法則の20の銘板」が日本で初公開された場所でもある上、実行委員長は、当事アグエイアス夫妻来日に際してご尽力下さった倫理研究所理事長の丸山敏秋さん。発表者には、日本における「13の月の暦」の普及に誰より重要な役割を果たされた高橋徹さんや、その暦を通じてお名前を耳にしていた甲田烈さん、夏の合宿でお世話になった斑目健夫さんらのお名前が見られた他、特別プログラムとして青木先生も登場されるので、私は翌日も、午前中から参加することにしていた。

どの発表も興味深かったが、この学会が生まれるきっかけとなった「科学技術と精神世界」という1984年に筑波で開催されたシンポジウムの様子を30分にまとめた映像は、やはり非常にインパクトがあった。デヴィッド・ボームフランシスコ・ヴァレラ、湯浅泰雄先生をはじめとする主催者側の日本の先生方、スポンサーとなられた稲盛和夫氏や技術的な協力をされた井深大氏、当事はまだ無名に近かった甲野善紀氏など、実に多様かつ先進的な方々がこのシンポジウムには関わっていたのだ。

その中には、後々大いなる誤解を受けるであろうことを覚悟しながらも、主催者からの断っての願いを受けて秘技「遠当て」を見せた青木先生も登場されていた。映像の後で思い出を語られた先生は、ガンジーの弟子でもあるという哲学者ラジャ・ラオ氏との興味深いエピソードを披露して下さった。その後も、丸山さんが「気」についての大変面白くて深い講演をして下さるなど非常に充実した大会だったが、思いがけず、寺山心一翁さんや、世界会議当事ボランティアでご一緒した倫理研究所のスタッフの方々と再会できたのも嬉しかった。

倍音の月のラスト2日を飾った大会の翌日、即ち律動の月に入った初日(KIN249)、『週刊SPA』からの取材依頼が入った。コールマン博士のマヤ暦2011年完了説についてのもので、年末年始にありがちな特集のひとつだろうと思いつつも、タイミングが見事だった上、人体科学会で頂いた竹本先生のご著書と同じ扶桑社の雑誌だという事も知って(もちろんライターの方のメールも気持ちの良い感じだったからだが)、即断でお引き受けすることにした。来週発売される新年号に掲載される予定。

その2日後のKIN251には、母から『AERA』12/20号の現代の肖像というコーナーに、小学校時代同級生だったという末盛千枝子さんが取り上げられているという連絡を受けた。末盛さんは、皇后美智子様のご講演録『橋をかける』の出版などで知られるすえもりブックスの代表で、以前、このブログにもご登場いただいているが、竹本先生の『皇后美智子さま祈りの御歌』を頂いた直後だったこともあり、この数日間の中、何か一貫した流れを感じた次第である。

出張中のシンクロはもっと強烈で、実はそこにも美智子様が関わっているのだが、あまりに膨大になるので、今日はここまでにしておきたい。ちなみに、本日のランチは、冒頭の日から11日ぶりにまたタベラで頂いたのだが、この経緯についても、明日短くメモしたいと思っている。

(※1)モナリザの部分は12/18の時点で既にメモし終えていたのだが、出張で作業が止まっている間に、モナリザに関する新しい発見があったことがニュースで報じられていた。どちらも目に近い部分の話なのが興味深い。

花は燃えんと欲す

2010年12月17日 23:59

律動の月5日 (G12/17) KIN253 赤い律動の空歩く者 (by L)

第九回天真書法塾発表会。今年の私の作品です「花然(花燃ゆ)」

2010hana

全紙に二文字。この書を描き出すのには、とにかく色々な意味で、今までの自分の人生経験をなりふりかまわず総動員させる必要があり、未経験で無謀な領域への3段飛程のチャレンジはとても面白い体験だった。

