2011年09月23日 00:11
■電気の月3日 (G9/22) KIN12 黄色い水晶の人(by D)
マヤ暦絡みの話に多少詳しいと思われているからなのか、最近、何人かの人に続けて「エレニン彗星についてどう思うか」を聞かれた。私はその彗星の名を耳にした数ヶ月前に、ひと通り自分なりに調べて、「彗星も発見者も実在するが、巨大な質量を持つだとか大地震と関係がある等の話は、後付けでまことしやかに語られたもの」と判断し、以降、特に気にすることもなく過ごしている、と回答した。
その答えに拍子抜けしたようになったり、ホッと安堵の表情を見せたりする人々を見ていて心に浮かんでくるのは、「どうして自分でもう一歩踏み込んで調べないのだろう」という思いと、「私の話もまたそのまま鵜呑みにしてしまうのだろうか?」という疑問だ。必ずしもそうではないという前置きは必要だが、エレニンで騒いでいる人々は大抵、フォトンベルトとかジュセリーノ、人工地震説なんかも好きだ。
いずれも、私にとってはもはや関心の無い話題なのだが(例えばジュセリーノについては4年近く前にこんな記事を書いている)、こういう話題で疑心暗鬼になって盛り上がる人々は、そのこと自体を趣味にしているようなところがあって、ほぼ同じパターンを繰り返しつつも、飽きる事がない。
もちろん陰謀論者の話にも一理はある。だからこそ、そういうコンテクストで抽出された物語とデータをズラーっと並べられてしまうと、途端に不安な気持ちになったり、つい納得してしまう人もいるのだろう。しかし、311以前に具体的な場所もタイミングも損害の規模も述べていなかった者に人工地震説(相手も手法も特定できているという主張)を持ち出されても、私は全く説得力を感じない。
闇の勢力が世界を支配し、コントロールしているとする陰謀論者も、記者クラブメディアの報道を信じて疑わない良識ある(ということになっている)テレビ新聞世代の人々も、ひとつの固定された文脈でしかモノが見られなくなっているという点では同じだ。ユダヤやイルミナティを「闇の勢力」とし、東電や電事連などを「悪の組織」と想定すれば、話は分かり易くなるが、実際のところはそれらをつぶしたところで何も解決はしないだろう。
私達が真に見つめるべきは、具体的な組織などではなく、各人の心の中にも浸透してくる(そして既にしている)12:60的働きそのものではないだろうか。私はその抽象的な働きを、新著の中で「モノ時間」と名付けたが、おそらくB・フラーが言う「権力構造(グランチ)」にも、同じようなニュアンスが込められているのではないかと思う。例えば、『宇宙エコロジー』P118には、以下のような解説がある。
【法的な装置として抽象的に存在する不可視なこの巨人の群れに対して、私はグランチ(GRUNCH)という言葉を発明した。現金と引き替えに全宇宙から富を奪う泥棒(GRoss UNivers Cash Heist)を表わすグランチ(GR-UN-C-H)は、一年間にアメリカ・ドルで一兆を越える配当金を株主に支払う。(中略)グランチを構成するのは、目に見えない巨大な帝国(これには放送電波と衛生が含まれる)の所有者たちが互いに結合した集合に加え、世界中にある18年も経過していない新しい超高層建築物が集合した都市のすべてと、古い都市を遠くから取り囲む工場と研究所、そしてたとえば台湾、韓国、マレーシア、香港そしてシンガポールなどの東洋に配置された産業のすべてを含むみえない巨大帝国である。】
1981年に書かれたこの文章が、今も新鮮にリアルに感じられるのは、フラーが遥か昔にコトの本質を見抜いていたからであり、同時に、今もってその仕組み(グランチ)が衰えないまま存在しているからである。上記を読めば、都市に住む私達もまた、グランチの微細なパーツのひとつとしての側面を持っていることが分かる。果てしない経済成長を前提とし、短期で収益を上げることを良しとする概念である「利息」を、当たり前のものと考えている間は、私達はグランチの無自覚な一末端構成員であり、環境破壊や人間の精神の破壊に、多少なりとも加担していることになる。
少々脱線してしまったが、ここに書いたことは「ものごとの本質を見抜く」「情報を統合的、包括的に見る」ということでリンクしている。実は「13の月の暦」は、本来、人が持っているこうした能力を回復させるためのツールであり、先の読めない未曾有の時代にこそ、役立つものなのである。
普段のクラスでもある程度そういう話はしているが、来月、大阪の「ホロンPBI」で行う講座では、特に、「これからの時代を生き抜くための暦の使い方と、情報の見分け方」についてお伝えする予定(※)。当然それはシンクロを日常化させるものであり、ブレない軸を自ら創り出すものでもある。マヤのリズムは、多次元的なレベルで途切れた回路を回復させるだけでなく、未知の領域を探求する際に必要になってくる感性も磨いてくれる。これは、この暦を実験的な姿勢で使い続けて来た私の、率直な感想である。
※10/2(日)の横浜ナディアでのテーマ別クラスでも、カール・コールマン氏の10月28日マヤ暦完了説と共に要点に触れる予定。