以下は発表会の出品案内書用に書いた文。『強烈な色彩を放つ杜甫の五言絶句、「花欲然(花は燃えんと欲す)」よりインスピレーションを得て書題とし、落款二行に元々の詩を記した。(花然の「然」は火編の「燃(もえる)」と全く 同じであるが詩の原文に従った。)「すべての人の心の花よ、炎のように赤々と燃えて輝け!」そんな祈りを書に込めた。これを、特にシャンバラ教室の生徒諸君へのエールとし、道を拓いて下さった先生方への感謝とします。』

どんな動機で書くかは重要。カッコいいところ見せようとは全然思わないけれど、今年からスタートしたシャンバラ教室の生徒たち、そして道を歩み始めた全ての人たちを励ます為の書を、何か書いてあげたいと思った。しかし結局は、書いてあげるどころか、彼らの一生懸命書く姿に励まされ、彼らの存在に助けられてこの書が生まれ、表現大賞までいただくことができた。

かつて、我が師匠が話されていた・・・『人は助けている相手から助けられ、支えている相手から支えられ、教えている相手から教えられるのだ』と。さあ、命の花を燃やそう。生きているらしく生きて行こう。

天真書法塾発表会

2010年12月08日 23:20

倍音の月24日 (G12/8) KIN244 黄色い惑星の種 (by L)

第九回・天真書法塾発表会が行われました。
皆さま、師走の週末、お忙しい中をご来場くださり、本当に有難うございました。

今年は、我がシャンバラ教室の生徒たちによる「生命の実線」が、会場入口正面特等席をズラリと飾りました。手前ミソになりますが、もう圧巻(涙)!

20101204

書の作品を仕上げるのは生まれて初めてという生徒が大半ですが、全員、その時点で持てる力を出し切って精一杯書きました。一つ一つの作品の背景には、それぞれの物語があります。それを見守るのが、シャンバラ教室での私の仕事。いきなり子沢山になった気分です(笑)。

20101205

さあ、今年の稽古も発表会でひとくぎり。
来年は、どんな作品を仕上げていくのでしょう。楽しみ楽しみ。


そして、私の今年の作品は、また機会をあらためてご紹介させて頂きます。

豊かさの秘密

2010年12月02日 23:31

■倍音の月18日 (G12/2) KIN238 白い自己存在の鏡 (by D) 

Lが「観たい映画がある」というので、内容はもちろんのことタイトルもおぼろげな状態で青山のイメージフォーラムへ行った。正直、ポップアート、モダンアートにそれほど関心があるとは言えない私は、上映開始後も「タイトルになっている『ハーブ&ドロシー』というのは、現代アートをコレクションしているこの老夫婦のことなのか・・・」という感じで、最初のうちは、あまり映画の中に入り込んで行くことも出来なかった。
 
しかし、終盤になればなるほど、このご夫婦が、類希なる純粋さ(アートに対する姿勢の誠実さ)を持った、実に素晴しい人達だということが分かって来て、観終える頃には、すっかり深い感動と喜びに満たされていた。誘ってくれたLに、映画を制作した佐々木芽生監督に、そして今もNYで豊かな時間を過ごしているであろうハーブ&ドロシーに感謝したい。
 
自分の心が感じる「好き」という感覚に何より忠実で、人の価値基準に影響されないものの見方は、そのまま彼らの生活スタイルにも反映されていて、それがまた美しいのだ。自らの足を使って常に探求を続け、作者に直接会ってよく見聞きし、本当に気に入ったものを手に入れる。だからこそ、後に一部の作者が有名になり、作品の経済的価値が上がっても、一つとして売ることなく手元に置き続けて来られたのだろう。コレクションの動機の中に「将来値がつくかも」などという「好き」以外の不純物が混じっていたら、こうは行くまい。
 
いや、仮に当初の動機が純粋だったとしても、一点売れば大富豪というとような状況になって来ると、普通はさすがに気持ちが揺らいだりもするものだ。「これを売れば新しい作品がもっと沢山手に入れられる」とか「作品保存のためにもう少し広い家に引っ越そう」とか、何かそれなりの理由(言い訳)だって付けられるはずだ。しかし、それを一度たりともしてこなかったのは、彼らの中に、「アートの価値をお金に置き換える」という発想が、最初から微塵も無かったからではないだろうか。
 
映画に登場する関係者(主にアーティスト)の中には、彼らを「欲深い」という人たちもいたが、それは当然「お金にがめつい」という意味ではなく、「好きな作品や作者について徹底的に知ろうとし、可能なだけ集める」という点に対する、敬意と賞賛を交えた評価だ。従って、「いい家に住む」だとか「海外旅行に行く」とかも、彼らにとっては単に「好きな作品をコレクションする」ことより優先順位が低いだけで、別に何かを犠牲にしているという感覚も無いのだと思う。大体、「何かを犠牲にしている」という感覚を持っている人たちは、あんなに幸せそうなオーラはまとえない。
 
何しろ彼らのアートに対する姿勢は、一貫している。よく、好きなことを始めるに当って、「お金が溜まったら」とか「時間ができたら」みたいなことを言う人がいるが、ヴォーゲル夫妻を見ていると、やはりそれも「言い訳」にしか聞こえなくなる。本気で好きだったら、できる範囲のことからドンドンやるものだし、どんな形ででもやり続けるものなのだ、ということを彼らは教えてくれる。
 
監督の佐々木さんも、彼らの生き様に感動し、知り合って間もない頃から(資金繰りだとかを考える前に)いきなり自分のデジカメで撮影を始めた、とパンフレットに書かれていたが、その姿勢がきっと彼らとシンクロして、結果的に他の誰よりも早く、この見事なドキュメンタリーを完成させられたのではないかと私は思う。既に半ば伝説化している人達である、これまでにもオファーは沢山あったそうだし、彼らはその全てにOKも出していたという。にもかかわらず、佐々木監督以前にそれを成した人がいなかったのは、皆「資金を集めてから」という一般的な手順(つまりお金の計算から入るやり方)を踏んだからなのだ。

ちなみに、彼らは集めた作品を墓まで持って行こうとしている訳ではない。今や殆どの作品はナショナル・ギャラリーに寄贈され、さらに今は50の州にある美術館にも分配寄贈されているらしい。詳細については映画をご覧になってもらいたいが、ここにも彼らの美しさ、潔さがよく現れていると思う。別にカーネギーみたいに大金持ちにならなくても、世の中に還元する事は出来るのである。
 
こうしたブレの無さは、全て「アートを愛する」ことから生まれているように思う。そこに一切の混じり気がないからこそ、その存在と生き様に爽快なものが感じられるのだろう。彼らは、有名になってから送りつけられてきた作品には殆ど関心を示さず、全て送り返したと言っていたが、おそらくそれは、既にその行為の中に不純なものが混じっているのが感じられたからではないだろうか。それにやはり、自分で見つけ出すことに楽しみがあるのだ。これは、何もモダンアートに限った事ではないように思う。
 
私の経験でも、人から薦められたり送りつけられたりしたものより、自分で見つけたものの方がずっと魅力的だし(それが情報であれモノであれ)、そういうアンテナを持っていつもリサーチしていると、結局誰よりも早く、一番自分にピンと来るものを見つけ出せるのである。現代のNYという、モダンアート作品の収集にはこれ以上ないタイミングと場所に居合わせたシンクロ力(りょく)は、自ら見つけ出す・動くという彼らの姿勢と、深く関係しているように私は思う。
 
興奮して、何だかとりとめのない内容になってしまったが、とにかく気持ちの良い映画だった。大好きな美術作品に埋もれて暮らすヴォーゲル夫妻が、心の貧しい貧相なオーラの金持ちより、どれだけカッコよく豊かに見えることか。彼らの存在や生き様に、私は”真の豊かさ”の秘密を見た思いがした。彼らの生き様こそ最高のアートである。皆が、本当に好きなものを心で見つけて、ヴォーゲル夫妻のように暮らすことが出来たら、地球人類は本当の意味で豊かになれるのではないだろうか。

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