マヤ暦絡みの話に多少詳しいと思われているからなのか、最近、何人かの人に続けて「エレニン彗星についてどう思うか」を聞かれた。私はその彗星の名を耳にした数ヶ月前に、ひと通り自分なりに調べて、「彗星も発見者も実在するが、巨大な質量を持つだとか大地震と関係がある等の話は、後付けでまことしやかに語られたもの」と判断し、以降、特に気にすることもなく過ごしている、と回答した。
その答えに拍子抜けしたようになったり、ホッと安堵の表情を見せたりする人々を見ていて心に浮かんでくるのは、「どうして自分でもう一歩踏み込んで調べないのだろう」という思いと、「私の話もまたそのまま鵜呑みにしてしまうのだろうか?」という疑問だ。必ずしもそうではないという前置きは必要だが、エレニンで騒いでいる人々は大抵、フォトンベルトとかジュセリーノ、人工地震説なんかも好きだ。
いずれも、私にとってはもはや関心の無い話題なのだが(例えばジュセリーノについては4年近く前にこんな記事を書いている)、こういう話題で疑心暗鬼になって盛り上がる人々は、そのこと自体を趣味にしているようなところがあって、ほぼ同じパターンを繰り返しつつも、飽きる事がない。
もちろん陰謀論者の話にも一理はある。だからこそ、そういうコンテクストで抽出された物語とデータをズラーっと並べられてしまうと、途端に不安な気持ちになったり、つい納得してしまう人もいるのだろう。しかし、311以前に具体的な場所もタイミングも損害の規模も述べていなかった者に人工地震説(相手も手法も特定できているという主張)を持ち出されても、私は全く説得力を感じない。
闇の勢力が世界を支配し、コントロールしているとする陰謀論者も、記者クラブメディアの報道を信じて疑わない良識ある(ということになっている)テレビ新聞世代の人々も、ひとつの固定された文脈でしかモノが見られなくなっているという点では同じだ。ユダヤやイルミナティを「闇の勢力」とし、東電や電事連などを「悪の組織」と想定すれば、話は分かり易くなるが、実際のところはそれらをつぶしたところで何も解決はしないだろう。
私達が真に見つめるべきは、具体的な組織などではなく、各人の心の中にも浸透してくる(そして既にしている)12:60的働きそのものではないだろうか。私はその抽象的な働きを、新著の中で「モノ時間」と名付けたが、おそらくB・フラーが言う「権力構造(グランチ)」にも、同じようなニュアンスが込められているのではないかと思う。例えば、『宇宙エコロジー』P118には、以下のような解説がある。
【法的な装置として抽象的に存在する不可視なこの巨人の群れに対して、私はグランチ(GRUNCH)という言葉を発明した。現金と引き替えに全宇宙から富を奪う泥棒(GRoss UNivers Cash Heist)を表わすグランチ(GR-UN-C-H)は、一年間にアメリカ・ドルで一兆を越える配当金を株主に支払う。(中略)グランチを構成するのは、目に見えない巨大な帝国(これには放送電波と衛生が含まれる)の所有者たちが互いに結合した集合に加え、世界中にある18年も経過していない新しい超高層建築物が集合した都市のすべてと、古い都市を遠くから取り囲む工場と研究所、そしてたとえば台湾、韓国、マレーシア、香港そしてシンガポールなどの東洋に配置された産業のすべてを含むみえない巨大帝国である。】
1981年に書かれたこの文章が、今も新鮮にリアルに感じられるのは、フラーが遥か昔にコトの本質を見抜いていたからであり、同時に、今もってその仕組み(グランチ)が衰えないまま存在しているからである。上記を読めば、都市に住む私達もまた、グランチの微細なパーツのひとつとしての側面を持っていることが分かる。果てしない経済成長を前提とし、短期で収益を上げることを良しとする概念である「利息」を、当たり前のものと考えている間は、私達はグランチの無自覚な一末端構成員であり、環境破壊や人間の精神の破壊に、多少なりとも加担していることになる。
少々脱線してしまったが、ここに書いたことは「ものごとの本質を見抜く」「情報を統合的、包括的に見る」ということでリンクしている。実は「13の月の暦」は、本来、人が持っているこうした能力を回復させるためのツールであり、先の読めない未曾有の時代にこそ、役立つものなのである。
普段のクラスでもある程度そういう話はしているが、来月、大阪の「ホロンPBI」で行う講座では、特に、「これからの時代を生き抜くための暦の使い方と、情報の見分け方」についてお伝えする予定(※)。当然それはシンクロを日常化させるものであり、ブレない軸を自ら創り出すものでもある。マヤのリズムは、多次元的なレベルで途切れた回路を回復させるだけでなく、未知の領域を探求する際に必要になってくる感性も磨いてくれる。これは、この暦を実験的な姿勢で使い続けて来た私の、率直な感想である。
※10/2(日)の横浜ナディアでのテーマ別クラスでも、カール・コールマン氏の10月28日マヤ暦完了説と共に要点に触れる予定。
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